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No.15763の一覧
[0] キャッツエンドドッグス(アイドルマスター二次)[塩ワニ](2011/08/07 17:10)
[1] stage1 Giant Killing (大物喰い) 2[塩ワニ](2011/09/02 12:39)
[2] stage1 Giant Killing 3[塩ワニ](2011/09/02 12:40)
[3] stage2 The winner takes it all (勝者の総取り) 1[塩ワニ](2010/02/27 20:32)
[4] stage2 The winner takes it all 2[塩ワニ](2010/02/27 20:33)
[5] stage2 The winner takes it all 3[塩ワニ](2012/10/19 18:57)
[7] stage2 The winner takes it all 4[塩ワニ](2012/10/19 18:57)
[8] stage3 Mind game (心理戦) 1[塩ワニ](2010/06/22 15:22)
[9] stage3 Mind game 2[塩ワニ](2010/02/27 21:35)
[10] stage3 Mind game 3[塩ワニ](2010/03/08 20:24)
[11] stage3 Mind game 4[塩ワニ](2010/04/22 21:13)
[12] stage3 Mind game 5[塩ワニ](2010/04/27 10:55)
[13] stage3 Mind game 6[塩ワニ](2010/04/28 13:26)
[14] stage3 Mind game 7[塩ワニ](2010/04/29 22:14)
[15] stage3 Mind game 8[塩ワニ](2010/06/10 12:35)
[16] stage3 Mind game 9[塩ワニ](2010/06/11 10:41)
[17] 登場人物紹介(ビジュアルイメージ付き)[塩ワニ](2010/06/13 10:52)
[18] stage4 Blackboard jungle(課外授業) 1[塩ワニ](2012/01/13 10:19)
[19] stage4 Blackboard jungle 2[塩ワニ](2010/06/13 10:39)
[20] stage4 Blackboard jungle 3[塩ワニ](2010/06/14 12:55)
[21] stage4 Blackboard jungle 4[塩ワニ](2010/06/16 21:49)
[22] stage4 Blackboard jungle 5[塩ワニ](2010/06/17 23:41)
[23] stage4 Blackboard jungle 6[塩ワニ](2010/06/19 02:28)
[24] stage4 Blackboard jungle 7[塩ワニ](2010/06/21 08:07)
[25] stage4 Blackboard jungle 8[塩ワニ](2010/06/22 15:26)
[26] stage4 Blackboard jungle 9[塩ワニ](2010/06/24 09:54)
[27] stage4 Blackboard jungle 10[塩ワニ](2010/06/25 14:08)
[28] stage5 Relation(繋がり) 1[塩ワニ](2012/01/13 10:19)
[29] stage5 Relation 2[塩ワニ](2010/06/30 23:13)
[30] stage5 Relation 3[塩ワニ](2010/07/06 14:56)
[31] stage5 Relation 4[塩ワニ](2010/07/06 15:05)
[32] stage5 Relation 5[塩ワニ](2010/10/31 04:56)
[33] stage5 Relation 6[塩ワニ](2010/07/27 23:08)
[34] stage5 Relation 7[塩ワニ](2010/09/04 18:26)
[35] stage5 Relation 8[塩ワニ](2010/09/07 10:31)
[36] stage5 Relation 9[塩ワニ](2010/09/13 01:52)
[37] stage5 Relation 10[塩ワニ](2010/09/14 12:22)
[38] stage5 Relation 11[塩ワニ](2010/10/31 04:27)
[39] stage5 Relation 12[塩ワニ](2010/10/04 02:21)
[40] stage5 Relation 13[塩ワニ](2010/10/31 04:51)
[41] stage6 vs Yayoi takatsuki(vs高槻やよい) 1[塩ワニ](2012/01/13 10:20)
[42] stage6 vs Yayoi takatsuki 2[塩ワニ](2011/09/02 12:39)
[43] stage6 vs Yayoi takatsuki 3[塩ワニ](2011/09/02 12:37)
[44] stage6 vs Yayoi takatsuki 4[塩ワニ](2011/10/10 12:54)
[45] stage6 vs Yayoi takatsuki 5[塩ワニ](2011/12/19 12:20)
[46] stage6 vs Yayoi takatsuki 6[塩ワニ](2011/12/21 09:57)
[47] stage6 vs Yayoi takatsuki 7[塩ワニ](2011/12/23 08:08)
[48] stage7 Boss Rush(五連戦) 1[塩ワニ](2012/01/13 10:22)
[49] stage7 Boss Rush 2[塩ワニ](2011/12/27 01:23)
[50] stage7 Boss Rush 3[塩ワニ](2012/01/05 13:06)
[51] stage7 Boss Rush 4[塩ワニ](2012/01/05 13:13)
[52] stage7 Boss Rush 5[塩ワニ](2012/01/07 11:12)
[53] stage7 Boss Rush 6[塩ワニ](2012/01/11 02:28)
[54] stage7 Boss Rush 7[塩ワニ](2012/01/13 10:25)
[55] stage8 Snow Step(雪歩) 1[塩ワニ](2012/01/20 15:58)
[56] stage8 Snow Step 2[塩ワニ](2012/01/20 15:54)
[57] stage8 Snow Step 3[塩ワニ](2012/01/27 05:12)
[58] stage8 Snow Step 4[塩ワニ](2012/01/27 05:11)
[59] stage8 Snow Step 5[塩ワニ](2012/02/01 21:15)
[60] stage8 Snow Step 6[塩ワニ](2012/02/06 15:21)
[61] stage8 Snow Step 7[塩ワニ](2012/02/16 03:09)
[62] stage8 Snow Step 8[塩ワニ](2012/02/18 14:59)
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[15763] stage7 Boss Rush 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/01/11 02:28







 台本が狂った。
 迂闊だった。この段階でのボロ負けを想定していなかった。
 だから、傍で見ている俺ですらそうなのだ。現実を突きつけられたステージ上の三人のショックは、相当なものだろう。
 
 マズイマズイマズイ。相当にマズイ。脂汗が伝う。心臓の動悸が早くなる。この大敗は、各々違いがあるとはいえ、三人の心に深い爪痕を残したことは疑いない。特に、伊織がまずい。
 
 よりによって、司会なんてものを任せている。
 まずは、ファンに伊織と美希の顔を覚えてもらうことが最優先だったために、勝負自体にあまり重きをおかなかったせいだった。完全に、天海春香にそこを突かれたかたちになる。

 他の誰にも任せられなかった。あらゆるアクシデントは覚悟の上で司会をやらせてみたのだが、こうまで精神を乱されて、まともに立ち上がれるのかすら怪しい。混乱し切った頭で、そんな大事な役が務まるとも思えない。
 
 撤退が上策だろう。スタジオのなかでは、テーブルの上に乗ったノートブックの画面に、俺の指示が表示される仕組みになっている。
 ケータイを取り出し、一度戻す、と打ちこむ。
 
「ああ、もう。まだ耳が痛いわ。なんなのよあれ」
「う、くらくらしますー。地鳴りみたいでしたー」

 おや?
 伊織は平気そうだった。頭上のムービングライトの光で、細やかな表情までは伺えない。とくに声に動揺もない。俺の先走りだったか? きちんと、やよいや天海春香の、細かい心の動きを拾っている。
 
 照明が落ちる。
 ステージから天海春香、伊織やよい美希の乗ったスタジオが横に滑り、横の舞台裏にまで戻ってくる。
 
「あ、プロデューサー?」
 
 ゾッとした。
 伊織の表情は、まったく冴えない。血が通っていないのではと思うぐらい蒼白になっている。震えが止まらないようだ。極限まで、張り詰めていた糸が切れていた。
 
「すまない。伊織。俺のミスだ。お前はよくやった」

 勝てない、とは思っていた。
 大敗は織り込み済みだった。だが、ここまで致命的なダメージを受けるとは思ってもみなかった。何重にも張り巡らせた予防線は、天海春香によってすべて引きちぎられている。
 
 伊織の、精神の強度を見誤った。
 やよいのAランクアイドルへのランクアップ。それでも、かなり限界に近かったのに、それからも無茶を通させた。
 
「伊織。すまな、おい。ち、ちょっと。待てやコラ。痛い痛い痛いわっ!!」

 向こう脛を蹴り上げられた。
 無言で、執拗に蹴り続けられる。
 
「ああもう。なんなのよアレは。聞いてないわよ?」
「いや、言ったぞ。散々耳にタコが出来るほどに言った覚えがあるぞ。一パーセントの勝率しかないとか、俺が千早を擁しても、一度も勝てなかったこととか」
「アンタのセリフ、どこまで信じていいかわからないから微妙なのよ」
「ああそうですか」










 ステージに目を移す。すでに、次の楽曲の準備がはじまっていた。
 エキシビジョンマッチは、『ハニーキャッツ』の先行だったために、プラチナリーグ公式戦『高槻やよいVS天海春香』は、天海春香の先行から始まる。

 サッカーでのPK戦、カードゲーム、将棋や囲碁だけでなく、PVP(人対人)の対戦というくくりによれば、先行が絶対有利という法則がある。覆すのに、サイドラ並のチートカードが必要なことから、それもわかるだろう。

 よってプラチナリーグでは、先行後攻の違いも頭に入れて戦略に組み込まないといけない。(ただし、最初のステージだけは、観客も評価を定めにくい。一番は、観客も様子見で高い点が入りにくいため、プラス五点ぐらいしてもいい)
 全三曲のため、どちらかが先行を二回得られる。
第一戦目に、天海春香が先行を取っているために、二戦目のやよい先行のあとで、三戦目はまた天海春香の先行が入る。そういう意味では、こっちが不利だ。とくに、プレッシャーで首を締めてくるような、天海春香のようなタイプを相手にした場合。
 
 
 
『I WANT』
 

 
 LEDスクリーンに、天海春香の、一曲目が表示される。
 天海春香のエース曲と比べると、一歩落ちる。それでも、すべてのアイドルに致命傷を与えるだけの破壊力をもつ、必殺の楽音。始末の負えなさは、『洗脳、搾取、虎の巻』に次ぐ。天海春香の代表楽曲のひとつ。
 
 どう勝つのか。足がかりさえない。とは言わない。
 天海春香は楽曲そのものの組み立てというか順番に対する意識が、雑というか無頓着なところがあった。一度も負けていないという己に対する絶対的な過信があるのだろう。

 歌うだけで、ありとあらゆる敵を滅ぼしてきたことによる弊害。
 つまり天海春香は、自分の持ち歌を強い順に出しているだけだ。それが悪いとはいわない。むしろ、戦略としては最善だろう。自分を脅かす敵が見えないのに、警戒などしても仕方がない。
 
 本物の強者とは、『警戒する』という行為すら必要ない。
 
 だからこそ。
 ただの一勝が、千金の価値をもつのだが。ただ、それが遠い。観客の盛り上がりが、奥に引っ込んでいても肌で感じられる。
 完璧なコールアンドレスポンス。
 軍事演習とすら揶揄される『愚民』たちのコールが、地響きとなって会場を吹き抜けている。

 やよいはステージ衣装のままで、ステージを見ていた。熱気で肌が焼け付きそうだ。熱せられた鉄板に、油が挽いてあるようだった。あるいは弾ける寸前のポップコーンとでもいうべきか。天海春香のステージが終わる。ステージの入れ替えが行われ、高槻やよいの順番が来てしまう。

「プロデューサー」

 すがるような声だ。小鳥が啼くみたいな。
 やめておくか? そう言いそうになった。むろん、ここでの中止がどれだけの損害を招くかは、痛いほどにわかっていた。いや、そんなのは架空の論理だ。
 俺は責任者としてどうあっても、このステージを成功させなければならない。
 
 が。
 やよいの口から出たのは、全くの逆だった。
 覚悟の表情。そして、決意。
 誰の助けも借りず、誰からも文句も付けられないように、圧勝する。
 
 そう決めたという風に。



「勝てば、誰も文句なんて言わなくなるんですよね」



 どこかの誰かへお願いしたい。
 ここでの、やよいの覚悟の量を数値化できたなら、是非、俺に教えて欲しい。奥歯を折れるほど噛み締めて、やよいは、ステージの上に立った。
 
 
 逃げ場はない。
 誰の助けもなく、たったひとりで、天海春香に立ち向かわなければならない。
 スタンダードという言葉がある。標準。飾り気のない。だが、歌においては、定番という訳がもっともふさわしい。
 
 高槻やよいのスタンダードといえば、たった一曲しかない。
 
 やよいは、天に手をかざした。

 たったそれだけで、アリーナ中の観客の視線が吸い寄せられる。高槻やよいは、ただ己の『格』だけで、天海春香のステージを払拭した。


 
『キラメキラリ』



 やよいのエース曲。前に進むための歌。全力で自分を肯定する歌。高槻やよいの自分応援ソング。
 
 ワークスが、自社の金庫の底が見えるぐらいの宣伝費を注ぎ込み、ありとあらゆる手段でゴリ押ししたために、この曲の売上はもうすぐ60万を超える。
 
 商売の方法としては褒められたものではない。シングルの販売数という実績を稼ぐために、むしろ逆に赤が出るぐらいの宣伝費を注ぎ込んでいた。
 
 だが。
 今はそれが、やよいを助けてもいた。
 誰でも口ずさめる。誰でもメロディーが耳に残っている。一世を風靡した、といえるだけの曲。観客の意識をつなげていくための、最低限の準備は終わっている。
 
 
 天海春香のステージ。
 大理石の岩盤のように、手をかけるところすらない。あの完成された支配力、観客の力を限界を超えて引き出しているそれ。

 それで。
 それがいったい、どうしたというのだ?
  
 そういう完全に吹っ切れた動きだった。イントロなしのサビから、スピーカーの音がアリーナを異空間に変える。畳み掛けるような音楽が、アリーナそのものを押し流すように見えた。
 
 観客を自分の力そのものに。
 なにも恐れることはない。それは、最初から自分の領域だ。
 
 やよいの声にならない声が聞こえた。
 なにかを掴んだ、のか。やよいの全身から力以上のものが吹き上がるように見えたのは、果たして錯覚だったのか。自分の魅力を熟知しつくしたようなスタイル。やよいは、ただ自分がいるステージを、完全に自分のものにしている。
 
 ステージ一段下からでてきたぬいぐるみたちが、やよいに追従するように動きを追う。ムービングライトを太陽に見立てて、やよいは小さな体をいっぱいに使って、ステージで跳ねている。
 
「果ては、悪女か」

 ここまで、自分の魅力を出し切れるものか。
 俺は驚いていた。自分の目が曇っていたとは思わない。だが、やよいにこんな引き出しがあったとは、想像もできなかった。
 
 なにも足すものも引くものもない。観るものすべてに多幸感を与えるアイドル。天海春香のカリスマが天与のモノとするのなら、やよいのそれは、天性だ。LEDスクリーンに横文字が浮く。
 
 こうして、『YAYOI TAKATSUKI』のステージが始まる。
 
 















 超攻撃的。
 それでいて、家族連れに歩調を合わせることも忘れない。客席のあちこちに出没しているカエルぬいぐるみたちが、小さなカエル人形を投げていた。
 
 なにかが憑いている。とんでもない吸引力で、観客の表情を緩ませている。なにもしていなくとも、そこにいるだけで物理法則すらねじ曲げる本物のアイドル。リハーサルと本番は違うということなのか。そんな片鱗さえも見せず、高槻やよいはリハーサルの数倍の質を伴って、ステージを実現していた。
 
 常識を覆す。必要なのは、ただそれだけ。
 会場のすべてを巻き込んで、高槻やよいはこの瞬間だけ、世界でも唯一無二の領域にいた。
 
 違和感がある。
 いつものやよいのステージはもっとはちゃめちゃだ。やよいのステージは、やよいがやよいでありさえすれば、成立してしまう。
 形がどうなろうが、彼女は彼女自身であればいい。観客の求めているものはそれだし、あるいはそれが、アイドルにもっとも必要な個性(タレント)というものなのかもしれない。
 
 俺は目を凝らした。
 
 違和感。違和感は、どこだ?
 
 そうだ、待て。
 俺はそれに気づく。違和感はこれだ。
 
 アイドルの『格』で、すべてを圧倒する。
 存在そのものが別次元として、超然と存在する規格外のアイドル。
 
 どの要素も、高槻やよいというアイドルにそぐわない。
 今俺が見ているものは、圧倒的な才能そのものの、ゴリ押しに近い。これはむしろ、星井美希の領分だろう?



「なるほど、そういうことか」

 霧が晴れたような気がした。
 導き出した結果に、腹の底から笑い出したくなる。なんてことはない。俺は勝利を確信したからだ。
 
 仕上がるのは、まだ何年かはかかると思っていた。

 やよいの天性の力と、
 伊織の折れないダイヤモンドのメンタリティと、
 美希の魔性のきらめき。

 今、高槻やよいが実現しているものは、俺が思い描いたハニーキャッツの理想像そのままだ。

 独りごちる。ならば、負ける道理などない。Aランクアイドルのことごとくを薙ぎ払い、アイドルマスターとしての道を往くための、俺が切りうる最強のカード。
 

 
「バケモノが」



 94対6。
 
 天海春香を、圧倒的な大差で下す。
 この瞬間に高槻やよいは、三浦あずさの後継者としての地位を、不動のものとした。
 万雷の拍手は、やよいに心動かされた観客たちの返礼なのだろう。そしてそのままの勢いを保ちつつ、二戦目と三戦目、高槻やよいは天海春香を完全に叩き伏せた。
 
 
 
 













「天海春香を、Bランクに叩き落としたか」

 まともに頭が働かない。感動で心が痺れているのか。凄まじいものをみたという衝撃が残っている。俺はひきつる笑いを隠しながら、やよいを迎えた。

「お疲れさま」

 やよいの息が切れていた。気力も体力も、極限まで絞り尽くしたのだろう。ただ表情は晴れやかだった。エキシビジョンマッチでの大敗をなんとかリカバリした。やよいの考えているのは、おそらくはそれだ。
 
 だが。
 いや、やめておこう。
 こんな状況下で、考えが纏まるとは思わない。
 今日はもう考えることをやめることにした。なにもかもが裏目に出る日というものがある。今日だ。さすがに、もうこれ以上の波乱はないだろう、そう思った。
 
 だが。
 しかし。
 
 天海春香のほぼパーフェクトに近い蹂躙も、高槻やよいの逆パーフェクトも、天海春香の無敗を打ち破ったという偉業すら、この先起こったことに、すべてかき消された。
 
 

「伊織ちゃん。もう大丈夫だよ」

 やよいは、遠慮がちだった。伊織にとっては、まぎれもない不本意な結果だっただろう。それでも、最悪ではない。完全に道が閉ざされたわけではない。帰って、また作戦を練り直せばいい。

 やよいの、100パーセントの善意で形作られた、天使の笑み。やよいが伊織に、手を差し出した。
 
「ひっ」

 短い悲鳴。伊織が後ずさる。
 
 二人の時間が止まる。
 伊織の瞳に浮かんだ感情は、畏怖と、困惑と、おそらくは恐怖。「あ、あれ?」そう疑問を投げたのは、やよいではなく、伊織のほうだった。今の自分の反応そのものが、信じられないというように固まっている。
 
 伸ばした手が、空を切っていた。
 伊織の瞳の奥に覗いた感情に、やよいは気づいただろうか?
 
 いや。
 馬鹿な質問だった。やよいが伊織の異常を見逃すなど、太陽が西から登るよりありえない。

 観客の前だったら、終わっていたな。他人事のようにそれだけを考える。どうする。俺は、どうすればいい? 思考は、空回るばかりで、まったくもって意味を結ばない。
 
「ご、ごめんね。やよい。転んじゃって。靴のカカトでも痛んでるのか、もしかしたら慣れないステージが終わって、足がもつれたのかも」

 咄嗟の、緊急回避。
 まずまずの言い訳だが、とうてい合格点はあげられない。
 
 ただ、やよいはぎこちなくも笑顔を作った。
 作り直したそれはさきほどの天使の笑顔とは、とうていかけ離れてはいたが。やよいは、違和感と呼ぶにはあまりに大きな『ソレ』を、カギをかけて、無理やりに心の奥底にしまい込んだらしい。
 
 ふら、と一瞬気が遠くなった。
 今のやりとりの間、息をするのを忘れていた。そっと盗み見るような美希の瞳。そして、俺の耳だけに入る、彼女の囁き。



(ねえ。おにーさん。だいじょうぶなの? このままだとおでこちゃん。一生、やよいに追いつけないよ?)










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