幕間18・ノコリガ―――――― あなたが、『絶望』のラリカ?見上げる。目が合う。私は無表情。でも、彼女は優しく微笑む。声が掛かる。顔を上げる。私は無言。でも、彼女は私の髪を撫でる。笑顔は、やはり優しい。隣に座る。無言。こちらを見て、微かに綻ぶ口元。髪を撫でる優しい掌。ひとりの時と変わらないような、静かな読書の時間。でも、頁を捲る手が、少しだけ遅くなった。声が掛かる。顔を上げる。目が合う。その“答え”は何?分からないから、小首を傾げる。また、優しい笑顔。“答え”なくても、彼女は笑顔。でも、私はその“答え”が知りたかった。声が掛かる。顔を上げる。“アイコトバ”。答える。嬉しそうな笑顔。抱き締められる。どこか、懐かしい感覚。撫でられる髪。幼い頃の記憶。微かな石鹸の香り。どこか落ち着く香り。伝わってくる体温。優しい、ぬくもり。※※※※※※※※鏡は自分の顔を映すだけで、他に何も映し出さない。眉唾だったが、やはり“これ”も偽物のようだ。やや華美な装飾がされた鏡を無造作に投げ捨てる。鏡はキラキラと月の光を反射しながら遥か地上、森の中へと落ちていった。シルフィードが勿体無いとか何とか騒いだが、取り合わない。必要ないから捨てただけ、違ったから要らないのだ。わざわざゲルマニアとの国境付近まで飛んだ目的は、こんな“宝物”が欲しかったからじゃない。“探し人が見付かる鏡”はだめだった。この前の水晶玉も、その前の変わった形の杖もだめだった。…。「学院に。少し、急いで」※※※※※※※※「タバサ?」シルフィードから飛び降り、中庭に降り立った私の背に声が掛かる。反射的に魔法を撃とうとして…辛うじて踏み止まった。「こんな夜更けに出歩くのは…いや、今帰ってきたのかな」薔薇の造花を模した杖を手に、ギーシュは言う。白い制服…フリル付きだから特注だろうか?…彼の服が土で汚れているのは暗くなったこの時間でも分かった。理由は知っているし、最近ではいつもの事なので訊ねない。「…まあ、何だ、君もそう無理をしないようにね。なんて言ったところでやめはしないだろうけど」「おたがいさま」「………だね」ギーシュは困ったような笑みを浮かべ、軽く頭を掻いた。そして灯りの消えた寮の一室を見上げる。「“眠り姫”は今日も起きてはこなかったよ。サイトも、君の親友もいろいろ声を掛けてはいるようだけど…ね」「…そう」“眠り姫”。そういえば、いつか読んだ物語に、そんな“お姫様”が出てきた。呪いのせいで目を覚まさないお姫様。目覚めるキーは、勇者…王子様だったか、とにかく呪いを解く鍵は、その人のキスだった。部屋に閉じこもり、出てこない“眠り姫”。彼女もまた“王子様”が来ない限りは目を覚まさないのだろうか。今、本当に探すべきは、助けるべきはその“王子様”の方なのに。「おっと、もう遅いみたいなことを言っておきながら引き止めてしまったかな。すまなかったね。寮に戻って休むといい」再びこちらを向き、そう言ってギーシュは笑う。よく見せるいつもの笑みとは違った笑顔だ。どこか、“彼女”の笑顔に似ていた。「あなたは?」だからだろうか。普段なら無言で去るのに、こんな事を訊いたのは。「僕はもう少しだけここにいるよ。それとも、送ろうか?」かぶりを振る。だろうね、とギーシュ。彼も私が頷くとは最初から思っていなかったのだろう。再び視線を寮の一室…今度は“あの部屋”に向けると、それ以上何も言わなかった。※※※※※※※※無造作にマントを椅子の背に掛け、靴を脱ぎ捨てる。杖と眼鏡を机に置き、上着のボタンを幾つか外した。灯りは必要ない。今から本を読む気はないし、他に何かする事もない。寝巻きに着替えるのも億劫だ。ベッドに腰掛け、枕元の小さな棚に置いてあった瓶を手に取った。学院のメイドに分けてもらった“香水”。質素な、悪く言えば安っぽい瓶に入れられたそれは、貴族が自己主張の為に付けるものでも平民が偶の贅沢で使うものでもない。生徒が、いや、教師すら気にも留めていなかったメイドたちの為に“彼女”が無償で作った香水なのだ。『ミス・メイルスティアを、お願いします』私が彼女を探し出そうとしている事を伝えると、そのメイドはそう言ってこの香水を譲ってくれた。この香水だけじゃない。彼女は秘薬を、手に塗るクリームを、“お礼”と言って学院で働く平民たちに渡していたという。特にトリステインでは平民が貴族の為に働くのは“当然”とされている。それは学院内でもそうだし、街へ出てみてもごく当たり前の光景だ。見下したりはしないとはいえ、私やキュルケも似たようなものだったかもしれない。でも、彼女はその“当然”を感謝し、彼女らに同じ目線で向き合い…結果こうして身を案じられている。恐らく、彼女以外の生徒だったら。…例え死んだところで、学院で働く平民たちは何も思いはしなかっただろう。蓋を開ける。薄い月明かりの部屋の中、香水の…“彼女”の匂いが漂う。微かな石鹸の香り。香水の匂いなら至る所で嗅いでいる。学院にいる貴族の少女たちもこぞって使っていた。キュルケなんて何種類持っているのか分からない。でも、その中にこんな香りはなかった。この香りは付けている者を飾り立てる“装飾品”じゃない。自分のためじゃなく、自己主張のためじゃなく、傍にいる誰かを不快にさせないために。その在り方は製作者である“彼女”そのものだ。だからこそ、この香りはどこまでも優しい。手首に一滴だけ。蓋をして棚へと戻す。心が落ち着いてくるのが分かる。目蓋が重くなる。少しだけ、疲れた。ベッドに仰向けに寝転ぶ。いつか、キュルケが笑いながら言った。姉妹みたいだと。…少しだけ、嬉しかった。あの時はなぜだか分からなかったけど、今なら何となく分かる気がする。彼女は、大丈夫。私には分かる。ラリカは、大丈夫。ラリカは“強い”から。私は信じている。おやすみなさい、…“ねえさま”。きっと、探し出すから。私があなたを、助けるから。「………はしばーみ」その香りに包まれて。小さく、呟く。“ はしばーみ ”暗く、深く。微睡んでいく意識の中。空耳だけど、そう返ってきた気がした。―――――― あなたが、『絶望』のラリカ?それは小さな、ほんの小さな興味。運命的でも、劇的でもないような出会い。訊ねる。彼女は優しく微笑んでそして、頷いた。オマケ<その頃の某“ねえさま”>ええとそのなんて言えばいいか何かいい答えはだからええとそのつまり私はああぁぁばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばぁぁぁぁぁばばばばばばばばばばばばばばばばばば!!!!!