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答えを導く為の数式でも、ある一定の規則性を見出す謎々でもない。
一見しただけではただの数字の羅列。で終わってしまうだろう。
名前――とは異なるが、完全に違える訳ではない。似て非なるもの。内包する多面性の一部だけを捉えれば、それは正しい。
ある特定個人、固有判別に使われる。という引き出しの一部を閲覧すれば、大抵はそれの意味する所を悟るだろう。
財布の中身を覗けば、似たような刻印や記載が記されたカードを見る事が出来る人間もいるかもしれない。
――犯罪者ID。
英雄ではなく悪鬼。名誉ではなく不名誉。善ではなく悪。
母が赤ん坊に名前を与える際に抱くのが愛等の要素ならば、これは人々から憎悪や怨念等の敵意を込められた汚名と同義だろう。
この名を与えられ、史上最悪の次元犯罪者との烙印を押された人間。その男は数年もの間、繰り返される惰性の日々をおくっていた。
毎晩同じ天井を眺め、目が覚めても変わる兆しのない朝を迎えるだけ。
この数年間で学んだ事と言えば、死ぬまで檻の中で生を消費し、不変の日常を繰り返す動物達の心情くらいだろうか。
本来ならば野を駆け、空を謳歌し、大海原を遊泳すべく生まれ落ちたはずが、瞼をあげれば閉ざされた世界。
しかし、悲しむ事はないかもしれない。その世界しか知らない。故に、自分が不幸だと理解する事もなく生を終えるのだから。
だが、男は違う。欲望の赴くままに生命を冒涜し、激情の赴くままに生命を愛した。刷り込まれた夢だとしても、夢である事に変わりはなかった。
かつての満ち足りた毎日を思えば思うほど、身に宿る無限の欲望は己を焦がしていく。
猛獣達と違う所はそこだった。なまじ知っていたからこそ、我が身でさえ焼き尽くす炎は行き場を失い膨れあがり、熱を増していくばかり。
しかし、そんな奈落の底にも救いはあった。身体の自由こそ奪われていたが、思惟を巡らせる思考回路までは取り上げられる事はなかったからだ。
檻の中で常同行動を繰り返す動物達と、閉鎖された空間で知的好奇心を満たす男。
両者ともそれ以外に出来る事は皆無。という共通点はあるものの、胸中の色は全く異なっていた。即ち、愉悦を孕むか否かだ。
――時間は腐る程ある。ならば、納得のいくまで探究……思索の海に埋没しようじゃないか。
そう発起すると、彼は自分だけの世界に沈んでいった。
【第1話 アンリミッテッド・デザイア】
――1ヶ月目。
行動を開始したはいいが、次々と孵化する感情がそれを困難に導いてしまう。
恋焦がれるような情念。手に入れられなかった後悔。どんな手を使っても欲しいという欲望。
玩具を取りあげられた子供と何ら変わらない思いは、行為として現れる事となる。
ただ呆然と外の世界を眺め続ける日々が始まった。そして浮上した想いを打ち消すかのうに、時折啄木鳥のように頭を壁に打ち付ける。
異変に気付いた看守が彼を止めようと、必死に羽交い締めにするが、信じられない力でそれを振り払う男。
その程度で制止を可能にする程、彼の苦悩は生易しいものではなかった。この時から、専属のカウンセラーが定期的に訪れるようになる。
――2年半目。
時間が解決する問題も存在する。彼の激情も波打ち際のように沈静の様相を見せつつあった。
だが、それは傍から述べる見解。男性の感情のベクトルは別の場所へと切っ先を向けているだけの話だった。
……何故負けたのか?
戦いの申し子であるはずの娘達は、立ち塞がった彼女たちに悉く敗北を喫した。データ上では完全に勝っていたはずにも関わらずだ。
協力無比な先天固有技能を持ち、それを最大限に生かす為の特殊力場を形成可能な魔道兵器まで行使した。だが、結果は敗北。
何が自分達を敗北者足らしめたのか? 答えは一向に到来の兆しを見せない。
だが、答えは得られなくとも、そこに至るであろう式を幾通りか思い描く事は出来た。後は実行に移すだけ。それで何かしらの光明は差すだろう。
しかし、実験に移行する事は叶わない。新案の武具武装も、生体兵器もこの場所では製造する事さえ出来ない。
設備も材料も皆無。それ以前に手足を満足に動かす事すら不可能。自分の体にも関わらず、繰れるのは上半身、及び頭部だけ。
再びもてあました激情と苦悩。壁面に頭部を打ちつける毎日の幕があがった。
異変に気付いた看守が彼をとめようと、必死に羽交い締めにする。その力は以前よりも格段に強くなっていた。
八つ当たりさえ叶わない。落胆の色彩を隠せない男性。しかし、彼の生まれ持った欲望は、それさえ凌駕した。
髪を振り乱しながら狂ったように演奏するデスメタル――それを彷彿とさせるかの如く、熱情と言う名の弦を、衝動と言う名のピックで独奏する。
ヘッドバットの照準を壁から看守へと変更。この時から、頻繁にカウンセラーが訪れるようになる。
――5年目。
問題には必ずと言っていいほど答えが存在する。……何故負けたのか? 数年もの間追い続けた答えに、一筋の光明が見えた。
単純にして明快、この世の摂理――弱肉強食。強い者が喰らい、弱い者が淘汰される。ただそれだけの事だった。
つまり、自分達が弱者であり、彼女達が強者であるが故に敗北したのだ。しかし、ならばこそ腑に落ちない。納得出来ない。
データ上では確実に上位に位置していた娘達。負けるはずがないのだ。だが、数年前の決戦の結末がそれを否定する。
――彼女達は何故あれ程強く、美しかったのか?
そう考えた刹那だった。――ああ、――そうか!! そこに答えがあるのか!! 彼の頭から足の指先まで雷鳴が鳴り響く。
これこそ天啓。彼は狂喜した。彼女達の強さの秘密――その謎を解いた先に自分の夢――生命操作技術の完成系が鎮座しているに違いない。
そう――神を産み出す事さえ可能となるのではないか、と。
――会いたい。知りたい。骨の髄まで研究し尽くしたい。
彦星と織姫。それとは違う一方通行の熱情。
見ている者さえ狂気に犯せそうな程、外の世界へと思いを馳せる。
仮にこの地獄を出られたとしよう。しかし、それでは願いを果たせない。
答えを得られないまま彼女達の前に立っても、敗北するのは確定的に明らか。研究など以っての外だ。だが、答えを得る為には彼女達と再び邂逅する必要がある。
何とも矛盾している。何かいい方法はないか。彼は暗中模索する。
とりあえず話し合い、会談の場を設ける――駄目だ。明らかに自分は彼女達の嫌悪の頂点に君臨する。特にFの遺産などはより顕著だろう。
問答無用で叩き伏せる――そんな事が不可能なのは既に察している。
完全な堂々巡り。差し当たって衝突を避ける事は確定したが、相も変わらずいい策は浮かんでこない。
遥か空を目指し立ち昇る気泡は、海面に到達すれば霧散してしまう。次々と浮上してくるものの、求める目標には到達出来ない。
終りの見えない脳内会議。ふと、何が切っ掛けになったかは分からないが、巡り巡って原点、根本的な問題へと流れ着く。
嫌悪、敵意を抱いているからこそ、話し合い等不可能――ならば、それが元から存在しないのならばどうとでもなるのではないか?
その一つの答えに行き着けば、後に続く公式は芋づる式に次々と形を為していく。
後は行動に移すのみ。そう歓喜しながら檻の外へと意識を向ける。
そこには、度重なる彼との激戦で、筋骨隆々の戦士となった看守が門番のように立ち塞がっていた。
――7年半目――現在。
「ああ……懐かしいねぇ……」
時空管理局本局、遺失物管理第1課。遺失物保存・保管倉庫。
男性の視界を埋め尽くすのは、要人が有事の際に避難するVIP専用シェルターのような、広大な地下空間。
「こんな感情は実に何年振りだろうか……ここに存在する全てが私を満たしていくよ」
「……黙って歩け」
第9無人世界[グリューエン]の軌道拘置所に収容されていた際に着用していた囚人服。
格好こそそのままだが、浮かべている表情は全く異なっていた。愉悦をそのまま造形したように破顔し、言葉の節々からは感慨の極みが滲み出している。
脇に無数の四角いボックスの並べられた通路を、その様相を保ったまま引きづられていくように進み続ける男性。
縫い付けられた両袖手には手錠、そこから伸びる鎖の先は、前方を歩く管理局局員が握っている。
要人警護中のSPを想像させる光景。男性のすぐ傍を、全く同じ速度で追随していく数名の局員。人が鉄格子となったような檻が出来あがっていた。
要人ではない。だが、重要人物である事には変わりない。何せ、史上最悪のテロの首謀者なのだ。一瞬でも気を抜けば、何をしでかすか分からない。
人の行した未曾有の大災害――JS事件から7年半経過した新暦83年。
それまで時空管理局の捜査類に対して一切協力体制を見せなかった男性は、掌を返したかのように自供、態度を軟化させた。
男性が管理局に歩調を合わせ始めた理由は簡単であった。
――「罪を償い、新たな自分を、世界を始めたい」
数名の管理局上層部の取り調べの際、聴取終了時に必ず口にするようになった言葉。
しかし、史上最悪の次元犯罪者の突然の豹変。これを不審に思わない程、管理局は無能ではなかった。
そして二年の時が経過する。供述した内容――明らかになっている違法研究の他、多数の物的証拠の在り処。
隠し拠点等を次々と自白し、その全てが事実であり、ウラが取れた為、考えを微修正、改めざるを得なかった。
当初こそ疑いしか持たなかった管理局は、僅かながら男性が更正しようとしているのではないか? そう希望を持ち始めていたのだ。
だが、犯した罪が重すぎる。涙を流した人間が多すぎる。どう男性が罪を償おうとしても、無期懲役の判決を覆す事は断じて出来ない。
――「この世界で私の犯した罪は消えない。ならば――」
幾ら最凶のテロリストであろうとも、更正しようとしている心を無下にするのは無意味。
そう決断を下した管理局上層部は、男性の願いを聞き入れた。
――「レリック……そしてジュエルシード。本来ならば願いを叶えるはずだった祖先の贈り物を、無下に扱った事を謝罪したい」
地下空間の最奥部。物理的にも、魔道的にも厳重に封印の施された場所。
そこに到着した時、掛けられていた手錠が一旦取り外され、局員の一人に背中を押されて一歩踏み出す形となる男性。
目の前には金庫のような、中型の重厚な箱が置かれている。よほど重要な物なのか、外側から鎖で施錠まで施されていた。その数、12個。
「さっさと用を済ませろ。マッドサイエンティスト」
「分かっているよ。そう急かさないでくれたまえ」
更に一歩踏み出し、視線を右から左へ。
同一線上に並べられた12の箱を、舐める様に見渡す男性。
(ああ――遂に、遂に――この時が来た)
口元を醜悪に歪ませ、頭を垂れる。必死に笑いを堪えている為、肩が小刻みに上下していた。明らかに謝罪をしに訪れた態度ではない。
しかし、垂れている頭は謝罪の意、上下している肩は泣いている為。実際は全く違うのだが、男性の背後しか伺う事が出来ない局員達は、何の疑いも持つ事が出来なかった。
(さぁっ!! 私の願いを!! 望みを!! 無限の欲望を叶えたまえ――!!)
「罪を償い――」――無知は罪ではない。知ろうとしない事が真の罪である。だからこそ知りたい。彼女達の強さの根幹を。
「――新たな自分を、世界を始めたい」――未完成なままで終局を迎えてしまった生命操作技術。この世界では、もはや到底叶わぬ夢だろう。
「この世界で私の犯した罪は消えない」――そう、この世界で犯した罪は消えない。彼女達と真に望む形での邂逅は叶わない。
この世界で叶わぬの「ならば――」――他の世界。遥か過去――自分を完全に敵とみなす前の世界で叶えればいい。
(――――ジュエルシードよ!!)
プレシア・テスタロッサの異常とも言える願望――アルハザードへ至り、娘を蘇らせるという藁にもすがるような希望。持てる生命の全てを持ってしても、叶う事のなかった願い。
だからこそ、時空管理局は“願いを叶える”ような事は言い伝えであり、実際はそのような能力は内包していない。そう断定している。
しかし、ならば何故新暦65年、PT事件で次元震は発生した? ただ、膨大な魔力で次元が歪んだ。そうも考えられる。
だが、こうも考えられる。彼女達の邪魔が入った為、失われた技術の眠る地への道は開いていたが、障害――高町なのは達が邪魔した為、通る事が出来なかった。
何の根拠もないただの推測。事実、自分が12のジュエルシードを所持していた際、願いを叶えるような事は一度もなかった。
生命操作技術の完成――確かにこれは身を焼き尽くす程の願望であり、欲望だ。これ程巨大な願いを叶えられないのならば、管理局の見解も正しいだろう。
だが、その大望をジュエルシードに直接向けた事はない。ただの自己顕示欲の為に魔道兵器へと埋め込んだだけだ。
「……おい、何をしている」
一人の局員が、異常に気付く。僅かに聞こえた声。それは笑い声。発生源は目の前の男だったからだ。
「くっくっ――!!」
そして、プレシア・テスタロッサの望みでさえ次元震動を起こせたのだ。願い――願望――欲望。
賭けの要素が強いが、開発コードでもある[アンリミテッドデザイア]――[無限の欲望]とまで呼ばれる自分の切っ先を直に突きつけたのならば――、
「――くぁーっはっはっはっは!!」
――叶わぬ願い等あるだろうか。
「急にどうし――ッ――!? 」
その答えは、宙に浮かぶ12の物体が示していた。賭けの結果は、耳を劈く男の勝ち誇った狂笑が何よりの証だった。
突然宙空で漂い始めた、ロストロギア――ジュエルシードの収納された格納箱。厳重に封印の施されているはずなのだが、中身が起動しているのは明らかだ。
そして、懺悔をしにきたとは全く思えない程、耳触りな男の笑い声。何かが起こっている。それはもう疑いようがない。
控えていた局員達は、男を確保するべく一斉に駆け出した。
魔法は行使出来ない。この場所は様々な指定遺失物が保管されている。下手に魔法を使用すれば、それが引き金となって何が起こるか見当もつかないからだ。
「では諸君、そしてこの世界よ――」
だからこそ、彼にとっては都合がよかった。それも見越した上でのこの行動。
踊るようにその場で半回転し、自分目掛けて疾走する局員達に狂った笑みを見せつけると、
「――さようならだ」
最後に魔物のような嘲笑を浮かべ、史上最悪の科学者――ジェイル・スカリエッティはこの世界から跡形もなく消え去った。