アルビオンの首都、ロンディニウムの南側に建つハヴィランド宮殿のホールでは、神聖アルビオン共和国の閣僚や将軍が集まり会議を行なっていた。上座に座るのは二年前はここにいる誰よりも身分が低かった男、クロムウェルが座っている。その背後には秘書のシェフィールド、土くれのフーケ、そして前回の戦いで、右腕のみならず、もう片方の腕までも失ったワルド子爵の姿が見える。タルブの地で惨敗を喫したアルビオンは早急な艦隊の再編の必要に迫られた。それに加えて、秘密裏に行なわれようとしていた女王誘拐も失敗に終わってしまっていた。その結果、トリステイン・ゲルマニア連合軍は『神聖アルビオン討つべし』の旗の下、百を超える戦列艦を空に浮かべている。はっきり言おう。旗色が悪すぎる。若干数はハリボテがあるかもしれないが、だからといって有利になるわけではない。何せこちらの兵の錬度は革命の折、有能な将官士官を処刑し、タルブで出撃したベテラン兵は皆敗戦で失った。連合軍は現在船の徴収を進めている。諸侯は、特にトリステインの貴族たちはこれに協力している。完全にアルビオンに攻め込んでくる気満々である。アルビオンに残る数少ない歴戦の将、ホーキンスは考えれば考えるほど、この戦争がすでに詰みの段階に入っていると思っていた。クロムウェルはどのような策をもっているというのか?連合軍にはアルビオン以外の敵がいない。ガリアは中立宣言しているのだから当然だ。そもそもハルケギニアの王制に反対した集団にガリアが協力するだろうか?しかし、クロムウェルは言った。「その、中立宣言が偽りとすれば・・・?」「・・・それは、この戦争にガリアが介入すると?」「其処までは申しておらぬ。ことは、外交機密であるからな」会議の席はざわついた。クロムウェルは外交機密だといったが、それでは如何にもガリアが介入する事が決定しているようではないか。ガリアが介入すれば、アルビオン本土への侵攻の心配はないが・・・。クロムウェルは集まった者たちに、アルビオンの勝利は絶対だと言って、会議を締めたが、ホーキンスにはどうも納得がいかない事ばかりだった。クロムウェルはシェフィールドたちを連れて、執務室にやって来た。かつて王が腰掛けた椅子に座り、部下たちを見回した。そしてついに両腕が義手となったワルドを見た。「子爵、どう読むかな?」「連合軍は間違いなく我がアルビオンに攻めて来るでしょうな。我が軍の勝ち目は薄いと思われます」「ふふ、手厳しいな。だが、間違いなく勝てる」「・・・では、ガリアが参戦するのですね?」ニヤリと笑うクロムウェル。どうやったのかは知らないが、ガリアは参戦するようだ。だが、普通に考えれば、ガリアにメリットはないはずだ。だから静観の構えを見せていたはずだが・・・ワルドが思考に耽る。自分はこの男の命令を遂行したら腕を失った。これ以上は流石に洒落にならない。「ワルド、君に任務を与える。やってくれるな?」それでも、自分には目的があるのだ。「なんなりと」「メンヌヴィル君」クロムウェルがそう呼ぶと、執務室の扉が開き、一人の男が姿を現した。鍛え抜かれた肉体と白髪が目を引くメイジだ。「名前ぐらい聞いた事はあるだろう、彼が『白炎』のメンヌヴィルだ」ワルドもその名前は聞いた事はあるが、どれも良くない噂ばかりだ。ただ、実力は確かであり、戦場を燃やし尽くす炎を操る男である。正直、ここが戦場でなくて良かった、とワルドは思った。「さて、ワルド君。彼と共にやってもらう任務だが・・・君には彼の率いる小部隊を率いて、ある場所へ運んで欲しい」「・・・ある場所?」「トリスタニアから近すぎず、防備が薄く、占領しやすい。そして政治的カードになりやすい場所・・・そう、魔法学院だ」クロムウェルが目的地を告げると、ワルドの唇は大きく歪むのだった。一方、トリステイン王国の王宮では、来るべき戦争に向けて、軍の編成を指示する将軍たちの様子をアンリエッタは視察していた。そこへ、枢機卿マザリーニが、書簡を持って、アンリエッタの側にやって来た。マザリーニの表情は微妙である。怒ってもいないし、晴れやかでもない。とはいえ面倒臭そうな表情だった。「どうなされたのですか?マザリーニ枢機卿」「今回の戦に、ラ・ヴァリエール卿の参加を依頼したのですが・・・その返答の書簡ですが・・・ご覧になりますか?」ルイズの実家である。ラ・ヴァリエール家が参戦してくれるならば、これ程心強い事はない。だが、その返答に何か問題があるのか?断られた挙句、ルイズは渡さんとか書かれてたらすごく困るのだが。アンリエッタは不安に駆られながらも書簡に目を通した。内容を簡単に説明するとこんな感じである。『参加してやってもいいけど、その代わり以下の者をシュヴァリエに任命してくれれば喜んで、ラ・ヴァリエールは編隊を組んで馳せ参じます』貴族に推薦?ラ・ヴァリエール領にそれほどまでに優秀な平民がいるというのか?それならばこちらの方にもその噂は耳に入ってると思うのだが・・・。アンリエッタは書簡を読み進める。そして、ラ・ヴァリエールが推薦するその者の名が目に入った。『タツヤ=イナバ』アンリエッタは我が目を疑った。ちょっと待て!何故あの方の名前がここで出てくるんだ!?マザリーヌ枢機卿は、微妙な顔をして、アンリエッタを見ている。確かに、此処最近、目立った功績を残している少年だ。フーケを捕縛、アルビオンでの任務の完遂、謎の飛行機械の唯一の操縦者、女王陛下の救出、護衛を見事に果たし、裏切り者の拘束と、銃士隊隊長の救出を行なった。特に後半は普通に勲章ものである。マザリーニ個人としては、この少年にシュヴァリエの称号を与えても別にいいんじゃないかとも思うのだが、問題はアンリエッタの方である。銃士隊隊長を務めるアニエスのシュヴァリエの授与の際も揉めに揉めたのだ。まあ、あの時は彼女が新教徒であったのが色々揉めた原因だったのだが。・・・あれ?そう考えたら余り問題ないのでは?功績はまあ、誰もが認めるほどに残しているし、平民と言うのも優秀であれば貴族にするというのが今の陛下のご意向だし・・・皆それについては陛下に一任してるし・・・。まあ、とはいえまだあの少年は若い。陛下も流石にあの少年を貴族にするなどとは・・・。いや、しかし彼を貴族にしないとラ・ヴァリエールは戦争に協力しないというし・・・。マザリーニは判断に困り、アンリエッタに判断を仰ぎに来たのだ。だが、当のアンリエッタは凄い嬉しそうな表情をしていた。おーい、ちょっと待ってください陛下ー。アンリエッタは自分の口に浮かぶ笑みを隠せないでいた。そうだ、そうなのだ。考えてみれば彼のやった事は勲章モノなのだ。その礼を今まで彼は断っていたわけで。その礼をまとめて返すべきときなのだ。どうしてルイズの実家が彼をシュヴァリエに推薦するのかは知らないが、これはアンリエッタには願ったり叶ったりの条件である。役職を与えれば彼がこの世界にとどまる理由も生まれるわけで。「マザリーニ枢機卿」「はい」「この条件、飲みましょう」「・・・しかし、恐らく反発が大きいと思われますが」「短期間でこれ程までの功績をあげた者をただの平民扱いしては、笑われるのはわたくし達ですわ」ラ・ヴァリエールの後押しがあれば何とかなる。アンリエッタは笑いを堪えるような表情になった。尚、この書簡はカリーヌが独断で送ったものであった。おそらくルイズの母親から放たれた追っ手の使用人たちをまさか剣で斬り倒すわけにはいかず、俺は迫る追っ手の目を掻い潜りながら、俺が辿り着いたのは、花が咲き乱れて、石のアーチとベンチがあり、おおきな池の中央には小さな島があり、そこには白い石で作られた東屋が建っている場所だった。其処だけ外界に取り残されたような幻想的な風景だった。池のほとりには小舟がゆらゆらと浮いている。小舟の中には毛布があったので、俺は小舟に潜り込んで身を隠した。俺の目には大きな二つの月が見える。水の音と、虫の鳴き声が響く。こうやって月をぼんやりと見る機会はあんまりなかったな。「月なんて見て楽しいかい小僧」「無機物のお前には風情という概念は理解できまい」「ああ、出来んね。月で俺の能力が上がるならまだしも」俺と喋る剣がそんな話をしていたら、ザッザッ・・・と、草を踏むような音がした。追っ手か?「なーにやってんのよ。人のお気に入りの場所で」ルイズでした。この場所はルイズが幼い時、よく訪れていた場所だったらしい。魔法が使えないと嘆く日々だった自分がその悲しさから逃げる為に何時も来ていた秘密の場所。ルイズにとっては更にワルドとの思い出の場所だったこともあって、ここは懐かしくも辛いものがある場所らしい。「ねえ」「何だよ」「アンタの発言によくパン屋って出てくるけど、アレ何か理由でもあるの?」「それか・・・母の実家がパン屋を経営しててな。凄い平和に仲良くやってるんだよ。婆さんが創作パン作って爺さんや母や俺に食わせたり・・・まあ不味いんだけどね。それでも俺は母の実家の空気が好きでな。俺にとっての平和の象徴みたいなモンなんだよパン屋って。爺さんにパン作りを教わったのもあるし・・・婆さんは泣いたが」「・・・どんなパン作ってたのよそのお婆さん・・・」「そうだな、ヒトデだろう?イソギンチャクだろ?巨大ムカデに蝦蟇蛙、バッタの形をしたパンを好んで作っていたな」「どんな趣味よ!?誰も買わないわよそんなパン!?」「後は漢方薬を練りこんだパンや、イナゴの佃煮を砕いて練りこんだパンを・・・」「よく潰れないわね」「ああ、爺さんのパンは普通に美味いしまともだから」「・・・お婆さんに習わなくて正解ね」「昔は看板娘って感じで滅茶苦茶美人でね。まあ、今も歳にしてはかわいい婆ちゃんだが。爺ちゃんもパン屋には看板娘が必要だって言ってた。今は母の妹夫婦がパン屋を一緒に切り盛りしているけど・・・四代目の看板娘が俺の従妹です。店はそれなりに繁盛してます」「ああ、だから看板娘が欲しいと。客を呼び込む為・・・」「その通りだ」母の実家はパン屋であり、父との馴れ初めは、そのパン屋で出会ったことがきっかけである。当時二代目看板娘の母は父と同じ高校に通う学生だったが、父のほうが一つ上の学年だった。母にほれ込んだ父は足繁く通い、ストーカー扱いされながらも、見事母を射止めることが出来た。896回の予行演習は、父が母の実家のパン屋に通った回数である。父は母を実家に紹介した際、例の父の妹が露骨な妨害工作を行なった。それに切れた父が、しばらくの間、母の実家のパン屋で住み込みで働いていた時期があった。パンの作り方を仕込まれていた時期に、父は母に種を仕込んでいたと言うわけである。結果俺が生まれた。初孫なので可愛がってもらった。3歳の頃に現在の家に引越し、そのお隣さんだった三国家との付き合いがはじまるのだが、それはカットする。俺にとってパン屋はかなり身近な存在であり過ぎるのだ。帰ることができなかったらこの異世界でも爺さんのパンを広げてみたい。だからパン屋に拘っているのだ。「へえ・・・意外に確りした理由があるのね。冗談かと思ってたわ」「冗談なら世界征服とか言ってるし」「途端に現実感がなくなったわね」「全小悪党の夢に何を言いやがる」「・・・で、その看板娘候補は見つかったの?」「そもそも、お前が俺を召喚するまではデートの相手を看板娘にしようと画策していた訳で」「こっちに見つかったのって話よ」「何人かいるよ。候補」「おお!?てっきりいないと言うのかと思ったわ。誰、誰?」ルイズは興味津々で聞いてきた。言っておくが現地妻とかじゃないからな。「ジェシカとフーケとシエスタ。理由はまともに料理が作れそうな人々だからだ」「ほぼ貴族全滅じゃない」「お前ら食べる専門だろう」「否定はしないけど・・・じゃ、じゃあ、現地妻候補とかいないの~?せっかく貴族になる話も出たんだしぃ~?アンタはまだ選べる立場じゃないけど、この娘いいな~とか思ったことないの?」「すでに想っている人がいる男とわざわざ結婚したいって物好きいるのかよ?」「万が一帰れなかったらここでパン屋開業するって言ったのアンタじゃない」「ああ、その場合か。現地妻ねぇ・・・それってそれになる女の子が納得しないんじゃないか?」「まあ、納得はしないわね、普通。それでもいい、二番目でも構わないとか言う女の子とかどれだけの希少価値よって感じね」「だろう?幸せになんかなれねえよ。それじゃあさ」というか一番一緒にいるルイズとの関係がお互い親愛なる者同士の時点で絶望的だろう。俺としてはギーシュとかの人の恋路にちょっかい出して笑うぐらいしかできない。シエスタがかつて俺にプロポーズ紛いの発言をしたような気がするが俺ははっきり断ったし、アンリエッタとの一夜の時も、決して彼女を抱きはしなかった。俺は一人の女のためだけに女性たちのお誘いを断り続けているのだ。その辺を分かっている一人がルイズである。愛する女を泣かせた俺に、別の女を愛する資格などあるのだろうか?「・・・母様は何が何でもアンタを貴族にする気よ。あの人息子が欲しいとかぼやいてたし。まあ、世継ぎの問題を気にしているせいもあるけど」「そんなんで勝手に婚約者候補にされて嫌だろお前ら」「そりゃあね。私が本気を出せばアンタなんぞ足元に及ばないほどいい男は腐るほど寄って来るし」ルイズは得意げである。そんな根拠のない自信に胸を張られても対応に困るのだが。しかしまあ、ワルドの件があったのにタフな義妹である。こいつのアホみたいに前向きな所は評価に値する。「でもさ、思うんだけどさ・・・やっぱり支えが必要だと思うよ私は。友達とか主とかそういうのじゃない人との絆・・・恋を1回だけしないのも何だと思うよ私は。多すぎなのも問題だけど」「それは自分に言い聞かせてないか?」「・・・そう簡単に恋が見つかれば苦労はしないわよ・・・私も・・・姫様も・・・」「新しい恋を見つけるのって難しいな」「そーね」舟の上で一緒に月を見上げる俺とルイズ。愛する者と会えない男と、愛する者を失った少女は恋の難しさに溜息をつくのであった。「ふむ・・・ルイズとはどうやら恋愛関係に発展しそうにないですね・・・」木陰から二人の様子を覗いていたカリーヌ。置かれている環境は最高なのに、一向に甘い雰囲気にならない。まあ、馬車の時点でこの二人からはそういった雰囲気を全く感じず、むしろ兄妹の雰囲気だったのだが。あの二人の関係はそれでいいか。ルイズもまだ若いし、彼女の言うとおりこれから素敵な出会いもあるだろう。やはりあの二人か。恋愛が裸足で逃げるほどの男運の長女と次女。さて、どうするか。カリーヌは次の一手を打つ為にその場を去った。夫には、ルイズは心配ないと言わなければな、と思いながら。(続く)