結局、貴族という者は名誉が大事な厄介な存在らしい。トリステイン魔法学院の男子生徒のほとんどは王軍へ志願した。別に士官不足でも何でもないのだが、志願兵を募った結果がこれである。現在、魔法学院にいる男性は僅かである。男性教師すら出征したので、授業も半減し、女子生徒たちは暇である。「ギーシュは士官しないと思ったわ」モンモランシーは誰に言っているわけでもなくそう呟いた。想い人が軍に士官して不安で胸が張り裂けそうだが、自分の想い人なら・・・と無事を信じてもいた。モンモランシーだけではなく、恋人を持つ女子生徒達は、皆寂しそうにしていた。学院全体が寂しさに溢れている、とキュルケは思った。キュルケとタバサがぶらぶらと面白そうな事がないかと歩き回っていると、コルベールが、自身の研究室の前で、一生懸命に紫電改の整備を行なっていた。その表情は真剣そのもので、鬼気迫る勢いすらあった。この紫電改は達也しか運転できないが、運用にはコルベールの力が多大に含まれていた。だからこそ、達也は紫電改の整備をコルベールに一任していた。戦場において、整備員の存在は大切である。彼らがいなければ兵器や、機械は万全の状態で使えないからだ。紫電改を扱えるのは達也とコルベールだけである。達也はルイズの使い魔であり、女王直属の女官であるルイズのそばにいなければならないため、どうしてもコルベールが整備をしなければならない。実際、コルベールもこの紫電改が戦争で戦える兵器であることは熟知しており、その点では彼も戦争に参加しているといえる。何も前線に出ることだけが戦争ではないのだ。「お忙しそうですわね」「ん?ああ、ミス・ツェルプストーか」コルベールはにっこりと笑った。「ミスタ、貴方は王軍に志願しませんでしたのね」キュルケはそう言うが、達也も王軍に志願した事実など全くなかった。ただ、ルイズが陛下の女官だからというだけで戦争に巻き込まれるのだ。「私の戦場は・・・これさ」コルベールは紫電改を指して言う。キュルケからすれば、戦いから逃げる男の言い訳にしか聞こえないが、コルベールは至って真剣である。一般的な炎のメイジは『火』は敵を焼き尽くす戦いの華たる魔法と考えているが、コルベールは『火』の見せ場はそれだけではないと考えていた。コルベールは彼を『先生』と呼んで信頼してくれる達也に『火』について尋ねて見た事がある。『タツヤ君。君は火についてどう考えるね?』『火ですか?』達也は少し考えたあと、言った。『飯を食うときやパンを作るときに必要ですね』コルベールはその達也の当たり前の答えを気にいっていた。『火』は命を燃やしつくすだけではない。命を繋ぐ役割も担っているのだ。それを当然のように言うこの少年に対し、コルベールは敬意を持っていた。その彼の翼となるこの飛行機械の整備は、コルベールの研究にも助かるし、気に入っている少年の命を繋ぐ事にも繋がると思った。そして、この翼が、数々の命を失わせる愚かな戦争の早期終結に一石を投じることを信じ、コルベールは整備を行なっている。また・・・悪夢を見ている。アニエスは自分が復讐の道を進むきっかけとなったダングルテールのあの悲劇の夢を見ていた。二十年前のその日は、自分はまだ三歳だったが、あの日のことは未だ彼女を蝕んでいた。両親が、家が、村が・・・次々と炎に包まれる。悲鳴と怒号の中、幼い彼女は恐怖に気が狂いそうになっていた。どうして生き残っていたのか自分でも分からない。ただ、気づいたら、浜辺で自分は毛布に包まって寝ていたのである。ロマリアの新教徒狩りの一環で行なわれた事件。それは、アニエスが復讐に狂うには十分なほどの出来事だった。現在はロマリアの法王が替わり、新教徒狩りは行なわれていないが、彼女の復讐は終わらない。『知っているか?現実に復讐劇はハッピーエンドはありえない事を』リッシュモンの言葉は彼女を縛り付けていた。実際彼女はリッシュモン相手に殺されかけたのだ。『一部隊の隊長が・・・私怨で動いてはいかんね。軍人としては三流の行為だよ、銃士隊隊長殿。まあ、人としてなら正常だがね』更にそんな男に三流とまで言われた。『怨むなら心底怨んで逝きたまえ。それほどの行為を私はやった自覚はある。このような仕事をしているとね。そんな想いはごまんと背負うものだよ』更に男は罪を自覚し、背負ってすらいた。『悪いがそんな私怨如きで殺されるわけにはいかないのだよ』結果、自分はその男の前に無様に転がっていた。悔しさが広がる。怒りがこみ上げる。あの時ほど自分に魔法が使えたらと思ったときはなかった。こうして、あの時のことを思い出して復讐心に心が焦がされそうになるのはいつもの事である。だが、そういう時に限って、アニエスの復讐心とは全く関係ない声が聞こえてくるのだ。『すみませ~ん、火を貸してもらえますか~?』『火』を恨む自分だったが、この声は心底その『火』を所望していた。そしてその声は、自分の復讐すべき対象を打ち倒すのだ。何故だ、何故、殺さない。そいつは大罪を犯したんだ、私の仇なんだ、殺してくれ。そう叫ぶと、その声は言う。『アホか。アンタを生かすほうが先だ』その声の後、自分は火とは違った温もりに包まれるのだ。そして、何故、何故と子どものように繰り返す自分に、『彼』は言うのだ。『貴女が生きてて良かった』最近の悪夢はこのように終わる。何処かじんと来る悪夢だった。彼の表情が問いかけている気がするのだ。お前はまだ、戻れるんじゃないのか?と。彼女は彼の事をまだ良く知らないが、恐らく彼ならば、彼女の生き様を聞けば、間違いなくこう言うだろう。『そんなことよりパンを焼く事に興味はないか?』寝汗でぐっしょり濡れたベッドのシーツを握りしめ、アニエスは生まれてこの方感じた事のない感情に包まれて、二度寝を敢行するのだった。これが、最近のアニエスの状況である。いよいよ、その時が来た。今回のアルビオン上陸作戦は、ルイズや俺はあくまで後方に布陣する事になると説明を受けた。やっぱり、参戦はしないといけないのかよ。「数も質も、我が軍はアルビオンに勝っている。油断はいかんがな」ある将軍がそう言ってくれたのが救いである。ルイズとしても、前線で出来る事なんて今はないと考えていたようだ。とにかく俺たちは軍艦に、紫電改を運び込むことはしなくてはならないらしい。実際戦うのは竜騎士隊らしいが。「・・・うちの実家も参戦するらしいから、すぐ終わりそう」ルイズがげんなりした様子で言う。現在俺たちは、魔法学院に、紫電改を取りに来ている。紫電改の改造プランをコルベールから提示され、カッコ良さと機能性を追及して口出しして、紫電改は紫電改Mk2となったはずである。出陣のために、俺は戦闘服に着替えるといって、ルイズの元から離れた。紫電改の整備が終わったコルベールの前に、達也は現れた。「おお、出陣かね、タツヤ君」「はい。行ってきます」「慌しかったせいか、新機能を説明する暇がなかったね。ああ、そういえば騎士の称号を貰ったらしいじゃないか。おめでとう」「有難う御座います、先生」「新機能については説明書を入れてある。本当は武器なんぞ付けたくはなかったのだが、まあ、生存率を上げるにはあったほうがいいと言うのもまた事実だ。君の案の様に宴会芸でしかない機能もあるがね。だが、私はそちらの方が好ましく思える」「タツヤ?いる?」ルイズが研究室前に現れた。達也はルイズのほうを振り返り頷いた。「タツヤ君、ミス・ヴァリエール。戦争において勝利の絶対条件を教えよう。生き延びる事だ」コルベールの言葉に、二人は頷く。そして二人は紫電改に乗り込み、空の向こうへと消えていった。コルベールは紫電改が見えなくなっても、じっと見送っていた。トリステイン・ゲルマニア連合の総力をもって、現アルビオンを打倒するというのが今回の戦争のテーマである。とはいうものの、実際現場からすれば、学生とかはあまり使いたくはない。だが、アンリエッタは現在私怨によって動いている。貴族と言う貴族を、戦に駆り出す気だったのだ。そんな考えだったので、ほぼ女子生徒だけの魔法学院にもその手は伸びていた。コルベールは授業中に、銃士隊を名乗る一団に授業を妨害された挙句、生徒にも臆病者と罵られる事になってしまった。自分の研究室で、溜息をつくコルベール。「女子供を駆り出す戦争なぞ、愚の骨頂だ。別にいなくても勝てるだろうに・・・何か焦っているように私には見えるよ」「我々は教師としての責務をこなしているだけなんですけどねえ」面倒くさいという理由で、今回の戦争に行かなかったミスタ・ギトーはコルベール以外に学院に残る貴重な人材だった。表向きは魔法学院に危険が及んだ場合の防衛線と言い張っている。彼らは現在、非常に暇である。「それにしても、ミスタ・コルベール。少しは部屋の換気及び掃除をしては?」「研究に没頭していると、掃除をする暇がなくて・・・」「掃除の研究に没頭すれば良いのでは?」「単に面倒くさいだけです」「換気するのも面倒とか。だから禿げるんですよ」「ストレートに言うのは止めてくれません?」現在生徒達は、軍事教練中である。「戦争という感じですねェ」「全く、迷惑な話ですよ」「戦争は軍人に任せておけばいいものを・・・まだ雛鳥の生徒達まで訓練させるなど・・・」ギトーとしても、今回の王室の意向には難色を示していた。何となくだが、アンリエッタが何故このアルビオンとの戦争を急ぐのかは分かる。しかし、女王陛下が私怨で総力戦しちゃ不味いだろう。「誰か陛下の心を癒す挑戦者はいませんかね?」「この戦争に勝ったとして、誰が得をするのでしょうか?」「さあ?戦果をあげた貴族じゃありませんか?」それを自分たちが考える必要はない、とばかりに肩を竦めるギトー。「まあ、ここにいる男性は、ここにいるご婦人たちを守ろうじゃありませんか」「ははは、そうですな」教師として、男性として・・・彼らの戦場はこの魔法学院なのだ。達也の紫電改の役割は陽動である。敵を引き付けながら逃げろとは何ともシンプルだが、同時に危険でもある。そして出来れば、ダータネルスまで行ってほしいとのことである。聞かされたときはルイズは嫌な顔をしたが、達也はやってみるかと言った。紫電改のスペック上、竜騎士から逃げるのは容易である。しかし、後方で戦うのではなかったのか?普通に前線ではないか。ルイズは始祖の祈祷書を後部で読みながら、達也の様子を見ていた。デルフリンガーの指示を聞きながら、各部を点検している。「ルイズ、お前は祈祷書でも見てろよ。もしかしたら何か新しい魔法を覚えるかもよ」「余り期待してないかのような言い方ね」「不確定な要素に頼るのはどうかと思うしな」まあ、確かに最もな話である。達也の後方には竜騎士が二百以上も控えている。更にはルイズの実家の勢力も含む幻獣部隊がその四倍ほども控えているのだ。とはいえ、ルイズとしては戦場に出るからには、何か働いておきたい。そのため始祖の祈祷書を開いて見た。すると、祈祷書が光って新しい魔法が見えた。達也が言う前に既にルイズは新しい魔法を覚えようとしていた。飛翔を始める紫電改。「アルビオンが喧嘩を売った相手の恐ろしさはもっと知ってもらわないとね」「否定できないのが怖いな」やがて、敵軍の竜騎士が姿を現し、達也は喋る剣の指示で、機銃を発射した。竜の身体に銃弾が食い込み、竜は落下していく。「小僧、そろそろ後退だ」「分かった」紫電改を追う様に敵軍が追撃してくるが、速度が段違いである。雲の陰に潜む連合軍側の精強なる竜騎士、幻獣部隊が一斉にアルビオン軍に襲い掛かる。流石に天下無双のアルビオン竜騎士軍も、数が五倍近い差では、どうすることも出来ず、次々と蹂躙されていった。「そろそろ、駄目押しする時ね」ルイズがそう言うと、呪文を唱え始めた。紫電改は竜や幻獣が届かない上空へと上がっている。この作戦は自軍がダータネルスの港に到着すれば勝利である。そのため紫電改は、ダータネルスへと針路を向け飛んでいる。「囮役として、特大の囮を作ってやるわ!」ルイズが杖を振る。片手の始祖の祈祷書が光った。虚無の呪文、『幻影』。描きたい光景を強く思い描くと、何でも作り出すことが出来る。でも幻。紫電改が通過した後に、幻影が描かれる。幻影は巨大な戦列艦の群れだった。その光景は、アルビオン軍に衝撃と絶望を届けるには十分すぎた。ルイズの生み出した幻影によって、アルビオン軍は全軍ダータネルスに向かう事になり、もう一つの港、ロサイスはもぬけの殻となってしまう結果となった。(続く)