スタッフが撤収をはじめている。 祭りの跡という言葉が一番正しい。惜しげもなく投入されたライブ設備が、同一のシャツに身を染めた大道具の人たちにより、折りたたむように撤去されていく。地面に敷き詰められた配線もすべてなくなって、彼女たちの戦いの舞台は、静寂を取り戻している。「それで、尾崎さんはどうするんだ?」「そう、ね。また、どこかのアイドルを探そうかしら」 尾崎玲子は、困ったように笑うばかりだった。残酷な問い、だと自分でも思う。 勝者が敗者にかける言葉なんてない。「でも──」 ──絵理を、よろしくね。 そのような言葉を続けるはずだったのだろう。 けれど、尾崎さんの動きが止まった。 俺の背中越しに、信じられないものを見たと、時間を停止させている。 彼女の視線の先を追うまでもない。 尾崎さんにそれだけの衝撃を与える人物は、ひとりしかいない。「──絵理?」 祭りの終わったステージで、開いたドアから逆光を溢れされている。姿を霞ませるような淡い光のなかに、立ちつくすように彼女はいた。 水谷絵理は、両目のフチに涙を溜めて、尾崎玲子をにらみつけていた。「え、絵理? あなた、どうして?」「サイネリアから、聞いた」「……そう。鈴木さんに」「久しぶりだね」「そう、ね」「時間が、過ぎたんだよね」「ええ」「……尾崎さんは、どう? ちゃんと、ご飯食べてる?」「あまり、順調とはいえないわね。でも、さっき再就職先の誘いももらったわ。随分と、マシになると思う」「──もう一度、私のプロデューサーをしてくれる気は、ない?」「ない、わね。もう、私はあなたの知っている私じゃないもの」 尾崎さんは、それだけを告げた。 強がりに、決まっている。 彼女が、尾崎玲子というプロデューサーが、どれだけ絵理のことを想っていたか。そんなことは、語るまでもない。「……そう、だと思う。私も、もうアイドルに戻るつもりは、ないから」 絹の上を歩くように、会話が上滑りしていた。 向き合っているのに、ふたりの心の距離は、地球の裏側よりも遠い。 これが、最良だったのか。 こうやって、このタイミングで出会うことが、本当に彼女たちのためだったのか。出会ってしまった今となっては、もう、答えはでない。「──ずいぶんと、くだらない茶番ね?」「え──?」 くすくす、というささやかな笑い声。 そのふたりに割り込んできたのは、尾崎さんとも、絵理とも、全く接点のなさそうな少女。 ──天海春香だった。 全身が覇気でふちどられたような少女は、手にした扇子で口を隠したまま、視線で見るモノすべてを凍りつかせている。「天海春香さん? それは、どういうことなのかしら」「茶番。そう言ったのよ。水谷絵理が、この期に及んで、すべてを黙らせるクラスのアイドルだというのなら、それは私が間違っているということだけれど、でも──そういうわけでもないでしょう?」「────?」 尾崎さんは、天海春香の胸の内が想像できていない。 むろんそんなもの、さっきから蚊帳の外に置かれている、俺にもわからない。「どういうことか、教えていただけるかしら?」「ええ──あなた、尾崎玲子の本当の雇用主は、私ではなく、水谷絵理だった──、そういうことよ」「え──?」 尾崎さんが、呆けたような声をあげた。 絵理は、どうにか表情を消そうと、努力した跡は見えた。それでも、わずかに見せた天海春香への非難の視線が、その言葉が事実だということを証明している。一瞬遅れて、俺が気づく。ああ、そうか。そういうことか。「私は、あなたからプロデュースを依頼されたように思っていたのですが?」「どうして、私が尾崎玲子なんて無名のプロデューサーを、大事な一戦に使わないといけないのかしら。私はね、最初は、水谷絵理にお願いに行ったのよ」「………………」「A級プロデューサーには、A級プロデューサーをぶつけるしかない。プラチナリーグに五人いるA級プロデューサーのうち、対戦相手であるそこの彼は論外として、他の三人は他社の所属で、仕事の依頼は無理。連絡のついたのは、武田蒼一だけだったのに、スケジュールの都合で断られたときには、どうしようかと思ったわよ」 当初、天海春香は正面決戦を挑んでくる予定だったらしい。 武田さんか。気分屋だしなぁ、あの人も。「そこで、武田さんに紹介されたのが、水谷絵理だったわけ」 ああ、そういう経緯なのか。 絵理は、才能だけなら俺の遙か上をいく。 小説を出版したり、個展を開かないかという話まで舞い込んで来ているぐらいだ。 ただし、コミュ力はないので、それを十全に生かす機会は与えられないだろうが。資質は較べるもののないレベルだが、正直プロデューサーとしては使い物にならない。「──それは、黙ってくれる約束じゃあ?」「私もあなたを売るような真似をするつもりはなかったわよ。裏側を知るまではね」 絵理の非難の視線を、天海春香は軽く受け流している。「裏側?」「そこの尾崎玲子は、十年ほど前に、もうひとりのアイドルと2人組のアイドルユニットを組んでいた。名前は──『Viora』、だったかしら」 天海春香が口に出したユニット名に、聞き覚えがあった。 数日前、サイネリアが口に出していた。そのユニットの名前が、確かそんなような名前だったように思う。『当然デス。センパイを引き戻した暁には、センパイと新ユニット『Viola』を結成するんデスよ。むしろ、最初からそういう約束だったのに、このロン毛がやるやる詐欺を』 ──とか、なんとか。「今では、誰も知らないような話よ。『Viora』は、十年前ほど前にいた、デパートの屋上で、ショーをやるような駆け出しのアイドルユニットだった。 問題はひとつ。そこの事務所の社長が、バカ息子だったってこと。事務所の社長自らたびたびスキャンダルを起こしていたため、事務所の評判は最悪だったし、アイドルユニットとしてはなにひとつ残せないままに解散に追い込まれた。そして、尾崎玲子は、水谷絵理に、アイドルとしての自分の夢を託した。──そこまでは、私が聞いた話だったわ。あなたの境遇は、私とおねえちゃんのそれとも似ているし、少し同情もしたわね」 けれど── 天海春香は、そう前置きして、話を続けた。「けれど、そんな決意を固めた水谷絵理と尾崎玲子にとって、ずいぶんと都合のいい事件ばかりが起こる。例えば、CMを共に争うライバルが棄権したり、都合よく大きな仕事が舞い込んで来たり。 結果、裏から手をまわしていたのは、かつて、『Viora』が所属していた事務所社長の、父親だった。その父親である、クジテレビの五十嵐局長は、自分の息子のしたことを悔いて、尾崎玲子を助けるために手を回していた。 そのゴタゴタで、水谷絵理と尾崎玲子は別の道を歩むことになる。──そして、水谷絵理。あなたも、五十嵐局長と同じことをしようとしている。裏から手助けなんてしなくても、彼女にはそれを成し遂げるだけの実力がある。あなたには、それを信じられなかったのかしら?」「………………」 絵理は、なにも言い返せないでいる。 重い雰囲気に耐えかねたのか、尾崎さんが、口を挟む。「絵理、わたしは、大丈夫よ。あなたの助けなんてなくても、ひとりでやっていけるわ」「借金があるのに?」「そ、それは──」 尾崎さんが、一歩下がった。「尾崎さんは、いつもそう」「え、絵理?」「──ふざけないでっ!!」 空気を引きちぎる絶叫だった。 こっちにまで、振動がビリビリとくる。「うおおおうっ。絵理が、絵理が怒鳴ったのなんて、はじめて見たぞ」「いいから、やよいの後ろに隠れるのやめなさいよアンタ」「あふぅ。おにーさん、スゴクみっともないよ」「ええい、やかましい」 俺は一歩下がった舞台から、やよいの後ろに隠れてその光景を見ていた。 一応、俺は今日の主役だったはずなのだが。 なんかずっと、蚊帳の外に置かれているような気がするのだが、そこは気にしないでおく。 種火を燃え上がらせた本人は、手にした団扇で自分を仰いでいた。すでに、彼女のなかでは、他人事になっているらしい。「尾崎さん、昔から、大事なことをひとりで背負い込んで、なにも話してくれないし。私の気持ちなんて全然考えようとしないんだもの。あのときだって──忙しいからって、お昼ごはん抜いたし」「ちょ、今、なんて?」「忙しいからって、お昼ごはん抜いたっ!!」「絵理。それ、一年ぐらい前のことなんじゃ」「それに、尾崎さん。整理整頓とかが下手。パソコンをコンセント抜いて止める。プラスチックゴミを、全部燃えるゴミとして出す。ラーメン屋とかのポイントカードをすぐ捨てる」「え、だっていらないじゃない」 尾崎さんは、おろおろとしている。「──尾崎さん。私に、なにも言わずにいなくなった」「ごめんなさい。成長してたあなたに、私ができることなんて、なにもないと思ったから」「それに──」 絵理はいった。「私を、ひとりにした」 絵理の声がふるえた。 丸められた画用紙みたいに、絵理の表情がくしゃくしゃに歪んだ。これまで、必死に溜め込んでいた感情が、すべて流れ出したように見えた。「──ごめんなさい」 尾崎さんが、絵理を自分の胸に抱え込む。 ──なにこの展開。 ええと、もしかして、これってひょっとすると、解決したんだろうか、これ。 俺は「ムキーッ、なにフタリでヘブンモードに突入してるんデスかーっ」とわめくサイネリアを片手でつまみながら、そんなことを考えていた。「ところでサの字。おまえはおまえで暗躍してたのか?」「ム? なんのコトデス?」「いや、だって──絵理はこの場所をおまえから聞いたんだろ?」「ああ、そのコトデスか」 ハッ──という、馬鹿にしたような表情で、エセ金髪ツインテールは続けた。「スレ荒らしに比べれば、この程度はちょろいモノデス」「ほう、まあ見直したよ。絵理のためになることだしな。こうなることがわかってたんだろ?」「ふ──当たり前じゃないデスか。センパイのコミュニティサイトで、この話題に誘導したり、タイヘンだったんデスよ。携帯電話を三つ使って、住民と、荒らしと、荒らしに対する反応の三つを演じわけたり」 得意げに解説するサイネリアに、俺はため息をついた。 どうせ、こいつはいつもこんなことをやってるんだろう。「そこまでやらないと、センパイに感づかれマスからね」「はいはい。自演乙自演乙。それで、そこの鈴木☆自演乙☆彩音が、絵理に情報を横流しにしてたと」「本名呼ぶなぁっ。 私の名前はサイネリアデスッ」「落ち着け鈴木。鈴木って呼ぶぞ」「うううっ、カネゴンに知られたら、絶対こうなると思ったんデス」 猫のようにして首元を掴んで、サイネリアとじゃれていると、客席の中間部分で、伊織と天海春香が火花を散らしていた。「今回は、随分と親切だったじゃない」「そうなのよ。ヘンね。もうちょっと、私好みの阿鼻叫喚や凄惨な地獄絵図が見られるかと思ったのに、意外と穏便に済んだのよ。まあ、それが一番よね」「穏便? 意外ね。そんなの、アンタのボキャブラリーにあったの?」「良い子悪い子さかなの子。なんてね。別に、手段なんてどうでもいいわ。あのふたりの関係が、私の正義に抵触した。ただ、それだけよ」「恰好つけるわね」「──他人のことなんて、どうでもいいでしょう。今は、あなたたちのことよ。やよい。伊織。早く昇ってきなさい。同じステージに立たなければ、そもそも叩き潰すこともできないわ」「慌てないでよ。多分、そんなに長くは待たせないと思うから」「そう──楽しみにしているわ」「そういうわけだから。春香、アンタは自分の地位が脅かされることに怯えながらぷるぷると震えてなさい。じゃあ、行くわよやよい」「春香さん、それじゃあ失礼しまーす。待ってよ伊織ちゃんっ」 舞台の上から、彼女はふたりに視線を注いでいた。 いつも天海春香が貼り付けている、底なし沼のような感情のない笑いではない。ほんの少し暖かみのあるような笑いだった。 「やれやれ」 多分、俺も同じ表情をしているんだと思った。「ククククク。これであとは、あのロン毛さえ取り除けば、センパイは私のモノデスっ!!」 サイネリアが、俺につかまれたまま、邪悪な笑いをかみ殺していた。 ──こいつは変わらないなぁ、と俺は思った。