「ふぅ……やっぱり、朝の始まりは一杯のコーヒーだね」
「朝ごはん、もう少しでできますから待っていてくださいね」
「うん、楽しみにしているよ」
新聞に目を通しつつ、カリアンはリビングでコーヒーを啜っていた。
生徒会室で生活することも少なくないカリアンだが、今は暇を見つけては家に戻ることにしている。その目的は、レイフォンの作る手料理だった。
「できました」
「ああ、ありがとう。相変わらずおいしそうだよ」
トーストとベーコンエッグとサラダ。それから手作りのジャムに、デザートとしてフルーツヨーグルト。飲み物はミルクかコーヒー、またはオレンジジュースをお好みで。
簡単なものだが、ちゃんとした食事が朝の食卓に並ぶ。これは、フェリと二人暮しだった時にはなかったものだ。
「今日は帰って来れるんですか?」
「ん、ああ、生徒会の仕事は今のところ滞りなく進んでいるからね。今日はちゃんと帰れると思うよ。ただ、明日からがどうなるかはわからないが……」
「そうですか。じゃあ、今日は夕食を作って待っていていいんですね。何かリクエストはありますか?」
「そうだねえ……前にレイフォン君が作ってくれた、芋と鶏肉の入った料理があっただろう? トマトソースで味付けされたあれだ。あれが食べたいかな」
「わかりました」
カリアンは思う。本当にフェリは、良い人を見つけたと。フェリのこととなるとたびたび暴走し、稀に自分も巻き込まれるというのだけはいただけないが。
なんにせよ、本当にレイフォンがロス家に来てくれて良かったと思う。
「それじゃあ、僕はフェリとユーリを……」
「ああ……ん、どうかしたのかな、レイフォン君」
フェリとユーリを起こすために寝室に向かおうとしたレイフォンだが、その動きが止まった。何かに身構え、真剣みを帯びた表情をする。
そのことに疑問を持つカリアンだったが、答えを見出す前に家の玄関が吹き飛ぶという異常事態が起こった。
「な、なんだっ!?」
玄関のドアが砕ける。粉塵が舞い、突風のようなものが吹く。一般人のカリアンはすぐに理解できなかったが、これは剄によるものだ。剄による圧力で突風のような風が生まれた。
「傭兵団か!?」
こんなことをしてきそうな連中といえば、レイフォンはすぐさまサリンバン教導傭兵団を思い浮かべる。彼らならばレイフォンに恨みを持ち、こんなことをしてきても不思議はない。あの時は、結構な無茶をしたものだ。
だが、元はといえば自業自得。少なくともレイフォンはそう思っている。なので、手加減はしない。
レイフォンはすぐさま錬金鋼を復元させ、迎撃体制を取った。敵は、すぐに来た。
人数は二人。性別は二人とも男。武器は鉄鞭と打棒。鉄鞭の男が真っ先に突っ込んできて、打棒の男が後に続く。
「よりによってこれからご飯って時に。ご飯より大切なことって、ないんだよ!」
フェリとの時間を邪魔されるのが一番腹が立つが、レイフォンが次に邪魔されて怒るのはご飯の時だ。
レイフォンが孤児出身ということもあり、またグレンダンで起こった食糧不足の問題のせいで、食べれる時には食べるという習慣が付いている。また、フェリなどに自分のようなひもじい経験をしてもらいたくはない。
なので、レイフォンは朝食が荒らされぬよう、迅速に対応を取った。
「とりあえず外に出ろ」
切り上げるように刀を振り上げ、鉄鞭を弾く。無防備となった男の襟首に手を伸ばし、そのまま服をつかんで投げ飛ばした。狙いはベランダの窓。
ガラスを突き破り、ベランダの柵をも破って外に飛び出す鉄鞭の男。レイフォンは動きを止めず、呆気に取られている打棒の男の服もつかんだ。
「あとで弁償してもらうよ」
同じように打棒の男も投げる。外に飛び出した男達を追って、レイフォンもベランダから外に出た。
この部屋は二階だ。なので一般人ならともかく、武芸者が落ちたところで致命傷にはなりえない。投げ飛ばされた男達はすでに体勢を立て直し、レイフォンを迎え撃つ準備をしていた。
「こいつら……」
外には仲間がいた。先ほどの二人に加え、新たに三人。いや、他にも視線を感じる。おそらくは物陰などに潜んでいるのだろう。
視線や気配から察するに、少なく見積もって十人以上。全員が全員、それなりの手だれのように感じる。
だが、サリンバン教導傭兵団と比べると、かなりレベルが落ちていそうだ。
「傭兵団じゃないのか?」
レイフォンがこれ以上、思案を続ける余裕はなかった。男達が一斉にレイフォンに襲い掛かる。
「レイフォン君!?」
カリアンはベランダから身を乗り出し、外に出て行ったレイフォンの身を案じる。
いきなりの乱入者。そして交戦。わけがわからない。いったい彼らは何者なのか? 何の目的があってこんなことをするのか?
「兄さん、なんなんですか? 朝から騒がしい」
「フェリ」
この騒ぎでフェリが起きてきた。ユーリを連れ、欠伸交じりで周囲を見渡すと、変化の乏しいフェリの表情が驚愕に染まる。
「一体、何が起こったんですか?」
「わからない」
妹の問いかけに、カリアンは首を振ることしかできない。
そんな時だった。扉の砕けた玄関から、渋みを帯びた男の声が聞こえたのは。
「久しぶりだな、カリアン。そしてフェリちゃん!」
「「えっ!?」」
思わずフェリとカリアンの声がはもってしまった。それもそうだろう。なぜならその声の主は、ここにはいないはずの人物なのだから。
短くカットされた銀髪と、銀の瞳。カリアンやフェリと同じ髪と瞳の色。フェリ達の故郷、サントブルグでは多くの都市民がこのような色をしている。そういう血縁なのだろう。
つまり、この声の主はサントブルグの者だということだ。それもフェリとカリアンの血縁である。
「お父様……」
「会いたかったよ、フェリちゃん」
二人の父親であり、サントブルグで絶大な利益を上げている情報交易会社の経営者、グラーヴェン・ロス。彼の背後には私兵であるキャラバンの長が控えており、恭しく頭を下げた。どうやら、先ほどの乱入者はこのキャラバンの者らしい。
グラーヴェンは若いころ、さまざまな都市を行き来して情報を集めていたらしいが、今は歳も歳なため、また経営者という立場から都市の外に出ることはない重鎮のはず。それなのになぜここに、学園都市ツェルニにいる?
「父さん……なぜここに?」
「カリアン……」
フェリとの再会でとてもにこやかな笑みを浮かべていたグラーヴェンだったが、カリアンの問いかけに対し真逆の表情を作る。
顔の筋肉が強張り、息子に向けるとは思えない侮蔑の混じった表情をしていた。
「お前を信じてフェリをツェルニに送り出したというのに、これはどういうことだ?」
「は、どういうこととは?」
「どこの馬の骨とも知れん奴にフェリをくれてやってんだと言うことだ!」
レイフォンとフェリの結婚は、当然ながら手紙で自宅へと告げてある。ただ、場合が場合、状況が状況だったために返事を待たず、武芸大会が終わってすぐに二人の結婚式は行われた。
これは数多くの人々に祝福され、カリアンもとても満足の行くものだったが、グラーヴェンからすれば寝耳に水もいいところだった。
「それは、レイフォン君のことを言っているのでしょうか?」
「それ以外に何がある? そもそも、フェリはまだ十七だ。結婚とか早すぎるだろう!」
まぁ、それが普通の反応だ。そもそも、フェリはまだ学生だし、レイフォンは十五歳。普通に考えたら結婚は早すぎる。
だが、場合が場合、状況が状況なのだからそれも仕方がない。
「いや、ですが……」
「ええい、言い訳はいい! フェリはサントブルグに連れて帰るからな!」
「いきなり何を言っているんですか! お父様」
いきなりの宣言に、当然ながら反発するフェリ。だが、親からすればそう簡単に学生結婚を認められるわけがない。特にグラーヴェンは娘のフェリを溺愛している。
いきなり娘が見知らぬ男と結婚などと聞かされれば、心配するのが親の心情。せめて学生同士、節度あるお付き合いならグラーヴェンもこうは言わなかった。また、フェリとレイフォンの関係は学生同士の節度あるお付き合いを大きく逸脱している。
「さあ、来るんだフェリ」
「嫌です!」
無理にでもフェリを連れて帰ろうとするグラーヴェン。フェリの腕をつかむが、フェリは嫌がる。じたばたと暴れ、グラーヴェンの手を振り解こうとしていた。
「父さん……」
カリアンは、これからどう父を説得するか思考を巡らせる。だが、それよりも早く、レイフォンが戻ってきた。
「フェリィィ!!」
「フォンフォン!?」
レイフォンは先ほど破壊されたベランダから部屋に戻ってきた。当然ながら、状況は理解できていない。
部屋に戻れば見知らぬ男がおり、フェリの腕を取っている。フェリは嫌そうにしていた。ならば、この男は敵だ。敵ならば倒す。
レイフォンはベランダに飛び込んだ勢いそのままに、グラーヴェンに突撃した。
「旦那様!」
キャラバンの長がレイフォンとグラーヴェンの間に割ってはいる。そもそも、彼の役割はグラーヴェンの護衛。この行動は当然といえよう。
グラーヴェンもまた、長の実力を信頼していた。なので側に置き、今回も連れてきていたのだ。
長はすぐに錬金鋼を復元させ、身構える。グラーヴェンを守るように、自ら壁となった。
「どけ!!」
その壁を、レイフォンは意に介さない。刀を一閃。キャラバンの長が、熟練の武芸者が、歴戦の戦士が一切反応できない速度で刀を振り切った。
「いっ……」
長の錬金鋼が砕ける。錬金鋼だけではない。錬金鋼を持っていた利き腕の手首が落ちる。速く、鋭い一閃。長年戦場に身を置いて、これほど見事な太刀筋を見たことはない。
「ぐほっ!?」
「馬鹿……なふっ!?」
長が手首を落とされた痛みにもだえている暇はなかった。続いて、レイフォンの蹴りが跳んでくる。
錬金鋼を失い、利き腕の手首を損失した長は成す術もなくレイフォンに蹴り飛ばされ、後ろにいたグラーヴェンを巻き込んで背後の壁に激突した。
「死ね」
そのまま止めを刺そうとするレイフォン。
「ま、待ってくださいフォンフォン」
「フェリ、どうしたんですか?」
もっとも、フェリの呼びかけですぐ止まり、首を傾げて問いかける。
「その人は……私の父です」
「ちち……?」
一瞬、『ちち』という言葉の意味がわからなかった。呆気に取られ、目を白黒させるレイフォン。
「ちち……父……えっと、つまり、この人はフェリのお父さんなんですか?」
「そうです」
「うわあああああああっ!!」
フェリの肯定にレイフォンは頭を抱え、やってしまったと絶叫を上げた。
「うわ、うわわっ、誰がこんな酷いことを!?」
「いや、それは今……レイフォン君が自分でやったんだが」
「すいませんすいません、本当にすいません!」
カリアンの突込みに対し、レイフォンはただただ頭を下げ続けることしかできなかった。
四つんばいになり、額を床にこすりつけるように謝り続ける。いわゆる土下座だ。
だが、グラーヴァンは長とともに目を回して気絶しており、レイフォンの必死の謝罪が彼に届くことはなかった。
†††
「な、なるほど……君がレイフォン君か」
「は、はい……さっきはすいませんでした」
ソファーに腰掛け、互いに表情を引きつらせて対面するグラーヴェンとレイフォン。
あの後、手首を切り落とされた長はすぐさま病院に運ばれてた。今は長の代わりに数名のキャラバンの者達が室内に入り、護衛として控えている。先ほどのレイフォンの戦闘を見せられてか、全員が全員身構えていた。
「君は腕が立つようだね。さっきの者は、私がもっとも信頼している手だれの武芸者だったのだけど。それに外に控えていた、十名以上の武芸者を瞬殺か……いやぁ、お見事お見事」
「は、はぁ……あの、すいませんでした」
グラーヴァンの言葉に、レイフォンの胃がキリキリと痛む。そんなレイフォンの隣には、フェリが座って果敢にもグラーヴェンをにらみつけていた。これが唯一の救いと言ってもいい。
カリアンはユーリを側に置き、少し離れた場所で様子を見守っていた。
「いやいや、君が謝ることじゃないよ。むしろ私は褒めているんだ。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ君。さすがは天剣授受者だね」
「っ……」
「別に驚くことはないさ。君は、グレンダンでは有名人だからね」
さすがはカリアンの父親といったところか。カリアン同様、グラーヴェンはレイフォンのことを知っていた。
そもそも、ロス家は情報交易で成功した家系なのだ。膨大な情報が集まり、それを取り仕切るクラーヴァンならばいくら他都市とはいえ、グレンダンであれほどの騒ぎを起こしたレイフォンのことを知っていてもおかしくはない。
「君がグレンダンで何をしたのかも、当然知っている」
「ですがお父様、それはグレンダンでのことです。今のフォンフォンには、都市を出た彼には関係がありません!」
「確かに……彼はグレンダンを追放されたことによってその責任を取らされた。こんな世界だから、この罪は清算されたと言ってもいい。だがね、そんな男においそれと、大事な娘を任せられると思うかい?」
「……………」
グラーヴェンの言葉に、レイフォンは押し黙ってしまった。自分でも理解はしている。こんな身の上の男を、そう簡単に受け入れられるわけがない。加えてフェリの実家はサントブルグの名家だ。そういった世間体は人一倍気にするだろう。
当のフェリ本人は、そんなこと知らぬとばかりにグラーヴェンを睨んでいた。
「父さん、そうは言いますが……」
「大体貴様も貴様だ、カリアン! お前には兄として、フェリに変な虫がつかないように監視する義務があるだろう!!」
カリアンが助け舟を出そうとするが、グラーヴァンは言い切るまでも待たずに一蹴する。
「それは……フォンフォンのことを言っているのですか、お父様?」
レイフォンのことを悪く言われ、次第にフェリの怒りが募っていく。
「そもそもだね、フェリちゃんには私がちゃんと相応しい相手を用意するから。それに、勝手な婚約は都市も許したりしないよ」
ロス家は言わずと知れた名家だ。また、フェリはそんな家系に突如として生まれた念威繰者だ。
その才能は絶大で、優秀な才ならば次世代へ残そうとするのは当然のこと。なので、フェリの結婚相手にはサントブルグで高名な武芸者が選ばれるはずだった。
「勝手に決めないでください! 私にとって相応しいのは、フォンフォンだけです!!」
「フェリちゃん……言いたくはないが、そんな子供のわがままが許されると思っているのかい?」
この才能ゆえに、サントブルグはフェリを一時的にとはいえ都市の外に出すことを渋った。それを抑え、学園都市に行くフォローをしてくれたのがフェリの両親だ。そのことについては感謝している。だが、こればかりは如何に両親とはいえ譲れない。
こうなってしまっては、徹底的に敵対する意思もある。
「あ~、それなら父さん」
「なんだ?」
険悪な雰囲気によってこう着状態となったのを見計らい、カリアンはここでもう一度グラーヴェンに語りかけた。
今度はグラーヴェンも無下には扱わず、聞くことに徹した。
「別に問題はないのでは? レイフォン君は優秀な武芸者ですよ。その実力はさっき、父さんもご覧になられたでしょう?」
もっともな話だ。都市からすれば、優秀な念威繰者と武芸者の婚約はとても喜ばしいこと。
如何にサントブルグといえども、レイフォンほど優秀な武芸者はまずいないだろう。
「そういえば、さっきの襲撃に何の意味があったんでしょう?」
「口実が欲しかったんだろうね。大方、レイフォン君を打ちのめして、弱い武芸者はフェリには相応しくないと言おうとした。それがあんなにも呆気なく返り討ち。それでもああだこうだと理由をつけて、父さんはレイフォン君とフェリの仲を認めたくはないようだ」
「ぐ、ぐぎぎっ……」
カリアンの憶測はまさに図星だった。グラーヴェンは歯を軋ませ、口の回る息子に何とか反論をする。
「だ、だがなぁ、家柄はどうする? ロス家にどこの馬の骨ともわからん奴を迎えるわけには……」
「あなた、先に行くなんてひどいじゃない」
「り、リリアン!?」
その反論も、新たなる人物の登場で飛散してしまった。
「お母様」
「フェリ、久しぶりね。二年ぶりくらいかしら? カリアンは六年ぶりね。そんなに経つものだから、こんなにも大きくなって……」
「母さんは相変わらず、若々しいままですね」
その人物とは、リリアン・ロス。フェリとカリアンの母親だった。
長い銀髪と、銀の瞳。フェリやカリアンと共通の面影が見受けられることから、どうやら二人は母親似らしい。
特にフェリとリリアンはそっくりだった。姉妹でも通じてしまいそうなほどに似ている。カリアンにフェリという、大きな子供二人を抱えている母親には到底見えない。
フェリが大人びて、背も少しだけ伸びて、胸が大きくなり、表情豊かな女性というのがリリアンの容姿だった。彼女はにこにこと魅力的な笑みを浮かべ、視線をレイフォンに向けてくる。
「君がレイフォン君ね。へ~……」
リリアンは、品定めでもするかのようにレイフォンを見つめた。上から下に順に視線を向け、最後にレイフォンの顔を正面から見る。
「かっこいい子じゃない。それに優しそうな子ね」
「え、あ、その……」
「おい、リリアン……」
リリアンの目から見て、レイフォンの第一印象は悪くないものだった。けど、それはグラーヴェンからすれば面白くない話だ。
「あなた、失礼なことはしていなかったでしょうね? フェリのこととなるとあなたは見境ないから。だから私も一緒に行くと言ったのに、宿泊施設に置いて行くのはひどいわよ」
「い、いや、そのことについては悪かったが、その……すぐに終わる用事だったし別に失礼なことなんて……」
「キャラバンの者達を使って襲撃されました。見てください、この荒らされた部屋を」
「フェリちゃん!」
リリアンの追求に、しどろもどろとなって冷や汗を流すグラーヴェン。そんなグラーヴェンに止めを刺すように、フェリが肯定した。
リリアンはぐるりと部屋を見渡してから、グラーヴェンの正面で視線を止める。
「玄関が壊れてたから、何かやらかしたんだろうなとは思っていたんだけど……へぇ、あなた、そんなことやってたの」
「待て、違うんだリリアン!」
「何が違うの?」
「とりあえず落ち着こう。な、落ち着いてくれリリアン!」
「落ち着くのはあなたでしょう。一度、頭を冷やしなさい」
その先は、語るのも記すのも憚れる。それはとてもとても恐ろしい光景だった。
グラーヴェン・ロス。サントブルグの重鎮である彼だが、どうも妻には頭が上がらないらしい。
グラーヴェンを責めている時のリリアンは始終無表情で、フェリとは親子なんだと改めて実感させられた。
語るのも恐ろしい折檻が終わったころには、グラーヴェンは微塵も威厳を感じられない様子で、ぐったりとダウンしていた。
「レイフォン君。フェリはちょっとだけ気難しい子だけど、とても良い子なの」
リリアンはレイフォンと対面し、真剣な表情で語りかける。
「それは……良く理解しているつもりです。正直、僕にはもったいなさ過ぎるほどの良い人です」
「そう……どうやら君は、本当にフェリちゃんのことを愛してくれているみたいね」
「はい……あの、フェリは絶対に僕が幸せにします。してみせます! だから、あの……フェリとの結婚を認めてはもらえないでしょうか?」
対して、レイフォンも真剣だった。真剣に自分の気持ちを、願いをリリアンに伝える。
「う~ん……別にレイフォン君とフェリのお付き合いは悪くないと思うけど、さすがに私も結婚はまだ早いと思うの。あなた達、まだ学生でしょう? 夫婦生活と勉学の両立は難しいと思うわよ」
リリアンから返されたのは、あまりにももっともな意見だった。救いなのは、グラーヴェンのように頭ごなしに否定したりしないことだろう。
フェリとレイフォンの付き合いには前向きなようで、反対するそぶりは一切見せない。
「……………」
「それはそうとカリアン。これもさっきから気になってたことなんだけど、その子は誰なの?」
言葉に詰まったレイフォンの隙を、合間を取って、リリアンは先ほどから疑問に思っていたことを口にする。
最初からこの部屋にいた、見覚えのない少女、ユーリについてた。
『は、初めまして……ユーリです』
「あら、ちゃんと自己紹介ができるの。偉いわね。でも、なんで錬金鋼を使ってるの?」
自分の話題となり、ユーリはラ・ピュセルを復元させ、念威端子を介して自己紹介を行った。
事情を知らないリリアンからすれば、何でそこで念威端子を介するのか疑問である。
「実はこの子は、ある事件に巻き込まれまして……藍曲都市コーヴァスから浚われて来た子供なのです」
「まあ?」
「だから今はうちで一時的に保護をしているのですが、彼女はそのときのショックで声が出せなくなってしまい……幸いにも念威繰者でしたから、端子を通しての会話ならば可能なのです」
「そうだったの……」
事情を聞かされ、リリアンはショックを受けたようだ。ユーリの元へと歩み寄り、優しく微笑みかける。
ホケーっとしていたユーリを、そのまま抱きしめた。
「辛かったわね……お父さんやお母さんと離れ離れにされて、不安だったでしょうね」
『そうでも、ないです……確かに怖くって不安でしたけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんが優しくしてくれましたから』
「お兄ちゃんとお姉ちゃん?」
『はい、お兄ちゃんとお姉ちゃんです』
ユーリはリリアンの腕の中で、レイフォンとフェリを指して言った。その言葉に、リリアンはさらにふわっとした笑みを浮かべる。
「そう……」
そしてもう少しだけ、ユーリを力強く抱きしめた。健気で、可愛い女の子だ。もしも自分に孫が生まれるのなら、こんな子供がいい。
「ユーリちゃんみたいな子が私の孫になってくれるといいのに。というか、孫が欲しい。孫の顔が見たいわ~。カリアン、あなたは今年で卒業でしょう? 良い人とかいないの?」
「生憎、私にはそういった浮ついた話は……」
「え~」
「ですが、孫でしたら……」
ここで、カリアンは言おうかどうか迷った。手紙ではレイフォンとフェリの結婚だけを伝えたが、あのことに関してはまだだった。あえて隠したと言ってもいい。
結婚だけでこれほどの騒ぎを起こす父を持っているのだ。だからあえて秘密にし、ほとぼりが冷めてから告げようと思っていた。だが、今はこうしてツェルニにまで乗り込んできた以上、隠しとおせる問題でもない。
「孫なら、もうすぐできますよ。現在、一ヶ月とちょっとです」
「……え?」
「私と、フォンフォンの子供です」
それを告げたのは、フェリ本人だった。さすがのリリアンも、その言葉の意味をすぐには理解できずに、素っ頓狂な顔をする。
「え、ええっ!? ちょっとフェリ、どういうこと?」
「今言ったままの意味です。私のお腹の中には、フォンフォンとの子供がいます」
「えっと……フォンフォンってレイフォン君のことよね? その子供?」
「はい」
「えええええええええええっ!?」
状況を理解するなり、リリアンは絶叫を上げた。当然である。
娘が学園都市に行って、結婚して、子供ができたと聞かされればどんな親でも驚く。
「なにっ!? 子供だと!!」
ここでグラーヴェンも復活した。子供ができたと聞かされては、暢気にダウンしている場合ではない。
「ちょっとフェリ、あなたはまだ学生でしょう。それなのに子供って……」
「貴様ァ! よくもフェリを傷物に!!」
「お、落ち着いてくださいお義父さん」
「貴様に父と呼ばれる覚えはない!」
子供ができたのは確かにめでたいことなのかもしれない。だが、フェリはまだ学生だ。十七歳。明らかに若すぎる。
「フェリ……わかっているの? 親になるって言うのは、とても大変なことなのよ」
「そんなことわかっています」
「いいえ、わかってないわ。そんなにすぐに答えを出せるほど簡単な問題じゃないの。人の親になるってことは、フェリが思っている以上に大変なのよ」
人生の先輩であり、フェリとカリアンの親である女性の言葉だけに重みがある。レイフォンも、子育てが大変なことだとは知っていた。
孤児院で育っただけに、それがどれだけ大変で、責任を問われることか理解しているつもりだ。
「それでも……それでも、私は生みたいです! 大好きなフォンフォンとの間にできた子供なんです。たとえどんなに大変でも、この子は私がちゃんと育てます!」
「フェリ……」
それでも子供が欲しかった。形のある、愛の証が欲しかった。妊娠したと知った時には、今まで生きてきた中で一番の幸せを感じた。
娘の本気を感じ、母は覚悟を決めた。フェリの元へと歩み寄り、先ほどユーリにやったように優しく抱きしめる。
「まったく……本当に仕方のない子ね」
「お母様……」
「そうまで言ったんだから、ちゃんとがんばるのよ。途中で投げ出すことなんて絶対に許さないからね」
「当然です」
「そう……」
フェリを抱きしめたまま、リリアンはレイフォンに視線を送る。その視線から目をそらすことなんて、レイフォンにできるわけがなかった。
真っ直ぐ、正面からリリアンの顔を見る。
「レイフォン君。さっきも言ったけど、フェリはちょっとだけ気難しいけど、とても良い子なのよ。だから……この子のことをよろしくね」
「はい……フェリは絶対に、僕が幸せにして見せます」
「ん、ならばよろしい」
「おい、ちょっと待て! 私を無視して話を進めるな!」
リリアンは子供のことを認めてくれた。だが、グラーヴェンがまだだ。
「だめだ、だめだぞ! 私は認めないからな!」
「そうは言うけどあなた、実際にできちゃったんだから仕方ないじゃない。私も学生のうちに子供ってのは感心しないけど、孫が欲しいってのも本心だし」
「それが母親の台詞か!?」
「じゃあ、あなたに何か良い案があるの?」
グラーヴェンが反対するのは当然だ。しかし、こうは言いたくないが実際に子供はできてしまったのだ。この事実をなかったことにすることはできない。
ならば何か代案が、良い方法があるのかという話だ。
「……フェリ、おろせ」
「は?」
そして、グラーヴェンの選んだ案は、ある意味当然の選択なのかもしれない。だが、それは決してフェリからすれば受け入れられるものではなかった。
「おろせと言ったんだ! フェリのような子供にまともな子育てができるわけないだろ。早い方が傷つかなくてすむし、それが子供のためでもある」
「何を言ってるんですか! そんなのは絶対に嫌です!! 私はこの子を生みます」
「あなた……気持ちはわかるけど、少し落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか!」
次第にグラーヴェンは熱くなっていく。むしろ、子供が妊娠したと聞かされて冷静でいられる親の方が少ないだろう。
グラーヴェンは事の元凶、レイフォンにギロリと殺意交じりの視線を向けた。
「もとはといえば貴様がァ!! どうせ貴様は、金が目的でフェリに近づいたんだろ!」
「何を言っているんですか?」
「薄汚い孤児が、金欲しさにフェリに近づいたのだろ! 知ってるぞ、貴様はグレンダンで金欲しさ闇試合に出ていたことを!! そんな貴様がフェリを愛してる? はん、片腹痛いわっ!!」
さすがにむっときた。この人物がフェリの父親でなければ、一発殴っていたところだ。
グラーヴェンはレイフォンのことを知っていた。ならば、その時に闇試合のことを知ったのだろう。確かにあの時のレイフォンはお金が欲しくて、闇試合に手を出した。それは事実だ。
だが、フェリに近づいたのは決して金が目的ではない。本当に、ただ純粋にフェリを愛しているのだ。そのことを疑われるのは、いくらフェリの父親とはいえきついものがある。だが、このことで一番頭にきたのはフェリだった。
「は……っ?」
乾いた音が響く。フェリがグラーヴェンの元へと歩み寄り、右手でグラーヴェンの頬を思いっきり引っ叩いた。
「死ね、糞親父」
心からの軽蔑。フェリらしい静かな声で、フェリらしからぬ乱暴な物言いでクラーヴェンを軽蔑する。
グラーヴェンの頬には、くっきりとフェリの手形が赤く刻まれていた。
「ふぇ、フェリ!」
フェリはそのまま、まるで父を見限ったように自室へと戻っていく。レイフォンは慌ててその後を追い、それにユーリも続いた。
「ふぇ、ふぇりちゃん……」
娘に拒絶されたグラーヴェンは放心し、去っていくフェリの背中に向けて手を伸ばした。
だが、フェリは止まらずに、振り返りもせずに自室のドアを閉める。
「あなた」
「へ……ぶほっ!?」
取り残されたグラーヴェンに、更なる追撃、止めが加えられた。
今度はリリアンが左手で、フェリとは逆の頬をビンタする。
「そりゃあね、あなたの気持ちもわかるわ。フェリが妊娠しましたじゃ、冷静ではいられないのはわかる。けどね、だからってああまで言う必要はないじゃない。あの言葉でレイフォン君が、何よりフェリがどれだけ傷ついたかわからないの?」
「う、あっ……リリアン」
「そんなこともわからないあなたなんて、大っ嫌いよ!」
「はうっ……」
リリアンの叱咤に、グラーヴェンはがっくりと膝を突く。それほどリリアンの言葉が利いたのだろう。
どうやらグラーヴェンは、リリアンには頭が上がらないらしい。レイフォンと同様、女性には尻に敷かれるタイプの男性だった。
†††
「フェリ、何をしているんですか?」
「見てわかりませんか? 荷造りです」
自室にこもったフェリは、大きな旅行鞄に着替えや私物などを詰め込んでいた。その様子に、レイフォンは不安を覚える。
「まさか、サントブルグに帰っちゃうんですか?」
「そんなわけないじゃないですか。あそこに帰るのも、ここにいるのももうごめんです」
「じゃあ……」
「出て行くんですよ。父の手が届かない、どこか遠くの都市へ」
「で、でも、フェリのお腹の中には子供がいるんですよ。そんな時に都市を移動するだなんて……」
要するに家出。フェリは父を見限ったのだ。なので、サントブルグに帰るのは論外。あんな父の支援で、今までどおりにこの家で暮らすのも嫌だった。
だが、出て行くと言ってもそう簡単な問題ではない。移動した先で、ちゃんと職にありつけるのだろうか? そもそも、住む場所が見つかるのだろうか? 不安要素を探せばきりがない。
さらにフェリは妊娠中の身だ。それで都市の外に出るなど、自殺行為といっても良い。
「まだ一ヶ月とちょっとなんです。日はあります。なのでそれまでに定住できる都市を見つければ問題はありません」
「ですが……」
フェリはこう言うが、唯一の移動方法である放浪バスでの旅は決して快適なものではない。そのストレスが、フェリとお腹の中の子に悪影響を与えないか心配なのだ。
「でも、そうしないと……このままじゃ、おろされてしまうかもしれません」
「それは……僕もいやです」
「わがままだって言うのは理解しています。フォンフォンが私のことを心配して、乗り気でない気持ちもわかります。ですがこのままじゃ……」
「はい、このままじゃ……」
グラーヴェンは子供のことを反対した。けれど、レイフォンとフェリは子供を欲しいと思っている。この考えは決して相容れない。ならば取れる方法は三つ。
グラーヴェンの言うとおりにおろすか、グラーヴェンの説得、または逃れること。
最初の選択は論外。説得を試みようとしたが、それはさっきのやり取りで破断してしまった。ならばとフェリが選んだのは、残った逃れるという方法だった。
「でも、そうなるとユーリはどうするんですか? 僕達が出て行くと、ユーリはここに残されてしまいますよ。まさか連れて行くなんてこともできませんし」
「そうですね……」
更なる気がかりの種、ユーリ。レイフォン達が都市を出てしまえば、彼女は一人取り残されることとなる。
カリアンがいることにはいるが、それではあまりにも無責任だし、何よりこれまで一緒に暮らしてきて愛着の沸いた彼女と離れるのは寂しかった。
『あ、あの……』
「なに、ユーリ?」
『もし良かったら、コーヴァスに来ませんか?』
「え?」
そのユーリは、端子を通してある提案をする。
『私の都市、コーヴァスに来ませんか? そうすればいつでも会えます』
「それはいいですね」
悪くない案だ。ユーリといつでも合えるのは魅力的だし、これならユーリを送り届けるという名目で一緒に連れて行くこともできる。
それにユーリは、コーヴァスでは有名な武芸者の一族の娘。こういった打算的な話は好きではないが、住む場所の手配や職の紹介くらいならしてくれるかもしれない。
「でも、今はユーリの家族に手紙を出して、迎えを待っている状況なんですよね。入れ違いになってしまいませんか?」
「それは……まぁ、それはそれです。兄に口先で誤魔化してもらいましょう。何も誘拐するわけじゃないんです。ちゃんと都市に送り届けるんですから」
せっかくまとまりかけた話だ。こうなってしまえば、無理にでも推し進める。あまりにも強引なフェリの選択だったが、レイフォンはため息を吐き、苦笑して最後は降参した。
「わかりました。フェリがそういうのなら。幸いにも、貯えは結構ありますから」
カリアンに武芸科に転科させられた時からレイフォンの奨学金はAランクとなり、機関部の清掃のバイトで稼いだお金、小隊の報奨金、たまにやる武芸科の教員役の報酬などで貯金はかなり貯まっていた。これならばしばらく食うのには困らないはずだ。
あとはコーヴァスで職と住む場所を見つければ良い。幸いにも、レイフォンは武芸者として最強クラスの腕を持っている。
「これからの私は、ロス家とは一切の関係がありません。ですので、お金の面で苦労をかけるかもしれませんが……それでも一緒に来てくれますか?」
「当然ですよ。僕はフェリを愛しているんですから。どこまでも付いていきます」
「やっぱり、父の言ったことは嘘でしたね」
決意は固まった。もう迷いはない。
戦争時期となると減少する放浪バスの数だが、今は運良く停留所に止まっている。あとは行動に移すだけだった。
あとがき
まず、今回登場したフェリの両親、グラーヴェンとリリアン。
グラーヴェンはレギオス原作には名前だけ登場してました。フェリ同人と呼ばれる漫画版レギオスにも登場していて、フェリを溺愛するキャラとして描かれてました。
リリアンに関しては完璧オリジナルです。フェリの母親なんで、やっぱり容姿はフェリそっくりなんだろうなと思いました。また、名前はカリアンをもじっただけです。
性格的には、なのはSSなんかではよく見る、孫を欲しがる桃子さん的な感じを目指して。
そして今回の展開、コンセプトは駆け落ち。一度フォンフォンの打ち切りを考えた時には、この話をもう少し煮詰めて駆け落ちENDも考えたことがあります。
何はともあれ、今回は前半。残りは後半に続きます。
フェリ同人最終巻、まだ見てない。熊本は発売日遅れるんですよね……