あれからいろいろあった。
レイフォンがフェリにプロポーズし、婚約者となってから既に一週間以上の時が流れている。
潜入部隊の選考試験を兼ねた小隊同士の紅白戦が行われ、いよいよ近づいて来た武芸大会の準備や訓練に追われる日々だが、現在のレイフォンにはそんな些細なことを気にする余裕はない。
ニーナ辺りが聞けば激怒しそうだが、武芸大会なんてものはレイフォン1人いればどうとでもなる。単騎で敵地に乗り込み、制圧することなど簡単だ。学生武芸者がどう抗おうと、レイフォンを止める事は出来ない。
故にそんなことよりも、レイフォンはこれから先のことについて考えていた。
「全体的に見て、やはり基礎が足りませんね。傭兵団にある程度は鍛えられていたようですが、そもそも短期間で付くものではないので……」
そう言いながら、この言葉を何人聞いているのだろうと思いながらレイフォンは体育館を見渡した。
死屍累々。実際に死んではいないが、50を越える学生武芸者達が地に倒れ伏している。
これを行ったのは、言うまでもなくレイフォンである。
「えっと……それじゃあ、時間は少し早いですけど……今日はこれまでにします」
言うなれば講師だ。学園都市というのは住人の殆どが学生であるため、講師や教師役も学生が行う。
本来なら講師や教師役を上級生が行い、下級生を教えるのだが、レイフォンの場合は逆だ。
レイフォンは1年生の下級生で、上級生をも教えている。
もっとも教えているとは言っても、今回やったのは乱取りだけだ。その乱取りで、大半の者達がレイフォンの手により全滅している。
「次からは基礎訓練を取り入れた方がいいかな?基礎が充実していれば全ての能力が上がるし……それを踏まえてメニューを組んでみようかな?」
今回は最初の授業であり、様子見。レイフォンは次回の授業について考えながら体育館を後にする。
この教師の真似事は、前回の汚染獣戦でレイフォンの実力が武芸科全体に露見してしまったことから始まった。
汚染獣を圧倒する、レイフォンの並外れた実力。それを目の当たりにした学生武芸者はレイフォンの強さに見入られ、訓練をつけて欲しいという者が出てきたのだ。
それも下級生だけではなく上級生も。上級生の数はそれこそ少数だが、それでもプライドの高い武芸者が頭を下げ、レイフォンに訓練をつけて欲しいと頼み込んできたのだ。
それほどまでにレイフォンの実力はずば抜けており、後のないツェルニのために何かしたいと思う学生が多いと言うことだ。
だが、レイフォンは当初、この申し出を断ろうと思っていた。
小隊の隊長であるニーナの仲介により訓練を頼んでくる者もいたが、そんなことレイフォンには関係がない。
フェリと婚約者と言う立場になったために現在のレイフォンは多少、いや、かなりの色惚けをしていた。
廃貴族の所為でフェリとはずいぶん離れていたため、その間の日々を取り戻すようにレイフォンはフェリを求めていた。
フェリもそんなレイフォンを拒まず、むしろフェリ自身もレイフォンのことを求めているために歯止めが利かない。
だからこそ、レイフォンはフェリとの甘く、濃密な日々を削るようなことはしたくなかった。いくらニーナの仲介でも、教導をやるつもりはまったくなかった。
だけど婚約し、結婚するとなれば何かと物入りでもある。フェリの実家が裕福で、カリアンが何か困ったことがあったら支援すると言っていたが、紐と言う立場は男としてどうかと思う。
幸い武芸の腕には自身があるし、学費などはカリアンが施したAランクの奨学金で免除となっている。もともと無趣味で、機関掃除の就労で得た給金も生活費を除いてほぼ全てが貯金されており、レイフォンは経済的に余裕があった。
だが、それだけでは足りない。やはり婚約となるからには指輪は買いたいし、結婚式だって挙げたい。カリアンは既に結婚式のパンフレットを用意し、どれがいいなんてレイフォンに訊ねて来た。
結婚式に掛かる費用の支援はともかく、最低でも指輪と生活費に関しては自分で稼ぎたい。
小隊に入っていることで貰える報奨金と、機関掃除の就労で得る給金。だが、正直言ってそれだけでは心許無い。
子供だって生まれるのだ。お金は幾らあっても困ることはないだろう。
そんな時に来たのが講師の話であり、引き受ければそれなりに報酬も出すとカリアンが言ったためにレイフォンは即答で引き受けた。
給金をもらうからにはレイフォンも真剣で、人に教えるのは苦手だが、それでも一生懸命頑張ろうと決意した。
初日の今日は少しだけやりすぎてしまったが、この反省を次に活かせれば幸いだろう。
「フォンフォン、終わりましたか?」
「はい、終わりましたよ」
次回の教導について考えるレイフォンだったが、かけられた声にその思考は飛散する。
その声の主は今更言うまでもない。レイフォンのことを『フォンフォン』と呼ぶ人物は1人しかいない。
「待たせてすいません」
「まったくです。待ち過ぎてくたびれました」
教導は3日に1回、放課後に行う予定である。
レイフォンとフェリは一緒に帰るのが日課となっているため、ずいぶんフェリを待たせてしまった。
「本当にすいません。帰りにケーキを奢りますから」
「私は子供じゃないんですよ。そんなもので釣られると思いますか?」
「えっと……それじゃあ、どうしましょうか?」
「それを言わせますか?」
困り果てるレイフォンの様子を見て、フェリは含み笑いを浮かべる。
意地の悪そうで、だけどとても優しそうな、矛盾した笑みだ。
「人目は……ないですよね?」
「私は念威繰者ですよ。辺りを探ることでしたらフォンフォンより上です」
察したレイフォンはキョロキョロと辺りを見渡し、フェリに確認を取る。
その答えを聞き、レイフォンはフェリを抱き寄せた。顎を軽く手で持ち上げ、上を向かせる。
既に何度もした行為であり、両者共に動揺はない。最初は互いの気持ちを確かめ合うような行為だったが、もうそんな必要などまったく無かった。
ただ相手を、愛おしい人を感じたい。そのための行為。
唇を重ね、舌を交じり合わせる。唾液が熱く、その熱に中てられたように頭がボーっとする。
「……………」
「………」
熱くなった頭を冷ますように、暫し無言となるレイフォンとフェリ。
その空気を払拭するために先に口を開いたのは、フェリの方だった。
「では、ケーキを食べに行きましょうか」
「え、結局行くんですか?」
「ええ、私は子供ではありませんが、甘いものは大好きです」
「はは……」
レイフォンは苦笑を浮かべ、フェリの要望どおりに喫茶店へ向かうのだった。
「……………」
その日、ハイアは1日中考え事をしていた。
ミュンファが話しかけても何も答えず、黙々と考え事をしていた。
そんな様子に、ミュンファはそれ以上言葉をかけることができなかった。
普段なら気軽に声をかける他の傭兵達も、ハイアのこの様子には遠慮を感じていた。
傭兵団は職場でもあり、家族でもあった。
独自の放浪バスを使って長い旅をし、どこかの都市に雇われて戦い、そしてまた護ってくれるものの存在しない汚染物質の漂う荒野を進む。
傭兵団はひとつの運命共同体であり、それだけに仲間達の間には家族に似た濃いつながりが生まれてくる。それも当然だ。衣食住共に過ごし、命を懸けて共に戦う。それ故に強固な絆が出来、血はつながって家族と言っても申し分のない関係が出来上がるのだ。
ハイアは若い。先代の団長、リュホウに拾われ、サイハーデンの刀術を学び、リュホウの死後、団長と言う立場を継いだ。
その間、傭兵団のほとんどのものがハイアの成長を見てきた。彼らはハイアに若き長であると同時に、我が子、弟のような感情を抱いていた。
そんな彼らが、ハイアのそんな様子に声をかけることもできないのだ。
ハイアはずっと、放浪バスの屋根の上で座り込んでいた。あぐらを掻き、誰も寄せ付けない。
ハイアは都市に滞在している時、時間があれば何時もこの場所にいた。
都市の用意する宿泊施設を使うことは少なく、好んで放浪バスに残っていた。
何時もはその隣に当たり前のように立っているミュンファも、今日はハイアに近づくことすら出来ずにその背中を見つめていた。
「そっとしておけ」
乾燥した機械音声の言葉を聞き、ミュンファは振り返った。背後にはフェルマウスが立っていた。
この人物は傭兵団の念威繰者にして、リュホウの相棒として戦歴を重ねた古強者であり、ハイアの後見人的立場でもある。
「フェルマウスさん、なにが……」
その人物に、ハイアが不機嫌そうな理由を尋ねてみる。
昨日は機嫌が良かったのだ。未だに続いているツェルニの1年生への教導をミュンファに押し付け、『レイフォンに喧嘩を売ってくるさ~』と笑って言い、帰ってきた時にはフェリとの甘い関係に中てられて戻ってきて、それでも笑いながら、『レイフォンは絶対尻に敷かれるさ~』なんて言っていた。
それなのに、一夜明けてみればハイアはじっと押し黙り、放浪バスの屋根の上から動こうとしない。
「朝早く、本国から手紙が来た」
フェルマウスの言う本国とはグレンダンのことだ。
サリンバン教導傭兵団は都市に金で雇われる武芸者集団だが、何よりも優先しなければならないグレンダン王家からの密命、廃貴族の探索と捕縛だ。
ハイアは廃貴族を発見したと言う手紙をグレンダンへ送り、おそらくその返事が、今朝返ってきたのだろう。
「本国は、なんて言ってきたんですか?」
「わからない」
ミュンファの問いかけに、フェルマウスは仮面で隠した顔を左右に振る。
「読んだハイアが握りつぶしてそのままだ」
手紙を握りつぶしたと言うことは、その内容がハイアに怒りを感じさせるものだったのだろう。
何を考えているのかはわからないが、ハイアが不機嫌なのは間違いなくそれが原因だ。
「少し、時間を置こう」
フェルマウスの手がミュンファの肩に置かれ、放って置くように促す。
ミュンファは後ろ髪を引かれる気分で何度も振り返りながら、ゆっくりとハイアの元を去って行く。
ハイアはずっと都市の外を見つめ続け、その場から動こうとはしなかった。
「最近さ、やっぱり気まずいよね」
「仕方ないさ……あんなことがあったんだ」
教室で、ナルキとミィフィは深刻そうな会話を交わす。
その内容は、最近気まずい雰囲気が続いているレイフォンのことに関してだ。
「ナッキも辛いでしょ?小隊の訓練で毎日レイとんやフェリ先輩と顔を合わせるしさ」
「別に2人が悪いわけじゃないんだがな……正直辛い。胃に穴が開きそうだ」
「そうだよね、こればっかりは……」
ナルキがレイフォンの過去を問い質そうとし、それをフェリによって阻止された。
その口論の際に、話の流れでメイシェンがレイフォンのことを好きだと言ったが、レイフォンには既にフェリがおり、彼女の気持ちにこたえることは出来なかった。そんな事があったのだ。
だが、それだけならばまだ良かった。失恋のショックは受けるだろうが、それだけならば少しの時間でメイシェンは立ち直ることが出来ただろう。
彼女の目の前でレイフォンとフェリは口付けを交わしたらしいが、それでも今のように落ち込むことはなかっただろう。
問題はその後、レイフォン達を襲った不幸な事故が原因だ。
都市の地盤が急に崩れた崩落事故に巻き込まれ、メイシェンはレイフォンとナルキに助けられて無事だったが、そのレイフォン自身が大怪我を負ってしまったのだ。
ナルキやミィフィがレイフォンのお見舞いに行ったこともあったが、フェリの刺すような視線に耐えられず、話したいことも話せなかった。
そしてメイシェンは、自分自身のことを責め続けていた。
もし、自分がレイフォンの過去を知りたがったりしなければ?
もし、あの場所にレイフォンを呼ばなければ?
そうすればレイフォンは怪我をしなかった。つまり、レイフォンが怪我をしてしまったのは自分の所為だ。
自分の好奇心が、レイフォンを危ない目に遭わせてしまった。
そう思い込み、傷つき、メイシェンは部屋に引き篭もる。学校は休みがちとなり、家から一歩も出ない。
それどころか食事すらまともに取らないようになり、メイシェンは日々やつれていた。
そんな親友の姿を見るのは、とても辛い。
「メイっちはあんな状態だからご飯も作ってくれないし、最近ロクなものを食べてないよ」
「ミィ!」
「冗談だって。そんなに怒んないでよ」
「言っていい冗談と悪い冗談があるだろ」
「うん……ごめん」
この辛気臭い空気を払拭するために茶化すように言うミィフィだったが、ナルキの怒りに染まった形相に反省する。
今のメイシェンは、とても家事が出来る状態ではない。ナルキはちょっとした料理なら出来るが、腕は格段にメイシェンより落ちるし、そもそもミィフィは料理なんてまったく出来ない。
最近はレトルト食品や、自分達で作った不恰好な食事が食卓へと並んでいた。
「レイとんやフェリ先輩と会話をする機会もめっきり減っちゃったし、これからどうなるんだろうね?」
「さぁな。だけど、多分……関係の修復はもう無理かもしれないな」
「かもね……」
あんなことがあったのだ。これまでどおりに会話を交わし、一緒に昼食を取るなんてことはできなくなってしまった。
隔たりができてしまい、一緒にいるだけで気まずい雰囲気が絶えない。
レイフォンやフェリのことが嫌いなわけではないし、友人と言う関係が終わってしまうわけではないが、これまでどおりに過ごすことは出来ない。それが悲しかった。
「………ごめんね。私が何も考えないであんなことを言ったから」
「いや……フェリ先輩に言われたように、あたしも興味や好奇心があったから……」
メイシェンが知りたいと望んだ。
ミィフィは特に何も考えず、聞いてみればいいと無責任なことを言った。
ナルキも好奇心を隠せず、実際にレイフォンに問い質してしまった。
今更後悔しても、壊れてしまった関係は元には戻らない。どんなに悔やもうとも、事態は解決しない。
「あ……」
「訓練が始まったな」
突如、廊下の非常ベルが鳴り響いた。ナルキの言葉どおり、これは訓練だ。
武芸大会が近づいているとはいえ、何も訓練を行うのは武芸者だけではない。一般の生徒だって訓練を行う必要がある。
それはシェルターへの避難訓練。都市戦は都市のほぼ全てが戦場となるため、一般人は速やかにシェルターへ避難する必要があるのだ。
今まで汚染獣戦で、何度か実際にシェルターに避難する機会はあった。だが対汚染獣戦と対都市戦では対応が違う。
都市のほぼ全てが戦場となるのだ。避難中に誤って自軍の罠に掛かってしまったら笑い話にもならない。
そのためにこの訓練は、とても重要なことであった。
「気を付けろよ」
「訓練なんかで怪我するわけないじゃん」
ミィフィは無理やりにでも笑ってナルキを送り出そうとする。
ナルキは教室の窓を開け、そこから外へ飛び出した。
武芸者の身体能力をフルに使い、屋根から屋根へ飛び移りながら目的の場所へと向かう。
ナルキの他に何人も屋根を跳び、目的地へと向かう武芸者がおり、その光景は壮観だった。
先ほど流れた放送によると、敵都市が外縁部のB区から接近しており、あと1時間で接触すると言う設定らしい。
視界が開けた場所で発見できれば数日単位で余裕が出来るのだが、山岳地帯などが邪魔で発見が遅れてしまう場合もある。今回の訓練はそんな場面を想定している。
武芸者達は接触点であるB区へと向かい、そこで迎え撃つための準備をする。当然ナルキもそこに向かっているわけだが、そんな彼女を追う存在がいた。
「やあ、ナッキ」
「レイとん……と、フェリ先輩ですか」
レイフォンとフェリだ。
そもそもナルキは、1年生でありながら上級生顔負けの内力系活剄を持っている。そんな彼女を追える人物は同年代では限られてあり、その1人であるレイフォンはフェリを抱えながら余裕で付いて来ていた。
レイフォンは念威繰者で、一般人とあまり身体能力の変わらないフェリを拾ってきたのだろう。俗に言うお姫様抱っこと言う抱え方でしっかりとフェリを支え、人1人抱えていると言うのにあっさりとナルキを追い抜こうとしている。
それに意地となってしまい、ナルキは速度を速めた。レイフォンはフェリを抱えているために全力は出さず、ナルキの後を追うように跳んでいた。
「……………」
「……………」
その間、会話はなかった。気まずいが、同じ第十七小隊に所属しているのだ。向かう場所が同じなため、この気まずい雰囲気は道中ずっと続く。
その雰囲気を何とかしたいと願うナルキだったが、彼女にはどうすればいいのか分からなかった。
そんな中、先に口を開いたのは意外にもフェリだった。
「ナルキ……メイシェンは大丈夫ですか?フォンフォンの話だと、最近学校にも来てないようですが?」
「え、あ、はい!?その……正直、あまり大丈夫じゃありません」
まさかフェリに声をかけられるとは思わず、ナルキは呆気に取られながらも素直に返答する。
フェリは無表情だったが、レイフォンには分かった。彼女が、メイシェンのことを気にしている。
「……その、私も大人気なかったです。あの時はつい感情的になりすぎてしまって……」
「いえ、そんな。私達の方こそ、余計な詮索を……」
「それもそうですね……ですが、一応あなたから伝えて置いてください。あの時は悪かったと」
「………はい」
フェリは平然を装っているつもりなのだろうが、レイフォンからは顔を赤くしているフェリの表情が良く見える。
思わずにやけてしまい、レイフォンの表情は緩んでいた。
「フォンフォン?」
「すいません」
フェリに不機嫌そうな視線を向けられ、レイフォンはすぐさま表情を引き締める。
本番はまだ先とはいえ、今は訓練中だ。レイフォンの実力を考えればまず負けることはないが、それでも緩んでしまった気持ちを引き締める。
メイシェンのことは確かに気になる。彼女の想いに答えることは出来ず、フェリを選んだレイフォンだが、だからと言って友人のことをどうでもいいと思えるレイフォンではない。
少なからず負い目や、気がかりを感じていた。
(大丈夫かな?)
メイシェンの心配をすると同時に、レイフォンは見えてきたB区の外縁部に視線を向ける。
今回は訓練のため、都市の姿はどこにもない。
だが武芸大会の日は、ツェルニの命運を懸けた武芸大会はすぐそこまで迫っていた。
ハイアは1人で、人気のない場所を歩いていた。傭兵団の団員達が心配そうにハイアの様子を窺っていたが、そのような視線などハイアの実力なら簡単に誤魔化すことが出来る。
ハイアは現在、誰にも言わず、誰も連れずに都市をさ迷っていた。
ハイアの頭の中には、今朝届いたあの手紙の内容が何度も繰り返される。
グレンダンの女王、アルシェイラ・アルモニスの署名がなされた手紙には、今までのハイア達サリンバン教導傭兵団の働きを褒め称え、労い、グレンダンに戻るのならば相応の報酬と地位を与えると約束した。
その後に書かれた最後の一文。それがハイアを不機嫌にさせた理由だ。
『そちらに剣を1振り送る。後のこと、その剣に任せよ』
「ふざけるな」
思い出し、ハイアは怒りの混じった声でつぶやいた。
それは、ハイアに廃貴族の捕獲が出来ないと判断されたと言うことだ。だが、その判断がハイアを侮って下されたものだとは考えづらい。
もし、ハイアが手紙を受け取る立場だとしたら、発見の報のみが書かれた手紙を送られたらそう考えるかもしれない。
何時届くか分からない手紙だ。発見と同時に捕獲をするために行動すべきであり、そのためにサリンバン教導傭兵団はグレンダン王家より自前の放浪バスを与えられている。
それなのに、手紙には廃貴族の発見のみしか書かれていない。捕獲に失敗したと取られても仕方がないし、実際にそうだ。
それからツェルニで見つけたと言う事実が、そうなる原因の一つでもあっただろう。
追い出した天剣授受者がどこにいるかなんて、当然王家は把握しているはずだ
レイフォンが阻止する側に回ったと考えられたか?
元とはいえ天剣授受者の、レイフォンの相手は荷が重いと判断されたか?
そして、傭兵団がレイフォンに負けたと判断されたか?
だからこそ、剣を1振り、天剣授受者を1人送ることを決めたのか?
「俺は、負けたつもりはないさ」
何時もの『俺っち』などと言うふざけた言い方はしない。
怒りを露にし、低くつぶやき、拳を握り締める。
確かに一度戦い、ハイアは敗北した。ミュンファが助けに来なかったら少しだけやばかっただろう。
だが、ハイアは生きている。生きているならば負けたわけではない。
それが、ハイアの考え方だ。傭兵と言う立場で、都市から都市に、戦いから戦いに転々とする生き方で培った考え。
ハイアが生きているのは、レイフォンがハイアを殺せなかったのは、彼が甘いからだ。
若くして天剣授受者という、グレンダンで最高位の地位と名誉を得ながら、その甘さが原因で地位を奪われ、汚名を被り、都市を追い出された。
そして、その甘さがレイフォンに刀を握らせない。彼の本領であるサイハーデンの刀技を使わせない。
そんな奴に負けるはずがない。
「そろそろ、遊びの時間は終わりさ」
決着をつけなくてはならない。手紙はおそらく、天剣授受者と同じ時期にグレンダンを発ったはずだ。
同じルートを辿らなかったために逸早くツェルニに届いたのだろうが、それはつまり、天剣授受者がすぐ傍に来ていると言うことでもある。
天剣授受者同士の戦いが起きるのか?
その戦闘を直に見てみたいと思いはするが、そんな考えはすぐにかき消される。
レイフォンと戦うのは、倒すのは自分だ。
廃貴族は譲ってもいい。正直、グレンダンが固執する廃貴族にハイアは何の魅力も感じていない。天剣授受者が来るなら、そちらは好きにすればいい。
だが、レイフォンは駄目だ。あれは自分の獲物だ。誰にも渡さない。
レイフォンを倒す、そのことのみ考える。
そうすることで、胸の奥に燃える炎がすっきりしたものになる気がした。
アルシェイラから受けた侮りに対する怒りの炎が胸元から消え、レイフォンへの敵愾心のみに収束していくからだろう。
(どちらにしたって、気持ちのいいもんじゃないさ)
皮肉げに唇を歪ませる余裕も出てきた。
どちらであろうと、怒りのみで何も考えられなくなっていた時よりも遥かにましだ。
放浪バスの上でじっと動かなかったのは、怒りに任せてレイフォンのところへ殴りこみに行こうとする自分を必死に抑えていたためだ。
あのような精神状態でレイフォンに勝てるとは思えない。怒り狂いながらも、冷静に状況を観察することがハイアには出来る。
だが、その我慢の限界も近づき、時間もないことからハイアは行動に移そうとする。
目的はもちろん、レイフォンの打倒。決着を付ける時がやってきた。
これ以上遅らせれば、グレンダンの天剣授受者がやってくる。そうなればハイアは手出しが出来ない。だから、その前にやる。
「さて、問題はどうやってレイフォンを戦いの場に引きずり込むか……さ」
目の前に出て一騎打ちを仕掛けるのも手だが、それだけであの甘ちゃんが受けて立つのかどうか怪しい。
そもそもレイフォンが刀を使わなければ意味がなく、ハイアはどうするべきか考えた。
だが、その答えはすぐに見つかる。ハイアの脳裏に浮かんだのは、1人の少女。
「ああ、考えるだけ無駄って奴か」
何しろレイフォンは甘ちゃんだ。それだけで事態はハイアの思い通りに動く。
「見つけたぞ。何をしているんだ?」
計画を企てるハイアの耳元で、機械的な音声が聞こえた。
念威端子がハイアの周りを漂っており、それがフェルマウスだとすぐに判断できた。
「ちょうどいいさ。相談があるんだけど」
「……その様子だと、ろくでもないことを考えているな」
念威端子からはノイズのようなため息が聞こえてきた。
ハイアはニヤリと笑う。
「虚仮にされた意地を通すのさ~」
笑いながら、ハイアはフェルマウスに作戦を説明する。
その作戦を聞いたフェルマウスは念威端子越しだと言うのに、機械音声のような声だと言うのに、それでも良く分かるほどに取り乱していた。
「悩んだ挙句に出した答えがそれか……お前は、傭兵団を潰すつもりか!?」
「それは、俺っちがレイフォンに負けると思っているいるのかさ?」
ハイアの言葉に、フェルマウスはもう一度ノイズのようなため息を付く。
そんなフェルマウスのことをまったく気遣う様子もなく、ハイアは話を続けた。
「どちらに転んだって、ここにいる理由はもうない。それなら好きにやらせてもらうさ~」
「手紙の内容がそうなのなら、確かに私達が廃貴族捕獲に奔走する理由はないな。ツェルニの暴走が収まって以来、その行方も知れない。元の傭兵の仕事に戻るのもいいだろう。だが、その前にやらなければならないこともある」
「……何さ?」
「忘れるな。サリンバン教導傭兵団の結成理由を」
「ああ……」
今更言うまでもない。サリンバン教導傭兵団は、初代団長であるサリンバンがグレンダン王家から廃貴族探索の密命を受けて結成された傭兵団だ。傭兵達はみんな、そのことを承知した上で傭兵団に所属している。
彼らが何故それを承知し、その存在すら不確定だった廃貴族を追いかけることに納得しているのかと言うと、廃貴族を発見、捕獲した暁にはグレンダンから破格の報酬を受け取れるからである。
グレンダン出身の武芸者ならばともかく、ハイアのように他の都市から仲間傭兵達からすれば、忠義よりも実利の方が魅力的に映るのは当たり前だ。最もハイアの場合、実利には何の興味もないが。
それはさておき、アルシェイラの手紙には発見の報だけで十分だと言うニュアンスがある。
捕獲までいたっていない分、報酬の額は減らされるかもしれないが、それでもかなりの額になるだろう。
そうなる以上、ここでサリンバン教導傭兵団が手を引くのもいいかもしれない。だが、そうなると傭兵団は結成した理由を消化したことになる。
グレンダン出身の武芸者達は帰還することを望むかもしれない。
報酬を得たほかの連中も、これ以上危険な傭兵稼業を続ける気が失せるかもしれない。
「傭兵団(うち)がなくなるかもしれない、か……」
今更そんなことを言わなくてもいいのにと思いながら、ハイアは恨みの篭った声で皮肉そうに言った。
「まさか、忘れていたとは思わないが、その事実を無視しているようだったからな」
「忘れてるわけないさ。ただ……」
「ハイア……」
フェルマウスの機械的な音声が、ハイアを諭すように響く。
「お前は昔から聡い子だった。こちらの考えを察して動くことが出来た。実力があることは当たり前だが、それがあったからこそ、リュホウはお前に傭兵団を任せたし、私達もそれを承認した。だが、ツェルニに来てからのお前の行動はなんだ?やる気があるとは感じられん」
「やる気ならあるさ」
「違うな」
感情を感じさせないフェルマウスの機械的な声だが、その言葉はハイアの心にぐさりと突き刺さる。
「お前は、心のどこかでそうなることを恐れている。だからこそ、お前はレイフォン
に執着している。嫉妬もあっただろう。だが、何時ものお前ならそれを無視することもできたはず。事実、彼を刺激する必要などどこにもなかった」
「それは……」
都市が暴走を始め、レイフォンと共に汚染獣を打破しに向かった時、あの時もこうやってフェルマウスに叱られた。弁解のしようがない事実だ。
「いや、お前がレイフォンと決着を付けたいと言うのならそれもいいだろう。だが、お前はサリンバン教導傭兵団の団長だ。先を見て動け」
その言葉を残して、フェルマウスの念威端子は離れていく。
「わかってるさ~、そんなことは……」
風に流れるように去っていく念威端子を見送りながら、ハイアは更につぶやいた。
「だけどフェルマウス。あんたはまだ、俺を知らないさ」
ハイアの手は、しっかりと腰の錬金鋼を握り締めていた。
「……疲れました」
「最近、訓練ばかりですからね」
訓練も終わり、第十七小隊の面々で昼食を取った後に解散となった。
連日で続く訓練に嫌な顔をするフェリだったが、その訓練の期間はもうすぐ終わるはずだ。
後は士気が高いうちに都市が近づいてくれれば、最高の状態で都市戦を行うことが出来るだろう。
「なんか……嘘みたいです」
「え?」
レイフォンは何時ものようにフェリを自宅へと送っている。
その道中、不意にフェリがつぶやいた。
「今こうして、フォンフォンと一緒に歩いていることがです」
フェリの表情は赤く、気恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。
表情を変化させることが苦手な彼女だが、レイフォンの前では正直でいられる。自然に振舞うことが出来る。
「告白されて、付き合うことになって、子供が出来て、婚約して……全部が全部、幸せすぎて嘘みたいなんです。フォンフォン、これは夢じゃありませんよね?」
フェリ・ロスは現在幸せだ。だが、幸せすぎて逆に怖くすらあった。
もしもこれが夢や幻の類だったら?現実ではなかったら?
馬鹿馬鹿しい想像だと言うことはわかっている。それでも、そう思うほどに今、この瞬間がフェリにとってはかけがえのなく、とても大切なものなのだ。
「……夢じゃありませんよ」
レイフォンは小さく笑い、手をフェリの頭へと伸ばした。
年齢はフェリの方が年上なのだが、そんなことを言う彼女があまりにも可愛く、まるで年下の少女を可愛がるように頭を撫でる。
溢れてくる笑みを必死に噛み殺してはいるが、頭を撫でられたフェリは緩んだレイフォンの表情を見て、不機嫌そうに頬を膨らました。
「子ども扱いしないでください」
「すいません」
レイフォンは謝罪するが、表情は完全に緩みきっている。
そのことにフェリは更に機嫌を悪くするも、レイフォンに対する嫌悪はまったく抱かなかった。
フェリはなんだかんだ言っても、この状況を好ましいと思っている。
「生徒会長……いや、義兄さんになるんでしたね。義兄さんも祝福してくれましたし、結婚式の準備もしてくれてますし、何よりフェリが僕の傍にいてくれています。これが夢なわけないじゃないですか」
「そう……ですよね」
レイフォンの言葉に、フェリはこくりと頷く。
幸せすぎて、ふわふわして、現実味をまったく感じることができないが、これは紛う方ない現実だ。
「でも、少しだけ急じゃありませんか?武芸大会の初戦が終わって、勝ったら祝勝会と共に式を挙げるだなんて」
「確かに早いかもしれませんね。ひょっとして、義兄さんって前々から準備をしていたんでしょうか?」
「さあ、どうなんでしょう?」
急ピッチで進められていく結婚式の準備。
しかも内密に行われており、都市戦で勝利すればその祝いと共に大々的に発表するつもりなのだそうだ。
「なんにせよ、勝たないといけませんね。ツェルニのためでもありますが、せっかくの式なんですから有終の美で飾りたいですし」
「やる前から強気ですね」
「ええ、見ていてください、フェリ。絶対に勝ちますから」
「期待しています」
互いに微笑み合い、そうこうしているうちにフェリのマンションへと着いた。
階段を上り、扉の前で2人は歩みを止める。
「引越しの準備は順調ですか?」
「ええ、元から荷物は少ないですし」
「そうですか」
数日後には、レイフォンも共に住むことになる部屋。
夫婦となれば一緒に住むのは当たり前で、部屋が広く、空きがあるためにカリアンが一緒に住まないかと提案してくれたのだ。
その分、家事などはこれからレイフォンが担当することになるが、その程度は何の問題もない。
贅沢を言えば、新婚なのでフェリと2人だけで暮らしたかったが、そうすると流石にカリアンが可哀想だ。
どの道カリアンは今年度で卒業するのだし、来年度からはフェリと2人っきりで過ごせる。
そんな未来に思いを寄せ、レイフォンはフェリを抱き寄せた。
「あ……」
「………」
触れるだけの短い口付け。
呆気に取られるフェリを見て、レイフォンはしてやったりと言う笑みを浮かべていた。
「それではフェリ、また明日」
「……ええ、また明日」
フェリはレイフォンの唇が触れた口元を手で押さえ、顔を赤くしながら会話を交わす。
こうやって別れの挨拶を交わすのも、後数日だけだ。数日立てば、レイフォンが共に住むこととなる。
そうなればこのような会話を交わすことがなくなり、少しだけ寂しいと思わなくもなかった。
だけどそれ以前に、これから一緒に暮らせると言う事実に心が躍ってしまう。
「ふふ……」
思わず、笑みがこぼれた。
去っていくレイフォンの背中を見送り、フェリはご機嫌で部屋の扉を開け、中へと入った。
扉の閉まる音が響く。そして電気を付け、その部屋の光景にフェリは絶句した。
「……………え?」
荒れ果てた室内。
テーブルの足が折れ、その上にあったものがあたりに散らばっている。
本棚が倒れ、辺りには本が散乱していた。窓ガラスは割れており、破片が辺りに散らばっている。一体、何があった?
念威繰者として高い知能、そして速い頭の回転を持っているフェリだが、その思考が一瞬、完璧に止まってしまった。
「ふぇ、ふぇり……」
だから気づくのに遅れてしまった。
床に倒れ、割れた眼鏡をかけている銀髪の男性の存在に。
「兄さん!?」
兄、カリアンの元にフェリは駆け寄ろうとする。
だが、カリアンはそれを手で制し、悲痛な叫びを上げた。
「来るな!逃げろ」
「何を言って……」
フェリは状況がまったく理解できない。
そんな彼女の背後で物音が聞こえたかと思うと、フェリが入った出入り口には1人の少年が立っていた。
「やっと帰ってきたか。待ちくたびれたさ~」
その少年には見覚えがある。赤毛の髪、そして顔面に施された独特な刺青。
見間違えるはずがない。サリンバン教導傭兵団団長、ハイア・サリンバン・ライアだ。
「別にあんたらには何の恨みもない。だけど、あんたにはどうしても協力して欲しくてさ」
「くっ……」
重晶錬金鋼を復元させようとするが、ハイアはそんな隙を与えてはくれない。
そもそも念威繰者であるフェリが、傭兵団の団長であるハイアに勝てるわけがなかった。
「悪いようにはしないさ。そっちが大人しくしてくれればの話だけど」
逃げようと考えたが、唯一の出口となる扉はハイアの背中だ。
おそらく殺剄を使って隠れていたのだろう。フェリは部屋に入るまで、まったく気づくことが出来なかった。
「なんにせよ、少しの間寝てもらうさ」
ハイアがゆっくりとフェリに近づいてくる。
フェリは肩を震わせ、縋るような気持ちである人物の名を呼んだ。
「フォンフォン……」
そのつぶやきは、レイフォンには届かない。
フェリの意識はハイアの手により、闇へ落ちた。
あとがき
ハイア、ついにやりやがりましたw
展開的に原作展開はいくつかカットしましたが、ついに、ついに……
次回からのレイフォンが本当に恐ろしいですね(汗
次回はまたまた番外編になる予定。クララ一直線がかなりの人気なので、予定ではクララ一直線を上げるつもりです。
それとおまけの漫画家一方さんw
あれは書いてて本当に楽しかったです!
それから前回の短編、レイフォンに廃貴族が憑いているのかどうかと言う人がいましたが憑いています。
リフォンやイリヤ達にメルちゃんと呼ばれ、愛玩動物、ペットと化しておりますw
一度は狂った電子精霊ですが、今は子供達の元で穏やかに過ごしている予定です。
電子精霊サントブルクとも良好な関係を築いており、機関部で目撃されることもあるとか。
そんなSSを機会があれば上げたいと思っています。
まぁ、なんですね、サントブルクはとても平和ですw