「ふ、やぁ…た、つの…ちゃん…」
「少し我慢」
中から聞こえた声に足を止める。なのはと龍野だ。
常には聞かないトーンとはいえ親友の声を間違えるわけがない。
フェイトは中に入る機会を完璧に失ってしまった。
後藤 龍野、夏休み中。
この際徹底的にやってます。
余生におけるある世界との付き合い方 ~真夏の大決戦!…なの?~ 前編
部屋の中ではなのはがベッドにうつ伏せになっていた。
その背中に乗るのは龍野で、手には道具を持っている。
行われているのは卑猥な情事――では当然なくて、いつものマッサージである。
「やぁ、うんっ…ぁ…」
なのはの背中を揉む。
この間、応急措置はしたが改善はされていない。
夏休みという期間を使って思い切りなのはの疲れをとってしまおうと龍野は考えた。
―止めろとは言えないしな。
なのはが自分で選んだ仕事である。
危険だから止めろなんていうのは職業に対しても、その人に対しても侮辱に値する。
龍野も達信もそう考えている。
「気持ちよくなってきた?」
左手が使えなくなった代わりに、マッサージ器-と言ってもコの字に折れ曲がった棒だ-を使っている。
無機物に気を流しながら使うのはなかなか骨が折れた。
だが使えない左手に文句を言っても仕方ない。
龍野はフェイトがいない日中にこっそりと練習していたのだ。
「う、でも……」
「でも?」
なのはの声は大分楽そうになっていた。
最初凝っていた筋肉が大方解れたからだろう。
棒から伝わる反発は柔らかさを増してきている。
同時に流している気も巡り始めたようだ。
枕に顔を埋めて痛みを我慢していたなのはが顔を上げる。
僅かに染まった頬は少し色っぽい。
段々大人になってきているなぁと龍野は人事のように思った。
「んゆぅ、にゃ…たつ、の…ちゃぁん」
少しくらい痛くても手は止めない。なのはの体は限界だ。
今まで騙し騙し回復させてきたがそろそろ大きく時間を割いてもいいだろう。
龍野となのはたちは最早事故によって固く結ばれてしまった。
自分からは手を出さなかった今までとは違い、ある程度は思い切りできる。
だがミッドチルダに関わるようなことは変わらず避けさせて貰おう。
そう思う龍野に開き直りが入っていないと言ったら嘘になる。
「これ、やだぁ」
枕に半分顔を隠して、なのはが訴える。
起きあがれないのは背中に龍野が乗っているせいでもある。
涙目になるくらいなら転ばしてでも起きればいいのにと思う。
左手が動かなくなったから気を遣っているのだろうかとも考えるが、なのはは前からこんな感じだ。
相変わらず優しい幼なじみに龍野は首を傾げてみせた。
「何が?」
「何がって、その…棒っ…ぅ…だよ」
ああ、と納得する。
今までなのはの体を解す時は龍野の手しか使ったことはない。
良くあるツボ押し器などではまだ幼い体には厳しかったからである。
無機物で押される感覚になのはは慣れていないのだ。
「でも私左手動かないし」
マッサージは左右対称が基本である。
特に背中などの広範な部位を押すときは、同時に揉むことで硬さの違いなどもわかる。
今までの龍野のマッサージもその原則に則り両手で同時に揉んでいた。
だがそこで問題になるのが左腕である。
片手が動かないのでは同時に揉むなどできるわけもない。
「それでも、いいから。龍野ちゃんの…手が良い、のっ」
なのはの瞳に少し涙が浮かぶ。余程痛くて嫌なのだろう。
そんなに可愛く求められては応えないわけにはいかない。
―もうちょっとしたい気もするけど。
嗜虐心からそう思うも本当に泣かれたら堪らない。
龍野はなのはの体からマッサージ器を離す。
「しょうがないなぁ」
じっと睨んで来る瞳に負けた。
なのはが嫌がる棒を側に置いて龍野はそっとなのはの背中に手を当てた。
少しバランスをとる事が難しいが我慢する。
動く右手に体重をかけ、力を入れる。
やはり気を流すのはこのやり方の方が数倍楽だった。
「ふ、ぁあ……」
まるで温泉に浸かったときのような声が出た。
―やっぱり、こっちの方がいいの。
なのははそう思う。
何年か前から定期的に施される龍野のマッサージ。
何故か龍野には疲れが溜まるとバレてしまう。
今回だってそこまで無理をしたわけではないのだが、龍野のセンサーには引っかかってしまったようだ。
柔らかい手に暖かい体温-体温ではなく気なのだが-が心地よくてなのはは頬を緩める。
「た、つのちゃぁん」
「うん、いいよ」
襲ってきた眠気に口が回らなくなる。
癖のように龍野にこうされると眠くなってしまうのだ。
優しい声が嬉しくて、暖かい手が心地よくて、なのはは幸せな気分で目を閉じた。
****
「ふー」
大きく息を吐いて部屋を出る。
片手でやるマッサージは思っていたより難しい。
こういう時だけ不便だなと動かない左腕が恨めしくなる。
なのはは途中で寝たのでそのまま部屋に寝かせてきた。
こういう時でもなければ休まないので丁度良いだろう。
寝ているなら念動を使って両手で揉もうかとも思ったが、両手で揉むのと片手で揉むのでは明らかに感触が違うので諦めた。
起こしてしまっては元も子もない。
「たつの」
「あれ、フェイト」
部屋を出て居間に行く。
するとソファに妙にかしこまって座っているフェイトがいた。
来てたんだと尋ねれば赤い顔に頷かれて、具合が悪いのかと少し心配になる。
「うん」
小さく頷いて、そのまま俯く。
じっと下を向いて一点を見つめるしかできない。
どんな顔で龍野を見ればよいか分からなかった。
―なのはと何してたの?
そう訊くことはたやすいが、帰ってきた答えにどう反応すればよいかがフェイトには分からなかった。
「そっか、ごめん。気づかなくて」
「ううん、いいよ」
どこか沈んだ様子のフェイトに何かしてしまっただろうかと考えるも覚えがない。
待たせていたのは悪いとは思うが初めてのことではないし今更だろう。
だがとりあえず気づかなかったことに謝罪をする。
フェイトは小さく頭を振るだけで気にした様子はない。
これで龍野には完全に原因が分からなくなった。
「その…なのは、は?」
「なのは?部屋で寝てるよ」
ぼっと更にフェイトの顔が赤に染まる。
色白の分、赤が更に目立つ。その変化は良く見て取れた。
今の言葉の何処に頬を染める部分があったのか分からず龍野は首を傾げる。
「そ、そうなんだ」
「うん、疲れ溜まってたみたい」
なのはを見ていると人間が働ける限界について疑問を覚えるときがある。
治癒魔法などもあるようだが、それでも働きすぎは否めない。
―少し、注意するか。
毎回なのはの身体を見た後は思う事だが成果は出来ていない。
溜息を吐きそうになるのを堪えているとフェイトが赤い顔のままじっと龍野を見ていた。
寝ている、というに言葉に心配したのだろうか。
今日寝込んでしまったのはいつもより入念にマッサージをしたせいである。
それを言えば不安も解消されるだろうと思った。
「ちょっと多めにしたせいもある」
「多め?」
ぴくりとフェイトが肩を跳ねさせる。
見えた瞳は忙しなく泳いでいた。
―動揺するほど心配だったんだな。
もちろん、違うが龍野がフェイトの感情を読めるわけもない。
人より感情を読む事には長けているが前提となる情報がきちんとあった場合の話である。
龍野はそれ以上にかける言葉を持たない。素直にフェイトの声に頷いた。
「うん」
「そ、そっか」
再びフェイトの顔が下がる。
――本当に様子がおかしい。
いつもなら気になる事があっても、聞くなり何なりして直ぐに元に戻るのだ。
そう考えてピンと龍野の中に来るものがあった。マッサージである。
フェイトは龍野が降りてくるまで居間で待っていた。
大体そのまま龍野の部屋に訪ねてくる彼女の行動にしては珍しい。
ならばきっとフェイトはなのはがマッサージを受けているのを見て待っていたのだろう。
そしてなのはが受けているマッサージに興味が湧いたに違いない。なのはがしているのだ。
遠慮しがちなフェイトは普通に尋ねるのも躊躇する。
要望となれば更にということは言うまでもない。
「フェイトも?」
「ふぇっ?!」
マッサージをして欲しいなら言えばいい。
だがそれが言えないのがフェイトでもある。
この様子でなのはが起きるまで二人で過ごすのは辛い。
フェイトの動揺を解消するためにも龍野は言葉を紡いだ。
龍野の言葉にフェイトは勢い良く顔を上げた。
驚いている姿に推測を外したように感じるも仕方ない。
そのまま言葉を続ける。
「マッサージ、して欲しかったんじゃないの?」
「ま、っさーじ?」
「うん」
龍野の言葉がフェイトの中で咀嚼される。
マッサージ――身体を揉み解し、疲れを取る行為だ。
種類によってはとても痛いらしい。声が出てしまう事もあるだろう。
自分の知識から情報を引っ張り出す。
そして何となく、フェイトは状況を察した。
たぶん物凄く恥ずかしい勘違いをしていたようだ。
そっと下から龍野を伺う。
龍野の表情は変わらない。冷静にフェイトの様子を見ている。
龍野から言ってくれたのだから、頼んでも困ったりはしないだろう。
何よりなのはがあんなに気持ち良さそうだったから少し興味があった。
「……して貰おうかな」
静々とフェイトは口にした。
こちらを見る瞳に龍野は笑い返す。
そんなに遠慮する必要はないのだ。
龍野自身、彼女達の力になれることは嬉しいし、マッサージ自体も嫌いではない。
「痛いかもしれない」
「たつのなら、大丈夫」
信用されている事に苦笑する。
フェイトの隣に座り右手を出してもらう。
なのはのように全身をするにはスペースが足りない。
時間潰しのようなものだし、最初だからこれでいいだろう。
「そっか。痛かったら言って」
「わかった」
出来るだけ痛くないようにしよう、と龍野は思う。
なのはは今でこそ最初から気持ち良さそうだが、初めて行った時は痛そうだった。
小学生とは思えないほど凝っていたせいもあるのかもしれない。
だがその条件は仕事をしているフェイトにも当てはまるのだ。
ゆっくり、優しく龍野は力を込め始めた。
~真夏の大決戦!…なの?~ 前編 end
勢いでやった。後悔はしていない。自己満足だ。
しかも後編に続く。タイトルは気にしないでくれ。
修羅場を匂わせるのはきっと気のせいだ。
感想・誤字報告・指摘、感謝する。
見逃しているものが多々あったようで助かっている。
ミッド移住までは遠い道のりだが、頑張りたい。
暫くは平和?な百合を楽しんでくれたら嬉しい。
では。