空は快晴――差すと言うよりも、降り注ぐ――そんな陽光が後、数刻で頂点にさしかかる日中。
海鳴市を一望出来る――と、まではいかないが、一画を眺められる高台では、現在、桜色の球体が踊るように輪を描いている。
輪の中心点には、栗色の髪を両側で結った髪型――少々カールしている為、
珍しくはあるが、所謂、ツインテールと呼ばれるヘアスタイルをした少女――高町なのはが居た。
少女はまるでオーケストラの指揮者のように風を切る――と、言うよりは、大気を撫でるような――そんな動作で桜色の弾を操る。
その度に、カコンッ、カコンッ、と。
渇いた効果音を鳴らしながら、スチール製の空き缶が、宙を舞い、翻弄されていく。
「――……えぇいっ!!」
カッ――コォンッ、と。
鉄製の材質が奏でる独特の残滓――その名残を反響させながら、吸い込まれるように空き缶はゴミ箱へとホールインワン。
一拍置き、観客であり特別講師――ユーノ・スクライアから少女に贈られたのは、称賛と驚嘆を孕んだ拍手だった。
「凄い――凄いよなのはっ!!
まだ特訓始めて間もないのに、ここまでやれるなんて!!」
「そ、そうかな?
にゃはは……うん、ありがと。
そう言ってもらえると、ちょっと自信持てるかも」
少々照れ臭そうに、頬をポリポリと掻きながら、なのはははにかむ。
漸く、少しは魔法使いらしくなった。
そう思える感触を噛み締めながら、発現させていた球体を消失させる。
瞳を閉じ、疲れを吐き出すように一旦小休止の深呼吸。
空気が美味しい。朝だからかな、と。
肺を満たしていく澄んだ感覚を味わうと、もう一人の先生――ジェイルへと視線を向けた。
「えーっと……ジェイル君?
どうだった、かな? ――……ていうか、見ててくれたのかな?」
最初はおずおずと、言葉終わりは、むっ、と。
ジェイルの様子を見やると、頬を膨らませながら、なのはは口を開く。
――返事はない。
ジェイルは複雑粉砕骨折及び神経断裂によって動かない右腕――固定されたギブスの上にノートを乗せ、ペンを走らせていた。
流暢に動き続ける左手――ペンの速度を全く緩める事なく、寧ろ速めながら、ジェイルは何やら書き殴っている。
「どう、とは?
それと、一分一秒一刻刹那見逃す事無く、余す事無く観察させてもらったよ。
私が見ていた事に気づかない程君が集中していた――、」
――まぁ、中々の集中力だ。良い傾向だと思うよ。
そう最後に付け加えると、漸く一段落ついたのか、パタン、と。
視線を落としていたノートを閉じ、ジェイルは腰掛けていたベンチの背もたれに身を預けながら、なのはへと向き直る。
一応、褒めてくれてるんだよね……?
そう内心で呟き、膨らませていた頬を緩ませながら、期待と不安を込めた声色で言葉を続ける。
「んー……じゃあ、何点だった、とか」
「及第点――今の段階ではとも付け加えておこうか。
具体的に言えば――まだ、具体的に言うべき箇所がないといった所かな」
「むぅ~……。
たまに思うけど、ジェイル君の言ってる事って難しくてよく分かんないよ。
んっと……それって駄目駄目、って意味なのかな?」
「そうは言っていない――が、受け取り方によってはそうも取れたかもしれない、悪いね。
ふむ……例えるなら赤ん坊――若しくは雛鳥、だね。
歩き始めたばかりの赤子に、具体的な歩方を示唆した所で理解等出来ないだろう?
雛鳥に飛び方を教導した所で、それは本能的に既知の事だろう? ――まぁ、そういう事さ。
私が口を出すのは、もう少し先の事になると考えてくれていい。
ちなみに、私はつい先日まで君を雛鳥とさえ思っていなかったよ」
「……素直に褒めればいいのに。
回りくどいなぁ」
「五月蝿いよフェレット――絶滅するといい」
「ジェイル……君は今、世界中の全フェレットを敵に回したよ……!!」
「別に構わないよ。
手始めに君の頭部と下半身を切り離し――下半身は食料、頭部は指サックとして活用してあげよう。
良かったではないか。
その方が世界にとっても、君にとっても余程有意義だ」
「ああ言えばこう言う……っ!!
――って、うわぁっ!? 本当にそんな物取り出すなよ!!」
何時の間にか先程まで握られていたはずのペンが、果物ナイフに持ち替えられているのを見て、驚愕しながら冷や汗を流すユーノ。
こいつやっぱりヤバイ、と。幾度も繰り返した、答えが見え見えの危機感に、思わず少年からフェレットは距離を取る。
逃げ出したユーノ、行き場を失くした果物ナイフ。
ぶらり、ぶらり、と。数度、意味も無くそれを手元で遊ばせると、ジェイルは立ち上がる――ユーノに向かって。
――う、うわぁっ!! ――くははっ。
片や悲鳴を、片や笑いを伴いながら、小動物と少年は戯れ始めた。
「もぅ……駄目だよ? ジェイル君。
幾ら冗談でも、そんな事しちゃいけないんだよ。
それ、仕舞ってくれないかな? 危ないでしょ?」
もはやここ二日間で見慣れた光景なのか、驚いた様子はなく、少女は頬を掻きながら、諭すような口調で少年へと口を開いた。
齎された声に、ジェイルは何やら考え込みながら足を止める。
「私は冗談は言わないが――ふむ、いいだろう。
他ならぬなのは君の頼みだ。この場は鞘を納めるとしようじゃないか」
「やっぱり冗談じゃなかったんだ……目、ヤバかったし。
いや、何時もヤバいんだけどさ。兎に角、ありがとうなのは。
助かったよ、本気で。きっと世界中のフェレットも感謝してる」
「助かった? 油断してはいけないよ種族名フェレット。
収めたのが鞘、という事は――何時でも抜き放てるのだからね」
「何で僕らは君に怯えながら生活しなくちゃいけないんだっ!?
フェレットに何か恨みでもあるのっ!?」
「いや? 君個人にしかないが。
よく言うだろう? ――連帯責任、と」
「恨みってのがその腕の事なら僕は何も言えないけど、それでも、フェレットが絶滅させられる程の責任は感じてないよ……!!
それに言ったけど、これは仮の姿で僕は人間だ」
「全く……同属に冷たいね? 君は。
レイジングハートを持つのがなのは君なら、君はアイシングハートでも持っているのかい?
存外、フェレットとは同属意識が弱いらしいね」
「その同属を滅ぼそうとしてる君に言われたくはないかな……っ!!
それと上手くないし、面白くないし、要らないし。
言ってる事は駄洒落でも内容が洒落になってない」
「そうか、外見通り君の矮小な脳では、どうやら理解出来なかったらしい。
では、そんな君にも分かるよう、ストレートに。――息を止めたまえ、一生、ね」
「環境には優しそうだけど、僕には優しさの欠片も感じられないっ!?」
いい加減、自身のあんまりな扱いに堪忍袋の緒が切れたのか、ユーノは憤慨しながらジェイルへと詰めかかる。
その糾弾を、そよぐ風のように流しながら、如何にも何も堪えていないといった体で、ジェイルはそれを見下ろす。
にゃはは……仲良いなぁ、と。
見方によってはそうも取れる二人のやり取りを眺めながら、置いてけぼりな感をなのはは頬を掻く事で表す。
「――あ」
三人が現在居る場所――桜台登山道の脇の公園は、少々高台に或る為、周囲に風を遮る障害物はない。
故に、この場所では、急に強めの風が吹いても、大して珍しい事ではない。
持ち主――ジェイルは背中を向けている為気づいていないが、その風によって、
ベンチに置き去りにされたノートが、パタリ、と。地面に花びらのように舞い落ちる。
元の場所に戻しておいてあげよう。
そう思い、ノートのすぐ傍まで来るとしゃがみこみ、それを拾い上げる。
(……んー? これって何書いてあるんだろ)
わざとではないが、地面に落ちた際に項が開いていた為、なのはは描かれている内容を見てしまう。
書かれているではなく、文字通り描かれていた――第一印象はただの落書き。
所々に数字や文字、何やら数学の公式らしきものも記載されていた。
――が、それを見ても少女には一体全体何が書かれているのか到底理解が及ばない。
あれほど一生懸命書き殴っていたのだ。
正直、何が書いてあるのかは気になったが、人の物を勝手に見るのは悪い事――そう考え、元或った場所にそれを返した。
空を仰げば、眩かった太陽はさらに自己主張の勢いを増している。
そういえば、少々空腹感も覚え始めた。
もうそろそろお昼時。一旦昼食にしよう。
そう考え、なのはは未だ言い合いを続けている二人に声を掛けようとした――先程よりは弱いが、再び風が吹く。
ついさっき元の場所に戻したノートが心配になり、背後を振り返って確認する。
落ちてはいなかったが、パラパラ、と。捲れていくページ。
風が已むと同時に、動きを已める紙束。
なのはの視界に映ったのは、他の場所よりも、一際乱雑に何かが描かれたページだった。
やけに大きい見出し――[ Raiging Heart new concept 1st ]、と。そこにはそう記されていた。
『第6話 生じる歪み――亀裂、逡巡――純』
休日――その名を裏切らず例に洩れず、海鳴市藤見町においても、一時の休息を求めて、様々な人々が行き交う。
賑やかな繁華街と、楽しそうな団欒が響く住宅街――その、丁度中間程の地点。
繁華街と言うには中途半端な、疎らに点在する店舗――住宅街と言うには、太い道路が縦断する往来。
街ではなく、町。
そんな表現がしっくり嵌ってくれる町並みを、濃紫の髪を携えた少年と、栗色の髪を結った少女が並んで歩いていた。
少女――高町なのはは、自転車――所謂、ママチャリに分類される二輪車を、押しながら。
少年――ジェイルは、少女の肩に乗っている小動物――ユーノ・スクライアを心底鬱陶しそうにしながら、それぞれ歩を進めていく。
つい三日前、この三人で帰路についた時と異なっているのは、各々が抱いている感情だろう。
――なのはは負い目――ユーノは罪悪感――ジェイルは愉悦。
ジェイルを除き、今はその欠片も見受けられない。
昼食が美味だった――中々厳しい特訓だが実感が或る――等、話題も明るい。
今日のお弁当の調理を手伝ったとなのはが言えば、ユーノが褒め千切り、ジェイルが詳細な栄養学を披露する。
ユーノが魔法の話をすれば、ジェイルが補足し、なのはが、うんうん、と興味津々で頷き返す。
ジェイルが果物ナイフを取り出せば、なのはが叱り、ユーノが冷や汗を流しながら憤慨する。
ころころと、チャンネルのように三者三様で表情を変えていく――概ね、楽しそうだ、と。
傍から見る限り、そういった印象を受けるだろう。
しかし、そんな歓楽的な感情を抱きながらも、腑に落ちない――おかしい――何故、と。
時折、マイナスベクトルの心の起伏を覗かせているのは――現在、小動物の形態を取っている少年――ユーノ・スクライアだった。
(…………――)
――信用、出来ない。
談笑しているなのはとジェイルを眺めながら、ユーノは浮かんだ疑念を脳裏でちらつかせていた。
余り抱きたくない感情――戸惑いと困惑を見せないように、ユーノは二人に愛想笑いで応じる。
自分を弄る悪ふざけ――度が過ぎ、過ぎ過ぎており、たまに殺されるんじゃないかと感じるが――悪くない、と。
苛められる事が楽しいのではなく、それでなのはが笑ってくれる――等。
結局終わってみれば、不思議と人間関係は悪化しない――寧ろ、出会って間もないにも関わらず、気を使わなくなっている。
言いたい事が言える。この輪は心地よい、と。そう思えてしまうのも事実だ。
(でも……それでも、何でだ?
なのはは例外だ。
僕が巻き込む形になっちゃったけど、きちんと理由が或る――魔導師になった経緯が或る。
……だったら――ジェイルは?)
第97管理外世界に魔法文明は存在しない――そう、そのはずだ。
ならば、何故――ジェイル――魔法を使役する魔導師が存在しているか分からない。
行使魔法術式――ミッドチルダ式とも、近代・古代ベルカ式とも異なる魔法形態。
魔法陣と言うよりも魔法印――官印のような赤い紋様――見たことも聞いた事もない。
最もポピュラーなミッドチルダ式――現在の魔導師はこの術式を使用している。
次点で近代ベルカ式、そこから大幅に差をつけ古代ベルカ式が連なる。
古代ベルカ式については、もはや絶滅種と言っても過言ではない。
それ程、希少だ――だが、見たことは或る。
文献でも、実際にも、だ。
スクライアは歴史の探求や、遺跡の探索を生業とする一族――そんじょそこらの歴史家等よりも、保有知識は遥かに高い。
自惚れているわけではないが、そのスクライアに属する自分を以ってしても――ジェイルの魔法は見たことが無い。
(……恩人を疑うなんて……くそっ。
大怪我を負ってでも僕らを助けてくれて……今でも手伝ってくれているのに。
――だけど、ジェイル……君は――、」
――自然過ぎるのが不自然なんだよ。
相変わらず会話の花を咲かせている二人――なのはとジェイル――少年を一瞥し、ユーノは自問自答を繰り返す。
その先に或るものが全く見えてこない疑問と疑念に悪態をつきながら、彷徨う。
必ずと言っていい程、心境の言葉尻に付随しているのは――信じさせてくれ、と。もはや、懇願に近い。
なのはとユーノが――少女と魔法が出会って四日。
ジェイルとなのは、ユーノが――三人が出会って三日。
三日――そう、三日も或ったのだ。
それだけ或れば、事実、こうして仲良くなれた事に連鎖し、ある程度お互いを曝け出して当然だろう――それが、無い。
――或るのは、気づかない内に誘導される一方通行のライン。
なのはならば、私立聖祥学園付属小学校に通っており、つい最近まで普通の小学生だった事や、アリサ、すずか等の仲が良い友人が居る事。
自分ならば、遺跡を探索等の理由で、各次元世界を渡り歩いていた事。
本当にある程度だが、そういった話題になり、話した――が、それはジェイルを除いて、だ。
なのはは純粋――澄んでいる。
恐らく、疑い等微塵も抱いてはいない――気づいていない。
自分とて気づいていなかった――だからこそ、切欠は偶然だろう。
聞こうと思って聞いたわけではない。
盗み聞きしたわけでもない――それは突然、齎されたのだから。
――「ふむ……早い内に飛行魔法――[ アクセルフィン ]……ああ、それはまだ早いか。
[ フライアーフィン ]辺りは習得しておいた方がいいかもしれないね」
なのはの特訓中、ジェイル本人も何の気なしに洩らしたのであろう言葉――疑念を抱いたのはしばらくしてからだ。
飛行魔法の習得――それはいい。なのはには飛行魔法の先天的な才能を感じていた――だからこそ、同意した。
そう、飛行魔法の習得――それはいいのだ。
だが、何故――[ フライアーフィン ]――そうまで具体的にレイジングハートにインストールされている魔法を知っている?
他にも飛行魔法は或るというにも関わらず。
一度疑いを持てば、水面の波紋のように、ユーノの疑惑は連鎖的に広がっていく。
――どこから来たのか? ――その魔法知識は何処から得たのか?――一体何者なのか?
そして、それは未だに解き明かされる事は無い。
問い掛けても、返ってくる事のない答え――いや、返っては来る。
求めているようで求めていない――そんな答えが――巧み過ぎる話術によって。
底の見えない知識――それを活用する知力、知能、知恵――思い返せば誘導尋問のような話術――僅か三日で少女の信用を得たであろう人心掌握術。
正直、寒気を感じ、恐怖を感じる程だ。
「―――でね?
お兄ちゃんと、忍さん――あ、忍さんって言うのは、この前話した月村すずかちゃんのお姉さんなんだ。
家のお父さんとお母さん、相手の方のお父さんとお母さんも公認で、結婚を前提に付き合ってるの。
もうすっごいんだよ。 ラブラブって感じかな?」
「ふむ、[ あの ]恭也君の恋人ならば、興味を惹かれるね」
「あの?」
「ああ、私の主観だよ。
最初に彼を見た時……ふむ、そうだね……――刀、とでも言うべきかな?
まぁ、それは士郎君も同じなのだがね。
隠された刃――しかし、その切れ味は推して知る事が出来る。私はそういった印象を受けたよ。
身近な存在――なのは君にとっては少々分かりにくいのかな? 大きすぎる存在は、近づくほど全貌が見えないからね。
――強い、と。
概ねに、大雑把に言えば、そう感じているという事だよ」
「あ、分かるんだ。
ほら、家って道場あったでしょ?
色々あってお父さんはもう引退しちゃったんだけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんはまだ現役なんだ。
どれくらいかは分かんないけど、凄く強いんだよ」
「ふむ、是非一度見学させてもらいたいものだ。
あの精錬された筋組織を鑑みる限り、相当の強者である事は簡単に予測がつく。
だからこそ、その恭也君の心を射止めた忍という女性には興味が或るね。
この目でまだ見てはいないが、話を聞く限り、相応しいとも思えるよ」
「うん、ちょっと妬いちゃうくらいお似合いなんだ。
まだ結婚してないのに、長く連れ添った夫婦、って感じがするくらいだし。
それに、凄く美人さんなんだよ」
「ふむ……刃に心と書いて[ 忍 ]だろう? その名の通り恭也君と言う刃に、恋心を抱かせる魅力的な鞘のような女性なのだろうね。
私のイメージとしては桃子君が近いかな?
彼女は正しく士郎君の鞘だ。甘美な包容力が或る」
「んー……そこまで考えた事はないかも。
思うんだけど、ジェイル君と話す時って辞書持ち歩いた方がいいのかもしれないね。
難しいって言うか、言い回しがよく分かんない時あるし」
「それはいけない――いけないよなのは君。それではつまらない、面白くない。
君は辞書等と言う無粋なものではなく、私と粋に会話すればいいのだよ。
そんな事をされた折りには、そこの小動物の首をへし折りそうだからね」
「――……はっ!?
やっぱり矛先は僕に向くのかっ!?
ああ……何か、[ 何で ]じゃなくて[ やっぱり ]って言っちゃう辺り君に染められて来たって感じるよ……」
「何を言っているんだい?
君が赤く染まるのはこれからだよ」
「血かっ!? 血液なんだなっ!?
何で君は一々そう物騒なんだよ!」
「くははっ」
「笑うなっ! 君が言うと本気か嘘か分かんないから、僕にとっては死活問題になってるんだぞっ!?
訴えるよ!? そろそろ動物愛護団体に訴えるからなっ!」
「愛護団体? ふむ、成程、君は愛が欲しいのだね。
ははは――……ふぅ、これでいいかね? 振りまかなくとも一向に構わないものを与えるのは疲れるね。
カロリーを消費し過ぎた。君の相手は疲れる」
「愛は愛でも愛想笑い!?
疲れたっ!? ――言っておくけど愛想尽かしたいのはこっちだからなっ!!
それにカロリーの消費量は僕の方が絶対多い!!」
思惟を打ち切り、なのはの肩の上で頭を抱えて憤慨するユーノ。
なのははここ最近見慣れた光景に苦笑――ジェイルは見下しながら嘲笑。
そして、――これだ、と。同時にユーノは悟る。
思惟を打ち切り――違う、これでは能動態だ。
打ち切られる――そう、これが正しい。
もはや見計らったかのように、此方が考えを巡らせれば何かしらの手段――会話等で強制的にシャットダウンされる。
聞き出そうとすれば、いつの間にか他の話題に摺り返られている――そう、いつの間にか、だ。
気づいた時には何時もタイミングを失ってしまっていた。
「あっ……ねぇ、ジェイル君ジェイル君」
「何だい? なのは君なのは君」
「名前呼んだだけなのになんで茶化されるんだろう……。
うん、まぁ慣れたけど――じゃなくて。
ほら、私のお父さんとお母さんは翠屋でマスターさんとパティシエさん、お兄ちゃんは大学生でお姉ちゃんは高校生。
ユーノ君は家族で遺跡の発掘……だっけ?」
「うん、一族だけど……そうだね、家族で間違ってないよ。
僕はそう思ってるから」
「……それがどうしたんだい?」
「ジェイル君はどうなのかなぁって思って。
聞きそびれてたけど、家に帰らなくてご家族さん心配しないのかな?
あ、家に居候するのが悪いって言ってるんじゃないんだよ?
お父さんもお母さんも、ジェイル君が私を庇って大怪我したから――って事で一応納得してるし。
恩返し……って言うのかな。うん、それがしたいし。
ちょっと変態さんだけど。やっぱり、楽しいっていうのもあるよ。
それでも――」
「――そうかい。
それならばこの怪我も案外、悪くないね。
私となのは君を繋ぎ止める為の痛み――そう思えば、寧ろ享受出来る」
「にゃはは……いつも思うけど大げさだよね、ジェイル君って。
痛いのにそれがいいって言ってると、変態さんって思われちゃうよ?」
「くははっ……言い方が間違っているよ、なのは君。
既にそう、思っているのだろう?」
「えーっと……まぁ、うん。
だってこの前もジェイル君ってば、お風呂一緒に入ろうとか――」
「――うん、僕も気になるかな。
何時も苛められてる身としては、親の顔が見たいっては思ってたんだ」
「あ、そうだった。
良かったら教えてくれないかな?」
――ナイスアシスト。
胸中でなのはへサムズアップしながら、流され掛けていた会話をユーノは半ば強制的に釣り上げる。
自分の知力では、ジェイルには敵わない――この僅か三日間でそれは痛感した。
痛感――とは違うが、もう一つ分かった事が或る――理由は定かではないが、ジェイルはなのはに甘い、極甘だ。
知力で敵いはしないだろうが、なのはの純粋さなら何とかなるかもしれない。
そう思索しながら、ユーノはジェイルが口を開くのを待つ。
もう同じ手は食わない、多少強引でも聞き出さないといけない、と。付け加えながら。
「――ふむ、概ねそこの小動物と同じだよ。
但し、遺跡の発掘ではなく――……そうだね主に生物学における研究――それの模索をする一介の族だ。
前にも言ったが、ドクターと呼ばれていたよ」
「……医者――いや、科学者って事?
僕と同じって事は……一介の族っていうか――一族で何か研究してるって事?
何の研究してるの?」
「一度に捲し立てるのはやめたまえ。
学が知れるよ? 小動物。
それに、概ね――と、言っただろう?
詳細な研究内容については黙秘させてもらおうか。
君は遺跡で知り得た内容をおいそれと他人に洩らすのかい?」
「洩らさないね。
一族以外の人間には滅多に――[ そこ ]は分かるかな」
「私の研究に底などないよ――何せ、無限なのだから。
だがしかし――嗚呼、私には君の底が見えるね――[ スクライア ]」
「そういう意味で言ったんじゃないよ。
揚げてもない足を取らないでくれない?
それと、それってどういう意味?」
「え、えっと……二人共?」
さすがにいつもの悪ふざけではないと感じたのか、ジェイルとユーノを交互に見やり、言いながら右往左往し出すなのは。
見下ろすジェイル――睨みつけるユーノ。
先程までの楽し気な雰囲気は、いつの間にか何処かに消え去っていた。
それを知ってか知らずか、定かではないが、別段気にした様子はなくジェイルは言葉を続ける。
「それも分からないのかい? ――やはり、浅いね」
「――浅い? 悪いけど聞き捨てならないね。
それは、僕? それとも、やけに強調してたスクライアの事?」
「強調していた? 嗚呼、どうやら本音が口から洩れていたようだね。
まぁ、口からしか本音は洩れないものだが」
「このっ……!!」
「くくっ――見た目に違わないね、君は。
どうやらフェレットは知的生命体では――」
――ないらしいね、と。
そう続けようとしたジェイル。
しかし、その矛先――ユーノの姿が視界から居なくなってしまう――それを齎したのは、少女――高町なのはだった。
いつの間にか止まっていた二人の足――当然、なのはが押していた自転車も車輪の回転を止める。
その前籠へと肩に乗っていたユーノをそっと入れると、ジェイルへと向き直った。
なのはは、体毎二人の間に割って入る。
怒っている――と、言うよりは悲しんでいる。そんな雰囲気を滲ませながら。
「――……駄目、駄目だよジェイル君」
「……何がだね?」
「……ごめん、私あんまり頭良くないから……何で急にこんな喧嘩になったのか、まだ良く分かってない。
でもね、だけど……ユーノ君が怒ってる理由は何となく――ううん、良く分かるんだ」
「ふむ? 聞こうか」
「家族の悪口言われたら、私もきっと怒ると思うから。
だから、喧嘩両成敗――って言うけど、ジェイル君から先に謝らないと駄目だと思う」
「ほう、何故だい?
家族の悪口を言われた――怒る。
私にはそれがイコールで繋がる理由が見当たらないよ。
故に、謝る気など――微塵も、毛程もない」
「……それ、本気で言ってるの?」
「言っただろう?
――私は冗談は言わない、とね」
哀調を帯びた瞳で、なのははジェイルと視線を交差させながら、胸中で一人、呟く。
何で――何でこうなったんだろう……さっきまで楽しかったのに、と。
少年から浴びせられる視線には、全く迷いがない。
さも当然、と。そう言わんばかりな振る舞いが、余計に少女の沈痛を誘引――沈ませ、痛ませる。
「……もう一回だけ聞かせて。
それ、本気で言ってるのかな?」
「――しつこいよ。
持つ人間と持たない人間は違う――押し付けの価値観等、分かるはずがないだろう?」
「しつこくて良いよ。
分かってもらえるまで――……え?」
「――ッ――!?
……失言だ。忘れたまえ」
――それって、どういう意味? 、と。
そう言いたげな、問い掛けるようななのはの視線。
それを拒否するように、大きく舌打しながら、二人に背を向けジェイルは一人、歩き出す。
全くもって失言だ。私らしくもない。
らしくない――らしくない。戯れが過ぎた。
これではまるで――、と。
苛立ち――自分でも訳の分からない戸惑いを感じながら――、
(……中々甘美な時間だった――が、これでは本来の目的を達せない。
熱せられた湯も何時かはぬるま湯になる……そろそろ――、)
――潮時か、と。
後方の二人を置き去りにしたまま、足を止める事なく胸中で呟く。
余りの脆弱さを見かね、半ば衝動的に戦闘に参加し、この関係を構築した。
自分が彼女達の事を知ろうとするのは良い。元々その為に時を遡ったのだから。
しかし、その逆――彼女達が自分の事を知ろうとするのは、許容出来る境界線を越えている。
だからこそこの三日間、はぐらかしながらも、不審に思われないよう注意を払いながら生活して来た。
深く関わり過ぎれば――自分の理想は果たされない。
元々、この段階で自分が彼女達と出会うのは在り得ないのだ。
しかし、だからと言って邂逅を諦めるわけにはいかなかった。
何が原因で破錠するのか予想がつかない――本来の歴史をタイムパラドックスによって失っているのだから。
修正しようとも、何処へ修正すればいいのか分からない――自分の望みを果たしながらも、歪みは可能な限り避けるべきだ。
――しかし、死なれては困る。
観察対象が失われては、そもそもこの旅の意義が消失する。
今となっては答えが見つからないが、どこをどう振り返ってみたところで、少女の現在の矮小な実力で打ち倒せるとは考えられなかった。
本来の歴史――自分がまだ介入してしない世界において、あのキマイラをどう封印したのか。
決定的な相違点と言えば――自分が居るか、居ないか。
それによってあの猛犬がキマイラへと強化された――それしか可能性としては在り得ない――が、まだ何もした覚えはない。
しかし、特訓の成果――その甲斐或ってか、少女は羽ばたくかの如く力をつけている。
これならば、あのキマイラくらいならば勝利を掴み取れる――自分がそう思える程の実力を少女は得た。
故に――潮時。
これ以上関わりを持ったところで、自分が得られるものは少ない。
或るには或る――じっくり高町なのはの成長を観察――その家族、一般人にしては異常と感じる程の身体能力を持つであろう二人――高町士郎と高町恭也。
実に心躍らせ、血沸き肉踊る実験対象だが――それ以上に大事なターゲットが居る。
(……しかし、惜しいね。
桃子君の作る料理はもう少し味わいたかったかな)
Fの残滓――フェイト・T・ハラオウンがこの世界の何処かに存在する筈なのだ。
優先順位は其方が遥か上位に属する。
せめて何処に居るのかくらいは、今の段階で知っておきたい――故に、そろそろこの場所を離れるべきだ。
高町なのはのように、この時点では脆弱な存在なのか。
何故ファミリーネームが二つ或るのか――テスタロッサは兎も角として、今の段階ですでにハラオウンなのか――、
(――……ファミリーネーム――ファミリー――家族、か)
滝壷で延々と回転する樹木のように、偶然だが自分の思惟に引っかかった少女の問い掛け。
家族と言われれば、自分にとって思い当たる節はない。
だが、家族――ではなく、娘――そう言い換えるならば、脳裏に蘇る存在は或る。
愛しい13の娘達――自身の[ 作品 ]。
(……ふむ、確かに。
悪口――悪性能、不良品等戯言を言われれば、私も憤慨するだろうね。
良いだろう、そこは理解しようではないか小動物)
祖父母――父親、母親――兄弟、姉妹――息子、娘。
理解出来るファクターは娘のみだ。当たり前だろう、それ以外、居ないのだから。
もしも、自分を産み出した存在――そういう意味合いでならば、呼びたくもないが親は居る――三人の脆弱な老人達だ。
だが、それらを馬鹿にされた所で何の感慨も憤りも浮かびはしない――そして、だから、故に、殺した。
所詮は利害が一致しただけ。
利害関係が失われれば、固執する理由はない。
それだけだ――そして、ベクトルは異なるが、この関係も大して変わりはしない。
今の段階でこれ以上、彼女――高町なのはのみを観察対象に限定するのは、利が少なく、害が大きい。
(……今日の夜半、明日にでも発つとしようか)
これでいい――これで、本来の目的は見失わない。
フィールドワークをこなした学者が、新たな発見をした事に対する感情の起伏――それだけの事。
だからこそ、この後ろ髪を引かれるような気持ちは勘違いだ――実験対象を切り替える際に抱く、郷愁の念に違いない――、
――楽しかった等、それこそ勘違い。気の迷いだ。全く、甚だしい。
言い聞かせるように、足を止める事なく、ジェイルは何度も胸中で呟く。
自然と、無意識の内に、歩みは早くなっていた。
(――……何だ?)
余程深く考え込んでいたのか、そういえば、と。背後から足音が聞こえなくなっている事に気づく。
――あの様子からして、動揺しているのかもしれない。立ち止まって自分の真意に考えを巡らせているのか、と。
だが、疑念を抱いたのはそこではない――自分、高町なのは、小動物――しかし、察知した魔力反応は――四つ。
――魔力反応が、増えている。
いつからそこに居たのか――長髪、オレンジの髪色、ロングヘアーを携えた女性が、道路脇で佇んでいた。
妙に大きな犬歯が、やけに挑発的だ、と。そういった印象を受ける。
「――……――――」
「…………む?」
視線が交差し、目が合い――何かを呟く女性。
車線を挟んで反対側に居る為、行き交う乗用車に遮られ、何を言ったかは定かではない。
確かめようにも、通り過ぎて行った大型トラックが視界から消えた時、女性もいつの間にか消えていた。
興味は惹かれたが――今は、背後の少女に何と言うべきか、声を掛けるべきか、フォローを入れておくべきか、と。
優先順位を確定すると、先程の女性に対する思索をジェイルは一旦脇に除けた。
やけに主張の大きかった犬歯――文字通り、まるで犬のような女性だった――そう、感じながら。