「やれやれ、うちに戻るのも久しぶりだね」
カリアンは自宅のマンションの階段を上りながら、ポツリと呟く。
彼は生徒会長という立場にいるため、常に激務に駆られていた。そのために生徒会長室に寝泊りして夜遅くまで仕事をすることも少なくなく、今回はそのための着替えを取りに来たのだ。
「最近、味気ない食事ばっかりだったから、久しぶりにレイフォン君の手料理を食べたいものだね」
部屋の扉の前に立ち、またポツリと呟いた。最近は出前やインスタント食品ばっかりだったので、義弟となった少年の料理が無性に恋しい。
やはり、手料理とは良いものだ。
「ただいま」
扉を開け、部屋の中に入った。帰ってくる返答を想像し、頬が緩む。少し前なら考えられない状況だったからだ。
少し前まではカリアンとフェリの二人だけで暮らしていたのだが、事情が事情で兄妹仲は冷え切っており、カリアンがただいまと言ってもフェリは無関心。もし反応が返ってきたとしても、それは氷のように冷たい視線と嫌味だけだった。
けれど、今はレイフォンがいる。お帰りと言ってくれる義弟となった少年。最近ではフェリも、レイフォンとの仲を認めたことからカリアンに対しての嫌悪感も薄れたようで、少々ぎこちなくともお帰りと言ってくれる。
些細なことだが、そんな些細なことがカリアンからすればとても喜ばしいことだった。人の温かみ、家族団欒。学園都市に来てそんなものを久しく味わってなかったので、軽いホームシックにでも掛かったのかと柄にもない事を考える。そんなどうでもいいことを考えてしまうほどに、今のカリアンは充実していた。
「……あれ?」
けれど、今日はその返事が返ってこない。『お帰り』という言葉が聞こえてこない。
現在の時刻は朝。朝食の少し前くらいだろうか。学校に行くにはまだ早い。
フェリはまだ寝ているかもしれないが、レイフォンなら朝食の準備のために既に起きているはずだ。
「どうしてもですか……フォンフォン」
「正直、その目は反則だと思います……」
なにやらリビングから会話が聞こえた。何か話をしており、それに夢中になってカリアンの帰宅に気づかなかったのだろうか?
靴を脱ぎ終えたカリアンは廊下を歩いて、リビングの扉を開けてからもう一度言った。
「ただい……なっ!?」
「あ、義兄さん、お帰りなさい」
「お帰りなさい」
レイフォンとフェリがカリアンの存在に気づき、待ち望んだ返答が返ってくる。だけど今のカリアンにとって、そんなものは一瞬でどうでもよくなってしまった。
「ふぇ、フェリ、レイフォン君……その子は誰かな?」
一瞬でどうでもよくなってしまったその理由。それは、一人の少女の存在だった。
くりっとした大きな瞳で、腰にまで届く長い髪をした少女。少女はまだ十歳にも達していないほどに幼く見えた。
ここは学園都市であり、入学するには数え年で十四を過ぎなければならない。なのに何故、こんなにも幼い少女が、女の子がここにいるのだろか?
「拾いました」
「いや、フェリ。拾ったって犬猫でもあるまいし……」
フェリのあまりにも簡潔すぎる返答に、流石のカリアンもそれを理解することは出来なかった。たらりと一筋の汗を流し、困ったような苦笑いを浮かべる。
「ま、まさか、ひょっとして……隠し子かい!?」
「いや、違いますから」
突拍子がなく、あまりにもカリアンらしくない言葉が漏れた。そもそもレイフォンとフェリが出会ってまだ一年も経っていない。それなのに十歳に満たないほど幼いとはいえ、七~八はありそうな少女の親というのは無理がありすぎる。
もっとも、いくら濃い日常を送ったとはいえ一年にも満たない期間で付き合い始め、結婚し、子供まで宿すとなるとそれはそれで凄いことだが。なんにせよ、この少女がレイフォンとフェリの隠し子だという線は絶対にない。
「迷子みたいなんですよ。昨日の訓練の帰りに見つけまして。多分、放浪バスに乗ってきた旅行者で、家族とはぐれたんだと思います」
「ふむ」
レイフォンがフェリの言葉の足りない部分を補完し、カリアンに説明をする。
要するに迷子であり、レイフォンとフェリはそれを保護しただけに過ぎない。しかし、解せないところもある。そういったことは都市警察の仕事だ。なのに何故、わざわざ少女を家に連れてきたのだろう?
「昨日は遅かったですし、この子もお腹を空かせていたみたいなので、一旦帰って夕食にしました。で、疲れていたのかお腹いっぱいになったらすぐに寝てしまいまして。仕方がないから都市警には朝に行こうと思ったんですが……」
説明を続けながら、レイフォンはちらりと視線をフェリと少女に向けた。フェリは少女を抱きしめ、レイフォンの言葉の後を引き継ぐ。
「都市警に行くのは構いませんが、身元が見つかるまでの間は私が保護しようと思います」
「こういう訳なんですよ」
「いや、どういう訳だい?」
「つまり、フェリが気に入っちゃいまして……」
一夜を共に過ごし、フェリは少女に対して愛着が出来たらしい。これから子供が出来ることを考えれば、子供好きなのはとても良いことだ。レイフォンも子供は嫌いではなく、孤児院の兄弟達のことを思い出してか懐かしい想いに駆られる。
カリアンだって子供は嫌いではない。嫌いではないが……
「フェリ、保護すると言ってもね……学校はどうするんだい?」
子供を保護するとなれば、いろいろと問題も出てくる。何より一番問題なのが学校だ。
ここは学園都市であり、フェリの本業は学生。それはレイフォンやカリアンも同じであり、授業中はどうしても子供の面倒を見ることは出来ない。
「そのことに関しては問題ありませんよ。僕が面倒を見ますから」
「レイフォン君、君も授業があるだろう?」
「まぁ、そうなんですけど。でも、どうせ学校は中退する予定ですし」
「へ?」
「はい? 何かおかしいことを言いましたか?」
カリアンの間の抜けた声に、レイフォンは何を今更と首を傾げる。
「だって、フェリは二年生で僕は一年生ですし。ならフェリが卒業する年だと僕は五年生じゃないですか。まさかフェリのいない学園都市で一年過ごせと言うんですか? 冗談は言わないでください」
フェリがいないのなら、学園都市に対する興味はない。フェリが卒業する年がくれば、そのままレイフォンも学校を中退して付いて行く予定だ。
学園都市を卒業すれば、受けた授業や学科によって様々な資格を習得できるが、そんなもの武芸者として生きることに迷いのなくなったレイフォンに意味はない。
武芸者は実力が全てであり、ここ、学園都市でレイフォンが武芸に関して学ぶことなど既になかった。なので、フェリがその気だったら今すぐにでもここ(ツェルニ)を後にしてもいいと思っているほどだ。
「そうか……なら仕方ないね。私としては、せっかくの学園都市なのだからちゃんと卒業して欲しいと思っているのだけど」
「もう決めたことですから」
「どうせなら、私が掛け合って今から二年生に進級させるという手もあるけど。これは本来、留学生を受け入れるときに使う手だね。その分、授業が難しくなるけど……」
「いえ、結構です。正直、勉強が嫌いなので」
「そうかい」
学園都市に来て、堂々とそんなことを宣言するレイフォンにカリアンは呆れてしまう。
思わずため息がこぼれたが、ふと、こんな話をしている場合ではなかったと思い出した。
「それよりも今は子のこのことだったね。それで、この子は結局どうするんだい?」
「まずは都市警に連絡ですね。で、今日は学校を休んでこの子の面倒を見ていようと思います」
「あまり感心したものではないが、仕方がないね。おや……?」
学校を休むというレイフォンの言葉に、この都市の生徒会長であるカリアンは渋い顔をしたが、今更ながらに少女の顔を見てあることに気づく。
この少女は、誰かに似ていた。とてもよく知っている、ある人物に似ている。いや、正確に言うとそれは人ではないのだが。
「この子は……」
「あ、気づきましたか。やっぱり似ていますよね、ツェルニに」
この都市の名前を持ち、そして中枢を司る電子精霊、ツェルニに似ていた。
「私はそのツェルニとやらを見たことはありませんが、この子はちゃんとした人間です。都市の意識である電子精霊が生身の肉体を持つなんてことあるわけないじゃないですか」
「そう、ですよね」
フェリの言葉にレイフォンも頷く。一瞬考え込んだが、確かにそんなことありえるはずがない。
普通に考えれば他人の空似、ただのそっくりさんと言うだけのこと。
「それで、この子の名前はなんと言うんだい?」
「さあ?」
「さあって、レイフォン君、君ねえ……」
「いえ、本当にわからないんですよ」
少女の名すら理解していないレイフォンにカリアンは渋い顔をし、当のレイフォンも困ったような表情を浮かべていた。
「この子、夕べから一言もしゃべってないんですよ。名前を聞いても、どこから来たのか聞いてみても黙ったまま。一応言葉は理解しているみたいで、ちゃんと頷いたりはしてくれているんですけど……この子については何にもわからないんです」
「それは困ったね」
名前すらわからないのではどうすることも出来ない。こうなったら直接都市警察に赴き、捜索願が出されていないか確認しに行くしかないだろう。
いくらなんでも、こんな幼い少女が一人でここを訪れたということはないはずだ。必ず同行者がいる。
そこまで考えて、カリアンはちらりと時計に視線を向けた。
「おっと、私はそろそろ行かなければ。何しろ多忙の身だからね。休むわけには行かないよ」
話し込んでいるうちに随分時間が過ぎていたことに気づく。カリアンは慌てて着替えを用意し、レイフォンが洗濯、アイロンがけをしてくれた着替えをバックに詰める。
時間がないから仕方がないが、レイフォンの作った朝食を食べれないことが非常に残念だった。
「あ、義兄さん。よければこちらをどうぞ」
「おや、これは」
そんなカリアンを気遣ってか、レイフォンが朝食用に作っていたサンドイッチを差し出す。これなら多少行儀が悪くとも、歩きながら食べることが出来る。
カリアンはありがたくサンドイッチを受け取り、それにかぶりついた。
「それとお弁当です。生徒会が大変なのはわかりますが、体には気をつけてくださいね」
「レイフォン君……くぅ、フェリを頼んだよ」
レイフォンの気遣いに触れ、カリアンは眼鏡をずらして目頭を押さえる。そして改めて、彼になら大事な妹を任せられると再認識した。
「では、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
カリアンはサンドイッチをほおばりながら、そして着替えと弁当を手にし、清々しい笑顔を浮かべて部屋を後にする。それをレイフォンとフェリが見送った。
「さて、それじゃあフェリも朝ごはんを食べて学校に……」
「私も今日は休みます」
「え、でも、学校にはちゃんと行った方がいいですよ」
「それをフォンフォンが言いますか? それに、自分で言うのもなんですが私は座学の成績が優秀です。なので何日か学校を休もうと、なんの問題もありません」
「まぁ、フェリがいいのならいいんですけどね」
そんなこんなで今日はフェリも学校を休むこととなり、レイフォンは改めて自分達の朝食を準備する。
カリアンに渡したものと同じサンドイッチを始め、オムレツにフルーツジュース、ソーセージなど空き腹を刺激する美味しそうな匂いが漂った。
「とりあえず朝ごはんを食べましょう。そのあとで都市警に行くということで」
「そうですね、冷める前に食べちゃいましょう」
「じゃあ、君もイスに座って。はい、手を合わせて。いただきます」
少女をイスに座らせ、食事の挨拶をする。その光景はまるで、本当の親子のようにほのぼのとしていた。
†††
「都市警に捜索願、出てませんでしたね……」
「そうですね。この子の親は一体何をしているのでしょう?」
レイフォンとフェリは少女を連れ、都市警察に出向いたのはいいものの、あまりよろしくない結果にため息を吐く。
少女の捜索願が出ていなかったのだ。この少女がツェルニの住人ではないのは明白。ならば保護者となるような人物が存在し、その人物が都市警察にはぐれた少女の捜索願を出すのは当然のこと。それなのに捜索願は出ておらず、少女のことに関する手がかりもまったくなかった。
「……………」
「ああ、あなたは別に何も気にしなくていいんですよ。あなたのご両親が見つかるまでうちにいても構いませんから。私とフォンフォンが相手してあげます」
神妙な顔つきをするレイフォンとフェリに、少女が心配そうに見上げてくる。それにフォローを入れるフェリだったが、ふと、あることを思いついた。
「しかし、そうなると名前がないのが不便ですね。あなたでは何かと問題もあるでしょうし」
「それもそうですね。今まで気にしていませんでしたが、何か呼び名があるといいかもしれません」
「フォンフォン、どんな呼び名がいいですか?」
「え、僕が考えるんですか?」
レイフォンが少女の呼び名を考えることとなり、首を捻って考え込む。『う~ん』と唸るが、早々良い呼び名が浮かんでくるものではない。
ちらりと少女に視線を向けるが、やはりその姿はツェルニに似ている。機関部掃除の時に見た電子精霊そっくりの姿をしていた。
だから自然と、零れ落ちるようにレイフォンの口から発せられた。
「ツェルニ……なんてどうでしょう?」
「それはこの都市の名前じゃないですか。この子は人間なんですから、ちゃんとした名前を考えてください」
「ですよね……」
フェリに否定され、レイフォンはもう一度呼び名を考えようとする。だが、考えようとしたところで、少女が無言でレイフォンを見詰めていることに気がついた。
「……………」
「どうかした?」
「……………」
少女は何も言葉を発しない。けれど、その瞳は言葉以上に物事を語っているようにも見えた。
「えっと、気に入ったの?」
「……………」
少女は無言だ。けれど、確かにコクコクと頷いていた。
「それじゃあ、ツェルニということで」
「まぁ、ひとまずはそれでいいでしょう。この子の本当の名前がわかるまではそう呼びましょう」
これで少女の仮の呼び名は決定した。
フェリはしゃがむことでツェルニと視線を合わせ、問いかける。
「それでツェルニ。あなたは今、どこかに行きたいところはありますか?」
「え、遊びに行くんですか?」
「手がかりがないんじゃ、探しようがないじゃないですか。いくら私が念威繰者とはいえ、情報がまったくない状態でこの子の親を探すのは不可能です」
「それはそうですけど……」
「ですので、遊んで気を紛らわせることにしましょう。それに、私達も学校を休んだのですから存分に楽しみましょう」
「そっちが本音じゃないんですか?」
「ふふ、どうでしょう」
フェリが笑った。その笑顔にレイフォンが勝てるはずがなく、あっさりと降参する。
そんなわけで今日のレイフォンの予定は、二人のかわいらしい少女をエスコートすることに決まった。
†††
「……………」
「メェ~」
大はしゃぎするツェルニ。言葉を発することはできなくとも、その心境は彼女の反応で十分に理解できる。
ツェルニは牧草を食べている羊に近づき、そのふかふかの毛に顔を埋めるように抱きついていた。
「懐かしいですね、ここ」
「懐かしいと言っても、まだ一年も経ってませんよ」
「それはそうなんですけど、ここは僕にとって特別な場所なんですよ。なんてったって、フェリと初めて会った場所ですから」
楽しそうなツェルニを眺めながら、レイフォンとフェリは感傷に浸っていた。何故ならここは、二人にとって特別な場所だから。
「フリーシー、元気にしてた? 久しぶりだね」
「メェ~」
ここは養殖科の牧場。レイフォンはツェルニが抱きついている羊に勝手に命名しており、フリーシーと呼んでいた。
レイフォンはフリーシーに語りかけ、牧草を食べ続けるフリーシーの頭を撫でる。
「初めて会った時も、フォンフォンはこうして羊に語りかけていましたね」
「ははは、思い出すと少し恥ずかしいです」
「あの時はフォンフォンは武芸をやめようとしてて、普通の人になるんだと言ってました。『貯金して、およめさんもらって、一戸建てたてて』って」
「うわっ、かなり恥ずかしい! ってか、よく覚えてましたねフェリ」
よみがえってくる昔の記憶。昔とは言っても一年にも満たない短い時間。それでもこれまでの出来事は濃密で、まるで何年も前の出来事のように感じられた。
「まぁ、武芸はやめれなくって、普通の人にはなれませんでしたけど、貯金は結構貯まりましたし、かわいいお嫁さんももらえたので、あとは一戸建てを建てれば目的は達成できますけどね」
「……あなたも十分恥ずかしいことを言いますね」
「そうですか?」
気恥ずかしさと共に、互いから笑みがこぼれる。いろいろな出来事があって、ここまで共に歩んできた。そしてこれからも、二人で共に歩んでいくことになるだろう。
その原点であるこの場所で、レイフォンとフェリは笑っていた。
「私達は、ここから始まったんですね」
「そうですね。あの時、ここでフェリに出会えて本当に良かったです」
「それは私もです。私も……フォンフォンに出会えて良かった」
「フェリ……」
視線が絡まり、二人はそのまま見詰め合った。トクンと心臓が脈打つ。それが合図だったように、二人の顔が少しずつ近づいていく。
もう何度目だろうか? 数えるのが億劫で、もう何度したのかわからない。
数え切れないほど交わした口付け。そのまま唇が触れようとしたところで、二人は気づく。
「……………」
「メェ~」
「「……………」」
羊にまたがった状態で、じーっとこちらを見詰めているツェルニの存在に。彼女の純朴そうな瞳が、しっかりとレイフォンとフェリを見据えていた。
「……今はやめておきましょうか」
「そうですね」
その視線に耐え切れず、二人はそのまま離れることにした。先ほどとは違った意味の気恥ずかしさによって、顔から火が噴出してしまいそうだ。
「良い天気ですね」
「そうですね」
それを誤魔化すように、レイフォンとフェリは空を見上げる。
本日は快晴。エアフィルター越しに、太陽は強く輝いていた。
†††
「お昼は何にしましょうか?」
「ツェルニ、何か食べたいものはある?」
都市警察に出向き、養殖科の牧場で羊と遊んでいるうちに、時刻はすっかり昼過ぎ。そろそろお腹が空いてきたので、三人はツェルニの街並みを並んで歩いていた。
右側にはレイフォン。左側にはフェリ。その真ん中でツェルニは両者と手をつなぎ、興味深そうに辺りを見渡している。
「……………」
そうやって視線をさ迷わせていると、ツェルニは食べたいものを見つけたのかレイフォンとフェリの手を振り払い、指を指して無言で訴えた。
「え、これを食べたいの?」
「アイス……ですか。別に買ってもいいですけど、今食べるとお昼ご飯が食べられなくなるので、あとでにしましょう」
ツェルニが指差したのはアイスの屋台だった。それでも今は昼時。フェリがツェルニを戒めるように言い、その言葉にツェルニはとても悲しそうな表情をした。
「フェリ、少しくらいいいじゃないですか。待っててね、今買ってくるから」
「フォンフォン……もう、あなたは甘すぎです」
即決でアイスを購入したレイフォンにフェリはため息を吐き、視線をツェルニへと向けた。
ツェルニはアイスを買ってもらえることに嬉しそうな表情を浮かべていた。現金なものだと思う。けれど、それが子供というものだろう。
フェリは無意識のうちに自分のお腹に触れた。まだまだ大きさは目立たないが、そこにはレイフォンと自分の子供が眠っている。
この子達が生まれたらこんな感じになるのだろうかと想像し、フェリは小さくクスリと笑った。
「フォンフォンには、あまり子供を甘やかさないようにと言わなければなりませんね」
アイスを与えるレイフォンと、アイスを与えられて喜ぶツェルニを見て、フェリはそう心に決心した。
†††
「フォンフォン、あなたはやっぱり甘いですね」
「そうですか?」
「そうですよ」
アイスを食べた後、三人はそのまま昼食を食べに行った。案の定ツェルニはお昼を全部食べることが出来ず、そのことについてレイフォンと共にフェリからお叱りを受けていた。
けれどツェルニは満足そうで、そんなツェルニを見てかレイフォンも『まぁ、いいか』程度にしか思っていない。
お昼を食べたら映画を観た。ツェルニに合わせて、子供向けのアニメーションものだ。
ウサギのキャラクターが活躍するその映画をツェルニは気に入ったようで、劇場を出る時にそのグッズを欲しがっていた。それをレイフォンが買い与え、またもフェリが呆れる原因を作り出す。
ツェルニは大満足で、レイフォンに買ってもらったウサギのぬいぐるみをとても大事そうに抱きしめていた。
「あんな笑顔を見れるなら、甘やかしたくもなっちゃうじゃないですか」
「その気持ちはわかりますが……むぅ、少し妬けますね」
レイフォンの言葉にフェリは多少、拗ねたように視線を逸らした。本当に表情が豊かになったなと思いつつ、レイフォンはポツリともらした。
「それに、ほら、僕は孤児だったもので……今は金銭的に余裕もありますから、子供には不自由な想いをして欲しくないんですよ」
「あ……」
レイフォンの境遇。彼はフェリが何不自由なく育った幼少期の時、多大な苦労をしていた。
貧しいことの辛さを知り、幾多の兄弟達を失い、幼い心に大きな傷を負う。だから天剣授受者となり、闇試合に出てまでも豊かな暮らしを求めた。
そんな境遇があったから、レイフォンは子供には不自由な想いはして欲しくないのだろう。
「反則です……そう言われたら、何も言えないじゃないですか」
「すいません」
フェリにはレイフォンの気持ちがわからない。結婚し、永遠の愛を誓い合ったという仲だというのに、その辛さを理解することが出来なかった。それが非常にもどかしい。
「ですが、不自由な思いをさせないのと甘やかすのは違います。フォンフォンもあまり度が過ぎないようにしてくださいね」
「はい、気をつけます」
もどかしさを押し殺す。それでも甘やかすのと不自由な思いをさせないのは違うのだと指摘し、フェリはレイフォンに言い聞かせた。
「さて、次はどこに行きましょうか?」
「あ、すいません、フェリ。その前にちょっと……トイレに行って来ていいですか?」
「ええ、構いません。早く済ませてきてくださいね」
「はい」
次の場所に行こうとして、一旦レイフォンがこの場から離れる。その間、僅か数分ほど。けれどその数分で、事態が動いた。
「えっ……?」
フェリはベンチに腰掛けていた。レイフォンが帰ってくるまで、ここで座って待っているつもりだった。
ツェルニは未だにぬいぐるみを抱きしめ、嬉しそうにはしゃいでいる。それほどあのぬいぐるみが気に入ったのだろう。
そのぬいぐるみが地に落ちる。いきなり男が現れ、その男がツェルニを抱きかかえて掻っ攫う。
「待っ……」
速い。ツェルニが小さいとはいえ、それでも子供一人を抱えてフェリの視界から一瞬で消えるほどの身体能力。おそらく、いや、間違いなく相手は武芸者なのだろう。
そのことを理解し、フェリはすぐさま重晶錬金鋼を復元させた。
「ちぃ!?」
念威端子が一瞬で周囲に張り巡らされる。念威端子は男の退路を塞ぐように配置され、男はその場に留まることを強いられる。
念威爆雷。念威繰者唯一の攻撃手段だ。発光する念威端子を見て、男は渋い顔をする。
「念威繰者か……」
「その通りです。あなたは何者なんですか? 見たところ、その子の保護者には見えませんけど」
念威端子で完全包囲した男に、フェリはゆっくりと追いついた。歩み寄り、淡々と、感情を感じさせない無表情で問いかける。
男は隙を見て逃げ出そうとしていたが、その思惑は無駄だというように忠告した。
「逃げようとは思わない方がいいですよ。重層包囲させていただきました。あなたの動きは神経パルス単位で把握しています。動きを先読みされて逃げられるわけがありません」
「凄い才能だな。まさか学園都市にこんな奴がいたとは」
「褒めても何も出ませんよ。むしろ、あなたには都市警に出頭していただきます」
「おまけに顔もいい。かなりの上玉と見た。これは、良い商品になりそうだ」
フェリの忠告を真に受けず、男の表情が下衆たる笑みへと変わった。
不快だ、不愉快だ。フェリはすぐにでも念威爆雷を発動させようとしたが、男がツェルニを抱えているために踏みとどまる。このままでは彼女までも巻き込んでしまう。
そう思考を巡らせた時、フェリの念威端子があるものを捉えた。
「っ!?」
「気づいたか。流石は念威繰者」
フェリの表情が僅かに変化する。男の下衆たる笑みが濃くなった。
「だが、直接の戦闘力を持たない念威繰者が前に出てきたのは失敗だったな」
その通りだった。男一人を無力化するのなら何の問題もない。相手が一人だけなら、フェリでも十分に対応可能だった。
だが、もし男に仲間がいたら? そうなってしまえば念威繰者であるフェリでは対応することが出来ない。
仲間が一人いただけでも絶望的だ。なのに、フェリの念威が捕らえた数は三人。目の前の男も合わせて計四人。一同が一直線にこちらに向かっている。
「フォンフォン……」
フェリはすぐさまレイフォンに連絡を取ろうとした。周囲に念威端子をばら撒いた時から、既にレイフォンにも念威端子を飛ばしている。
けれど間に合わない。レイフォンの元にフェリの念威端子が届くよりも先に、男達の手によってフェリが捕まる方が僅かに早かった。
「フォンフォ……」
「フェリ?」
トイレを出たレイフォンの元に、フェリの念威端子が届いた。
けれど一言。レイフォンの名すら言い切れずに、フェリの念威端子はその場で落下した。
「!?」
花弁のような念威端子が地面に落ちる。それを見て異常を察したレイフォンはすぐさまフェリの元に駆けつけた。
フェリとツェルニがいるベンチへ向けて全力で走る。残像すら残るほどに速く、あまりの速度と踏み込みでコンクリートで舗装された道が踏み砕かれるほどだ。
ベンチにはすぐに着いた。時刻は夕刻。周囲は暗くなり始め、街灯がベンチをスポットライトのように照らしている。
けれど、そこにはフェリとツェルニの姿はなかった。あるのはレイフォンがツェルニに買い与えたウサギのぬいぐるみだけ。ぬいぐるみはポツリと、地面に横たわるように落ちていた。
†††
(最悪……ですね)
フェリは現状に、思わず舌打ちを打ちたくなる気分だった。まさに最悪の現状。錬金鋼を取り上げられ、その上手足を縛られていた。
「ついてるな。こんな上玉、早々いないぜ」
「ああ、高く売れそうだな」
聞こえてくる不穏な会話。まるで人身売買でもするかのような会話だ。
ここにいるのは男が二人だけだった。フェリが捕らえられた時は四人いたはずなのだが、今は残りの二人の姿は見えない。
そして、場所は放浪バスの停留所。ただし、老朽化して今は利用されていないはずの場所だった。
確かここは、オリバーが勝手に自身の工房としていたはずだ。放浪バスを修理し、これまでに緊急時の脚として何度か使った覚えがある。もしかしたらオリバーが異変に気づき、この男達を都市警に通報してくれるかもしれない。
「あのぉ……俺ってこれから、どうなるんでしょう?」
「あん? お前には興味なんてねえよ。ただ、騒がれると困るから縛ってるだけだ。俺達の機嫌を損ねなけりゃ生かしてやるから安心しな」
「はぁ……そうですか」
その線はなくなった。フェリは聞こえてくる会話に脱力し、全身から力が抜けるのを感じる。
オリバーは既に捕まっていたのだ。
「それにしてもいい放浪バスだな、おい。今まで乗ってたのも古くなってきたし、この際だから乗り換えるか?」
「あはは、そんなんでいいならどうぞ。こちらとしては自分の身が安全なら言うことはないんで」
「おう、話がわかるな」
会話は聞こえるが、外の様子がわからない。おそらく今は、放浪バスの中にいるのだろう。サリンバン教導傭兵団に捕らえられていた時、入れられた部屋に類似している。
こうやって放浪バスの中に閉じ込められるのは二回目だ。自分は随分妙な経験をしていると、思わず失笑がこぼれた。
「……………」
「大丈夫ですよ。きっと助けが来ますから」
フェリの隣にはツェルニがいた。彼女もフェリと同様に手足を縛られている。
ツェルニはがたがたと震え、青白い表情で怯えていた。そんな彼女を安心させるように、フェリは笑顔を向ける。
そうだ、きっと助けてくれる。レイフォンが助けに来てくれる。フェリはそう信じて、大人しく助けを待つことにした。
†††
レイフォンは生徒会塔の頂上にある尖塔にいた。片手で尖塔にあるポールをつかみ、反対の手にはツェルニが落としたぬいぐるみを持っている。
探すのはフェリとツェルニの二人。レイフォンは内力系活剄で聴力を上げる。最大に、限界にまで引き上げる。
都市中の雑音がレイフォンの耳に飛び込んできた。すぐに頭が痛くなったが、それに耐えて更に音を拾い上げる。
昔のレイフォンならば足音までの些細な動きは聞き分けられなかっただろう。けれど今のレイフォンならば、廃貴族の御礼によって剄が大幅に増した状態なら、足音どころか都市中の会話でさえ拾い上げられる。それに、レイフォンがフェリの言葉を聞き間違えるなんてことはまずない。
探す、聞き取る、聞き分ける、フェリの声音を。けれど聞こえない。フェリの声はレイフォンに届かない。それがレイフォンに苛立ちを募らせた。
けれどその際、ふと聞こえた会話があった。男の会話だ。人数はおそらく二人。その二人は、レイフォンにとって聞き逃せないことを話していた。
「やれやれ、ようやく仕事が終わったな……あの子供が逃げ出したりするから予定が狂いまくりだ」
「だが、約束どおりの報酬は受け取れたんだ。いいじゃないか。それに、特別ボーナスもな」
「だな。まさかあんな念威繰者が学園都市(こんなとこ)にいるとは思わなかったぜ」
「ああ、それにかなりの上玉だったな。ちっとばかし、幼すぎる体付きをしていたが」
「馬鹿、それがいいんだろ」
「お前ロリコンかよ」
そんな会話だった。
幼い体付きの優秀な念威繰者。それを聞いて、レイフォンは一瞬でフェリだと理解した。
他に情報もなく、この条件に該当するのはフェリ以外考えられない。違っていたら、その時はその時だ。
レイフォンは跳ぶ。音もなく、水面に波紋が走るような僅かな余韻だけを残して、レイフォンは音もなく一瞬で移動した。
内力系活剄の変化、水鏡渡り
「な、なんだお前っ!?」
いきなり目の前に現れたレイフォンに、男達は慌てふためく。
気配を感じなかった。そして、今の話を聞かれなかったかと男達は内心で焦っていた。
「すみません……少々お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
レイフォンはそんな男達にかまわず話しかけた。まずは確認だ。この男達で本当に間違いないのか、最終確認を取る。
「女性を二人、見ませんでしたか? 一人はここの学生で、制服を着ています。長い銀髪が特徴的で、とても綺麗な人です。そしてもう一人が、7~8歳くらいの少女。この子も髪が長くて、腰くらいまで伸びています」
男達の表情が変化した。明らかに知っているような表情だ。二人は声を潜め、レイフォンには聞こえないように会話を交わしていた。
「武芸者か……めんどうだ。やるぞ」
「………」
片方の男の言葉に、もう片方が頷く。
「残念だが……」
その言葉が合図だった。二人は同時に錬金鋼を復元し、レイフォンに襲い掛かった。
「そんなん知らねぇよ!!」
それがどれほど愚かなことかも知らずに。
「……やはりあなた達でしたか」
レイフォンも錬金鋼を抜く。
「レストレーション」
レイフォンの錬金鋼が復元され、まさに一瞬。その一瞬で、男達はレイフォンによって斬られた。
「は……?」
男の一人が錬金鋼を破壊され、胸元を切り裂かれて地面に倒れる。
もう一人の男の武器も完全に破壊され、気がつけば右腕が付け根からなかった。
「はあああああっ!? 腕が、俺の腕があああああっ!!」
あの一瞬で、レイフォンは一体何度錬金鋼を振るったのだろうか?
男にはわからない。そしてわかる必要もない。男はただ、レイフォンの問いかけに答えればいい。ただ、それだけだ。
「もう一度聞きます。心当たりは?」
「なっ、なっ、なっ、なんで……お前みたいのがこんな学園都市なんかに……がふっ!?」
男の問いかけにレイフォンは錬金鋼を放り投げ、男の頭部をつかんでそのまま地面に叩きつけた。
何度も、何度も叩きつける。歯が折れ、鼻が折れ、頬が削れる。顔面血だらけとなり、視界が血で真っ赤に染まった男はようやく顔を上げることを許された。
「質問しているのはこっちです。質問に答えないのなら、殺しますよ」
「は、はふっ……」
「最後です。心当たりはありますか?」
「ありゅ、ありまふっ! なんでも答えまひゅ!! だから命ばかりは……」
「最初からそうすればいいんですよ。それで、フェリとあの子はどこなんですか?」
「い、今は使われていない、放浪バスの停留所……」
「あそこですか……フェリは無事なんですよね? 傷一つついていたら、あなた達に生まれてきたのを後悔するほどの苦痛を与えて殺しますよ」
「な、ないっ! 傷一つありません! 大事な商品ですから、おそらく傷はつけないかと……」
「商品?」
「お、俺達はただ子供を攫って来いってあいつらに頼まれただけです!! ツェルニ(ここ)で引き渡して……後のことは知らない。知りません!!」
「あいつら? 他に仲間がいるんですね。フェリはそいつらのところにいるわけですか。それで、あの少女は何者なんです?」
「あれは藍曲(あいぎょく)都市コーヴァスの有名な武芸一族の娘です! あの二人は力のある子供を攫って他所の都市に売っています。どんな都市だって有能な武芸者は欲しがりますから。中には、違法行為を犯してでも……って、連中もいるんですよ」
一通り、男の説明が終わった。ツェルニは、あの少女は他所の都市から攫われてきた武芸者の子供。隙を見て逃げ出したところを、レイフォンとフェリが保護したということだ。
声がでないのはおそらく、誘拐された時のショックが原因なのだろう。
「なるほど、それであの子は……あれ、商品? あなた、さっきフェリのことを商品と言いませんでしたか?」
「はひ?」
「もしかして、フェリも同じように攫って売り飛ばすつもりだったんですか? 何それ、殺しますよ」
「っちょ、待っ……!」
レイフォンから殺意が溢れ出してくる。それに晒された男は、心臓を鷲づかみにされたような圧迫感を感じていた。隣で気絶している男を見て、その男が本気で羨ましいと思う。
この誘拐犯達はやってしまった。このツェルニでは、絶対にやってはいけないことをやってしまった。
†††
「ん、なんだあれ?」
誘拐犯達の残り、二人の男はツェルニから脱出しようとしていた。古くなった放浪バスを乗り捨て、オリバーの放浪バスに荷物を載せ、商品であるフェリと少女も乗せる。
それで準備は完了。あとはここから出るだけだったのだが、その進路上に一人の少年がいた。
「ガキが一人……」
「どうする?」
「そのまま轢け」
「了解」
男達は下衆たる笑みを浮かべ、そのまま放浪バスを発進させた。進路上にいる少年をそのまま轢き殺そうとする。
対する少年は、笑っていた。口元が歪む。その手にはウサギのぬいぐるみを持っており、迫る放浪バスにも動じずに突っ立っていた。
男達はそのまま突き進もうとする。だが、それは間違いだ。失態だ。この世でもっとも愚かな選択だ。
何故ならここから先は一方通行。進入禁止なのだから。
あとがき
今更ですが、あけましておめでとうございます。
そして本編ですが、はい、中途半端なところで続きます。とはいえ、あと少しでこの話は終了しますが、いいかげん長くなって、切りがいいのでこの辺りで。あとはこの誘拐犯がレイフォンの手によって徹底的に……ってな感じです。
原作ではニーナが保護したツェルニ似の少女。でも、だからってニーナが保護するとなるとわざわざSSでやる意味ないんですよね。
それはそうと、前回は文化祭編だったのに何故このような話を書いているのかってことですが、それには訳があります。
それは去年の12月に発売された最新刊のレギオスと、漫画版の深遊先生のレギオス三巻。
その内容が文化祭ものであり、こんなネタを入れたい、こんな複線を入れたいとか思って作者が暴走。急遽、手直しをすることになりました。文化祭編執筆当時は、そのどちらも発売されていなかったので……
楽しみにしていただいた方もいるでしょうが、すいません、暫し作者の暴走に付き合ってください。もっともっと面白く出来るようにがんばりますので。この話は一旦消そうかなと思いましたが、一応、本当に一応ですが残しておきます。
念威少女ネタとか、シンの話とか、フェレットの話とか……やりたいことがたくさんあって、文化祭編が書けるのどれくらい先になるのかな?
新年早々すいません。とはいえ、もう年が明けて十日ほど。年末年始はバイトが忙しかったので今更の更新です。
去年は思ったように更新できなかったので、今年はもっと更新できればなと思っています。