幕間17・推理は“踊る”。されど“進まず”謎が生まれ、憶測が芽生え、推理は語る。…ていうか、何だか予想外に事態は深刻になってたでござるの巻。知れぬが私。「…ミス・ヴァリエールは、」赤髪の少女、ミス・ツェルプストーは溜息をつき、かぶりを振る。まだ、か。「そうか。…なら、出直すとしよう」「混乱してるのよ。何が何だか分からなすぎて、そして余りにもショックが大きすぎて。何も出来ずにいるの。ある意味、思い切り悲しんだり怒ったり出来てた方がマシだったかもしれないわね」「………無理もない。だが」「そうね。でも、“らしく”ないわ。もう10日以上経つのにね。いい加減、部屋から引き摺り出してやりたいけど…」同時に寮を見上げる。夏期休暇中の魔法学院。殆どの生徒は里帰りしており、残っていたのは“彼女”を含めて僅か数人。数日前までは“事件”の調査団で騒がしかったここも、今では元の静けさを取り戻しているようだ。「しかし不思議なものだな。トリステインのヴァリエール家とゲルマニアのツェルプストー家、因縁は聞き及んでいるが…君らの関係は“そう”ではないようだ」「最初の頃は想像する通りよ。でも、事実どういうわけか“こう”なっちゃって。ご先祖代々の伝統もどうやら私の代でお終いみたい。ま、トリステインとゲルマニアも今は同盟なんて組んでるし、そういう時代だったのかもね。それに、」ミス・ツェルプストーは小さく笑う。…あの忌まわしい事件の夜に見た、自信に満ち溢れた笑顔とは違う、どこか寂しげな笑みだった。「―――“誰かさん”にも『諦めて友情しなさい』って言われちゃったし、ね」※※※※※※※※門まで戻ると、騎乗してきたのとは別のヒポグリフと、傍らに立つミランの姿があった。表情で今回の訪問も果たせなかったのを察したか、彼女は成果を訊くことなく、気遣うような笑みを見せるだけに留めてくれた。城へと戻りながら事件の事で何か進展があったか訊く。やはり、こちらも色好い報告は聞けなかった。魔法学院の女子生徒の不可解な“失踪”事件。家柄はヴァリエール家と比べるべくもなく、失踪した彼女自身も特別な力を持っていたわけでもない普通の生徒。このまま学院の夏期休暇が終わったとして、何人が彼女の不在に気付くか。聞けば平民の使用人たちと交友があったそうだが…貴族の、学生たちの間では特に目立つ存在でもなかった少女。彼女が、“それだけ”なら、話は済んでいた。不可解な事実は残れど、ただ“謎の失踪”という形で締め括られていた。未解決事件などいくらでもあるのだ。しかし、“彼女”は“虚無”の唯一無二とも言える親友で。あの忌まわしい事件を解決に導いた“最上の忠臣”で。そして女王陛下が求めた…、「エルデ殿?」「ああ、悪い。どうした?」「いえ、この事件、どうなっていくものなのかと」「そうだな。だが、俺に聞かれてもさっぱりだ。以前にも言ったが、頭脳労働は向いてない。…まあ、この事件に関しては、頭のいい連中も推測しかできてないわけだが」そう、全てが推測の域を出ない。残され“過ぎた”痕跡が、何もかも確かな事実を導き出し足りえないのだ。部屋は“半分だけの惨状”と、“半分だけの日常”。服や本が焼け焦げ、破壊された弓に折れた杖が転がる、明らかに戦闘…もしくはそれに近い何かがあったと思われる半分。食べかけの食事に飲みかけのワインが、まるで少し席を外しているだけかのように思える半分。何がどうなっているのか、理解できない。どこから考察すべきかも分からない。残された食事だけを手掛かりと見れば、“犯行時刻”はおおよそ割り出せる。内容が夜食とは思えないものであり、彼女の親しい友人らが『あれは彼女がよく作ってくれた朝の定番メニューだ』と証言したことからも“朝食”であるのは間違いないだろう。夜が明け、第一発見者となったミス・ヴァリエールと…女王陛下が彼女の部屋を訪れるまでの2、3時間。それが導き出される時間帯だ。だが、これは本当に手掛かりと見ていいものなのか。なぜ、この“朝食”は無事だったのか。“犯人”が仕組んだ偽の痕跡ではないのか。だが“犯人”が仕組んだとして、こんな事をする意味があるのか。“半分の惨状”は、戦闘を行った“犯人”とは別に、戦闘の余波や戦闘で漏れるだろう音を防いだ“共犯者”の存在を匂わせる。当日、女子寮にいたのがミス・ヴァリエールにミスタ・ヒラガ、ミス・モンモランシの3名だけだったとはいえ、誰一人として異常に気付かなかったのは部屋の防音能力だけでは惨状の規模からして説明がつかないからだ。戦闘要員が彼女と戦い、消音担当(おそらく高位の風メイジ)がその音を消し、もう1人が戦闘の余波を防いで部屋半分のみを壊すに留める。それが完成すれば、確かにあの奇妙な部屋は完成するだろう。しかしそれも所詮は苦しい辻褄合わせでしかない。そもそも彼女はミス・ヴァリールのように“虚無”でもなく、ミス・ツェルプストーやミス・タバサのようなトライアングルでもない。どこにでもいるようなドットの女子学生、それが彼女なのだ。戦闘能力は決して高くない。いや、正直に言えば“弱い”。魔法学院に忍び込み、他の誰にも知られずに任務を遂行できるような者にとっては“敵”ともいえない相手のはずだ。“犯人”の目的が暗殺でも誘拐でも、あんな痕跡など残すはずがない。暗殺ならば朝、部屋に死体が転がっているか、もしくはその死体すら見付からず失踪したように消えているかだろう。殺したことを隠すつもりがなければ前者を採るだろうし、捜査の撹乱がしたければ後者を採るはず。誘拐なら後者一択だ。不安を煽らせて身代金でも要求するなら話は別だが、それこそあり得ない。つまり部屋があんな状態になるほどの激しい戦闘など、どちらにせよ不要なはずなのだ。「また、」「ん?」「難しい顔をされてますね。その、エルデ殿も“彼女”が心配ですか」「“メイルスティア失踪事件”は今や最重要案件の1つだからな。残された日記にあった情報だけでも価値は測り知れない。それが彼女自身ともなれば、当然だろう」残された日記は最後の個人宛の手紙部分以外、国の預かりとなっている。アルビオンでの悲劇、恐るべき“ユンユーンの呪縛”、不完全な解呪ゆえに欠けてしまった心と、水の精霊が告げたという真実。そして、流れ込んだ“ミョズニトニルン”の記憶、侵食される心とそれに抗う決意。…その内容の重大さに、一介の少女が立ち向かっていたという事実に、日記が公開された最初の会議では一時、場が驚愕に静まり返った程だ。神聖アルビオン共和国の皇帝、クロムウェルは死者を蘇らせる“虚無”を謳っているという。しかしそれは“虚無”ではなく“アンドバリの指輪”の力だという。それは蘇ったウェールズ皇太子という実例で目の当たりにしている。しかし。「最重要案件。対アルビオンの、ですね」「アルビオンの“虚無”、皇帝クロムウェルに対する情報が少な過ぎる現状、彼女のまだ持っているだろう“記憶”と“情報”は無視できないからな」「伝説の使い魔“ミョズニトニルン”がいなければ、魔法の指輪を使ったペテンという可能性も考えられたかもしれませんね。ですが、恐らくクロムウェルは本物…」「……ああ」「指輪を用い、死者を蘇らせるのを“虚無”と騙ったのは、単純に分かりやすい形で“奇跡”を見せるため。もしくは、真の“虚無”の力を隠しておくため。両方という可能性もあるでしょうね」「そう考えるのが妥当だな。死者を手駒にできるというだけでも厄介なんだ、加えて未知の“虚無”ともなれば慎重にならざるを得ないだろう」「やはり“彼女”は未知の“虚無”が何であるか知っていたのでしょうか。日記にもそれを仄めかすような記述がありましたし。そして、何らかの理由でそれを知ったクロムウェルが“始末”を命じた」「確かにそれなら“犯人”の所属、動機としては申し分ないな。尤も、確かにそうだと言える証拠も何一つないんだが」「ですが可能性としては最も高いでしょう。そして、それが真実だとすれば彼女の生死は…」「誘拐なのか暗殺だったのか、証拠となり得るものが見付からない今…どう判断することもできない。使い魔のルーンも生死の確かな証拠にはなりそうにないしな」彼女の使い魔、ココアに未だ刻まれたままのルーン。使い魔の契約が外れるのは主従のどちらかが“死んだ”時だ。確かにそれは正答。死んだ使い魔からはルーンが消滅し、それと同時にメイジは新たな使い魔を召喚することが可能になる。1人のメイジに対し、1体の使い魔と1つのルーン、それが使い魔契約の理だ。ただ、その逆パターン…つまりメイジが使い魔より先に死亡した場合のルーンの在り方についてはあまり知られていない。契約により喋れるようになった使い魔がメイジの死後も喋った例もあるという。ただし、これもあくまで一例に過ぎない。どちらとも簡単に判断できる問題ではないのだ。「だが、使い魔が“あの”メガセンチビートだ。こう言うのも何だが、あれが人間に懐く…というより本能以外の行動をするなど普通はあり得ない。しかし今もミスタ・ヒラガらの命令を忠実に聞いている」メガセンチビートは幻獣でも、ましてや犬や猫など普通の動物でもない“ただの虫”だ。体躯こそ巨大だが、基本的にはその辺りを這う虫と同じ。知性はなく、理性も感情もない。長い時間共に過ごしても絆の類など生まれない。あるのは捕食や睡眠、繁殖という生物の基本的なもののみ…有態に言えば本能だけの生き物だ。つまりルーンの力、使い魔契約の効果がなければ、あれが人間に従うことなどあり得ない。「生きている可能性の方が殺された可能性よりも若干程度には高い、ということですか?だとすれば…誘拐?また“ユンユーンの呪縛”か、もしくは“アンドバリの指輪”で操るか、それともただ監禁したのか…」「操るという目的で考えると、殺害した後“アンドバリの指輪”で操るにしろ、“ユンユーンの呪縛”を使うにしろ、彼女を失踪させる意味が分からないがな。もし、操るならもっと“上手く”やれるはずだ」それこそ、『普段通りに朝を迎えたら、彼女は既に操り人形だった』という具合に。操り人形と化した彼女は、誰にも気付かれないままミス・ヴァリエールらと、そしてアンリエッタ女王陛下と接する。これ以上の“手駒”はないだろう。特にあの朝、もしそうなっていたなら…トリステインは“虚無”と“女王”を一度に失っていたかもしれない。それが、実際は不可解すぎる痕跡を残しての“失踪”。もし今後、彼女がひょっこり戻ってきたとしたらまず疑われるだろう。そんな無駄なリスクを負ってまで、一時的にしろあんな形で失踪させる理由がない。「では単純に誘拐し、どこかに監禁しているだけという可能性が最も高いということに・・・なりますね」言いながら、しかし腑に落ちない表情を浮かべるミラン。言葉にこそ出さなかったが、今の答えもおよそ納得できるような代物ではないのだろう。言えば、また疑問が生まれる。憶測の堂々巡りが始まる。解き明かそうとすると深まる謎。全ての痕跡につきまとう不自然。そう、これが…この違和感に満ちたモノこそが“この事件”なのだ。痕跡が、可能性が、推測が、どれもが“繋がらない”。点は点のまま、線になることなく宙に浮いている。どれかを考察すれば、別のどれかが否定される。どこから手を付ければいいのか判断できない。重要すぎる情報の断片があるのに、それを証明できるピースが見付からない。考えれば考えるほど…分からなくなる。身動きが取れなくなる。「………もどかしいな」「え?」「何もできない事が、もどかしい」アルビオンが黒幕で、彼女は生きている。だから助けに行く。殺された。ならば復讐する。思考を放棄し、“そう”と決め付けて行動できれば。怒りに身を焦がせたら、悲しみに呉れることができたら、どれほど気が楽か。どれほど良いか。だが、それができない。トリステインにとっては、彼女の持つ情報が重要過ぎるがゆえに。彼女の友人らにとっては、彼女という存在が大き過ぎたがゆえに。だから我々は同じく、何もできないでいる。憶測ばかりを堂々巡らせ続けている。中途半端に漠然とした悲しみへと逃避している。何も、結局何もできないでいる。「事態は、必ず動きますよ。この前の“狩り”のように、完全な犯罪なんて存在しません」「…」「いつか、何かの綻びは起こるはずです。今は確かに何もできないかもしれませんが…いずれ、きっと」気遣うように、控えめに笑みを向けるミラン。自然とこちらの頬も緩む。…確かにそうかもしれない。不確かは、言い換えれば可能性。あの少女がいなくなったという事実を前に、自分でも気負い過ぎていたかもしれない。それに。この国に絶望しかけた自分に、希望を示してくれた彼女なら。“虚無”を支え、“伝説”に想われ、ゲルマニアやガリアの友人らを繋いだという彼女なら。王女を女王へと成長させた、“最上の忠臣”なら。そう簡単に終わるはずがない。根拠などないが、そう思える。心のどこかでそんな淡い“希望”を抱いている自分がいる。「そうだな。…確かにそうだ、ミラン。愚痴っていても、始まらないな」何もできない。身動きが取れない。そう、…“今”は、まだ。オマケ<とある日のクズ子さん>「昼寝をしてたと思ったら、起きたら深夜だった件について」「…このところ、すっかりだらけちゃってるよね。わたしたち」「ちょっと家事して食べて寝る。間食飲酒バッチコイで。うわ~なんという桃源郷生活。これは確実に太るな!」「う、やっぱり?規則正しい生活に戻さないと…!」「ティファニアは今のままでイーンダヨ。ムネ…もとい本体さんに栄養が行くから他の部分は太らないしね。私は絶賛ダイエットするけど」「いや、それはないから!それに本体って…もう。その、そんなに変なのかな?」「変というか何というか、恐らく正常なオトコのヒトなら煩悩直撃かもかーも。まあ、とにかくソレ目当ての野獣さんたちには気を付けよーね」「何だかよく分からないけど、うん。気を付ける」「指きりげんまったトコロで、とりあえずこの微妙な時間をどうするか考えよっか。今寝たら確実に寝坊する自信があるぜ!かといって、無理に起きてると明日が辛い」「お話でもして過ごす?ラリカの話、面白いからまた前の続きが聞きたいな」「ほいさ、りょ~かい。じゃ、ワインを飲みながらがーるずとーく(?)といきましょ~か。おつまみはクラッカーでいい?」「うん。さっそくダイエット失敗っぽいね」「大丈夫。明日から頑張る」「うわ、全然大丈夫な気がしない…」「でも、結局『それでもいいかな~』と思うティファニアであった。ちゃんちゃん♪」「もう。…ふふっ、でも、もうそれでいっか」「だね~」