高町なのはは忙しい。
エースオブエースという称号からしても仕方ない事である。
そんな彼女が子供を引き取った。
どうしても仕事に行かなければならない場面は出てくる。
したがって、こうなることもある意味必然であった。
後藤 龍野、保母さんは肌にあいません。
それでも幼馴染の面倒くらい見ます……ここまできたら。
余生におけるある世界との付き合い方 StS 第七話
基本的にヴィヴィオはなのはと行動を共にする。
なのはがいない時はフェイトが世話をする。
――ここで問題が生じる。
なのはが多忙ということは最早言うまでも無い。
フェイトも執務官という職務に就いている。
こちらも負けず劣らず、下手するとなのはよりも忙しい職である。
つまり、二人ともいない、という事態が頻発するのである。
「ごめんね、龍野ちゃん」
「いい」
まさに今がその時だった。
フェイトは違う世界に出張中であり、なのはは六課の教導がある。
申し訳なさそうに眉を寄せる幼馴染に龍野は溜息を飲み込んで頷いた。
片手には久しく感じたことのない感覚――ヴィヴィオの温もりがあった。
自分より小さい子供の面倒を見ることは、どこか懐かしく不思議なものであった。
「ヴィヴィオ、すぐに戻ってくるから、待っててね」
「……うん」
俯く顔は言葉と全く違う表情をしていた。
龍野は小さく肩を竦める。この分では十分と持ちそうになかったからだ。
なのはを見るとどうしたらいいのかわからないという表情だ。
余り小さいこの相手などしたことがないから仕方ない。
「なのはママは優秀だから大丈夫」
ヴィヴィオと視線を合わし、あやすように言葉を紡ぐ。
膝に手を当て屈むという行為自体久しぶりで龍野は少し懐かしくなる。
孤児院である程度の子供の世話をしていたとはいえ、この世界では初めての経験だった。
なのはも微かに驚いた顔で龍野を見ていた。
「ほんと?」
「本当。すぐ帰ってこなかったら、私が怒ってあげる」
大きな瞳に涙を溜め始めたヴィヴィオに確りと頷く。
子供は大人の感情に敏感だ。
本当か分からない事でも、本当だと思って頷かなければ納得させられない。
理不尽ともいえる龍野の言葉になのはが苦笑した。
――怒られるのが嫌なら、さっさと戻る事。
視線だけでも、そう言えばなのははこくりと頷いた。
こういう意思疎通ができる辺り、幼なじみというのを感じる。
「だめ。なのはママを怒っちゃ、ヤ」
ヴィヴィオはぎゅっと手にしていたぬいぐるみを抱きしめる。
真剣な顔は小さいながらも自分の母親を守ろうとしていた。
その姿が微笑ましくて、龍野は少しだけ頬を緩めた。
「じゃ、怒らない。だから一緒に待ってようね?」
「うん」
かなりしぶしぶの返事だった。
なのはが怒られるのは嫌だが、待つのも嫌。
そういう素直な感情が滲んでいる。
しぶしぶでも返事は返事だ。
なのはは少しだけほっとした顔をした。
子供を待たせるという行為が自分と重なって嫌なのだろう。
なのはは待つということを幼少時に嫌というほど味わっているのだから。
そんな幼なじみを安心させるためにも、龍野は大丈夫だからとなのはの背中を押した。
「龍野ちゃん。お願いね」
「分かった」
時間が近づいてきたのだろうなのはがちらりと時計を確認した。
龍野に向ける顔は申し訳なさに染まっている。気にするなと微笑んで答える。
するとなのは幾分かマシな顔になって、仕事へと足を向ける。
きゅっと握られた手からはヴィヴィオの不安が伝わってきた。
それを打ち消すように、ぽんぽんと頭を撫でる。
去っていく後姿はあっという間に無機質な扉に阻まれれた。
さて、どうしようかと龍野はとりあえずヴィヴィオを見た。
こういう時には本人に何がしたいかを聞いてしまうのが一番だ。
「なのはママ、お仕事に行っちゃった……」
「そうだね」
肯定と同時くらいにヴィヴィオの瞳に再び涙が浮かび始める。
小さく胸の中で溜息。何ともなのはらしい去り方だと龍野は思う。
まだ慣れてないせいもあるだろう。それにしても素っ気無い出て行き方だ。
最後にちょっと微笑むだけでもかなり違うだろうに。
変なところで不器用な幼なじみに龍野は苦笑した。
「色々あるけどヴィヴィオは何がしたい?」
幼なじみのフォローのためにも、ヴィヴィオが泣く前に素早く抱きかかえる。
イメージはよくフェイトがしていた抱き方だ。
念動で動かしている左手には負荷が大きいがこの際、目を瞑る。
子供と遊ぶには最初が肝心なのだ。
「ふわぁっ」
慣れない浮遊感に声を零すヴィヴィオ。
幼い反応に龍野は気分を良くする。
やはり無邪気な反応ほど心を安らかにしてくれるものはない。
「たかい」
「ん? フェイトもしてくれるでしょ?」
フェイトと龍野の身長は大体同じくらいだ。
子煩悩な彼女だったら、たぶん同じ事をしているはずだろう。
「んーん。初めて」
「そっか」
記憶の中じゃ結構頻繁にしていた気がする。
龍野は首を傾げるも、まぁいいかと流す事にした。
ヴィヴィオの初めてをもらったと聞いたらきっと羨ましがる。
少し涙目のフェイトの顔が浮かんで、龍野は面白くなった。
「ヴィヴィオは高いの苦手?」
怖くないように安定させて、それでいてしっかりと目を見つめて尋ねる。
色の異なる綺麗な瞳に自分が映っていて不思議な感覚だった。
腕から伝わるのも自分とは違う高い体温でありまるで湯たんぽを抱いているかのようだ。
「ううん。へいき」
きゅっと服を掴まれる。
少し強がりなのも、可愛らしい。
人見知りの気は強そうだが素直な性格の分、仲良くなるまでには時間がかからなそうだ。
「それじゃ、しばらくこうやって周り見ようか」
「うん!」
なのはが居なくなってから一番元気の良い返事だった。
自然と龍野の顔も綻んでいた。
++
お絵かきをして、絵本を読んで、話をして。
とりあえず二人で遊べる事はほとんどしてみた。
すると流石に眠くなってきたのか、ヴィヴィオの頭が船をこぎ始める。
「そろそろ寝よっか?」
「やだ、まだ起きてりゅ」
既に呂律が回っていない。
龍野は苦笑しつつ、その身体をそっと支えた。
ふらふらしている体は小さい分危なっかしい。
「まだ寝たくないの?」
「ママがくりゅまで、待ってる」
もう半分閉じているかのような瞳でヴィヴィオが答える。
意識も夢の中に片足を突っ込んでいるような雰囲気だ。
それでもなのはを待っている姿に子供の意地を見た。
「なのはに早く会いたいの?」
「うん」
素直に頷く。
――自分にもこんな時があったのだろうか。
そう考えて、すぐに打ち消した。
少なくともこんなに素直に両親を求められたことは記憶にない。
それは前世の記憶のせいだったり、またあの事故のせいでもある。
「そっか。じゃ、一緒に待ってようか」
「いいの?」
龍野が許すとヴィヴィオは不思議そうな顔で見上げてきた。
くりくりとした瞳が龍野を見る。小さい頃のなのはを何故か思い出した。
出会った頃のなのはもよくこうやって自分を見上げてきた。
その瞳はいつも真っ直ぐで、そう思うと三つ子の魂百までというのはあながち間違いじゃないだろう。
「いいよ。でも疲れちゃうからこっちに寄りかかってね?」
くすりと小さな笑みが漏れた。
子は親の鏡というけれど、似てくるにしては早すぎる。
でも、なのはとヴィヴィオの仲の良さが表れている気がして龍野は嬉しかった。
今までは隣に座るような形でいたが、これではヴィヴィオが寝てしまった時に転んでしまう。
その小さい体をひょいと抱き上げて自分の足と足の間に座らせる。
これだったら太ももで横に崩れるのは支えられるし、後ろに寄りかからせればそのまま寝てもらってもいい。
「ありがと、たちゅの」
「どういたしまして」
呼ばれた名前はまるでフェイトみたいで、二人の娘になることがもう予想できて。
龍野は珍しく声を出して笑い出したい気分に襲われた。
今、二人が揃って目の前に来たら噴出す自信が有る。
「ママ、まだかなー……」
「もう少しだよ」
時計を見ればなのはから言われた時間まで三十分程度だ。
龍野にとっては少しだが、幼いヴィヴィオにしてみれば長いだろう。
「うー、たつの。なんか、お話して」
眠そうに瞼を擦るヴィヴィオ。
このままでは寝てしまうと思ったのか、龍野にそうせがむ。
ゆっくりと動く体をタツノは軽く抱きとめた。
「なんのお話がいい?」
「ママの話」
即答だった。
なのはの話は大なり小なりたくさんある。
話に困ることはないが、ヴィヴィオに話すには選択を迷う。
「ヴィヴィオは本当になのはが好きだね」
「うん! 大好き」
キラキラした笑顔を崩すような話はできない。
かと言って戦闘面の強さの話をして、将来に影響を与えても困る。
うーん、と少し悩んだふりをして龍野は口を開いた。
「そんななのは大好きなヴィヴィオには、なのはの小さい頃の話をしてあげる」
「小さいころ?」
「そう、ヴィヴィオと同じくらいのときの話だね」
きょとんと首を傾げるヴィヴィオの頭を撫でながら話す。
腕の中にある顔がキラキラした瞳で龍野を見た。
「聞きたい!」
「じゃあ、まず、なのはと――」
ゆっくり、ゆっくり自分に出来る最大限のわかりやすい言葉を選んで話し出す。
なのはと出会った頃から、どうやって仲良くなったのか、どんな喧嘩をしたか。
自分の記憶を遡るように話した。
「あれ、寝ちゃったか」
いつの間にかヴィヴィオは寝ていた。
これを狙っていたのだけれど、実際途中で寝られると微妙な気持ちになる。
――まぁ、子供にそんなことを言ってもしょうがない。
近くに置いてあった毛布を手繰り寄せ、ヴィヴィオと自分にかける。
時計を見れば予定の時間はもう過ぎていた。
「ごめん、龍野ちゃん。遅くなっちゃった」
噂をすれば影ではないが、なのはがタイミングよく帰ってくる。
慌てた様子で入ってくる幼馴染に龍野はしーっと人差し指を立てた。
ヴィヴィオが寝ているのに気づくと忍び足で近寄り、そっと顔を覗き込む。
「よく寝てる。ごめんね、この体勢つらいでしょ?」
「んー、別に大丈夫」
ヴィヴィオは軽いし、さほど長い時間だったわけでもない。
久しぶりに子供をみるとあって、気疲れの方が大きい気がした。
「でも意外だな。龍野ちゃん、子供に好かれるんだね」
「いや、好かれるわけではないと思うけど」
ヴィヴィオも最初は警戒していたし、どちらかといえば「なのはの友達」といったのが効いた気がする。
ヴィヴィオが好きななのはの友達だから受け入れてもらえたようなものだ。
あとは悪戦苦闘としか言い様がない。
「そうなの?でも良く似合ってるよ」
「……ありがと」
自分の腕の中で眠るヴィヴィオの顔は緩んでいて、まさに幼子の顔だった。
むにゃむにゃ動く口も、軽く握られる服も可愛らしい。
ふと見てみればなのはも似たような顔をしており、思うことは一緒だということだ。
「ずっと」
ぼろっと言葉が溢れた。
それはいつもの明るいものではなく、噛み締めるような声だった。
「うん?」
「――ずっと、こうやって暮らせたらいいのにね」
「そう、だね」
泣きそうな声に聞こえた。
だけど、なんで泣きそうなのか龍野にはわからない。
わからないから、なのはが泣きそうなのだが。
それでも龍野自身もこういう安寧の時を過ごせるのであれば、絶対そっちの方がいいと思えるのだった。
第七話 end
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