Aランク同士が相打つ舞台となる東京ビューイングアリーナは、ファンの間では闘技場(コロッセオ)と呼ばれ、プラチナリーグファンの聖地として祀られている。 千早をプロデュースしていたころは、俺も腐るほどここに来ていて、仕事をした場所としては一番多いぐらいだった。 昔は気心の知れたスタッフがいたが、事務所を変わったことにより、その顔ぶれも一新されている。照明の当て方ひとつとっても、また一から話し合いを重ねていく必要がある。 天海春香との決戦を明日に控え、客層に対する対策が必要だった。俺は2Fの第一会議室で、最後の詰めに入っていた。 24の椅子が用意してある円卓会議室である。埋まっている椅子は半分ほど。やよい。美希、伊織、天海春香、西園寺社長、マネージャー、舞台監督、ステージプロデューサー、エンジニアに、モニターエンジニア。照明、ローディーの一番偉い人、全員が首からバックステージパスを提げている。「ライブの楽しみ方、なんて小冊子も作ってみました。家族連れがはじめてライブに来てくれたという事態を想定しています。これを、アリーナ入口で、無料で配布します」 家族連れが多い、というのはやよいファンの年齢層からわかっていたことだった。何歳からチケットが必要になるのか、(答え、三歳から)という電話での問い合わせも、今まで担当してきたアイドルたちと頻度の桁が違っている。「はじめての試みも多くなりますが、みんなで力をあわせて、よりよいものにしていきましょう」 俺は会議の終わりを、そう締めくくった。 楽屋となっている小部屋のひとつに戻ると、うちのアイドル三人は空気が抜けるみたいにだらけたようになった。 決戦は明日になるが、この後に及んでやるべきことはそれほど多くはない。やよいでさえ、今日の仕事はもうない。 のだが。 やよいは特に止まってはいなかった。 こまごまとテーブルのうえに四人分の飲み物を用意したり、雑用をしていないと落ち着かないところがあるらしい。 十〇畳ほどの部屋の半分は、畳が敷かれている座敷部分になる。あとは八つほどの椅子と、据えられたテーブルにはコーヒーポットと未開封の紙コップが用意されていた。 美希は座敷部分を自分のテリトリーと決めてしまったらしい。 積んである座布団を重ねて、すぐさまに横になった。ここまでの時間、なんと三秒。伊織は反対側のよっつついている鏡に自分の姿を映して、ヘアチェックに余念がない。突き出したカウンターにはヘアメイク用の備品をはじめ、雑多に物が置かれている。「しかし、テンションあがるな。親子連れが休日にやよいのライブを選んでくれるなんて、最高じゃないか」 クッションがやけに沈み込む椅子に体重を預けて、俺は半分ほど読んだ小説を再開した。なお、俺のテンションがおかしいのは徹夜明けだからである。「おにーさん。親子連れが多いと、なにか注意することってあるの?」 美希が、そんな質問をしてきていた。「基本はスタッフの苦労が増えるだけだが、アイドルに関係することとしては、年齢なんて関係なく初見が多いかどうかだな。有名アイドルがライブで、30分かけた芝居なんてやった例もあるが、その内容が、その前日のテレビ放送を見ていなければ訳がわからないというもので、担当者はファンなら見ていて当然と思ったんだろうな。その予測は外れて、ほとんどが初見の家族連れで、ステージそのものの出来にかかわらず、失敗の烙印を押されたなんて例もある」「ふーん」 せっかく説明してみたが、美希は半分以上流していたようだった。 そして、伊織は難しい顔をして腕を組んでいた。落ち着かないようでソワソワしていたりして、実にうっとおしい。 仕方ない。 この状況下で、もっともプレッシャーがかかるのは、やよいよりむしろ伊織である。「ねえ、プロデューサー。なにか意味とかあるの? 戦う順番に」「おでこちゃん。深読みしすぎじゃないの?」「深読みもなにも、戦う順番って凄く大事でしょ? この男が、そんなことをわかってないわけないじゃない。最初に指名したのが、天海春香だということ自体、随分と胡散臭いし」「意味か。どーかな。基本はあっち側のスケジュールに合わせた感じだが、基本的に弱い順だな」 訝しげな視線が、三方から投げかけられた。 まあ、天海春香が最弱というのは、到底受け入れられない仮定だろう。「天海春香が弱いってのも新説ね。学会に上げれば話題にでもなるんじゃないの?」 伊織のシニカルな冗談は、あまり笑えなかった。 「なに、そんな難しい話でもないぞ。天海春香のなにが弱いのか、を考えれば簡単に答えは出る」「弱点でもあるとか、そういうこと?」「あるぞ、ここに」 俺はやよいを指し示す。「モノは考えようだ。天海春香が高槻やよい相手に全力を出すなんて、大人気ないことはしないだろう。やよいに対する甘えを付けるわけだ」「おにーさんが、やよいを人質にとってるみたいな感じだよね」「なるほど。どっちかというと、担当プロデューサーである社長が泣くわね」「そういうことだ。万が一、やよいの人気に傷をつけるようなことになったら、ワークスプロダクションそのものが傾きかねない」「えーと、おにーさん。その話、初耳なんだけど」「うー、私もはじめて聞きました」 複雑な顔で、美希とやよいが顔を見合わせる。 俺の言うことだ。どこからどこまで本気にしていいのか決めかねているのだろうが、こればっかりは冗談じゃないから困る。「大したことじゃないぞ。稼いだ金もほとんどやよい本人の宣伝費に消えていってるからな。アイドルプロダクションなんて、元々自転車創業が普通だが、ワークスも例外じゃない。あと数ヶ月はやよいを働かせ続けないと、十分な元はとれない」 やよいをねじ込むのに、出版社やテレビに、かなりの金を注ぎ込んでいる。なにせ、プラチナリーグの狭い範囲に売り込むんじゃない。 どうしても不特定多数の人々にやよいの魅力を伝えなければいけない以上、金は嵩む。宣伝費なんて純粋な損金であるために、果実があることがわかっていても、熟すまで時間を置く必要がある。「これ、もしかして八百長とか言わないわよね?」「伊織ちゃん。それは絶対にないよ」「やよい?」 ほぼ、確信しているという様子で、やよいが断言した。 どんな状況下でも、相手に哀れみをかけずに叩き潰すこと。それは高槻やよいが、天海春香に教えられたことだ。 「やよいのいうとおりだ。高槻やよいの名前に傷がつかないように、多少の手心は加えてくれるだろうが、あの女が私情で勝敗を譲り渡すことは絶対にない。つまり、まず勝てる要素はない」「それだと、弱点なんて弱点にならないよね?」「そこまでの要素を踏まえて言うと、現時点で天海春香に勝てる要素なんてひとつもない。あと四戦も残っている以上、今回のバトルはリハーサルに徹して、Aランクアイドルと戦うための勉強と割り切るのがオススメだ」「春香さんを最初にもってきたのって、それが理由ですか」 やよいが不満そうだった。 俺のことだから、いままでのように明快な指示があると思ったらしい。 だが。 千早をプロデュースしていた時にすら、天海春香とは四戦してすべて負けている。天海春香を最初にもってきた理由のひとつは、俺が嫌なことは最初に片付けてしまいたいという後ろ向きな理由からだった。口には出さないが。「絶望的ね」「これは有為にするか無為にするかはお前らしだいだ。天海春香はHPの高いはぐれメタルって、いうかプラチナキングみたいなものだ。HPを削るだけで、相当な経験になる。どうせ成長しなければこの先生きのこれないんだから、せめて自分たちでいろいろ考えてみろ」「はいっ」 やよいの明快な返事に救われる。 「ここまでの理由はもっともらしいが、これから話す理由のおまけみたいなものだな。一番大きな理由は、ついてこい」 俺は椅子から立ち上がった。 伊織が最初に続く。やよいは片付けに四苦八苦していた。 畳に寝転がっていた美希は、目を擦りながら身体を起こした。