12月も半ばを過ぎて、それでもなお会場は、敷き詰められた人々の発する熱気が、こちらの肌を灼くほどだった。 私たちがいるところは、とある県の森林公園である。本来はキャンプ場といったほうが通りがいい。数多くのイベントに使われているみたいで、今もシャトルバスやツアーバスが、続々と観客たちを運んでいる。 イベントの名目は、ワークスプロダクションのファン感謝イベント、となっていた。名の通ったワークスプロダクションのアイドルはすべて参加となっていて、このイベントの正式名称は、『ARTSTOCK00」というみたいだった。 サブステージであるEASTステージは、すでにワークスのBランクアイドルが客を相手に出し物をしている。一日券で4000円と、そこそこ値は張るようだった。これだけのアイドルを集めてるのだから、高いか安いかは本人たちの気持ち次第だろう。 さらに各国料理をぼったくり値段で提供するイベントには欠かせない飲食ブース、自販機のジュースは午後をまわるころにはすべて売り切れになって、私にこのイベントの盛況っぷりを伝えてくれる。よしず屋根の休憩所で、休んでいるのもいいし、オフィシャルグッズを販売しているオフィシャルグッズ売り場も見逃せない。 そこで私と美希たちをはじめ、たくさんのアイドルが、ファンたちを迎えている。私を含めて、皆、新規のファンを取り込もうと一生懸命だった。といっても、ほとんどのファンたちは、ただ無言で通り過ぎていくだけ。「メインステージは、きっと千客万来ね」 客の大部分が、こちらに一瞥もくれずに通り過ぎて行くだけというのは、わかっていてもいろいろとこたえる。 私と美希がいるのは、パフォーマンスブースというところだった。 握手会や撮影会、ミニライブなど、それぞれのアイドルたちが好き勝手な出し物をしている。 このパフォーマンスブースだけなら、公園入場料500円を支払えば見ることが可能、という、まあパフォーマンスのレベルも推して知るべし、といったところだ。「美希は、どうなってるのかしらね」 隣では特設テントの一角のテーブルのひとつを借りて、美希が客寄せをしている。テーブルに顎をつけて軟体動物みたいに体重を預けながら、途切れ途切れに訪れる自分のファンたちに本物の笑顔を振りまいている。 美希のファンは、ほぼ全員がそこそこ歳のいった男性たちだった。 菊地真のみならず、ふつうのアイドルでも、だからこそそれらを自らの理想とするおんなのこたちは多い。こういうイベントに足を運ぶ中学生や高校生たちは思っているよりずっと多いし、事実、この場所に集っているファンの四割ほどは女性に属している。「考えたこともなかったけど」 それはそれでアイドルのタイプなのだろうし、むしろ正統派といえるのだろう。もっとも、私たち三人はどれもタイプが違う。妹系のアイドル、という風にくくられる私は、ファンのおんなのこたちには、あまり受けがよくない。 やよいは、むしろ苦手分野がなさすぎてこれもタイプが違う。 純粋に歌手として生きている如月千早などは、雑念なしに自分を投影できるような女性ファンも多そうだ。ワークスだと小早川瑞樹などがこのタイプにあたるのか。『同性』に嫌われない。私にはまったく必要のないスキルだった。男性ファンの前で猫をかぶることには抵抗はないのだが、女性を相手に猫をかぶることはどうも虫が好かない。「それで、美希の代表作はこれなのよね」 DVDのトールパッケージを裏返してみる。 表紙は砂浜で膝をついて、胸を強調するみたいな水着で微笑んでいる美希の姿。悔しいが、女の私から見ても惹きつけられるものがある。 裏には印刷された数枚のショットと、14歳、Fカップ、はちきれんばかりの魅惑のカラダ、とかなんとかいうキャッチフレーズが踊っている。 あざとい。 けれど、性欲にギラついているようなファンの男どもには、なにより効果的だということはさすがに私にもわかる。 こういうのは最初にコケると次は難しいというが、プロデューサーの話だと、すでに第二段のオファーが決まっていると聞いた。それ相応に見こまれた、ということだろうか。「ううー。おでこちゃん。つかれたよー。そこのクーラーボックスとって」「はいはい。これね。あとおでこちゃん言うな」 すでに定番となってしまったやりとりを交わしつつ、端に置かれたクーラーボックスの中をあけてみる。中には、冷気とともにババロアやバナナを包んだオムレットなどが詰め込まれているのが見えた。「………………」 疲れたのなら甘いもの、というのにも限度があるだろう。一日十八時間寝て、残りの六時間を怠けるためだけに生きているようなこのイキモノが、どうして私ですら羨むようなプロポーションを保持できているのか、さっぱり理解ができない。多分、これから飲食ブースでさらに食い散らかすようなのが簡単に想像できていた。「もうちょっと、ファンサービスを続けてもよかったんじゃないの?」「それが、水着撮影じゃなかったから。ファンの集まりがよくなかったよね」「今回は屋内のイベントじゃないからな。この寒さで水着になれとは言えん」 器用に、設置されたパイプ椅子に体重を預けて仮眠をとっていたプロデューサーが、目をしぱたたかせていた。 よくもあんな固いものに座って寝られるものだ。私には一生かかっても体得できそうにない。私たちの仕事中に寝るなんて本来許されることじゃあないのだが、あずさの話だと、適度に休ませないと死ぬまで働き続けるらしいのでこれは仕方ない、のだろう。当然、あずさの緊張感のない間延びしたセリフに、危機感なんてまったくなかったことなんて、いまさら付け加えるまでもないが。「気温。ねえ」 手をかざす。すでに季節は冬。真夏にやっていた合同合宿やドリームフェスタが、まるではるか昔のことのようだった。 晴れていて、それほどの寒さではない、とはいえ、10℃は下回っているのだ。これで水着は無理がある。 いくら美希でも、風邪のひとつやふたつ引かないとは言い切れない。 星井美希は、カテゴリ分けするなら、グラビアアイドルの範疇に入るらしい。少年誌の表紙で笑顔を振りまいているアレである。 読者の人気投票で、準グランプリをとって、そこそこ名前は売れてきていると聞いた。さすがに、14歳でFカップというのが武器になっている。というよりは、嫌でも目に入ってくる。いつみてもすごい。どうなってるのよアレ。「暖かいほうがよかったよね。おかげで、DVDの宣伝もまともにできなかったし」 珍しく、本当に、本当に美希は悔やんでいた。やよいに追いつこうとする焦りがにじみ出ていた。「焦っても仕方ない。仕方ないが、わざわざ俺自らがカメラマンをしたんだからな、初監督作品として、売れてもらわないと困る」「ミキもけっこう際どいポーズとかしたんだから、やっぱりいろんなヒトに見てもらいたいな」「……ちょっと待ちなさいよ。今、なんて言ったの?」 なにか、プロデューサーの口から、耳を疑うような発言が飛び出た気がする。「ああ、俺自らがカメラマンをした、ということか」「なに衝撃的な事実をさらっと口にしてるのよ。思わず、そのまま流しそうになったわよ。ド素人にカメラマンを任せて、ちゃんとしたものができるわけ?」「うむ、伊織の懸念はもっともなんだが、予算が五万しか出なかったからな。照明係をひとり雇うのが精一杯だった」「交通費もでなかったよね」「ああ、ちょうど千葉のスタジアムに営業かけにいくアイドルとスタッフがいたので、ワゴン車に相乗りさせてもらってな。秋の浜辺はよかったなぁ、ヒトが少なくて。完全にプライベートビデオを撮ってるノリだったけどな。帰りは電車だったし」 あとは編集で繋ぎ合わせて完成ってことで。そんなことをプロデューサーは言っている。いくらなんでも、ノリが軽すぎはしないだろうか?「いつからうちのプロダクション、そんなに貧乏になったのよ。一応、そこそこ権力を振るえる四大プロダクションのひとつなんでしょ?」「いや、グラビアDVDの制作費を削るのは、どこもやってることだ。そもそもグラビアDVDが乱発されること自体、CDを出すより予算がかからないことからきてるわけだし。監督がカメラを回したり、写真集だったらホテルの一室だけで一冊仕上げたり、メイクとスタイリストを兼任したり」「ひどい商売ね」「売れないんだからしゃーないだろう。ここらへんはいわゆる底辺の仕事だ。もともと募集をかけたところで、ロクな人材なんて集まらん。まともな撮影技術があるやつは、最初から映画畑に行くし、500枚売れれば元が取れるような、みみっちいアイドルDVDの仕事なんてしないからな」「聞いてよ。ミキ一生懸命やったのに、ノーギャラだったよ。ひもじいよ」「はぁ。大変ね。頑張って、20000枚ぐらい売りなさい」「あっはっは。去年のグラビアDVDの売り上げ一位で、6000枚だぞ。無理無理。しかも、水着で12歳だ」「こ、このロリペドどもが」「お前らもそう変わらないだろ。ふつーに下半身ついてる連中は、AVを買うからな。当然つったら当然だろ。アイドルの一番のライバルがAV女優ってのは、今にはじまったことじゃあない」「お前らは若さしか価値がない、とか言われているみたいで嫌なんだけど」「いやいや。『ワークス』だと、Cランクアイドルからだからな。本来、グラビアDVD出せるの。無理を通したせいで、予算が下りなかった。とはいっても普通にグラビアDVDの制作費なんて、三十万出れば一級品がつくれるぐらいだ。グラビアでハワイに行くなんて、いまじゃあほんの一握りだ。いわゆるバブル時代の神話というやつだな」「ミキよくわかんない。その一級品ってのが、売れる製品であるわけじゃあないってことだよね」「わかりやすい対抗馬がいない分、男性アイドルのグラビアDVDのほうがよく売れたりするし。ところでここからジュニアアイドルの変遷とか売り上げのアベレージとか意外に売れまくってる男性アイドルのグラビアDVDを絡めた業界全体の構図が……」「うん。でもそれは長くなりそうだからいいや」「じゃあやめよう。全部語ると二十分ぐらいかかるし」「そうね。気が滅入るだけね」 私はそう言って、話を打ち切った。最後に、プロデューサーが、うまいことを言ってまとめる。「不断の努力だけが道を作る。補整された道を三段飛ばしで駆け上がれるアイドルなんて、ほんのひとにぎりだ。千早だって、Aランクアイドルに昇りつめるまで、二年はかかってる。最短のリファ・ガーランドですら、一年とすこし、だったっけか」「で、私たちはこれから、デビューからほんの四ヶ月でAランクまで上がったような『化け物』と戦わないといけないの?」「やだなぁ。自分の相棒のことを化け物だなんて。やよいはできる子だって、俺は最初から信じてたぞ」 数え切れないほどの強運と実力と、あるべき追い風を受けた高槻やよいという少女は、プロデューサーがやってきた、その集大成といえるものなのだろう。 彗星のごとくあらわれた、『六人目』のAランクアイドル。 高槻やよい。 もう、彼女の名前をテレビで見ない日はない。このプロデューサーに全国に連れ歩かれて、もう二週間も顔を合わせてもいないのか。それが、私たちEランクアイドルとの違いなのだろうけれど。 たった三ヶ月で、私とやよいの差は、埋めようがないぐらいに広がってしまった。ぐるぐると、頭の中が負の思考に絡めとられそうになる。堂々巡りがはじまる。自己嫌悪の連鎖。今、やよいの隣にいられないということに対する、私自身へのふがいなさ。 ひどい顔をしている。 ファンのまえで、こんな表情をしていてはいけない。 「でもおにーさん。具合悪そうだけど」「うむ。50時間ほど寝てないだけだ」「大丈夫なの?」 プロデューサーは、美希の心配も上の空で流している。吸血鬼みたいに青白い顔をしているどころか、口から泡まで吹いていた。「まぁな。一応、移動時間中に仮眠はとってる。しかし、やよいのレギュラー8本とCM3つはきついな」「仕事入れすぎ。もうちょっとミキを見習って、だらけたらいいと思うな」「それはそれでまずいだろ。千早のプロデュースをしていたときも、40時間ぐらいぶっとおしで働いていたこともあったが、今回のはそれをさらに上回るな。忙しくてしょうがない」「こうして会うのも二週間ぶりだものね。で、具体的になにやってるの?」 美希が、なにやら言いたそうな口ぶりだった。 彼女の瞳に浮かんだ非難の色を見るに、なにやら本人にしかわからないぐらい微妙なあれこれがあるらしい。なんだろう。「やよいばっかりかまって、ずるいよね」 子供っぽい。 美希らしそうで、美希らしくはない。 美希の言動は、理不尽、と言い換えてもいい。 うん、浮気をとがめるような感じだろうか。はて。うん。ええと、あのね? 私は、そのへんから導き出される答えにたどり着いた瞬間、思考が停止した。うわぁ、コメントしにくい。本人すら気づいているのかわからないが、たぶん、ああいうのを、友達以上の異性に対する反応、というのだろう。おそらくは。「悪かったよ。だから今日は一日、美希と伊織のために捧げてるだろう」「まあ、たしかに。こんなのマネージャーひとりいれば事足りるぐらいの仕事よね」「で、結局。やよいを使ってなにしてるの?」 美希はプロデューサーの気持ちの行く先を案じているらしいが、私はそんなことはどうでもいい。それでも、この男がやよいを使ってなにをしているのかを知っておくことは、私にとって最重要なことだった。 この息をするように悪巧みをするような悪徳プロデューサーが、普通にやよいの売り込みだけを考えているはずがない。「そうだな。ABK49は知っているか?」「むしろ、もう知らないほうが珍しいぐらいなんじゃない?」「えーと、アキバ系アイドルがでっかくなったやつ?」「うむ。話題のアイドルグループだな。最近は大阪と福岡と名古屋にもそれぞれ一グループずついるが。なにげにプラチナリーグより歴史が古いんだよ。こっちが4年なのに、あっちは5年半やってるわけだし。毎年やってる総選挙は倍々で投票数が増えて、ちょうど今は、絶頂期にあたるだろうな」「それで?」 私は、先を促した。「うむ、CDの初動販売枚数の歴代記録を更新、とかされてくと、もう畑違いとかいってられない。プラチナリーグから、あっちに客が流出していく一方だ。というわけで、やよいを使って、あっちの土壌に殴り込みをかけている真っ最中」「なんか、途方もない話になってるんだけど」「いやぁ。やよいはいいぞ。プラチナリーグから離れて、まともに芸能界で露出して反感を食わないからな。千早だとこうはいかない。アコギな販売戦略を組んでも、逆にやよいに同情が集まる有様だ。これは本人の人徳なんだろう。真正面からABK49に喧嘩売ってるんだが、相手のファンに嫌われるということがない」「あんまり、無茶させるんじゃないわよ」「わかってるってそれぐらい。勝つことが目的じゃない。プラチナリーグの存在感を示し続けられればいい。あのユニットは群体に近いせいで、どこを叩いても潰せないしな。しかし、相手の勢力圏に殴りこみをかけて、キリトリをかけていくのは楽しくてしかたない」「うわー。やくざみたい」「よくわかんないけど、あのユニットって、アンタのやりたいことの完成系みたいなものじゃないの?」「うーん。違うんだよな。俺がプロデュースしたいのは、あくまで最強の個体だ。群体めいたものとは趣が違う」「わかんないわよ」 趣、ときたか。 もとよりわかると思っていなかったが、やっぱりこの男の言っていることはわからない。ああ、男ってめんどくさい。こういう計算づくで動いてそうで、頭にロマンチシズムと義理人情が渦巻いているタイプはなおさらだ。「ちなみにあの総選挙、一位と二位がほぼダブルスコアで突出しているが、CD売り上げを現金に換算してみると、一位だけで二億二千万。二位で一億九千万になるらしい。ああ怖い怖い」「リサーチは欠かしてないとか?」「まあ、見てるだけでおもしろいしな。エンタメの基本なんだが。総選挙の個人的な実感をいってみると、Iが、落ちたのが予想外だった。それとまさかKが三位に食い込むとはなぁ。去年八位だったのに。あとは収まるところに収まったかな」「ふーん」 あ、美希がそろそろ興味を無くしだした。 話の打ち切りのサイン。それと同時に、周囲がざわめきはじめる。くるぞ。くるぞ。そういう観客の声に導かれるままに、視線を上げる。 無秩序だったファンたちはすでにあるべき場所に収まって、大スクリーンに映し出されたのは、よく見慣れた、私の知らない高槻やよいという少女のライブ映像だった。 録画である。 実のところ、これは前述したABK49がやっていたリバイバル全公演のネタを、いくらかパクったものらしい。 イベント会場でのみ流されるオリジナル映像であって、プロデューサーは、今後のテストケースがうんたらかんたらとか言っていた。まあ、正式なチケットを買わずに見られるあたり、純粋なファンサービスである。 カウントダウン。 5,4,3,2,1と減った数字が、0を刻む。もう、誰も私たちのことなど気にかけていない。視線はやよい一色。ありとあらゆるものが、スクリーンに吸い上げられている。代表曲である『キラメキラリ』が、スピーカーから流れ出ると、その盛り上がりは最高潮になった。ライブ会場でもないのに、やよいのシンボルカラーであるイエローのサイリウムがまばらに振られている。 本物は、きっと今頃、さらに高いステージにいる。 花火があがった。 メインステージであるWESTステージでは、天海春香と高槻やよいが、今日の大トリを務めているところか。今の私たちは、それを仰ぎ見ることもできない。 では、話をはじめよう。 それにはいくつかの事柄から説明を始める必要がある。 そして、EランクアイドルからAランクアイドルまでの道のりを、四段飛ばしで駆け上がった少女のシンデレラストーリーの、そのはじまりは、今から三ヶ月前にまで遡ることになる。