注意書き。 アイマスの二次創作です。 原作知らなくても読めます。 北緯38度線を縦断するように、瞬く間に世界が切り替わる。 ステージの上に眩く輝くスポットライトが、光の欠片となって、彼女の姿を幻想的に彩っていた。藍色と赤と黄色の三色が、薄い光の膜を纏ったように輝きながら、彼女は、光に姿を溶け込ませていた。 いつか、彼女を──千早を立たせると誓った、そのステージの上に、彼女はいる。四万人を収容できるドームでの、如月千早という自らのネームバリューのみでのソロステージ。 チケットはソールドアウト。 空席は、なし。 それが成功か失敗かが、これから決まる。 満員の観衆と、自分の歌と、そして最高のスタッフ。 彼女のことを知っているのなら、彼女の努力を傍で見てきたならば、ここに彼女が立つことに、誰も疑問に思うはずもない。 少なくとも、これだけは断言できる。 正しい努力が、正しい結果によって報われるとするならば──、この場に立てるのは、たしかに如月千早以外にはありえない、と。 ──歌を、歌う。 ただそれだけに打ち込んで、軸もぶれずに、決して諦めずに、自分の夢を叶えられる 人間がいったいどのぐらいいるだろう? ステージに立てるアイドルは数多くいても、本当の意味でステージに立てる資格があるアイドルなど、ほんの一握りだ。 響く音というものに広がりもあるし、大きさもある。そして、熱があるし輝きもある。 フォルテシモは、明るさだったり、暖かさだったりするかもしれない。 ピアニッシモは、儚さだったり、繊細さだったりするかもしれない。 生き生きと、ゆるやかに、広々と、愛らしく、快活に、感情を激しく、甘やかに、光り輝いて、歌うように、美しく、優雅に、うねるように、神秘的に、重厚に、壮麗に、響かせて、静かに、音をのばして、緊迫して、うるわしく。 音楽記号には、思いつくだけでこれだけの表現があり、それをどう表現するかは、完全に歌い手の判断と技量に委ねられる。 設置されたスピーカーが、三階席まで突き抜けるような、大迫力の音響をたたき出す。次第にクレッシェンドしていく音階に乗せて、会場の熱量も上がっていくのがわかった。 背後でベースが唸りを上げ、ドラムが爆発にも似たリズムを刻む。完全戦闘モードに入った千早の感情の爆発になぞらえられたそれは、彼女の声に合わさって、クライマックスを迎えた。 曲の転調に合わせて、スモークが焚かれ、マグネシウムが破裂した。 頂点に達した歓声を叩き割るようにして、千早の伸びやかな声が、会場の熱量を、音楽の中にかき混ぜていく。 色鮮やかな光に照らされて、ステージの上に構成された世界が、七色の輝きを放っている。 今まで見てきた中でも、千早はステージの上で、類い希な熱量を放っていた。 本日のハイライト。 このステージを見終えて観客たちが、一番最初に思い出すのが、この瞬間だろう。 そう断言できるほどに、 それほどに強く心に刻みつけられた一シーン。 ステージの横で、忙しく動き回るスタッフの邪魔にならないようにしながら、俺は千早のステージに、ずっと視線を吸い上げられていた。 彼女に出会ったのは、三年前だった。 あれから、彼女は変わった。 いや本質はなにも変わっていないのかもしれない。 彼女は、ずっと如月千早のままで、自分のままでトップアイドルにまで上り詰めた。だから、やり残しはなにもないと断言できる。 担当アイドルと担当プロデューサーという関係で、三年間付き合った、その結晶が今夜のそのステージだった。 だから、ようやく肩の荷が下りたといえる。 息を吐く。 後悔は、ない。 おそらく。 いや、後悔なんて残すわけにはいかない。 だって── これで、最後だから。 俺が、プロデューサーとして、彼女にしてやれることは、これで最後だから。 だから、彼女の全盛期の姿を、目に焼き付ける。 彼女はまぎれもない、自分が育てた中で、もっとも優れた完成品だった。 彼女には、夢を掴む資格がある。 歓声を受ける資格がある。 頂点に立つ資格がある。 ──幸せになる、資格がある。 そう思うからこそ、俺は──もう、彼女と一緒には歩けない。間違いない。悔いはない。彼女に残せるものは、すべてを与えて、それ以上のものを彼女にはもらったはずだ。 すでに、ライブはアンコールに突入していた。円形のホールに、観客達が手にしている目に眩しい青色のサイリウムの群れが、色彩ゆたかな光の海となって彼女を祝福している。凄まじい熱気と興奮が、離れていてなお圧倒されるほどだった。 夢。 彼女の夢は、きっとこれで叶ったのだろう。だから、彼女は幸せになれる。そこに、俺は必要ない。俺はただ終わりゆくライブにて、いつまでも鳴りやまない拍手を聞いていた。「あなたが、新しいプロデューサーですか?」 それが、彼女の第一声だった。 はじめて千早に会ったときのことは、まだ鮮明に思い出せる。 天才がいるということは、耳には入っていた。 俺たちの所属する『ギガス』プロダクションは、立ち上げたばかり。今の百分の一以下の規模で、はじめての環境に戸惑いながら、昼夜を忘れて仕事をこなしていた。「ああ。名だたるプロデューサーも合わせて、十人近く振っている、プライドの高いお姫様がいると聞いて。君を、スカウトに来た」 彼女の経歴は凄まじい。 ロックとポップスで数々のオーディションを総舐めにしたあと、アマチュアでいくつか日本一の座を掴んでいる。 他人には厳しく、それ以上に自分に厳しく、誰も彼女の心を射止めるに至っていない。 もっとも、そうでなければ、こんな弱小プロダクションに彼女ほどの大物を釣れる機会などあるはずがないが。 彼女ほどの素材が、未だフリーでいるのは、奇蹟に近い。 彼女は、十人近くのスカウトを、すべて断っている。 つまり、自分たち『ギガス』は、ドラフトで言えば、十一位。 アイドルでいえば、駆け出し。 ──下の下である。「『ギガス』プロダクションですか。──聞かない名前ですね」 ファミレスの一席。 俺の渡した名刺を一目見て、彼女は呟いた。「ああ、今はね。でも、これからきっと誰もが聞いたことのあるような会社にしてみせる。そのために、君の力が必要なんだ」 本音だった。 もとより、彼女にホンモノの言葉以外が、通用するとも思えない。 彼女は、俯いた。 怜悧な瞳に、わずかに影が差す。「──私は、今まで十人のプロデューサーの誘いを、断ってきました」「ああ」「理由は単純です。彼らのことが、必要だと思えなかったから。そして、私を歌手としてデビューさせるという約束をしてくれなかったからです」「そうか、まあ──当然だな」 当然といえば、当然だった。 15歳。 その年齢なら、アイドルとして、旬真っ只中だし、この年齢のアイドルはたくさんいる。しかし、歌だけで勝負できる本格派など、数えるほどもいない。 目の前の、如月千早という少女は、ずいぶんな自信家に見える。 しかし、それでも──彼女が考えるよりもずっと容易く、幾多のライバルたちを蹴散らして、この世代では屈指のアイドルに上り詰めるだろう。 もしかしたら、一年でAランクに上がることも可能かもしれない。 もっとも、自分のことなのだ。 彼女だって分かっているだろう。 歌手としての自分と、アイドルとして見られた時の自分では、その価値が段違いだということが。 それでもなお、彼女は歌手であろうとする。「千早は、強いんだな」「あなたも、随分としぶとそうに見えますけど」 彼女の注文したアイスコーヒーが届く。 俺の注文した寒冷式ストロベリーパフェギロチンホイップ風味(七合目)も一緒に。 店員は、当たり前のように、俺の前にアイスコーヒーを置く。 俺はそれに倣って、そのままカップに口をつけた。「なっ──」 抗議にならない声。 ──これで、彼女は自分の前に置かれたパフェを全部食べきるまで、席を立てない。「なら、単純な話だ。強いのと、強くてしぶとそうなら、後者の方が魅力的だろう。たった、それだけでも組む理由があると思う」「なら、私が強くてしぶとくなればいいだけです。あなたと組む必要は見つけられません」 差し出した手が、空を掴む。 「ひとりだと、できないこともあるだろう」「それも、ひとりで乗り越えると決めましたから」 彼女は、諦めたのか、パフェを切り崩す作業に入った。 「そうか」 正攻法では、崩せない。 ──でも、俺は差し出した手を引いたりはしない。「今の気持ちが消えてしまいそうな気がするか、他人と触れあうと、自分が弱くなっていく気がするのか」「……意味が、わかりません」 彼女の、深い色の瞳がわずかに揺れた。「君のステージを見た」 ──今までの彼女の言葉が真実ならば、彼女はこの言葉を無視できない。 ──最高だ。 ──あんな素晴らしいステージは見たことがない。 彼女ほどの歌い手なら、そんな賞賛は聞き飽きているはずだ。「調子を落としてるな。 普通なら気づかれないレベルだが、歌ってる本人なら、自覚しているはずだ」 その言葉に、 はじめて── 未知の生命体を認識したかのように、 彼女から、串刺すような視線が浴びせかけられる。 いつもの彼女なら、つけいる隙も揺らぐモノはない。 けれど、今の彼女は、ベストじゃあない。自らが自覚できるレベルで、ほんの少しだけ弱い。 だから── ベストの彼女なら、説得できなくても。 今が。 ──今の彼女の弱さにつけこむ。 千載一遇のチャンスだ。 彼女が歌に縋ることで生きているのなら、それはほんの僅かな亀裂でも、彼女の心に届くだろう。「はい。気づかれるとは思いませんでした。貴方には、原因がわかるとでも?」「いや? 調子が悪いのなんて、本人が調子悪いからだろ」「………………」「他人にはわからない。 たとえ話だが、前日十時間ぶっ通しで歌のレッスンなんてしたら、翌日はどこの大御所だって調子を崩すだろう」「………………」 案の定、心当たりがあるらしい。 ──そのへんの理由だとあたりをつけたら、ビンゴだったみたいだ。「ほっとけば、二、三日で治るだろう。悪化するなら、どうしようもない」「それでも──」「常に自分をベストコンディションに置いていないと気が済まないという顔だな。まったく、それだけのプロ根性があって。 ──どうして、そんな才能に陽の目を当てようとしないのか」「──言いたいことは、それだけですか?」 いままでの──自分との会話に、彼女の胸を打つような言葉は、ただのひとつもなかったらしい。 彼女が席を立つ。 いつの間にか、彼女の前に置かれたパフェは、綺麗に空になっていた。 ──あ。 なるほど、いい性格をしている。 茶番は終わり。 そういうことだろう。 彼女なりに、時間制限を区切ってくれたということか。 そう決めたのなら、もう彼女は振り返らないだろう。 「おっと、少し遊びすぎた。 相手は、子供扱いされることに耐えられない子供だったな」 いつもなら。 ──しない。 こんな、安い挑発は。 彼女の歩みは止まらない。 昼間、ピークを過ぎていた客層の喧噪は、あまりに儚い。 当然、こんな挑発。 聞こえているとしても、彼女を引き留めるには足りない。「縦に口を開けられてる。母音が美しいな。ちゃんと口の中で声が響いている証拠だ」 そして、この台詞は、 ──そんな安い挑発の後だからこそ、効果がある。「君のステージを見た。 ──そう言ったはずだ」 ──彼女の歩みが、止まった。 「上級者が陥りやすいスランプの一種だ。 自分の音質に、自分の耳が慣れてしまってる。まあ、つまりは感覚が狂っている感じだな。一度、リセットすれば治るだろう。電化製品とかパソコンと同じだ」「──リセット? どういうことですか?」「テンポを思いっきり揺らしてみるといい。 絶対人に聞かせられない感じで。 枠を引き裂く感じだ。ただし、喉を痛めるような歌い方はしないこと」「………………」 ──これが最後だ。 これで、彼女を引き留められなかったら、打つ手はない。 ほんの少しの沈黙。 その後で、わずかに、興味の方に天秤が傾いたのだろう。 低い声。 そして── 正しく、聞くに耐えない声。 ビリビリと、ガラスが振動する。ファミレスの客すべての鼓膜を破壊するような、凄絶な騒音。「それから──少しずつ、いつもの枠に納めるような感じで」 直接、骨に振動するような空気が、収まっていく。 あとは、折りたたまれるように綺麗に、彼女の声が戻ってくる。 あずささんから教わった治療法は、正しく効果を発揮したらしい。「──と、こんな感じだ」 流石、うちのあずささんの見立ては間違いがない。 きっちり、彼女の興味を繋ぎ止める切り札になってくれた。「ひとつだけ、聞きたいことがあります」「え?」「私の担当プロデューサーは、あなたでいいんですか?」 その言葉で、俺は、 ──賭けに勝ったことを知った。「ああ、そう考えてくれていい。嫌だと言っても、そうするけど」「では──よろしくお願いします。プロデューサー」 千早が、手を差し出してくる。 忘れない。 これが、夢の始まり。 ──遠い。 長く曲がりくねった階段の一歩を踏み出す。「願わくば──」 ──手を握る。「俺と、君の──」「私と、あなたの──」「「掴もうとしている夢が、同じであるように──」」