第六十話・むーびんぐ、ざ、わーるど② SideBその心は、救われたのか。掬われたのか。巣食われたのか。任務は、アルビオンの客人をガリアへ送迎すること。決して粗相のないように、丁重に、敬意を持って“誘拐”すること。任務は、たったそれだけの単純なものだった。……単純なものの、はずだった。「……フェイカ・ライア。あなたを、迎えに来た」護衛の…いや、そう表すにもあまりにお粗末な一般兵を気絶させた私は、ドアをノックして中の人物に“迎え”の来訪を告げた。明らかな偽名の、謎の人物。アルビオンの重要人物であるらしいのに、女性だろうという事以外は全くの不明。どう重要な人物かなのかさえ、知らされていない。扉の向こうに感じる気配は1人。他に兵が潜んでいる様子もない。一応は慎重に進んできたが、ここに至るまでトラップの類も全くなかった。屋敷自体、城の敷地内ギリギリにある離れのようなもので、国の重要人物が住まう邸宅とは程遠い。任務に就く際の事前情報でこの事を知らされ、罠かもしれないと思っていたのだが…。かちり、とロックの外れる音。疑問を心の奥へしまい、思考を切り替える。いつでも、何が起こっても“対処”できるように杖を握り、警戒を、※※※※※※※※ゲルマニアの国境近く、ラ・ヴァリエールの城。夜の帳は降り切って、普段なら静かな眠りに包まれているはずのそこは今、たまに開かれるパーティーよりも煌びやか?な光と、賑やか?な喧騒に溢れていた。「ああもう!!何でこうなるのよ!?」「こっちの台詞だよ!?てか文句言ってねえでどうにかあの人たち説得してくれよ!?」「相棒、何かまた増えたみたいだぜ!!すげえピンチだな!でも俺今幸せ!!」中庭を駆ける2人の少年少女、3人分の声。それを追いかける使用人や兵士たち。「無理よ!!もう逃げるしかないわ!交渉決裂!退却よ!!」「いやお前の家族だろ!?とりあえず冷静になって話し合えば、」「いっそムカデを相棒にしようか?とか考えていた時期が俺にもありました…。でもそれ間違ってた!やっぱ相棒はおまえさんだけだぜ!」潜んでいた使用人に挟み撃ちにされるも、長刀と狩猟刀の二刀を持った少年は簡単にそれを一蹴する。逃走は止まらない。2人と3人分(1人は勝手に喋っているだけのようだが)の掛け合いも止まらない。「私の家族“だからこそ”無理なのよ!!」「うん今すごく納得した」「武器は使われてこそナンボ!剣は振るわれてこそ輝くんだ!!言語担当とか頭脳担当とか、そんなの俺の戦場じゃねえ!!」賑やかに逃げる2人と3人分の声の元へ、上空から細長く巨大な何かが降下して来た。数サントの大きさでも嫌悪される虫、ムカデ。それが5メイルの巨体で鋭い牙をカチャカチャと蠢かせながら、しかも獲物に襲いかかるかの如く降下してくる。常人が見たら悲鳴をあげそうな光景に、しかし2人は嬉しそうに駆け寄っていく。2人の男女は“虚無の担い手”ことルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、そして“虚無の使い魔”平賀才人。もう1つの声の主は彼の相棒、魔剣デルフリンガー。この大規模で笑えない真夜中の“鬼ごっこ”の逃亡者たちは今、待望の脱出ポイント(ムカデ)に辿り着こうとしていた。「ココア!こっちよ、降りてきて!!サイト、乗り込むわよ!!」「よしきた!!掴まれルイズ!跳ぶぞ!!」「でも俺、何か盾みたいな扱いじゃね?まあ確かにガンダールヴは“神の盾”だし、俺ってば左手用の武器なんだけど、ってもっと喋らせ、」ルイズを抱えるために左手を空けようと、まだ何か喚いているデルフリンガーを背中の鞘に収める。遠くでラ・ヴァリエール公爵が凄い怖い顔をしているのが見えた。うん、今の俺、絶対悪役。娘を誑かし、攫って逃げる素敵な泥棒。ラリカを探す協力を求めるだけのはずが、どうしてこうなったんだろう。……。結果から言うと…どうしようもない現状から察する通り、ヴァリエール家の力を借りようとした2人の目論見は失敗に終わった。ルイズが『大切な友人が行方不明だから探したい』と懇願し、必死で訴える娘のために公爵が対話の席(晩餐会後の家族会議)を設けたまでは良かったのだが……。『やれやれ。誰を探すと言うかと思えば…。“あの”メイルスティア家の娘?まったくもって下らんな。論外だ』『その失踪事件って、例の学院で起こった事件の事?王立魔法研究所からも調査団で人員を出したみたいだけど…機密機密で胡散臭かったわ』『何と。…ならば余計に認められんな。断固として認めぬ。そんな怪しげな事件に首を突っ込ませるわけにはいかん』『全く、学院に入れたのは失敗だったか?そんな身分の低い者のために危険を冒し、ヴァリエール家の力を借りてまでと思い詰めるとは…』公爵は、“彼女”を知らなかった。どんな経緯でルイズと友人…いや、親友になり、どんな時間を過ごしてきたのかを。なまじ事が王家の失態を含む機密だからこそ、王家と近しい公爵という立場にありながら“最上の忠臣”を知らされていなかった。その少女がトリステイン最下等貴族の娘であるとしか認識していなかった。とっくに退いている軍務、アンリエッタ女王の合理的な戦争と呆気ない終戦で、トリスタニアへ赴く必要がなかった。王都に居れば耳に入る噂も、口の軽い関係者が漏らしただろう情報も、このヴァリエールの地に居ては聞こえることはなかった。だから、恐らく何の悪気もなく、むしろ愛する末娘を案じるがゆえに……『 ―――― 友人も、相手を選ばねばな 』その言葉を、今のルイズにとって最悪の禁句<タブー>を口にしてしまった。いろいろ溜まっていたフラストレーションと、大好きな親友を全否定されたルイズは爆発。ショックから立ち直って精神的に成長しているかと思いきや、彼女は普通に感情的だった。激昂して部屋を飛び出すルイズ。追いかけて捕まえよとの命令に、どこに隠れていたか大量に現れる使用人たち。『サイト!やっつけて!!』との言葉に、廊下で待っていた才人が状況も分からないまま使用人たちを一蹴。そこへゆっくりと部屋から現れるルイズパパ。『……聞き分けなさいルイズ。昔はもっと素直だったろう?さあ、駄々を捏ねていないで部屋に戻るんだ』『嫌です!もう父さまなんて知らない!!サイト、一緒に逃げるわよ!!』もちろん、それは純粋な意味での“一緒に逃げる”だった。でも、“そう”は受け取ってもらえなかった。そして“そう”正しく受け取られてもいいわけがないのに、もっとよくない意味で捉えられた。理由としては、公爵らがルイズの使い魔をココアだと勘違いしていたことだとか、だから同年代の異性でしかも平民の護衛(だと思っている)の才人に若干の不信感を抱いていたことだとか諸々あったのだが…まあ、それらが全部悪い方向に働いてしまったのだ。『は!?いや、その前に何がどうなって…、お前一体何やらかしたんだよ!?え、ええとすいません(ルイズの)お父さん!!でもどうか俺たちの話を、』Q.溺愛する娘が、夏期休暇の後半になってやっと帰郷したかと思ったら、何か平民の少年とムカデの使い魔に相乗りでやって来ました。きっとおそらく少年は護衛でしょう。でもやけに娘に馴れ馴れしいです。タメ口です。どうやら交友関係もよくないみたいです。底辺貴族のメイルスティアとか、娘の将来を考えてもプラスになるとは思えません。素直ないい子だったのに、反抗的になっていました。挙句の果てに、その護衛……相乗りでやって来た例の少年と逃避行しようとしています。足止めしろとか逃走経路を切り開けとかじゃなく、一緒に逃げようと。父さまなんてもう知らないのに、一緒に逃げ、……誰が“お義父さん”だって?A.よ~し、パパ娘についた悪い虫を退治しちゃうぞー。血は水よりも濃い…のかどうかはともかく、そういう諸々の原因が重なってルイズパパも娘と同じく激昂した。引き抜かれる杖、容赦なく才人に放たれる手加減抜きの魔法。なぜ使用人がルイズを捕獲しようとしてたかとか、なぜルイズパパが自分を攻撃してきたかとか分からないけれど、呆けている余裕はなく、才人もデルフリンガーを抜き放って迫る魔法を吸収した。それは普通に正当防衛なのだが、公爵にしてみれば、平民のくせに貴族に対して剣を抜いた無礼者。加えて“悪い虫”。武装使用人と私兵を追加するのには十分すぎる理由だった。……。そして現在。ガンダールヴ無双しながら城から脱出し、ようやく2人は待機させていたココアの所まで辿り着いたのだった。「これで逃げ切れ、」「サイト!!」「!?」ルイズの声に、伸ばした手を引っ込める。ほぼ同時に2人の間の地面を風の刃が抉り取った。振り返る2人。その先には、やたらと目つきの鋭いピンクブロンドの女性が立っていた。※※※※※※※※「なるほど、流石はこの街一番の情報屋だ。どうやってネタを仕入れてくるのか。……約束の報酬だよ」路地裏、街の光が殆ど届かない暗がり。ローブに身を包んだその人物は、男なのか女なのか一瞬判断がつきかねるような美声で言った。そして前に立つ浮浪者風の情報屋に皮袋を差し出す。「まいどあり。だが何だってあんな噂を…、っと。何でもねえ。いらねぇ事に首突っ込むと碌な目に遭わねぇからな」ローブの人物は答えず、小さく笑う。情報屋は肩を竦めながら差し出された皮袋を受け取った。………「あぁ、そういえば」去り際、情報屋の男はそう言って立ち止まる。半身だけ振り返り、あくまでこれも噂だが、と前置きをして続けた。「その女、あんたと同じような“目”をしてるらしいぜ。色はまあ、違うみてえだが」情報屋が去り、ローブの人物は被っていたフードを外す。女かと見紛うばかりの、色気を含んだ唇に、長く整った睫。眉にかかった金色の髪をかき上げる仕草もどこか優雅で、気品めいたものを感じさせる。それは目の覚めるような美形の、少年。「偽りの“虚無”、本物の“虚無”。女王と3人の男女か。……次は何が、誰が、どう動くのだろうね」呟く少年の瞳は、“月目”。鳶色の左眼と碧色の右眼は、月明かりの下、どこか遠くを見詰めていた。※※※※※※※※公爵夫人の豪華な衣装を着てはいるが、感じるプレッシャーはただの“貴族の奥さま”のそれとは全く違っていた。騒がしく追ってきていた武装使用人たちは、彼女の登場でぴたりと静まり返り…ラ・ヴァリエールの城は深夜に相応しい静寂を取り戻す。「ルイズ。お転婆もいい加減になさい。お父さまは貴方が心配なのですよ」ピンクブロンドの女性、見た目だと四十過ぎくらいだろうか。おそらくルイズの母親だろうその女性は、炯々とした光を放つ鋭い視線を娘に向ける。それだけで、気の強いはずの…加えて頭に血が上っているはずのルイズが目に見えて怯んだ。父親である公爵には『父さまなんて知らない!』とまで言い切れたはずなのに。「…か、母さま」「城に戻りなさい、ルイズ。戻ってお父さまに謝りなさい」「わ、私は間違ってないもん……!!父さまが、何も知らないのにあんな、」「ルイズ!」母の怒声にルイズは小さく悲鳴をあげて才人の後ろに隠れ、パーカーの裾を握り締める。そのせいで今度は才人が鋭い視線に当てられることになった。「……それで、あなたは娘の何なのですか?ただの護衛、などという見え透いた嘘は通用しませんから、そのつもりで」「俺!?え、えっと……、その、ルイズの使い魔です」「ああ」と、ルイズママは頷いた。2人の後ろの空を旋回する、従順なムカデの“使い魔”を一瞥し、溜息をつく。「分かりました。正直に答えるつもりはない、と」「え!?いや俺は本当に、」竜巻がルイズママの背後に現れる。「今回の件といい、この平民との関係といい、ルイズ、貴方には一度じっくりとお説教をする必要がありそうですね」「こ、コイツの言ったことは本当なんです母さま!!本当にこいつは私の使い魔で、ココア…メガセンチビートはラリカの、行方不明になった友達の使い魔なんです!」怯えた様子ながらも、ルイズが弁解する。しかし竜巻は消えず、むしろより激しくなった。「他人の使い魔が、ましてや知性もないような大ムカデが、主が行方不明だというのに他の者に従うと?」「そ、それはその…友情、とか…ええと、と、とにかく本当なんです!!ココアはラリカがいなくなってからもずっと言う事を聞いてくれて!きっと本当は凄く頭がいい、」「おだまり!…はぁ、もう話にもなりませんね」溜息混じりの、怒気を含んだ声。もう弁解は無理だ。抗議も言い訳も例え涙の訴えですら聞く耳を持ってくれそうにない。そして、“おはなし”の次に来るモノはというと…。才人は母親の怒気に気圧されて怯えるルイズを背に感じながら、自身もルイズママのオニのようなプレッシャーに晒されながら、必死で思考を巡らせる。巨大な竜巻、つまりルイズママは風メイジ。絶対トライアングル以上、いや、ワルドを参考にするとスクエアか。翻してココアに乗り込んで逃げるとする。逃げ切れるか?無理、竜巻に巻き込まれる。そうでなくても風メイジの魔法で撃ち落される。…切り抜ける方法はただ1つ。ルイズママの中では、才人は剣を使えるだけの平民で、ルイズは魔法の使えない“ゼロ”だ。どう足掻いてもこの“お仕置き”から逃れる術はないと確信しているはず。そこに付け入る。切り札が通用するチャンスは一度きり。「…ルイズ」小声で話し掛ける。「な、何よぉ…」「ここで捕まったらもう、ラリカを探せなくなる」「っ!!」服越しに伝わってきていたルイズの震えがぴたりと止まった。「だから…やれるか?」何を、とは言わない。ルイズからも返答はなく、代わりに詠唱が聞こえてくる。伝わった。ならば、「ルイズ。少し、頭を冷やしなさい」ルイズママが手にした杖を、すっと2人に向ける。それを合図に、控えていた竜巻が2人へ襲い、……かからなかった。荒れ狂っていた竜巻は放たれようとしたその瞬間、光り輝き、消滅したのだ。切り札その①、ルイズの虚無“ディスペル・マジック”。「今よ!!サイト!」見慣れぬ光、そして跡形もなく消し飛ばされたスクエアスペルにたじろいだルイズママの目の前に、背中のデルフリンガーの柄に手を掛けた才人が現れる。「!?」目を見開くルイズママ。完全に予想外の事態に、しかし迫ってきた相手を吹き飛ばすべく、瞬時に“ウインド・ブレイク”を放つ。「っしゃぁ!また俺の出ば、」抜き放たれたインテリジェンスソード(何か喚いていたが振り抜いたので聞き取れなかった)が、猛る魔法の風を切り裂くように吸収する。切り札その②、伝説の剣“デルフリンガー”。そして、「ルイズのお母さん!ご、ごめんなさい!!」謝罪と同時の一閃。切り札その③。暇さえあれば手入れをし、磨き、幾度となく“固定化”や“硬化”、“鋭化”を掛けてもらった勝利の剣。まるで木枝を切り落とすかのような、そんな軽い音を立て……“斬伐刀”に叩き切られた杖の先が、夜空に飛んだ。※※※※※※※※杖が、手から滑り落ちそうになる。部屋の明かり、逆光で陰になっていて、でもその顔は見紛うはずもなくて。その瞬間に、任務とか、いろんな“なぜか”とかすらも全部吹き飛んで。口を開く。ずっと考えていた言葉を、でも、言葉が、咄嗟に出てこない。『助けに来た』『遅くなって、ごめんなさい』『あの夜に、何があったの』『誰の仕業』『もう大丈夫』『これからは、私が護るから』言いたい言葉、聞きたい疑問、幾らでもあったはずなのに。いつか読んだ物語の“勇者”のように、囚われの“おひめさま”に救いの手を差し伸べるつもりだったのに。口を開いて、でも何も言えずにいる私。石になったみたいに、ただの一歩すら踏み出せなくて。“彼女”はそんな私を見て、優しく微笑んだ。綻んだ口元がゆっくりと開き、呆ける私よりも先に言葉を紡ごうとする。『助けに来てくれて、ありがとう』『心配をかけて、ごめんなさい』『待っていた』それは感謝の言葉か、心配させた事への謝罪か。それとも、あの夜の事を話してくれるのか。何でもいいと思った。どんな言葉でも、きっと自分は満たされると思った。こんな形でだけれど、願いは叶ったのだから。でも、彼女の口から出た最初の一言は、私が想像していたどの台詞でもなく。私が期待していた、どんな言葉よりも……きっとそれは、今、私が一番欲しかった言葉。彼女は両手を軽く広げる。笑顔は、変わらぬまま。いつものように、いつかのように、「――――― おいで、タバサ」!っ!!……。私が彼女を助けに来たのか、私が彼女に救われに来たのか。何だかもう、よく分からない。よく分からないけれど、分かった事。「……し、ばーみ」「ん?」「はし、ばーみ」「…ふふっ。はしばーみ、タバサ」“ねえさま”の腕の中は温かくて。私の中の冷たい氷を、溶かしていく。