「いやはや、娘が本当にお世話になりました。申し送れましたが、私はラル・コーヴァスと申します。こちらが妻の」
「マリー・コーヴァスです。此度は感謝の言葉もありません」
客間のソファーに腰掛け、深々と頭を下げる夫婦。夫はいかにも武芸者という鍛え上げられた肉体を持ち、威厳のありそうな髭を生やしていた。短く刈り上げた黒髪がどことなく暑苦しさを感じさせる。
そして妻。ユーリは彼女に似たのだろう。ユーリがそのまま大きくなったという印象を受ける。とても優しそうな女性だった。
その二人の間には、落ち着きのないユーリが座っていた。そわそわと落ち着きがなさそうに視線を彷徨わせている。
「よかったね、ユーリ」
家族が迎えに来てくれて、本当に良かったと笑いかけるレイフォン。だけどユーリはその笑顔を見て、なぜだかとても寂しそうな顔をしていた。
「あなたが、娘を攫った不届き者を打ちのめしてくださったのでしたな」
「あ、はい。そうです」
「いやはや、お若いのにたいしたお方だ。実を言うと、私のこの手で直接、不届き者には鉄槌を与えたかったのですが……」
「お気持ちはわかります」
「ですが、娘が無事に戻ってきて何よりです。本当に良かった」
父親として、娘に危害を加えた者には自ら仕返しをしたかったのだろう。それが適わず、拳を握り締めたラルだが、すぐにその拳を解き、ユーリを優しく抱きしめた。
仕返しや敵よりも、娘が無事だったことの喜びの方が何倍も強いからだ。
「それで、その……コーヴァスにはいつごろ帰られるんですか?」
フェリがたずねる。表情の変化は乏しいが、その声には寂しさが含まれていた。
ユーリの迎えが来たのはいいことだ。だが、それはつまり、ユーリがいなくなるということで……
「今夜はもう遅いので、明日の朝にでも。幸いにも放浪バスは自前ですから、足止めの心配はありません」
明日には、ユーリは故郷の都市に帰ってしまう。
喜ばしいことのはずなのに、フェリは素直に喜ぶことはできなかった。
「それでしたら、今夜は泊まっていかれたらどうですか? 幸いにも部屋は空いていますし、ユーリちゃんもそちらの方がいいでしょう」
「いえ、さすがにそこまでお世話になるわけには……」
「今さらですよ。それに、こちらとしてもその方が嬉しいですからね。短い間とはいえ、ユーリちゃんを本当の家族のように扱ってきましたから。一晩、別れの時間が欲しいのですよ」
「そうですか……すいません。では、お世話にならせていただきます」
カリアンの提案に、戸惑いながらも了承するユーリの父親。これで一晩、時間に猶予ができた。
フェリとユーリは、内心でほっと息を吐く。
「じゃあ、僕は夕飯の準備をしますね。今日は豪勢にしなきゃ」
「あ、手伝います」
「いいですよ。お客さんはゆっくりしててください」
「いえ、そういうわけには……」
「そうですか? じゃあ、下ごしらえを手伝ってくれますか?」
「はい」
夕食を作ろうとするレイフォンと、それを手伝おうとするユーリの母親、マリー。
二人はキッチンへと消えてゆき、後にはフェリとユーリ、カリアンと、ユーリの父親のラルが残された。
「食事は、いつも彼が作っているのですか?」
「はい。お恥ずかしいことに、私と妹は料理がてんでだめで。彼に頼りっきりなんですよ」
「そうなんですか。ところで……彼とあなた方はどんな関係で? ご兄弟にしては、あまり似ていられないようですが」
残された者達がやることといえば世間話だ。食事ができるまで無言でいるのは耐えられないし、こうやって関係を持った以上、交流を図りたい。
ラルは気さくに、カリアンに語りかけた。
「彼、レイフォン君は妹の、フェリの夫になります。だから私の義弟になるわけです」
「なんと? 夫ですか。いやはや、あの若さでご結婚を……」
「ええ、当初はそのことで私も戸惑いました。なにせここは、学園都市ですからね」
「それは……当然でしょう。親と兄の違いはあれど、私もユーリにそのような輩がいたら、冷静でいられる自身がありません」
「わかりますか? 私も最初は冷静ではなかったんですよ。まぁ、今では、レイフォン君はフェリを任せるに相応しい男だと認めているんですけどね」
「ほう、そこまで明言なさるとは、彼はよっぽどすばらしい青年なのですなぁ」
どうやら、レイフォンの話題で盛り上がっているようだ。旦那が褒められているのは、妻として誇らしい。
内心で得意気になるが、それで心の内に巣くう寂しさがまぎれることはなかった。ユーリが帰る。その事実に、フェリは傍にいたユーリをぎゅっと抱き寄せることで誤魔化した。
『お姉ちゃん……』
「ユーリ。故郷に帰っても、私たちのことを忘れないでくださいね」
『うん……絶対に、忘れません』
念威端子を通して発せられた、ユーリの言葉。それを聞いてラルは気づく。
そういえば先ほどから、ユーリは自分の声でしゃべっていないと。
「さっきから気になっていたんだが、ユーリ、どうしたんだ? 何故普通にしゃべらない?」
「ラルさん。実はですね……」
ユーリが何故、肉声ではなく念威による音声で話すのか。その疑問にはカリアンが答えた。
コーヴァスから誘拐されたユーリは、それがトラウマとなって、ショックで声を発することができなくなってしまった。医者の見立てではそのうち治るらしいが、あれから二ヶ月近く経っているのに未だにユーリはしゃべれない。
ユーリが念威繰者だったため、現状では念威を介した会話が唯一の意思相通の手段だった。
それを聞いたラルは、ぶるぶると震えていた。
「すいません……今、犯人はどこにいますか?」
「さあ? 既に罪科印を押し、都市の外に出してしまいましたから。今頃どこにいるのやら?」
「くそっ……」
カリアンの言葉に、ラルは忌々しそうに舌を打つ。
娘をこんな目に合わせた輩を、よっぽど自分の手で始末したかったのだろう。
「夕食の用意ができました」
キッチンからレイフォンの声が聞こえた。できた料理を手に、ダイニングに出てくる。マリーは料理を運ぶ手伝いをしていた。
「できたようですね」
「そうですか。レイフォン君の料理がどれほどのものか楽しみです。自慢ではないんですが、妻も料理はうまいんですよ」
カリアンとラルはソファーから立ち上がり、ダイニングへと向かった。フェリとユーリもそれに続く。
今日の夕食はハンバーグ。帰り道でレイフォンが宣言したとおり、ユーリの大好物のものだった。
†††
「フォンフォンは……ユーリがいなくなるのは寂しくないんですか?」
「それは寂しいですけど……両親が迎えに着たんですから仕方がないじゃないですか」
どれほどぶりだろう? 寝室で、夜にフェリと二人っきりになるのは。
今まではユーリが一緒だった。寝る時は三人で寝ていた。けれど、今は両親が来ている。夕食の後、ユーリは空き部屋を当てられた両親と同じ部屋にいる。
「それはわかっていますが……」
「遅かれ早かれ、こういう時が来るのはわかっていたじゃないですか。ユーリには帰る都市があって、僕達にそれを止める権利はありません」
「わかってます、そんなこと……」
ベットにうつ伏せになり、枕に顔をうずめるフェリ。そんなフェリの姿に、レイフォンは苦笑して照明のスイッチに手をかけた。
「今日はもう寝ましょうか?」
「……はい」
照明が落ちる。レイフォンもベットに横になり、目をつぶった。
「フォンフォン」
「はい」
フェリは枕を放り投げる。レイフォンは目をつぶったまま、腕を伸ばした。
やはり枕よりも、こちらの方が落ち着く。レイフォンの腕を枕にして、フェリも目をつぶった。
「……………」
目をつぶるが、一向に眠れそうにない。隣ではレイフォンの規則正しい寝息が聞こえるが、フェリの目は逆に冴えていた。
暗闇にも瞳がなれ、うっすらと天井を見上げる。だが、天井を見上げていても面白くもなんともない。周囲の音に耳を傾けようとするが、夜なので静かなものだ。レイフォンの寝息しか聞こえてこない。
「……?」
だが、小さくだが、本当に小さくだが音がした。コンコンと、控えめで、聞き逃してしまいそうな小さな音。けれど耳を澄ませていたフェリはその音を聞き取り、音が聞こえた方向に視線を向ける。
そこは、部屋の扉の方向だった。
「誰、ですか?」
今考えてみれば、あの音はノックだったのだろう。こんな夜中に誰だろうか?
フェリは起き上がり、ベットから降りた。レイフォンは変わらず眠り続けている。扉の前まで来たフェリは、そっと扉を開けた。
『お姉ちゃん……』
「ユーリ?」
そこにいたのはユーリだった。彼女は部屋の中に飛び込むと、ぎゅっとフェリに抱きついた。フェリの寝巻きにしがみつき、顔をうずめて小さな声でつぶやく。
『私……帰りたくないです』
「え?」
『コーヴァスに、帰りたくないです』
瞳に涙をため、胸のうちに秘めたものを吐き出すようにユーリは続けた。
『お兄ちゃんと、お姉ちゃんと離れたくない。私は……ここに居たいよぅ』
「ユーリ……」
泣きじゃくるユーリの頭をなで、フェリは決意した。
夜が深まっていく中、フェリはユーリを連れて自宅を出て行った。
†††
「フェリ~!?」
朝、起きればフェリがいない。レイフォンは大パニックになり、家の中を駆けずり回っていた。
「ユーリもいない。いったいどこへ……」
「ユーリ……」
再び姿を消した娘に、コーヴァス夫妻も不安そうだった。
「フェリ……いったいどこに?」
家中を探し回ったレイフォンだが、探索はすぐに終わってしまう。
おろおろと戸惑いながら、衝動的に外に飛び出した。
家の中にいなければ当然外だ。ならば、外を探すしかない。
「フェリィィィィィ!!」
都市中を探す意気込みで、レイフォンは外に飛び出した。
†††
「で……なんで嬢ちゃん達がここにいるのさ?」
「私とユーリを匿ってください」
「いや、なんでさ!?」
ここはハイアの自宅だった。校舎のある都市の中心から離れ、倉庫区に近いアパート。家賃が激安だったという理由から、ハイアはここに住んでいた。
とはいえ、彼一人で住んでいるわけではない。フェリもハイアを頼ってここに来たのではなく、彼の同居人を頼ってきたのだ。
「とりあえずお茶です」
「ありがとうございます、ミュンファ」
ハイアの同居人はミュンファだ。当然といえば当然かもしれない。傭兵団が物理的につぶれ、居場所のなくなった二人はこうやって、身を寄せ合って暮らしていた。
「それで、いったいどうしてうちに?」
お茶を飲んでゆっくりしているフェリに、ハイアは呆れながらも再度理由を尋ねる。
フェリは一口だけお茶を飲むと、残りは置いて、理由を説明した。
ユーリの両親が迎えに来たことを。そのことを面白く思っていない自分。また、ユーリは帰りたがっていない。だからほとぼりが冷めるまで、ユーリの両親が諦めて帰るまで匿ってくれと、フェリはお願いした。
「……いや、帰った方がよくね?」
明らかに面倒ごとだった。つまり、フェリは家出同然で飛び出してきたのだ。ユーリまで連れて。
もともと、ユーリはコーヴァスの人間だ。この都市の者ではない。ならば一番いいのは、両親と共に帰ることだろう。冷静に考えればそうなる。だが、今のフェリは冷静な判断が下せるとは言い難かった。
「ハイア、私があなたにお願いしているんです。ならば答えは『はい』か『イエス』です」
「それはお願いじゃなく、強制って言うさ」
「素直にうなずきなさい。じゃないと、フォンフォンにあることないこと吹き込んで、あなたを物理的に抹殺しますよ」
「今度は脅しかよ……」
ハイアはフェリのことが苦手だ。もしかしたらレイフォンより苦手かもしれない。
「あの、フェリさん。あんまりハイアちゃんをいじめないでください……」
「まぁ、半分は冗談ですけどね」
「半分は本気かよ。ってか、別に俺っちは別にいじめられてなんてないさ」
レイフォンの名を出され、とても不安そうな表情をするミュンファ。友人であるフェリの旦那だとは理解しているが、彼女はレイフォンのことが苦手だった。
ハイアに危害を加えるレイフォンのことを好きになるのは、とても難しいことだろう。
ミュンファからしてみれば、ハイアはレイフォンにいじめられているようにしか見えない。だが、ハイアにもプライドがあるのか、それだけは断固として拒否する。
いじめられているだなんて、それではまるでレイフォンが強者で、ハイアが弱者のようではないか。
確かにレイフォンは強い。あまりにも強すぎいる。だがハイアだって、潰れたとしてもサリンバン教導傭兵団の団長を勤めた男だ。自分が弱いなどと認めたくはなかった。
「そんなことはどうでもいいです。それでハイア、私達を匿うんですか?」
「なんでそんなに上から目線さ? 第一、俺っちに頼らなくてもレイフォンの野郎に頼めば、それで一騎当千の戦力が手に入るだろうさ。あいつ、嬢ちゃんの頼みなら何だって聞くさ~」
「それは……」
ハイアの指摘にフェリが口ごもる。そもそも、レイフォンがいればかくまってもらう必要などないだろうに。
レイフォンは強い。ツェルニでは敵になる者がいないほどに。そんなレイフォンが力にものを言わせれば、ツェルニで逆らえる者など存在しない。
それなのになぜ、フェリはレイフォンを頼ろうとしないのだろうか?
「どわっ!?」
フェリが黙り込み、一瞬の静寂が訪れた。だが、それはあくまで一瞬。
物々しい轟音と共に、玄関の扉が蹴破られた。
「いったい何さ!?」
「ハイアァァァ!!」
「ぐえっ!?」
噂をすれば影だろうか。レイフォンは鬼の形相でハイアに近づき、襟首を取ってぶんぶんと首を上下させた。
「フェルマウスだったけ? 傭兵団の念威繰者はどこにいる? いや、もう傭兵団全員を集めろ! ツェルニ中を探すんだ! お前ら全員でフェリを探せぇぇぇ!!」
「お、おぶ、ぐふぁ……ちょ、ちょっと落ち着け、レイフォン」
「これが落ち着いていられるか! フェリが、フェリがいないんだよぉぉぉ!!」
フェリはレイフォンやカリアンには告げず、黙ってハイアの自宅に来たらしい。事情を知らないレイフォンは大慌て。
都市中を探索したが見つからず、もはや手段を選んでられないということでハイア達に助力を求めてきた。元とはいえ、ハイアはサリンバン教導傭兵団の団長だ。念威繰者としてのフェルマウスの力、そして人海戦術を行うための人手が欲しかったのだろう。
もっとも、レイフォンがここに来たことでその必要はなくなったわけだが。
「だから落ち着けって……嬢ちゃんなら、ここにいるさ」
「へ?」
揺さぶられ続けながらも、ハイアはフェリを指差す。ハイアの指に釣られ、フェリの方を見るレイフォン。
そこにはユーリを膝の上に座らせ、居心地の悪そうな表情で視線をそらすフェリの姿があった。
「ハァァイア!!」
「ちょ、今度はなんさ!?」
フェリの姿を確認するなり、ハイアを壁に叩きつけるレイフォン。なにやらさらに怒りのボルテージが上がってしまったようだ。ミュンファはあわあわと不安そうな表情で、その様子を見ていることしかできなかった。
「死にたいんだね? そんなに死にたかったんだね? まさか君が、またフェリを誘拐するなんて愚公を起こすとは思わなかったよ。やっぱり、あの時殺しておけば……」
「はぁ、誘拐!? ちょっと待……」
「うるさい、黙れ、死ね」
あまりにも理不尽。レイフォンはハイアの抗議など聞き入れず、すぐさま錬金鋼を復元し、刀をハイアに向けた。
「待ちなさいフォンフォン!」
そんなレイフォンを止められるのは、やっぱりフェリだけだ。フェリの声でレイフォンの手が止まる。
「誘拐じゃありません。私はただ、ミュンファのところに遊びに来ただけです。ですからハイアは何も関係ありません」
レイフォンは錬金鋼を仕舞い、壁に叩きつけたハイアに手を伸ばした。
「ごめん、ハイア。僕の早とちりだったよ」
「だったら少しは、悪かったって顔でもしてみるさ」
フェリの前だからか、一応、形だけでも謝罪して見せるレイフォン。だが、それはあくまでも形だけ。
その表情には悪かったという色は皆無であり、明らかにハイアを見下したような、上から目線だった。
「心配しましたよ、フェリ。朝起きたらいないんですから」
「そのことに関してはすいません。ただ……ハイアにお願いがあったもので」
「お願い? ハイアにですか? それって僕じゃ、フェリの力にはなれないんですか?」
ハイアのことなど知らぬとばかりにフェリのことを気にかけるレイフォンだったが、そのフェリの言葉に不満を感じてしまう。
それは明らかな嫉妬だった。レイフォンよりもハイアの方が頼りになると言われているようで、ハイアを殺したくなるほどに腹が立った。
「あ、違うんですよ。別にフォンフォンが頼りにならないというわけじゃないんですが……」
とても言いづらそうなフェリ。だが、最終的には観念したように理由を話す。
フェリとしてはユーリが故郷に帰るのは反対であり、また彼女もそれを望んでいないということを。だからほとぼりが冷めるまで、ハイアに匿ってもらうように頼み込んだ。
それを聞いたレイフォンは、額に手を当ててとても苦々しそうな表情を作る。
「フェリ、最初に言っておきます。僕は何があってもあなたの味方です。あなたの望みなら、僕は世界だって敵に回す覚悟があります」
あまりにも大げさだが、真剣みを帯びてレイフォンが言う。彼の言葉にはそれほどの覚悟と重さがあった。
「でも、本当にいいんですか? ユーリを帰さないってことは、多分、ユーリの両親と争うことになると思いますよ」
「………」
「フェリだってわかっているはずです。ほとぼりが冷めるまで隠れるって、冷めるわけないじゃないですか。わざわざツェルニまで、大切な娘を迎えに来たんです。そんな時間稼ぎをしたところで、簡単に諦めるわけがありません」
フェリのやろうとしていることは、所詮ただの時間稼ぎだ。聞き分けのない子供の我侭のようなもの。
それに、そうすることがユーリのためになるとも思えない。
「僕ならユーリの両親を力尽くで追い出すことはできます。ユーリを奪うことができます。ですが、もう一度聞きます。本当にいいんですか?」
「……………」
「僕は孤児です。だから両親の顔なんて知りません。でも、だからこそ家族という存在を特別に想っています。それがどれほど大切なのかも、わかっているつもりです」
フェリは言葉が出てこない。レイフォンが言うだけに、この言葉には重みを感じた。フェリは故郷の都市では何不自由なく育ち、苦労らしい苦労をしたことがなかったいわゆるお嬢様だ。
特に父親がフェリを溺愛していたため、愛情に飢えていたという経験もない。たまに父の愛が鬱陶しいと感じたこともあったが、それはレイフォンのことを考えれば贅沢な悩みなのかもしれない。
子供にとって、両親という存在はかけがえのないものだろう。それはもちろん、ユーリにも言えることだった。
「ユーリはいいの? ツェルニに残るって事は、お父さんとお母さんと、離れ離れになるってことだよ」
『私は……私は……』
レイフォンはユーリにも問いかける。確かにここ、ツェルニでは僅かな間ながらもレイフォンとフェリが親代わりをしていた。だが、それは所詮代わりでしかない。
ユーリには本当の両親がおり、こうして遠路遥々迎えに来たのだ。ユーリが本当の両親とは仲が悪く、折りが合わないというのならまだ考えもある。だが、決してそういうわけではない。
ユーリの両親はユーリのことを大切に思っており、ユーリもそんな両親が嫌いなわけがない。ならば、どうするのが一番いいのかは、既に答えが出ていた。
†††
「本当にすいませんでした」
「いえいえ、こうして何事もなかったわけですから、お気になさらずに」
「むしろ私達の方が、どれほどお世話になったことか。どんなにお礼を述べても言い足りません」
ユーリの失踪騒動は、こうして片が付いた。迷惑をかけたユーリの両親に謝罪をするレイフォンだったが、二人は笑いながら許してくれた。
予定より遅れてしまったが、正午には準備が整う。放浪バスの停留所で、今、最後の別れが行われていた。
「ユーリ……」
フェリがユーリの名を呼ぶ。だが、それ以上彼女から言葉が吐かれることはなかった。
相変わらず表情の変化は小さいが、それでもハッキリと寂しさを感じさせる表情で、目尻に涙を滲ませながらユーリを見ている。
「ほら、ユーリ。お前もちゃんと、挨拶をしなさい」
『………』
父親に言われ、ユーリが前に出た。ユーリも瞳にいっぱいの涙を浮かべ、今にも零れ落ちてしまいそうだった。
「お姉ちゃん……」
「ユーリ!? あなた、今……」
そんなユーリから吐き出された言葉は、念威端子を通しての音声ではなかった。きちんと自分の声で、肉声で、気持ちを、想いを伝える。
「今まで、ありがとうございました。私……コーヴァスに帰ってもお姉ちゃんのことを忘れません。だから……私のことも、忘れないでくださいね?」
「忘れるもんですか」
ユーリは耐え切れずに泣いてしまった。ポロポロと涙をこぼしながら、それでも言葉を紡ぐ。
「お兄ちゃん……」
「なにかな、ユーリ」
レイフォンは笑っていた。笑顔で見送ることを決めたレイフォンは内に寂しさを隠し、どこか困ったような笑みではあるものの、明るい表情でユーリを見ている。
「お兄ちゃんも……私のこと、忘れないでくださいね?」
「もちろん、忘れないよ」
「ありがとうございます……」
ユーリはぐずりながらもお礼を言う。鼻が詰まったのか、ずずっと鼻が鳴ったが、その跡には無器用ながらも笑顔を作った。だが、無理をしているのは一目瞭然で、若干目が赤い。
「ところで……リアンは本当に連れて帰ってもいいんですか?」
「うん、もちろんだよ。エクスカリバーは、ユーリのことが一番気に入ってるからね」
ブリリアント・エクスカリバーはユーリが連れて帰ることとなった。ユーリに一番懐いているし、離れようとしないからだ。今も彼女の頭の上に乗っている。
「お母さん、ちょっとリアンをお願い」
「え? ええ、いいわよ」
けど、今だけはブリリアント・エクスカリバーをどかす。胴体をつかみ、母に手渡して持ってもらった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
ユーリはレイフォンの胸元に飛び込むように顔をうずめた。実際には身長差があるため、お腹の辺りだったがそんなのは些細なことだ。
「ツェルニを卒業したら、一度、コーヴァスに来てください。その時は、歓迎しますから……」
「うん、いいよ。その時はよろしくね」
「はい」
その言葉を聞いて、ユーリの表情が完全な笑顔になった。レイフォンのお腹に抱きついたまま、ユーリは幸せそうにもうひとつのお願いをする。
「じゃあ、しゃがんでもらえますか?」
「え、なんで?」
「いいから、お願いします」
言われたとおりにレイフォンはしゃがむ。レイフォンのお腹から手を離したユーリは、そっと、触れるようにレイフォンの頬に口付けした。
「大好きです、お兄ちゃん」
「へ……?」
満面の笑みで言うユーリと、呆けるレイフォン。
この光景を見たユーリの父、ラルは乾いた笑みを浮かべていた。
「はははは……ところでレイフォン君。今から私と、錬金鋼の安全設定を解除して手合わせをやらないかい?」
「なにを言ってるの、あなたは」
「いて、いてて……冗談だ、冗談だよマリー!」
どうやらラルも娘を溺愛するタイプの親らしい。だが、妻のマリーには頭が上がらないようで、耳を引っ張られてあえなく沈黙した。
レイフォンの頬には、まだかすかにユーリの唇の感触が残っている。そんなレイフォンの背中には、フェリの冷たい視線が向けられていた。
「フォンフォンのロリコン」
「え、ちょ、フェリ!?」
フェリのロリコン呼ばわりにショックを受けるレイフォン。そもそも、見た目だけならフェリも負けていないだろうに。
一応フェリはレイフォンより年上だが、見た目は十分ロリっ娘だ。そんなフェリにロリコン呼ばわりされるのは、なかなかに堪える。
「えへへ……それじゃ、さよならです」
ユーリはいたずらが成功したような笑みを浮かべ、内心に潜む寂しさを無理に押し隠したような表情で言った。
都市に帰ることは決めても、こればかりはそう簡単に隠すことなどできない。
「それでは」
それでも帰る時は来てしまった。ラルに続き、ユーリとマリーも放浪バスに乗り込む。ブリリアント・エクスカリバーはマリーの手の中から逃れ、ユーリの頭に移動した。
放浪バスの窓からは、ユーリがこちらを見ていた。ブリリアント・エクスカリバーも一緒に見ている。そして、放浪バスが動き出す。
「ユーリ」
フェリがユーリの名を呼んだ。だが、その声は届かない。窓という隔たり、そしてエンジンの音がフェリの声を掻き消す。
動き出した放浪バスを止める方法は、もう存在しない。
「ユーリ……」
荒れ果てた大地を走る放浪バス。都市間を移動するだけに巨大な乗り物のそれだが、次第に小さく、遠くへと行ってしまった。
もうどんなに叫んでも、騒いでも、ユーリに声は届かないだろう。
だから、フェリはずっと放浪バスを見送り続けた。放浪バスが小さな点となるまで、地平線の彼方へ消えていくまで、ずっとずっと見送り続けた。
「フォンフォン……」
完全に放浪バスが消え、フェリはレイフォンの胸元に顔をうずめる。押さえていたものが決壊したように泣き出した。
「いやです……寂しいです。帰ってきてください、ユーリ……」
言葉では納得したように言ったが、それでも完全に気持ちを抑えつけることはできなかった。
フェリに取り繕う余裕はなく、普段の彼女からは考えられないほどの大泣きをしていた。
「返して……返してください、私のユーリを」
別にユーリはフェリのものではない。だが、フェリはそれほどまでにユーリを気に入っていた。大切にしていた。そんな彼女がいなくなって、辛くないわけがない。
「………」
レイフォンは泣き続けるフェリに何も言えず、ただ黙って、肩を強く抱きしめた。
あとがき
理想郷よ、私は帰ってきた!
まぁ、パロネタはともかくおひさしぶりです。またまた更新が遅くなってすいません。
最近は現実が忙しくって、なかなか執筆ができないんですよね。それと昔はSSだけが趣味という生活をしてたんですが、最近は友人やら、職場の同僚の影響で多趣味となり、他の方のSS作品や、ISの二期も見る暇がないんですよねぇ。
ISの二期はそろそろまとめて見ようかな、なんては思ってますが。
まぁ、とにもかくにも、フォンフォンの新作更新です。
今回のお話ですが、当初はフォンフォンが大暴れする予定でした。でもそうなると、もはや誰も止められないんですよねぇ。普段レイフォンを抑止するフェリも、今回は反対派でしたから。そうなると力尽くでユーリを奪う図しか浮かばないわけで。
今回の話ではユーリを故郷に帰す予定でしたから、当然ボツとなりました。
それにここのフォンフォン、フェリが大好きですが、だからといって何でもかんでも言うことを聞くわけではないということをわかってほしかったです。
今回の話では、もしもユーリがツェルニに残ることを選択した場合、とても大きな騒動がおきたでしょうからね。ユーリの今後にも大きく関わってくるでしょうし、両親のことについても。
だからレイフォンには誇示という立場上、フェリを諭すという役目を与えてみました。
あとがきでどうこう述べるより、作中ですべて説明できるのが一番いいんですけどね。そこはまだ、俺の実力不足です。
また、偉そうに言いましたがもしもフェリが敵対を選択した場合、フォンフォンは迷わず力尽くで行くでしょうね。疑問は持っても、結局はフェリのために大暴れすると思います。だからといってユーリをないがしろにしているわけではないのですが……
なんだか理屈っぽいあとがきですいません。思ったより長くなってしまいました。
ではお口直しに、おまけでもどうぞ。
おまけ
「フォンフォン」
「ちょ、フェリ……待ってください。少しだけ休ませて……」
とろけきった瞳で、フェリがねだるようにレイフォンの名を呼ぶ。当のレイフォンはぐったりと疲れ果て、ベットに横になっていた。
レイフォンは武芸者だ。そしてフェリは念威繰者。体力の差を考えるなら、当然レイフォンの方が上だ。だというのに、これはどういうことだろう?
「ユーリがいなくなって、寂しいんです。だから今夜は慰めてください」
確かにこのところ、ユーリがいたためにずいぶんとご無沙汰だった。だから久しぶりのこれは大歓迎なのだが、今夜はフェリが凄すぎる。なんというか、底なしなのだ。
いつもは体力で上回っているレイフォンがフェリを気遣うようにしているのだが、今夜は立場が逆だった。
「ユーリを見ていて思ったんですが、早く子供が欲しいですね」
「もう少し待てば生まれてきますよ。だからフェリ、お腹の子のためにもあまり無理をするのは……」
「まだそんなにお腹も大きくないですし、大丈夫ですよ。それに今夜は、人肌が恋しくて」
「ですが……」
「今日のフォンフォンはうるさいですね」
「ん、んっ!?」
あまりにもうるさいレイフォンの口を、フェリは自分の口でふさいでやった。
触れるだけの、軽いキス。唇を離したフェリは妖艶に笑う。
「今夜は寝かせませんよ」
今夜のフェリは、レイフォンが今まで戦ってきたどの敵よりも強敵かもしれなかった。
あとがき2
いったい、レイフォンとフェリはなにをやっているんでしょうね(棒読み)?
ってか、これ大丈夫かな? 一八禁止みたいなのに当てはまりませんかね?
もしそのようなら即効で修正します。
今回のおまけは、まぁ、あまりにもあざといやつでしたが、まぁ、いいかな?
原作レギオスがついに真の完結を迎えたわけですが、あざとくとも主人公とヒロインのいちゃつく姿を見たかったです。
せっかくレイフォンとフェリが結ばれたのだから、その後とか、いちゃいちゃするところ見せてくれてもいいじゃないですか。その反動とが今回のおまけかもしれません。
別にアンチとか、悪く言うつもりはないんですが、最終巻で設定を足すとかパネェです。その設定がまったく理解できず、意味不明だったのは俺の理解力が乏しかったのだろうか?
ニーナが全面的に出てきて、レイフォンとフェリが最後にちょっとだけというのがどうにも……
でも、ドラマガに掲載されてた短編は面白かったです。未来のグレンダンでの一幕とか。総合するとミィフィがかわいかったです。大人になったミィフィのイラストとか。
原作ではいたらんこと言ったミィフィですが、最終巻ではいろいろと魅力的でした。
もし彼女と違う出会い方をしていたら、ミィフィヒロインのSSを書いていたかもしれません。それほどまでに気に入りました。
いや、まぁ、それでも俺の中でレギオス№1はフェリなんですけどね。
なにはともあれ、レギオス完走お疲れ様です。それでもフォンフォン一直線はまだまだ続きます。
続きは……いつごろに投下できるだろうか?