厨房の片隅に置かれた椅子と机で特製のシチューに舌鼓を打っている俺とルイズ。ルイズはすでに三杯目に突入している。だが、俺はそれを咎めることなく、むしろそれ位食べても飽きないほどの高品質なシチューの出来栄えに感心していた。「こんな美味い料理、生まれてこの方食ったことないよ」「まぁ、ウチの学院の学院長が拝み倒してまで勧誘するほどの腕の持ち主だからね。マルトーさんは。平民の身分でそれは異例の大抜擢よ」「凄いんだな、あのおじさん」「マルトーさんは元々貴族嫌いでね。若い頃はそれこそ困窮に喘ぐ人々に腕を振るって料理を作ってあげる日々を送る旅の料理人だったらしいわよ」「そんな人が、よくこんな貴族だらけの魔法学院に入る事を決心したな」「学院長が凄いマルトーさんや、彼の料理に惚れ込んでいるのよ。初めは勧誘を断っていたんだけど、学院長の熱意に負けたって言ってたわ」「そういやルイズ、お前はマルトーさんは『さん』付けで呼ぶんだな」ルイズは「何を妙なことを言ってんだ?」と言う顔で答えた。「当然よ。かつて貧しい人々に無償で食を与えていて、学院長すら惚れ込み、今でもここの生徒の中で、マルトーさんの料理にケチをつける奴なんてほとんどいないわ。そりゃ、量が多すぎて食べ切れなかったり、モノの価値が分からないバカが残したりするけどね。アンタもわかるでしょ?これって凄いことなのよ。そりゃメイジのような魔法は使えないけど、あの二本の腕から様々な料理を生み出す事は私から見れば凄い魔法よ。その事に対して私は素直に敬意を覚えるわ。少なくとも、今の私にはそこまでの事は出来ないから」「お嬢様、そりゃ誉めすぎですって」マルトーが厨房の奥から出てきて、照れた様に鼻の頭を掻きながらルイズに言う。「俺はただ、腹を空かせた奴らを見過ごせなかっただけでさぁ。俺は骨の髄まで料理人っすから。人が俺の作った料理を食べて、幸せそうな顔を見るのが好きですしね」「こういう人なのよ。マルトーさんは。時代が時代なら聖人扱いよ」「止して下さいよ、照れますから。ハハハ!」豪快に笑うマルトー。ルイズはそんなマルトーを見て微笑んでいる。「タツヤ、料理の良し悪しには、貴族も平民もないわ。美味しいものは美味しく、不味いものは不味いという事実だけが唯一の真実よ。そこに貴族が作ったから、平民が作ったからどうとか言い出す奴は愚か者よ。要はそれが美味しいかというだけなんだから」「分かるわね?」と言って締めるルイズ。本当にこういう時のルイズの考え方は、俺のような奴でも感心する物がある。「私は、そういう尊敬できるような才能の持ち主にはちゃんと敬意を払うの。妬んでも仕方ないし」「無い者ねだりは虚しいしな」「そうよ」「ところでルイズ。お前の素晴らしい考えはわかったけど・・・」「ん?何?」「シチューを夢中で食ったせいか、口の周りに白いひげができてるぞ」「・・・!?・・・ぬ、ぬああああああ!!?なんでいつも私はこうなのーーーー!!?今度こそは決まったと思ったのにぃーー!!」どっと笑いに包まれる厨房。そこに嘲笑などの感情は含まれておらず、どこか温かいものが漂っていた。金色の巻き髪に、フリルの付いたシャツを着て、そのシャツのポケットに薔薇を挿したメイジの少年、ギーシュ・ド・グラモンは先程からの質問攻めにウンザリしていた。彼としてはケーキを摘み、紅茶を飲みながらアンニュイに浸った風かのように過ごし、女性の目を釘付けにする計画があったのにも関わらず、何故か自分の周りにいるのは女性ではなく男友達ばかりだった。正直、むさくるしい。そしてその男友達は先程から、「なあ、ギーシュ。お前、今は誰と付き合っているんだ?うん?怒らないから言ってごらん?」「誰が恋人なんだ?うん?」とばかり尋ねてくる。まるで尋問だ。ギーシュははぁ・・・と溜息をつきたい気持ちを押さえて言った。「だから、言っているではないか。つきあうとか、僕にそういった特定の女性はいないんだ。ほら、言うじゃないか。薔薇は多くの人を楽しませるために咲く。僕が多くの女性を楽しませるために存在するようにだ」女性に不自由した事はないという自負はある。だからこそギーシュは自らを薔薇に例えた。しかし、そのような発言は彼の友人達の反感を買うだけだった。「ほう、そうかそうか。それはつまり何か?『僕は何もしなくても女の子の方から寄ってくるんだ!仕方ないじゃん』とでも言いたいのか?」「いや、そこまで露骨な事は・・・」「お前、アレだろ。人に女性を紹介しておきながら、自分がその女性を掻っ攫っていくタイプだろ」「何でそうなる!?僕にだってその辺の良識はあるから!?」そうして熱くなってしまったのがいけなかったのか、ポケットから小壜が落ちたのに気づいた。この友人たちに拾われれば、また何か言われるかもしれない。ギーシュがすぐ拾おうとした時、彼より先に小壜を拾ったものが現れた。「落し物よ。色男さん」小壜を拾った人物はギーシュも良く知る人物だった。その人物、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、昨日召喚したという平民の使い魔を従え、ニヤニヤしながらギーシュを見ていた。ギーシュは内心「最悪だ・・・」と頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。ルイズが目の前の『色男』の座るテーブルに小壜を置くと、色男は苦々しい表情でルイズを睨み、「な、何を勘違いしているんだね?こ、これは僕のじゃない。い、いい、一体君は何を言ってるんだね?ミス・ヴァリエール?」ルイズはへえ・・・といって再び香水を手に取る。「なら、私が貰っても問題ないわよねぇ?あなたには関係のないモノなんでしょう、ギーシュ?」「すみません、嘘つきました。返してください」ギーシュは自分の嘘を認めて、一瞬で頭を下げた。小壜をじっと観察していたギーシュの友人らしき二人のうち、一人が何かに気づいたように口を開いた。「おやおや、よく見たらこの香水は、モンモンことモンモランシーの香水ではないのかね、ギーシュ君」「本当だねぇ、この鮮やかな紫色はまさしくモンモランシーが自らのためだけに調合している香水に見えるねぇ。ミス・ヴァリエール。女性の君からして、これは果たしてモンモランシーの香水だろうか?」「ええ、そうねぇ。まさしくこれはモンモンことモンモランシー特製の香水だわぁ」「成る程ぉ、それがギーシュ。君のポケットから落ちてきたという事は、つまり君は今、モンモンことモンモランシーと付き合っている?そうだね?うん?」こいつらはまるでいじめっ子である。ギーシュは一瞬うっと呻くと、すぐ呼吸を整えた様子で指を立てて反論する。「ち、違う!いいかい君たち?彼女の名誉のために言うが・・・」「あのーちょっといいか?」「ん?何だね平民!メイジの僕に恐れ多くも・・・」「いや、ちょっと気になったんだが、さっきからさ、後ろのテーブルの女の子がずーっとこっち見てんだけど」「え?」ギーシュやその友人、そしてルイズが俺の指し示すテーブルの方向を見る。そこには、茶色のマントの少女が一人、ぽつんと座っていた。俺たちの視線が一斉に向けられたことに気づいたのか、立ち上がって、ギーシュに向かってコツコツと歩いてきた。栗色の髪をした、可愛い少女だった。着ているマントの色から、一年生だろうと思った。こういうのもなんだが、俺の好みのタイプである。「や、やぁ・・・ケティじゃないか・・・」「ギーシュさま・・・」そして、ケティと呼ばれた少女の目からは大粒の涙がポロポロとこぼれはじめてきた。「やっぱり、ミス・モンモランシーと・・・」「い、いや、いいかいケティ?彼らは馬鹿な誤解をしているんだ。僕の心の中にはいつだって君だけが・・・」「最低っ!!」ケティはそう言って思い切りギーシュの頬をひっぱたき、「さようならっ!」と言って泣きながら走り去っていった。むぅ。ギーシュは呆然とした様子で頬をさすっていた。そして、彼の不幸は連鎖する。「うふ、うふふふふふふふ・・・・・・」地獄の底から湧き出るような恐ろしい声が、俺たちの耳に入った。ルイズはその声に対して、「あら、噂をすれば」と、完全に他人事のように飄々と言った。ギーシュは世界の終わりのような絶望的な表情になり、声の主に声を掛けた。「や、やぁ、モンモランシー」見事な巻き髪の女の子、モンモンことモンモランシーがいかめしい顔つきと単色の瞳でギーシュを睨みつけていた。「モンモランシー、僕には君が何を言いたいのかよく分かる。だが、これは誤解だ!彼女とはただ一緒に、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをして話をしただけで・・・」「おかしいな・・・おかしいわよ・・・おかしくない・・・?」「え」「ギーシュ?ねぇギーシュ?私はあなたとそのような場所、一緒に行った覚えはないわ?この前行ってみたいとあなたに言ったのに連れて行ってくれなかったのはそう、他の女と一緒に行ったからなのよねぇ・・・私は悲しいわよ、悲しいわ。ねぇ、ギーシュ?裏切らないって言ったわよね?あなたが私に。なのにあなたはあの一年生に手を出していた・・・」「ちょ、ちょっと、待て、落ち着けモンモランシー!?お願いだよ『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、美しいその顔を、怒りに歪ませないでくれ!僕まで悲しくなるじゃないか!」モンモランシーはゆらり・・・と動いてギーシュたちのテーブルに置かれた自作の香水の小壜を取ると、にっこりと微笑んだ。その微笑みは薔薇のように美しいはずが、俺にはその後ろに夜叉が見える気がした。そしてモンモランシーはギーシュとびきりの笑顔でこう言った。「夜中、背後には気をつけてね・・・フフ、フフフフフ」と言って、モンモランシーはそのまま去っていった。長い沈黙が流れた。俺たちは今修羅場を見てドン引きしている。ギーシュに至っては滝のように汗を流し、固まっている。やがて、ギーシュはこちらを振り返り、首を振ってこう言った。「何が・・・いけなかったんだろう・・・?」目が死んでいた。そんなギーシュに対してルイズは、「そうね、二股を上手く乗り切るほどの器も碌に無いくせに、二股と言う行為に踏み切った無謀なアンタが悪いんじゃない?」容赦が無かったが、全く持ってその通りだった。ギーシュの友人たちもその意見に同調し、「その通りだギーシュ君。己の器量を信じすぎた君が悪いぞ。はっはっはっは」「ギーシュ君、例えルイズが小壜を拾わなくても、君の立ち回りではもっと酷い事になったかもしれない。つまりここでばれてよかったのさ、ははははは!」「ま、そっちの方が見ている分には愉快なんだけど。クスクス」「外道か君たちは!?少しは傷心の僕を慰めようと思わないのか!」ギーシュは半泣きである。それにしてもこいつ等容赦せん。「思わないわねぇ、女の身としては、女が勝手に寄ってくるからチョロいねとか抜かしている勘違い薔薇男に同情の余地なんてある訳ないじゃない?ねぇタツヤ?」ルイズよ、何故そこで俺に振るんだ。俺としても同情の余地は無いが。「何だ、平民。言っておくがな、僕は平民に慰めの言葉なんてかけてもらうほど落ちぶれてはいないぞ!そうさ!心配ないさ!僕は薔薇と同じく美しく、女性を楽しませる存在!なあに、素敵な女性はまだまだいる!無論、僕に好意を寄せる女性もまだ・・・!」確かに、お前の顔は小奇麗で女性受けもいいと思うよ。良いと思うんだけどさ・・・「顔のいい奴は得だよねぇ・・・」「何?」「顔のいい奴はそれだけで有利だよ。人間は性格とか言ってるが、最初は誰でも顔を見るんだ。イケメンはそれ自体が才能だよ・・・認めてやるよ。そりゃ才能だ。女性も興味を持つわな。ああ、その辺はもう納得してるよ。でもよ、フツーかそれ以下の野郎はよ、色んなもの参考にして格好つけてみたり、趣味の幅を広げたり、スポーツしてみたり、色んな話題を取り入れてみたり・・・気になる子がいたらそんな努力をして、一歩一歩目当ての女の子に近づいていくんだ。勿論女の子の事も最大限考慮しなければならない!気を遣って、気を遣って・・・それでも断られる奴もいっぱいいる中で、意中の女の子とデートできる可能性が生まれるんだ!やっと興味をもってもらえるんだ!精一杯自分をアピールして初めて興味を示してもらう可能性が出てくるんだ!」「タ、タツヤ・・・?」ルイズが若干引き気味なのも構わず、俺は続けた。「俺もなぁ・・・そのような思いをしてさぁ・・・やっとこさデートまで漕ぎ着けたんだよぉ・・・でもさぁ・・・デート当日に召喚されてしまったんですよ・・・。すっぽかしですよ。女の子を待たせまくりですよ!今までの苦労水の泡ですよ!俺の評価最悪だよ!また一から出直しだよ!・・・そんな奴もいるのに、何?お前。『僕は薔薇と同じく美しく、女性を楽しませる存在』?『女が勝手に寄ってくるからチョロい』?挙句の果てには?二股かけてお前に好意を抱く女を泣かせて『傷心の僕を慰めろ』だぁ?全力で歯ぁ喰いしばれ!お前のようなふざけた野郎は修正してやる!!」俺の悲しい怒りを受けて、ギーシュはそれを鼻で笑った。「・・・それは僕に対する挑戦かな?平民」「お前のような奴は許せないんだよな・・・紳士として・・・男として」「よかろう、僕も君の無礼には腹を立てていたところだ。そんな君に貴族に対する礼を教えてやるよ」「おい、ギーシュ、お前まさか・・・」ギーシュの友人の一人が彼を咎めるように聞く。「平民、僕は君に決闘を申し込む」ギーシュはどこまでも尊大な態度で宣言した。喧嘩なんて好きじゃない。殴りあいも痛いから嫌いだ。それでも・・・こいつは一発殴っておかなきゃ気がすまない。せめて、一発だけでも。そんな醜くも純粋な感情が俺の後押しをする。「受けてたってやるよ。女泣かせ」正直、死ぬほど怖いけど、ここで受けなきゃ、俺は紳士を目指す意味がない。可愛い女の子を泣かす男は死ぬべきだ。あれぇ?そうなると、俺も死ぬの?いや、三国とはそういう関係になってない。自意識過剰だな俺も。未練がましいぜ。「盛り上がっている所悪いんだけどー」この決闘ムードに水をさすようなとぼけた様子でルイズが口を挟んだ。「ギーシュ、決闘は禁止じゃなかった?」「ふっ、確かに貴族同士の決闘は禁じられているが、平民と貴族の間の決闘は禁止されていない」「貴族と平民の決闘ね・・・前例がなかったからじゃない?そんなの。だってそうでしょう?魔法を使える貴族に真正面から魔法を使えない平民が普通に挑んでも普通に嬲り殺しだわ」俺は改めて、この世界での貴族と平民の実力差を知って軽く戦慄する。勢いで決闘を受けたあのときの俺よ、死んでくれ。「・・・君は何が言いたいのかね」「私たちはね、決闘が見たいの。虐殺じゃなくてね。虐殺なんて見ても不愉快。やっぱり決闘と言うのならばある程度実力が拮抗してなければ面白くないわ。ギーシュ。貴方には魔法を操る杖と言う武器がある。だから、この子にも武器を持たせても当然でなくて?」ちょ、ルイズさん?申し出は有難いんですが、止めてくれるのではないんでしょうか?「・・・ふん、それも一理あるね。良かろう。そこの平民に武器を持つことを許そう」「勘違いしないでねギーシュ。決闘の相手同士は常に平等。私はアンタが許さなくても、勝手に武器を持たせていたわ」「・・・は!?何だそれは!?では何故僕に聞いた!?」「おーっほっほっほ!言質を取ったのよ!もし貴方が負けて、この子に武器があったから負けたとか言ったら冷めるからねぇ!」「あ、悪魔のような女だね、君は・・・」「あら、これほどの美少女を悪魔だとか失礼ね。せめて小悪魔と呼びなさい」いや、あんたは悪魔だ。断じて小悪魔ってレベルじゃない。「・・・ま、まあ、いい。決闘の場はヴェストリの広場だ。僕はそこで待っている。準備が出来たら来たまえ」では。と言って、くるりと身を翻し去ろうとするギーシュ。だが数歩進んで立ち止まり振り返る。「・・・誰も僕には付いてこないのかい?」寂しいんかい!?ギーシュの視線は彼の友人らしき二人に向いている。「悪い、ギーシュ君。俺も紳士としては、君の行為は誉められないよ、うん」「ギーシュ君、モテる男は一度痛い目に遭うといいと思わないかい?」「僕は素敵な友人を持ったなー!あはははー!!」どうやら裏切られたようである。ギーシュは乾いた笑いを残して、その場を悲しそうに去っていった。その姿を見送ったあと、ルイズが真剣な表情になった。流石に怒られるかと思ったが、「さあ、作戦会議よ!」何故かノリノリだった。ところで何故ギーシュの友人たちも会議に参加してるんだ?「「モテる奴は死ぬといいよ」」ギーシュは本当に素敵な友人(笑)を持った男である。こうしてあれよあれよのうちに、決闘が決まったのである。「ど、どうしよう・・・このままじゃあの人殺されちゃう・・・」今まで一部始終を全て見ていたシエスタはあまりの衝撃に震えていた。平民で使い魔の少年がメイジに挑む。それだけでも無謀だ。と、いうかその使い魔の主が一番決闘に対してノリノリなのは何故だろうか。「あんなに仲が良さそうだったのに・・・私はどうすればいいんだろう」ええ、はい。何もしなくても良いと思います。――――つづく【あとがきのような反省】ギーシュの友人の名前は何でしたっけ・・・?