原発内の放送をジャックして告げられたジャコモの言葉。それは私たちの胸を穿つ強力な、それでいて恐ろしいほどの魔力を持った言葉だった。 己の、家族の仇は目の前にいる。 そう告げられるだけで、人々の中に渦巻く憎悪は何倍にも増幅し、引き金を引く指が止まらなくなる。「トリエラ!」 ヒルシャーの叫び声と同時に、前へ進む速度を爆発的に加速させる。今まで私が駆けていた空間に撃ち込まれていく弾丸の音が後ろから追いかけてくる。 少しでも足を緩めたら、もしくは縺れさせれば即座に脳漿をぶちまけかねない極限の世界。 私たち義体が生きていく世界は悲しいことに今日も健在だった。「七時に複数! アンジェリカ、吹き飛ばせ!」 アサルトライフルに榴弾砲を取り付けたアンジェリカがトリエラの影から飛び出す。 彼女はトリエラと併走しながら放物線を描いて飛ぶ榴弾砲をテロリストが複数人固まっているポイントへ正確に撃ち込んだ。爆発と共に瓦礫と人が降り注ぎ、天井からスチームのように黒煙が噴きだしてくる。「くそ、閉所の多人数戦がこんなにも厄介なんて!」 十字砲座によって先頭を駆けていたトリエラとアンジェリカが足止めを受けた。彼女達が走っている下層区域を狙い撃てるように上層部には機銃座が設置されている。 トリエラやヒルシャー、アンジェリカとマルコーに随伴していた公社の職員が機銃座の沈黙のため、散発的に発砲するが、運の悪い職員は機銃座の反撃に遭い露と消えていった。「こちらD班! 十字砲火の陣地に嵌まり身動きが取れない! 応援を頼む!」 マルコーが無線機に必死に呼びかけても、応答をする余裕を持つ者はここには存在しない。 司令塔的な意味を持ち、各員に指示を飛ばし続けていたジョゼの無線も途切れたままだ。「だめだ、どこも反撃が激しくて手を回せない」 公社の突入によって勃発した新トリノ原発の攻防。序盤は義体や航空支援に長ける公社側が押す形となったが、機銃座や装甲車によって要塞化された原発内部に戦場を移した途端、戦線は膠着しだした。 やや公社が押し込む形となっているものの、序盤の勢いに比べれば遙かに犠牲者が多い。「マルコー、アンジェリカの榴弾は幾つ残っている?」「さっきで四つめだからあと一つだ。手榴弾は三つ残っている」「機銃座にどちらか投げ込めないか?」「無理だな、頭を出した途端にミンチにされる」 機銃座からは死角になっている場所に身を潜め、ヒルシャーとマルコーのフラテッロは機銃座の様子を伺う。 絶え間なく降り注ぐ鉛の弾丸は例え義体といえども無事で済むものではない。「マルコーさん、私が囮になりますから、その間トリエラが機銃座を潰してください」「許可できない、アンジェリカ。これ以上誰一人として失うわけにはいかない」 彼らに睨みを効かせている機銃座は巧妙に配置され、どちらかが襲撃されても残された機銃座が通路をカバーできるように設計されていた。それにガンナーの腕も良い。少しでも姿を銃座の前に晒そうものなら、瞬きするまもなく穴だらけにされてしまう。「ですがマルコーさん、このままでは……」 アンジェリカが表情を不安に染めてマルコーを見上げる。機銃座に押さえ込まれている今でも、じりじりと戦線が後退しつつある。 このまま戦線が彼らに到達してしまうと、最悪全滅の危機になりかねない。「くそ、誰か回り込める奴がいれば……」 眉根を寄せながらマルコーが天井を見上げる。すると二つの影が高速で通過していった。赤毛の大人の影、そして栗色の髪を持つ少女の影だ。 機銃座から悲鳴が上がった。 マルコーが増援を要請したとき、応答こそ出来なかったものの、確かに情報を受け取ったグループがいた。それはアレッサンドロとペトラのペアだ。 ペトラの高軌道を活かすために単体行動を認められていた彼らは、マルコーの無線を原発内に張り巡らされた排気口の中で聞いていた。「聞いた? サンドロ」 「ああ、何処も彼処もてんてこ舞いだな」 二人はケプラー繊維で出来た戦闘服に身を包み、強襲型の軽装備で排気口内を進んでいた。目標は原発の制御室。そこにはソビエトから密輸入された核が運び込まれたという情報もある。「で、どうする?」 ペトラは排気口内で器用に振り返りながらサンドロに問う。それは助けに行くか、このまま制御室を目指すか、の二択を意味していた。 もちろん重要度から言えば制御室に運び込まれているという核だろう。だが見知った同僚であるトリエラとアンジェリカが取り囲まれつつあるという報告も無視するわけにはいかなかった。「……核が運び込まれたという情報はほぼ確実なものだが、百パーセントじゃない」「なら!」 アレッサンドロは声を荒げるペトラを見て彼女の心情を察した。ブリジットに敗北してからここ最近、彼女は血の滲むような訓練を己に課してきた。そしてそれはおそらく友人であるブリジットのためということも。なら同じ友人であるトリエラやアンジェリカを見捨てるという選択肢は最初からペトラの中に存在していないのだろう。 だが、とアレッサンドロは臍を噛んだ。 懸念事項はたった一つ。それはペトラのこれまでの人生だ。 ロシア生まれのバレリーナだった彼女は、チェルノブイリの核汚染によって癌を患い自殺をした。そしてそこから、公社に使役される義体になったという経緯がある。 ソビエトの核の力によって人生を狂わされた彼女の使命はおそらくイタリアで使われようとしている核を止めること。普段から人の使命を説くアレッサンドロはペトラにその事実を知らせることなくここまできたことに後悔を抱いていた。さらに先の寿命が目に見えているペトラに、己の運命に対して決着を付けさせることがせめてもの罪滅ぼしになるとも考えていた。 沈黙が二人を支配する。 何かを訴えるかのようにペトラはアレッサンドロを見ていた。 アレッサンドロはこちらをまっすぐと見つめるペトラを見て息を一つ吐く。「決めたぞ、ペトラ」 こちらに振り返っていたペトラの肩を掴み、己の方へ向き直るようアレッサンドロは彼女の体勢を変える。「お前はヒルシャーさんとマルコーさんの援護に向かえ」 ペトラの瞳がはっきりとした歓喜の色に染まる。だが次に続けた一言によって彼女の表情は一瞬で曇り果てた。「俺は一人で制御室に向かう。核は俺が止める」 何を馬鹿なことを、とペトラが口を開いた。しかしその言葉は続かない。アレッサンドロに抱き寄せられたペトラは己の口が彼のそれに塞がれていることに気がつくまで、暫く時間が掛かった。「いいか、ペトラ。俺は核を止める。そして必ず生き残る。だからお前も死ぬな」 ペトラの瞳を見据えるアレッサンドロの視線は堅く、鋭い。 アレッサンドロはペトラを再び抱き寄せ、肩口に頭を乗せた。「お前は核汚染によって義体になった女だ。本来なら制御室を目指し、ジャコモの核を止めることがお前の成すべきこと、使命なんだろう。だが使命を守り通すだけが人間じゃない。いいか、お前は掛け替えのないものを守れ。決してその手を離すな。一度離してしまっていたとしても再び掴み取れ。それがお前の人生の意味だ」 いやだ、とペトラが呻く。それは愛しい人を一人死地に送り込むことに対する恐怖。「安心しろ、俺は必ず帰る。お前が心配しているアルフォド組よか、もっと上手くやってみせるさ」 アレッサンドロによって排気口の床が抜かれた。ここを降りて下層部に降りていくのがトリエラ達のいる場所へ続く近道。 それでもなお、縋り付いてくるペトラの肩をアレッサンドは押す。「さあ行け、お前ならきっと出来る」 視界が急激に下がり、ペトラは一人誰もいない通路に落ちた。 だが呆然とするのは数秒のみ、目尻に溜まった涙を乱暴に拭いながら、すぐに拳銃を抜き歩を進める。 ここで一つ、人形と呼ばれ続けた義体は一つの選択をした。 視界は赤。意識のイメージは真っ黒。 死力と気力を振り絞りながら、ブリジットはジャコモをこの世から屠るべく突進を続ける。 彼女の進んだ道の後には血の線が続き、散発的に放たれるジャコモの弾丸は少数ながらブリジットを確実に痛めつけていた。 ブリジットは光のない瞳を涙に滲ませて、ジャコモに向かって拳銃を放つ。 痛い、痛い痛い、痛い、怖い怖い怖い 差し迫る死の恐怖と全身から吹き出す痛みによってブリジットの精神は摩耗し、焼き切れる寸前となっていた。 だが歩みを止めるわけにはいかない。ここでジャコモを仕留めないと、ここで全てを清算しないと、今まで踏み台にしてきた全ての人が無駄になってしまう。「どうした小娘! まだまだやり足りんぞ!」 歓喜に表情を歪ませたジャコモはぎりぎりのところでブリジットの攻撃をいなしつつ、戦場を次々と変えていた。 義体の持つ突進性は驚異ではあるが、柔軟性に欠けるという持論を展開する彼は、それをフル動員しつつブリジットをかわしていく。 単純な戦闘力では決して義体に適わない彼だが、テクニックとそれ以上に経験に裏打ちされた戦闘勘で差をカバーしていた。 その戦闘スタイルがブリジットに生きろ、と囁いた青年によく似ていて、ことさらブリジットの苛立ちを増幅させていく。「なんで、お前が……!!」 腰元からナイフを取り出し、ジャコモのがら空きになった脇腹に突き立てる。しかしナイフの切っ先はジャコモの肉に届かない。紙一重でかわされてしまったそれは勢い余ってブリジットのバランスを崩す。 体勢を崩したブリジットの軟らかい腹部にジャコモのブーツがめり込んだ。「どうしてあいつみたいに!!」 だがブリジットは止まらない。 髪を振りかざし、くの字に折れた体を反転。ジャコモの側頭部へハイキックを叩き込む。当たり前のように防がれる打撃だが、ジャコモは一つの誤算をした。 それは義体の突進性、単純なパワーだ。「ああああああああああああああああああっ!」 防がれたハイキックを、体幹に力を込めることによって振り切る。 打撃を吸収することに成功したジャコモだったが、追ってやってきた衝撃には耐えきれず吹き飛ばされた。「ぐっ」 壁に張り巡らされた配管を壮大に歪ませ、ジャコモは壁に打ち付けられる。ブリジットは確かな手応えを感じながら追撃を叩き込む。「闘争がそんなにお望みなら!」 拳を振り上げジャコモの顔面を貫いた。「私が殺してやる!」 本当は、ジャコモのことなんて興味なかったはずだった。もうアルフォドだけでいい。彼の為だけに残りの人生を使うつもりだった。けれどリコの白い腕が視界を遮ってから、彼女が弱々しく懇願したときからブリジットの中で何かが変わった。 それはこの世界に生まれ落ちたとき、初めて思い立った原点のこと。 すこしでもマシな世界を目指そう。 すこしでも救いのある世界を作ろう。 途中で挫折してしまったけれど、決して忘れて良いものではなかったブリジットの原風景。「もう取り返しがつかないのかもしれない! もう間に合わないのかもしれない!」 再びジャコモの蹴りがブリジットの腹部を吹き飛ばす。体重だけなら通常の少女と変わらないブリジットはそれだけで数メートル後方に飛ばされてしまった。 ジャコモが拳銃を抜き、起き上がろうとしたブリジットの胸に数発の銃弾を撃ち込む。鮮血が宙を舞い、世界を汚す。「けれど、ここまできたんだ! ここまで生きてきた! なら!」 上体だけを起こしたブリジットが手にしていたのは一本のナイフ。彼女はそれを持って突進することはやめ、投擲の要領でナイフを手放した。 柄を中心に回転が掛かりながら飛んでいったナイフは浅いながらジャコモの左胸に突き刺さる。「後始末くらいはつけてやろうじゃねえか。クソッタレのジャコモ・ダンテ」 ブリジットが立ち上がる。よろよろとした足取りで血に倒れ伏したジャコモに歩み寄る。ジャコモが落とした拳銃を拾い上げ今一歩、確実に一歩近づいていく。「少しは感謝してるよ、ジャコモ。けれど、ここで終わりだ」 引き金を引く。銃声がブリジットの耳を貫いていき、放たれた弾丸は螺旋を描きながらジャコモへ向かっていく。 もう何千、何万と撃ち続けてきた彼女が放つ、最後の弾丸であることを願いながら。 だが――――、「あれ、?」 狙いはジャコモの眉間。この距離ならば目隠しをしていても当てられる的。なのに弾痕はジャコモの左頬を掠め、堅い床に穿たれていた。 そしてブリジットの視界が傾く。 遅れてきた痛みが左足を襲い、倒れていく世界の中で吹き飛ばされたそれを見つけた。「嘘……」 切断された左足から血が噴き出し、倒れ込んだ視界で見つけたのはアンチマテリアルライフルを構えているテロリストの姿。 伏せ撃ちの要領で追い打ちを掛けようとしていたテロリストを始末するも、緊張の糸を切られてしまったブリジットは起き上がることが出来ない。「あはは、こんな終わりって……」 身動き一つしないジャコモの横でブリジットは笑い声を上げる。 彼女の最後の戦いが、ある意味で終わりを迎えた瞬間だった。