無事、退院し学校に行く。
これで全ては元通りになる。
そんな事を思っていた自分は甘かったとしか言えない。
龍野は今の状況に頭を抱える。
―どうして、こうなった。
後藤 龍野、復学。
この頃フェイトが犬に見えます。
余生におけるある世界との付き合い方 第八話
キーンコーンカーンコーンと久しぶりに聞く鐘の音が響く。
授業が早めに終わった為、龍野はぼんやりとしていた。
一ヶ月と少しぶりに復帰した学校は代わり映えのしないものだ。
内容と高くなった気温くらいしか変化は見られない。
目の前で文字が消されていく黒板だって見慣れたものだった。
大きく息を吐く。
まだ慣れていないせいで体が凝るなんてことは有り難い能力のおかげで感じない。
むしろ感じるとしたら気疲れの方だった。
「アンタも随分懐かれたわね」
目の前から落ちてきた声に顔を上げる。
何時の間にかアリサが側にいた。
以前だったら考えられないことだ。
それが入院中に接した時間によるものだということは考えるまでもない。
「言わないで欲しい」
アリサの言葉に軽く首を振る。
窓際に近い席からは青い空がよく見える。
真夏の日差しが龍野の席ギリギリまで差し込んでいた。
照りつける陽光は容赦なく龍野の体力を奪っていく。
伝った汗を拭おうとすれば隣からハンカチが差し出された。
―こういう女の子らしい気遣いは未だに苦手だ。
女の子に生まれた事に違和感がなくても、服装に嫌悪感がなくても、ふとした時にやはり女ではない自分を知る。
他に苦手なのは女らしい身の振り方-特にアリサやすずかなどのお嬢様という人種から見ると-は見ていられないらしい。
だが勉強しよう等とは生まれてから一度も思ったことはない。
炊事、洗濯、掃除は寮生活をしていた身だ。一通りできる。
そしてそれらができれば生活に問題はない。
とりあえず、問題が出てくるまで龍野はそう考えることにしている。
そんな事を思うのも現実逃避に過ぎないのは龍野が一番よく分かっていた。
ハンカチは”隣から”差し出されたのだ。
目の前で話しているアリサではない。
一番大きな変化で、また気疲れの原因とも言える。
少し顔を動かし左隣を見る。
心配そうな顔をした金の少女がそこにいた。
「たつの、大丈夫?」
龍野の左側、つまり最も窓際にフェイトの席はあった。
辛うじて日の当たらない龍野の席とは違い、完璧に熱気に包まれている。
場所的には龍野より余程暑いはずなのにフェイトの顔からそれを読みとることはできない。
彼女が僅かに顔を動かせばそれに同調して髪の毛が揺れた。
汗の欠片も見えない軽やかで艶やかな動きだった。
「うん、平気」
軽く頷く。
龍野の隣には何故かフェイトがいた。
何故か、など言わなくても良いかもしれない。
理由を聞けば“たつのの手伝いをする為”と返ってくるに違いないのだ。
聞くだけ無駄という奴である。
復学して一つだけハッキリ変わったことがある。席順である。
学期に一度くらいは変更があるのだからおかしくはない。
龍野の左隣にフェイトが来ていること以外は何も。
―誰も何も言わなかったのか?
そう考えるもお人好しの固まりのような学校だ。
私立で恵まれた生活環境の人ばかりいるから、擦れていないとも言える。
フェイトが龍野のためにと言って反対するはずがない。
「あんま無理しちゃだめだよ」
「フェイトに言われたくない」
フェイトは龍野の側にいる事が劇的に増えた。
任務に向かう回数はかなり減っただろう。これだけは龍野も喜んでいる。
だが未だに少ないとは言えない。フェイトが無理しているのは明白だった。
「流石にこのくらいで倒れはしないでしょ」
「でもたつの、病み上がりだし」
「病み上がりとかいう玉じゃないと思うけど」
相変わらずの過保護さを見せるフェイトにアリサが呆れた顔をする。
退院後、アリサは最も普通に接してくれる人物の一人だ。
フェイトは目の前の通りだし、なのはだって似たようなものだ。
しかもなのはの場合任務の回数はさほど減っていない様に思えるから更に質が悪い。
「体力戻ってないから、無理しないようにって」
「あー、そうなの」
フェイトが主治医に言われた言葉を反復している。
―全く、あの医者は余計な事しか言わない。
体力が戻っていないのは事実だが急に倒れるわけでもない。
元々外傷ばかりなのだから当然だ。
それなのにフェイトはそのままの意味で言葉を受け取ったらしく-そうなる事が分かって言った気もする-この状態だ。
退院と同時に過保護もよくなるかと思ったのだが、その目論見は完璧に外れた。
小さく息を吐く。
アリサは同情するように龍野のことを見ていた。
龍野はその視線に瞳だけで感謝を返すと、いい加減この話を切り上げるために次に予定を言う。
「フェイト、次体育」
「わかってるよ。ちょっと待ってて」
龍野の言葉にフェイトが席を離れる。
少し小走りの姿は忠犬が飼い主の言う事を素直に聞く姿に似ていた。
ちなみにフェイトが“ちょっと待ってて”と言ったのは龍野の体育着も持ってきてくれるからだ。
流石にそこまで面倒になるわけにはいかない、と言うよりできるのでその旨を伝えたのだが無駄だった。
最初は抵抗したのだが、なのはと二人で攻め寄られ龍野が折れた。
視線を交互に走らせる。
アリサはフェイトの様子を見つめた後、再び龍野に言った。
現状を最も的確に表している言葉には少しからかいも含まれていた。
「ほんと、随分懐かれたわね」
フェイトがロッカーから二人分の体育着を持って戻ってくる。
龍野はその背後に嬉しそうに尻尾を振る犬を幻視した。
フェイト自身の容姿としては猫なのだが、性格は完璧に犬である。
どうでも良いことだが、なのははあれで中々猫のような性格をしている。
強情な所とかそっくりだ。
「……言わないで」
力が抜ける。
本当に、何故こうなったのか分からない。
机に項垂れた様に突っ伏す龍野にフェイトはまた心配そうに声を掛けるのだった。
****
今日の体育はバレーボールである。
この暑い日にプールでいいではないかとも思うが、変更授業で運悪く日程が重なったらしい。
元々龍野たち生徒に授業内容を選べるわけでもなく素直にバレーに勤しんでいる。
勿論龍野は見学である。水泳なら片手でも何とかなるが球技はどうしようもない。
「えっと、わたしも…」
「駄目、参加する」
そうなるとうるさいのがフェイトだ。
龍野が休むなら、と己も休む覚悟である。
当然、そんなことが認められるはずが無い。
もし周りが許したとしても龍野自身が許さない。
龍野はフェイトの生活を障害したいわけではないのだ。
「フェイトちゃん、流石にそれはあかんで」
「そうよ。アンタ一人でどんだけチームバランスが変わると思ってるわけ」
体育は二クラス合同で、クラス内で5チームはできる。
この場合問題になるのは当然戦力差であり、運動神経抜群のフェイトともなれば引く手あまただ。
体育の時ばかりは、なのはたち五人は綺麗に分かれることが多い。
「でもたつのが」
「平気。見学ぐらい一人でできる」
ちらりとこちらを見るフェイトに参加するように促す。
幾ら何でも見学である。龍野が片手で不自由を感じることはない。
日常生活もできないわけではないのだ。
はやてやアリサから何とかしてくれという視線が来る。
龍野はこの頃良く感じるその手の訴えに言葉を変えた。
フェイトには大丈夫などという言葉は幾ら紡いでも無駄なのである。
それよりも龍野の希望として言った方がそれを叶えようと頑張ってくれるのを学んだ。
つまり、扱い方が分かった。
「それにフェイトが頑張ってる姿を見たい」
言い慣れない言葉だ。
人に何かを要求することに龍野は慣れていない。
しかし効果は抜群だ。
「たつのがそう言うなら、たつのの分まで頑張るね」
フェイトは龍野の言葉に笑顔を浮かべる。
傍で聞いていたら恥ずかしくて仕方ないだろうやりとりをしている自分が分からない。
この純粋な少女はひたすら龍野の心配をしているだけなのだ。
そう分かっているから無碍にすることができなくなる。
フェイトがはやてたちに合流する。
チーム分けを決めるのだろう。龍野は邪魔にならない壁際まで下がって座る。
バレーボールは球の軌道が読みにくい。特に素人がするとなると何処まで飛んでくるかわからない。
逃げる準備だけはしておこうと決める。
ふと視線を上げると真剣な顔のフェイトの背後で良くやったとサムズアップする級友が見え苦笑した。
「……私も見学しようかな」
コートの中では大小グループに分かれて相談をしていた。
バランスが取れるように色々交渉がなされている。
やはりフェイトとすずかに対抗するには如何すべきかが中心議題のようだ。
こういう事は勝負事に熱く負けず嫌いなアリサが仕切る事が多い。
龍野とフェイトのやりとりになのはが呟いた。
なのはは龍野に“頑張って”など言われた事が無い。
彼女がなのはに言うのは大方無理するな、休みを取れといった意味の事だ。
―ちょっと、羨ましいの。
ぽろり零れた本音が見学しようかなという言葉になった。
小さいそれが聞こえたのは側にいたはやてだけだった。
「なのはちゃんなら止めへんよ」
意地悪気にはやてが口角を上げる。
魔法に関わるようになってから、なのはの運動神経は改善されてきている。
それでもすずかやフェイトとは天と地の差である。
なのはがいないくらいなら作戦でどうにかなるレベルだ。
「酷いの!」
親友の言葉になのはは頬を膨らませた。
球技というのは運動神経もだが、経験がものを言う。
任務を優先しがちななのはは、当然他の人よりバレーをした回数が少ない。
バレー部の同級生は言うに及ばず、昼休みに円陣を組んでパスを回している生徒より劣るかもしれない。
はやてはそれを見越してからかいの言葉をなのはにかけたのだった。
唐突に響いた言葉に龍野は首を傾げる。
壁際から音の発生源であるなのはとはやてを見る。
なのはと目が合えば慌てた様子で首を勢い良く振られた。
―平和だなぁ。
目の前の光景に呟く。
この姿だけを見ているととても働いている人間には見えない。
誰もが普通の学生に、女の子に見えた。
それは龍野が一番望んでいる事で、隠し切れない嬉しさに頬が緩んでしまう。
「頑張れ」
コートに入っていく背中に声を掛ける。
とりあえず試合に出られない龍野は級友達を応援する事にした。
振り返った笑顔は少しだけ、罪悪感が薄れていて龍野はまた嬉しくなった。
第八話 end
うむ、日常。
フェイトとなのはの表現は私的好みだ。
はやてに関しては敢えて言わない。
感想・誤字報告・指摘、感謝する。
面白いと言われれば当然気合が入る。
お詫びの一話楽しんで頂けたら嬉しい。
では。