結局、アンリエッタが「帰って来い」と言えば、例えカリーヌといえど、三日が限界である。いよいよウエストウッドの村を出る日。出る日の前日、盛大に子供たちに泣かれた。あのアニエスも彼らとの別れに涙を流していた。付き合いが短いルイズ達も寂しそうだった。「タツヤ、短い間だったけど、本当に楽しかった」テファはにこりと笑って言った。悲しさも寂しさも何もない表情だった。「ああ、俺もだ」彼女に一緒に来いと言うことも出来る。だが、移住はそんな簡単なことじゃない。彼女の場合は出生の問題があるし、今の俺では如何する事も出来ない問題だ。貴族といっても下っ端なのだから。「テファ、君が俺を助けてくれたように、いつか俺も君を助けてやるよ」「・・・そんな・・・当然のことをしただけだわ。気にしないで」「そうかい。じゃ、気にしないことにするさ。元気でな、テファ」俺がテファに簡単に別れを告げて、その場を去ろうとすると・・・「兄ちゃん!」「タツヤ兄ちゃん!」子供たちが、俺の前に整列していた。「お前ら・・・?」別れは昨日済ませたはずじゃ・・・俺がそう思うと、子供たちは一斉に歌い始めた。その歌はルイズたちには聞き慣れない歌詞であった。テファですら知らない歌詞を、少年少女達は涙を流しながら歌っていた。歌詞の意味は俺が子供たちに教えたものだ。その歌も俺の故郷の歌として適当に教えたものだった。異世界ハルケギニアのアルビオン大陸、ウエストウッド村に響くその歌の名は、『仰げば尊し』だった。「わが師の恩か・・・ありがとよ、少年少女」「お兄ちゃん!」「兄ちゃん!」「タツヤ兄ちゃんー!」教えたはいいが、俺は小学校中学校と、仰げば尊しを歌ってないんだよな。でもまあ、ちょっと泣きそうになった。永遠の別れになるかは知らないが、俺はお前らを忘れない。いざさらばウエストウッド村。長閑なる地よ。だがそんな感動的な光景の数日後、俺達は物凄い恐ろしい笑顔を王宮で見るのであった。その笑顔を向けられていたのは俺でもルイズでもなく、アニエスだった。「一ヶ月も何をやっていたのです?」アンリエッタの尋問はもう一時間を経過した。アニエスの答えは、俺と共に市民を守っていたという答えだ。騎士らしい答えに拍手を送りたいが、アンリエッタは納得するはずがなかった。アニエスはもう燃え尽きちゃったよ・・・という状態である。もうそっとしておいてやってください。彼女はあの村で輝いていました。アニエスを散々弄り倒した後、アンリエッタは俺やルイズの方を向いた。「アルビオン侵攻軍の指揮を執った将軍たちに査問を改めて行なった際、彼らはルイズに無茶な要求をしたようですね。何でも足止めの殿軍を命じたとか」「・・・いえ」「申し訳ありません、わたくしが貴女のことを話した所為です」アンリエッタは暗い表情で言った。戦争という極限状態でそのような命令を出される事を考慮していなかった事。虚無の力を利用し、戦争に勝とうと思ったときが私にもありましたということ。「許してくれとは言いません・・・わたくしはこの戦争を私怨で行なった大罪人ですから」「姫様。このルイズ・フランソワーズ、陛下に一身を捧げております。己の死もその中に含まれていますので、どうか御気になさらず・・・」死に掛けたのは俺だろう。何、カッコよく決めようとしてやがる!?ルイズはその後、シェフィールドとテファの事を話した。テファと別れる二日前、俺はルイズにはテファが虚無の魔法を使えると言うことを話した。ルイズは驚いていたが、『あの胸は虚無のせいだったのね!・・・私のこの胸部もまた虚無のせいなの?』と、変な納得の仕方をしていた。とにかく、アンリエッタはテファの早期保護を提案したが、彼女は穏やかに過ごす事を望んでいるというルイズの機転でアンリエッタの提案をやんわりと断った。トリステインはハーフエルフのテファにとって安全とはいえないのだ。虚無の担い手はルイズやテファ以外にもあと二人いることが推測された。その中にはあのシェフィールドを要する、こちらに敵意むき出しの担い手もいる。・・・面倒な事になってきてはしませんか?アンリエッタは自分がいる以上、ルイズには指一本触れさせないと断言した。その後、俺の方を向いて言った。「タツヤさん、貴方がルイズの代わりに、七万の軍勢と対峙したそうね。アルビオンの将軍から全てを聞きました。貴方には何度お礼を言っても足りません。本当に有難う御座います。貴方がいなければ、我が軍は更なる被害に見舞われていたでしょう」「そんな・・・たまたま冗談じゃない事態が起きて、それが上手く行っただけですよ」女王陛下直々にお礼を言われる気分は悪くはないが、彼女の顔でそう畏まられると困ります。「貴方にはそれ相応のお礼をしなければなりませんね」アンリエッタはそう言うと、二枚の羊皮紙を俺に手渡そうとした。後ろで枢機卿のマザリーニがやれやれと言った風に肩を竦めている。ルイズは俺がこの世界の文字を読めないことを知ってるので、読んであげようと横からその紙を覗き込む。ルイズは紙に書かれた内容を見て、目を何回も擦り、何回も見直して、内容を確認するとムンクの叫びのような表情になった。・・・また碌でもない内容なのだろうか・・・?「ルイズ、面白い顔芸はいいから、俺にこの紙の内容を教えなさい」完全に上から目線であるが、何時もの事なので誰も突っ込まない。「えっと・・・その左の方は近衛騎士隊隊長の任命書よ」「面倒くさそう!断る!」「早っ!?」「タツヤさん、貴方は過去、公式、非公式にわたくしを幾度も助け、アルビオンでは古今例のない貢献を致しました。これは誰もが認めざるを得ない偉業です。貴方はトリステインの英雄の仲間入りをするに相応しい方。英雄にはその働きに見合う名誉と褒美を与えなければいけません。断るなんて言わず、どうか、そのお力をお貸しください。あなたはわたくしにとって・・・トリステインにとって必要な人間なのです」潤んだ目で俺を見つめるアンリエッタ。成る程、ウェールズめ。男を骨抜きにする技術を仕込んだのか!・・・どこかで『誤解だ!』という声が聞こえたような気がするが気のせいだろう。「お力を貸していただけますね?」 はいニアいいえ「そんな・・・ひどい・・・お力を貸していただけますね?」 はいニアいいえ「そんな・・・ひどい・・・お力を貸していただけますね?」 はいニアいいえ「そんな・・・ひどい・・・お力を貸していただけますね?」無限ループって怖くね?しかし俺も粘って43回ぐらい『いいえ』を選択したのだが、アンリエッタも全く退かず、ついに『はい』と言った俺。ルイズもアニエスもアンリエッタの執念に引いていた。マザリーニだけは頭を押さえていた。だが、隊長職は本当に面倒くさい。誰か他に適任は・・・いた。「姫、隊長は俺なんかより適任がいます。俺はそいつを推薦したい」「ぶえっくしょい!!!」謁見待合室にてギーシュは豪快なクシャミをした。それを見て顔を顰めるキュルケたち。「口ぐらい押さえなさいよ」「す、すまない。風邪とかじゃないはずなんだが・・・」おかしいな?と首を傾げるギーシュ。彼には程なく、名誉な辞令が送られることになる。どうにか近衛騎士隊の隊長をギーシュに押し付ける事に成功したが、副隊長はやらなきゃいけないらしい。まあ、副ならいざという時はギーシュに責任を全て押し付ければいいのでOKだ。・・・ギーシュが過労死直前なら流石に手伝うが。ところでもう一つの方の紙には何と書かれているんだろうか?「・・・こっちの方が大変よ・・・姫様、正気ですか?」「わたくしは何時だって大真面目です」「私怨に駆られて戦争したって今言いましたよね貴女」「何だ?何が書いてあるんだ?」「簡単に言えば、貴方の活躍のご褒美に、領地をあげるって・・・」「は?」「正しい反応ね。姫様、コイツに領地を与えるとか何考えてるんですか!?土地ごと全てパン屋にするとか言い出しますよ!?」「あら、それは素敵なことじゃないですか。トリスタニアの西に、ド・オルニエールと呼ばれる土地があります。ほんの三十アルパンの狭い土地ですが・・・」三十アルパンは俺達の世界の単位で言えば10キロ四方の土地に相当する。下手な村より普通にデカイだろ。「無理です。領地を頂くって事はそこの王様ってことだよな?」「そーね。似合わないわよね普通に」「本当は貴方の貢献に報いるには男爵の位でも付けたい所なのですが・・・」「姫様・・・流石にやりすぎじゃないでしょうか?」「優秀な功績を残した方にはそれ相応の褒美がいるでしょう」「・・・タツヤはいずれ自分の故郷に帰るって言ってるのに?」「ええ、存じ上げています」「そんな奴に領地を与えたり、近衛隊の隊長にしようとしたり・・・失礼ですが姫様、タツヤを故郷に帰すつもりは・・・」アンリエッタは何を言ってるんだという表情になった。そして満面の笑顔で言った。「帰れるものなら帰ればいいじゃないですか。帰れるものなら」「帰す気がないんですか!?」「タツヤさんはわたくし・・・いえ、トリステインに必要なお方です!」「そう言ってくれるのは光栄なんだが、そりゃねえだろ姫さん!?」国を挙げて俺の帰還を妨害しようと目論むな!?「俺は戦争は嫌いだし、領地の経営も専門外ですが」「領地の経営は優秀な副官をこちらで用意いたしますわ」「俺の領地経営は決定事項なのかよ!?」「いい土地だと思いますよ?狭いながらも、見入りは一万二千エキュー程の土地です。山に面した土地は葡萄畑もあり、ワインが年に百樽ほどとれるとか」「・・・とか?」「とれるそうですよ」「・・・そうですよ?」「とれるといいですね」「希望的観測!?大丈夫かよその土地!?」山に面したという単語だけで嫌な予感はする。ここはその副官さんに期待するしかない。副官に政治を任せて俺は元の世界に戻る方策をゆったり考えよう。そうすればいい。何も問題ない。過分な褒美としか思えないが、受け取れと言われたものを無理に突き放せば、アンリエッタの面子に関わると本人に言われた。・・・潰してもいいんじゃねえ?そう思ったが、そうするとこの国を敵に回してしまう。それは御免だ。「・・・分かりました。ありがたく頂戴しますよ」「そうしてください。後で書類を届けさせます。それと副官の方も手配しておきます」アンリエッタは微笑んで言った。女狐とは正にこの事であろう。やはり別人だな・・・と思った。タニアリージュ・ロワイヤル座の二階奥に、ボワットと呼ばれる特別な観賞席がある。横に長く十席ほど並んだ場所に座れるのは、国内でも有数の大貴族である。トリステイン王立魔法研究所の評議会議長であるゴンドランは銀髪で整った口ひげをした老紳士だが、覇気が感じられない顔立ちと気弱そうな性格から、人に与える印象を薄いものにしている。とはいえ、彼も大貴族の一員である。席に座る貴族は彼のほかに複数いた。単に劇を観賞しに来たわけではない。今回はある問題について会議をしに来たのだ。「戦争は無事に終了致して何よりですな」「いえ、事後処理はまだ終わっておりません。アルビオンの大地をどう分けるか・・・難しい問題ですよ」「戦争の事はよいでしょう。今回お集まりいただいたのは別のことです」ゴンドランは集まった貴族達に言った。「昨今の陛下の治世・・・また平民を貴族にしたばかりか、何を考えているのか、領地まで与える事も考えているようです」「まあ、今の陛下の考えが有能なものには相応の待遇を、というものですからな」「その平民を足がかりにして、若い貴族や平民の中の有能な人材の奮起を期待しているのではないのですか?」「若い者達には負けるな、と尻を叩かれているようですな」「何だかんだ言って、我が国を支える大貴族達の年齢も高年齢化しています。陛下としても何とかしたいと考えているのでは?」「ド・ポワチエ将軍やラ・ラメーが戦死したのが痛すぎますな」ゴントランとしてはその二人を筆頭に次代に世代交代していくと思っていたのだが、彼らは先の戦で戦死している。王宮が若く、優秀な力を欲しているのも理解できるのだが・・・「今だ我々はその若き力に、祖国の伝統と知性を継がせていない。彼らがいないこの時。そして成長株の平民上がりの貴族が出て来た今こそ、我々は次世代の為に動かねばならないのではないのでしょうか」ゴントランは回りにいる貴族達に聞こえる様に言う。「陛下はまだお若い。若さゆえ、その勢いでこれまでの伝統や制度を破壊しようとなされている。それはいいでしょう。我々が仕えていた先々代の王は更に酷かったのですから。勿論良い意味でですよ?・・・若さゆえの暴走、過ちを正す為に我々は定期的に会議を行なっています。ですが、見て御覧なさい。どちらを見てもジジイばかり!若さの欠片もありません!」笑いに包まれるボワット内。だが、実は笑い事じゃないのだ。人の命には限りがある。だから上手い具合で世代交代をしなければならない。トリステインの老貴族たちは元気すぎたのが祟って、それが上手く出来ていなかったのだ。「で、結局、世代交代の時期であると?」「その通りなのですが、これまでその若い世代に目ぼしい者がいなかったのです・・・育てるにしても育てるぐらいなら俺がやると言う方々が若い貴族の仕事を奪うし」耳が痛い話だ。こうして年を取ると、自分達のやっていたことが結果的に国の若返りを阻害してしまったというのが分かってくる。老貴族としても国の若返りは歓迎する。だが、まだまだ若いものには負けんという気持ちもあるのだ。・・・さっさと隠居を決め込んだラ・ヴァリエール公爵ですら、娘関連になると今だ現役でもいい位に働くのだ。国のトップが一気に若返った今こそ、世代交代のチャンスだったのだが、そこで戦争が起きてしまった。しかもアンリエッタは何かに取りつかれたような様子で戦争をしていた。見ていて凄く危なっかしい。実際、アルビオン軍七万がロサイスに来ていたら、負けも有り得たのだ。・・・その七万を止めたのが平民あがりの『騎士』たった一人だったから、もう平民は大喜びである。その戦果は全く文句の付けようがないし、その『騎士』には相応の褒美があって然りだが、幾らなんでも領地を持たせるとか平民上がりでも異例なのに破格過ぎる出世である。せめて近衛隊の兵士に取り立てるまでならまだしも・・・。大貴族たちにとっては鬱陶しい存在でもあるのだが、だからといってその存在を消してしまうと、世代交代のチャンスが完全に潰れる。そうなれば国は滅ぶ。衝動的に動くには大貴族達は長く生きすぎた。若い血は早急にこの国に輸血しなければならない。そのためには誰か『モデル』が必要なのである。それがアンリエッタであり、七万を蹴散らしたその『騎士』なのである。「我々もそろそろ、隠居をするべき時なのでしょうかね」「隠居の方が楽ですが、暇になりますな」「普通に領地の政治をすればいいじゃないですか」「面倒ですなぁ」大貴族達は直接その『騎士』の事を知らない。ただ、敵軍だったアルビオンの軍勢からは、『サウスゴータの悪魔』と呼ばれ、35000人を一度に戦闘不能にし、残りの軍勢の同士討ちを誘発したとだけは聞いている。結果、アルビオン軍は壊滅状態になった。・・・どんな奴だよおい。「トリステインに名立たる大貴族様達が、このような場所でこそこそ何をなさっているのです?」『!?』この場に呼んだ覚えがない声がする。・・・いや、声の主の旦那は呼んだけど、来ないと言ってたのだが・・・「リッシュモンの事があり、この辺りは監視が厳しくなっている事はご存知でしょう?耄碌しました?」「げげっ!?『烈風』!?何故貴様が!?」「夫がこの日この場所で老人達の悪巧みがあるから冷やかしてくれと頼まれましたのと・・・陛下からの勅命ですわ。『灰色卿』、いえ、ゴンドラン王立魔法研究所評議会議長。長女が何時もお世話になっておりますわ」「ぬけぬけと。彼女は優秀だが、魔法研究所に入る際のあの恐喝紛いの真似は忘れてないぞ」「嫌ですわ。結局屈したじゃありませんの。さて、ゴンドラン殿。陛下からの勅命ですわ」「・・・陛下が私に?一体何が・・・」ゴンドランは渡された紙を見る。隣に座る貴族達がその紙を覗き見ている。「・・・・・・マジ?」「マジですね」「・・・・・・魔法研究所はどうするの?」「元々いるだけのような名誉職状態だったじゃないですか」「はっきり言うな!?」「魔法研究所も世代交代の時期ですよ。貴方達の言葉を借りるならば」「・・・だからと言って何故私が・・・ド・オルニエールの領主の副官を勤めろと命じられる!?ここの領主は結構前に亡くなったばかりだろう!領主じゃないのか!?」「貴方も一応領主の顔を持っていますが、基本政治は別のものに任せていますし、宮廷政治に夢中だったでしょう。残り少ない人生、辺境の地の領主の補佐をしつつ、世代交代の準備をするのもいいんじゃないんですか?」「・・・・・・納得いかんが、陛下の勅命とあっては仕方がない。では、ド・オルニエールの領主が決まったということだな。誰がなったのだ?」「そうですね。名前が最近長くなりました。ド・オルニエール領主の名はタツヤ・シュヴァリエ・イナバ・ド・オルニエール。まあ、『サウスゴータの悪魔』という面白い異名の持ち主と言えば、お解かりになるでしょう?」ボワット内が騒然となった。噂の成長株の平民上がりの騎士の名前だろう!?政治できるの?「だからこそ『優秀』な副官として貴方を招集するんじゃないですか?」「どう考えても左遷だろう!?」「お黙りなさい。彼の身柄は我が、ラ・ヴァリエール家にあります。これを蔑む事は、我が家と王家を敵に回すと思ってください」「死刑宣告ですね、分かります」「逆に生き返るかもしれませんよ?楽しい人物ですからね」がっくりと項垂れるゴントラン。残りの自分の人生は惨めなものになってしまうのか・・・周りの貴族はご愁傷さま・・・という表情で見ている。そんな目で私を見るな!?悲嘆に暮れるゴントランに、カリーヌは裏のない声で言った。「ゴントラン殿、彼の成長はこの国の成長に繋がります。・・・彼をお願いします。これは私や陛下の願いです」そう言われたら断れないじゃないか!?ゴントランは渋々、了解した。・・・荷造りしないといけない・・・ゴントランの背中は煤けていた。(続く)