「ふふ、こんにちは。招かれざるお客様」
そしてスキマから紫は姿を現し、目の前の青年に視線を向けると、
「生まれる前から愛していました~~~!!!」
ついさっきまで後ずさって離れていた青年が、いつの間にかルパンダイブで目の前にまで迫って来ていた。
……いや、その反応は予想していなかっただけに、流石の紫も唖然としたが。
「それ」
「ぐはッ!」
とりあえず弾幕で迎撃、撃墜しておいた。頭から地面に落ちる横島。
「いきなり何するんすかー!?」
だが瞬時に起き上がり、頭から血を流しながら抗議する。
「それはこっちのセリフです。というより、あなた人間?」
答えつつ、紫はスキマから飛び降りて地面に立った。
さっきの素早い動きもそうだが、復活の早さもかなり人間離れしているのだが。
もう血も止まっているし。
「さて――」
紫は目を細めて、扇子を横島へと向けた。
「あなた、何者?」
その視線に若干の警戒の色を含めながら、紫は続ける。
「あなたは突然、博麗大結界に触れる事なく“ここ”へ現れた。あなたがただの外来人であるなら、そんな事は決してあり得ない」
博麗大結界は幻想郷と外の世界を隔てる境界線、外の世界と幻想郷を行き来するならば絶対に通らねばならぬ結界だ。
それにこの人間、ただの外来人にしては持っている霊力が異常なまでに高い。それこそ、そこらの妖怪じゃ太刀打ちできないぐらいに。
紫から放たれる威圧感は、普通の人間なら恐怖に慄き背筋を凍らせて足を震わせるだろう。
だが甘い。数多の修羅場を経験し死線を潜り抜けてきた横島は、彼らとは一味も二味も違うのだから。
(な、何故だか知らんが怒っていらっしゃる!! こ、ここは先手必勝――!!)
そして、横島は覚悟を決め――。
「ですが、先ほどのあなたの言動を聞く限り――」
「よくわかりませんけどすいませんっしたーー!!」
とりあえず全力の土下座で謝った。
言葉を遮られていきなり土下座され、紫の目が点になる。彼女を知る者からすれば珍しい光景だろう。
もっとも、横島はそんなことなど露知らず。
「悪いのはぜーんぶカオスと厄珍の二人なんすよ!! 俺はむしろ被害者なんです!!」
「いや――」
「俺はただ女子高に行けると淡い希望を見ていただけで、あの二人に夢と希望を裏切られた哀れな犠牲者なんやー!!」
「とりあえず話を――」
「チクショー! カオスと厄珍のヤロー!! 男の夢を裏切りやがってぇぇ! 女子高とは聖地! 女子高生はロマンの塊なんだぞぉぉおおお!!」
「だから――」
「儚い夢すら見ちゃダメだっていうのかー!?
いや、待てよ? 確かに女子高生はいなかったが俺の目の前には美人のねーちゃんがいるやないか!!
しかも周囲には誰もいない、故に何かあったとしてもそれは不慮の事故!!
ありがとうカオス! ということですので俺に夢と希望をぉぉおおお!!」
「幻巣『飛光虫ネスト』」
瞬間、飛びかかって来た横島に無数の弾幕が降り注いだ。
「ですが先ほどのあなたの言動を聞く限り、あなたはここがどこか知らず、自らの意思で来たわけでもない、言わば迷い人。という事でいいですね?」
「その通りでごぜーます」
紫の言葉に、黒こげで正座しながら頷く横島。
「あのー、ここはどこなんでございましょうか?」
微妙な丁寧語で尋ねる横島。
「ここは幻想郷。外の世界で幻に追いやられたもの達が集う世界」
「はぁ……」
よくわかっていない様子で横島は相槌を打つ。
「わかりやすく言えば、ここは妖怪たちが住む秘境ということです」
「へー、そんなもんがあったんすか」
あっけらかんと答える横島。
信じていないという素振りもなく普通に受け入れていることに、外の世界を知っている紫は少々驚いた。
「あら、驚かないの? 妖怪が実在しているということに」
「へ? 驚くってなんでですか? そんなの常識じゃないっすか」
さも当然のように答える横島。
「常識? おかしなこと言うわね。外の世界でその常識から追いやられたから――」
そこまで言って、ハッと紫は思い出す。
彼のいかにも外来人らしい格好や、突拍子のない言動や奇行を目の当たりにしてつい忘れてしまっていたが、
彼は博麗大結界に一切触れずに、突然発生した空間の歪みから幻想郷に現れたのだ。
だからこそ、彼が現れた瞬間に咄嗟に草原の境界を弄って空間を閉じ込めたのだ。
「どうしたんすか?」
「いえ。それで、あなたは何者かしら?」
「あ、俺は横島忠夫っす。GS、ゴーストスイーパーの助手でいちおう高校生……って、あれ、何か本業と副業が逆転してないか、俺?」
なぜか自問自答し始めた横島を余所に、紫は首を傾げる。
「ゴーストスイーパー?」
「そうっす。美神さんのところでアルバイトしてるんすけど……知らないですか?」
「知らないわね」
少なくともゴーストスイーパーなどという職業を紫は知らない。
名前からして退魔師の類だろうか。だが今時、外の世界で退魔師が職業として成り立つはずが――。
「ヒャクメとジークの奴、話が違うじゃねぇか。神界でも魔界でも美神さんの悪名を知らない奴はいないって言ってたくせに……」
「……ちょっと待った」
いま、さらっととんでもない単語をいくつも含んだ発言をぼやかなかったか?
「確認したいんだけど、あなたが住んでいる場所は?」
「東京ですけど。ちなみに、ここって日本っすか?」
それはいかにも外来人らしい普通の答えだ。
「ええ、ここは日本の中にあるわ。それで、そのゴーストスイーパーというのはどんな職業なの?」
「悪霊とかをしばき倒して大金をせしめるアコギな仕事っすね」
外来人らしからぬ答えを平然と答える。まるで自称楽園の素敵な巫女を連想させるような発言だ。
そう、彼は外来人であるにも関わらず、悪霊や妖怪の存在に何の違和感を抱いていない。
それは異常だ。外の世界ではもはや妖怪も幽霊も迷信となって久しいというのに。
「横島、だったかしら。あなたの知っている世界、特にゴーストスイーパーについて教えてくれないかしら」
「いいっすけど……あの~、俺、帰れますか? あんまり遅いと美神さんにどつかれるんで」
「それは、あなた次第ね」
扇子を口元に当てて、紫は横島の話に耳を傾けた。
博麗大結界に触れなかった事、空間の歪みから突然現れた事、双方の認識の誤差。
(もしかしたら、彼は……)
境界を操れる紫だからこそ思い至った可能性。
横島の話を聞けば、その疑問は解決する。
本当なら横島の記憶の境界を弄った方が手っ取り早いのだが、少なくともこちらに害意があるわけじゃなさそうなので止めておいてあげよう。
「えっと、ゴーストスイーパーってのは――」
そして、話を聞き終えた紫は――予想以上にぶっ飛んだ話の内容に頭を抱えそうになっていた。
「……つまり、妖怪や幽霊、神族や魔族が普通にいるのね」
そう簡単に締め括ったが、実際に聞いた話はそんなヤワなもんじゃない。
妖怪も幽霊も神も悪魔も普通に認識され存在している世界だとか。
悪霊や妖怪を倒す専門としてゴーストスイーパーという職業があり、しかも国家資格だとか。
横島の務めている事務所の主は最高のGSと呼ばれていて、金さえ貰えれば神や悪魔すらしばき倒す女性であるとか。おまけに時間移動能力者らしい。
同僚のネクロマンサーの少女は300年間幽霊をしていたがある事件がきっかけで蘇生、また他にも人狼と妖狐の少女の同僚がいるとか。
挙句にその事務所には人工の魂が宿っていて普通に喋るとか。
街中ではヴァンパイア・ハーフや付喪神が普通に学生として学校に通っていて、近所では浮遊霊たちがよく寄り合いを開いているとか。
横島の住んでいるボロアパートの隣には後輩と貧乏神が一緒に暮らしているとか。
妙神山という霊峰に行けば、神族と魔族がテレビゲームで対戦しているとか。
そしてここに来るきっかけを作ったのは、オカルトグッズを扱う店の主人と、1000年生きている天才ボケ錬金術師だとか。
幻想郷にも吸血鬼とか幽霊とか鬼とか天狗とか月の民とか神とか色々いるけど、はっきり言って幻想郷より凄まじい気がするのだが。
「そうっすけど、そんなにおかしい事っすか?」
しかも横島に嘘を言っている様子もなく、その状況に何の疑問も抱いていないらしい。
「とりあえず、はっきりした事があるわ」
紫は扇子でビシっと横島を指して、
「あなた、この世界の人間じゃないわ」
と断定した。ぶっちゃけ、外の世界がそんな世界だったら幻想郷なんかわざわざ作らなかっただろう。
「はい?」
「あなたは並行世界からの来客。だから博麗大結界に触れなかったのね」
納得した様子で頷く紫。外の世界から来たのではなくて並行世界から流れ着いたのなら、確かに博麗大結界は通らない。
「あの~、意味がよくわからないんですけどー?」
「つまり――」
~紫、説明中~
「あ、あ、あ……」
横島は拳を震わせて、
「あんのボケジジイーー!! 隣町どころか世界越えてるじゃねぇぇかぁぁーーーー!!」
青空の彼方に映ったカオスの幻に向かって絶叫した。
「確かに天才ね、その錬金術師は」
並行世界の移動なんて易々とできるわけがない。
それを隣町の女子高に行くのと間違えてやってしまうあたり、確かに天才であって同時にボケている。
「何とか帰れないっすかー!? 帰る術ありませんかー!?」
「普通なら無理ね」
即答する紫。少なくとも間違ったことは言っていない、普通では無理なのだから。
「そ、そんな……それじゃあ……」
がっくりと項垂れる横島。確かにここに来るに至った経緯を考えれば、かわいそうな気もしないでもないが……。
「あのナイスバディのしりちちふとももがもう見れんというのかーーー!?」
「何に悲しんでいるのよ!」
血の涙を流しながら天に訴える横島。
前言撤回、かわいそうでも何でもない。こいつの頭の中は煩悩しかない。
「……そうね、何なら私が探してあげてもいいわよ。あなたの元の世界を」
「へ?」
瞬間、血の涙がピタッと止まる。
「ふふ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私は八雲紫。『境界を操る程度の能力』をもった妖怪。あなたをここへ送った錬金術師と同等、もしくはそれ以上に長生きしているわ」
「な、なんだってぇーー!!」
大袈裟に驚く横島。その様子を見て薄ら笑みを溢す紫。
彼女はこの幻想郷でも最古参の一人。そしてあらゆる境界を操れるという神に等しい能力を持っている。
たとえ彼のいた世界と比べても非常に強力な妖怪であるという自負は――。
「ということは! その美しさも! その胸も! 千年以上も維持し続けているというのかー!!」
「どこ見てるのよ!?」
だが残念。横島の驚きは紫の思っていた方向の斜め下を爆走していた。
(うーん、やっぱり私が妖怪だと知っても全然怖がらないのね)
妖怪としては面白くないが、紫個人としては口元が緩まる。
「益々興味が湧いたわ。あなたにも、あなたのいた世界にも――」
横島の言うような、幽霊も妖怪も神も悪魔も普通に共生している外の世界。まるで世界そのものが幻想郷ではないか。
しかも、文明が発達しつつもちゃんと人間と妖怪の関係が維持されているというのだから面白い。
そんな世界があるならば見てみたいという好奇心が、紫の中ですっかり忘れていた気持ちが蘇る。
「お、俺に興味が! そ、それはつまり……俺への愛の告白と受け取っても宜しいんですねー!!」
「そんなわけないでしょ!」
「ぶべらッ!!」
懲りずに飛びかかって来た横島に弾幕でカウンターを食らわせる。
いったい、どこをどう捉えたらそういう結論になるのだろうか。
「何となく、あなたがどんな人間なのかわかってきたわ……」
血まみれで地面に倒れている横島を見ながら、紫は疲れた溜め息を吐いた。
「とにかく、私は世界の境界を操る事もできる。もしあなたの世界を見つけたら教えてあげる」
「ほ、本当っすか!?」
がばっと起き上がる横島。
「え、ええ」
流血の後もまるで見当たらない。本当に人間かどうか怪しく思えてきたのだが。
(ただし、私が見つけるまでにあなたが生きていれば、の話だけど。まあ、運が良ければ生きて帰れるでしょう)
人間の寿命など妖怪とは比べ物にならないほど短い。
紫は暇潰しも兼ねて気長に探すつもりだ。それまでに横島が生きているかどうかは定かではない。
「では、それまでの間、あなたを招待してあげましょう――」
そう言うと、紫は横島の足元にスキマを開く。
「へ――?」
突然足元の感触が無くなった事に気付いた横島が足元を見てみると……無数の目が逆に横島のことを見ていました。
「え゛」
「ようこそ、幻想郷へ。ここは異世界の来客を歓迎しましょう」
紫の言葉の直後、
「いぃぃやぁぁあああぁぁぁぁ――……」
ドップラー効果を残しながら横島はスキマに落ちていった。
「かくして幻想郷に新たな風が流れ込む。ふふ、暫くは暇を弄ばずに済みそうね」
扇子を口元に当てて笑うと、紫もまたスキマの中に消えていく。
紫が消えた後、残ったのは彼らがいた草原と、その周りを囲む森だけであった。