アラートが鳴りっ放しの人生。
だが一時期余り感じなくなる時があった。
なのはが無理をして撃墜される、という記憶が近くなる時期。
それはつまりなのはの死が近くなったときである。
後藤 龍野、11歳。
相変わらずアラートの意味がないです。
余生におけるある世界との付き合い方 ~何でもないある日の話~
ノートを細い芯が引っかく音が聞こえる。
目の前でなのはが勉強をしているからだ。場所は後藤家、誰もいない分勉強には打って付けだ。
仕事が忙しい-勿論龍野に対しては習い事が忙しいとカモフラージュされている-なのはは以前から苦手だった文系が更に苦手になってしまい、龍野がその面倒を見る回数は増えた。
仕事であってもきちんと終わらそうとする心意気を見せられては手伝わない訳にはいかない。
そして側にいる時間が増えた所で龍野はある事に気付いた。
「なのは」
少し眉間に皺を寄せて問題と睨めっこする姿に声を掛ける。
あーとかうーとか声を漏らしながら頑張る姿は微笑ましい。
その手を止めさせる事に抵抗が無いわけではなかった。
頑張っているものを手伝えない-この場合魔法関係だが-ならばせめて他の事を邪魔しないのが筋だろう。
そう分かっていても龍野は能力が発する警報を無視できない。
初めて、薄くなるアラートは逆に不吉さしか感じさせなかった。
「なぁに、龍野ちゃん」
なのはが顔を上げる。
声は少し眠そうで、表情はだるそうだ。
放課後の稼働率から考えてまともな休みは取っていないに違いない。
―なんで、そんな焦るかな。
元自衛官として休みの重要性は身に沁みている。
寝不足では訓練で求められたラインまで達せ無いこともあるのだ。
だがなのははそれを知らない。小学生が突然働き出したのだ、当たり前とも言える。
人間が一番効率的に働けるルーチンを破綻させているも甚だしい。
「この頃妙に疲れてない?」
「そんなことないの」
焦った声で告げられる言葉は何も知らない人から見てもたぶん何かあると分かるほどで。
自覚の無さに溜息を吐く。普通に出来ているなど嘘だ。
明らかな無理が体に溜まってきているのが分かる。
授業中もうつらうつらしているのを龍野は何回か見ていた。
「ほら、ここ間違えてる」
認めないなのはに目を通していた問題を見せる。
勉強形式はなのはが解いて、龍野がそれに目を通すというシンプルなものだ。
今まで間違いはその都度直していたのだが、この頃は多すぎて一つが終わってからまとめてすることになった。
指先で示したのは相も変わらず苦手な記述問題。
普通、ある程度の問題量をこなせば形式的にどう答えればいいか分かりそうなものである。
ただでさえ聖祥大付属は私立の学校だ。
問題量は公立に比べて様々なものが多く揃えられている。
「ふぇっ?!」
「いつもより多い、むしろこの頃多い」
龍野がじとりとした目で見るとなのは視線を逸らした。
嘘がつけない子だなと思う。
「にゃははは……」
低めの誤魔化し笑い。
突っ込んで聞く気も無ければ、聞く必要もない。
知っているというのはこういう時本当に便利なものだと思う。
―しょうがない。
はぁと大きな呆れを口から出して問題集を閉じる。
なのはは困ったように笑っていたが、今彼女に要るのは勉強ではない。
「ちょっと、こっち」
「え、あ、龍野ちゃん?」
手を引いて場所を変える。
なのはに勉強を教えていた机から、側にあるベッドへと移動する。
ベッドへと座って貰い肩を揉むように手を置く。
予想は付いている。疲労による集中力散漫がなのはのミスの原因だ。
掌に意識を集中する。龍野が少女から貰った能力は二つ。
一つが鳴りっ放しで余り役に立たないアラート。
もう一つが回復能力の向上。
達信は丈夫な体にしてくれといったのだが、回復能力も付加されている。
それもこれも内気功によるものだったらしく気づいた時は酷く驚いた。
つまり内部に気を巡らす事で物理的に身体を丈夫にさせ、身体を活性化させることで治癒のスピードを速める。
そういう普通なら仙人級の達人しか出来ない技なのだ。
―幾らリンカーコアないっていってもなぁ……。
あの少女の凄さに苦笑する。魔法の対極に位置するような能力だ。
武術を一通り齧った身としては出鱈目具合がいっそ清々しい。
前世なら習得しようとさえしなかった能力だ。むしろできない。
「やっぱり、身体凝ってる」
「そ、そうかな?」
「うん」
少し体に気を流して循環を確かめる。
これは気功が使えることに気付いた時点で練習した成果だ。
自分に流すのとは勝手が違うから習得まで二、三年かかった。
なのはの背後にいるのを良いことに思い切り顔を顰める。
予想しないわけではなかったが良くない。
全体的に循環が滞っているし、疲労も溜まっている。
集中なんてできるはずもないとなのはの体の様子に呆れる。
「ちょっと弄っていい?」
「あ、うん。龍野ちゃんマッサージ上手いもんね」
背後から覗き込むようにしてなのはに確認を取る。
頬にあたるツインテールが少しくすぐったい。
掌から伝わってくるのはただ温もりだけで、今更ながら龍野はこの温かさを無くしたくないと思う。
龍野に成ってから結んだ絆は命の危険性が伴うものだ。
それでも手放せないと感じているらしい自分は少し変わったのだろう。
危険には一切近づかないつもりだった。なのはの世界だと判ってからは更に強く思った。
だが大切なものができてしまっては別だ。
友達のために出来る限りを尽くさないのは龍野にとって有り得ない。
「必要だったから」
回復の能力に気付く前、なのはの撃墜について悩んだ事がある。
直接的に助けられる能力はないし、目的なわけでもない。
何より自分は魔法に関わらないというスタンスを取っているのだから現場にいれるはずもない。
戦闘能力が皆無、むしろ危険なことに関わりたくない龍野はどうすればなのはの未来に関与できるか考えた。
朧気な記憶を掘り下げて、なのはの因果関係を考察する。
確か詳しく書かれている訳ではないが蓄積された疲労が原因だったはずだ。
その結果、疲労をなるべく取るという消極的な案が採用されたわけだ。
案を実行する為に身につけたのがマッサージである。
前世の記憶にも疲労の取り方はある程度知識としてあったので活用した。
もっとも能力に気付いた瞬間に無駄足だったかとも思ったが、日常的に便利なので後悔していない。
「痛かったら言って」
「うん」
ベッドにうつ伏せに寝かせる。
これからしようとしている事がどれだけの効果があるかは分からない。
――疲労で墜ちるなら疲労を取れば良い。
そんな安直な作戦が上手くいくかも分からない。
人にこの力を使ってどれだけ回復するかもデータがない。
一つ判っていることはした方がマシだろうという事だけで、それだけで龍野にとっては充分だった。
背筋に沿って手を這わす。
筋肉の凝り具合の確認をして、全体的に解すことを考える。
余りしすぎると揉み返しになるのを可能性として頭に入れ微弱に力を込める。
これだけなら何度かした事がある。
マッサージを習得する際になのはに手伝ってもらったからだ。
だが気を流し込むのは初めての経験で、流石に少し怖い。
「にゃっ」
「なのは?痛かった?」
ぴくりと跳ねた肩に一度手を止めてなのはを見る。
背後から見下ろすと僅かに頬を染めた顔がこちらを向いた。
―かわいい。
そんな事を瞬間的に思う。
なのはは顔だけ見れば間違いなく可憐な可愛い少女である。
頑固な所や少し無鉄砲な性格のせいで“悪魔”などと言われるが今は関係ない。
純粋に、混じり気なく、なのはは可愛かった。まるで“天使”のように。
「ううん、大丈夫……」
小さく頷いたのを確認して動作を続ける。
痛くないように慎重に身体を解し、滞っている流れを良くする。
上手くいけば今体にある疲労は減る。
暫くは代謝が活性化しているはずだから疲れにくく、溜まりづらい。
これは龍野が身をもって経験している。
何時なのはの運命のときが訪れるか分からないが、しないよりは余程良いだろう。
「ぅ、ひゃ…ぁ…ん…」
部位を変え、強弱を変え、探り探り進める。
気持ちよいのは間違いないらしく、なのはの声に苦痛は入っていない。
だが、それはそれで問題だった。
―声が恥ずかしいです。
心の中で思わず呟く。気を巡らすのは初めてのなのはにはくすぐったいのだろう。
龍野も意識してこの能力を使うと体がポカポカして来て心地よくなる。
小学生相手に何を意識しているのかとも思うが、聴覚と視覚は別だ。
視覚が子供であると訴えても声がそういう響きとして認識する。
曲りなりとも三十近くまで一度生きた男だ。
そういう経験は多くはないが皆無というわけでもない。
経験が無いといったら、同僚に生暖かい目で見られること必至である。
男ばかりの職場だからそういう話も中々にフランクだ。
「龍野ちゃん、なんか……ぽかぽか、してきたよ」
目元がとろんとして来て口調が幼くなる。
睡魔がなのはを襲っているのは誰の目から見ても明らかだった。
「うん、効いてるってことだから良かった」
「そ、っか」
なのはの瞼が下ろされる。
幾ら精神が頑張っても、身体はまだ子供なのだ。
過負荷をかければ当然休息を欲する。
やがて穏やかな寝息が漏れてきて龍野は少し頬を緩めた。
関わらないと決めてはいるが友達が大怪我をするのは嬉しくない。
少しでも足しになればいいと思う。
“生き抜きたい”――それは事実だ。
だが人が死ぬ可能性を見過ごしてまでそう思えないのも事実なのだ。
達信で在った頃から中の性質は変わっていない。
結局、達信も龍野も他人を放っておけない人物なのだから。
****
風が頬を擽って髪の毛が顔を掠めていく。
温かい何かに包まれながらなのはの意識はゆっくりと浮上した。
「…んぅ……?」
まず見えたのは夕暮れの穏やかな光に染まる部屋だった。
暖かな色をした陽光が部屋に差し込んで、優しい色に染め上げる。
―何してたんだっけ?
起きたばかりの頭は上手く働かなくてなのはぼんやりと視線を動かした。
見えたのは人影。椅子に座って文庫本を読み進めている。
なのはが起きたのに気付いたのかその人影が顔を上げた。
「あ、起きた?」
耳を打ったのは落ち着いた声。
余り温度を感じさせない、それでも優しい話し方をする人になのはは心当たりがあった。
目を擦りぼやける視界に別れを告げようとするも中々睡魔は離れてくれなかった。
「……たつの、ちゃん?」
ゆっくりと名前を呼ぶ。
後藤龍野。なのはの小学生に入ってからの友達だ。
魔法のことは何も知らないが、それでも日常の一部を共にする大切な人。
文系がてんでダメななのはとは逆に文系が得意な友人だった。
「ぐっすり寝てた。やっぱり疲れてるんだよ」
「ごめんね、勉強教えてもらってたのに」
なのははばつが悪そうに俯く。
完全に自分のミスだった。教えてもらっていながら途中で寝るなど失礼すぎる。
―でも、龍野ちゃんのマッサージ気持ちよすぎるの。
そんな風に言い訳じみた考えが過ぎる。
パタンと文庫本を閉めて龍野がイスから立ち上がる。
まだ完全に覚めない瞳がぼんやりと近づく影を追った。
ベッドの上に上半身を起こした状態だと僅かに見上げるような視線になる。
そっと龍野の手が伸びてきて触れられる。温かい体温が何となく嬉しくなって、頬をこすり付けた。
「別に、いつでも教えられる」
少し吃驚顔をした龍野だがすぐに微笑んでくれた。
それが嬉しくてなのはは更に甘えるように身体を寄せる。
寝ぼけているせいだと誰にと言わず理由を決めた。
「そっか、そうだね。ありがとう」
龍野はずっとここにいる。
魔法に関わらないことは危険がそれだけ少ないということで、それはとても嬉しいことだ。
いつの間にかいなくなっているとか、明日にはいないとかそんなことはないのだ。
フェイトやはやてともずっと一緒にいたいと思っている。
それでも仕事をしているから一応の覚悟はしている。
離れる覚悟を、離さない覚悟を。
何時崩れるか分からない日常の貴重さを噛み締めながら働いている。
「気にしないくていい」
「龍野ちゃんってさ」
いつも変わらない素っ気無い言葉に笑う。
―ほんと、優しいよね。
心の中で止めたものを付け加える。何となく言うのはもったいない気がした。
言ったら龍野は否定するに決まっているから、なのはが龍野は優しいことを決めておくのだ。
「何?」
「ううん、何でもない!」
「そう」
先を促す言葉に首を振る。
不思議そうにこちらを見る顔が可愛くてなのはの頬は更に緩んだ。
大事なものがある。魔法を知ってから、出来た絆だ。
そしてもう一つ。何も知らない、それでも変わらないこの絆だ。
だからなのはは頑張れる。
「にゃははっ」
楽しくなってなのはは笑った。
何だか久しぶりに幸せなことに気付いた気がした。
ぽかぽか温かい身体のおかげかもしれない。
この日、なのはは夢も見ないほどぐっすりと眠る事が出来た。
この後、なのはは原作通り墜ちる。
だが傷は達信が知っていたものより非常に軽かった。
歩けなくなるわけでもなく、リハビリが必要なほどでもなかった。
重症と言われる怪我であっても致命的なものではない。
それを知った龍野は防げなくても少しは良くなった未来に希望を見る。
―願わくば、少しでも普通の生を。
なのはにも、自分自身にもくれたりはしないだろうか。
そんな事を会えないのが一番である少女に龍野は思った。
~何でもないある日の話~ end
感想・誤字報告感謝する。
お試し幕間というより過去話。
普通に書いていたら暫く出てこなそうだった能力を出してみる。
なのはフラグばかりで、フェイトフラグがでてこない。
おかしい、こんなはずじゃなかったのだが。
フェイト好きの諸君は暫く待ってくれると嬉しい。
必ずフェイトフラグを立たせてみせる。
では。