ラ・ヴァリエール公爵との稽古を終えた俺だが、食事を摂る気になれない。おそらく公爵も尻の治療で食事を取れまい。つまり、晩餐会室は女だけだと思われる。どのような話をしているのかなど興味はない。どうせ陰口(偏見)だろうから。ルイズの父親も母親もトンでもない方々である。カリーヌによって、俺は罰を受け、公爵によって俺は深い哀しみを背負った。ルイズも大変だな・・・・・・。廊下の窓から見える二つの月が、暗い廊下を照らしている。この空の下には、俺の家族はいない。煩悩だらけだが、母に対する愛情は人一倍な父。そんな父や俺たちを優しく見守る母。俺の周りをちょこまか走り回る二人の妹達・・・。その家庭を取り巻く人々・・・。『平凡な日常』が一番の幸せと言ったのは誰だったか。俺は既にその平凡の日常を脱却している。『何?パン屋になりたい?』ある日、俺の父親の一博は俺が将来なりたい職業を聞いたことがある。今より少し若い頃・・・俺は「パン屋になる」とその頃から断言していた。母親の湊はそんな俺の野望を聞いて微笑んでいたが、父は溜息をついた。『母さんの実家を継ぐのか?あそこは母さんの妹さん夫婦がいるじゃん』『新しい店を構える!』『簡単に言うなぁ・・・どうしてそう思ったのかは大体分かるがなぁ・・・』『達也、あそこのパン屋の2号店とか駄目よ?遊びに来る口実を探してるから。あの一家』『・・・いや、そもそもあのパン屋の2号店とかにしたら、お義母さんが作ったパンが送りつけられてくるだろう・・・これが家のパン屋の名物だ!とかお義父さんは言うぞ、絶対』『お兄ちゃんがお店を作ったら、私が最初のお客さんになってあげる!』『ちがうのー!わたしがいちばんー!』『あらあら、気が早い話ねェ。じゃあ、お母さんは3番目でいいわ』『じゃあ俺は4番目になるんだな・・・』『杏里ちゃんがいるから5番目でしょう?』『お隣さん以下かよ!?』それが幸せな日常だとは、その時気付きもしない。離れて、初めて気付く事もある。友人と言う存在とは別次元で、家族という存在は、やはりありがたいのだ。「異世界の騎士か・・・」騎士の証であるマントを、俺は着用していた。アンリエッタから返却されたのを俺は素直に受けとった。別にトリステインに忠誠を誓ってはいない。俺は自分の進むべき道に対して後悔はしないように心掛けている。俺は誓ったのだ。必ずどんなに困難だろうと、杏里のもとに帰ると。家族のもとに帰ると。それが俺の誓い。それを騎士の誓いとする事で不退転のものとする為に、俺は騎士に返り咲いた。俺は自分の信じるものに対して誓いを立てた。その証としてマントを受け取った。どんな事があっても、絶対・・・!!さて、一方の晩餐会室。ルイズの周りに部屋の女性達が集まっている。何だかんだいって、達也とこの世界で一番付き合いがあるのはルイズである。達也のネタを持っているのも彼女が一番多いのだ。共通の話題を持っていると、話は弾む。「・・・では、タツヤさんには、本当に想い人がいらっしゃるのですね?」アンリエッタが確認するように言う。「は、はい。タツヤ自身がそう言っていました。タツヤの故郷にその方はいると」「でも、まだ恋人じゃないんでしょう?」キュルケの質問にルイズは頷く。確かに達也は一途だが、相手の心が分からない以上、所詮は片思いである。「なかなか靡かないと思えばそういう事か・・・」アニエスが何事か呟いているが誰も聞いていない。ルイズとしては達也は帰してあげたいが、いくら調べても、次元が違う場所に達也をピンポイントで送る魔法などないのだ。虚無魔法にそういうのはないかと始祖の祈祷書も調べるが、反応はない。つまり今の所、手がかりはない。達也も虚無魔法にそういう便利な魔法ないの?とか言って聞いてくるが、ないと言えば残念そうにしている。やはり元の世界の想い人の事を考えてるのだろうか?「そういう訳ですから、タツヤは諦めたほうがいいかと・・・」ルイズは丁重に達也から手を引いてもらおうと母に言った。カリーヌは眼鏡をくいっと上げて言った。「全然問題ありませんね。恋人でも妻でもない存在ならば、何を躊躇う必要があるのです?何を諦める必要があるのです?奪うも何も現在誰のものでもないとわかり安心しました」悪魔のような笑みを浮かべるカリーヌ。それに対して、はっとしたような表情を浮かべる一同。ルイズのみ、「なにその理屈こわい」といいたげな顔である。そんなルイズを見て、カリーヌは言う。「ルイズ、今は悪魔が微笑む時代でもあるのですよ」「母様!それはタツヤの意志を蔑ろにする発言ですよ!」「いや、最悪世継ぎだけでもいいからと思うんですよ」「なに言ってんのアンター!?」どうやらカリーヌは諦めていない様子だ。いや、だが流石にアンリエッタとかは・・・。「世継ぎ・・・世継ぎ・・・?」「世継ぎで満足していいのか私、それでいいのか私?」オイコラ其処の姫と銃士隊隊長。帰って来い。悪魔の囁きに耳を貸してはいけない!成る程・・・ね。キュルケは達也の境遇を聞き、そう感想を漏らした。好きな女性がいる・・・か。だからどうだというのだろうか?恋人同士の関係ならば少しは遠慮したかもしれない。だが、そうではないのだろう?ルイズは達也の意思を尊重しているのかもしれない。だが、人の心は強くもあれば、弱く脆い。彼が惚れている女性のことは知らないが、彼が惚れるほどの女性なのだ。きっと、それほど魅力的な女性なのだろう。・・・だからと言ってはいそうですかと納得するわけあるか!キュルケは密かに燃えていた。――――例え、決意を新たにしても。――――例え、異世界で生きていても。――――例え、愛を貴方が誓っても。――――その世界にお前はいない。そう、お前は確かにその世界にいないのだ。――――お前がその世界にいない。――――それが世界の真実。――――それが世界の真実ならば、それが・・・――――お前が愛する女の真実でもあるのだ。彼がいないのは寂しかった。いるはずの存在がいない。彼が言った魔法の世界。魔法なんてある訳がない。夢でも見ていた。散々言われたが、彼はその時其処にいた。『最期に杏里たちに会いに来たんじゃないの?』友人の言った言葉が頭の中で反芻される。確かにアレから達也は現れない。・・・・・・最期の・・・・・お別れだったのか?『杏里!大好きだ!また会おう!』また会おうって・・・あの世なの?だって貴方、大好きだなんて言う人じゃないじゃない。目の前で消えていった達也。彼は幽霊だったのだろうか・・・。彼の行方は知れない。・・・恋人でもないただの幼馴染。――――そう、彼女と彼の関係は文字に表せばその程度。――――彼が消えず、彼女の側にいれば、彼女は今頃、幸せに穏やかに過ごしていたろう。――――正に恋人同士のように。――――だが、彼はいない。この世界にもう、いないのだ。――――彼と彼女の絆は深い。――――だからこそ、彼女には彼がすでにこの世の存在でないとうっすら感じるのだ。――――嗚呼、もしも彼が異世界に召喚されなければ、彼が邂逅したある可能性の未来に辿り着けたのに。――――嗚呼、運命の歯車が狂ったばかりに。――――嗚呼、彼女の心がほんの少し、あと少し強ければ。――――嗚呼、彼女があと少し、魔法の世界という存在を信じれば。――――嗚呼、嗚呼。彼女が、彼女が何処にでもいるような平凡な容姿ならばあるいは。――――嗚呼、彼女の寂しさを彼の家族がもっと深く気付いていれば。――――嗚呼、嗚呼、嗚呼。彼が、彼がこの世界に居れば!薄暗い部屋。其処は彼女の部屋でもない。ましてや幼馴染の部屋でもない。その空間に響くのは男女の小さな呻きに似た声。そして何かが軋む音。そして何かが倒れる音。外は満天の星空。月明かりが部屋を照らす。照らされた先のベッドには男と女の姿があった。男は白目を剥いて完全に意識を失っている。何処か、彼と似ている感じだが、全然違う。所詮、彼ではなかった。そう、彼じゃないんだ。寂しさに潰れそうになってた所を声をかけられた。何故だろう。彼に似ていると思った。違う。最初からそいつは身体が目当てだったのだ。だから優しくしていたに過ぎない。彼が行方不明と何処かで聞いて・・・。それしきの事に気付かないほど、自分は参っていたのか・・・?それしきの男に自分は身体を許してしまったのか?それしきの寂しさで私は彼を裏切る行為に等しい行動をしたのか?「うっ・・・ひっく・・・ううっ・・・」静かな薄暗い部屋に月明かりが差し込んでいる。月明かりに照らされた少女、三国杏里は、『彼』ではない男が眠る隣で呆然とただ、涙を流すのだった。寂しさという悪魔に精神を蝕まれた少女は・・・愛する彼を裏切ってしまった。・・・男の顔が酷い事になっているのは何故でしょう?二つの月がある夜空を見上げる俺。退屈そうにしていた幼女ルーンが、俺に話しかけてきた。『お話しましょう、お話』「何を?お前のぶっ飛んだ話にはついていけそうにないんだけど?」『いえいえ、貴方は元の世界に戻ったら、真っ先に誰に会うんですか?』「家族・・・と言いたいけどやっぱり杏里だな!」『一途ですねェ』「悪いかよ」『いいえ、その一途さは敬意を払うに値しますよ』「そりゃどーも・・・ん?」月が出てるほどの晴天なのに、雨が降っている。『狐の嫁入りってやつですねー』月が出た状態の雨はそれから一時間ほど続いていた。雨が降っていた。達也の妹、因幡瑞希は、今日の下校中、信じられないものを見た。三国杏里が、知らない男と歩いていた。杏里の様子は明らかにおかしかった。男の方が彼女の肩を抱いていたが、楽しそうなのは男の方だけだった。杏里の顔は、死人のようだった。彼女のミスは、その時、声を掛けなかった事。そして彼女の幸運は、深夜まで起きていたということだった。窓の外には、服がやや乱れた姿の三国杏里が、トボトボと歩いていた。瑞希は思わず、部屋を飛び出していた。――――その二人の幸せを願うものが居る。――――その二人の不幸を嘆くものが居る。――――彼の行く末を見守るものが居る。――――彼は何時だって人の力を当てにしていた。――――そう、彼は人の力を当てにしていたのだ。(続く)