先刻まで叩き付けるように降り注いでいた真っ白な雪は、今はしんしんと辺りに降り積もっている。
異形の者達がひしめく広大な平野には、まるで星の屑篭をひっくり返したかのような光芒が満ちていた。
喧騒の最中、どこかで冷たい金属の音がキン、と鳴り響く。
銀閃が空を切り、そして絡み合い、はじけ飛ぶ。
互いに惹かれ合うように走り、けれど決して交わることのないその光景を、悠二はまるで自分達の有りように似ていると感じた。
異形の者達がおりなす戦場、世界の行く末を決める戦いの中にあって尚、その想像は悠二に苦笑にも似た笑みを浮かべさせた。
「どうしたの? 悠二」
自分の前で、紅蓮の双翼をひらめかせた少女――シャナ、は怪訝そうに、しかしその手を休めることなく悠二に問いかけた。
悠二もまた剣と竜尾による応酬を止めずに、シャナに答える。
「皮肉だな、と思ってね。結局、どれだけ君のことを想って、そして君に想われても、僕達はこうして刃の下で語り合うことしかできない」
「……そうね、でも――」
強撃一閃、胴を払いにきた一撃を『吸血鬼』の刀身で受け止める。刹那、刀紋が存在の力を受けて怪しくゆらめき、シャナはその身を素早くひるがえらせた。
互いに無傷、間合いは一間。
悠二は『吸血鬼』を握りしめ、シャナは『贄殿遮那』をスッ、と構え直した。
「悠二。私は御崎市にいたとき、悠二の心がどこを向いているのかも、何を考えているのかもよく解らなかった。ううん、自分の心さえもよく解っていなかったんだと思う」
シャナは淡い微笑みを浮かべながら、その表情とは間逆の激しさで大太刀の切っ先を弾頭に再び突っ込んでくる。
悠二はそれを危なげなく受け流したが、しかし存在の力をを流し込む間もなく、少女の痩身は背後へと飛び抜けた。
「くっ!」
背後から虚をつくように放たれた一撃を背中の竜尾で受け止め、はじき飛ばす。続いて放たれた連撃を今度は『吸血鬼』で受け止めた。
やはり、純粋な剣技では叶うべくもない。空中という不安定な足場であることもあって、動きを予測できても、その速さと鋭さについていくのが難しいのだ。
たて続けての切り結び。足りない技量を腕力と竜尾で補いながら、悠二は続くシャナの言葉に耳をかたむける。
「けど、今は違う。こうして戦う中で、私は悠二にどれだけ想われているのか、そして私がどれだけ想われているのかがよくわかった。……だから、私は悠二と戦うことを厭ったりはしない」
「……まったく、君って子は」
初めて交わす睦言が白刃の上で、とは。
再び悠二の口元に苦笑いがひらめく。ただし、それは先程のものよりも温かみに満ちたものだった。
二度目の強撃、今度はそれをこちらから放つ。
ふわりとそれを受け流し、後方へと飛ぶシャナ。悠二はそれを追撃することなく体勢を整え、そしてシャナも無理な突撃をかけることなく、そっと息をついた。
瑞々しい唇から呼気が白くたなびく。そのさまに場違いにも『詣道』での口づけを思い出し、知らず悠二は頬をゆるめた。
「悠二」
「なんだい?」
互いに構える白刃の向こうで、少女もまた柔らかな笑みを浮かべている。
「私が勝ったら、悠二。あなたには[仮装舞踏会]と手を切って、私と一緒に来てもらう」
「……先刻も、言っただろう? 今になってそんなことはできない。そう――」
言いつつ、流れてきた火球を『吸血鬼』で打ち払う。
二人を取り囲む、広さ100mほどの空隙。フレイムヘイズと徒が入り乱れる最中、飛び交う炎は互いを打ち消しあって花と散り、鳴り響く剣戟の中にあって尚、そこには奇跡のように空白が生まれていた。
徒は自らの長を守らんと、そしてフレイムヘイズはその長に挑まんとする『炎髪灼眼』を助けようとした結果、乱戦の最中にあって尚、このような空隙が生まれたのである。
「――絶対に、無理なんだ」
冷厳なまでの決意と、真摯さを込めた悠二の言葉、しかしそれを聞いて尚、少女の表情は変わらなかった。
「できるとか、できないとかじゃない。私はそれをする、ただそのためだけにここにいる。だから――私は、あなたを倒してみせる」
言葉とともに、シャナの瞳は強く悠二を射抜く。
揺るがぬ意思を秘めた決意。再びそれを目の当たりにして、知れず悠二の心の奥底からも感嘆と、歓喜の念が湧き上がった。
歓喜のままに腕を振り払う。昂ぶる感情を表すかのように、腕に合わせて黒い火の粉が舞い上がった。
「ならば余も君を倒し、そして余の大命の元で、共に歩んでもらうとしよう。君が宿命から解放される、その時まで」
悠二は深く息を吸うと、鈍くなってきていた両腕に力を込めた。
すでに全身には大小いくつかの傷を負い、疲労感が身体の動きを鈍らせている。
そしてそれはシャナも同様で、白く華奢な身体には血が滲み、纏うドレスにも焦げ目と裂け目が目立つ。
だが、その表情と気迫にはいささかの衰えもなく、今も眼光鋭く悠二を見つめながら『贄殿遮那』を振るい続けている。
それを悠二は力と宝具の特性で凌ぎ、時に炎を打ち合っては互いの『殺し』を突くべく戦い続けていた。
悠二の本領はその、単純な力の強さだ。
まともに受ければ腕はしびれて使い物にならなくなるであろう一撃を軽々と繰り出し、そして圧倒的なまでの力を持った炎を放つ。
それに対してシャナは、持ち前の技と素早さで対抗していた。
悠二の一撃を鮮やかにさばき、時には反撃に転じ、そして炎を避け、相殺していく様は神業と呼んでもさしつかえない。
だが、それにも限界がある。
長引けば長引くほど『存在の力』の総量、"紅世"に関わる者としての地力の差が如実に表れてくるのだ。
現状はまだ五分だが、それはつまりこれ以上長引いても、悠二の有利になることはあれど、シャナの有利になることはないということにほかならない。
そしてそのことを知悉し、敢えて攻め切らずに時間を稼ぐことに徹していた悠二だからこそ、真っ先にあることに気が付いた。
シャナの炎が弱まってきている。
先ほどまでならば自分と互角の力で打ち合っていた炎が、今は多少の拮抗の後に押し切られるようになってきている。
気迫こそ衰えてはいないが、恐らくは全身を強い倦怠感に襲われていることだろう。
勝機だ。
悠二はそれまでの一歩を引いた守りの戦いから、攻めの戦いへと転じる。怒涛と剣戟を繰り出し、押し切らんとした。
その切り替えに、シャナは応手が追いつかない。意識が追いついたとしても、疲労に包まれた身体では対応し切れないのだ。
一撃、二撃とさばき、そうして三度目の攻撃を受けたところで、その体勢は大きく崩れた。
気合とともに、その無防備な身体をなぎ払う、が。
「っな?!」
避ける余力もないはずの状態、それをシャナはひらりと背後に宙返りをして避けた。
そしてそのまま、身体のバネを生かして大上段から剣を振り下ろす。
先ほどとは逆に今度は自らが体勢を崩している。それでも、咄嗟の判断で『吸血鬼』の刀身を頭上にかかげた。
その力、触れた者に傷を負わせるという特性の前に、攻撃を止めるものと理性で悠二は判断する。しかし、シャナの行動は悠二の思惑を凌駕した。
そう、シャナはそのまま刀身を振り下ろし、あろうことか鍔迫り合いに持ち込んだのである。
(ッ、馬鹿な?!)
一瞬の驚き、それが生んだ隙は小さなものだったが、しかし、その状態においては致命的な一瞬だった。
紅蓮の双翼が力強くはばたく。
その煌きは今までのどれよりも大きく、それが生む力は、鍔迫り合いを続ける悠二もろともシャナの身体を地面へと飛翔させた。
耳元で唸りをあげる風の音を聞きながら、ようやく悠二は『吸血鬼』にありったけの力を込める。
不可視の刃がシャナの身体を刻み、瞬時に全身から血を噴き出させたが、それを意に介した様子もなく、シャナは地上へと疾走を続ける。
「シャ、ナァァァァァっ!!」
「悠二ッ!」
――炎の彗星は、地面へと叩きつけられた。
全身を襲う衝撃。
いかに人間を凌駕した存在であるとはいえ、それをまともに受けて無傷ではいられない。
それでもどうにか目を開けると……そこには、自分に『贄殿遮那』を突きつけたシャナが屹然と立っていた。
気付けば、周囲の戦いは小康状態になっていたらしい。
先ほどまでの喧騒は嘘のように静まり、今では散発的に炎が飛び交うばかりになっていた。
押し倒された姿勢のまま、悠二はそっと溜息をついた。
負けた、のか。
「悠二」
「ああ、わかっている。……余の、余らの負けだ」
大命を果たせなかったことへの後悔、敗北そのものへの悔しさ、双方が心を満たす。
だが、心のどこかでは少女と共に歩めることに安堵を感じていることも確かだった。
目を閉じ、心の中で敗北への折り合いをつける。
そして再び目を開いたとき、悠二は少女の後方、雪原の上に一つの巨大な異形を見出していた。
背中に巨大な翼を生やした悪魔のごとき姿。
全身のいたるところから濁った紫色の炎を上げながらも、その異形は手にした巨大な槍を振りかぶり――
「ッ、シャナ!」
――その豪槍を突き出した。
宝具『神鉄如意』。形状を自在に変える豪槍の穂先は濁った紫の炎に包まれ、シャナを討たんと迫る。
シャナはそれに気付いていない、いや、仮に気が付いたとしても、満身創痍の身体では対応できなかったことだろう。
悠二は突きつけられた刀で傷つくことも厭わずに満身の力で飛び起きる、驚きの表情を浮かべたシャナを、そのまま左腕で雪上に突き飛ばした。
そして、悠二に取ることができた行動はそこまでだった。
ぞぐっ、と鈍い音を立てて、豪槍が悠二の胸を貫く。
槍の向こうと悠二の傍で、驚きの声が上がった、気がした。
傷口から黒い炎が吹き出し、それと同時に全身から力が抜けていく。
彼方で異形が稲光に打ち据えられた光景を最後に、悠二の身体は地に倒れ伏した。
暗転する視界。そして地に伏して尚、炎は留まることなく零れ落ち続ける。
胸を穿った『神鉄如意』の傷、そしてそれに比べれば小さなものとはいえ、十分に深手といえる首元の刀傷。二つの傷が致命傷なのは明らかで、それは悠二自身にもよく分かっていた。
だが、そのことに悔やみはない。もしも自分が何もしなければシャナは討たれ、再び大命の成就を志すこともできただろう。だが、それを優先することなく自然と身体を投げ出すことができたのだから。
不意に、ふわりと身体がぬくもりに包まれた。
怪訝に思い、鉛のような瞼をどうにか開けると、そこには膝をついて自分を抱き寄せるシャナの姿があった。
「悠、二……悠二!」
ほほを伝う、温かい雫。
その表情に先ほどまでの面影はなく、そこにあるのはただ悲嘆に暮れる少女のそれだった。
そういえば、彼女を泣かせてしまったのはこれが二度目だったろうか。
何か言葉をかけるべきだとは思ったのだが、こういう時にどういう言葉をかければいいのかが分からない。
結局、悩んだ末に悠二はシャナの頭に、ぽんと手をおいた。
きょとんと自分を見つめる少女に、悠二はいとおしげに笑みかける。
「シャナ、これでも僕はこの結果に、それなりに満足しているんだ。予定とは全然違っていても、それでも。……だから、もう泣かないでくれ」
シャナの表情が、くしゃっと崩れた。
「う、うるさいうるさい! そんな、勝手に……!」
「はは、その言葉――」
――久しぶりに聞いたな。
言おうとして、声が出ないことに気が付く。
どうやら、もう本当に限界のようだ。どれほど力を入れても瞼が閉じてゆき、ぬくもりさえも遠くなっていくように感じる。
暗闇の向こうで少女が泣き叫んでいるような気がしたが、もうそれを確かめることも出来そうになかった。
……実の所、後悔がまったくなかったといえば嘘になる。
できることならばもっと長く、この命が擦り切れるまで生を共にしたかった。
もしも、次があるなら。
薄れる意識の中でそう、未練がましくも思う。
どこかで、歯車が軋む音がした。