おそらくは老生体だろう。何期かすら分からないほどに古びた体躯を持っており、レイフォンの言っていた通りならかなり強力な汚染獣だ。
グレンダン以外の都市ならば、半壊を覚悟すれば勝てるかもしれない汚染獣。
未熟な学生武芸者しか存在しない現状のツェルニでは、どう足掻いても勝てるとは思えない相手だ。
人語を喋る強大な、強力な汚染獣の存在感はツェルニ中を震撼させた。
カリアンはすぐさま戦闘の中止を命令し、本能で人を襲っているはずの汚染獣も襲ってこず、現在はツェルニの上空を旋回していた。
群れの長、つまりはカリアンの準備が終わるのを待っているのだ。
上空を旋回している汚染獣の後を追い、先ほどの人語を喋る汚染獣のところに行けと言う事なのだろう。
そしてカリアンは、オリバーに目的地への送迎を命じた。
「死んでくれませんか?いや、マジで死んでください、腹黒鬼畜眼鏡」
「生徒会長に向かって、その物言いはどうかと思うよ」
「生徒会長なら学生のことを第一に考えてください。ありえないでしょ?一学生である俺を死地に赴かせるなんて」
「私は死ぬつもりなんて微塵もないのだがね」
震える声で悪態をつくオリバーと、涼しい顔で言い返すカリアン。
放浪バスの運転をしているオリバーは忌々しそうな視線をカリアンへと向け、ため息混じりに言う。
「一体どうする気なんです?この面子であんな化け物に喧嘩売って、勝てるわけないでしょう」
「戦う必要があるのかどうかは、まだ決まったわけではないよ」
現在、汚染獣の先導と言うありえない状況で放浪バスを走らせている。
襲ってくる気配のない汚染獣を追いかけながら、余裕そうなカリアンの言葉に若干の苛立ちを感じつつ耳を傾けた。
「戦うつもりなら、あの瞬間に我々は滅んでいたのではないかな?」
「それはそうかもしれませんが……」
レイフォンのいない現状、あの汚染獣を倒せる者がツェルニにいるわけがない。そのレイフォンですら、本当にアレを倒せるのかと思うほどに強大な存在感。
オリバーは一度、老生体と言う汚染獣を直に見たことがあるが、あの汚染獣はそれなんかと比べ物にならない。
レイフォンが苦労して倒していた汚染獣とは比べ物にならないほど強大で、巨大で、圧倒的な威圧感を放つ汚染獣。
サリンバン教導傭兵団に討伐を頼んでも、彼らでも倒せるかどうか怪しい。そもそも今のツェルニに傭兵を雇うなんて金銭的余裕はなく、それ故に自分達学生の力でなんとかしなければならないのだ。
「何より私が興味深く感じるのは汚染獣の強さではなく、彼らが交渉を申し入れてきたことだよ」
「妹さんが倒れた割には余裕ですね。そんなことを気にするなんて」
「……余裕はないさ。正直、ここ最近眠れなくってね」
涼しいカリアンの言葉に対しオリバーは皮肉そうに言うが、当のカリアン自身に余裕なんてものはなかった。
あの汚染獣に対し興味を抱いているのは事実のようだが、良く見てみれば何時も仮面のように張り付いている笑顔、その目元には隈が浮かんでいる。どうやら、本当に眠れていないのだろう。
「心配なんですか?妹さんのことが」
「心配だね。たった1人の大切な妹だ。無理やり武芸科に入れた所為か恨まれているけど、私には大事な家族なんだよ」
無線として、都市とこの放浪バスは念威でつながっている。
本来ならこのような役目はフェリに回ってくるはずだったが、未だに彼女は回復しておらず、医者からの許可が下りなかったために現在は第一小隊の念威繰者が念威でつないでいた。
だからオリバーは、未だに回復しきっていないフェリのことを心配しているのだろうと結論できる。
確かにカリアンは、そのこと『も』心配していた。だが、オリバーは知らない。カリアンが一番心配なのは、フェリに宿った新たな命について。
ミス・ツェルニがレイフォンに孕まされており、ミセスになっていることなど知る由もなかった。
「まぁ、俺も死ぬつもりはないんで、どうにかして生きて帰りましょう。いざとなったらエリプトン先輩が護ってくれますよ」
オリバーの震えは何時の間にか止まっており、気楽に後部座席に乗っている人物に向けて声をかける。
「そうだね。もしもの時は彼の活躍に期待するとしよう」
カリアンも冗談染みた笑みを向け、視線を彼へと、シャーニッドへと向けた。
「おぃおぃ……責任重大だな」
シャーニッドは後部座席の背もたれを倒し、横になった状態でめんどくさそうにつぶやく。
放浪バスに乗っているのはこの3人だけである。
カリアンはあの汚染獣に呼ばれたので必須で、オリバーは運転手、シャーニッドはもしもの時の護衛としてだ。
かすり傷ひとつ負えば致命傷となりかねない都市外戦。離れた距離から相手を攻撃できると言う強みで狙撃手を、その中でも屈指の腕を持つシャーニッドが選ばれたわけである。
シャーニッドが行くのなら、彼の所属する第十七小隊隊長のニーナが同行を志願してきたが、今回はあくまで交渉と言うことで却下された。相手を刺激しないよう、出来るだけ小規模で、必要最低限の人数にしたかったからだ。
カリアンが行くのは決定であり、運転手としてオリバー、護衛としてシャーニッド。これ以上数をそろえると、相手を刺激する可能性がある。
それに、これは交渉、話し合いなのだ。だからこそ、一直線で突進型のニーナには向かないだろうと判断し、カリアンはあえて外していた。
レイフォンと言う最大級の戦力がいない以上、ツェルニの運命はこの3人に懸かっていると言っても過言ではない。
「でもよ、会長。あれは……どう考えても交渉って感じには見えなかったぜ」
ツェルニの上空で言葉を発した汚染獣。
あれは見るからに居丈高な感じで語りかけてきた。交渉と言うのは、相手と対等だからこそ成立するのだ。
見下され、格下と思われているのなら、交渉はまず成立しない。
「そうだとしても問題はない」
目に隈が出来ているとはいえ、カリアンは揺るがない。
余裕がないと言っていた彼だが、案外余裕を持っているのではないかと思ってしまう。
顔色はお世辞にも良いとは言えないが、カリアンの瞳に迷いはなかった。
「人語を解すると言うだけで、既に交渉の余地があるということさ。後は相手の価値観を早い段階で理解する。それでどういう手札を切ることが出来るのか、決められる」
「はぁ……」
「マジで交渉なんてできんのかね?」
カリアンは本当に汚染獣を相手に交渉するようだ。
正直不安であり、オリバーとシャーニッドはため息を隠せない。
がしゃがしゃと多数の脚が大地を踏みしめる。先導する汚染獣はこちらの速度に合わせるように飛んでいるので、見失う心配はないだろう。
揺れる車内。不安そうな2人に向け、再びカリアンが口を開いた。
「前々から疑問に思っていたのだがね」
「え?」
「汚染物質のみで生きることが出来る汚染獣は、本当に人の肉を必要としているのだろうか?」
「はぁ?」
カリアンの言葉に、シャーニッドとオリバーは間の抜けた声を上げる。
それほどまでに彼の言葉が予想外だったからだ。
「汚染獣の生態は、レイフォン君の話も含めて色々と調べてみたんだ。都市におけるもっとも有益な情報とは、汚染獣への対処法だ。無傷で汚染獣との戦闘を回避することが出来るのならば、それに越したことはないからね」
汚染獣との戦闘には必ず被害が出る。都市外で戦ったとしても、戦闘になれば必ず武芸者の1人や2人は死ぬ。
天剣授受者なんてとんでもない武芸者が存在するグレンダンなら死なない場合もあるが、汚染獣との遭遇が頻繁なその地で、天剣授受者を出ずっぱりにしていては疲弊し、逆に戦力の低下を招いてしまう。
だから、汚染獣との戦闘は避けられるに越したことはないのだ。
「それはそうですけど……」
「汚染獣には、そんなことお構いなしだからな」
「そうだ。何故だろうね」
どこか楽しそうに尋ね返すカリアン。
本当にフェリのことを心配しているのかと思ったが、それを誤魔化すためにわざと明るく振舞っているのだろうか?
それとも暫く寝てなくて、気分がハイになっているだけなのだろうか?
シャーニッドとオリバーには答えが見出せぬまま、首を傾げるだけだった。
「だが、幼生体の共食いが非常手段ではなく、より良き種を残すための通過儀礼を兼ねた捕食行為であるなら、彼らの概念の中に共食い=悪と言う考え方は存在しないはずだ」
「ですが、汚染獣がそんなこと考えるんですか?」
「そう、そこが問題だ。人間だって赤ん坊の時から明確な意識があるわけじゃない。人間と言う手っ取り早い餌があるからそこに群がるんだ。では、成体となった汚染獣は?やはり同じように汚染物質を吸収するよりも手っ取り早く栄養を供給できるからか?そうであったとして、では、その成体には論理的思考が可能なのか?人語を解することはなくとも、他の汚染獣とコミュニケーションを取る事は可能なのか?だとしたら方法は何だ?汚染獣語と言っても過言ではないほどに複雑緻密なコミュニケーション方法を獲得しているのか?」
「はぁ……」
どことなく白けてきたオリバー。
シャーニッドも話についていけずに、もはや聞き流しているように見えた。
カリアンはかなり興奮しているようで、話を続ける。
「それらの疑問が解消された時、汚染獣問題に新たな解決方法が見出されることになるかもしれない」
「会話で解決ですか?俺が思うに、汚染獣は飢えた獣ですよ。そんなもの相手に、食べ物はやれないなんて言って通じます?」
現実的ではないカリアンの言葉。
オリバーは首をかしげ、カリアンの解釈に意見してみた。
「幼生体に対しては武力で応じるしかないかもしれないがね。だが、成体が基本的に交渉可能な知性を持っているのだとしたら可能かもしれない」
「どうやってですか?」
「彼らが都市を襲う理由だよ。純粋に人の肉でなければならないのか、それとも動物が基本的に持つたんぱく質等の、諸々高い栄養素なのだとしたら、彼ら用の食糧を生産しておけばいい。その上で都市に生じる食料資源の損失を都市外にある鉱物資源等を運ばせることによって補填させるのだよ」
「ありえない。現実的じゃないですよ」
オリバーは首を振って、カリアンの言葉を全面否定した。
それはつまり、汚染獣相手に商売をすると言うことだ。
鉱物資源、つまりはお金の代わりとなるものを持って、都市に買い物にやってくる。
それを想像するだけで、馬鹿馬鹿しい絵ができあがった。
「だが、やってみる価値はある。それに……」
カリアンが上空の汚染獣を見上げる。それにつられてオリバーも上空を見上げた。
汚染獣の飛ぶ速度が緩んだのだ。
「あの老生体が問答無用に都市を襲うことなく、群れの長を来させろと言った理由も気になるからね」
「……………」
確かにそれはオリバーも、シャーニッドだって気になっていたことだ。
わざわざこんなことをしなくとも、汚染獣なら都市を襲えばいい。せっかくのご馳走が目の前にあるのだから。
それをしない。はたして、あの汚染獣の目的はなんなのだろうか?
放浪バスの速度は変わらないのに、汚染獣の速度は更に緩やかになった。
おそらく、目的地が近いのだろう。
「さて、汚染獣の集落なんて前人未到ではないかな?」
「生徒会長、あんた凄いですよ」
未だに好奇心を保つことの出来るカリアンに呆れながら、オリバーの体は再び震えだした。
それは恐怖。汚染獣の集落、巣に向かうことに怯えを感じ、緊張で硬くなる。
確かにあの汚染獣は話し合いを望んでいるようだが、何時気が変わって襲われるかわかったものではない。
オリバーは慎重に放浪バスを運転し、先へと進む。
「え……?」
そして不意に、景色が変わった。
「なんだ?」
オリバーがブレーキをかけたのだ。急停止した放浪バスに、カリアンが疑問を浮かべる。
シャーニッドも何事かと起き上がり、放浪バスの車内を見渡した。
「冗談?応答してください」
オリバーが無線越しに呼びかける。だが、いくら呼びかけても返答は返ってこない。
念威が通じないのだ。
「ちょっとちょっと、妹さん以外のツェルニの念威繰者ってこんなにレベルが低いんですか?勘弁してくださいよ」
「いや、もしかしたら念威が遮断されてんのかもしれねーぜ。気をつけろ」
取り乱すオリバー相手に、シャーニッドは冷静に対応する。
警戒し、放浪バスの車内にある窓から辺りを見渡し、錬金鋼を抜こうとする。
だが、それをカリアンが制した。
「待ちたまえ、我々は交渉に来たのだ。こちらから相手を刺激するような真似をしてはいけない」
「まだそんなこと言ってるんですか?」
何を暢気なことをと思うオリバーだったが、カリアンの瞳は真剣だった。
既に先導していた汚染獣の姿はない。置いていかれたのだろうか?
周囲には変わらず荒れ果てた大地が広がっており、辺りには何も見えない。だが、空気に滲む色が酷く透明な気がした。
車内から空を見上げる。汚染獣が出る時は、汚染物質の濃度の関係で錆びたような赤色の空をしていると言うのに、ここでは都市の中にいても滅多に見ることの出来ない、透き通った水面のような空がどこまでも続いていた。
明らかに、今まで走っていた場所とは違う。
「空間全体にホログラムをかけているとか、そういうことなのかな?」
「そんな技術力が……」
ありえないとオリバーはつぶやく。
確かめるように辺りを見渡すが、放浪バスの中ではそんなこと判断できない。
だからと言って外に出るわけには行かず、見渡すだけでは本物と偽者の区別は付けられなかった。
「おや……?オリバー君、シャーニッド君、あれはなんだい?」
ふいにカリアンが指差す方向を、オリバーとシャーニッドが活剄で強化した視力で覗いた。
放浪バスで少し走る距離だが、尖った岩山が牙のように並ぶ向こうに何かある。
岩山の列が邪魔をして良く分からず、オリバーは目を細めて詳細を確認しようとする。
「なんだあれ……?エリプトン先輩、分かります?」
だが、遠すぎてオリバーの活剄では視認できない。
困ったようにオリバーはシャーニッドへと視線を送るが、シャーニッドは驚愕に染まった表情でぽつりとつぶやいた。
「……マジか?」
「どうしたんですか?」
「オリバー、出せ!」
シャーニッドに言われ、オリバーは放浪バスを再び動かした。
「何があったんですか?」
「行けば分かる」
オリバーの問いかけに対し、一言だけの短い返答。
カリアンも問い質しはしなかったので、オリバーは渋々と諦めて放浪バスを走らせ続ける。
暫く走らせると、その場所に辿り着いた。近づくにつれ、全容が明らかになったためにオリバーの表情が引き攣っている。
「これは……」
一般人であるカリアンにも、それがなんなのかわかったようだ。
ありえない光景。想像を絶する景色。
「外に出るなら一応これを。用心するに越したことはないですからね」
オリバーが都市外装備を取り出し、それにカリアン達は着替える。
今すぐ外に飛び出したい気持ちだったが、そういうわけにもいかない。
着替える手間がもどかしく感じつつ、着替えを終えるとすぐさま外に飛び出した。
それと同時に、ヘルメットを振るわせる激しい水音がカリアン達を出迎えた。
「湖……それに滝?」
牙のような岩山が取り囲む中に、広大な湖が広がっていた。
更に対岸には幅の広く、高さのある巨大な滝があり、濛々たる水煙と轟音が湖を覆っている。
「ホログラムではないようだね」
やや呆然とした声で、カリアンがヘルメットの表面をなでてグローブを確かめた。
放浪バスの窓にも水滴が付着しており、オリバーやシャーニッドの視界にも、いくつかの水滴が張り付いている。
更に湖の周辺には青々とした草が生え、可憐な色をした小さな花がそこらじゅうに群生している。
大地の全てが汚染物質によって乾き、汚染獣以外のあらゆる動植物が絶滅したと思われていた。だと言うのに、汚染獣に導かれてこんな場所に来るなど、誰が予想しただろうか?
「汚染物質の影響を受けていないのかな?ここは?」
「まさか、そんなこと……」
カリアンの言葉に、ありえないとオリバーは首を振る。
だが、そのありえない光景が辺りに広がっている。
口数の多いシャーニッドだって、先ほどから言葉を失って見入っていた。それほどまでに衝撃的な光景なのだ。
「持って帰って調べてみないと分からないけどね。それにしても、ここに住む汚染獣は私達の認識を裏切ってばかりいるね」
カリアンはそこにある草を土ごと掘り返すと、腰に吊るしたバックに収めた。
「さて、見せたいものは見せてもらえただろうし、そろそろ姿を現してはもらえないかな?」
「ほう、気づいていたか」
「うわぁ!?」
カリアンの言葉と、返ってきた返答。
その声と共に、ツェルニの上空に現れた汚染獣が湖上に現れた。
オリバーは驚愕し、相変わらずシャーニッドは無言。言葉を失い、なんと言えばいいのか分からないのだろう。
姿を消していたのだろうか?
それとも、いきなりツェルニの上空に現れたように、何か瞬間移動のような能力を使っているのだろうか?
判断することは出来ないが、汚染獣はまるでさきほどから会話に混ざっていたかのように語りかけてくる。
「群れの長に相応しい見識を持っているようだ」
「恐縮です。ですが、あなたがたの真意までは分かりませんが」
冷静に応じるカリアンに、オリバーはもはや感心するしかなかった。
思わず錬金鋼に手をかけてしまったが、なんとか抜くことだけは堪える。
出来るとは思えないが、カリアンは交渉するといっていた。交渉の席で錬金鋼を抜き、発砲してしまえば全てが台無しになってしまう。
隣では、同じようにシャーニッドが固まっていた。
「ほう……」
「ところで、あなたに固体名と言うものはあるのでしょうか?」
圧迫するような巨体。巨体故に巨大な瞳によって見つめられていると言うのに、カリアンは怯えた様子すら見せずに尋ねる。
「長らく使っていなかったが、人はかつて、我をクラウドセル・分離マザーⅣ・ハルペーと呼んだ」
「では、ハルペーと呼んでも構いませんか?」
「好きにするがいい」
汚染獣、ハルペーは長い首で頷く。
「では、ハルペー。私が推測するに、あなたが私達をここに呼んだ理由はこうです。一つは、人が汚染獣と呼ぶあなた方が、人とコミュニケーションを取ることが可能であると示すため。二つ、現在の人類にとって脅威である汚染獣だが、この世界と言う広い視野から見た場合、別の役割を持っていることを示すため。三つ、あなたが人との戦闘を望んでいないため。以上です」
カリアンは一息で言い切ると、ハルペーの返答を大人しく待つ。
ハルペーからは、笑い声と共に言葉が返ってきた。
「くくく、最初の二つはともかく。我が人との戦闘を望んでいないと思ったのか?」
「ええ。そうであるなら、あの瞬間にツェルニは滅んでいたでしょう。そうでなかった以上、あなたは人との戦闘を望んでいない。そして、レギオスがこの領域に来ることを望んでいない」
鼻を鳴らしたハルペーは、目を細めてカリアンを見つめていた。
オリバーの心臓は早鐘の如く脈打っており、生きた心地がしなかった。
「ずいぶんと頭の回る長だ。よかろう。別種の生命体と腹の探り合いをしたくて呼んだわけではない。話すべき真実を話し、聞くべき事実を聞くとしようか」
「有益な交渉は私の望むところです」
ハルペーの言葉に、カリアンは満足げに頷いた。
「では、まずこちらから質問させてもらおう。何故、あの都市はこの領域に足を踏み入れた?正常な都市であるなら、この場所に立ち入るような真似はせぬはずだ」
ハルペーの質問に対し、カリアンは素直にツェルニの事情を話した。
廃都との接触、廃貴族の侵入、そして機関部を占拠されて現在は暴走状態にあると言うことを。
「廃貴族……壊れた電子精霊か。ふむ、なるほど……我らに対する憎悪か」
ハルペーは長い首を曲げ、胴体にある短く、細い前足で顎を掻いた。
「システムを侵食されての都市の暴走と言うわけか」
「ええ、ですからこの場所に来たことは私達の、ひいてはツェルニの電子精霊の意志ではありません。そのことは留意していただきたい」
「よかろう。我が領域への不当な侵入に対しては不問とする」
「ありがとうございます」
あっさりと話が進んだのを、オリバーとシャーニッドは信じられない思いで見守っていた。
実質、自分達にはそれ以外できない。この交渉を、会話を見ていることしかできないのだ。
「だがそれは、あの都市がこれ以上の進入をしなければの話だ。今は足を止めているが、廃貴族とやらがこれ以上の進入を強行しようとするのならば、我らは全力で排除する」
「……承知しました」
この言葉には流石のカリアンも冷や汗を流しつつ、それを承諾した。
解決策は未だに見つかっていないが、このハルペーと戦闘になったとして勝てる自信がないので、ここは頷くしかない。
「では、次はこちらの話だな。お前達があの乗り物でしていた話は聞いている」
「それは……」
ハルペーの姿はなかったと言うのに、走行中、しかも車内で行われていた会話を聞いたと言うのか?
信じられない言葉に疑問を抱くカリアンだったが、ハルペーは堂々と宣言した。
「我はクラウドセル・分離マザーⅣ。我が領域で起こることを全て知ることができる」
「恐れ入りました」
「うむ。では、お前の言っていた取引だが、実現は不可能だ。我が制御下にあるものであればその取引に応じることも不可能ではなかろうが、それ以外の領域にいるもの達を制御することは既に不可能となっている。そして、この領域に足を踏み入れる都市は存在しない」
「残念です」
堂々と宣言したハルペーは本当に話を聞いていたようであり、彼の言葉にカリアンは本心でがっかりする。
そんなカリアンに向け、ハルペーは言葉を続けた。
「早急に解決すべきだな。行動限界と生存能力の低い人間では、世界に満ちた同種達を相手にし続けるのは難しいだろう」
「まさしくその通りです。そこでお尋ねしますが、ハルペーは廃貴族に対して有効な手段となりうる情報をお持ちではないでしょうか?」
「ない。我はクラウドセル・分離マザーⅣ・ハルペー。我が目的は地の果て、オーロラ・フィールドを監視し、守護すること。人類保全プログラムの管理者情報は有していない」
オーロラ・フィールド、人類保全プログラム。
オリバーやシャーニッドはもちろん、カリアンですら聞いたことのない言葉が並ぶ。
「……なるほど、わかりました」
そのことを疑問に思ったが、カリアンは相手を刺激しないように会話を切り上げることにした。
そもそも、オーロラ・フィールドや人類保全プログラムがなんだろうと関係ない。今は廃貴族の問題を解決する方が何よりの優先事項だ。
「では、都市に戻って現状を打開する方法を探すことにしましょう。ハルペー、できればその間はこの領域にいることをお許しください」
「……その必要はない」
カリアンの言葉に、ハルペーが長い首を持ち上げて答えた。
視線は空を突き、折りたたんだ翼を広げる。
「お前達の都市は我が領域の外へと動き出した。急いで戻るが良い」
「動いてだって!?」
ハルペーが飛び立つための風圧でよろけるカリアンをシャーニッドが支え、疑問をつぶやく。
ハルペーの言葉に従って足を止めたとしだが、それが再び動き出したのか?
しかも、この領域の外に出る動き。それはつまり、汚染獣から逃げていると言うことだ。
つまり、都市は正常に動いている?
「急ぎますよ生徒会長、エリプトン先輩!俺が改造したんで速度には自信がありますが、都市を追いかけるとなると厄介ですから」
オリバーに急かされ、カリアンとシャーニッドは放浪バスの中へと乗り込む。
気が付けば既にハルペーの姿はなく、気配すらも完全に消え去っていた。
まるで幻のような、今までの対話が嘘のように思えてしまう。
「出しますよ!」
放浪バスの足を仕舞い、速度の出るゴムタイヤで走行することにした。
長い距離を走るのには向かない選択だが、今は一刻も早くツェルニに帰る必要がある。
オリバーは2人が乗ったのを確認すると、全力でアクセルを踏み抜き、放浪バスを急発進させた。
そうやって暫く走っていると、再び景色が変わった。
「どわぁ!?」
「おおっ!」
オリバーとカリアンの叫びが車内に響く。
放浪バスの進む先には、それを見送るような形で汚染獣の成体が並んでいるのだ。
「壮観だね!」
「……本当に余裕ですね、生徒会長」
オリバーの顔が引き攣っている。まるで自分達が人形となり、見下ろされているような気分だ。
だが、壮観だと強がって入るカリアンだが、その気持ちはオリバーと変わらないらしい。
ハルペー相手に堂々とした態度を見せていたが、今の声は若干裏返っていた。
自分達を見下ろす汚染獣の数は数十体。全て、ハルペーと似たような姿をしていた。
幼生体から成体へと変化した時の形は、同じ母体から生まれた汚染獣でも異なるはずだと言うのに、全部の汚染獣がハルペーと似たような格好をしているのだ。
「不気味ですね……」
そう漏らしながら、オリバーは放浪バスを走らせ続けた。
「ところで、方角ってこっちで合ってるんですか?」
オリバーは引き攣った表情のまま、カリアン達にそう尋ねてきた。
放浪バスと言うのは都市(電子精霊)の発する電波のようなものを感知し、どこに都市があるのか察することができる。
だからこそ、この荒れ果てた大地を迷うことなく旅することができるのだ。
だが、この放浪バスは廃棄されるはずだったものをオリバーが修繕し、改造を加えたものだ。未だにその修繕が不完全で、都市を特定する機能に不安がある。
だからこそ念威繰者による通信を行っていたのだが、その念威はこの領域に入ってから遮断されてしまっている。
「駄目だ、まだツェルニとの連絡が復活しない」
「そうですか……たぶんこっちだとは思うんですけど、少しでもずれていれば……」
僅かでも方角がずれていれば、ツェルニに辿り着くことは不可能だろう。
それに都市が動き出したと言うのなら、ツェルニがどう移動するかにもよる。
汚染獣達の姿も見えなくなり、見渡す限りの荒野をただひたすら走っていた。
「おい、オリバー、あれを見ろ!」
3名の中で、一番活剄に優れているシャーニッドがまず気づいた。
シャーニッドの指差す方向にオリバーが放浪バスを走らせ、それを視認する。
「うおお!ナイス、シャーニッド先輩!!」
それは都市の足跡だった。人工的な四角の、大きな穴が開いている。
掘ったのではなく、乾いた大地を割り、大質量で押し潰したのだとわかる穴だ。
このあたりを見渡すと、同じような足跡が等間隔に出来ている。
「しゃあ!これを追えばツェルニに帰れる!!」
「追いかけるだけで大丈夫なのかい?」
憤るオリバーだが、カリアンは不安そうに尋ねる。
都市の速度は、ランドローラーとそう変わらないのだ。念威繰者との連絡がつけば回りこむことが出来るだろうが、現状、それは不可能である。
「問題ないですよ、俺が改造したんですから。速度だけは自慢なんです。レギオスなんて追い抜いてやりますよ」
だが、これはランドローラーではなく放浪バスだ。
サイズはランドローラーより大きいが、多数のタイヤでしっかりと大地を踏みしめ、安定した走りで走ることが出来る。
多少の悪路などものともせず、オリバーの改造によって馬力の上がっている放浪バスは疾走する。
「速いね」
「でしょう?夜までには都市に着きますよ」
流れるように消えていく景色。
感心しているカリアンの言葉に、オリバーは高々と宣言した。
ハルペーがツェルニの上空に現れた時はもう駄目だと思ったが、事は何事もなく収拾しようとしていた。
「最悪だ……」
夜、本来なら都市に着いていたはずの時間帯、深夜。
オリバーは都市外装備を着て、タイヤの交換を行っていた。
「まだ終わんないのか?」
「文句があるなら手伝ってくださいよエリプトン先輩!結構大変なんですよ、これ」
順調に走っていた放浪バスだが、道中でタイヤがパンクし、現在は足止めを喰らっていた。
武芸者と言う強靭な肉体を持つオリバーだが、都市外で巨大な放浪バスのタイヤを代えると言う作業に悪戦苦闘している。
本来なら何十人と言う人間を運び、ある程度の生活が出来るスペースがあるために、その車体とタイヤはかなりの大きさだ。
オリバーの身長よりも大きいスペアのタイヤを取り出し、今はそれを取り付けている。
「ランドローラーくらいならわかるが、放浪バスのタイヤを代えたことなんてねえよ」
「それでもタイヤを運ぶのくらい手伝ってくれてもいいでしょう!活剄で強化しても、かなり重いんですからね」
ぶつぶつ言いながらも、オリバーは手慣れた手つきでタイヤを交換している。
流石は1人で、廃棄同然だった放浪バスを修理しただけはある。その手際は見事なものだ。
「ところでエリプトン先輩、生徒会長は?」
「今、仮眠を取ってるよ。流石のカリアンの旦那も、あんなデカブツ相手の交渉で心身ともにまいってんだろう」
「ですよねぇ。本当に凄かったです」
タイヤの交換をしながら、シャーニッドとオリバーは他愛のない話をする。
汚染獣相手に一歩も引かない交渉。流石は生徒会長を務め、学園都市を束ねる者だと感心していた。
「腹黒いだけじゃなかったんですね」
「そうだな。ディンの時もあるから、俺はてっきり旦那の腹の中は真っ黒なだけだと思っていたんだがな」
本人が聞いたら怒りそうなことを言いつつ、2人は笑っていた。
タイヤの交換が終わったのは、その会話が一段落し、笑い声が収まったころだった。
「ああ……終わったァ!」
「ご苦労さん」
伸びをするオリバーにシャーニッドが労い、車内で都市外装備を脱いだオリバーは大きな欠伸をする。
「すいません、俺も仮眠取ります。明日の早朝出発するんで、エリプトン先輩には見張りをお願いしてもいいですか?」
「おう、まかせろ。後輩が頑張ったんだ。先輩としてそんくらいはやらないとな」
「じゃあ……お願いします」
オリバーはそう言って、運転席の座席を倒して横になる。
彼の鼾はすぐに聞こえてきて、どうやらぐっすり眠っているようだ。
「にしても、本当にいろいろあったな……」
シャーニッドは車内から夜空を見上げつつ、これまでのことを振り返っていた。
廃都との遭遇から起こった騒動。サリンバン教導傭兵団、そして古巣の第十小隊の事件。
その後は合宿でレイフォンが負傷し、レイフォンなしでの第一小隊戦。あの時は見事に惨敗したなと苦笑し、サリンバン教導傭兵団と共に汚染獣の討伐に出向いたレイフォンのことを思い出す。このときからだ、ツェルニが汚染獣に向かって暴走を始めたのは。
彼のことを本当に不器用な奴だと、シャーニッドは思う。廃貴族の問題すら1人で片付けようとし、その結果失踪。
ニーナはそのことで激怒しており、宥めるのが大変だった。そして何より、レイフォンは大切な人を傷つけてしまった。
「フェリちゃんが泣くのなんて、初めて見たぜ……」
恋人である、フェリのことを傷つけた。
レイフォンとフェリが付き合い始めたのを、シャーニッドはずいぶん前から察している。
一度風呂を覗きに行こうとして、オリバーと共に殺されかけたと言うことも思い出した。あれは本気で死を覚悟したものだ。
どこまでも一途で、一直線に愛し合っている2人。そんな関係を羨ましく思いつつ、シャーニッドはあることを固く決意した。
「女泣かせたんだ。帰ったら一発殴らせてもらうぜ、レイフォン」
再び動き出した都市。しかも正常に、汚染獣から逃げるように。
それはつまり、ツェルニの異変が解決したと言うことではないのか?
廃貴族の件が、何らかの形で解決したと言うことだ。
と言うことは、その時に失踪したはずのレイフォンもツェルニに戻っているはずである。
「歯を食い縛って待ってな」
シャーニッドは小さく笑い、その拳をしっかりと握り締めた。
だが、シャーニッドは、彼らは気づいていない。自分達へと、都市へと迫る新たな脅威に。
あとがき
次回、いよいよ6巻編が終わる予定です!
年内に終われそうでよかったです、はいw
今回、レイフォンとフェリがまったく出てきませんでした。会長とオリバー、シャーニッドの回です。
個人的には、シャーニッドがかなり男前ではと思ってますw
そして、そしてそして!6巻編が終われば、次は当然7巻ですね!
これはもはや、あの人の死亡フラグが秒読みですね。
なんか、『ハァァァイアくゥゥゥゥゥゥゥゥン!!』なんて絶叫するレイフォンが想像できました。中の人ネタですねw
後、こっから先は一方通行だ、の代わりに『ここから先は地獄への一方通行だ』とかw
なんか自分1人でもりあがっておりますw
なんにせよ、次回でエピローグ。6巻編完結ですので、お楽しみください!
最後にどうでもいいことですが、黒執事のミュージカル2巻見ました。
と言うか、役者さんがマジで女装するとか……それが凄く似合ってましたw
やばい、黒メイドが書きたい!そんな訳で、次回はレギオスを更新する前に黒メイドを更新します!!これ決定!
それから、6巻編が終わればおまけでクララ一直線の続きを書きたいと思ってますので、そちらの方もよろしくお願いします。