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No.15932の一覧
[0] 時をかけるドクター[梅干しコーヒー](2010/06/21 22:13)
[1] 第1話 アンリミテッド・デザイア[梅干しコーヒー](2010/07/03 18:29)
[2] 第2話 素晴らしき新世界[梅干しコーヒー](2010/01/31 01:37)
[3] 第3話 少女に契約を、夜に翼を[梅干しコーヒー](2010/02/01 22:52)
[4] 第4話 不屈の魔導師と狂気の科学者[梅干しコーヒー](2010/03/06 13:01)
[5] 第5話 生じるズレ――合成魔獣キマイラ[梅干しコーヒー](2010/03/06 13:02)
[6] 第6話 生じる歪み――亀裂、逡巡――純[梅干しコーヒー](2010/03/06 13:02)
[7] 第7話 生じる答え――矛盾邂逅[梅干しコーヒー](2010/03/03 17:59)
[8] 第8話 歪曲した未来――無知と誤解[梅干しコーヒー](2010/03/06 13:10)
[9] 第9話 歪曲した明日――迷い蜘蛛、暮れる夜天[梅干しコーヒー](2010/03/18 00:02)
[10] 第10話 歪曲した人為――善悪の天秤[梅干しコーヒー](2010/03/20 23:03)
[12] 第10・5話 幕間 開戦前夜――狂々くるくる空回り[梅干しコーヒー](2010/03/25 20:26)
[13] 第11話 始まる終結――擦違いの戦場へ[梅干しコーヒー](2010/03/29 05:50)
[14] 第12話 始まる集結――蠢く夜の巣へ[梅干しコーヒー](2010/04/02 22:42)
[15] 第13話 始まる終決――時の庭園へ[梅干しコーヒー](2010/04/08 21:47)
[16] 第14話 絡み合う糸――交錯の中心座[梅干しコーヒー](2010/06/16 22:28)
[17] 第15話 空見合うカンタービレ――過去と未来のプレリュード[梅干しコーヒー](2010/06/21 23:13)
[18] 第16話 空見合い雨音――歩くような早さで。始まりの終わりへ[梅干しコーヒー](2010/07/03 18:34)
[19] 第17話 変わる未来[梅干しコーヒー](2011/05/02 00:20)
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[15932] 第16話 空見合い雨音――歩くような早さで。始まりの終わりへ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:5daf610c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/07/03 18:34





微かな違和感に意識を掬い上げられ、フェイトはゆっくりと瞼を上げた。
起床してすぐ、まだ明瞭とは言えない頭のままぱちくりと二、三度瞬きし、妙な感触の先を目で追う。
見てみれば、知らず知らず寝返りをうってしまっていたのか、自分の腕はソファーから落ち、床に触っていた。


「ん……」


体を横たえているソファーに比べ、ひんやりとしたフローリングの感触は朝のまどろみと重なって心地良い。
もう少し甘えていたいとぼんやり思い、窓から射し込む暖かみに合わせ、フェイトは身を預け始める。

天井を見上げたまま暫くそうしていると、ふと現在時刻が気になり、視線を壁掛けされている時計へと。
流し目で確認したアナログ板の時針は10を指し、分針は真下を向いている。
一瞬釘付けになりながらも、一拍遅れて寝坊してしまったことを悟ると、フェイトはハッとなり立ち上がった。
次いで、大慌てでリビングを見渡し、同居人の姿を探し始める。

キッチン、ベランダにも少年は居ない。
同じく寝坊してしまったのかもしれない。フェイトはそう考え、足を寝室へと向かわせる。
その途上、窓に映った自分の姿を見て立ち止まり、手を頭に乗せる。ゆっくり抑えを解くと、反抗してくる自分の金髪へと小さな溜息一つ。
寝汗も掻いているし、先に朝風呂でもしてしまおう。そう思い直し、風呂場のドアに手を掛けた。


「……ん、しょ」


脱いだ服を畳み、着替えを準備し終えるとバスルームに入り蛇口を捻る。体を伝っていく暖かさに揺蕩(たゆた)いながら、フェイトはシャンプーを手に取り髪へと指を通す。
そうしながら、そういえば、と漸く目を醒まし出した頭で、ふと浮かんだ疑問へと考えを馳せ始めた。

学校の校舎裏で聞いた少年の本名――ジェイル・スカリエッティ。疑問とまではいかないかもしれないが、あれから二日経った今でも不思議には思っている。
と言っても名自体がではなく、その時の回りの反応がフェイトには気になっていた。

なのははどこか嬉しそうに名乗りを聞いていたが、問題はユーノの方。開いた口が塞がらないといった体(てい)で唖然とし、固まっていたのは今でも思い出せる。
尤も、その様子を思い返してみても、そこまで驚くことなのだろうか、とフェイトは首を傾げることくらいしか出来ないが。
もしかしたら、自分が知らないだけで結構有名人なのかもしれない。ある意味浮世離れしているフェイトにとって、取り敢えず思い至るのはそこまでくらいだった。


(……あ)


考えごとに漂いながら、次は体を洗い始めようとしていたフェイトの手が止まる。
固定された瞳に映っているのは自分の裸体だ。真新しい傷は見受けられないが、そこにはそれでも微かな赤い線が奔っている。
フェイトはそれに恐る恐るといった指使いで触れ、数瞬、変わらず降り注ぐシャワーの雨音を耳に入れながら佇んだ。

今となっては体に残っていたこの傷も、辛い記憶と共に日を追う毎に奥底へと引き始めている。
何か心にくるものはあるが、痛みはない。フェイトはそれに安堵に近い感情を抱き、一度瞳を閉じた。

瞼の裏に蘇るのは母の姿だ。
口々に自分が駄目な子だから、と言いながら躾を繰り返す、文字通り身を切られるような過去。そう、過去だ。今は全くそれが無い。
その事実が、自分は駄目な子ではなくなった、漸く認められた、と思えて、フェイトは自然と小さく頬を綻ばせる。
だからこそ、思う。漠然と追い求めていた憧憬へ、夢見ていたあの日々へ、きっとあともう少しで手が届く、と。

……だから、後もう少し、頑張ろう。全部終わったら――。
万感の思いを込め、胸中でフェイトはそう呟く。しながら、多少爽快になった体を流し終えると、蛇口を回しシャワーを止める。
上気した肌に張り付く金髪を手で小さくたくし上げ、浴室から洗面場へと。バスルームとの温度差で心地良く落ち着いていく体をタオルで拭き、洗面台の前に立った。

鏡を見ながら下着を付け、用意していた服を羽織る。ドライヤーである程度髪を乾かすと、髪をいつも通りのツインテールに。
少々遅い朝の準備を全て終え、ドアに手を掛けた時、アルフから口酸っぱく言われていた注意事項を思い出し、ふと足を止めた。
「ジェイルが覗きに来る。ていうか襲ってくるから、鍵絶対閉めるんだよ」。時の庭園から海鳴市に降りる間際までそう言っていた使い魔の姿を思い出し、小さな苦笑を一つ。
ていうか、襲うって何のことだろう? と首を傾げたまま、フェイトはリビングへと足を踏み入れた。


「あれ?」


小さく疑問の声を上げ、視界の端で微かに動いた見覚えの或る金色へと近づいていくフェイト。
様子を伺いながら真後ろまで来ると、驚かせないように気を配りながら口を開いた。


「……コガネマル?」

『……ん?
あ、おはよーフェイト』

「あ、うん。
えっと……おはよう?」


時計を見やれば、時刻は既に11時を回っている。
挨拶はこれで正しいのか如何か、思っていたより長風呂してしまったようだ、などなどとフェイトは浮かべながら、コガネマルが先程から見ている物へと視線を流した。
そこにあったのは、自分と母が映っている写真だ。自分も母も、優しく微笑んでいる。


『んー、やっぱり意外だなー』

「意外?」

『こんな風に笑えるんだなー、って思って。
プレシアとか、特にさ』


難しそうな、不思議そうな。そんな機械音声でコガネマルが言い終わると、フェイトは写真を見つめ始める。
確かに、本当の母を知らない人間から考えれば、この表情は意外かもしれない。そう感傷に似た心持を抱きながら、写真立てを手に取った。

そういえばいつからだろうか。母が笑わなくなったのは。
随分と昔なのは確かだが、考えてみれば不思議と何が切欠だったのかは覚えていない。
母、アルフ、自分、そして今は居なくなってしまったリニス。四人で暫くの間ミッドチルダ西部の辺境――エルセアで過ごしていたところまでは記憶している。
だが、その先が如何しても思い出せない。風に揺れる草原で微笑み返す母の姿から、エルセアに至るまでが途切れてしまっている。
フェイトはその空白を埋めようと記憶の糸を辿る。だが、何故か一向に手繰り寄せられない。
そうしていると募っていくのは思い出ではなく、理由の分からない不安ばかりだった。


「…………。
でも全部終わったらきっと……母さんもまた笑ってくれるよ。
今の母さんしか知らないコガネマルには意外かもしれないけど、本当は凄く優しいから」


コガネマルへ向けた言葉を、自分にも向けて。浮かんだ心のざわめきを打ち消すように、そう口にする。
それでも芽生えた陰りは消えてくれなかったが、フェイトは胸の内で頭(かぶり)を振ると、いつの間にか強く握っていた写真立てを元の場所へと置いた。


『じゃあ全部終わったら、フェイトもこんな風に笑ったりとかするの?』

「……私も?」

『うん。プレシアもだけど、フェイトもこんな風に笑わないでしょ?
んー、何て言うか……フェイトってばいつも遠慮がちな気がするし』

「そう……かな?
……自分じゃちょっと分かんないかも」

『まぁ、ドクター見てるとそう感じたってだけなんだけどねー』

「……ジェイルと比べるのは少し無理あると思う」

……少しというか、だいぶ?
言いながら脳裏に浮かんだ少年の姿に、本人には失礼かもしれないけど、と苦笑い。
あれは笑いと言うか、高笑いと言った方がしっくりくるかもしれない。失敬かもしれないが、満面愉快とでも言えばハマってくれるだろうか。
フェイトはそんなことを思い浮かべながら、そのジェイルが居る部屋へと意識を向けた。


「そのジェイルだけど……まだ寝てるの?」

『んー、寝てるっていうかずっと起きてたよ。今さっきハイテンションのまま床に転がったとこー。
ドクターのことだし、5分もしたら多分起きるんじゃないかなー』

「……それ昨日も……あれ? 一昨日もそうだったような……」

『だねー。僕の調整終わってから、ずっと何か書き殴ってるけど。
あ、ドクターの部屋見ない方がいいよ。ゴミ捨て場みたいになってるから。それにちょっと臭いし』


フェイトの記憶が確かならば、時の庭園から第97管理外世界に降りる前日から数えて、これでジェイルは半ば三日間完徹している。
殆ど部屋に引き篭もって何かに没頭し、出てくるのは食事の時間だけ。顔を合わせたのは昨日の夕飯が最後だ。しかも知らぬ間に、たった二日でゴミ捨て場になっているらしい。
フェイトとしては邪魔をしてはいけないと考え、その間自分のトレーニングに時間を費やしていたのだが、ここまでくればさすがに心配になる。

……ていうか、お風呂とか入ってないよね……?
昨日の段階で既に所々ぼさぼさに跳ねていたジェイルの頭を思い出し、自分が注意して促した方が良いのかまごつくフェイト。
でも、時間が勿体ないって言いそうで。結局入ろうとしないだろうし――。フェイトはそこまで考えたところで、ポンッと手を叩いた。


「……うん。それがいいかも」

『ん? 何の話?』

「背中流してあげようかなって。
何でなのかは知らないけど、ジェイル一緒にお風呂入りたがってたし。それに、この前お願い聞いてくれたお礼もしたいんだ。
あと、右手折れちゃってて一人じゃ洗うのとか辛いと思うし……どうかな?」

『んー……そーだなー……。
「くくっ、その言葉を待っていたよフェイト君! さぁ、君の肢体を曝け出したまえっ! 全てっ、私にっ、産毛の一本に至るまでっ!」
とか言って超喜ぶと思うよ。あ、今のテンションだともっと凄いかも』

「し、肢体を曝け出したまえ……?
それは……ちょっと恥ずかしいというか……ちょっとどころじゃないっていうか。
それに私今お風呂から上がったばっかりだから、背中流すだけのつもりだったんだけど……」

『背中流すついでに状況に流されちゃうのもありだとおもあばばばばばばっ!?
ちょ、ば、バルディッシュやめっ――』


突然のた打ち回り、一目散に廊下の奥へと跳ね転がっていくコガネマル。
フェイトは何の前触れも無いその行動を不思議に思いながら、コガネマルが最後に叫んでいた相手、バルディッシュをポケットから取り出し首を傾げた。


「……バルディッシュ、何したの?」

『It kept sending silent pressure. It is an easy DOS attack.
Because it is ordered that sir virtue be defended from Alf.
(無言の圧力を。簡単なDOSアタックです。
アルフからマスターの貞操を守るようにと厳命されていますので)』


バルディッシュがさも当然と答えてから数拍置いて。コガネマルが消えた通路の奥からドアの開く音が聞こえてくる。
騒ぎを聞きつけジェイルも目が覚めたのだろうか。フェイトはそう思い至ると、一度窓の外を見上げ、外の天気を見やる。
広がっている空はまだ晴れてこそいるが、起きた当初とは違い、遠くなればなるほど鉛色に染まり始めていた。

……もうすぐ、雨になりそうだ。
そう呟いた時、フェイトの脳裏に過ぎる一人の少女が居た。
いい子で、強くて、真っ直ぐで。眩しいと、羨ましいとも思えた少女――高町なのは。
あの子は今、何をしているんだろうか。崩れ始めた青空を仰いだまま、そんなことを思い浮かべる。
そうして馳せながら近づいてきた足音へと振り返り、少年の真っ赤に充血した目を見て、フェイトは小さな苦笑を洩らした。




















【第16話 空見合い雨音――歩くような早さで。始まりの終わりへ】




















カッ……コォンッ、と。
猪おどしと呼ばれる和風庭園特有の添景物が、室内に澄み切った音の波紋を広げていく。
他にも、和式の座に傘。兎に角、空間の隅々にまで和のテイストが施されている光景に、ユーノは只唖然としていた。
何で次元航行艦船の中にこんな部屋が、とこの場所に入った時と同じく今でも疑問しか沸いてこなかったが、ここに来た本来の目的を思い出し、ハッとなると、表情を引き締めた。


「あら? いいのよそんなに緊張しなくても」

「は、はぁ……」


……どうにも、調子狂うなぁ。ペースを掴まれているというか、大人の余裕というか。
張った筈の心持を明後日の方向に受け流され、お茶を啜り始めたリンディを見ながら、ユーノは胸中で一人ごちる。


「その……すいません。無理に時間取らせてしまって」

「いいのよいいのよ。
それに休憩するつもりだったし、丁度いいわ」


そう言って微笑んだリンディに、微かに頬を赤面させるユーノ。
それが恥ずかしかったのか見えないように顔を伏せるが、クスッと小さく笑ったリンディの声で更に顔を赤らめる。
……手玉に取られてる。ユーノはそう吐露すると、しどろもどろになりながらも顔を上げた。


「ユーノ・スクライア君、ユーノ君でいいのかしら?」

「あ、はい。えっと……リンディ提督?」

「ええ、それでいいわよ。好きに呼んで頂戴。
じゃあ、ユーノ君。
私に聞きたいことがあるっていうのは言伝で聞いてるけど……具体的に何が聞きたいの?
二人だけで話したい。そう聞いているし、何か重要な話なのは分かっているわ。
早速だけど、聞かせてもらえるかしら?」


湯呑みを口元から離し、言いながらリンディはユーノを見つめる。
ユーノの心境としては、どうやって切り出そうか迷っていた為、この申し出は正直ありがたかった。
だが内容が内容だ、と暫し考え込み逡巡するも、今最も大変な状況に置かれているこの艦の長をこれ以上引き留めるのも気が引ける。
それに、早くハッキリさせておきたい。そうユーノは意を決すると、口を開いた。


「…………。
……二日前、ジェイルと会いました」

「二日前って言うと……あなたが帰ってきた日、よね?
……会ったって表現を使うのは、どうして?」

「その……言ってなかったんですけど、実はその日、四人で学校に居たんです。
なのは、僕、ジェイル……あと、あの黒衣の魔導師、フェイトって子の、四人で。
……すいません。僕がなのはにも口止めしてました」


言って、ユーノは申し訳無さそうに頭を下げる。
そう。ユーノがなのはの元へと帰り、事情を聞いてきた管理局に話したのは、訳も分からず解放された、ただそれだけだった。
なのはに対しては、ある程度話してこそいるが肝心の内容――管理局にジェイルが襲われた。その部分は、今でもぼかしたまま。
なのはには、全部解き明かしてから話そう。ユーノはだからこそ、今こうしてリンディと対面していた。


「……そう、だったのね」


予想の斜め上を行く話の内容に、さすがに驚きを隠せなかったのか、リンディは暫し絶句。
次いで、一拍考え込むと、気を取り直して小さく息を吐き、元通りの温和な表情に真剣さを合わせユーノへと意識を戻した。


「……でも、謝る必要はないわよ。
責めるつもりも、そんな権利も私達にはないから。
そうね……話を先回りして悪いけれど、それを今言うのは……あなたが聞きたがっていることと関係があるから。で、いいのかしら?」

「……話が早くて助かります。
じゃあ、えっと……例えば、管理局がいざ犯人の身柄を確保するってなった場合の話なんですけど。
……言い方は悪いですが、必要以上の暴力、みたいなのを奮うってことは在り得ますか?」

「……暴力っていうとニュアンスが違ってくるから少し言い換えさせてもらうけれど、それはないわね。
犯人の身柄を確保する為に制圧目的の攻撃を仕掛けることはある。それは確か。
けれども、ユーノ君が言うように、必要以上の暴力……例えば、そうね……痛めつける、とかがないのは確実に言えるわ。
……何か、あったのかしら? 例えば、その必要以上の暴力が」


本当に察しが良い。良過ぎるくらいだ、とリンディへの見解を内心改めるユーノ。
時空管理局の人間だからか、こういう風に人から何か聞き出すことに手慣れているのだろうか。はたまた、元来からこういう気質の人なのか。
普段の自分ならば、少し物怖じするところなんだろうけども。ユーノはそう考えながら、促された先を続ける。


「僕がってわけじゃないんですけど……ジェイルが二週間前、襲われたらしいんです。管理局に。
それが本当かどうかは今でも分かってないんですけど……でも、実際に大怪我負ったらしくて。
襲われてから一週間近くまともに動けなかった……らしいんです」

「……え?」


ユーノの目を見たまま一度固まるリンディだったが、すぐに思案顔へと切り替わる。
ユーノとて、時空管理局がそんなことをするとは思っていない。だが、ジェイルが嘘を吐いたとも思えてはいなかった。
目の前に居るのは、管理局でも上部に位置する提督だ。その人物が知らないとなると、ジェイルの嘘の可能性が高まる。
と、ユーノは考えるが、本人は「殺意が沸く」とまで言っていた。そこまで明言するくらいだ。これだけで嘘だと決めつけるには、まだ情報が足りない。


「……知っての通り、私達時空管理局が到着したのは、四日前よ。
ここが、管理世界。地上部隊が駐屯しているのなら話はまた違ってくるのだけれど……。
その襲ったというのも、管理局の人間がこの世界に居たというのも、ちょっと考えにくいわね」

「……です、よね。
すみません。変なこと聞いて」


……何がどうなってるんだ?
ぐるぐると行ったり来たりを繰り返す思考に振り回されるユーノ。
聞きたかったことを聞けた筈にも関わらず、混乱は益々混迷を極めてきてしまっていた。


「いいのよ。それにしても……ふふっ。
ねぇユーノ君。あなた、良い子ね。いいえ、凄く優しい子。
ちょっと真似出来ないくらいに、ね」

「へ?」

「言わなかったのは、あなた達がジェイルって呼んでる彼が心配だったから。でしょう?
もし管理局が襲ったのなら、その管理局に捕まれば酷い目に合わされるかもしれない。
そう思ったから、情報を伏せておいた。でも、このまま彼が捕まってしまえば伏せておいても意味がない。
だから兎に角、ことの真偽だけでも今の内に確かめておきたかった。
最悪の場合、私達から……ううん。これ以上言う必要は無いわね。違うかしら?」

「……違いますよ。
何ていうかその……あいつ本当に嫌な奴ですけど、最初会った時助けてもらったのは事実ですし……借りを返したいってだけで」

「ふふっ、そういうことにしておきましょうか」


絶対からかわれてる。そう感じ取り、ユーノは如何にも不満といった様子でしかめっ面を浮かべる。
ユーノのそんな素振りも好ましかったのか「男の子って素直じゃないわねぇ」とリンディはクスリと一度微笑むと、すっかり温くなったお茶を手に立ち上がった。
それに合わせ、慌ててユーノも立ち上がる。


「さて、と。もう少し話を聞きたいところなんだけども……ごめんなさいね。
もうそろそろ戻らなくちゃ」

「あ、いえ。お構いなく。それに無理言ったのは僕ですし」

「ううん。何度も言ったけれど、いいのよ。
……じゃあ、戻る前に一つだけ。これはあなた達にとって、酷な話かもしれない。でも、今の内に確かめさせて頂戴。
――実際に目の前で犯罪を犯されている以上、私達管理局は彼を逃がすつもりはありません。
たとえあなたのお友達でも、なのはさんのお友達でも、それは絶対に覆らない。
……あなた達が協力の申し出をしてくれた時、正直、本当に助かると思ったの。
でも、このままここに居れば、彼と間違いなく戦うことになる。けど今なら、まだ戻れるわ」


言葉の重みを声色に乗せ、リンディはユーノを見据えてそう言い放つ。
それを受け、一瞬ユーノは逡巡すると、一度瞳を閉じる。ゆっくり瞼を上げると同時、口を開いた。


「……分かってます。僕もなのはも、それを覚悟でここに来ました。
確かに、後悔するかもしれません。でも僕達は、今後悔したくないんです。
――あいつを、倒します」

「……そう。二人共、強いのね」

リンディはにこやかにそう言うと、ユーノを伴って私室から出て行く。
通路に出た後、訓練場へと向かうユーノと分かれ、ブリッジへと。
その途上、ふと一度立ち止まると、険しく眉根を引き締めた。


(…………。
もしかして……)


第97管理外世界に居る筈のない管理局。だが、実際に此方でも確認した怪我からして、誰かに襲われたのは事実。
まだ、確証は持てない。ことの真偽を断定するには、情報も状況証拠も全くと言っていいほど足りない。

だが、一人だけ心当たりが或る。
リンディはその人物を思い浮かべながら、足早にブリッジに向かった。





















軽快なタッチ音が響き、コンソール上を指が踊る。
エイミィは時折前面に展開されたモニターを一瞥しながら、次々とウィンドウを切り替えていく。
通常業務に加え、新たにアースラへ臨時出向してきた武装局員メンバーの再確認と把握、ジェイル・スカリエッティらしき少年の書類纏め。
まるで魔導師の必須技能、マルチタスクでも使っているかのようにそれらを効率良く捌いていく様は、若干16歳ながらも一艦の通信主任を任されている彼女のスキルの高さを物語っていた。


「……ふぅっ」


一段落と同時に一息つきながら、背もたれに上体を預ける。両手を天井に向かって伸ばし、気づかぬ内にコリ始めていた体へ一旦休息を。
作業に没頭していた為か一拍遅れて喉の渇きを覚え、エイミィはデスク脇のカップを口元へ運ぶが、いつの間にか空になっていたそれに気づくと、むぅっと口を尖らせた。


「お疲れ、エイミィ」


真後ろから掛けられた声に振り向き、来訪者へと視線を向けるエイミィ。
エイミィにとっては慣れ親しんだ声だった為振り返るまでもなく分かっていたが、そこに居たのはクロノだった。
両手には仄かな香りと共に湯気を漂わせるカップ。クロノはその一つに口を付けると、残る片方をエイミィに向かって差し出した。


「お、ナイスタイミング。気が効くねぇクロノ君」


言いながら嬉々として受け取ると、エイミィは早速カップを口元へ。喉を潤しながら、暫く確認していなかった現在時刻を知る為時計を見やる。
そうしてすぐ、胸中で「あっちゃー……」と嘆息し、そりゃお茶も空になるわけだ、と一人納得。
液晶パネルに表示されている数字はPM01:30。エイミィにとってそれは時間だけでなく、一度も休憩を取っていない為、昼食抜きで作業に没頭していたことも表していた。


「……昼食、取ってないんじゃないか?
僕もまだだし、休憩がてらどうだ?」


その言葉に、暫しクロノをまじまじと見つめ返すエイミィ。案外ツンデレなのかもしれない、と弟分の新たな一面を見れたことに、小さな苦笑一つ
視線の意味するところを察し始めたのか、段々としかめっ面に変わっていくクロノにエイミィは柔和な笑みを浮かべると、デスク脇にカップを置き口を開いた。


「ありがと。でも、いいよ先に食べちゃって」

「まだ、掛かりそうなのか?」

「今すぐ終わらせておかなくちゃ、ってわけじゃないんだけど。
やれる内にやっておきたいってのは少なからず、ね。いつ始まるか分かんないし」

「……そうだな」


出来るだけ陽気に努め、やんわりと断りを入れようとしたエイミィだったが、思わず洩れた言葉の意味を悟ったらしい様子のクロノに対し、バツが悪そうに頬を掻いた。
いつ始まるか分からない。当然、武装隊メンバーは今も交代で待機や訓練のサイクルを繰り返している。
だが、そこに本来ならば加わる筈のクロノは除外されている。本人はこれくらいなら動けるとでも言いたげだが、それは無理をして、の話だ。
少し前ならば、それでも出撃の可能性は或っただろう。だが、今は増援が到着している。
クロノが無理をする必要性があるかと問われれば、正直、そこまでないのが現状だ。だからこそ、気に病んでいるのだろう、とエイミィは思う。

自分じゃ気づかないくらいには余裕がないのかもしれない。
意外と気の回らなくなった今の自分を胸中で小突くと、エイミィは話題転換を試みようとコンソールに手を伸ばした。


「ま、それはそれとして、っと。
ふっふーん。ねぇねぇクロノ君」

「……何だ?
ていうかその顔、嫌な予感しかしないんだが」

「いやいやー? ただ、この子ってば凄くかわいいよねー。
こういう子、クロノ君の好みストレートなんじゃ――」

『――ぶるぅあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

『ご、ごごごごごめんなさいぃぃぃぃっ!?』

「…………。
……何か言ったか?」

「…………。
……何でもありません」


少しからかってみよう、と心中で小悪魔的な表情を浮かべていたが、モニターに展開された映像を見るなり頬を引き攣らせるエイミィ。
そんなエイミィの様子と、眼前の画面を見て、残りのお茶を飲み干しながらクロノは疲れを乗せた溜息を吐いた。

ウィンドウの中で、白を基調としたバリアジャケットに身を包み、桃色の魔力羽で訓練場を飛び回る少女の様子は、どこか幻想的な情景を想起させる。
ただ、その少女から次々と凶悪とも言える砲撃が射出され、訓練に付き合っている局員がボーリングピンのように飛んでいく様は、ギャップと相まってある意味シュールだった。
アースラの一区画で今この時も繰り広げられているその光景に、エイミィは黙祷を交え取り敢えず笑うことしか出来ない。


「……まぁ、アレだ。
管理外世界みたいな魔法文明が存在しない場所だと、突然変異みたいな感じで極稀に、みたいな話は僕も聞いたことがある。
……余り使いたくない言い方だけどね。それに、才能ってやつかもしれない」

「おお? 珍しいね。クロノ君がそんな風に誰かを評価するのって。
いっつも魔法は要所要所の見極めと、適切な判断力が~、みたいなこと言ってるのに」

「さすがに、ね。
魔力量、最大時の魔力放出量といい、圧縮制御率といいこの子は別格だ。
普通は訓練校で地道に覚えて鍛えていくようなものなんだが……本人曰く、何となくでやってるらしいし。
秀才じゃない、天才だよ。間違いなく。
まぁ、フィジカル面は目も当てられないんだが」

「そりゃそうでしょ。つい最近まで普通の学生だったんだし」


何を当然のことを。そういった体(てい)で肩を竦めてみせるエイミィだったが、クロノの言っていることに同意も出来た為、それ以上否定はしない。
内心、話に出て来た突然変異という単語に、ぶっちゃけ生命の神秘レベルだよね? と過ぎったが、それはさすがに失礼だと感じ口には出さず、代わりに別のウィンドウを立ち上がらせた。
そうしてエイミィがコンソールに手を伸ばした時丁度、訓練場がモニターされている映像では、再度局員が吹き飛ばされている最中だった。


「……何て言うか、不思議だな。
いや、余計に訳が分からないって言った方がいいのか。
考えるだけ無駄かもしれないけど、何で態々敵に塩贈るような真似したんだ?
今あの子が使ったディバインメテオールとかいう魔法、考えたのってあいつなんだろ?」

「ん、らしいねー。なのはちゃんに話聞く限りだと。
本人もこれで倒すんだー、みたいな感じで躍起になってるし。
ただ、まぁ……」

『にゃあぁぁぁぁっ!?』

「……あんまり上手くはいってないみたいだけど」

「当然だ。考える方も使う方もどうかしてる。
何と戦うつもりなんだまったく。普通に考えて燃費も効率も最悪レベルだぞ、アレ。
……まぁ、実際の威力は笑い飛ばせないんだが」

「んー……その威力云々は兎も角として。
クロノ君のスティンガースナイプと同系統……じゃないよねー」


「いや、違うだろ」と如何にも心外といった様子で呆れの混じった溜息を吐くクロノ。
エイミィはそんな不貞腐れたようなクロノの様子を横目で見やると、視線をモニターへと戻し変わらず騒がしい訓練場の様子を眺め始めた。

……ほんと、何がどうなってるんだろ。
ここ三日間。そうして飽きるくらいに考えてしまうのは、ジェイル・スカリエッティと名乗った少年のことだ。
エイミィにとっての彼は、大事な弟分に大怪我を負わせ、アースラの武装局員大多数を魔力蒐集によって戦闘不能に陥らせた張本人。正直、憤りは禁じ得ない。
だが、エイミィの中でそう位置づけられていた少年は今、少々輪郭を変化させていた。

余りにも、差異があり過ぎるのだ。
自分達管理局が抱くジェイル・スカリエッティの認識と、少女から聞き出した少年の振舞いや人物像が、全く合致してくれない。
聞けば、出会いはジュエルシードの封印に苦戦している時に、手助けをしてくれたとのこと。加えて、右腕を複雑骨折しながらもだ。
その後、魔法の特訓を開始した少女に助力し、一般家庭に溶け込んだ。短いながらも犯罪者らしからぬ日々を送っている。

だからこそ、エイミィには分からない。
少女の話だけ聞けば、善人だとさえ思える。だが彼は、自分達から見ればS級次元犯罪者らしき凶悪犯。実際に目の前で犯罪も犯している。両極端であり対岸の見解だ。
エイミィはそれも相まり、ただ身柄を確保すれば全て終わると考えていた筈が、何を目的として動いているのか、知っておきたいと考え始めていた。
少女があれ程必死に強くなろうと努力し、少年を止めようとしている姿を見ていると、余計にそう思えてしまう。


「……少し、思ったんだけどさ」

「ん? 何だ、改まって」

「別人……って線は無いかな?」

「……どうだろうな。僕もその可能性は考えてるよ。
でも、だ。
管理局を手玉に取る明らかな余裕、それにあのコガネマルとかいうデバイスを自分で作ったんだとしたら、どうだ?
こっちで確認してるだけで、魔力リニア瞬間滑走能力、魔力蒐集能力、加えて自律行動機能。
そんな物を作り出す技術力を持ってるんだ。別人として考えるのは無理があり過ぎる」

「……だよね。ごめんごめん。変なこと聞いて。
何か手配書より全然子供だし、なのはちゃん達から聞いた話とイメージが違ったから、ちょっと気になっちゃって」

「まぁ……確かに。
僕もあのジェイル・スカリエッティがあんな子供だとは――…………ちょっと待て。
別人に……子供……?」

「えーっと……? クロノ君?」

「…………。
……そもそも何でこの世界に居るんだ……?
そんなおいそれと拠点を変更すれば管理局に悟られ――……拠点……?
子供……容姿は同じ……別人……でも技術は持っている……いや、違う。それを出来るだけの頭が或る……」


突然、呪文でも唱えるかのように口を忙しなく動かし、鬼気迫る様相で思考域に埋没していくクロノ。
完全に蚊帳の外に置かれる形になってしまったエイミィは、恐る恐る話し掛けるが、全く反応を示してくれないクロノに空笑い。
しょうがないなー、と呟きながら、仕方なく本来の業務を再開しようとする。


「……もしかして……いや……。
……エイミィ。あのスクライア一族の少年が捕まってたらしい場所の特徴照会、終わってるか?」

「ん? まぁ、うん。一応。
て言っても、まだ最終候補は絞りきれてないんだけど……。
それがどうかしたの?」

「よし。だったら条件付で絞り込んでみてくれ。キーワードは技術者、科学者。元が付いてもいい。
兎に角それに当たる人物が所有してる次元空間航行可能な船。その条件でデータベースに検索。大至急頼む」

「技術者に科学者……?
ま、いいけど。えーっと……科学者に技術者……っと」


まだ指示の意図は察していないが、クロノの言う通りエイミィは軽快にコンソールを弾き始める。
検索ワードを打ち込みながらウィンドウを切り替え、該当項目以外を除外。
右から左へ上から下へ消えていく候補の中、最終的に残ったのは、たった一つだった。


「……時の庭園……所有者は……プレシア・テスタロッサ?
えっと……26年前、ミッドチルダ中央技術開発局の第3局長を努める。
次元航行エネルギー駆動炉ヒュードラの使用に失敗、中規模次元震を発生させてしまい地方に異動。
その後、行方不明……」

「家族関係は?」

「んと、23歳で結婚。28歳で1児、アリシアを授かる。夫とは離婚済み…………え?
ちょ、ちょっと待って! このアリシアって子……」


言いながらハッとなり、クロノへと振り返るエイミィ。
それに対し、モニターに展開されているパネルを確認しながら、クロノは無言で頷き返し同意を示した。

クロノの中で、欠けていたピースが次々と繋がっていく。
亡くなった筈のアリシア・テスタロッサと、全く同じ容姿の黒衣の魔導師
S級次元犯罪者ジェイル・スカリエッティと、全く同じ容姿のジェイル。
まだ推測の域、可能性の段階からは抜け出せない。
だが、恐らく。これで、全てが繋がった。


「……艦長を呼び出してくれ。
多分、僕らはとんでもない思い違いをしてた。
ジェイルじゃなかったんだ。本当の黒幕は――、」


――プレシア・テスタロッサだ。





















ネジ、ワイヤー、ケーブルなど様々が乱雑に敷き詰められ、足の踏み場を見つけるのでさえ困難な室内。
漂う異臭は濁った色を孕んでいるかのような錯覚があり、もはや何が元になっているのか定かではない程混じり合っている。
空間の一画には、コポコポと水泡の踊る小型の生体ポッド。中には何やら虫が入っている。それだけを見れば何かの研究室のようなのだが、片隅に微かな生活の跡が残っているところから、寝室であることも伺えた。

現在、この部屋の主、ジェイルは居ない。フェイトを伴い、第97管理外世界に潜伏の最中だ。
当初は拠点を切り替える可能性を薄く考えていた為か、急な引越しによって空き巣でも侵入したかのように、室内は大惨事に見舞われている。
そんな周囲の荒れ様に加え、留守番を任された現状にブツクサと文句を吐き出しながら、アルフは持っていた用途不明の機器を背後に向かってポイッと放り投げた。

狼が素体である使い魔、アルフにとっては、なまじ嗅覚がいいだけこの場所の臭いは鼻につく。
少しでも緩和しようと部屋の入り口は開けっ放しにしてあるが、強烈な薬品類の刺激臭だけは居座ったままだ。
片付けろよ、と文句の一つでも言いに行きたい気持ちは山々だったが、留守を預かっている以上、実際に時の庭園を離れるわけにはいかない。


「あーあ……絶対貧乏くじ引かされてるよなー。
……ったく」


出来ることと言えば、天井に向かって愚痴を零すくらい。
変事に備えての待機。何も起こらないのが勿論一番良いのだが、起こらなければそれはそれで暇。目下、アルフの敵は退屈だった。
何か面白い暇潰しがあるかもしれない。そう考えてジェイルの私室を訪れてはみたのだが、或るのは何が何やら理解出来ない部品類ばかり。
手に取っては放り投げ、放り捨てては別を拾う。それを繰り返している間、アルフの中で募っていくのは苛立ちとモヤモヤ感だけだった。

主と使い魔の潜在的な精神の繋がりを――精神リンクを利用し、何が起こってもすぐさま片方が感知出来るように。その為のこの配置。
完全な双方向ではない精神リンクの性質上、主から使い魔へのラインは強い為察知が早いが、逆は然りではない。
弱いわけではないのだが、察知にタイムラグが生じる可能性とてまま或る。だからこそ、危険の高い潜伏先に主、フェイトを。待機人員に使い魔、アルフを。

アルフとて、ジェイルが口にしたその理屈は分かっている。
それに、プレシアとフェイトを二人だけにするよりまだマシだ、とも思う。だが、それで完全な合意が及ぶか如何かは別問題だった。
随伴している人間がジェイルで、しかも二人きり。アルフが納得出来ていない理由は主に、と言うより、完全にその二点で占められていた。


「フェイト……大丈夫……だよな?
……大丈夫大丈夫。バルディッシュが付いてるんだ。うん。心配ないない。
ああ……フェイト……無事でいておくれよ……」


うわ言のように主の名を呼び、無事を祈るアルフ。危機感は既に頂点へ達し、正直今でも気が気でない。
一応フェイトには部屋に常時鍵を掛けるように念を押し、バルディッシュにはマスターを危ない道へ転落させないように厳命を。万が一にはオートでシールドを張れとも言ってある。
だがそれでも、フェイトがほぼ無防備なのも相まり、まるで猛獣の檻に霜降り肉でも放り投げ入れてやるような状況であることには変わりがない。
最終手段として、アルフはもしジェイルがフェイトに手を出そうものならば、指示を無視してでも海鳴市に下りて息の根を止めに向かう所存だった。


「……しっかしまぁ」


よくここまで散らかせるもんだ、と呆れる意味での感心を洩らすアルフ。
思うところがあったのかそれとも只単に飽きたのか、床に転がっているのは明らかに途中で製造を放り出している機械の部品ばかりだ。
中には、一個で机を占領する程のサイズの物まである。これもケーブルや導線が飛び出ているところから、半ばで放棄しているのが伺える。
案外、三日坊主なのかもしれない。アルフはそう思い浮かべながら、少々興味を引かれたその一際大きな機械に近づいていく。


「ん?」


形状は何かの砲身だろうか。
そう当たりを付け物体を持ち上げようとした時、視界の隅、デスクの上で光った何かに意識を引き留められ、顔を上げるアルフ。
そこに転がっていたのは小型の円盤。にび色にも関わらず不思議と光を反射しており、中心には小さな穴。
CDみたいだなー、と感想を述べながらアルフはそれを手に取り、暫しの間眺め始めた。

……コレ、デバイスコアじゃないか?
と、アルフは見当を付けると、先程までの様子と打って変わってご機嫌そうな顔を浮かべる。
いい暇潰しが出来た。持って行かなかったくらいだし要らないもんなんだろ。認証通るかな? など考えながら、入手した遊び道具を掌で遊ばせたまま室外へと。
向かう先は時の庭園外円部。あのジェイルが作ったもんだし、と一応の用心の為だ。

その途上、長い通路の中ほどで耳をピクッと微動させ、アルフは立ち止まった。
ディスク状のデバイスコアを遊ばせていた手は収め、足を止めさせた音の元を訝しげに探り始める。
今、時の庭園に居るのは自分とプレシアのみ。音の主は考えるまでもなかった。


(……プレシア、だよな……?)


普段のアルフならば、プレシアの事などどうでもいいと切り捨てていただろう。
何せ、フェイトへ虐待紛いの仕打ちを繰り返していた人物だ。たとえ主の母親とはいえ許容出来よう筈もない。だが、この時ばかりは少々違った。
聞こえて来た音。と言うより咳は、まだ距離があるにも関わらず、苦しげな姿を脳裏に過ぎらせる。
それに只ならぬ事態を察知したアルフは、怪訝な表情のまま踵を返し、暗い通路を小走りで進み始めた。

益々悪化の一途を辿り、激しくなっていく咳。それに比例し、アルフの足も速まっていく。
小走りを急ぎ足へ、早足から駆け足に。嫌な予感に背中を押され、アルフはプレシアが居るであろう場所へと急行する。
やがて見えてきたのは、扉。時の庭園での暮らしが長い筈のアルフでも、そこは一度も入ったことのない場所だった。
ああくそっ、と大きく舌打ちしながら、蹴破るように閉ざされた先へと飛び込む。室内へと進入した直後、驚愕で瞳を見開いた。


「っ!? おい、プレシア!
――…………。
……え」


床に吐血の跡。空間の中心には、杖を支えに片膝を折っているプレシア。
そのプレシアが寄り掛かっているのは、液体で満たされた透明な筒――それに、アルフは見覚えが或った。
つい先程まで居たジェイルの部屋にも、それはあったのだから。そこで見た物には、中で虫らしきものが漂っていた。
だが、今目の前に鎮座している生体ポッドに入っているのは――、


「――……フェイ……ト」


ここに来た目的も、思考の何もかもが眼前の光景に上書きされていく。
まるで眠っているかのような穏やかな顔で瞼を閉じ、ポッドの中で揺蕩(たゆた)う少女からアルフは視線を外すことが出来ない。


「…………。
違う……フェイトじゃ……ない……」


呆然と呟き、ただ少女を見つめ続けるアルフ。
精神リンクは繋がったまま。それを抜きにしても、使い魔が主を見間違える筈も無かった。
アルフはそれ以上、言葉を紡げない。静かに、水泡が奏でる音だけが木霊していく。


――見たわね。


そう言って、プレシアは幽鬼のように立ち上がる。
口元から滴る朱。空気を凍てつかせる病的に見開かれた瞳。悪寒を過ぎらせる滲み出る狂気。
振り返った彼女の姿は、ありとあらゆる物が酷く、歪んでいた。





















全く換気がされていないのか、異臭は無くとも室内には纏わり付くような空気が蔓延している。
足の踏み場はない。床へカーペット代わりに敷き詰められ、ばら撒かれている紙片には文字、絵、図にグラフ。描かれている内容は統一感を欠き、まるで落書きのようだ。
また一枚、二枚、とびっしり黒色が詰め込まれた用紙が、フローリングにヒラヒラと舞い、埋め尽くしていく。
やがて、全く已むことのなかったその工程が――部屋の最奥で、乱暴に何やら書き殴っていたジェイルの動きが、ピタリと止まった。

室内に無音が下りてから数拍、空気が微かに震動する。音の発信源は、ジェイルの腹部。
思うがまま書き綴り、脳裏に浮かぶがまま書き殴り、欲望の赴くがまま思考する。楽しい時間ほど経過は早いとはよく言うが、ジェイルの場合、それがより顕著だった。
所謂腹の虫が鳴った。それで漸く夕刻付近に差し掛かっている今を悟ると、ジェイルは勢いよく立ち上がり、同時に天井へと突き出した手からボールペンを背後に放り投げた。


「さて」


勢いを付けすぎた為、反対側の壁に激突した車輪付きの椅子を無視し、次は何を調理してみようか、と室内を闊歩しながらジェイルは考え込む。
上達しているのは自分でも分かる。それに加え、ここに潜伏し始めた初日に比べての、本日の昼食のフェイトの箸進み具合を思い返すに、傍目からも向上しているのは明白だ。

そろそろ、食してもらう人間の好みに合わせられるかもしれない。何が食べたいか聞いてみようか。
ジェイルは部屋の中央でそう巡らせながら、いつの間にかコリ始めていた四肢を伸ばす。
ギブスで固定された右手を吊っている為、右肩がやけに重かったが、首を回しある程度緩和させると、床に散らかされた紙を気に留めず室外へ。
これではドクターではなくコックだねぇ、と愉快そうに思い浮かべたまま、リビングへと進入した。


(……おや?)


入ってすぐ、視界に捉えたのはフェイトの後姿。窓際に立ち、鉛色に移り変わり始めた空を見上げている。
早速声を掛けようと一歩踏み出すジェイルだったが、何か思うところがあったのか、フェイトを眺めたまま、ふと一旦立ち止まった。
まだ、気づいていない。しかも、此方に背面を見せている。この折角の状況を、無意味にしていいものか。
図書館ではやてを驚かせた時と同じような心境を再度抱き、ジェイルはくつくつと笑みを浮かべる。
音を立てないよう、忍び足で。楽しそうに口元を上げたまま、フェイトへとにじり寄って行く。


『sir. The Dr came.(マスター、ドクターが来ました)』

「……え?
あ、ジェイル。起きたんだ……って、うわぁ……目、凄く赤いよ?
もしかしてまだ寝てなかったの?」

「…………」


心なしかわきわきとさせていた左手の動作を已め、心底不満そうに降ろすジェイル。
バルディッシュの改造プランに、AIの改変も加えておこうか。そう脳裏で設計図を組み変えながら、キョトンとしているフェイトへ普通に近づいていく。


「まぁ、心配には及ばないよ。睡眠は一段落付いた後に取る予定さ。
尤も、その一段落を終えたらまた別の項目が浮かんでくる為、結局いつ就寝するのか皆目見当も付かないのだが」

「もう、駄目だよ?
体壊しちゃったら元も子もないんだから」

「くくっ、折角ならばなのは君の手で壊されたいねぇ。
マゾヒストの気は無いが、彼女の放つ星の極光は是非一度この身で味わってみたいものだ」


ジェイルはくぐもった笑いを洩らしながら、窓際のフェイトの横へ。隣の少女と同じように、広がり始めている鈍い曇天に意識を向ける。
視界の隅に見えた極彩色へと目線を流せば、そこには赤色の蜘蛛の巣の中心で微動だにせず沈黙してるコガネマル。
糸の一本がコンセントプラグにリンクしているところからして、スリープ状態で充電中なのだろう。
部品と時間が揃った暁には、その辺りも改良しようか。ジェイルはそう思索すると、金の瞳をフェイトへと戻した。


(む?)


冴えない、と言うより憂鬱。先程の短い会話中には気づいていなかったジェイルだが、フェイトは明らかに顔色が悪かった。
曇り始めた空と同じく、精彩を欠いている。外を見上げる顔は、時折唇をきつく結んだり、開こうとしたり。スカートの裾を、皺が寄る程握り締めてもいる。
最後に顔を合わせた正午の時点では、こんな素振りはなかった。夕飯の献立、その希望を聞こうとしていたことも忘れ、ジェイルは暫しフェイトのそんな様子を伺った。


「…………」

「何だい?」

「え? えっと……?」

「言いたいことがある。もしくは聞きたいことがある。違うかね?」


このままでは埒が明かない、ではなく、言わずに抱え込む可能性がある。
そう考えたジェイルは、無言でチラチラと横目で自分を伺ってきていたフェイトに先んじ、口を開く。
ユーノを解放したい、と進言したことなど、多少は緩和されたとはいえ、フェイトは他者に依存している真っ最中。自己主張、意見を口にすることを恐れ、自己完結してしまう節がある。
そこに入り込む為。プレシアが去るまでに依存の一里塚を築いておく目論見も込め、ジェイルはそれ以上言葉を発さず、フェイトが開口する時を待った。


「…………。
ジェイル、その……時の庭園に一回戻るのは……駄目?」

「……む?
一回、とは……数日後に予定している帰還を早めるという解釈でいいのかい?」

「……うん。
……無理、かな?」

「無理ではないよ。可能ではあるさ。
只――……いや、その前に聞こうか。何故、そうしたいのかね?」


そう問いを投げ掛けている最中にも、フェイトの表情は優れない。益々曇りの一途を辿っていき、遂には顔を伏せた。
これだけ言いにくそうにしているところからして、相当の理由があるのかもしれない。もしくは、何かしらの想いか。
ジェイルがそう巡らせたのと時を同じくして、フェイトは顔を上げ、懇願を瞳に滲ませながら、再度口を開いた。


「アルフが……アルフとの精神リンクが弱く……なってるの。
時々途切れたりもして……あの子に何かあったのかも……しれなくて」


きれぎれながらも言葉を紡いだフェイトを見たまま、ジェイルは「……ふむ」と考え込み始める。表面上はそう繕っていたが、内心では俄かな驚きを。
在り得ない話ではなかった。考えていない事態でもなかった。考えられるのは、時空管理局による庭園への襲撃だ。
ユーノを解放した以上、ピースを組み合わせ、自分の背後にプレシア・テスタロッサが待ち構えている実情を悟られていても不思議はない。
だが、そうだとしてもあまりに早すぎる。それに、不可解だ。たとえ優秀な人材がプレシアの存在を嗅ぎ付けても、庭園の位置座標を知るには至らない筈。
加え、アルフが優秀なのは間違いない。大魔導師プレシア・テスタロッサとて、傀儡兵とて配備されている。やられた、とは考えにくい。

だが、精神リンクが途切れるくらいだ。
何かあったのは疑いようがない。しかし、何が起こったのかまで察するには、情報が余りにも足りなかった。
フェイトが正午の時点で何も言ってこなかった、様子がおかしくなかったあたりからして、ここ数時間の出来事。判明しているのは、それくらいだ。

……少々、拙いね。
そうジェイルは訝しげに思考こそするが、内心ではくつくつと自嘲していた。
時の庭園から海鳴市に下りなければ、恐らくこんな状況にはなっていなかっただろう。
だが、たとえそれを知り得、その時に戻ったとしても、高町なのはに会いに行く自分が易とも簡単に想像出来る。変事など些末と切り捨てて、だ。

いつ如何なる時も、やりたいことをやりたいがままに。激情の赴くままに。人の皮を被っただけの欲望そのもので或る自分自身。
つくづく、軍師の類は向いていないかもしれない、とジェイルは内心忍び笑いを洩らしながら「さて」と呟くと、思考タスクを切り替えた。


「詳しい時間……いや、それはリンクの方向性からして少々難しい、か。
フェイト君、それを君が察知したのはいつだい?」

「多分……30分くらい前。
……何かの間違いじゃないかなって混乱してたから、時計あんまりみてなくて……」

「……ふむ」

「ねぇジェイル……その、大丈夫……だよね?
アルフも……母さんも……」


そう、言って欲しい。
フェイトの瞳が語るその訴えを受けながら、ジェイルは次々にタスクを展開させていく。

今までの配置、覚醒までの時間を考慮して立てた、残るジュエルシードを回収する為の期間。それの限界が一週間。但し、地上の、だ。
既に三日経過。推測では今日の夜から明日の朝に掛け、一個。その後、潜伏中にもう一つ。
残りは海中に或る筈。それに最終日の夕方に刺激を与え、強制覚醒、回収する。
その際、示し合わせていた通りにアルフを海鳴市に呼び寄せ、戦力を整える。フェイト、自分、アルフ。加えプレシアの広域次元魔法で一気に管理局を殲滅。
時の庭園の座標が知られるのは、この局面において。殲滅しそこねた場合、全員で時の庭園に退き、傀儡兵を利用しながらの決戦。追って来なかった場合は、手筈通り逃亡すればいい。

尤も、無理を犯してまで地上のジュエルシードを回収する必要は無い。文字通り既に自分の手の中に12個現存しているのだから。
ならば、明日にでも海中のジュエルシードを回収し、時の庭園へと撤退しても一向に構わない。それで必要最低限揃う。
だが、そうなれば問題が発生してしまう。フェイトが封印作業中、自分一人で既に増援が到着している管理局と対峙しなければならなくなる。

出来ないことはない。また罠にでも嵌めてやればいい。既にその手順は、脳裏で幾重にも張り巡らせている。
だがそれには、一人、決定的に邪魔な存在が居る。


(……足りない、ね)


自分達が学校へと向かう為の時間を稼ぐ陽動――その際、同時にコガネマルに探らせた管理局残存戦力の中に居た猫素体らしき使い魔が、厄介だった。
エース級。映像だけでも間違いなくそう分かる程の実力者。それが単独で来る、もしくはそれ抜きで有象無象の武装局員のみが来るのならば、殲滅出来る。
しかし、そうはならないだろう。部隊の指揮を取ってくるのは、確実にその猫の使い魔。此方が今日明日にでも動けば、衝突は不可避だ。
纏めて相手をするとなれば、蹂躙は極めて難しい。

――だが、たった一つ、手段が或る。


「…………。
コガネマル、起きたまえ」

『…………。
……んん? 何さー?』

「君は元蜘蛛だ。ならば、明日の空模様は分かるだろう?
降るか、降らないか。それだけでいい。どうかね?」

『降るよー。因みに、今日の夜からずっと。
多分、明日の夜まで已まないかなー』


「ふむ。充分だ」。主がそう言うと、再びスリープ状態へ移行するコガネマル。ジェイルは、再び思考域へと埋没していく。
[クモは大風が吹く前に巣をたたむ]。諺に或るように、蜘蛛は天候の変動に敏感だ。雨が降れば巣を張り直す必要が出てくる場合もあるのだから、当然だろう。
確実ではないが、生存本能的な行動な為、人間の予報よりも格段に的中率は高い。

情報を組み替え、ジェイルは新たに思考タスクを展開、加速させる。
幾通りのパターンを踏破。状況を予測。蹂躙の舞台を脳内で展開。
嘗ての四番、謀略の愛娘と同じように考え、同じように絵図を描き、同じように歪ませる――それで、いこうか。
一人呟き、展開していたマルチタスク数個をシャットダウン。頭の中で最後のピースを嵌め込むと、フェイトへと向き直った。


「ふむ。よろしい。
ではフェイト君。明日の昼、ここを発とうか。
予定を早め、明日、海上で管理局と決戦し、その後時の庭園に退きプレシア君達と合流するとしよう」

「あ、ありが――」

「――但し、だ」


表情を幾分か明るくし、礼を述べようとしたフェイトを制し、口元を凶悪に吊り上げるジェイル。
語調を荒げたわけではなかったが、ビクッとフェイトが反応した様子を見て「悪いね」と一言詫びると、話を続ける。


「一点。只一つだけ君には厳守して貰わなければならない。
――私が幾ら窮地に立とうと、死地に踏み込もうと、絶対に救援に来てはいけない。
私の屍を越えて往く、ではなく、私の屍を歯牙にも掛けない。そういう気概を以ってことに当たって欲しい」
まぁ、簡単に言うと、だ。
フェイト君は封印に専念してもらいたい。その間、彼ら――時空管理局とは私が対峙する。と云うことだよ」

「……え、ジェイル一人で? む、無理だよそんなの。
私も……ジュエルシードの封印は後回しにして、私も一緒に戦った方が……」

「奥の手を使わせてもらうからね。私一人で充分さ。それに、フェイト君を巻き込んでしまう可能性も或る。
ただ、この局面での行使となると、少々面倒な手順が必要でね。そこに至るまで、俗に言うフルボッコにされると云うことだ。それを君は完全に無視して欲しい。
いやはや、存外私はマゾヒストかもしれないねぇ……くくっ」


くつくつと歪んだ笑みを携えたまま、フェイトの目を覗き込むジェイル。
「出来るね?」と、問いを投げ掛けてくる金の眼差しを呆然と見つめ、フェイトは瞳を揺らがせる。口を開かせないのは、戸惑いか、躊躇か。

内容に反して、心底愉快そうな少年の表情。いつもならば頼もしいとさえ思えるそれが今は、怖かった。
何と答えたらいいのだろうか。答えて、いいのだろうか。それさえも、怖い。
フェイトは暫し、裾を握り締めたまま、逡巡。立ち尽くし――、


――でもきっとその分、いつの日か笑って話せる日が来るって、そう思うから。
だから、ここからちゃんと始めたい。私はジェイル君と――。


――優しくて、強い。
真っ直ぐな少女の言葉を思い出して。少しだけ羨ましくて。
フェイトはそれに、手を伸ばした。


「…………。
私……一つだけ――」


見つめてくるジェイルの視線を真正面から受け止め、口を開く。
あの子とは違うけれど。きっと、只の我侭だけれども。
そう願ったのは、確かな本当で。叶って欲しいと思ったのは嘘じゃなくて。

紡がれた言葉が、少年を僅かに驚かせる。だが、すぐさま堰を切ったように笑い出したジェイルの顔は、これまでにない程楽しそうで。
そんな様子を見て、そんなに笑わなくても、と内心頬を膨らませ、フェイトはそっぽを向く。

窓の外では、いつの間にか雨が降り出している。
雨音よりも大きい少年の笑い。それが少しだけ可笑しくて、フェイトは小さく、笑った。







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