トリステイン魔法学院は優秀なメイジ達を教員に据えている。それ故に並の施設よりも防衛力が強固であり、貴重な魔法具や調度品、書物などの保管を任せられている。
まだ、王立図書館の蔵書を総て調べ終えたわけではないが、折角の機会だ。ここなら王立図書館でもお目に掛かる事の出来ない貴重な蔵書に目を通せる筈。
早朝、オールド・オスマンに許可を取り、本塔の図書館を訪れた。30メイルを超す本棚は実に圧巻。思わず感動に打ち震えてしまった。
「……さて、どこから手にとってみようかな」
王立図書館並とはいかないまでも、ここの蔵書数は計り知れない。ここは一つ、テーマを絞って調べる事にしよう。
視線で本の背表紙をなぞりながら、コレはと思うものを手に取っていく。
『ハルゲギニアの歴史』
『偉大なる始祖ブリミルの足跡』
『大いなる思想の海』
『虚無の伝承』
『古典・イーヴァルディの伝承』
『心と魔法』
『始祖ブリミルの使い魔たち』
幾つか違う目的の為の書物も手に取ってしまった。
「……まあ、折角の機会だ」
幸い、アンリエッタ王女が魔法学院に滞在する間は部下に指示さえ飛ばしておけば自由に動ける。
ここは腰を据えて読書に勤しむとしよう。
読書に没頭していた私を現実に引き戻したのは外から響いてくる聞き覚えのある声だった。
いつの間にか空がすっかり茜色に染まっている。手で軽く窓の霜を取り払うと、広場の中央に見知った顔を見つけた。
サイト君だ。傍に佇む少女にも見覚えがある。あれはクリスティナ姫だ。
こんな夜更けに二人っきりとは……。
そう言えば、王宮で二人は親しげに会話をしていたな。クリスティナ姫は穏やかな気性の持ち主で、やたらと権威を振り翳すタイプでもない。
これは禁断のロマンスが展開しているのかもしれない。実に甘酸っぱい。
しかし、静観しているわけにもいかない。相手は異国の姫君だ。
少年少女の色恋沙汰にちょっかいを出して、馬に蹴られる趣味は無いが、万が一という事もある。
サイト君の立場が危うくなれば、その余波がルイズに向かう可能性も高い。いや、それ以前に国際問題に発展する可能性も零では無い。
「どれ、少しお節介を焼くとしようかな」
読んでいた本を閉じ、小机に置く。中々、目的に見合う内容の本は見つからなかった。
小さくため息を吐き、長時間座っていたせいで固くなっている体を解す。
「おっと……」
立ち上がった拍子に小机を揺らしてしまい、上に乗っていた本が数冊床に散らばってしまった。
「いかんな……」
貴重な書物を汚したとなっては図書室の利用を許可して下さったオールド・オスマンに申し訳が立たない。
急いで散らばった書物をかき集めていく。幸い、ページが折れ曲がったり、敗れてしまったものは無かった。
「おや?」
散らばった本の中には、まだ手付かずの本も混ざっていた。
その内の一冊。偶然開かれたページに私は釘付けになった。
『始祖ブリミルの使い魔たち』
そこに記されていた内容と嘗ての婚約者の身に最近起きた驚愕の出来事が急速に結びついていく。
神の左手と呼ばれる使い魔。あらゆる武器を使いこなしたとされる“人間”の使い魔。その左手に刻まれる特殊なルーン。
その文章を読み上げると同時に脳裏に浮かぶ黒髪の少年。不思議な装束に身を包み、その身に見合わぬ剣技を有する少年。その左手に刻まれた見慣れぬルーン。
そして、彼を……、人を使い魔にした前代未聞のメイジ。四大系統の呪文が悉く失敗する少女。だが、彼女の失敗は通常の失敗とは少し違う。魔法の発動自体は“爆発”という形で顕現している。
伝説とされる系統。
伝説とされる使い魔。
「ま、まさか……」
鼓動が早まる。確認しなければならない。
もし、この推察が正しいなら、私は遂に見つけた。いや、見つけていた。
本を小机に放り、私は広場に向かって駈け出した。胸の奥底でドロドロとした感情が鎌首をもたげる。
邪悪な思い付き。嘗ての婚約者……、しかも、まだ幼い彼女を利用する計略が脳内に組み上がっていく。
反吐が出る。今直ぐに計画を中止しろと理性が叫ぶ。
「……クハ」
それも一瞬の事。理性は野望に呑み込まれ、唇の端が無意識の内に吊り上がる。
王や国への忠誠が薄らいでいく。ルイズやサイト君に感じていた親愛の情が薄れていく。
代わりに欲望の炎が際限無く燃え上がっていく。
ゼロのペルソナ使い 第十八話「暗転」
早朝、俺は火の塔に赴き、通い慣れたコルベール先生の研究室の扉をノックした。
馬に乗る練習をする為には当然ながら馬が必要だ。だけど、学院の馬を借りるには許可が要る。ルイズとギーシュは出発の準備があるからとメモを残し、俺が起きる前に王都に向かってしまった。帰ってくる頃まで待っていたら練習する時間が無い。
二人を頼れない以上、頼みの綱はコルベール先生だけだ。
「おや、サイト君。朝早くからどうしたんだい?」
コルベール先生は何かの作業中だったみたいで、額に汗を流していた。
邪魔をするのも悪いと重い、手短に用件を伝えると、コルベール先生は難しい表情を浮かべた。
「だ、駄目ッスか?」
コルベール先生なら直ぐに許可をくれると思っていただけに、芳しくない反応を返されて戸惑った。
コルベール先生が駄目となると、他の数少ない知り合いに頼んでも無駄だろう。
「あの……、俺はどうしても今日中に馬に乗れるようにならないといけないんです!」
「……私からオールド・オスマンに話を通せば、特別に馬を貸す事は出来る。だけど、一人で練習をさせるわけにはいかない。誰か、指導する者が居れば話も違うのだけど、生憎、今日は私も忙しくてね」
明日の午前中なら時間が取れると言われたけど、明日じゃ遅い。
指導してくれる人を見つけたら許可を出すと言われ、俺は渋々コルベール先生の研究室を後にした。
困った。ルイズとギーシュが居ない今、俺が頼れる人間は多くない。
シエスタはメイドの仕事で忙しそうにしているし、モンモランシーやキュルケとは個人的な頼み事が出来る程親しくない。
デルフリンガーに乗馬の手解きを頼んだとしても、さすがに指導員が剣では馬を借りる許可を出してもらえないだろう。
「うーん、困ったな」
「どうしたのだ?」
弱り果てて頭を抱えていると声を掛けられた。顔を上げると、そこにはクリスの顔があり、俺は思わず歓声を上げた。
頼れる人間がここに居た。
「クリス!」
「な、なんだ?」
目を白黒させるクリスの手を取り、俺は頭を下げた。
「頼む。俺に馬の乗り方を教えてくれ!」
「……あ、ああ」
◆
こんな状況だと言うのに、鼻孔を擽る女の子特有の甘い香りに俺は夢見心地になっている。
「馬は乗る者の心をつぶさに感じ取る。常に平常心でいる事が大切だ。おい、聞いているのか?」
耳元で囁かれ、思わず頬が熱くなる。
俺は今、クリスと一緒に黒毛の牝馬に跨っている。
一緒に乗りながら説明した方が効率が良いと、クリスは密着した状態で手取り足取り教えてくれているわけだ。
「集中しろ。今日中に乗れるようにならないといけないんだろう?」
そう言われても、この状況で落ち着ける程、俺は大人じゃない。
背中越しに感じるクリスの柔らかさや温度に頭は沸騰寸前だ。
「ほら、道を外れてしまったぞ。しっかりしろ、サイト」
「は、はひぃ」
「……もう、昼だな。すこし、休憩にしよう」
クリスはそう言うと、優雅な身のこなしで馬から飛び降りた。
ホッとしたような、ガッカリしたような、ちょっと複雑な心境。
馬を放っておくわけにもいかず、俺はひとっ走りして、食堂でサンドイッチを作ってもらった。シエスタが不在だったから、少し緊張した。
馬が牧草を貪っている傍らで、俺達もサンドイッチに舌鼓を打つ。新鮮な野菜と肉で作ったマルトーさん特製サンドイッチは今日も絶品だ。
「それにしても、どうして今日中に馬に乗れるようにならねばならんのだ? 筋は悪くないが、やはり一朝一夕では無理があると思うぞ」
「……それは」
口振りからして、クリスはアンリエッタから何も聞いていないみたいだ。
当然だな。自国民にも気安く口外出来ない内容だ。他国民の……、しかも王女様に話すわけにはいかない。
「話せない……、か?」
「……ごめん」
教えてもらっておいて、事情を何も話せない事に罪悪感を感じる。
だけど、正直に話すわけにはいかないし、嘘偽りで誤魔化す事も出来ない。
俺に出来る事は謝る事だけだった。
「……よい。頭を上げろ、サイト」
「クリス……」
「事情がある。それだけ分かれば十分だ。午後もビシバシ鍛えてやるから心しろ」
「あ、ああ! ありがとう、クリス!」
本当にクリスには幾ら感謝してもし足りない。
一国の王女様なのに、平民の俺にここまで良くしてくれるなんて、彼女の国の国民はさぞや幸せな事だろう。
サンドイッチの最後の一つに齧り付きながら、俺はそんな事を思った。
“クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナ”コミュのランクが“2”に上がった!
“運命”のペルソナを生み出す力が増幅された!
「ところで、サイト。一つ、聞きたい事があるのだが……」
「聞きたい事?」
真剣な面持ちでクリスは言った。
「最近、この学院内で奇妙な出来事は起こらなかったか?」
「奇妙な出来事?」
奇妙な出来事と言えば、俺がこの星に来てからの出来事は一から十まで全てが奇妙だ。
平賀才人の奇妙な冒険と銘打って、自伝でも書こうかと思うくらい奇妙な体験をし続けている。
だけど、クリスが聞きたがっているのはそういう事じゃないのだろう。
「……いや、変な質問をして悪かった。さて、午後の訓練を始めよう」
「あ、うん」
この学院内で起きた“この世界にとっても奇妙な出来事”には二つ心当たりがある。
だけど、どっちも常識外れ過ぎて、馬鹿正直に話してもキュルケみたいに馬鹿にしているのかと怒られるのが関の山だろう。
クリスもまさか、あの二つの異形の事を聞いているわけでは無いだろうし、特にミス・ロングビルの一件は口外しない約束をオールド・オスマンと交わしている。
それ以外となると、ここに来たばかりの俺には分からない。いずれにしても、クリスの期待には応えられないだろう。
訓練はその後夕暮れまで続いた。俺は少しずつ乗馬に慣れ、今ではクリスの補助無しで乗り回せている。これなら、ルイズとギーシュの任務についていける筈だ。
喜び勇みながら、俺はクリスにお礼を言い、二人が王都から帰ってくるのを待った。
だけど、その日、二人は帰ってこなかった――――……。