「実に皮肉が聞いていてすばらしいな。最大の敵となって立ちふさがるのは、完成された高槻やよい本人というわけだ」 あの激動のステージの、翌日の、さらに翌日である。 大晦日の次の、さらに次の日なので、一月の二日ということになる。年末年始の特番ラッシュで、アイドルたちにしてみれば絶好の稼ぎ場といえるだろう。俺も俺で、次の二戦目、『高槻やよいVS菊地真』に取り掛かる必要があった。「さて」 窓から見える世界は灰色だった。遠くに見える電波塔は、ここからだと雲に呑まれて先端など見えはしない。低く流れていく灰色の雲が、街一面を被っている。こちらの内面を写し取ったような灰色は、見ていて滅入ってくる。 事務所には俺と美希しかいない。 正月の三が日は、さすがに事務所も冬休みに入っていた。よって、本来明後日まではなにもすることはない。 美希は持ち込んだホットプレートを使って、餅を焼いていた。ぷっくりと膨らんでいくさまに味がある。ただ、直接火で炙るのと違って、香ばしい臭いとかがでないのが、なにか物足りない。「おにーさん。お餅のトッピングって、なににする? きなことか黒密とかチョコレートとか、いろいろあるよ」「甘いのばっかりだな。いいや、冷蔵庫に納豆があったろ。もちといえば納豆だ」「はむはむ」 美希は人に甘いトッピングを勧めておきながら、自分は餅に海苔を巻いているみたいだった。醤油をたっぷりと海苔に含ませて、そのまま併せて口に入れている。餅の食い方というより、おにぎりのバリエーションみたいになっている。 俺と美希だけだと、あまり盛り上がらない。 やよいなら十パターン以上知っていそうだし、伊織の常識はずれたセレブっぷりにツッコミを入れるのがいつもの日常ではあるが、あいにくここにはふたりしかいなかった。 美希は餅を食べ終わると、冬休みの宿題をテーブルの上に広げていた。というよりこの規格外の容姿に接しているためなのか、美希に対して、時々この娘が中学二年生であることを忘れそうになる。 俺はそれになんやかんやと口出ししながら、やよいを馬車馬のように働かせた金で買ったミル挽き珈琲自販機の、アイスカナリスタに口をつけた。「おにーさん。くつろいでるよね」「ステージライブの二日後だからな。また二週間後には、次のステージが待ってるんだから、今日ぐらいはだらけておくべきだろう」「ねえ、アイドルユニットが、脱退っていうか分裂するのって、どういうときなの?」「売れなくて、プロデューサーから見切りを付けられる以外でか?」「うん」 美希が頷いた。 誰の話なのか、どこが問題なのか、今更言うまでもない。ならば、話の方向を誘導して、きちんと話をしておいたほうがいい。「解散の理由なんて、性格が合わないのと、男関係と、あとは音楽性の違いだな」「音楽性?」 美希が、首をかしげている。 「人は、道標が違うだけで喧嘩まではしない。ぶつかるのは、その人物の向上心を含めた技量による足切りだ。ユニットが複数人で構成される以上、モチベーションの差はいかんともしがたい。そのへんは、美希。おまえが一番よくわかってるだろう?」「うん」「で、伊織はどうしてる」「ずっとレッスン室に閉じこもってるよ。あずさがついてるから、大丈夫だと思う」「ふむ。まあ、こっちはこっちで対策するか。さて、どうしたものか」 課題は多い。 第一戦目で、『ハニーキャッツ』の知名度は上がったが、それ以上に『高槻やよい』の知名度はもっと上がってしまった。よって、相対速度的にまったく目標に近づいていない。コントみたいな状況である。自分の仕事は完璧だったという自負があるだけに、なんというか嫌になってくる。「伊織は後回しだ。やよい本人をどうにかしないと、問題は解決されない。優先順位をつけて、地道に片付けていこうか」「あれ、どうにかできるの?」 美希のつっこみは、確信をついていた。「とりあえず、やよいを一度、負けさせよう」 このままあれに暴れまわられたら、プラチナリーグが崩壊する。せめて、自分の手の届く範囲で事態を収める必要がある。 「え、おにーさんってそれでいいの? やよいがアイドルマスターになるなら、そっちを優先するって思ってた」「やよい本人が、それを望まないだろう。それにアイドルマスターってのは、金メダルじゃない。トップアイドルに与えられる称号ではあるが、称号で誰かを感動させることなんてできない」 美希は、両目をぱちくりとさせていた。 「じゃあ」 ――アイドルマスターって、なに? 「アイドルマスターってのは、夢なんだよ。その称号は誰もが憧れる。アイドルを目指す少女たちなら、誰もが目指す最終到達地点だ。だからアイドルマスターとは、アイドルが苦難の末、まっすぐにつかむことのできる夢であるべきだ」 だから、俺は今のやよいを否定する。 すべてのファンが、やよいをアイドルマスターに祭り上げようとするのなら、担当プロデューサーである俺ぐらいはそれを否定してやらないと、やよいが救われない。「アイドルとしての夢を犠牲にした先の勝利に、そんなことで得たアイドルマスターの称号に、いったいなんの意味がある?」 俺は両方のてのひらを返した。 言葉にすると胡散臭くなる。俺は俺の生きるままにしか生きられないんだからしょうがない。「というのは、建前だがな。第一戦目でピークを迎えて、あとはそれまで得たものを零していくだけってのは、成功してるとはいえないだろう」「うん。そうだね」「さて、当面対処すべきは、すでに目前に迫った第二戦目だが」「対戦相手は、真くんだよね」 菊地真。 Aランクアイドルでは、6位。 『王子様』と呼ばれる美形アイドルで、女子中高生から、三、四十台の主婦層にも絶大な人気を誇る。ただ、彼女の武器はその偏ったファン層による特異性だ。『本物』にぶつかった瞬間に、あっけなく粉砕される。「ああ、そして対戦結果はシミュレーションするまでもない。菊地真なんて、覚醒やよいにかかれば、ケツの穴までほじられて瞬殺されるな」「なんか、言い方に悪意が」「それで、美希。おまえはどうだ。なにかアイディアとかないか?」「うーん。いっそのこと、やよいをわざと負けさせるとか?」 美希の案を検討してみる。 却下。 即座にそういう判断を下す。 ここで八百長の善し悪しを論じるつもりはない。そういう問題ではない。アイドルのタイプとして、やよいにはわざと負けるなんて高度なことはできないだろう。「アイドルのステージなんて、本気か本気でないかの二通りしかない。美希、お前みたいに数パーセント単位で、自在に自分の実力をコントロールできるアイドルもいるがな。やよいにできるとは思えない。そもそもやよいに対するファンの評価を下げるわけにはいかない」 その日の調子。 アイドルとしての輝きと安定性は、決して両立しない。極端なことを言えば、その日のテレビの星座占いひとつで、その日のパフォーマンスが左右されてしまう場合すらある。高槻やよいは、モロにこのタイプに分類される。 「天海春香がBランクにたたき落とされた以上、高槻やよいはワークスプロダクションの生命線だ。万が一、やよいが終わろうものなら、事務所とそこに所属しているアイドルたちもろとも、沈むぞ」「制約多過ぎない? いったいどうするの?」「ふむ」 完全に詰んだか。 そもそも明快な解決方法があるのなら、ここまでグダグダと悩んだりはしていない。どうする。俺は今までのやよいのステージから、できることとできないことを頭のなかで割り振る。 問題に対する定義。 そして、時間だけがすぎていく。脂汗が滲んだ。やばい、問題解決の糸口すら見つからない。出た結論は結局。高槻やよいに対して、「――手をつけるところがない」 俺は、呆然とつぶやいた。 考えてみれば、当たり前だ。 三浦あずさに置き換えて考えてみればよくわかる。俺は、アレになにひとつ付け足せない。いまさら、三浦あずさを引っ張ってくるわけにもいかない。 「あのやよいに、正面から勝てるとしたら。あずささんか」 いや。 ――ひと組だけ、いた。 かつてアイドルマスターに昇ることを、誰にも疑わせなかったひとつのユニット。 形骸化した名前とその夢の片割れは、次の高槻やよいの対戦相手として、二週間後に決戦のときを待っている。 トゥルーホワイト。 あ、つぶやいたその言葉に、美希が顔をあげた。「そういえば、あのやよいを真正面から叩き潰せるユニットが、たった一組みだけいた」 それに賭けるのもいい。 俺は携帯を取り出し、秋月律子の番号を呼び出した。 「どうするの?」「高槻やよいに勝つには、トゥルーホワイトをぶつけるしかない。ゆえに、萩原雪歩をプラチナリーグに引きずり出す」 可能性は多くはないが、それでも俺は仕事ですらなく、ただのファンとしてこのステージを見てみたい。実現さえすれば、第一戦など前座としか思えない、アイドルマスター候補同士の死闘が幕をあける。(ステージ7、了)