一昔前に流行った『ヤキニクマン』というアニメを覚えているだろうか? 当時の小中学生を中心に爆発的なブームを巻き起こし、キャラクターの姿を真似た消しゴムが社会現象にまでなった。ちなみに、俺は小学校の頃に、夕方の再放送で見ていた記憶がある。 確かGガンダムの後にやってたはず。(直撃世代) 今思い返してみると、当時の番組編成がやけに濃いな。 それはともかく、 リバイバルブームにあやかり、二十年を経て、実写かつ特撮番組として蘇ったのが、Aランクアイドル菊池真主演の、『ヤキニクマンⅡ世』である。 時は現代。 初代の主人公、ヤキニクマンの一人娘は、他のアイドル超人(レジェンド)たちと違い、あまりにかっこわるい父の栄光時代に反発し、宇宙プロレスをずっと嫌悪して生きてきた。 しかし、父の現役時代のライバルたちに教えを請い、数々の戦いの後、最後は父への和解で話を閉じる。 これは──軟弱な現代において、自らの肉体のみを武器に、迫り来る悪に立ち向かう、正義の物語である。 あ、ちなみに大人気の特撮版と反対に、アニメ版はポシャった。 オープニングのムービーと歌だけで、熱さの九割を使い果たしたとして、知る人だけが知っているような作品、という評価にとどまっている。 まあ、二期やったし、相当恵まれてはいたが。 原作では巻数をリセットして、タッグマッチ編に移り、ヤキニクマンⅠ世とヤキニクマンⅡ世の、世代を超えた親子対決、引っ張りに引っ張りまくったドリームマッチが、ついに実現しようとしているところだったか。「ネタバレはやめてくださいー」 やよいが耳を塞いでいた。「ふふふ、この後の展開はな──」「アンタね。幼稚な嫌がらせしてるんじゃないわよ」 伊織の声。 大型バスに設置されたテレビでは、『ヤキニクマン』のDVDが上映されている。菊池真主演ということで、初代直撃世代のみならず、乗り合わせたアイドルたちの視線を独り占めにしていた。 スタントやアクターをまったく使わない、というのが初代からの取り決めであるらしく、ジャッキーも真っ青のアクションシーンが繰り広げられている。「ヤキニクッ──ドライバーッ!!」 テレビ画面では、菊池真扮する──ヤキニクマコトが悪行超人をマットに叩き付けたところだった。 大型バスは、合宿の場所へ向かっている途中だった。高速を乗り継いでも四時間近く、『ワークス』プロダクションの合宿参加者、三十人近くは、バスの中でめいめいに暇を潰していた。 『ヤキニクマン』のDVDを鑑賞している者、トランプで大貧民をやっているグループ、仲のいい友人とグループを作って喋っているアイドル。 仕事疲れでシートを倒して寝顔を晒しているアイドル。 で── こっちのグループとしては。 隣の席で、美希と雪菜が、折り重なるようにして夢の世界に旅立っていた。熟睡しているらしい。 特に美希。 俺の服の裾によだれをなすりつけている恰好だった。「原作はねぇ、単行本発売が遅いのがね。最新刊いったいいつ出るのよ。っていうか、私の出番はまだ?」 芦川高菜は、一話だけゲスト出演したらしい。 悪の手先として、高笑いの演技が好評を博したとかなんとか。「やーめーてーくーだーさい。古雑誌貰うのがけっこう後だから、この先の展開知らないんですよー」「むきー、なんかいいところで終わるわね。オープニングとばしなさいよ」「伊織ちゃんダメだよ。『迷走mind』いい曲だよ」「みなさん、たのしそうですね」 座席を回転させて、席は六人掛けになっている。通路を挟んで、反対側からこちらを覗き込んできたのは、黒縁の眼鏡がよく似合う少女だった。 佐野美心(さのみこころ)。 伊織や美希と同じ、十四歳。『ワークス』のDランクアイドルだった。 監視役であるプロデューサー、藪下幸恵が、仕事で合流するのが夜になるようだった。よって、彼女直属のアイドルであるこの娘が、見張りを兼ねているらしい。「問題児ばっかりだけどな」「はい。そうですね。でも、わたしもプロデューサーに迷惑かけてばっかりですから」 彼女は笑った。 ほんのりと、心が温かくなるような笑顔だった。 ちなみに、多くのアイドルの中で、彼女──佐野美心ほど変わり者はいない。上のランクに興味もなく、大きな仕事のオファーを蹴って、老人ホームの慰問などを主に好んでいるらしい。彼女なりの信念があるのだろう。 まあ、理解はできないが、本気でやればBランクぐらいは狙えるだろうに。 バスは進む。 トンネルを抜けると、潮の香りが鼻孔一杯に広がった。 窓の外に、海の青があった。空をそのまま写し取った色に、遠くまできたという実感が沸く。 リモコンで、DVDを一時停止する。 それで、自然に注目が集まった。「では、最初の予定だが、荷物を宿泊場所に置いた後は、自由行動だ。ビーチから出なければなにしても構わない。 自由行動は、今日だけだ。 思い残すことのないように、しっかり遊んでおけ。明日からは本格的に合宿だからな。 アイドルたるもの、いつも見られていることを忘れないように」 焼け付くような太陽が、砂浜を照らす。 早速、砂の城制作に取りかかるやよい。 正方形のパラシュート型ビーチパラソルとウッドテーブル一式まで持ち込んで、伊織はくつろぐ体制に入ったらしい。「っていうか、なに食べたらああなるのよアレ」 伊織の視線が、美希の胸に集中していた。「よく食べて、よく寝る、かな?」 美希のグラディーション模様のビキニは、美希の白い肌に、よく映えた。 このためにあつらえたというだけあって、胸も尻もはちきれんばかりだった。中学生離れした肢体は、ビーチすべての視線を惹き付けるぐらいの魅力がある。 肌を晒してわかるが、素質の次元が違う。 「ん、遊ばなくていいのか?」「……だって、さっきトイレに行ったら、順番待ちの列ができてたの」「ん、ああ。それはまあ、これだけアイドルがいれば、順番待ちにもなるのか?」「ううん。そうじゃなくって。ミキに声をかけるための、順番待ちだって。男の子たちが十人ぐらいズラッと並んでて、断るのに疲れたの」「………………」 どんだけだそれ。 このビーチは、この四日間はほぼ貸し切りのために、男がいるとしたら、旅館の従業員とか、海の家の従業員とか、全部関係者のはずだが。「ってわけで、おにーさんはちゃんとミキを守ってね」「わかった。まだ他のプロダクションの準備はできていないようだし、今のうちに遊んでおくか」 言ったすぐ後だった。 人波が割れる。 四十人ほどの集団が、こちらに近づいてくる。集団の構成は、ほとんどが十代の少女たち。 そして、その先頭を歩くのが──「なるほど。 さすが、『刃(エッジ)』プロダクション。 期待を裏切らないな。Aランクアイドル直々のお出ましか」「あ、さっき、テレビに映ってた──」 美希のつぶやき。 それは、二重の意味だった。 ひとりは、Aランクアイドル、菊池真。 風格があった。 身体の線がでないようなオーバーオールで、さらに中性的な印象を強めている。 元が、美少女なのだろう。 が──切りそろえた髪と、意志の籠もった瞳が、男性的な魅力を備えているのも確かだった。 真っ直ぐに視線が絡む。 微笑まれた。 ドキリとする。 おお、なるほど。 これは、大量に女性ファンがつくのもわかる。 そして──むしろ、こちらの方が重要だった。 もうひとり。「金田君だったか。 この度は、貴重な機会を与えてもらって、感謝する。 『エッジ』プロダクションで、代表取締役社長をやっている、羽住正永(はずみせいえい)だ。 これから四日間。同じ釜の飯を食う仲という奴だな」「ええ、よろしくおねがいします」 握手の形で、差し出された手を握る。 彼の俳優としてのピークは、二十年も前だったはず。なのに、鍛え上げられた筋肉が、目に見える形で隆起する。 たしか、齢四十を超えているはずだが、衰えのような者はいっさい感じられない。 「ちょっと待ってよ。羽住正永って確か?」 伊織が飛び起きた。 記憶の糸を辿っている。 さして、時間もかからずに答えにたどり着く。「──初代の、ヤキニクマンじゃない」「だな」 当然、さっきのDVDにも、『ヤキニクマンⅠ世』として出演していた。 現役を退いて二十年、影から主人公を助ける役割である。 キャストが発表された際には、師弟の競演として随分とマスコミに取り上げられていた。「え、えええっー」 やよいが、ずいぶんと驚いたようだった。「だ、だってかっこいいよ?」 やよいが、目を疑う。 無理もないか。 この人がブタのマスクを被っていたとか言われても、容易に信じられないところがあるのも確かだった。 若い頃は、相当に浮き名を流していただろうと想像がつく。 質実、 剛健、 頑強、 無敵、 といった感じだが、歳を重ねた分、渋みまで加わって、未だ第一線で活躍しているのがよくわかる話だ。 劇中では素顔は出ないため、言われないと気づかないはず。 美希は筋肉だけで見分けたようだが。「サインください」「やよい。今は大人の話をだな」 苦言。「いや、構わんよ。後で部屋にきなさい」「あ、ありがとうございますっ」 夏の向日葵が、大輪の笑顔を咲かす。 これで嫌みがないのが、やよいの一番の長所だった。「私も」「私もいいですか?」 わらわらと。 人がよってくる。 アイドルなのに、社長が一番人気ってのもどーか。 「今回の合宿は楽しみでね。 特に、『ブルーライン』は、あまり交流がないからね。いい関係を築けたらいいと思うのだが」 結局、断り切れずに、サインを書きながら、羽住社長。「ですね」「おにーさん。ミキわからないんだけど、『ブルーライン』ってなに?」「おい、そこからか」 今更、美希がなにを言い出そうが、驚くべきことはなにもないが、社長をはじめ、周りはそうではないらしい。 戸惑い。 周りに、明らかに可哀想な子を見るような目で美希を見る視線があった。いや、ぶっちゃけ伊織のことだが。「『ギガス』『ワークス』『エッジ』と並ぶ、四大プロダクションのひとつだ。 特徴は、完全な秘匿主義。 Aランク一位の『YUKINO』がその最たる例だな。ライブ主体のアイドル業界において、まったく顔出しもなにもしていない。 プロモーションのすべてが映像で賄われているために、 なにか秘密があるんじゃないか、 映像で使われている女性が本当に存在するのか。 もしかしたら、歌を歌っている人間、プロモーションビデオに映っている人間、全部本人の作詞ってことになっているが、作詞している人間がぜんぶ別で、ひとくくりで『YUKINO』を名乗っているんじゃないか、 とか、そういった噂は絶えないってわけだ」「へー」 美希は、わかっているのか相づちを打つ。 その秘匿主義が、人気の一端を担っていることは、否定できない。 元々、実体はあまり関係がない。 数年後に、聞きたくもないような暴露話をひっさげてきたり、歳をとったりしない分、架空のアイドルに転ぶファン心理も、理解できないわけではない。「──『ブルーライン』のアイドル候補生になるには、試験があってな。それが、最初から最後まで合理的にがっちがちに固められてるわけだ。 知ってるか? あそこはな、筆記試験だとか言って、こんな問題を出すんだ。まず、十人をひとつの部屋に集める。 それで、アンケートをとるわけだ。 『この、自分以外の九人の中で、誰が一番アイドルにふさわしいと思いますか?』──ってな」「えっと、それどういうことですか?」 やよいの合いの手。「で、アンケートをカウントして、上位に来た三人が合格、とかそんなんだ」「えげつないわね」 伊織は、顔をしかめた。「だが、効果的ではある。自分たちが選んだ、ということで、知らず、上下関係が刷り込まれるからな。自分にない魅力も自覚しやすい。あそこの連中、顔つきが違うだろ?」 首をしゃくって、集団の視線を誘導する。 砂浜の向こうにバスが横付けされる。 中から出てきた少女たちは、十人と少し。 こちらとは打って変わって、 全員がCランク以上のアイドルたちだった。 先頭に立った、お下げに眼鏡な少女は、頭を下げた。「金田プロデューサーに、羽住社長ですね。 『ブルーライン』プロダクション、十四人、これで全員です。 これから四日間。よろしくお願いします。 私は社長から責任者を仰せつかりました、 ──プロデューサーの秋月律子です」