「ふあ……」
退屈だった。自然と口が開き、欠伸が漏れる。フェリは読んでいた本から顔を上げ、目元の涙を手で拭った。
ここは教室。午前中の授業が終わり、今は昼休みの最中。レイフォンが作ってくれた弁当を食べれば、もうすることがない。
窓から差し込む心地の良い日差し。再び本を読み始めるフェリだったが、日差しのためか文字を追うのが億劫に感じてしまう。だからフェリは、本にしおりを挟んでこのまま寝てしまおうと考えた。
ちょうどその時……
「やはり君しかいない!!」
大きな声が聞こえた。突如教室に響いた、男の声。
眠りの世界に落ちようとしていたフェリは一瞬で現実に戻され、驚きによってイスから転げ落ちそうになった。そのために不満を感じながら、フェリは声の発生源に視線を向ける。
教壇側のドアに声の主はいた。教室中の視線を浴び、男はそこに立っている。分厚い眼鏡をしており、そのあまりの厚さに目がどうなっているのかわからない。それともあの眼鏡が汚れているからだろうか?
男の格好は小汚く、シャツはよれよれで、髪も寝癖がついたまま。その上無精髭を生やしていた。
そんな男はフェリに真っ直ぐな視線を向けている。両腕を広げた格好のまま、カサコソと奇妙な足音をさせ、くねるような腰つきで近づいてくる。その上にやけた表情で笑っている。正直に言って気持ち悪かった。
危険人物。フェリはそう判断した。錬金鋼を復元させるのにためらいはない。フェリは重晶錬金鋼から念威端子をばら撒き、男を包囲するように囲む。
「それ以上近づけば……」
フェリが警告の言葉を言う。だが、男は止まらなかった。
「ちがーーーーーーーーうっ!」
それどころか喜びに満ちていた表情を引き締め、男はポケットから折り曲げられた紙を取り出す。広げ、フェリの眼前に突き出した。
「君が持つべき武器は、これだ!」
その紙には絵が描かれていた。雑に描かれた女の子が武器を構えている。が、その武器だけは恐ろしく精密に描かれ、説明書きすらあった。
武器の形状は杖。女の子の身長を超えるほどに長く、杖の先端部分にはなにやらゴテゴテしたものが付き、翼のようなものが展開している。それは先端部分と比べて小さいが、杖の石突部分のところにもあった。
「重晶錬金鋼エクスペリメント。通称『ラ・ピュセル』!! 収容端子数五百。新型中継端子を二基搭載し、その探査範囲は論理上、一・三倍にまで向上! さらに唯一の攻撃手段である念威爆雷に、磁性結界による指向性を付加。これにより射程三十メルトルの雷因性砲撃が可能となったのだ!」
熱のこもった大声。当然、その声は教室の外にまで聞こえていたようだ。廊下からは教室を覗き込むものが何人もいた。その視線が痛々しい。
なんともいえない沈黙で場が満たされるが、中心にいる男は相変わらずだった。さらに熱弁を振るう男。錬金鋼を構えるフェリ。事態の行方を見守るクラスメートと廊下の野次馬達。
「さあ、君は今からこれを持ち、新たな戦いの場に立つのだ! そう! 念威少女、魔磁狩(マジカル)フェリとして!」
フェリは念威爆雷を起動させるのに、なんのためらいもなかった。
†††
魔磁とは!?
電子精霊の放つプラマトリオン雷因性粒子。自律型移動都市(レギオス)の全域に微弱に帯電するこの粒子が電子精霊にとって、この都市の異常を感知する神経の役割を果たしている。
だが、その雷因性粒子を悪用し、電子精霊に邪悪な心を芽生えさせようとする悪の集団が存在する!
その者達が開発したのが侵略性磁性粒子。
それが魔磁だ!
「……という設定なんだってさ」
と、ハーレイが説明してくれた。
「アホですか」
フェリは思ったことをそのまま口にする。
ここは練武館。第十七小隊の練習スペースに、珍しく第十七小隊の隊員が全員揃っていた。それに加えてもう一人、レイフォンとフェリが面倒を見ることになった少女、ユーリがいる。
中央にはハーレイが立ち、他のみんながその手に持っているものを見詰めている。
分厚い、コピー用紙を束ねたような本だ。表紙には大きく『念威少女・魔磁狩○○』と書かれている。主役の名前は決まっていないようだが、これは台本である。
フェリのところに来た男が置いていったものだ。威力は最弱だったとはいえ、念威爆雷を受けて平然としていた。
ちなみに、武芸者や念威繰者が通常時にその能力を使った暴行事件を起こせば、被害の大小に関係なく大きな罪になる。
だが、今回は男が都市警に訴えなかったために事なきを得た。
「あの人、特異体質だから」
ハーレイが微妙な笑みを浮かべた。
「知ってるのか?」
ニーナの問いかけに、ハーレイは頷く。
「アーチング・ミランスク先輩。錬金科の五年だよ。あれで性格がもう少しまともなら、錬金科科長にだってなれるぐらい重晶錬金鋼に関して実績のある人だよ」
「と、いうことは念威繰者専門か?」
ハーレイはシャーニッドの言葉に頷き、さらに説明を続けた。
「ツェルニの重晶錬金鋼で、あの先輩の設計思想が生きてないのはないんじゃないかな? フェリの錬金鋼にだって使ってるよ」
フェリの錬金鋼はハーレイが製作した。だが、それはアーチングの設計図があってこそだ。
ハーレイは錬金鋼の設計や調整を専門としているが、あくまでレイフォンやニーナなど、武芸者が使う通常の錬金鋼が対象だ。
念威繰者の使う重晶錬金鋼は剄と念威の違いや、内部機構など様々な部分で通常のものとは違う。そもそも、剄と念威は似て非なるものだ。ハーレイでも調整や設計図を基にした組み立ては出来るだろうが一から新しいものを作り出すことは不可能だろう。
「それにしても、これ……収容端子数五百? 探査範囲一・三倍? あ、中継端子が二基あるんだっけ? うーん、そりゃ、こんな大きさになるよね」
「雷因性砲撃だったか? それは可能なのか?」
興味本位のニーナの問いかけに、ハーレイは首を捻ってから答える。
「磁性結界で爆発に指向性を加えるのは、今でもできるよ。これは、それ専門の装置も積んであるんだろうね。そうか、増幅装置もあるとしたら……うーん、三十メルトルなら可能かなぁ」
「しかし、三十メルトルというのは、あまり有効な射程距離ではないな」
「まぁね。シャーニッド先輩みたいな遠距離専門の人ならともかく、運動能力が一般人並の念威繰者が、この距離から撃ててもあんまり意味ないよね。せめて一キルメル欲しいけど、そこまで届かせる有効な威力とか考えると一人じゃ無理だし、そんなの対人戦で使う必要があるとは思えないし、対汚染獣戦なら剄羅砲もあるし、うーん、企画倒れな気がするなぁ」
「愚か者どもが!」
あれやこれやとハーレイとニーナが意見していると、いきなりバタンとドアが開いて噂のアーチングが現れた。
「お前達にはワンダーでドリーミンな精神が足りん! なんだ、さっきから、有効ではない!? 企画倒れ!? お前達には想像力もないのか! 何故、可憐な念威少女が一人で巨悪と戦う姿を想像し、その儚さに心打ち震わすことが出来んのだ!?」
「いや、そう言われても……」
きょとんとする第十七小隊の中で、ハーレイだけが苦笑いを浮かべている。ユーリは退屈そうに、小さな欠伸をした。
「仕方ないでしょう、いくらフィクションとはいえ、こっちは専門なんですから」
「そんなこと、関係あるか!!」
一刀両断。アーチングはハーレイの論理的意見を跳ね除ける。
「ていうか、なんでアニメーションじゃなくて実写に拘るんですか。CGでもいいじゃないですか」
それでもハーレイは怯まない。親しそうに話していることから、同じ錬金鋼に携わる者として以前から交流があったのだろう。
だから、アーチングの物言いと奇行には慣れていたのかもしれない。
「もちろん、CGも使う。だが今回は登場人物の全てを実写で行くと決めたのだ」
「実写は痛くなりますって。CGが限界ですよ」
「痛い? 痛いと思うのは貴様の愛と、演出と舞台とその他いろんなものが足りないからだ」
ハーレイは黙って首を振った。完結に言うと、こう言う事だ。
アーチング・ミランスク。錬金科五年生にして、アニメーション研究会の会長。
同研究会の発表するアニメーション、『念威少女』シリーズの監督。その次回作であり、実写に挑戦する意欲作、『念威少女魔磁狩○○』の主役にフェリを使いたいとのことだ。そのための交渉、お願いにアーチングは来たわけだが、
「お断りします」
フェリは非常に完結でわかりやすい言葉で拒否した。
しかし、アーチングの態度は揺らがない。
「ははははっ! もはや君の保護者からの同意は得ているのだ」
「保護者?」
アーチンはフェリの前に一枚の紙を突き出す。それは契約書だった。フェリが念威少女魔磁狩○○に主演するという契約書。そこにはちゃんと、サインがしてあった。カリアン・ロスと。
「……あの、バカ兄は」
「はははははっ! もう断れまい。諦めて私の作品に出演したまえ、出演料は弾むよ。おおそうだ、第十七小隊の諸君にも出来れば出演して欲しいのだけれどね、同じく、出演料は弾むよ」
勝手に話を進めるアーチングに頭にきて、フェリはもう一度念威爆雷を起動させた。
ここで殺れば始末に困らない。割と本気で、そんなことを考えてしまった。
その翌日、「念威爆雷の件を警察に訴えちゃうぞ♪」という脅迫状と共に、人数分の台本がアーチングから届いた。
しかし、アーチングはやってしまった。この行為は、ツェルニで一番敵に回してはいけない人物を敵に回してしまうことになる。そのことを、アーチングは知らなかったのだ。
†††
「フェリを脅迫するだなんて……知らなかったなぁ。まだ、こんな命知らずがツェルニにいたんだ」
「あ~、君、一体何をする気なんだい?」
流石のアーチングも、もはや余裕を保っていられる状態ではなかった。全身から冷や汗を流し、とても黒い笑みを浮かべているレイフォンに怯えながら問いかける。
「一応選ばせてあげます。養殖湖に沈んで魚の餌になるのと、エア・フィルターの外に放り出されて汚染獣の餌になるの、どっちがいいですか?」
「どっちも死ぬ!」
「ええ、殺すつもりですから」
アーチングは手足を縛られ、ドラム缶の中に首だけ出す形で突っ込まれていた。
目の前ではレイフォンがコンクリートを捏ねている。おそらくは、あれをこのドラム缶の中に流し込むつもりなのだろう。
「落ち着け、落ち着くんだ君。こんなことをしても何にもならない」
「なるんですよ。あなたはフェリの敵だ。ならば僕はそれを排除する。そうすればフェリは平穏な生活を送れるんです」
「うわっ! コンクリートを流し込むな。やめろ、やめてくれ!!」
「大丈夫ですよ、すぐに固まりますから。それに、黄泉路の旅が一人だと寂しいでしょうから、もう一人お供を付けてあげますね」
「え……?」
レイフォンはドラム缶にコンクリートを流し込み、にやりと笑った。アーチングはその笑みに釣られ、レイフォンの視線の先を首だけで向く。
するとそこには、アーチングと同じようにドラム缶に突っ込まれた青年の姿があった。
「あー……レイフォン君。これはなんの冗談だい?」
「生徒会長、僕は冗談は嫌いなんですよ」
「……義兄さんとは呼んでくれないのかな?」
「ところで、生徒会長はどっちがいいですか? 養殖湖に沈むのとエア・フィルターの外に放り出されるの」
青年の正体はカリアン・ロス。この都市の長だった。
カリアンのドラム缶にもコンクリートが流し込まれており、それは既に固まっている。なので身動き一つとることも出来ずに、許しを請う罪人のような目でレイフォンを見ていた。
「いや、だって、見たいじゃないかフェリの念威少女姿! フリフリの服を着て、ステッキ持って、あの子が演技する姿を! それにアーチング君は趣味と実益を兼ねた重晶錬金鋼の実験を……」
「確かに僕もフェリの念威少女姿は見たいですけどね、肝心のフェリが嫌がっているじゃないですか。なら、僕がやろうとすることはひとつだけです。その障害になるというのなら、たとえ身内でも容赦しませんよ」
レイフォンの目は冷たい。既に判決が下され、もはやそれは覆しようがなかった。
アーチングのコンクリートが固まる。レイフォンは武芸者の強靭な肉体でそれを持ち上げ、最後に確認した。
「それで、養殖湖とエア・フィルター、どっちがいいか決まりましたか?」
あとがき
はい、短いですが念威少女編終了です。原作19巻のアーチングイベント、見事に潰れました。原作では大暴れしたアーチングですが、ここのヤンデレイフォンだと洒落にならないよなってことで、こんな感じになってしまいました。
しかし、アーチングと併せてシスコンが一人退場してしまった……いや、死んでませんよ。一応死んでませんからね。
これは一応ギャグですから。しかし、今回はユーリの出番ほとんどなかった。
さて、聡明な読者の方は既にお気づきでしょうが、前回登場したツェルニ似の女の子、メイリンの名前が変わっています。メイリンからユーリに変更です。
これには訳がありまして、まぁ、メイリンは聖戦のレギオスに登場するディックの昔の女?とおんなじ名前だったんですよ。つまりかぶってしまってですね……すいません、そんなわけで急遽変更することになりました。困惑させてしまってすいません。
ユーリはもう被ってないですよね? レギオスにユーリという少女は出てきませんよね。
ちなみにユーリの元ネタは、フェリの同級生のエーリをちょっと捩っただけです。