「フォンフォン、大丈夫ですか?」
「いたた……なんでリーリンはあんなに怒ったんだろう?」
レイフォンは首を捻る。彼の頬には真っ赤な手形が痛々しく張り付いていた。幼馴染のリーリンによって強烈なビンタが叩き込まれた結果だった。
フェリはレイフォンの身を案じるが、側にいたシャーニッドは違う。
「本気で言ってるんだったらすげーわ、お前」
彼は呆れ果てていた。もはや鈍感という域ではなく、まったく空気を読まないレイフォンについて。
「で、幼馴染のリーリンちゃんは今、カリアンの旦那のとこに行ってるわけか?」
「ああ、はい。正規の手続きでツェルニに来たんなら問題なかったんですけど、方法が方法でしたし……」
「ゴルネオの兄ちゃんにジャンプして運んでもらった、か。確かにとんでもない方法だわな。まぁ、こっちにやってきた方法と言うよりも、わざわざ天剣授受者の兄ちゃんがグレンダンからツェルニに来たってのが問題なんだろうな」
リーリンは現在、生徒会によって呼び出しを受けていた。
放浪バスによって正規にツェルニを訪れたならば何も問題はなかったのだが、都市戦の最中に正規とは程遠い方法でツェルニに来たのだから仕方がない。
もっともリーリン自身が何か犯罪を犯したわけではないので、事情を聞くだけの呼び出しだが、問題はサヴァリス、グレンダン最強の一角である天剣授受者がこの地を訪れたことについてだ。
「やっぱ、目的は廃貴族なのか?」
「でしょうね。マイアスでもそんなことを言ってましたし」
「そこまでしてグレンダンは廃貴族が欲しいのかね?」
グレンダンは天剣授受者を派遣してまで廃貴族を捕縛しようとしている。シャーニッドの言うとおりそこまでする必要があるのかと思うレイフォンだったが、実際に廃貴族の力を体験したために理解することもできる。
漲る圧倒的な力。確かに強者を求めるグレンダンならば喉から手が出るほど欲しいのかもしれない。
だが、レイフォンは知らない。グレンダンの女王、アルシェイラは彼が思っているよりも遥かにいい加減で、廃貴族には微塵も興味を持っていないということを。
サヴァリスを派遣したのも、廃貴族のためというよりもリーリンの護衛のためだった。
「確かに廃貴族の恩恵は魅力的ですが、この間のようなことが起こる可能性を考えると、渡せるものなら渡したいんですけどね。でも、そういうわけにもいきませんし……」
「だな。お前さんをグレンダンに連れて行かせるわけにはいかないしな。そもそも……グレンダンに戻れるのか?」
「さあ?その辺の事情はまったく知りませんけど……ただ、僕はグレンダンに戻るつもりなんてないんですけどね」
故に、グレンダンがどうしても廃貴族を欲しがっているという仮定で話が進んでいく。
そうすると浮上する疑問はレイフォンの立場。問題を起こして、グレンダンを放逐された彼が戻れるのかという話だ。
もっとも、戻れる戻れない以前に、レイフォンはいまさらグレンダンに戻るつもりなどない。
ツェルニでフェリと共に学園生活を満喫した後、フェリの故郷であるサントブルグに行くつもりだ。グレンダンには後悔も未練もなく、卒業後はサントブルグに永住する予定だった。
「惚気んな。そもそも結婚なんて早すぎんだろーが。俺達はまだ学生だぜ。なにもそんなに急いで人生の墓場に足を突っ込むことはねぇだろ」
「そういうわけにもいかないんですよ。僕なりのけじめというか、責任も感じてますから。フェリのお腹の中の子のためにも、頼れる父親でありたいと思ってます」
「へぇ、そうかい。がんばり……はぁ!?」
レイフォンの惚気話に適当な相槌を打つシャーニッドだったが、彼の聞き捨てならない言葉に思わず自分の耳を疑ってしまった。
「ちょ、おまっ……今、なんて言った?」
「へ?ああ、そういうわけにもいかないってとこですか?」
「そこじゃねぇよ!」
「えっと……僕なりのけじめというか、責任も感じてますから?」
「そこでもねぇ!その後だ後!!」
「ああ、フェリのお腹の子のためにも、頼りになる父親でありたいってところですね」
「そうだ、そこだよ!なに、お前父親になるの?フェリちゃんを妊娠させたのか!?」
「え、言ってませんでしたっけ?」
「言ってねぇよ!!」
「そうでしたっけ?えっと、つまりそう言う事です。子供ができました」
子供ができたというとんでもないカミングアウトに、シャーニッドは深い、深いため息をついた。
「お前アレだな……そんな顔してやることはしっかりやってるんだな。つーか、鬼畜だろ?」
「シャーニッド先輩には関係ないと思いますが。それに同意の上です」
呆れ果てるシャーニッドに向け、フェリが眉を顰めて言う。その瞳は余計なお世話だと語っているようだった。
肩をすくめたシャーニッドは、もう一度深いため息をつく。
「羨ましいねぇ、本当に。妬いちまいそうなくらいにラブラブだ」
「あはは……」
レイフォンは苦笑を浮かべている。だが、子供ができたことに関しては一切悔いる様子を見せなかった。むしろ嬉しそうな顔をしている。
なんだかんだで愛する人との間にできた子供だ。本当に嬉しいのだろう。
シャーニッドもレイフォンに釣られて苦笑を浮かべ、ぐるりと周囲を見渡した。そこにはマイアス戦での勝利を祝い、騒ぐ学生達の姿があった。
鉱山が残りひとつという危機的状況を脱し、今は都市中が武芸大会での勝利に酔いしれていた。
第十七小隊の隊長であるニーナは上級生に捕まり、無理やりに酒を飲まされようとしている。生真面目な彼女は酒精解禁の学年ではないからと断りを入れているが、その程度では上級生も引き下がらず、また場の雰囲気がニーナの逃げを許さない。
困り果てているニーナの様子をにやけた表情で見つめていたシャーニッドは、自分の手元にある麦酒の入ったコップに口を付ける。
本来ならダルシェナと言葉を交わしながら酒を飲みたかったが、当のダルシェナがここにはいない。彼女はディンの病室に行き、そこでツェルニの勝利をささやかに祝っていた。
それを邪魔するほどシャーニッドも野暮ではなく、また付け入る隙がないことを理解している。
「ふぅ……」
思わずため息がこぼれる。レイフォンとフェリが本当に羨ましい。
互いに愛する者同士が結ばれ、子を成したのだ。さすがに学生という身分で子供は早すぎる気がするが、本人が喜んでいるなら別にいいだろう。最高の幸せの形と言える。
シャーニッドはもてるが、そういった純情とは無関係のため、それが心の底から羨ましかった。
「シャーニッド様ぁ!」
「ネルア!?」
だが、これはないと思う。確かに純情な恋愛には憧れを抱くが、あまりにも純情すぎるのはどうかと思う。
シャーニッドの名を呼び、彼に抱きついてきたのは第十一小隊隊員、ネルア・オーランド。
大人しめの外見に童顔の美少女だが、彼女はシャーニッド一筋で、毎回のように熱烈なアピールをしてくる。そのアピールをシャーニッドは苦手としており、めんどくさいとすら思っていた。
「お疲れ様です。シャーニッド様の雄姿を間近で見たかったのですが、ネルアは後方の防衛でしたので見ることができませんでした。ですが第十七小隊の活躍は聞き及んでますわ」
「確かに第十七小隊、というかレイフォンは大活躍だったけどよ、俺はまったく活躍してねぇよ。ってか、離れろ。マジで離れてくれ、ネルア」
「ああん、つれないですわ、シャーニッド様。ネルアはこんなにもシャーニッド様のことを想ってますのに」
「助けてくれ、レイフォン!」
そのために、シャーニッドは最強の後輩であるレイフォンに助けを求める。
「邪魔をしちゃ悪いですね。フォンフォン、あっちに行きましょうか」
「はい、フェリ」
「オォイ!」
だが見捨てられ、レイフォンはフェリに連れられてシャーニッドの前から去っていく。
取り残されたシャーニッド。ネルアは笑う。獲物を狩る、獣のような笑顔だった。
「空気の読める、良い後輩ですわ」
「ちょ、待て……落ち着け、ネルア」
「うふ、うふふふふ」
シャーニッドの表情が引き攣る。逃げ出したかったが、ネルアに押さえつけられているためにできない。
女性とは、狙撃手とは思えないほどの力強さ。更にはネルアの不気味な微笑み。目を惹く美少女のネルアだが、シャーニッドからすればその姿に恐怖するばかりだ。
周囲から視線が集まるのも気にせずに、ネルアはシャーニッドに襲い掛かった。
「まぁ、別にあなた自身を危険人物だと思っているわけではないので、何も問題はありません。もっとも、お連れの方には後日、またお話を聞くことになるでしょうが」
「あ、あはは……」
生徒会棟にある一室。生徒会の役人数人を前にし、リーリンは苦い笑みを浮かべる。連れ、クラリーベルとサヴァリスが起こした騒動は既に聞き及んでいた。
彼らはレイフォンに撃退され、今は怪我の治療のために病院に送られているらしい。ツェルニに到着して早々何をやっているのだろうと、リーリンは思わず頭を抱えた。
「初めまして。生徒会長のカリアン・ロスです」
「あ……はじめまし……………て?」
今まで後ろで話を聞いていた、眼鏡をかけた銀髪の青年、生徒会長のカリアンが自己紹介をした。
返答の挨拶をしようとして、リーリンは首をかしげる。
「……もしかして、グレンダンの出身だったりしませんか?」
カリアンのことをここ(ツェルニ)以外で、グレンダンで見たことがある気がした。
「いいえ、違いますよ」
「そうですか。ええと……どこかで、お会いしませんでした?」
普通に考えたらありえない。この隔絶された世界で、見知らぬ都市で、出身都市が違うのに顔見知りに出会うことなど。
だが、リーリンはカリアンのことをどこかで見た気がした。
「さあ、どうでしょう?このツェルニに来る途中でグレンダンにも立ち寄りましたし、その時に会っているかもしれません」
カリアンはリーリンの言葉に不快な思いを感じることもなく、好意的にうなずいた。
そしてここからが本題だと言うように、あることをリーリンに尋ねる。
「ところでリーリンさんは、どうしてこの都市に?旅行目的ですか?」
質問に対し、リーリンは素直に答えた。養父からあるものを預かっており、それをレイフォンに届けに来たのだ。
「ほほう。レイフォン君に届け物を?それはご苦労様です」
「あの、レイフォンを知ってるんですか?」
レイフォンの手紙には再び武芸を始めることになったことや、彼女ができた云々のことは書いてあった。だが、生徒会長と知り合いだなんてことは書かれていなかったはずだ。
生徒会長……学園都市の政治形態のことは理解していないが、学生のみで都市が運営されているのなら、カリアンはツェルニで一番偉い人となる。
そんな人物とレイフォンが、なぜ知り合いなのだろうか?
「ええ、彼は私の義弟になりますからね」
その疑問が解決すると同時に、リーリンの額には青筋が浮かんだ。
カリアン・ロス。よくよく考えてみれば、あのフェリ・ロスと同じ姓だった。おそらく、いや、間違いなく兄妹なのだろう。
白銀の髪と銀色の瞳が共通点だ。どこかで見たことがある顔だと思ったが、もしかしたらフェリの面影を感じていたのかもしれない。
別にカリアンが悪いとは思っていない。いや、誰も悪くはないのだろう。だが、リーリンからすれば納得できずに苛立ちが募り、あまり好意的ではない視線をカリアンに向けてしまった。
「と、ときにリーリンさん。ここに来られて目的を果たされた後はどうなさいます?」
「え?」
何かを感じ取ったカリアンは表情を引き攣らせつつ、それでも事務的に、責務を全うしようとリーリンに尋ねた。
問われたリーリンは、間の抜けたような声を漏らす。
「将来的にはグレンダンに戻られるつもりでしょう。しかし、そろそろ戦争が本格化してきそうですしね。例年、そうなると放浪バスの運行がかなりまばらになりますから、ここには長期滞在ということになるでしょう」
「あ……」
ツェルニに来て、レイフォンに届け物を届けた後のことなどまったく考えていなかった。当然、放浪バスと都市同士の戦争の関係性についても考えたことがなかった。
グレンダンを訪れる放浪バスはただでさえ数が少ないのだ。リーリンの考えがそこまで及ばなかったのも仕方がないだろう。
「まぁ、あなたはレイフォン君の知り合いですし、悪いようにはしません。宿泊先はこちらで用意させてもらいますし、お望みでしたら働き口を探してもいいですよ」
カリアンからの提案。それはとてもありがたいことだった。
知り合い、レイフォンがいるとはいえリーリンはここでは余所者だ。寝泊りする場所を確保するのにも苦労するし、孤児だから金銭的余裕もそんなにはない。
ゆえに頭を下げ、リーリンはその申し出を受けようとした。だが唐突に、ふと話を聞いていた生徒会役員の1人があることを発言する。
「あの、生徒会長。せっかく学園都市に来てもらったんですから、どうせなら短期留学生という形で受け入れるのはどうですか?」
「サミラヤ君……ふむ、確かにそれもそうだね」
発言したのはサミラヤと呼ばれる少女だった。小柄で、真っ直ぐな瞳をした可愛らしい少女だ。
だが、カリアンは彼女の発言に頷きこそしたものの、あまり乗り気ではない様子だった。実質、乗り気ではないのだろう。
だけどサミラヤが言った以上、カリアンには説明する義務が生まれてしまう。
「これは、リーリンさんが良ければの話ですが……」
幼馴染。その事実にカリアンはフェリのことを案じていた。だけど、それはすぐに無用なものだという確信に変わる。
確かにリーリンはフェリからすれば強敵かもしれない。だが、勝ち負け以前に既に決着はついている。レイフォンの性格は今までのやり取りで把握しており、万が一にもフェリを裏切ることはないと断言できた。
兄である自分が嫉妬しそうなほどにラブラブで、結婚まで決まったレイフォンとフェリ。いくら幼馴染とはいえ付け入る隙はないだろうと判断し、カリアンはリーリンに短期留学についての説明をした。
シャーニッドの前から退散したレイフォンとフェリは、真っ直ぐ自宅に帰宅していた。
未だに勝利の余韻が収まらず、歓喜に沸くツェルニ。だが、フェリはああいった騒々しい雰囲気が苦手であり、レイフォンはフェリと共に居れるのならどこでも良かった。
だから今は自宅、フェリがカリアンと共に暮らしているマンションでのんびりとしていた。
ハイアにより荒らされた室内だが、既にカリアンが業者を呼んで後片付けをしていた。壊れてしまった家具の代えはまだ届いていないが、ソファーにベットがあれば休むにはなんの問題もない。
またフェリとの結婚により、レイフォンもこの部屋に住むことになっていた。必要なものは既に運び込んでいるが、今日は都市戦後なので片付けるのは明日にする予定だ。
今はこの一時を、フェリとの2人っきりの時間を優先していたかった。
「フォンフォン……」
「ん……んむ…ン……」
強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどに細いフェリの体をソファーに押し付け、レイフォンはフェリの唇を貪る。
掌はフェリの胸に押し付けられており、服の上から小さな果実を揉みしだく。小さくとも確かに感じる弾力。胸を揉まれたフェリは切なそうな声を上げている。
「ふぁ、ひぐっ……あん……」
レイフォンの舌がフェリの唇を割り、口内に侵入した。互いの舌が絡み合い、交じり合った唾液がくちゅくちゅと音を立てる。
とろけてしまいそうなほどに柔らかい唇。それを名残惜しそうに離したレイフォンは、フェリの制服のボタンを外していく。武芸科の制服は女子もネクタイを着用しており、次はそのネクタイを丁寧に解いた。
はだけたシャツの間から覗くフェリの下着。今度はそれを外そうとしたところで、レイフォンの手が止まった。
「……フォンフォン?」
手を止めたレイフォンに疑問を感じ、フェリが問いかける。彼女の顔は赤かった。気持ちが高ぶってきたというのに、これからというところでお預けをくらえばそれも当然だろう。
「すいません、フェリ……」
不機嫌そうな表情で見つめられ、レイフォンは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、放っておけない事態がツェルニで起ころうとしている。そんなものは無視してフェリと有意義な時間をすごしたかったが、状況がそれを許してはくれない。
感じるのは明らかな苛立ち。そしてそれは明確な殺意へと変わる。
フェリの頬に軽いキスをして、レイフォンはにこやかな笑みを浮かべて言った。
「用事ができたので、少しだけ出てきます。すぐに帰ってきますから、それが終わったら続きをやりましょう」
その言葉に、フェリは更に不機嫌そうな顔を浮かべていた。
「未来を映すべし」
獣を模した仮面の男がつぶやいた。
エアフィルター発生器のひとつ、その頂上。そこには何人もの仮面の男が立っており、彼ら特有の装束を着ていた。
だが、つぶやいた1人の仮面の男だけは違う。装束の上にマントを羽織り、その手には錬金鋼が握られていた。戦闘に適してるとは言えない、装飾過多の錫杖。
その錫杖の頭には巨大な十字があり、それを囲むように環は大きく捻じ曲がった円を広げている。環に取り付けられた無数の小環はぶつかり合う度に凛とした音を響かせ、それと同時に火花を散らす。
それは七色に輝く火花だった。
「目よ、闇の子眠り子を守る茨の目よ。十字を刻む墓標の目よ。出でて未来を映すべし」
シャン、と小環がぶつかり合う音が舞う。
言葉と小環の音が共に響き渡り、夜を揺らしていった。
「目よ、絶界の無限を覗く目よ、出でて未来を映すべし」
上空には七色に輝くオーロラがあった。その光景は美しい。だが、素直にその景色を楽しめる状況ではなかった。
夜、ツェルニを飾る人工の光は全て絶えていた。それと同時に音も絶える。
それは振動の消去であり、そこに住む人々が感じることのなかった都市の運動停止を意味するものでもあった。
都市の足が止まる。汚染獣から逃れるために放浪する都市がその足を止めた。本来なら、それは都市の死を意味する。だが、この時だけはそういう意味にはならない。
なぜなら人工の光が絶えながらも、都市はその夜景を光の中に浮かべていたからだ。七色の光が夜景を飾り、幻想的に、そして奇妙な生々しさを備えた光景を作り出す。
この時、都市はそこに住む人々が知っているものとは違う場所に変貌していた。
「未来を映すべし」
その光景の中、再び仮面の男がつぶやく。
だが彼の言葉どおり、未来を映すような変化は起きる気配がなかった。
錫杖が音を止め、完全な静寂が訪れる。
「やはり、ただの影か」
仮面の男、狼面衆は静かに言う。マイアスでの出来事は、既に全ての狼面衆が知っていた。
リグザリオ機関との接続失敗。
その際に現れたのは、強大な力を持った元天剣授受者。彼はディクセリオ・マスケインと接触していた。
更にはグレンダンから訪れた、現天剣授受者と王家の者。そして、武芸者でも念威繰者でもないのに、運命の輪の中にいる少女。その少女の存在が、狼面衆達にひとつの仮説を思い浮かばせた。
「影なら、茨がいるはずもなし。それとも単なる思い過ごしか?」
武芸者でも念威繰者でもないあの少女が、眠り子を連れているという可能性。
それならば、ただの一般人があの場所にいたのも理解できる。本来なら都市を出ることはない天剣授受者が護衛に付き、更にはロンスマイア家の者もいる。信憑性はかなり高かった。
思い過ごしならばいい。それでも万が一を考え、狼面衆は確認した。正真正銘の眠り子がいるとするのなら、眠り子を護る茨がいるはずだ。だけど、どれだけ呼びかけても茨が現れる様子はなかった。
「だが、おかげで貴重な粉を失った」
そのために貴重なものを消費してしまった。都市が闊歩するこの世界に、狼面衆達が本来いるべきオーロラ・フィールドの世界を一時的に再現するには様々な制限がある。
そのひとつが粉であり、狼面衆はそれを散布していた。
「無駄にはできん」
決意し、行動を取ろうとする狼面衆。シャン、と小環が鳴った。だが、狼面衆は錫杖を動かしていない。小環が独りでに鳴り、ある異変を知らせていた。
ツェルニを覆うオーロラの光に揺らぎが走る。現れた異分子に光の波が現れたのだ。波紋のような波だった。
「来たか」
邪魔する者が動いた。何時もの者か、ロンスマイア家の者か。
「関わった程度の天剣授受者はこの中では動けまい」
天剣授受者は来ないだろうと確信する。それにどう対応するか、どう打破すべきか考える。
考えて、答えが出るよりも先に来た。
「本当にどこにでも現れるんですね。害虫みたいです」
ロンスマイア家の者だ。
彼女の持つ剣、胡蝶炎翅剣が狼面衆達を切り裂く。仮面を割られ、腕を落とされ、倒れていく狼面衆達。
抵抗らしい抵抗すら許されず、狼面衆の数は既に4分の1ほど減らされていた。
「貴様……」
「あなた達が何の目的でツェルニに来たのかは存じませんが……」
再び胡蝶炎翅剣が振るわれる。幾多もの狼面衆が薙ぎ払われ、消えていった。
彼らが言葉を発する暇すら与えられない。
「とりあえず、私のストレス発散の相手になってください」
「くっ……」
相手にすらならない。クラリーベルはレイフォンによって腕を折られ、右腕にはギブスをはめている。だが、その程度のことなどハンデにすらならない。
まるで大人と子供の喧嘩のように一方的な展開で、とても戦闘と呼べる光景ではなかった。
「どうですか?流石に天剣の方々には及びませんが、自分の強さにはそれなりの自負を持っているんです。なのに最近、思うように戦えないから不満が溜まってしまいまして」
更に狼面衆の数が減る。雑談をする余裕があり、クラリーベル本人も戦闘と言うよりも練習、または遊びのような感覚で戦っていた。
「確かにレイフォンさんには後れを取りましたけど、あの人は元天剣授受者ですし。だから負けて仕方がないと言う訳ではありませんが、技を錆び付かせていなかったのは流石と言うべきでしょう。まぁ、そっちはいいんですよ、そっちは。レイフォンさんの方はそのうちリベンジをしますので。問題はマイアスでのことです。アレではまるで、私が弱いみたいじゃないですか」
雑談を聞く余裕なんて、狼面衆達にあるはずがない。それでも一方的に、愚痴るようにクラリーベルは言葉を続けた。
「ロイさんは確かに学生としてはなかなかのものでした。ですがそれだけです。確かに筋は良かったですけど、私には遠く及びません。そもそも私はリーリンさんを護らなければいけませんでしたし、その時に負傷をしてしまいました。更には錬金鋼も持ってなかったんですよ。ああなってしまっても仕方ないじゃないですか」
心底どうでもいい。クラリーベルの言葉にそう思う狼面衆だったが、クラリーベルは止まらない。
まるで嵐のようだった。彼女の一纏めにされた髪がふわりと宙に浮き、共に斬撃が飛んでくる。
狼面衆の残りは、既に半数を切っていた。
「なにやら楽しそうなことをやってますね。僕も入れてくれませんか?」
「あ、サヴァリス様」
「なっ、馬鹿な?馬鹿なァ!?」
そして更に状況が悪化する。関わった程度の天剣授受者ならばこの中では動けないだろうと言うのが狼面衆の見立てだった。その見立ては大きく外れてしまったが。
天剣授受者、サヴァリスは松葉杖を付きながらも愉快な笑みを浮かべ、狼面衆達の前に姿を現した。
「まったく、本当にここは楽しすぎる。レイフォンは期待以上でしたし、先ほど面白そうな女性を見つけましてね。アレは野生児というんですかね?何をしているのかはわかりませんが、膨大な剄の持ち主でしたよ。まぁ、今はそんなこと、どうでもいいんですけどね」
サヴァリスは天を見上げた。そこには七色に輝く光があった。
「こんな光景は初めて見ました。これもあなた方がやったんですか?イグナシスとやらが一体何をしようとしているのか、少しだけ興味がわいてきました。まぁ、もっとも……」
サヴァリスの口が開く。視線は狼面衆達に戻され、サヴァリスの爽やかな笑みが晒された。
「僕は難しいことを考えるよりも、戦う方が性に合っているんですけどね!」
外力系衝剄の変化 ルッケンスの秘奥 咆剄殺
口から分子構造を崩壊させる振動波を放つ剄技だ。
狼面衆達はそれを正面から受け、ズタズタに引き裂かれたように吹き飛ぶ。
もはや壊滅一歩手前までに数を減らした狼面衆だったが、
「ぬ、がぁぁ……こ、腰が……」
咆剄殺を放ったサヴァリスは反動で腰を痛め、死に掛けていた。
顔には大量の脂汗を浮かべ、爽やかだった笑顔は見ている方が切なくなるくらいに引き攣っている。
その姿を見て、クラリーベルはあることを思い出した。
「ああ、サヴァリス様は腰を痛めてましたね。あの、大人しくしていた方がいいですよ。腰の痛みは辛いらしいですから。前におじい様が腰を痛めたときは大変でしたから。まぁ、アレはぎっくり腰なんですけど」
経験したことはないが、腰の痛みは凄いらしい。自分の祖父で天剣でもあるティグリスが白目をむいたほどだ。
サヴァリスの場合は背骨に皹が入っており、歩くのすら困難な状況だった。そのために松葉杖を利用し、咆剄殺で狼面衆を吹き飛ばしたのだろう。だが、その余波にも耐えることができず、だらだらと脂汗を掻いていた。
「こ、このくらい……なんともありませんよ」
「説得力のない顔ですね。そもそもこの程度の雑魚など私1人で十分なのですから、わざわざサヴァリス様が出てくる必要はなかったんですけどね」
「本当にそうですね。こうなっているなら、僕が来る必要はなかった」
ため息を吐くクラリーベル。それと重なるように憂鬱そうな声が聞こえた。
「レイフォン……さん!?」
声の主はレイフォンだった。その姿を見て、クラリーベルの瞳が見開かれる。
「は、ははっ、なんだい?なんだいそれは!?凄いねぇ、レイフォン!かっこいいねぇ!もう惚れちゃいそうだよ!!」
サヴァリスは笑う。背中の痛みを忘れ、宙に浮くレイフォンの姿を凝視した。
彼の背中からは黒い何かが噴出しており、七色の光をかき消すほどに暗く輝いていた。
まがまがしく、圧倒的な存在感を放つもの、黒翼。その存在に、レイフォンがここまで接近していたことにまったく気づかなかったクラリーベルとサヴァリスだったが、今は嫌でも感じてしまう。
あの黒翼から放たれる押しつぶされそうなほどの威圧感。恐怖を感じないはずの狼面衆達はガタガタと体を震わせ、レイフォンを見ていた。
「やめてください、気持ち悪い。僕はフェリ一筋なんですよ。さて……あなた方狼面衆が何をしようと構わないんですが、ツェルニで暴れられるといろいろと面倒なんですよ。そんなわけで、お引取り願います」
「がっ……!?」
狼面衆達には何が起こったのか理解できなかった。黒翼から放たれた不可視の力、それによって狼面衆達の姿は掻き消される。
1人残らず霧のように霧散し、溶けるように消えていった。
「これで終わり、かな?本当に僕が出て来る必要はなかったかなね。フェリ……怒ってないかな?」
狼面衆を退けたことを気にも留めない。狼面衆など、レイフォンからすれば取るに足らない存在だった。興味なんて微塵もなく、鬱陶しい羽虫のような存在としか思っていない。
そんな存在を気にするよりも、置いてきてしまったフェリの機嫌の方が気になる。
「レイフォン、僕と戦おう!さあ、今すぐに!!さっきは不覚を取ってしまったけど、今度はそうは行かないよ」
そして、戦闘狂(サヴァリス)はレイフォンに興味を持つ。
不意打ちされたことに嫌悪感を抱くこともなく、むしろ好意的に受け止め、レイフォンとの戦いを望んでいた。
元から天剣級の実力者であり、廃貴族の御礼を受けたレイフォン。そんな彼の新たなる技。
他の天剣の技を真似た劣化したものではなく、おそらく彼オリジナルの剄技。それを前にして、サヴァリスの食指が動かないわけがなかった。
「……あなたは戦い以外に興味をもてないんですか?」
「持てないね。僕にとって戦いこそが全てだ」
レイフォンの問いかけに即答し、サヴァリスは剄技を分析した。
レイフォンの背中から噴出す漆黒の剄。アレは半物質化しているようであり、天剣授受者カルヴァーンの刃鎧の応用のようにも見える。
だが根本的な部分が、剄の質が違うように見えた。
「まぁ、別に戦ってもいいんですけど、その怪我じゃ勝負になりませんよ」
「それは確かに……僕もできるなら、万全の状態で君と戦いたいですね」
確かに戦いたいという欲求はあった。だが、それは互いに万全の状況でだ。
この怪我ではレイフォンの言うとおり勝負にならないだろう。不利な状況で格上相手に挑むというのも面白そうだが、どうせなら全力で戦いたい。
「では、この怪我が治ったら僕と戦ってもらえませんか?全力で、心躍る戦いを楽しみましょう」
「ええ、いいですよ。その代わり僕が勝ったら、廃貴族のことは綺麗サッパリ諦めてください。そのことであなたはツェルニに来たんでしょう?」
「そうですね。僕は廃貴族に興味を持ってここに来ました。だけど、今はそんなことがどうでもよくなるくらいに楽しみです。いいでしょう、その話、乗ります!」
口約が交わされる。戦いたいサヴァリスと、鬱陶しい存在を排除したいレイフォン。
戦闘狂のサヴァリスだが、彼は律儀にも約束は守る性格だ。他人を利用し、喰えない性格をしているが、こう約束してしまえばうかつに手を出すことはないだろう。
もし破るようなことがあれば、その時はサヴァリスを排除するだけだ。
「ずるいです、サヴァリス様だけずるいです。レイフォンさん、私も、私もいいですか!?」
「……勝手にしてください」
横合いから瞳を輝かせて問いかけてくるクラリーベル。
レイフォンの返答に、彼女はぐっとガッツポーズを取る。
「さて、今日はもういいですね?僕はもう帰りますよ」
レイフォンはため息をつき、空を見上げた。七色の光は既に消え去り、都市の異変は収まりつつある。
一体何があったのかは理解できないが、これならフェリに危害が及ぶ可能性はないだろう。むしろ待たせすぎて、フェリの機嫌を損ねる方が問題だった。
レイフォンは黒翼をはためかせ、サヴァリスとクラリーベルの前から姿を消す。
「さて、それでは……」
「私達も病院に戻りますか」
サヴァリスとクラリーベルも頷き合い、その場から去っていった。
闇夜に染まるツェルニ。人工の明かりが再び灯り、勝利の余韻に溢れる騒々しさが戻ってきた。
あとがき
はい、そんなわけでフォンフォン一直線の更新です。
ゴールデンウィークは忙しく、話が思うように進みませんでした。大型連休の飲食店の忙しさは尋常じゃありません。おかげでオリジナルもあまり進まない……
まぁ、なんにしても今回の更新について。
わいわいがやがや騒ぐ日常を書きたかったんですけど、マイアス戦後ってそういえば狼面衆が来るんですよね。
そんなわけで急遽、無理やりに挿入したイベントです。もっとも彼らは雑魚ですから瞬殺されましたが。
クララにサヴァリス、そしてレイフォンってなんて無理ゲー?
まぁ、サヴァリスに関してはレイフォンの不意打ちで現在腰を痛めて満足に戦えませんけど。
ディックに関しては出番カットです。過剰戦力ですし、出て行く必要性を感じなかったので。
しかしレギオスは話がややこしいです。聖戦は2巻まで、レジェンドも2巻の途中、アイレインとディックが会うとこまで読んだんですが、未だに設定がつかめない。
時間があるときに小説は読み進めていきたいですが、設定などに矛盾が出てないか心配です。
まぁ、レイフォンに廃貴族が憑いてるあたり、ある程度の矛盾点は仕方がないのでしょうが……
なんにせよ更新、オリジナルの執筆がんばります。
それはそうと、前回ヤンデレな神様の話を書いてると言いましたが、それがどうしてまったく別物の作品になってるんだろう……と、不安になる武芸者でした(汗