まえがき
にじファンがなくなるとのことなので、にじファン専用に書いてたハイア死亡ルートをこちらへと移動させます。
基本別ルートであり、また当時は執筆の手間を減らそうとコピぺったので同じ部分があります。また、内容が多少異なるわけですが過激な表現、黒い部分があるので、そういうのが苦手な人はご注意ください。
フォンフォン一直線の新作は今から一週間以内にちゃんと更新したいと思いますので、それまでお待ちください。
それでは、始まります。
「痴れ者どもがっ!」
病室内にニーナの怒鳴り声が響く。感情と共に剄の波動がニーナから発せられていた。
怒りにより剄脈が敏感に反応したのだろう。それはニーナの剄量が増し、成長した証でもあった。だが今は、そのことを喜ぶ雰囲気ではない。
「落ち着け、ニーナ」
「これが落ち着いていられるか!?」
「ここは病室だ。落ち着かなくてもいいから声を下げろ」
「……すまん」
シャーニッドに宥められ、ニーナはここがどこなのかを思い出す。
ここは病院のとある一室。中央に位置するベットの周りにニーナ達は第十七小隊のメンバーは陣取っていた。とは言っても、その中にレイフォンとフェリの姿はない。
この部屋の主であるカリアンは中央のベットに横になっており、彼の隣には武芸長のヴァンゼが立っていた。
「都市戦を前にして、厄介なことになったね」
ベットに横になっているとはいえ、カリアンの意識は既に覚醒していた。
割れた眼鏡は予備のものに変えてあり、苦りきった表情で言葉をつむぐ。
午前中に都市発見の報が都市中に伝わり、明日には学園都市マイアスと遭遇、戦争になる予定だ。
その前日、つまりは今日、正確には昨日の夜に起きた事件。この都市の長であるカリアン・ロスの襲撃と、妹であるフェリ・ロスの拉致。
犯人はわかりきっている。カリアンは実際に犯人を目撃し、残された置手紙にはご丁寧に名前が書かれていた。
犯人の名はハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団三代目の団長だ。
「目的はなんだ?レイフォンの中にいる廃貴族なのか?」
ヴァンゼは厳しい顔つきで自分の考えを口にするが、カリアンは首を横に振った。
「確かに傭兵団は廃貴族を求めている。だけど、この手紙を見るにハイアはレイフォン君との一騎打ちを望んでいるようだ。それに、彼ら(傭兵団)が廃貴族がレイフォン君の中にいることを理解しているとも限らないしね」
「信じられません」
口調は丁寧だが、吐き捨てるような声がカリアンの言葉を否定する。
言ったのはダルシェナだ。
「目的のためなら他人を利用するのをなんとも思わないような連中です。言葉を額面どおりに受け取ってなんていられません」
傭兵団が目的とするのは廃貴族の捕獲。
その犠牲となり、ディンを拉致されそうになったため、彼女の言葉にはどこか棘があった。
「都市警察に連絡しますか?」
「してもなんにもならん。傭兵団の戦力を考えれば、都市警察程度の戦力では相手にならない。それは俺達、小隊員でも同じことだ」
ナルキの提案に、ヴァンゼは現実を突きつける。
サリンバン教導傭兵団。数多の都市を渡り歩き、傭兵として活躍してきた熟練の武芸者の集団。
そんな彼らに、未熟者の集まりである学生武芸者が勝てるわけがない。
「なら、どうすれば……」
「そんなもの、こっちが聞きたい!」
ナルキの問いに、ヴァンゼは病室の壁を殴ることで答えた。
ドン、と言う鈍い音が室内に響き渡り、ヴァンゼの体が小刻みに震えている。顔は強張っており、怒りを必死に噛み殺していた。
悔しいのだろう、何も出来ないこの現実に。生徒会長を襲われ、妹のフェリが拉致された。
この場合は報復、またはフェリ奪還の作戦を立てなくてはならない。だが、相手はあのサリンバン教導傭兵団。
強大な戦力を前にし、自分達は何も出来ないのだ。これが悔しくないわけがない。
ツェルニでサリンバン教導傭兵団に対抗できるのはただ1人、元天剣授受者であるレイフォン・アルセイフだけだ。
「……そうか」
そこで、ニーナが何かに気がついた。
「ふむ、気づいたかね?」
ニーナの反応に、カリアンは確認するように問い質す。
「ということは会長も?」
それも当然だろう。ニーナはそれなりに頭が切れるが、彼女が気づいたことをこの都市の長であるカリアンが気づけないわけがない。
フェリを拉致されたと言うのにあくまで冷静で、現状をどう打破するべきか考えている。
その落ち着きように、ニーナは思わず舌を巻いた。
「おい、どういうことだ?」
シャーニッドの問いかけに、ニーナは答える。
「ハイアの目的は、手紙に書かれていた通りレイフォンとの一騎打ちだ。最初、私はマイアスと傭兵団が手を組んでいると考えていた。だが、その可能性はかなり低い」
「どうしてだ?」
ダルシェナの問いに、ニーナは自分の推論を続ける。
都市戦は明日であり、ハイアが要求してきたレイフォンとの一騎打ちも明日だ。これが偶然であるはずがない。ならば、レイフォンが都市戦に参加できないようにするためと考えるのが普通だろう。
だが、ハイアからすればそんなことはどうでもいいことで、彼はこの現状を利用したに過ぎない。
ツェルニの最大戦力であるレイフォンを都市戦に参加させないために、マイアスと手を組んだとはまず考えられない。
「例えマイアスに教導の過去があったとしても、マイアスとツェルニが戦うということを事前に察知するなんて真似が出来るとは思えない。それに学園都市同士の戦いに傭兵団と言う第三勢力を絡ませるやり方、証拠をつかまれたら後日窮地に陥るのはマイアスの方だ。例え傭兵団の方から話を持ちかけたとしても、マイアスがそれを受けるとは思えない」
「そうだね。彼ら(傭兵団)はフェリの誘拐に対して、マイアスとの戦いを前にした今の状況を利用したに過ぎないだろう。傭兵団の対処にこちらが力を注げば、それだけマイアス戦が不利になる。何しろ向こうは熟練者ぞろいだ。半端な戦力を向けたところで、返り討ちになるだけだろうね」
ニーナの言葉をカリアンが引き継ぎ、ヴァンゼが悔しそうにつぶやく。
「あいつらの言うことに、従うしかないと言うことか……くそっ、教師面の裏でよくもそんなことを!」
「しかし、考えたもんだ」
「感心してる場合か!」
シャーニッドの言葉に、ダルシェナが怒鳴る。
今は、この状況を打破するために結論を出さなければならない時なのだ。
「聞くまでもないと思うが、どうする? 奴らの要求どおり、レイフォンと一騎打ちをさせるのか?」
「それしかないだろうね。生徒会長という立場にいるが、私は妹が可愛くってね。君は感情で命を下す長を軽蔑するかい?」
「するわけがない。もし妹を見捨てると言ったら、その時は存分に軽蔑してやる」
「はは、そんな君だからこそ、私は武芸長として君を望んだんだ」
結論は出た。後は本人にその旨を伝え、当日に実行するだけなのだが……
「で……レイフォン君はどこにいるのかな?」
本人がいない。最後に見たのはヴァンゼで、禍々しい剄を発しながら外へ出て行ったという話だ。
もしかしたらカリアンの結論を聞くまでもなく、フェリを助け出すために準備をしているのかもしれない。
「あいつは……」
まただ、レイフォンはまた1人で事態を解決しようとしている。
二度目の汚染獣襲撃、老生体戦から始まり、傭兵団と共闘での汚染獣の迎撃、そして機関部にいる廃貴族の対応、それらを1人で行い、仲間を頼らず、レイフォンはツェルニから姿を消したのだ。
それがニーナには悔しかった。まるで自分達を軽んじられているようで、仲間として見てもらえていないよう思えるから。
「レイフォンを捜せ! あいつめ……一体何を考えているんだ!?」
悔しさと怒りを織り交ぜた感情で、ニーナは部下達に指示を出す。
またレイフォンが1人で無茶をする前に彼を探し出す。ニーナも指示を飛ばすだけではなく、自らレイフォンを捜すために病室を出て行った。
「……もっとも、フェリのことはレイフォン君に任せれば心配する必要はなかったかな?」
「ずいぶん信頼しているな」
病室に取り残されたカリアンとヴァンゼは、言葉を交えていた。
「私の義弟になるんだ。信頼して当然さ」
「そうか……」
ヴァンゼは既に、レイフォンとフェリの関係を知っている。
むしろ彼らの結婚式の準備を、カリアンによって手伝わされているために嫌でも理解していた。
カリアンに振り回される身としては厄介なことだが、後輩達の幸せは素直に祝福するべきことだろう。だが、その幸せを前にして、2人には今、試練が訪れていた。
「意外にも私はシスコンでね」
「意外でもなんでもない。とっくに理解している」
「そうかい?まぁ、フェリに嫌われてはいても、私はフェリのことが大好きなんだよ。フェリには幸せになって欲しくってね。レイフォン君ならフェリを幸せにしてくれると、大切にしてくれるだろうね。何せ私と同じくらい、もしくはそれ以上フェリを愛してくれているんだ。だからこそ、信頼している」
「……確かにな」
カリアンの言葉に、あの時すれ違ったヴァンゼは同意する。
レイフォンは憤怒していた。フェリを拉致したハイアに本気で殺意を向け、その余波でヴァンゼが恐怖を感じてしまうほどに。
それほどまでに彼はフェリを大切に想っており、フェリを誘拐した傭兵団に敵意を抱いている。
そんなレイフォンだからこそ、フェリを助けるためならば全力を尽くすことだろう。
「だが、それが危険でもある」
「そうだね。きっと彼は名前のない大衆が何人死んでも、心が痛むぐらいの気分にしかならないのかもしれないね」
ヴァンゼが不安に感じるのは仕方がない。レイフォンのことを信頼してはいるが、カリアンも同じだからだ。
天剣を剥奪され、孤児院の者達から嫌われ、グレンダンを追われたレイフォン。そんな彼は今、フェリ・ロスと言う掛け替えのない存在を手に入れた。
誰よりも大切で、誰よりも愛しくって、とてもとても大切な存在。
ありえないだろうが、フェリがもしツェルニの壊滅を望むのなら、レイフォンは迷わずにツェルニを壊滅させるだろう。
もしフェリの身に何かあれば、レイフォンは暴走し、ツェルニを破壊するかもしれない。
もしフェリが死のうものなら、フェリのいない世界に興味はないと暴れまわり、やはりツェルニは再起不能な打撃を受けることだろう。
フェリの意思一つで、レイフォンは敵に変わる可能性が十分にある。
「でも、大丈夫だろうね」
フェリはそんなことは望まないだろうし、フェリに何かあれば、きっとレイフォンが護ってくれる。
そう確信し、カリアンはポツリとつぶやいた。
「我々に出来るのは、彼を信じることぐらいだね」
フェリは窓越しに、ツェルニの巨大な足が動くのを見ていた。
「困ったことになりました」
ぼんやりとつぶやき、辺りを見渡す。
狭い室内は、今腰掛けているベット以外には小さなテーブルしかない。椅子がないということはベットがその代わりになるのだろう。
「……兄さんは無事でしょうか?最も殺しても死なないような兄ですから、今頃は何かろくでもないことを考えているかもしれませんね……フォンフォンには、心配をかけてしまいました」
独り言をつぶやきながら、フェリは何もない室内に視線をさ迷わせる。
ここは放浪バスの中だ。サリンバン教導傭兵団の保有する大型の放浪バス。フェリはその一室に閉じ込められていた。
昨夜ハイアに襲われ、気を失っている間にここへと連れてこられた。
「さて……どうしたものでしょうか?」
錬金鋼は当然没収され、手足は縛られてはないが、鍵をかけられているために外へ出ることは出来ない。
フェリが武芸者ならば扉を蹴破り、脱出することは可能だったかもしれない。だが彼女は念威繰者であり、一般人とあまり変わらない身体能力では、あの頑丈そうな鉄製の扉を壊すことは不可能だ。
それでもこの状況を打破しようと、フェリは考え込む。思考中、不意にガチャリという音が聞こえた。
鉄製の扉の鍵が開けられた音だ。
「あのう……」
扉を開け、部屋の中に入ってきた人物は眼鏡をかけた少女だった。
彼女の顔には見覚えがある。確か、ハイアと共にいた傭兵団の人間だ。
「……名前を覚えてはいませんが、知ってます。やはり傭兵団の放浪バスですね」
「あ、はい。そうなんです」
ミュンファはどうしていいのかわからない顔のまま、トレイを持って部屋の中へ入ってきた。
「食事を持ってきました。遅くなってごめんなさい」
「いえ……」
フェリが小さく首を振る。
その時、
「どういうことだ!」
「ひゃっ!?」
開きっぱなしになっていた扉の向こうで男の怒鳴り声が響いた。
今まさにテーブルの上に置かれようとしたトレイが音を立て、載せられていた容器の中でスープと水が跳ねた。
もう少し大声が早ければ、トレイに乗っていたものは床にばら撒かれていたかもしれない。
「なんだか、大事になっているようですね」
「あ、ははあは……」
ミュンファは引き攣った笑いを浮かべ、フェリの問いに関する答えを言おうとはしない。
「あの、食事が終わったら言ってくださいね、取りに来ますから。他にもトイレとか、困ったことがあったら言ってください。私、すぐ側にいますから」
「待ってください」
「ふぇ……」
フェリは部屋から出て行こうとしたミュンファの肩をつかんで制止し、止められたミュンファは困ったような顔をする。
それに対して無表情な顔を浮かべていたフェリは、当然のように口を開いた。
「勝手にこんなところに連れてきて1人にする気ですか?暇つぶしに話し相手にでもなってください」
「え?え……」
戸惑うミュンファの答えすら聞かず、フェリはベットに彼女を座らせる。
ミュンファは未だに口論の絶えない部屋の外が気になるようだ。だけどそんなこと、フェリには関係がない。
(今、どうなっているのか……傭兵団が何を考えているのか、探る必要がありますね)
傭兵団の目的は、おそらく廃貴族のはずだ。彼らはレイフォンの中に廃貴族がいると情報をつかんだのだろうか?
ならば自分が捕まったのも納得がいく。自分で言うのもなんだが、レイフォンに対して自分以上に有力な人質はいないだろう。それにフェリは生徒会長の妹だ。これほどの価値がある人質なんて他には存在しない。
(屈辱です。私が足を引っ張るだなんて……)
フェリの身柄と引き換えに傭兵団は廃貴族を、レイフォンの引渡しを要求するつもりなのだろうか?
だが、レイフォンはグレンダンを追放された身であり、グレンダンに帰るなんてことは出来ないはずだ。
廃貴族が憑いたと言う事で例外として帰れるのだとしても、フェリはそんなことをさせるつもりはない。レイフォンと離れ離れになることなど許容できるはずがなかった。
(彼らが何を企んでいるのか探り、この状況を打破する。または隙を見て逃げ出す……大丈夫、私になら出来ます)
無表情な仮面の裏に、フェリは起死回生の策を考えていた。
「どういうつもりだ!?」
フェリのいる部屋の外で怒声を浴びていたのはハイアだった。怒鳴ったのは傭兵団の中で年長の、フェルマウスの次に発言力のある男だ。
その背後には主要な傭兵達の殆どが集まり、この事態に怒りや困惑を示し、ハイアにきつい視線を送っていた。
フェリの誘拐を、他の傭兵達はこの時になって知ったのだ。ハイア以外誰も知らなかった。だからミュンファが食事を持っていくのが遅れた。
ハイアを除く全員が放浪バスから宿泊施設に移動していたため、気づくのが遅れた。
「生徒会長の血縁だぞ。そんなものを誘拐して、何を考えている。しかも生徒会長を襲った?ツェルニを敵に回す気なのか!?」
フェリを監禁している部屋からミュンファの悲鳴染みた声が聞こえ、男は声を落とそうとしたが次第に荒くなってくる。
生徒会長を襲い、その妹を攫ってきた。弁明の余地もない犯罪行為である。
「俺っちが望むのはあいつとの決着さ」
あいつが誰を示すのか、今更言うまでもない。
「ハイア……お前は傭兵団を潰すつもりか?」
男の言葉にハイアは薄く笑った。
「どっちにしたって、もうじき解散さ」
そう答えると、ハイアはグレンダンから送られてきた手紙を示し、その内容を口頭で伝えた。
内容を聞いた傭兵達は動揺する。自分達が傭兵として諸都市を放浪した目的が完遂したと認められ、褒賞を授けるとされているのだ。
それを目的に傭兵になった者も、王家の命として従っていた者も、一様に複雑な顔をしつつもどこか喜びが見え隠れしている。
「後のことは天剣授受者がやってくれるって言ってるのさ。なら、俺っち達はグレンダンに行けばいいだけの話。明日には起こる都市戦が終われば、ここからおさらばするさ。それでここでの問題とはおさらばだ」
「しかし……」
「で、俺っちは別にグレンダン王家がくれる褒賞なんかに興味はないさ」
だが、それでこの問題が都合よく片付くはずがない。
ハイアは堂々と明言するが、傭兵達の不安は払拭されない。
「ここにきて、俺っちが望むのはあいつとの決着さ。それが出来るなら後はどうでもいい。俺っちをここから追い出したいんなら、そうすればいいさ。だが、それは明日の勝負が始まった後でのこと。それまでは誰にも邪魔はさせないさ」
ハイアは笑みを収め、その眼光で傭兵達を威圧した。
傭兵達の中にはハイアを我が子、我が弟に思っている者もいる。先代団長であるリュホウが拾い、リュホウが育てた。この放浪バスの中でハイアは大きくなり、ここまで成長し、他の傭兵達はそれを見届けてきた、
ハイアは自分達を指揮する団長であると同時に、保護すべき家族だった。ハイアがこのような問題を起こすまでは。
「ハイア、何を考えている?」
言葉を詰まらせながら、男は更に尋ねた。
だが、ハイアはもはや何も言わない。その沈黙に、男は苛立ちを感じていた。
「ハイア……今まで俺達はお前のことを家族だと思ってきた。だがこんな真似をしたお前を団長として、家族として見ることは出来ない」
針のように尖った鋭い言葉がハイアに突き刺さる。ここにいる傭兵達の心境を代弁するように、男は宣言した。
「明日なんて悠長なことは言っていられない。今直ぐここから出て行け」
それは決別の言葉。明日だなんて待ってられない。ハイアが何を企んでいるのか知らないが、それらは一切傭兵団には関わりのないことだ。
故に、何か揉め事が起こったとしても傭兵団は一切関知しない。それを示すためにこの件はハイアの独断だとツェルニに弁解し、けじめをつける必要がある。そのけじめがハイアを傭兵団から追放、またはその身柄を引き渡すことだ。
厳しい視線に晒される中、ハイアはまたも薄く笑った。周りの視線に負けないほどに鋭く、厳しい視線で傭兵達を見渡す。それでも彼らは怯まなかった。
今、傭兵達が何を考えているのか、どんな風に考えているのかハイアには理解できる。傭兵達は、彼らは恐れているのだ。レイフォン・アルセイフと言うただ1人の人間を。
彼らの殆どはツェルニにやってくるまで天剣授受者の強さを信じてはいなかった。だが、二度の汚染獣との戦いでレイフォンの強さを存分に見せ付けられ、更には初遭遇の時にハイアがちょっかいをかけた時は返り討ちにあったと言う話しだ。
しかも、誘拐してきたフェリがレイフォンの恋人であることは傭兵団には周知の事実。その怒りの矛先が自分達に向くのは間違いない。
だからこそハイアを追い出し、自分達傭兵団が無実であることをツェルニに、なによりレイフォンに示す必要がある。故にハイアの存在が邪魔であり、今すぐにハイアを追い出したかった。たとえ、ハイアが家族のような存在だとしても、傭兵達は自分達の命の方が惜しかった。
「……誰に言ってるさ?」
だから気に入らない。傭兵達が保身に走ったことではなく、ハイアは彼らがレイフォン1人に怯えていることが気に入らなかった。
それはハイアが勝負に負け、自分達がレイフォンに殺されると思っているということだ。
グレンダンの名を知らしめた自分達が、最強の傭兵集団であるサリンバン教導傭兵団が、たった1人の学生を恐れている。その事実を情けなく思いつつ、ハイアは自分を追い出そうとする男に向けて殺意にも近い視線を向けた。
「言っただろう、誰にも邪魔はさせないって。明日までは俺っちが団長さ。団長の言うことは絶対。どうしてもって言うのなら、俺っちを倒して止めるさ」
「ぐっ……」
ハイアが男の胸倉をつかみ、ドスの利いた声で宣言する。
子供のような言い分で、我侭だとはわかっている。だが、それでもハイアは止まる気はない。ここまでやって、今更後に退くわけにはいかない。
決着を付ける。必ずレイフォンに勝ってみせる。ハイアはギラギラした瞳で、男を睨みつけていた。
「あなたは、ハイア・サリンバン・ライアのことが好きなんですね」
「ふぇ……あ、その、えっと……………はい」
監禁されている部屋の中で、ミュンファと会話を交わしながらフェリは思う。何でこんなことになったのだろうと。
最初は情報を探り出し、この状況を打破することを考えていた。だけど正直に尋ねても教えてくれるわけがなく、世間話を織り交ぜながら情報を引き出そうとフェリは奮闘していた。
それがどうやったらこのような話題に変化してしまった?
疑問を感じつつも、顔を赤らめて同意するミュンファにフェリは不思議な感情を抱いていた。
(……可愛いですね)
初々しい反応を示すミュンファに、フェリは僅かながら興味を感じる。
フェリにそちらの趣味があるわけではないが、顔を赤くして取り乱し、下を向いてぼそぼそとしゃべり、あわあわと身振り手振りで表現するミュンファはまるで小動物のように可愛らしかった。
彼女は幼い頃からハイアに好意を寄せていたらしく、顔を赤面させながらもこの話題に喰いついていた。
「フェリさんとレイフォンさんは……その、恋人なんですよね?」
「そうと言えばそうですけど、違うと言えば違います」
「え……?」
「結婚することになったんです、私達。ですからフォンフォンと私は恋人ではなく、夫婦になります」
「ええっ!?」
最初は戸惑っていたミュンファも、今ではこの会話をすっかり楽しんでいる。
顔を真っ赤に染めて驚くミュンファを見て、思わずフェリの頬が緩む。
「それに、子供がいるんです。生まれるのはまだまだ先になりますけど」
「わわっ、凄いです!あの、その……触ってみてもいいですか?」
「いいですけど……まだ一月位ですから大きくないですよ?」
羨望の眼差しを向けてくるミュンファにフェリは苦笑を浮かべる。
許可を貰ったミュンファは恐る恐る、丁寧にフェリの腹部をなでた。
ここに新しい命が、レイフォンとフェリの子供がいる。
「凄いです。本当に凄いです!」
「そうですか」
きらきらした表情を浮かべるミュンファに、フェリは微笑ましそうに相槌を打つ。
こんなところに連れて来られ、落ちてしまった気分だが、そんなものが段々とどうでもよくなってくる。
フェリはミュンファの反応を、心置きなく楽しんでいた。
「あ、でも……」
「どうしました?」
不意に、ミュンファの表情が沈んでしまう。きらきらした表情が輝きを失い、申し訳なさそうに下を向く。
フェリは何事かと首を傾げ、ミュンファの答えを待った。
「団長が迷惑をかけてしまって……ごめんなさい」
「そのことですか……」
それは謝罪。フェリはハイアに攫われ、ここへと連れてこられたのだ。その役割は人質。これほど迷惑な話はないだろう。
ハイアに好意を寄せ、彼の幼馴染であるミュンファは、ハイアに代わって深々と頭を下げた。
「別にあなたが気にすることではありません」
「ですが……」
「こちらも兄を襲われて、こんなことになってしまったのでハイア・サリンバン・ライアに対する苛立ちは隠せませんが、あなたに落ち度はまったくないのですから。むしろ、あんな団長を持って気苦労が絶えないでしょう?」
「そうでもないです……今回、この都市に来てからの団長はちょっと変でしたけど、何時もは優しくって、頼りになる団長なんですよ」
多少の皮肉が込められたフェリの言葉に、ミュンファは困りながらもハイアのフォローを入れる。
ツェルニに来て、正確にはレイフォンにあってから様子のおかしいハイアだが、彼は普段ならば本当に頼りになる団長なのだ。
それは傭兵団に所属する誰もが認めている事実である。
「そうですか。あなたは本当にハイア・サリンバン・ライアが好きなんですね」
「ふ、ふぇぇ……」
フェリにからかうように笑われ、ミュンファはまたもあたふたと取り乱す。
彼女をからかうのが癖になってしまうほどに面白い。
「でも、その……こんな目に遭わせてしまった私達が言うのもなんですが、不安じゃないんですか?攫われて、こんなところに監禁されて……私ならとても心細いと思います」
顔を赤くしたまま、ミュンファがフェリに尋ねてくる。
何時の間にかこのような会話を交わしており、誘拐されたことなどまるで気にしていないような反応をするフェリに違和感を感じたのだろう。
フェリは最初こそレイフォンに申し訳なく思い、この状況を打破するべきか考えていたが、今ではかなりの余裕を持っていた。
「そうですね。錬金鋼も奪われた状態で傭兵達から逃げられるとは思っていませんし、この状況では待つしかありませんから」
何を待つのか?
ミュンファの考えを予測し、フェリは当然のように答えた。
「フォンフォンが助けに来てくれるのをです」
フェリは確信していた。傭兵団に攫われた彼女を、必ずレイフォンが助けに来てくれる。
それならば心配する必要はなく、フェリは客観的な態度でその時を待っていた。
レイフォンに対する絶対的な信頼。それをフェリから感じ取り、ミュンファは感心したように息を吐いた。
「はぁ……フェリさんも、レイフォンさんのことが好きなんですね」
「ええ、大好きです」
フェリの堂々とした宣言に今度はミュンファが微笑み、座っていたベットから腰を上げる。
「すいません、そろそろ行かないと……」
「そうですか。呼び止めてしまってすいません、楽しかったですよ」
「いえ」
そろそろハイアたちの元へ戻ろうと、ミュンファは立ち上がって扉へと向かった。
「あの……絶対に悪いようにはしませんから。ですから、心配しないでください」
そういい残して、ミュンファはがちゃりと扉を閉める。
鍵のかけられる音を聞き、フェリは小さくため息をつく。
「面白い子ですね。そしていい子です……まぁ、ハイア・サリンバン・ライアは気に入りませんけど」
僅かな悪態を吐きながらも、フェリは微笑ましそうに笑っていた。
「当然の結果だな」
放浪バスの屋根に座っているハイアに向け、フェルマウスは冷めた声をかける。
相変わらずの機械音声で感情を感じ取ることは難しいが、その声は確かにハイアを責めているように感じた。
「あの、フェルマウスさん……一体何が?」
今までフェリの部屋にいたミュンファは、その異質な空気に疑問を持つ。
外に出て何時もとは違う雰囲気に不安を持ち、フェルマウスにその答えを求めた。
「ミュンファか。実はな……」
その異質な空気の正体、それはハイアと傭兵達との決別。
レイフォンとの勝負を望むハイアだったが、レイフォンとは敵対したくない傭兵達はハイアの望みに対して非協力的だった。
勝負は明日だと手紙には書いたが、レイフォンがフェリを取り返しに攻めてくる可能性だってある。見張りとして放浪バスで待機する者、擬態としてこれまでどおりに宿泊施設に待機する者と分かれたが、レイフォンと生徒会長を監視するための人員は割けなかった。
もし見つかりでもしたら、これ以上ないほどにレイフォンを刺激してしまうからだ。正直な話、今すぐにでもハイアを引き渡してこの厄介ごとに蹴りをつけたいと思っている傭兵が殆どだ。
だけど傭兵達にハイアを取り押さえるほどの実力はなく、出来るのは無言の抵抗くらいなものだ。見張りだってレイフォンが攻めてきて、自分達の足である放浪バスを壊されては困るからであり、別にハイアのためではない。
家族の様な関係だった傭兵達は、ハイアの行動一つで他人の様な存在になってしまった。
それがこの異質で、ぎすぎすした空気の正体だった。
「……正直、悪かったとは思っている。だけどこればっかりは俺っちとレイフォンの問題で、口出しはしないで欲しいさ」
「違うな。これはもはやお前だけの問題ではない。ヴォルフシュテインは……レイフォンは必ず傭兵団に報復に来るぞ」
「はっ、むしろ好都合さ。そのために嬢ちゃんを、レイフォンの恋人を攫ってきたんだからな。あの甘ちゃんなら、絶対に来るさ」
フェルマウスの言葉に、ハイアは軽い笑みを浮かべて返答する。
手は尽くした。後はレイフォンを待つだけだ。フェリが囚われたこの状況、レイフォンなら間違いなく条件を飲む。
明日の一騎打ちを受け入れ、刀を使ってハイアと相対することになるだろう。何せ彼は甘ちゃんだ。
ハイアはそう思いながら、笑っていた。
「あの、団長……そのことなんですけど、恋人じゃないらしいです」
「はぁ?どういうことさ、ミュンファ」
笑っていたハイアは、ミュンファの言葉に笑いを止めた。
恋人じゃないと言う彼女の発言に、もしやこの策は失敗してしまったのかとハイアは戸惑う。
だが、これまでのレイフォンやフェリの関係を見るに、これで恋人でなければなんなのかと思ってしまう。
首を捻るハイアに向け、ミュンファは先ほどフェリと話した内容をハイアへと話した。
子供が出来、結婚することとなり、レイフォンとフェリは夫婦になると言う事。
それを聞いたハイアは、口をあんぐりと開けて呆けていた。
「………俺っち、もしかして悪者じゃね?」
「今更過ぎるな」
ハイアのつぶやきに、フェルマウスの冷めた視線が更に気温を下げた気がした。
つまりハイアは義兄を襲い、妻を攫い、必然的に子供までも攫っていた。その事実に今度は乾いた笑みを浮かべるハイアだったが、あえて前向きに考える。
「まぁ、これでレイフォンが来る確実性が増したってことさ。どの道嬢ちゃんを攫った時点で俺っちは悪者さ。今更後には退けない。前に進むしかないさ」
「ハイア、お前は何を考えている?」
「あん?」
そんなハイアに向け、フェルマウスは男と同じ事を尋ねた。
ハイアが望むのはレイフォンとの勝負だ。その舞台にレイフォンを引き寄せる方法に問題があるが、それは別に良い。フェルマウスが問いたいのはその考えにいたった訳であり、自分なりの推測を述べた。
「あの手紙の通りなら、もうすぐ傭兵団は解散だ。だから、他人に壊されるなら自分で壊してしまえと考えたわけではないだろうな?」
「アホらしい」
フェルマウスの推測染みた冗談を、ハイアは一笑した。
「では、どうして先走った?」
「……ここは俺っちの家さ」
腰掛ける放浪バスの屋根をなでながら、ハイアは答えた。
「ここで育ってきた。生まれた都市には良い思いでなんかない。ここが俺っちの家さ」
「ああ、そうだな」
フェルマウスの脳裏に、ハイアを拾ってからの日々が流れた。
孤児だったハイアが傭兵団で暮らすようになり、リュホウに懐き、サイハーデンの技を磨き、団長となった思い出深い日々。
フェルマウスは厳しい視線でハイアを見つめていたが、それはハイアを本当に大切に思っているからこそだ。
「だけど、故郷を持ってる連中にとってはここよりも生まれた場所が、育った家のベットのほうが気持ちいいだろうさ。だけどさ、そのベットが気持ちいいからって、何時までもそこに居座るわけにはいかないさ」
「ハイア……」
屋根をなでる手が止まる。
フェルマウスは理解した。ハイアは独り立ちしようとしているのだ。傭兵団と言う家から、家族から。失われる前に自ら旅立とうとしているのだ。
だが、普通に独り立ちした者には帰る家が残る。独りに疲れた時に迎えてくれる家族がある。
ハイアにはそれがない。傭兵団がグレンダンに戻る時、それはサリンバン教導傭兵団がなくなる時だ。事実がどうなるかはわからないが、ハイアはそう思っている。
「ここを出て、どうするつもりだ?」
「さあ?」
振り返ったハイアは、何時もの顔に戻っていた。
「とりあえずは適当にいろんなところをぶらついてみるさ。流れ者らしくさ~」
「私もっ!」
今まで黙って話を聞いていたミュンファが、不意に大声を上げた。
大声を上げたことに顔を赤くして俯いてしまったが、すぐに決心を固めた表情でハイアを見る。
「私も……一緒に行きます」
「えー」
ミュンファの勢い込んだその言葉に、ハイアは渋い顔をした。
「未熟者のミュンファは邪魔さ~」
「う……」
その言葉に涙目になった彼女を見て、ハイアは思いっ切り笑った。
「あはははは!嘘嘘。好きにすればいいさ」
「え……本当に?」
「俺っちはもう団長じゃなくなるさ。それなら、ミュンファに命令する権利もない。好きにすればいいさ」
「うん……うん」
涙を拭いながら笑みを作るミュンファに、ハイアは肩の力を抜いて笑いかけた。
「ハァァァイア!!」
その瞬間、絶望が舞い降りた。
「……………は?」
ハイアの胸から刀身が生えた。一瞬、何が起こったのか理解できない。それはミュンファとフェルマウスも同じだった。誰もレイフォンの殺剄に気づくことが出来ず、ここまでの接近を許してしまった。
「フェリを攫っておいて、そっちは暢気にラブコメだなんていいご身分だな……殺したくなるだろ?」
「レイ……フォンっ!」
声を聞き、ハイアは自分の胸を貫いたのが誰なのか理解する。後ろを振り向くと、そこには予想通り、歪んだ笑みを浮かべたレイフォンがいた。
ずぶりとレイフォンがハイアの胸から刀を抜いた。その際にハイアは飛び退き、レイフォンと向かい合うように相対する。幸い、急所は外れていた。出血が激しいが、戦えない怪我ではない。
「団長!」
「落ち着くさ、ミュンファ」
焦燥に駆られるミュンファを落ち着け、ハイアはニタリと挑発的な笑みを浮かべる。
「いきなり不意打ちとは、ずいぶん愉快な真似をやってくれるさ、レイフォン。そもそも書置きには明日だと書いてあったはずさ。まさか今まで武芸一筋だったお前は字が読めないほどに馬鹿なのかさ?」
「あまりにも素敵な招待状だったから、我慢できずに飛び出てきたんだよ。少し早いけどパーティを始めようか。血の舞う、殺戮パーティを」
レイフォンも笑っていた。口元が釣り上がり、物騒な言葉を吐く。
「まぁ、そっちがやる気なら俺っちとしてはいいけど、まさかこんなふざけた真似をしてあの嬢ちゃんが無事でいられると思っているのかさ?」
それに対し、ハイアは更にレイフォンを挑発しようとした。本来なら日時を破り、レイフォンが不意打ちを仕掛けてきた時点で破綻しているが、少なからずの効果があるはずだ。
「……は?」
その効果は十分にあった。だが、ありすぎてしまった。
ハイアは決して言ってはならないことを、冗談でも口にしてはならないことを言ってしまったのだ。
「やってみろよ。もしその後で、お前が、お前達がこの世に髪一本でも残してられると思うならさぁ!!」
「あ……?」
瞬きする暇さえない一瞬。腕が宙を舞った。レイフォンが正面から切り上げるように刀を振り、ハイアの右腕が飛ぶ。
くるくると宙を回転するハイアの右腕。それが血を撒き散らしながら地面に落下し、それと同時にハイアの右肩から血が噴水のように噴出す。
「う、腕が……俺っちの腕がああああああああっ!!」
ハイアは絶叫を上げた。いつ切られたのかまったく分からなかった。前にレイフォンと戦ったことはあるが、その時とは比べ物にならない技量。
あの時のレイフォンはやりようによっては勝てると思った。だが、今のレイフォンにはまったく、微塵たりとも勝てるというイメージが湧かない。
「ハイアちゃんっ!!」
腕を飛ばされたハイアを見て、ミュンファが悲鳴のような声でハイアを呼ぶ。瞬時に錬金鋼を復元。弓が出現し、狙いをレイフォンに付けて放つ。
「邪魔」
「かはっ……」
レイフォンはそれをあっさりと回避した。回避し、一気にミュンファとの間合いを詰め、腹部に打ち上げるような拳を放つ。
肺から空気を強制的に吐き出され、ミュンファはその場に崩れ落ちた。
「お前も寝ろ」
「ぐっ……」
次はフェルマウスの番だ。フェルマウスは念威繰者であり、武芸者のような強靭な肉体は持たない。並みの武芸者なら念威爆雷を用いての抵抗も出来ただろうが、レイフォン相手にそんなことできるはずがなく、ミュンファと同じようにあっさりと気を失った。
「さあ、立て、ハイア。お前の望みどおり一騎打ちだ」
「こっちには片腕がないっていうのに……よくもまぁ、ぬけぬけと言ってくれるさ」
「どの道結果は同じだ。両腕があろうと、片腕だろうと、お前は僕に手も足も出ずに殺される」
「なら、試してみろよ!」
片腕となっても、ハイアは戦意を喪失せずにレイフォンに挑みかかる。刀を復元し、刃をレイフォンに向けた。
だが、それがレイフォンに届くことは決してない。ハイアはレイフォンに向けて突進し、その途中で大きくバランスを崩す。地面に突っ込むように転げ落ち、刀はすっぽ抜け、明後日の方に飛んでいった。
「な、なにが……」
またもハイアにはなにが起こったのかわからない。それでもすぐさま起き上がり、体勢を立て直そうとする。だが、起き上がることは出来なかった。そして気づいた。自身の左足がないことに。
「遅い。遅すぎる。よくもその程度で、僕に喧嘩を売ろうと考えたものだね」
レイフォンは淡々と言葉を発する。その声音から感情を読み取ることは困難だったが、今のレイフォンがどんな心情なのかは容易に理解できた。
「でも、その喧嘩高額で買ってあげるよ。誰に手を出したのか、存分に後悔させてから殺す」
心情は怒り。怒りのままに今度はハイアの右足を切断した。残る四肢は左腕一本。
「くそ! くそっ……レイフォン!!」
「ここまでやられて、まだそんな目が出来ることにびっくりだよ。気に入らないな、その目」
最後の一本も容易く切断された。だるまのようになり、自ら動くことのできないハイアはそれでも尚、レイフォンを睨みつけている。
そのことに関心こそするものの、レイフォンは冷めた表情でハイアを見詰めていた。刀を下げ、右手をハイアの瞳に近づける。
「気に入らないから抉っちゃおう。まずは右から行くよ」
「や、やめっ……ぐ、あっ、あああああああああああああああっ!?」
ずぶり。レイフォンの指がハイアの右目にのめり込んだ。そのまま眼球をつかみ、抉り出す。
流石のハイアも耐え切れずに悲鳴を上げる。強気など綺麗さっぱりに吹き飛び、痛みに表情を歪めていた。
「そういえば、お前はいつか自分達のことを戦場の犬と言ってたな。まさにその通りだ。犬みたいに喧しく、品のない悲鳴だ」
ぐしゃりと、レイフォンはハイアから抉り取った眼球を握りつぶす。眼球の破片が辺りに飛び散り、レイフォンの右手は真っ赤に染まっていた。
「次は左目を……いや、その前に耳を千切ろうか? 鼻を削ぐっていうのもいいな。なぁ、ハイア。何か希望はあるか?」
「……………殺せ」
これ以上生き恥を晒すくらいなら死んだ方がマシだとハイアは思った。けれど、レイフォンはそれを嘲笑う。
「ああ、ちゃんと殺すさ。けど、僕は言った。存分に後悔させてから殺すと。まさか人の形を保って死ねると思っているのか?」
「くっ……」
ハイアに抵抗する術はない。レイフォンは今度はハイアの左耳に手を掛け、力のままに引き千切ろうとする。
ぶちぶちと肉が千切れる音が聞こえた。あと少し、あともうちょっとでハイアの左耳は完全に引き千切れるだろう。ハイアから上がる悲鳴が心地良くレイフォンの耳を打つ。
けどその途中で、レイフォンはハイアの耳を引き千切る動作を中断した。中断せざる終えない状況となった。
「ちっ」
飛んできた矢を回避し、舌打ちを打つ。ハイアを地面に放り捨て、矢を放った人物に視線を向けた。
「ハイアちゃん……」
矢を放ったのはミュンファだ。気絶から目覚め、肩で息をしながらレイフォンを睨んでいる。おそらく、ハイアの悲鳴が目覚まし代わりとなって目が覚めたのだろう。
その瞳には涙が滲んでおり、怒りと悲しみによって複雑な表情を浮かべていた。
レイフォンを牽制しつつ、ミュンファはハイアの元に向かう。手足を失い、右目も奪われたハイア。左耳は千切れかけ、あまりにも痛々しい。
「みゅん、ふぁ……なにしてる、さ……?」
ミュンファはレイフォンから庇うようにハイアを抱きしめる。その動作にハイアは苦い顔をした。
ミュンファではレイフォンに勝てない。逃げ切ることさえ不可能だ。レイフォンはハイアを殺すつもりであり、このままではミュンファまでも殺されてしまうだろう。
「……逃げるさ」
そうはさせない、そうしたくはない。ミュンファがハイアを見捨てれば、彼女は逃げ切ることが出来るはずだ。こうなったのはハイアの私怨が原因であり、それにミュンファを巻き込むつもりはなかった。
だけどミュンファは、必死に首を振ってハイアの言葉を拒否する。
「……いや」
「……む、ちゃを…言うな、さ……」
「いやです!」
ミュンファは叫ぶと、更にきつくハイアを抱きしめた。
「ハイアちゃんとは離れない! もう決めたんです」
ミュンファの意外な決意に、ハイアは愕然とした。先ほど、彼女が言っていた言葉を思い出す。
『私も……一緒に行きます』
傭兵団を出て、当てのない旅をすると言ったハイアにミュンファが言った言葉。その言葉が、決意がとても重いものだと知り、ハイアは無性に嬉しくなった。
「みゅんふぁ……」
だけど彼女を巻き込みたくない。死なせたくはない。これは自分とレイフォンの問題で、ミュンファには関係がない。ハイアはかすれた声でもう一度、逃げるように言う。だけどミュンファは首を振り、ハイアから離れようとしなかった。
「だから邪魔」
その代わり、ミュンファの首と胴体が離れる。
「は……?」
ミュンファの頭部が地面に転がった。頭部を失った胴体からは赤い血が吹き出る。吹き出た血はハイアを濡らし、その光景に残った左目を極限にまで見開く。
ミュンファの胴体が倒れ、それと同時にハイアも地面に倒れる。ハイアの横にはミュンファの頭部が転がっていた。
表情は先ほどのまま。怒りと悲しみによって複雑で、今にも泣き出してしまいそうな表情で固まっており、物言わぬ骸と化していた。その頭部に、レイフォンの足が乗る。
「本当にさ、フェリを誘拐して何やってるの? 見せ付けるようにラブコメを展開しちゃって……思わず殺しちゃったじゃないか」
レイフォンの持つ刀には血が滴っていた。ポタポタと同じテンポで血が地面に垂れ、その音がハイアの耳を打つ。
「あ、あっ……」
気が狂いそうだった。現実を認めたくなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ハイアは叫ぶ。その叫びには感情がなく、ただただ、大きく叫んでいた。
理解したくない。分かりたくない。誤魔化すように、現実から目を逸らすようにハイアは叫んだ。
「うるさい」
「かひゅっ……」
その叫びも、レイフォンの手によって止められてしまった。
刀が喉を貫く。声帯を破壊され、声を発することができなくなった。血の味が口の中に広がる。呼吸をするだけで喉が笛のように鳴った。
「しまった……これじゃあ長く持たないか」
レイフォンは表情を歪め、後悔するように言った。まだまだハイアを甚振り足りなかったのだろう。このままでは遠からずハイアは死ぬ。
「まぁ、いいか。どうやら壊れたみたいだし。この子って、ハイアにとって特別な存在だったのかな?」
足の下にあったミュンファの頭部を蹴飛ばす。ゴロゴロと転がってくる頭部を見送り、刀を逆手に持った。
それをハイアの額に突き刺す。頭蓋骨を貫通し、脳を破壊する刀。ハイアは完全に事切れ、静かになった。
「さて、フェリを助けないと」
既にハイアのことなどどうでもよくなり、レイフォンは放浪バスに視線を向ける。フェリはおそらく、あの中に捕らえられているのだろう。
「おい、一体なにが……」
「うっ!?」
異変を感じ取り、見張りとして散っていた傭兵達が今更ながらに戻ってきた。そしてこの惨状に表情を歪める。
「めんどくさい」
レイフォンはポツリと漏らす。
「レストレーション02」
刀身が鋼糸に変化する。視認すら困難な武器。それが一瞬で傭兵達を取り囲み……
†††
「フェリ、お待たせしました」
「フォンフォン? 思ったより、早かった……です、ね?」
開けられた扉。声を聞き、助けが来たのだとフェリはレイフォンを迎え入れた。
だが、レイフォンの衣服に付着した真っ赤な血によってフェリの思考が止まる。
「あ、これですか? 返り血ですよ。怪我は一切ありません」
「そう……ですか」
あっけらかんと言い放つレイフォンに、フェリの背筋に寒気が走った。
だが、これは仕方のないことだ。ハイアはレイフォンとの戦いを望んでフェリを攫い、レイフォンはフェリを助け出すためにハイアと戦った。戦った以上、どちらかが勝って、どちらかが負ける。レイフォンが勝ち、ハイアが負けた。つまりはそういうことだった。
「ハイア・サリンバン・ライアは……どうなりましたか?」
「死にました。僕が殺しました」
「そうですか……」
それでも人の死という事実にフェリは戸惑いを隠せなかった。ここは学園都市だ。武器には安全設定が施され、極力人死にが出ないように配慮されている。
それなのにハイアは死んだ。レイフォンが殺してしまった。戸惑いはあるが、フェリは仕方のないことだと割り切ろうとした。
「すいません、フェリ。助けに来るのが遅れてしまいました」
「いえ、いいんです。なんともなかったですし、フォンフォンがちゃんと助けに来てくれましたから」
「もう大丈夫です。ハイアは死にましたし、残りの傭兵もほとんど殺しました。あとは宿泊施設に残っている残党を狩るだけです」
「え……?」
割り切ろうとした。割り切ろうとしたのだが、レイフォンの言葉にフェリの表情が固まる。
「フォンフォン。なにを言って……?」
「フェリ、どうかしましたか? なにか問題でも?」
「だって、え……? 傭兵を……殺したんですか?」
「はい。私怨で襲われたらたまりませんし、彼らも今回の件に少なからず係わっていたでしょうから同罪ですよ」
けれど、これはレイフォンからすれば当然の判断だった。妻となるフェリを攫われ、義兄となるカリアンを襲われたのだ。今回の件はハイアの独断で行われたのだが、そんな傭兵団の裏事情などレイフォンは知らない。
傭兵団は敵と認識し、視界に入る者全てを殺した。憎悪、怒り、なによりこれ以上フェリに危害を加えさせないように一掃し、残りも狩ろうと考えている。その判断に迷いはない。
「ミュンファは……ミュンファ・ルファはどうなりましたか?」
「ミュンファ? それってハイアと一緒にいた、眼鏡を掛けた女の子ですか? ハイアを庇おうとしたので殺しました」
「フォンフォン……」
戸惑うフェリと、迷わないレイフォン。二人の間にはいつの間にか、決して浅くはない溝が出来てしまっていた。
†††
「悲惨な光景だな……」
フォーメッド・ガレンは苦々しい表情を浮かべる。都市警の課長を勤めている彼は、部下を指揮して現場検証を行っていた。
仕事だと割り切ってはいる。だが、いくらフォーメッドでもこのような事件を担当するのは初めてのことだった。
「ここまでする必要があったのかね?」
死体が転がっていた。一つや二つの話ではなく、軽く見積もって数十を超える数の死体。
その死体のどれもが激しい損傷をしていた。手足を両断されているものなんてざらである。
「しかも、こいつらはサリンバン教導傭兵団。宿泊施設にいた奴らは無事だが、ここにいた奴らはほぼ皆殺しか」
現場は真っ赤に染まっていた。何十人分もの血液が地面に大きな水溜りを作り出し、場を凄惨に物語っている。
その中でも特に損傷の激しい死体を前にし、流石のフォーメッドも嫌悪感をあらわにした。
「見たことがあるな。こいつが団長だ。しかし……」
傭兵団の団長、ハイアの死体を前にしてフォーメッドは言葉を失う。
四肢の全てを切断され、胸元には貫通するほどの刺し傷があった。さらには喉元の刺し傷と、脳天に開いた大きな穴。
惨たらしい殺し方だ。ここまでするということは、ハイアを殺した人物は一体どれほどの恨みをハイアに持っていたのだろう?
そもそもどうやって殺した? あのサリンバン教導傭兵団を、グレンダンの名を広めた最強の傭兵集団を、一体、誰がどうやって殺した?
ハイアの死体の側では、首のない少女の死体が転がっている。少女の首は数十メートル離れたところで発見された。
「うぷ……」
「吐いて現場を汚すなよ。とはいえ、気持ちはわかるがな……」
顔面蒼白で、今にも胃の中身を全てぶちまけようとする部下にフォーメッドは忠告をする。
けれど、その気持ちは十分に理解できた。自分だって、仕事でなければこんな場所など早々に立ち去りたい。
「明日が武芸大会だというのに、面倒なことになった」
明日行われる、ツェルニの命運が懸かった武芸大会。それを前にしたこの事件に、フォーメッドは言いようのない不安にかられるのだった。
†††
「無事にフェリを助け出してくれたことを、生徒会長として、何よりあの子の兄としてお礼を言わせて貰おう。ありがとう、レイフォン君」
「……………」
病室ではカリアンがレイフォンを前にし、深々と頭を下げた。
けれど、レイフォンの反応はあまりよくない。無言を貫き、聞いているのかいないのかいまいちわからない。
無表情で、何を考えているのかも理解できなかった。
「傭兵団のことについては既に聞き及んでいるよ。なに、君が気にすることじゃない」
サリンバン教導傭兵団は都市の長であるカリアンに危害を加え、その上妹であるフェリを攫ったのだ。これは紛れもないテロ行為である。
都市外強制退去、または死刑が該当する重罪。たとえ抗戦の際に相手を殺したからといって、殺した者が罰せられることなど絶対になかった。
けれど、レイフォンはそんなことを気にしているのではない。そんなことなど、正直どうでもいい。
「事後処理は全て私に任せてくれたまえ。レイフォン君は……今日はしっかり休んで、明日の武芸大会に備えることだ。いいね?」
「……はい」
カリアンの言葉に頷き、レイフォンは病室を後にする。
そのまま病室を出て、病院の出口へと向かう。病院を出て、当てもなく歩いていると開けた場所に出た。そこで待ち伏せしていたかのように、鋭い声がかかる。
「レイフォン!」
ニーナだ。凛々しく、それでいて荒々しい声が響く。
責めるような目付きでレイフォンを睨みつけ、ニーナはレイフォンに問いただした。
「お前は勝手なことを!」
「……………」
ニーナはズカズカと歩み寄り、レイフォンの制服の襟首をつかみ上げた。
それに対してもレイフォンは無言だった。感情を決して表に出さず、冷たい瞳でニーナを見ている。そんなレイフォンにもかまわず、ニーナは激情のままに言葉を続けた。
「何故だ? 何故殺した!? お前は自分が何をしたのかわかってるのか!?」
「……………」
事の報告、レイフォンのしたことは既にカリアンとヴァンゼに伝えてある。おそらくニーナもその経由で知ったのだろう。第十七小隊の隊長なのだから、彼女には部下であるレイフォンのことを知る義務があった。
その上でニーナは怒っている。レイフォンのやったことに。
ここは学園都市だ。良く言えば安全。悪く言えば平和ボケ。そんな都市ではレイフォンのやった行為は褒められたものではなく、ニーナ自身も決して良く思っていない。
それがこの激情の理由だが、ニーナが怒っている理由はそれだけではなかった。
「だがな、レイフォン。私が怒っているのはそれだけじゃない。私が一番腹立たしいのは、お前が一人でフェリを助けに向かったことだ!」
「……………」
「何故私に話さなかった!? 何故一人で乗り込んだ!? 私達は仲間なのだろう! フェリが攫われたことは私達第十七小隊の問題だ。なのにお前は……」
「……………」
「答えろ、レイフォン!!」
ニーナの言葉に、レイフォンはやっとのことでその重たい口を開いた。
だが、その言葉はとても冷たく、ニーナを突き放すように吐かれた。
「足手まといでしたから」
「っ……!?」
いつものレイフォンではない。レイフォンは、そんなことを言わない。
確かに今までも、相談もせずに一人で事件を解決してきたことがあったが、それでもこのようにニーナをけなすような言葉を吐いたことはなかった。
間違っても足手まといだとは言わず、嫌悪に染まった瞳で見てくることはない。今日のレイフォンは、明らかにいつものレイフォンと違っていた。
「腐っても、相手はあのサリンバン教導傭兵団です。隊長が、第十七小隊が戦力になるとは思えませんでしたから、足手まといを連れてフェリを危険な目にさらすわけにはいかなかったんですよ。もっとも、そのサリンバン教導傭兵団自身も大したことなかったんですけどね」
「レイフォン。お前は……」
「殺したことについてですが、仕方がなかったんですよ。サリンバン教導傭兵団は、ハイアはフェリに危害を加えた。だから殺した。殺されて当然じゃないですか。けど、ハイアだけを殺したんじゃ逆恨みでフェリがまた危険な目に遭うかもしれない。なら、全員殺せばいいんですよ。サリンバン教導傭兵団を全員! なのに、なのに……」
レイフォンは襟首をつかんでいたニーナの手を振り払い、大きな身振り手振りで宣言する。サリンバン教導傭兵団を殺した理由。それを述べるレイフォンは、無表情な顔から悲痛そうな顔へと変化していた。
「フェリに……嫌われちゃいました」
両手で頭を押さえ、ガリガリと額を掻き毟り始めた。
錯乱し、動揺し、正気を失い、レイフォンは額を掻き毟り続ける。
「何がいけなかったんですか!? 何がダメだったんですか! 何が間違っていたんですか!? 僕は、僕は……当然のことをしただけなのに。ハイアと、その関係者を殺しただけなのに! なのにフェリが僕を拒絶して、目を合わせてくれなくて……僕は、僕は……」
「なっ、レイフォ……うわあ!?」
爪が皮膚を破り、額から血が流れる。それでも構わずにレイフォンは額を掻き続けた。
感情のまま、激情のままにレイフォンから剄が溢れ出す。レイフォンの膨大な剄は一切制御されずに吐き出され、自動的に衝剄へと変化していた。
その衝剄でニーナの体は容易く吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がった。
「ハイアの奴がいたから、サリンバン教導傭兵団がいたからァ! くそ、もっと早く始末しておけば。そうすればフェリが毒されることはなかったんだ! もっと早く殺しておけば!!」
レイフォンを中心に周囲は荒れ果てる。衝剄によって街路樹は折れ、地面は砕ける。それにニーナが巻き込まれていたが、今のレイフォンにそんなことを気にする余裕はない。
一心不乱に、愛しい人の名前を呼び続ける。
「フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、
フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、
フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、
フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、
フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ、フェリ」
正気なんてものは当に吹き飛び、レイフォンは壊れたように呟き続けた。
†††
「フォンフォン……」
呟かれる愛しい人の名。フェリは切なげにため息を吐いた。
「どうしてこうなってしまったんでしょう……」
次々と湧き上がる後悔の念。自分は、レイフォンに対して酷いことを言ってしまった。
「フォンフォン……」
フェリはレイフォンを拒絶した。ハイアだけではなくミュンファを、サリンバン教導傭兵団の者達を殺したレイフォンを。
血にまみれ、淡々と事実を述べるレイフォンは正直に言うと恐ろしかった。
これまで人の死というものに係わったことのないフェリは、レイフォンを前にして恐怖を感じていた。愛しい人を、怖いと感じてしまった。
「ミュンファ……」
僅かだが会話を交わし、意気投合した少女、ミュンファ・ルファ。彼女はハイアに恋心を抱いていたため、フェリとしても何かと思うところがあった。
仲良くなれそうだと、友達になれそうだと思っていた。なのにミュンファは死んだ。レイフォンの手によって殺された。
「うっ、あ……うぅ……」
わかっている。レイフォンはフェリを助けるためにサリンバン教導傭兵団の者達を殺した。
フェリを大切に想っているから、愛してるからこその行動。そんなことはわかっている・
なのにフェリはレイフォンを拒絶してしまい、今更ながらに押しつぶされてしまいそうなほどの罪悪感に駆られていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、フォンフォン」
フェリは自室のベットの上で、枕を濡らしていた。次にレイフォンに会ったら謝ろう。
そう決意して、今は泣き続ける。
†††
「くそっ……くそぉ」
「レイフォン。それくらいにしとけ。そもそもお前はまだ、酒精解禁の学年じゃないだろ。こんなことが生徒会にばれたら、うちの店まずいぞ……」
レイフォンは荒れていた。オリバーのバイトするサーナキー通りにあるミュールの店を訪れ、飲めもしない酒を飲んでいた。
アルコールが喉を焼く。正直酒を美味しいとは思えないが、飲まずにやっていられなかった。
「明日は武芸大会だってのに……もし第十七小隊のエースが酔い潰れでもしたら、俺の責任問題にならないか?」
「オリバー先輩、おかわり」
「本当にもうやめとけって」
「いいからおかわり!」
「ったく……何があったんだよ?」
ひったくるようにオリバーから酒瓶を奪い、レイフォンは更に飲み続ける。もはや明日の武芸大会のことなどまったく考えていなかった。
「フェリちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「っ……ぐす、ひぐ……うえっ」
「あ~、悪かった悪かった。何も泣くな。男の涙ほど見苦しいものはねぇよ」
こうもレイフォンが荒れるのは痴話喧嘩だろうと思ったオリバーが、ポツリともらした一言。それは的を射ており、レイフォンはうつぶせになって泣いていた。
「僕が悪いんです、僕が……僕がフェリを怒らせちゃって」
「こりゃ重症だな。一体、なにをしたんだ?」
「サリンバン教導傭兵団の半数以上を殺しました」
「おい、いい加減酒はやめとけ。悪酔いしてるぞ」
ちなみに、レイフォンのやったことについては緘口令が敷かれており、事件の全容を知っているのは生徒会と都市警察の上層部数名。あとは第十七小隊の者達のみ。
オリバーはまったく事情を知らず、レイフォンの言っていることは冗談、世迷いごとだと思っていた。
「オリバー先輩……おかわり」
「はええよ、飲むの。ホントにどれだけ飲む気だ? 明日が地獄だぞ。ってか、お前は武芸大会の大事な戦力なんだからとっとと帰って寝ろ」
「おかわり!」
「はぁ……お前ってこんなにも酒癖悪かったんだな」
オリバーは呆れ果て、新たな酒瓶を出した。レイフォンはもはやグラスには注がず、ラッパ飲みでぐいぐいと酒を呷る。
「飲んで嫌なことを忘れたいって気持ちもわかるが、そんなのは一時凌ぎの逃げだぞ。自分が悪いって思ってるんなら、とっとと土下座でもしてフェリちゃんに謝れ。そして仲直りしな」
「忘れ……る?」
「ああ、本当に嫌なことを忘れられて、それを相手も覚えてないってなら最高なんだがな。そんなこと不可能だ。だから……」
「そうか……そうだよ。忘れさせればよかったんだ。そうすればよかったんだ」
「おい、レイフォン?」
中身の残った酒瓶をドンとテーブルに置き、レイフォンは不敵な笑みを漏らす。
壊れたように、狂ったように笑っていた。
「オリバー先輩、御代はここに置いておきます。迷惑かけてすいませんでした」
「あ、ああ……ちゃんと帰れるのか? くれぐれも用心して帰れよ」
「はい」
レイフォンはテーブルの上に紙幣を置き、店を後にする。まるで先ほどまで荒れていたのが嘘のように、レイフォンの脚はとても軽やかだった。
†††
「フェリ」
「フォンフォン……」
深夜。レイフォンがフェリの元を訪ねてきた。その訪問に、思わずフェリはびくりと肩を震わせる。
けれど、これはこれで都合が良かった。謝らなければならない。そう思って、フェリは口を開こうとする。
「フォンフォ……」
「フェリ、先に謝っておきます。すいません」
それよりも早く、レイフォンがフェリの言葉を遮って話を続ける。
「僕が悪いんです。それはわかっています。僕はフェリを怒らせてしまった。でも、それでも……嫌いにならないでください。僕は、僕は……フェリに嫌われたら……」
「嫌いだなんて、そんなことは……」
「ですから、こんなことをするのは今回だけですから。この一回きりですから」
「フォンフォン?」
「本当にごめんなさい」
レイフォンは今にも泣いてしまいそうなほどに辛そうで、謝りながらフェリの額に触れる。
撫でるように優しい手つきで、子供に言い聞かせるように言った。
「これで、全て元通りですから」
その言葉を聞くと、そこでフェリの意識は途切れた。
†††
翌日、武芸大会。ツェルニの命運が懸かった重要な試合だが、それはあまりにも呆気なく、あっさりと終了した。
「終わりましたね」
「お疲れ様です、フォンフォン」
単調な電子音が戦闘の終了を告げる。レイフォンは念威端子越しにフェリに労われ、対戦相手となった学園都市マイアスの都市旗を手にしながら、ツェルニへと帰還していた。
それはつまり、ツェルニの勝利を意味している。
「まずは一勝です。これで少しはツェルニも安泰ですね」
「はい。ですが……ほとんどフォンフォン一人で都市を制圧しましたね」
「これでも元天剣授受者でしたから、これくらい当然ですよ。ましてや相手は学園都市です」
「うちも学園都市なんですけどね」
「そうですね」
まるで昨日の気まずさが嘘のように、レイフォンとフェリは談笑を交わしていた。それも当然だろう。何故ならフェリは昨日のことを、サリンバン教導傭兵団のことを覚えていないのだから。
昨夜、レイフォンがフェリの額に触れた時に剄技を使った。それはレイフォンがマイアスに飛ばされた時に知り合った、ディックの剄技だ。なんでも彼の一族に伝わる秘伝の剄技らしい。
それをレイフォンは覚えていた。レイフォンは剄技の仕組みを使用者の剄の流れから理解して模倣する特技を持っているため、実際にディックがその剄技を使っているところを見て覚えたのだ。
その剄技を使い、フェリからサリンバン教導傭兵団の記憶を奪ったのだ。いや、フェリだけではない。こんな怪しげな剄技を実験もしないでフェリに使えるはずがなく、実験を含めて今回の事件の関係者からあらかたサリンバン教導傭兵団の記憶を奪った。
安全なのを確認し、その上で剄技をフェリに使用した。だから今回の事件、その真相を知る者はレイフォンを除いてツェルニには存在しない。
フェリの記憶をいじったことに罪悪感を感じはするが、それでも戻ってきた平穏にレイフォンは笑みを浮かべる。これでフェリがレイフォンを拒絶する理由がなくなった。これでレイフォンがフェリに嫌われる理由がなくなった。
「フェリ、愛してますよ。大好きです」
「今更なんですか?」
だから、レイフォンはとても幸せだった。その幸せを噛み締め、マイアスからツェルニの境界面に足を踏み入れる。
今はこの時を、ツェルニの勝利を心から喜ぶことにした。そして願う。この幸せが、ずっと続きますようにと。