幕間19・悪女の条件わたしは選び、そして答えた。それは、全てを吹き飛ばす暴風で。それは、どこまでも優しいそよ風で。それは、変わることのなかった日々に吹き抜けた一陣の風で。そして、それは ――――、だから、自分は“悪い”人間だ。そう言う…言い切ったあの人は、どこまでも澄んだ目でわたしを真っ直ぐに見詰めていた。自嘲しない、悪怯れない、逆にそれを誇ったりもしない。淡々と、でも強い意志を込めて。※※※※※※※※出会いは、暴風。短剣をちらつかせて迫っていた盗賊は、轟音と共にどこかへ吹き飛んで。わたしは子供達を庇う格好のまま、杖を取り出そうとした格好のまま、突然の出来事にぽかんと口を開けていた。木々の間から差し込む光を背に、グリフォンに跨った“騎士”は不敵に微笑む。それはまるで、父の屋敷でかつて見た絵画のような光景。助けてもらったお礼も言えないで、わたしはそれを見上げて、呆けていた。…直後に背後からマチルダ姉さんが現れて、溜息混じりに『なにカッコつけてんのさ』とか言ってちょっと台無しになったけど。それでも。頬を撫でる風。暴風の余韻はあまりにも穏やかで、優しかった。最初の印象は“強い人”、話してみたら、“優しい人”。それは次第に“落ち着いた大人の男性”に変わり、そしてだんだん…。亡くなった父とも、父の家来だった幾人かの貴族とも違う、初めて会うタイプの男の人だった。とても強くて、知的で、自信に満ち溢れていて、でも尊大じゃなくて。人見知りが激しいわたしだけれど、いつの間にか普通に喋れるようになっていた。マチルダ姉さんは『流石に手馴れているね』とか呆れていたけれど。※※※※※※※※あの人は続ける。自分の犯した罪を告白する。それは今まで見てきたあの人からは想像できないようなものばかりで、わたしの中で勝手に空想していたあの人の理想とは懸け離れていて。でも、目を背けることはできなかった。耳を塞ぐこともできなかった。マチルダ姉さんの告白。その衝撃すら収まらない間に、あの人の告白。ずっと知りたがっていて、教えてもらえなかった答え。ずっと気になっていて、でも聞くことができなかった真実。混乱しなかったなんて言ったら嘘になる。ショックを受けたかと言われたら頷くしかない。でも、受け止める。わたしには受け止める義務がある。国を裏切った。父祖の時代から続いた忠誠を、騎士としての誓いを、貴族としてあるべき大儀を。人を裏切った。隊の部下達を、許婚だった少女を、その思い出を。餞を贈ってくれようとした王子の優しさを。沢山の命を、想いをその手で奪い、壊してきた。全ては自らの目的の為に。今までも、そしてこれからも。裏切りの騎士は、夥しい血と憎しみを背負って生きていく。※※※※※※※※『望郷の歌、か』いつかの夜、中庭。独り、ハープを弾いて歌うわたしの元にあの人は来た。起こしてしまったのかと謝ると、返ってきたのは微笑みだった。『謝るのは僕の方だ。盗み聴きの挙句、歌の邪魔をしてしまった』風メイジというやつは耳だけはよくてね、と冗談めかして言う。月明かり、遠い波の音、いつかの時みたいな、穏やかな風。わたしたちはどちらからともなく、ぽつり、ぽつりと話し始めた。取り留めのない話、何て事のない日常の一瞬を。あの人は出逢ったその日からずっと、わたしの過去を訊こうとしなかった。そしてわたしも、あの人の素性を追求しようとはしなかった。それは、“そうするように”マチルダ姉さんに言われてたからというのもあるけれど、…本当はわたし自身、拒絶される可能性が怖かったのかもしれない。 ――――― あんたは、知らなくていいんだよ。いつか、マチルダ姉さんに“仕送り”の事を訊いた時に言われた言葉。 ――――― 知らない方がいいことだって、あるんだ。そう言うマチルダ姉さんの顔は優しくて、寂しげで。…何より、そのままわたしの前から消えてしまいそうな気がして、怖かった。訊きたくても訊いちゃいけない事。踏み込んではいけない領域。マチルダ姉さんとわたしとの間にさえあるように、“それ”はあの人との間にも、どうしようもなく横たわっているのだと思った。あの人は“親切な騎士”で、“マチルダ姉さんのおともだち”。そしてわたしは“身寄りのないハーフエルフの女の子”。親切で優しい騎士様は、優しさからハーフエルフの少女に手を差し伸べる。友人の、妹のような存在だからこんなふうに接してくれる。そういう…そんな関係。だから、わたしたちはこうしていられる。何の危険もないこの島で、誰に聞かれても“問題のない”会話で笑っていられる。薄っぺらで、曖昧で、でも丁度よい距離。深く知らないから、壁があるから繋がっていられる絆。繋がっていられるのなら、断たれずに済むのなら、知らない方が幸せでいられるのなら、そんな関係でいいと思っていた。そう思おうと、していた。※※※※※※※※善と悪、白と黒。この世界をその2つで分けるとしたら、裏切り者で人殺しの自分は“悪い”人間だ。貴族としてだけでなく、人としても“正しい”とされる道を外れすぎている。それは誰の目から見ても明らかで、どうしようもなく真実だ。だから罵ってくれても構わない。軽蔑、怯え、嫌悪を抱かれたとして当然だろう。“だが、それでも”、あの人は続ける。揺るがない。真っ直ぐにわたしを見る瞳は何も偽らない。この生き方に、選んだ道に、貫くと決めた“信念”に、信じる“目的”に、後悔などしていない。してはならないと思っている。後悔すれば、それは逆に自分が裏切ってきた人々を、積み上げてきた屍を否定することになるのだから。歩いてきた道に“無駄”などない。誰かの怒りも悲しみも、死さえも“無駄”ではない。誰を、いつ、なぜ裏切ったか、殺したのか、全て憶えている。命尽きるその日まで、忘れはしない。忘れてはならない。有態に言えば、それはただの利己(エゴ)。独善、傲慢で自己中心で…身勝手な思い込み。やっているのは結局、力ずくで我を通すことに他ならないのだから。でも、変われない。変わらない。たとええ誰に何を言われても、何があっても、譲れない。譲らない。だからこそ、その“悪”は…ぶれない。※※※※※※※※『貴族の少女が1人、ここに来る。しばらく君と一緒に暮らしてもらうつもりだ』殆ど唐突に、それは決まった。マチルダ姉さんは少しだけ不機嫌そうだったけれど、特に何も言わなかった。その子は、トリステインの貴族。メイルスティアと言う貧しい地方貴族の長女で、魔法学院に通っている。情報はこれだけ。いや、もうひとつ。…その子は、“わたしの事”を聞かされていない。それじゃあ、と不安になるわたしをあの人は諭した。『“彼女”は、決して君に怯えたりはしないはずさ』…。言いながら“彼女”を思い浮かべているのだろうか。わたしに諭しながらも、どこか遠い目。その口元に浮かぶ穏やかな微笑も、目の前にいるわたしではなく、語る“彼女”に向けているように見えた。『大丈夫、“彼女”なら君がハーフエルフでも、いや、たとえ純血のエルフだったとしても、恐怖や奇異の目で見たりはしない』…ちくり。『誰の存在も、想いも否定しない。…“彼女”は、誰の大切も否定しない。そういう少女だからね』……ちくり。………胸の奥が、痛い。今まで感じたことのない、妙な不快感。数回しか会っていないという、わたしよりも接点が少ないという、その少女に向けられた…“信頼”。その少女を語るあの人の表情は、どこかいつもと違っていて…分からないけど、なぜかそれが少し嫌な気持ちになる。『“彼女”はきっと、受け容れる。君の友人になれる。“僕のこと”さえ理解してくれた“彼女”なら、きっと』マチルダ姉さんに視線を向けると、不機嫌そうな顔のまま…でも否定しなかった。マチルダ姉さんも“そう”思っている。だから、あの人が言う評価を否定しない。無言だけどこれ以上にない肯定だった。『 ワルド様がそう仰るのなら、きっとそうなんですね 』『 わたしも、信じます 』2人ともその子のこと、凄く信頼しているんですね。数回しか会ってないと仰ったのに、その子のことを分かっているんですね。わたしには言えない事も、どんな事でも話せてしまうんですね。話しても大丈夫だと信じているんですね。わたしよりも、ずっと、…。薄っぺらで、曖昧で、でも丁度いい…はずだった距離。『ハーフエルフ?おーおー、ど~りでお耳が長いワケですな。よく聞こえそう。ま、それはともかくヨロシクあみーごコンゴトモ」“その通り”だった彼女に、彼女を見るあの人の眼差しに、わたしは ―――。※※※※※※※※目が合った刹那、微笑んだ“彼女”。マチルダ姉さんの告白の時と同じように、彼女はわたしの心を全部読み取ったみたいに…いや、読み取ったのだろう。彼女は無言のまま“語る”。わたしよりもずっと複雑な運命に翻弄されているのに、今だってあり得ないような状況なのに、それでも彼女は微笑んでいる。全部、受け容れて。何もかもを、受け止めて。いま、今度はわたしの不安をも支えようとしている。誰の存在も、想いも否定しない。誰の大切も否定しない。わたしが踏み出せなかった場所にいる人。わたしに足らなかった勇気や、覚悟を持っている人。やっと解った、わたしの胸の…痛みの理由。彼女の笑顔に後押しされて、わたしは明かされた真実に向き直る。マチルダ姉さんが、あの人が“出してくれた”………“選択肢”に向かい合う。「…本当はね、こんな“真実”言うつもりはなかったんだよ。私も、ワルドもね。適当な理由でも作って、近いうちに姿を消すつもりだったんだ」でもね、とマチルダ姉さんは言う。「でも、結局こうして明かすことに決めた。嫌な思いをさせるって分かってたのに、知らなくてもいいなんて言い続けてたのに…どこまでも勝手だけどさ」優しくて、寂しい笑顔。いつの日か、わたしはこの笑顔に…“これ以上は立ち入るな”という拒絶を前に、近付くことを諦めてしまった。それでも、という勇気も、踏み込む覚悟も、まるで足りていなかった。変化に怯えて、停滞に縋ってしまっていた。…そんなだったわたしが、本当の意味で信頼なんてされるはずなかったのだ。「恩だとか、義理だとかは考えないで欲しい。私は好きでやってきたことだし、ワルドにしたって目的ありきだ。だからテファ、あんたは気にしなくてもいいんだ」犯罪者、裏切り者。“悪人”として2人は、それを理由にわたしの前から去ろうとしている。最初からいずれは姿を消すつもりだったのだと言う。違いは、“真実”を明かしたことだけ。“真実”を明かし、今まで何も知らされずにいたわたしが“悪人”と決別するというカタチになっただけ。決まっていた結末に添えられる理由、それだけの違い。でも。これは選択肢。わたしは今、選択肢を与えてもらえた。実際に『どうするか決めろ』なんて言われてない。そもそも2人には、そんなつもりはなかっただろう。でも、これでわたしは選べるんだ。もし“真実”を明かしてもらえず、適当な嘘の理由を言われたなら、わたしは受け容れるしかなかっただろう。何も言わずにいなくなってしまったら、それこそどうしようもなかった。でも、今、私は選べる。“真実”を知ったからこそ、それができる。自分の意思で、責任と覚悟を持って、未来を決めることができる。わたしは、選べるんだ。「 ―――――――― テファ?」不意に。頬を、温かいものが伝っていった。マチルダ姉さんは目を見開き、一瞬わたしの方へ手を伸ばしかけたけど…引っ込める。あの人は何か言いかけ、でもやはりマチルダ姉さんと同じように、言葉にはしなかった。彼女だけは、ラリカだけは変わらない笑顔で…小さく頷く。…。涙を拭う。マチルダ姉さん、わたしは確かに泣き虫だけど…この涙は違うよ。そうじゃない。ちゃんとマチルダ姉さんの想いは伝わったから。優しさ、届いたから。ワルド様、やっぱりワルド様はワルド様だったんですね。空想や理想の騎士じゃなく、貴方はどこまでも貴方でした。強くて優しくて、――― そして。ラリカ。やっぱりラリカはお見通しみたいだね。わたしの“想い”。わたしが“真実”を知ったらどうするかも。大丈夫。わたしはもう、迷わない。ありがとう。話してくれて。わたしに真実を明かしてくれて。わたしに選ぶチャンスをくれて。わたしの背を、押してくれて。ただ、それが嬉しくて。嬉しくて。涙はその、感謝の証。そして、うん。決めた。ううん、最初から答えなんて決まっていた。それを言うだけだ。言葉にして、伝えるだけだ。二択。“悪人”たちとの決別か、それとも。ずっと夢見続けていた平和な生活と、犯罪者や裏切り者の仲間として生きていく人生。迷うわけない、何て簡単な選択肢なんだろうか。そして、わたしは答えた。貴女を“悪”と呼ぶのなら貴方が“悪”だと言うのなら。わたしは同じ“悪”がいい。“悪”と共に、“悪”と生きる“あなた”と同じ ――――――――― “悪”になる。オマケ<Side クズ子さん>……………………。……?………え?