「フェイトちゃん!危ないっ」
「え?」
事故があった。わたしが、起こした事故だ。
犠牲になったのはクラスメイトの女の子。
なのはは良く話しているみたいだけど、わたしはそんなに彼女のことを知らない。
「龍野ちゃんっ……!」
なのはの声が呆然としているわたしの耳に届く。
同時に物凄い音量のブレーキ音と何かを跳ねる音。
そして確かな重量を持った物体が歪む、衝撃音がした。
掴まれ引っ張られた腕が熱かった。
フェイト・T・ハラオウン、13歳。
わたしの世界に衝撃的に飛び込んできたのは彼女でした。
余生におけるある世界との付き合い方 第五話
フェイトは飛び起きた。
場所を確かめる。病室だ。荒い息が響いていた。
薄暗くなってきているのは日が暮れてきているからだろう。
「ゆ、め?」
心臓に悪い。
汗を吸った衣服が肌に張り付いて気持ち悪かった。
フェイトは掌を額に当てる。ベタリと余り好ましくない感触がした。
ハンカチで拭って悪夢の残滓を出来る限り失くす。
そうしてからベッドに横たわる少女を見つめた。
あの事故からまだ彼女は目を覚まさない。
全ては彼女が起きれば改善する。
そんな気がしていた。
「起きて、たつの」
後藤 龍野。フェイトを庇って事故にあった女の子だ。
小学校からずっと一緒で、今も同じ教室で授業を聞いている。
仲が良かったかと聞かれればそうでもない。
―なのはの方が仲は良かった。
はっきりとそう断言できる。だから何故自分を助けてくれたのかフェイトには分からない。
基本的に龍野はフェイトたち五人と関係を持とうとはしなかった。
なのはやフェイト、はやてのように魔法に関係するわけでも、アリサやすずかのように家が大きいわけでもない。
極普通に、普通の中学生の生活を全うしていたように思える。
同じ教室にいても生活圏が被らない龍野と話すことは少ない。
例外がなのはで、なのはは彼女の事を小学生の頃から―それこそ、フェイトと知り合うより前に―友人関係を続けている。
「フェイトちゃん」
「なのは」
部屋には龍野の生命を維持している機械の音だけが聞こえる。
ピ、ピ、ピという一定の音が何時止まるか分からなくてフェイトは怖かった。
人工呼吸器は付けられていない。呼吸は安定していると判断された為だ。
それだけでもフェイトにとっては朗報だった。
ただ何時状態が暗転するか分からない為、バイタルサインを見る機器だけは外されなかった。
腕には栄養を補給する点滴が付けられている。
彼女はこんな状態でもう一週間以上意識が戻らない。
酷い怪我だった。
車は左から来ていた。龍野は右手でフェイトを引っ張った。
結果最初に衝撃を受けたのは左腕で、防御反応として突き出した手は意味なく弾かれた。
あれが原因で左腕麻痺が症状として残ったのだと後にフェイトは思った。
直ぐに身体ごと家屋の塀に衝突した龍野は――血を吐いた。
背中から叩き付けられ内臓にダメージが来たのだ。
真っ赤な鮮血がフェイトの瞳に焼きついている。
血を見るのは勿論初めてではない。だがあの事故は違う。
自分のせいで、一般人が傷ついたのである。
何が起きたか分からないまま気付いたときには病院にいた。
「まだ、起きないね」
「……うん」
なのはの言葉に頷く。
フェイトがこの部屋に来られない時はなのはが代わりにいた。
執務官としての仕事はギリギリまで量を減らしたがそれでもしなければならないことはある。
なのはにもそれは言える事で二人揃って龍野の病室にいるのは週に一回という所だった。
なのはが部屋に備え付けられているイスを持ってきて隣に座る。
今日は任務があった筈だが、この様子だと全力全速で終わらせてきたのだろう。
ぎゅっと胸の前で握られた手には紅い珠になっているレイジングハートがあった。
「大丈夫、なの。龍野ちゃんは私を置いていったりしないの」
なのはが断言する。
フェイトを元気付けようとしたのだろう。
微笑む顔にはそれでも憔悴の色が見て取れた。
目の前で眠る彼女がなのはにとって大事な友人だったことは明白で、フェイトは更に落ち込んだ。
「ごめん」
膝の上で拳を握る。白い手が力を込められたせいで更に白くなる。
なのはの友人を自分が奪う可能性がある。
それはフェイトにとって、とてもとても恐ろしいことだった。
フェイトの今を築いてくれたのはなのはだ。
なのはが友達になろうと言って、努力してくれたから自分は此処に居る。
今回したことは全く逆だ。龍野の未来を奪おうとしている。
なのはが龍野と過ごすはずだったこれからを消そうとしている。
「謝らないで?フェイトちゃんのせいじゃないから」
「でも」
龍野の様子を見ながらなのはが言う。
その言葉は優しくて、フェイトは困ったように眉尻を下げた。
責められても仕方ないという気持ちがフェイトの中にはある。
龍野にもなのはにも、きつく当たられても当然だ。
「龍野ちゃんも謝って欲しくないと思うよ?」
「そうかな」
「そうなの」
なのはがちょっと高めのイスから足を揺らす。
ぶらぶらと揺れる動きは不安を紛らわしているのか、本当に心配していないのか判断がつかなかった。
いや、なのはは優しい少女だから心配していないわけが無いとフェイトは思う。
「なのはは、ずっとたつのと一緒なんだよね?」
「うん、そうだよ」
ふと思う。
龍野となのはの関係は不思議だ。
一緒にいる時間はたぶんとても短い。
学校ではアリサたち、魔法関係ではフェイトやはやてとなのはは共にいる。
なのはが龍野の所に行くのは発作のようなものだ。少なくともフェイトにはそう思えた。
時々姿が見えないと龍野の所に行っていたとなのはは言う。
前も後ろも無い。徴候は無いのに、いつの間にか龍野の場所に行って帰ってくるのだ。
「何で話す様になったの?」
フェイトの言葉になのはは首を傾げる。
龍野となのはの仲は小学校入学以来らしく、フェイトが来たときには既に今のような関係だった。
だから二人の始まりをフェイトは知らない。
「だって、たつの、静か」
「にゃはは、龍野ちゃんはね、無駄なことはしないの」
言葉を探してみるが上手く表現できない。
それでもなのはは納得したのか楽しそうに笑って龍野を見つめる。
じっと様子を見つめる姿から何を思っているかは分からない。
ただ少し自慢気になのはの口から語られる龍野が少し羨ましかった。
「無駄なこと?」
「無駄って言うか……余計なことは話さないし、口数も少ないんだよね」
「話しても簡潔でしょ?」というなのはの言葉に頷く。
フェイトの中にある龍野の姿はいつも薄い。
何かを強く言ったり、長く話したりすることが少ないからだ。
だからこそどうしてなのはが仲良くなったのか、切欠が分からなかった。
「何か言う事も少ないから、フェイトちゃんがそう思っても仕方ないの」
静かになのはの言葉が続いていく。
なのはといるようになって三年は経つが見たことのない部分だった。
「でもね、だからフェイトちゃんが助けられたのは必要だったからなの」
顔を上げてなのはがフェイトを見る。合った視線に僅かに息を呑む。
綺麗な紫水晶の瞳が、まるであの時のようにフェイトを見つめていた。
真剣な瞳はフェイトに否定を許さない。気圧されるというのだろうか。
“友達になろうよ”
そう言われた時もフェイトは何も言えなかった。
「龍野ちゃんは助けたかったから、助けたの。それだけは間違わないでね」
なのはの言葉に龍野を見る。
そこに横たわる少女は何も言わない。
静かに胸を上下させ眠り続けるだけだ。
「ありがとう、なのは」
「それは龍野ちゃんに言うと良いの!」
ニコリと明るい笑顔をなのははくれた。
フェイトも答えるように笑顔が浮ぶ。
悪夢の残滓は綺麗に散っていた。
「うん、そうするよ。」
―だから、早く起きて。たつの。
先程とは丸きり違う気持ちで願う。
最初の言葉が暗い気持ちから出て来た後ろ向きなもの―逃げの意思―なら、今フェイトの胸にあるのは前向きな気持ちだ。
興味が出て来た。純粋に彼女を知りたくなった。
なのはがここまで興味を持つ人物と―フェイトは親友の人を頼らない性格を良く知っているから尚―話してみたくなる。
「――で、龍野ちゃんと仲良くなった理由だっけ?」
「教えてくれる?」
フェイトの質問を思い出したのか、なのはは一度言葉を切り確認してくる。
コクリと頷いてから首を傾げる。
外の暗さはもう少しで帰る時間を示していた。
なのはの話を聞けば丁度良いくらいだろう。
余り遅くなっても家族に心配を掛けるだけだ。
「にゃはは、なんか恥ずかしいなぁ」
質問から外れていた事に気付いたのだろうか。
それとも彼女との出会いを人に話す事からかなのはの頬を少し赤く染まっていた。
流石にフェイトにも分からない。
「あれはね」
そうして告げられた始まりは少し意外なものだった。
こうしてフェイトの中に龍野は溶け込み始めたのだ。
****
龍野が起きた。
初めて正面から向かい合った彼女はなのはの言うとおりの少女だった。
無駄な事はせず、口数は少ない。そして優しい。
「フェイト?」
ベッドから半身を起こした龍野が声を掛ける。
それでフェイトは思ったより呆けていたことに気付いた。
―マルチタスクは苦手じゃないんだけどな。
龍野と一緒にいるとどうしても考え込んでしまう。
事故の事や、なのはの事、龍野自身の事、色々絡まってしまうのだ。
そんな事を思うが龍野には関係ないだろう。
「え、何?」
「ぼーっとしてる」
「大丈夫?」と今にも言ってきそうな瞳が見える。
龍野の言葉は少ない。それでもフェイトには伝わるものがある。
僅かに身体を屈め、顔を覗き込むようにしている彼女に笑い返す。
上手く笑えている自信はないが、上手く笑えているといいとは思った。
「ちょっと、考え事」
素直に言う。
フェイトは友人に隠し事をするのが苦手な性質―フェイト自身はそうは思っていないが―らしい。
良くアリサやはやてからそれでは隠す意味が無いと言われてしまう。
仕事で会う人からそう言われた事はないので、プライベートの時だけだ。
余りにもその様子が酷かったらしく、はやてには“内容まで言えなくても、表面だけ言えば結構スルーされるもんやで”というありがたい助言まで貰っている。
そうしてそれを実践する場面は時折ある。
今もそれに含まれていて、フェイトは少し緊張した。
じっとこちらを見ていた龍野の視線が動く。
「ならいい」
納得した様子はない。
興味を失ったというより敢えて深く聞かないという雰囲気が出ていた。
フェイトが話さないだろうことを分かっているのだろう。
いや、話せない事をと言った方が正しい。
その姿勢にフェイトは助けられる。
気になる事を聞かないのはストレスが溜まる。
なのははあの通り“お話”する人だし、アリサも隠し事をされていると怒るときがある。
フェイト自身そっとしておいた方が良いと分かっていながら聞いてしまう。
幸い周囲の人たちは優しい人ばかりなので問題になった事はない。
龍野に一番近い友人を上げるとしたらはやてだろうか。
「たつのは――」
フェイトの言葉に龍野が顔を向ける。
日本人らしい黒の髪が揺れた。
今までフェイトの周りには余り無かった色である。
髪の隙間から覗く瞳も吸い込まれそうな黒で、それでも温かい。
―優しいよね。
だが言葉に出す事はせず、自分の中にだけ留めた。
それは以前親友のなのはがした動作と全く同じなのだが、フェイトがそれを知る由もない。
親友に相応しいシンクロ具合であった。
「ううん、何でもない」
何気ない動作が嬉しくて、フェイトは微笑む。
声を掛ければ返事をしてくれる。呼べば振り向いてくれる。
当たり前の事だが、龍野が目を覚ますまでできなかった事だ。
―彼女の事をきちんと知りたい。
―彼女と同じ時間を過ごしてみたい。
―そして、いつか自分を助けてくれた理由を聞きたい。
そう思う。考えてみれば魔法の関係しない絆は初めてだ。
新たな気持ち、たぶんなのははこれを“友達になりたい”と言うのだろう。
初めて自分の中に沸いた感情を定義付ける。
少し違う気もしたが、人間関係に、感情に疎いフェイトには同じ事だった。
第五話 end
感想・誤字報告・指摘、感謝する。
フェイトフラグ前哨戦。
とりあえずこんな感じでどうだろう。
フェイトのターンと言いながらなのはが出て来るのは仕方ない。原作主人公補正だ。
この方向性でいいはず、と信じる。
では。