頭皮の上に大粒の汗が浮いている。
シャーニッドはそれを拭いたかったが、拭いたくとも拭えない苛立ちにヘルメットをごつりと叩いた。
「あ~、落ちつかね」
この場にいる全員の気持ちを代弁するように、シャーニッドがつぶやく。
既に何度か実戦は経験した。だが、その悉くが自分達の手には負えず、傭兵団の力を借りて汚染獣を追い払っていたのだ。
今回はその傭兵団の手が借りられない。ツェルニにその報酬を払う余裕がない。
故に、自分達の力だけで汚染獣を迎え撃たなければならないのだ。
「そう言えばオリバー。お前、プロポーズするなんていってたけど、どうなったんだ?」
何とか落ち着こうと、近くにいた後輩に声をかけることにした。
だが、その後輩、オリバーからはどんよりとした暗雲が立ち昇っており、答えは聞かなくとも理解できる。
「断られました……」
「まぁ……そうだろうな」
その言葉にシャーニッドは納得する。
オリバーとの付き合いはまだ1年くらいだが、彼の性格と性質はよくわかっているつもりだ。
つまりはロリコンであり、変態なのだ。そんな人物のプロポーズなど、誰が受けるのだろうか?
顔は人並み以上に良いし、武芸者としての実力も一時期、第十小隊に入隊するほどあるのだから、黙っていれば結構もてると思うのだが、彼のその性格と性質が台無しにしている。
「ですが俺は諦めない!熱烈なアタックを繰り返し、いつかミィフィさんにこの気持ちをわかってもらいます。うおお!俺は今、熱く燃えている!!」
「……そうか」
熱血しているオリバーを見て、シャーニッドは少しだけ呆れたように漏らす。
その熱意は本物だろうが、少しは自分の行動を省みる必要があるのではないかと思いもする。
もっともそれは、何度断られてもダルシェナにアプローチをかけるシャーニッドからすれば、人の事を言えた義理ではない。
それでも、オリバーとこんな話をするのは、汚染獣戦と言う緊張から逃れられるひとつの手だからである。
汚染獣との戦いから逃れることはできないが、そのプレッシャーを忘れ、一時の間その恐怖と緊張から解放される。
「何を馬鹿話している?」
そんな会話を交わしていたオリバーとシャーニッドに、ダルシェナの呆れ果てた声がくぐもって届いた。
ダルシェナはオリバーとシャーニッドの近くに控えており、念威繰者の仲介がなくとも届く距離だ。
「馬鹿話とは何ですか!?俺にとっては一生の伴侶を決める、重大な話なんですよ!」
「それが馬鹿話だというんだ……」
オリバーの発言に肩をすくめ、ため息を付くダルシェナ。
シャーニッドは小さく笑いながら、冗談交じりに言う。
「まぁ、そう言ってやんな。戦を前にセンチになってんだろうよ。かく言う俺もそんな感じだ」
「それなら黙って、恋人の写真でも見ていろ」
「手軽に持ち歩ける数じゃねぇからなぁ」
「一度死んだほうがいいと思うぞ。もう何度も言ったが」
「そうですよ、死ねリア充!あ、ちなみにその恋人の中に、俺好みの幼い体付きの女性はいます?いたら是非とも紹介を!!」
ダルシェナのため息と、欲望にまみれたオリバーの言葉。
先ほどの一生の伴侶とか言う言葉はどこに行ったのかと思いつつ、シャーニッドは落ち着かないように錬金鋼の手入れをする。
一見、冷静なようにも見えるダルシェナだったが、そんな彼女も剣帯に納まった錬金鋼から手が離せない様子だった。
「お前達ィ!フェリ・ロス親衛隊第三条を言ってみろ!!」
「「「我らが女神、フェリ・ロスの命は何に置いても優先させる!例えこの身が果てようと、何者からも彼女を護ることを誓え!!!」」」
「そうだぁ!ならば問う!現在病養中のフェリちゃんを護るために俺達がすることは何だ!?」
「「「殲滅!殲滅!!殲滅!!!汚染獣をぶっ殺す!!」」」
「全ては何のために!?」
「「「女神、フェリ・ロスのために!!」」」
そんな空気を払拭するように、一段と濃い集団がシャーニッド達の傍で気合を入れる。
彼らはフェリ・ロス親衛隊。
ツェルニには総勢5000を超えるフェリのファンクラブが存在する。その中でも精鋭、50人を超えた武芸者の集団、フェリ・ロス親衛隊特攻隊。
その中には、数人ほど小隊員としてやれるほどの実力者が存在するも、こちらの活動を優先するために小隊には所属していないと言う者までいる。
もちろん、小隊員の者も何人かこの中には存在するが、その殆どが小隊よりも親衛隊の活動の方を優先していた。
「お前達の命は俺が預かる!我らが女神のため、己の牙を極限まで使い潰せ!!」
「「「おおおおおおおおおおおおお!!」」」
レオン・アレイス。武芸科3年生の、フェリ・ロス親衛隊特攻隊長。
主に荒事を取り仕切るのが彼だ。第六小隊所属。
精鋭、フェリ・ロス親衛隊特攻隊を、3年生と言う若さで指揮する。
「……なんだ、あの集団は?」
「フェリちゃんのファンクラブの連中だな。相変わらず濃いいな……」
熱気が立ち上る親衛隊へ視線を向け、ダルシェナはヘルメット越しに言いようのない表情を作る。
小隊などにファンクラブが存在しているのは知っているが、ここまで熱血的で暑苦しいものが存在しているとは思わなかった。
「暑苦しいが、俺はいいと思うね。武芸者の意地で戦うと言うよりずいぶんわかりやすい。大切な者、存在のために戦うって事がな。俺なら恋人のためって事だ」
「ならやはり、写真を全て持ち歩くんだな」
「……お前の写真を持てるなら、他のはいらないぜ」
「やはり死ね」
「冷たいねぇ、今生の別れになるかもしれないのによ」
「お前ならゴキブリのようにしぶとく生き残るに決まっている」
シャーニッドの軽口に、ダルシェナは冷たく言い捨てて去っていく。シャーニッドは肩をすくめた。
「俺達は騎士だ!女神、フェリ・ロスを護るために選ばれた精鋭!その誇りに賭けて勝利を誓う!!」
フェリ・ロス親衛隊隊長、エドワード・レイストの檄が飛ぶ。
彼は武芸科の5年生であり、大組織と化しているフェリ・ロス親衛隊を纏め上げるカリスマを持っていた。
そんな彼は誇らしく、声を大にして宣言する。
「俺達は汚染獣と闘いに来たんじゃない!倒しに来たんだ!!殲滅し、全滅させ、女神に平穏を捧げるために!!」
「「「うぉぉおおおおおおおおっ!!!」」」
フェリ・ロス親衛隊の面々は盛り上がり、歓声で応える。
ボルテージとテンションが上がり、エドワードは高々と叫んだ。
「フェリ・ロスに栄光あれ!!」
「「「フェリ・ロスに栄光あれ!!!」」」
この瞬間、フェリ・ロス親衛隊の想いはひとつとなった。
「暑苦しい……が、気合十分ってか?」
シャーニッドは腕の時計を確認しながら、ぼそりとつぶやく。
フェリ以外の念威繰者達が予測した、汚染獣の到着時刻までそれほど時間はない。
新型の都市外装備を着用し、それは通気性がいいはずなのだがとても暑かった。
それはあの暑苦しい光景を見せ付けられたわけではなく、おそらく緊張によるものだろう。喉が渇く。
戦闘中でも水分補給ができるよう、ヘルメットの内部にはストローが付いている。それを咥え、吸えばすぐに水分補給ができるようになっているのだ。
戦闘開始前にそれを飲みたい誘惑にかられるが、何とか堪えた。
「さて……ではご希望通り、しぶとく生き残るために頑張るとしますか?」
「そうですね。俺はしぶとく、もう一度ミィフィさんにアタックするために生き残るとしますか」
無理やりに気持ちを落ち着け、シャーニッドとオリバーがそう囁き合う。
念威繰者の声が、その場に待機していた武芸者達全員に届いたのは、そのすぐ後のことだった。
全員が錬金鋼を復元し、緊張を飲み込むように息を呑む音が小波のように広がる。
戦闘が、始まるのだ。
「は……?」
いざ戦闘となり、空気が一瞬にして変わった。シャーニッドは呆気に取られる。
何がなんなのかわからない。ただ、本能だけが反応を示す。
目の前に現れたのは成体に成りたての雄性一期。それでも汚染獣と言うのは人類の脅威であり、一般の武芸者にとっては脅威に違いない。
だが、そんなものが何の問題にもならない、むしろ可愛く思えてしまう存在が現れた。
目の前の存在、雄性一期に気をとられている中で、一体何人がこの気配に気づいたことだろう?
都市外に待機していたシャーニッド達からすれば遥か後方、都市の上空から現れた絶望的な存在。その姿は、念威繰者の中継によってしっかりと見ることができた。
「なんだよ……これ?」
いきなりツェルニの頭上に現れた存在。その姿に多くの者達は言葉を失い、シャーニッドと同じように呆気に取られていた。
それ以外することが見当たらず、何をすればいいのかなんてわからない。
傭兵団の者達すらこの光景には言葉を失っていたのだ。熟練の武芸者集団だってそうなのだ。故に、学生武芸者を責めるなんてことはできない。
トカゲに似た胴体に太い後ろ足。それとは対照的に短い前足。
長い首の先にあるのは攻撃的な頭部と、天を衝く角。その巨体を空中で支える広大な翼。
全身を覆う、カビの生えた鉄のような色をした鱗。
物語などに出てくる竜、ドラゴンの姿をした汚染獣、老生体。
同じ老生体でも、レイフォンが前に倒した老生一期なんかとは比べ物にもならない存在。あの時感じた恐怖が、冗談のように思えてしまう威圧感。
これがレイフォンの言っていた老生二期以降の、奇怪な変化をした汚染獣。何期かなんて専門知識のないシャーニッドにはわからない。それでも古び、強大なその体躯は、圧倒的存在感を振り撒いていた。
(冗談だろ……)
ただそこにいる。それだけのことで今にも心が折れそうになってしまう。
全身を圧迫され、恐怖に身を震わせる。
武芸者の意地だとか、しぶとく生き残るなんて考えは遥かかなたへと吹き飛んでしまった。
(こんなの倒せる奴なんて……いや、レイフォンでも……)
こんな化け物と遣り合える存在を、シャーニッドはレイフォンくらいしか知らない。
だが、ふと思ってしまう。例えレイフォンでも、この化け物を打破する事ができるのかと。
「人よ……境界を破ろうとする愚かなる人よ。何故この地に現れた?」
更に、信じられない事実が天から降り注ぐ。
その声は、念威を通して戦場にいる武芸者達にもはっきりと聞こえていた。
「はは……汚染獣がしゃべりやがった」
シャーニッドの乾いた笑いが空しく消え去る。
夢か幻かと疑うが、そんな考えを破砕するように、天にいる汚染獣は言葉を続けてきた。
「足を止め、群れの長は我が前に来るがよい。さもなくば、即座に我らが晩餐に供されるものと思え」
深い知性と、激しい怒りを乗せた威厳のある声。
その言葉に人は全身を震わせ、その恐怖に呼応するかのように、都市は足を止めた。
暴走し、汚染獣を求めるようにさ迷っていた都市が足を止めたのだ。
その事実に驚く暇もなく、その光景を見た汚染獣は満足そうに頷く。
「それでよい。使いは、既に向かわせた」
その言葉を最後に、突然現れた汚染獣の姿は、その場から完全に消え失せるのだった。
「さて、どうしましょうか?」
その手にリーリンを抱え、クラリーベルはまるで人事のようにつぶやく。
現在、彼女は逃げていた。狼面衆の仲間であり、自分達の敵である存在、ロイからだ。
武芸者の身体能力を利用し、建物の屋上を跳ぶように駆けながら逃げる。
「何時まで鬼ごっこを続けるつもりなんです?」
ロイは不敵に笑いながら、クラリーベルとの距離を少しずつ詰めてくる。
やはり、全力で走れないと言うのが痛い。クラリーベル1人なら逃げ切ることは簡単なのだが、一般人であるリーリンを抱えているためにどうしてもそれを気遣ってしまい、全力で走ることができなかった。
もっとも、リーリンがいなければ逃げる必要すらなく、素手でも容易にロイを撃退することができるのだが、現在は武器である錬金鋼がなく、足手纏いとなってしまう存在があるために思うように行かない。
故に、彼女は困っていた。
「このままじゃ埒が明きませんね……」
走りながら、クラリーベルは『むうっ』と唸る。
このままでは間違いなくロイに追いつかれてしまう。だからと言って戦えば、その戦闘によってリーリンを巻き込んでしまう恐れがある。
武芸者同士の戦いに、一般人が巻き込まれればただではすまない。
先ほど行われていた、サヴァリスとレイフォンの戦いに自分が巻き込まれてしまうようなものだ。
これが赤の他人ならばなんとも思わないが、付き合いは短くともリーリンはクラリーベルにとっての友人。護らねばならぬ存在だし、そして何より、彼女の手の中にはこの都市の電子精霊がいる。
使命感などと言うものにあまり拘りを持たないクラリーベルだが、それでもこれを狼面衆達に渡すわけにはいかない。
「これでも忙しい身でしてね。何時までも鬼ごっこに付き合っている暇はないんです、よ!」
「くっ……」
「クララ!?」
思考しながら走り続けるクラリーベルの右肩に鋭い痛みが走る。ロイから衝剄が放たれ、それがクラリーベルの右肩を裂いたのだ。
飛び散る鮮血。苦痛に歪むクラリーベルの顔を見て、リーリンが心配そうな声を上げる。
そんな彼女を安心させるように、クラリーベルは小さく微笑んだ。
「大丈夫です。この程度、掠り傷ですよ。ですが……」
出血は少々派手かもしれないが、この程度なんともない。だが、ずっとこのままと言うわけにはいかなかった。
逃げると言うことは、無防備な背中を相手にさらし続けると言うことだ。故にクラリーベルは攻撃を仕掛けられ、それを避ける事ができなかった。
「ずっとこのままと言うわけには行きませんね……リーリン、覚悟を決めてもらえますか?」
「え……それって?」
そもそも逃げると言うのが性に合わないのだ。
リーリンを巻き込まないようにするために逃げていたが、どの道このままでは追いつかれる。
ならば迎え撃ち、戦闘の余波にリーリンが巻き込まれる前に一瞬で蹴りを付ける。
錬金鋼なしでできるかと思い悩んだが、見るからにロイの技量は自分より格下だ。
この程度の相手、如何に錬金鋼がなくとも一撃で倒せないようなら到底レイフォンには追いつけない。
先ほどのレイフォンとサヴァリスの戦闘。あの領域に立つために、クラリーベルはある建物の屋上で足を止めてリーリンを降ろした。
「おやおや、鬼ごっこはお終いですか?」
「ええ、あなた程度に背を向けるのが馬鹿らしくなってきましたから」
ロイが声を殺したように笑う。
それに対して、クラリーベルは挑発するように言う。
「言ってくれますね。その怪我で、錬金鋼もない素手の状態で、足手纏いを連れている状態で一体何ができると言うんです?」
「あなたを倒すことができます」
「面白い冗談だ」
相手の錬金鋼は剣。こちらは素手なのでリーチ差はあるが、だからと言ってクラリーベルは負けるとは一切思わない。
それは驕りではなく、事実なのだ。
「リーリン、下がっていてください」
「でも、クララ……」
「いいですから」
リーリンを下がらせ、クラリーベルは構えを取る。
既にロイも構えており、剣の切っ先をクラリーベルへと向けていた。
「準備はいいですか?」
余裕の態度でリーリンが下がるのを待っていたロイは、クラリーベルに向けて問う。
「ええ、いつでも」
返って来た返答。
その言葉を聞き、ロイは活剄の密度を上げ、
「一撃で仕留めてあげますよ!」
強化した身体能力を利用し、高速でクラリーベルに向けて襲い掛かった。
踏み込みで地面が砕け、残像が残るほどの高速の突進。
一般人であるリーリンには間違いなく反応できない速度だが、相手はクラリーベル・ロンスマイア。
グレンダンでも上位の力を持つ存在である。
「それは、こちらの台詞です」
「なっ……!?」
クラリーベルへと剣を振り下ろしたロイだが、彼女の姿がぼやけ、剣が空振りする。
幻だ。姿があり、気配があると言うのに実体がない。まるで水面に映した姿のようにぼやけた様子となっており、幻と言うのはすぐに理解できた。ならばどこにいる?
ロイが慌てて辺りを見渡すと、周囲に気配が飛び交った。
「くっ!?」
ロイは思わず歯軋りをする。何故なら、その気配全てがまやかしだったからだ。
気がつけば無数のクラリーベルの幻に取り囲まれており、行き交う気配が本物のクラリーベルの気配を塗り潰す。更には、何もないところで気配が湧いてくる始末だ。
剄技の中には気配だけを飛ばすものがあるが、これは明らかにそれとは違う。通常の剄技で、こんなことができるはずがない。
「貴様……化錬剄使いか!?」
「ご名答」
剄を炎や風などに変化させる技、化錬剄。
習得はは困難だが、その分強力な武器となる。
対人戦において、このような幻惑する戦法は非常に有効だ。
「化錬剄使いは剄をひとつのエネルギーとしてとらえ、それを様々なフィルターを通して変化させ、相手に読ませにくい変則的な戦い方を行います。うちの先生ともなると自分の望む効率的な破壊現象に変化させて一掃したりしますけど、私はまだまだ、そういう境地にはなれていません」
ご丁寧に解説までするが、その声自身も地面や、他の高い建物の壁を利用して反射させているため、クラリーベルの本体がどこにいるのかわからない。
視線をさ迷わせ、あせりに満ちた表情でロイは剣を振り回す。
ただ闇雲に、クラリーベルの幻を薙ぎ払っていた。
だが、それ自体に意味はなく……
「はい、お終い」
「がっ……」
その声が、どこから聞こえたのかすらわからなかった。
気がつけばロイは顔面を殴り飛ばされており、そのまま地面に叩きつけられた。
殴られてことにより口内を切り、口から僅かに血が溢れる。
悲鳴や、苦悶の表情を浮かべるまでもなく、ロイは地面に伏しながらぴくぴくと痙攣していた。
まさに宣言どおり、一撃で決着は付いてしまったのだ。
「たわいのない、この程度ですか」
幻は全て消え去り、クラリーベルは落胆したように吐き捨て、リーリンのいる方向に向き直った。
「それではリーリン、電子精霊を機関部に戻しましょうか」
「え……あ、うん……」
リーリンは呆然としていた。
あっさりとロイを降してしまったクラリーベル。そのことについて実感が持てないのだろう。
そんなリーリンの思考など知らず、クラリーベルは機関部へと向かおうとするが……
「参りました。そう言えば、機関部の場所がわかりません」
「あ……」
言うなればリーリンとクラリーベルは余所者なのだ。グレンダン出身の彼女達がマイアスの機関部の場所を知っているわけがない。
そもそも機関部に入れるのは整備や清掃などを行う限られた者達だけであり、自身の都市の機関部に一度も入った事のない2人にわかるわけがなかった。
手詰まりとなり、どうすればいいのかと2人は思い悩む。
マイアス、この都市の電子精霊である小鳥はリーリンの手の中でぐったりとしていた。
機関部から引き離され、結界のようなものに囚われてエネルギーを浪費し、今は衰弱していた。
これは一刻も早く、マイアスを機関部へと運ぶ必要がある。そうすればエネルギーの補給ができるはずだ。
だが、一体どこに行けばいい?
機関部はどこだ?
「よろしければ……僕がご案内しましょうか?」
「あら?」
「うそ……」
不意に声が聞こえ、クラリーベルは感心したように、リーリンは驚愕したようにつぶやく。
ロイがむくりと起き上がり、口から血を垂らしながらそう言ったからだ。
「思ったよりやりますね。まさか起き上がるとは思いませんでした」
「生憎、これでも隊長なんて職についてましてね……この程度でやられるわけには行かないんですよ」
「そうですか」
会話を交わしながら、クラリーベルはリーリンとの距離を開ける。
戦闘に巻き込まないための配慮だろう。剄が巻き起こす余波の被害が及ばないよう、十分な距離をとった。
「それで、案内してくださるとの事ですが?」
「ええ、して差し上げますよ。もっとも、案内先は……」
ロイが剣を振り上げる。それと同時にクラリーベルは動いた。
「あの世ですが!!」
剣から放たれる衝剄。
クラリーベルはそれを読んでいたようにかわし、そのままロイへと突っ込む。
もう一度殴り飛ばし、今度こそ意識を刈り取るのが目的だ。
接近してくるクラリーベル。だが、ロイは慌てない。むしろ予定通りだと言うようにニヤリと笑い、再び衝剄を放った。
クラリーベルにではなく、リーリンに向けてだ。
「なっ!?」
「隙だらけですよ!」
今、ロイの前に立ちはだかっている少女、クラリーベルは強力な武芸者だ。
相手は素手とは言え、自分では手も足も出ないほどに強力だ。それは認める。だが、何故そんな強力な武芸者は格下である自分からあんなに必死に逃げていた?
戦えば確実に勝てると言うのに、何故?
その理由は簡単だ。無力で、一般人であるリーリンを護るために。
何故護ろうとするのかは知らないが、ならば都合が良い。
もし、自分がリーリンに攻撃を仕掛ければクラリーベルはどうする?
武芸者の放つ衝剄に、一般人であるリーリンが反応できるわけがない。かわせと言うのが無理な話だ。
その結果、答えはすぐさま出た。
「クララ……」
状況がまるで理解できないリーリン。飛び散る鮮血。
先ほど肩に受けた傷とは比べ物にならないほど傷は深く、クラリーベルの体は赤く染まっていた。
リーリンを衝剄から庇い、自ら傷ついたのだ。
「やってくれますね……」
「状況は最大限に利用する。当然でしょう?」
下卑たる笑みを浮かべ、ロイはクラリーベルに言う。
言わば、リーリンはクラリーベルにとっての弱点。彼女を狙って攻撃をすれば、クラリーベルはリーリンを護るために行動しなければならない。それがロイの勝機となる。
「最低ですね」
「褒め言葉として受け取りましょう」
クラリーベルの悪態すら通じず、ロイは笑い続けていた。
出血がかなり酷い。肩を衝剄で切られた時も出血は酷かったが、これはそれ以上だ。
現在着ている服は血で赤く染まっており、完全に駄目になってしまった。
お気に入りの服だったのにと僅かに落胆しながら、クラリーベルは現状を冷静に分析する。
利き腕が死んだ。出血が止まらず、未だに血がどくどくと流れている。骨までには達していないだろうが、それでもこの傷はかなり深かった。
相手が格下とは言え、リーリンを護るために衝剄を錬金鋼もなしに真正面から受けたのだ。金剛剄などの剄技を納めていたのなら話は別だが、あいにくクラリーベルはその手の剄技を納めてはいない。
(これは……正直、まずいですね)
この状況でも、あらゆる手を尽くせばロイに勝利することはできるかもしれない。
だが、それ以前の問題で、今はこの傷の方が不味かった。
激しい出血は体力を蝕み、ただ時間が経過するだけでクラリーベルを窮地へと追いやる。
今すぐ医者に診せなければならないほどの重傷だ。正直な話、これ以上戦闘を続けるのは厳しかった。
「なんで?どうして!?あなた達は、狼面衆は何がしたいの?」
リーリンはこの現状に、傷だらけなクラリーベルを見て悲痛な表情を浮かべ、ロイに問いかける。
ロイ達狼面衆の行っていることは、この都市の死にもつながる暴挙だ。
現在もリーリンの手の中で衰弱していくマイアス。電子精霊の死は、都市の死を意味する。
都市が死ねばレギオスは足を止め、汚染獣から逃げることができなくなる。そんな都市に残された道は、汚染獣の餌となることだけだ。
「あなたが武芸者なら、事は簡単なのですがね」
そんなことを言うロイの手には、何時の間にか仮面が握られていた。
狼面衆のしていた、獣を模したあの仮面だ。
「これをかぶれば、イグナシスの望む世界を見ることができます。イグナシスの夢想を共有することができるのですよ」
仮面を半分だけかぶったロイは、陶然とした表情で言う。
「多くの武芸者が夢想を共有する事ができた時、世界平和が実現するでしょう」
まるで説得力がない。これほど説得力のない顔も珍しいのではないだろうか?
宗教染みた発言をする、薄ら笑いを浮かべたロイからは嘘の空気しか感じられなかった。
「武芸者と汚染獣による宿命的な戦いをこの世から終焉させるために必要なものです。そのためには電子精霊が複数いる仙鶯都市に行かなければならない。その縁をつなぐためにここに来た」
「縁って、何なのよ?」
「電子精霊にのみあるネットワークであり、系譜を示す血脈でもあるのですよ。これによって、電子精霊は他の都市が自分と同種であるかどうかを確認する。シュナイバルとマイアスは同じ系譜に存在する都市です。だから、マイアスを捕らえ、その縁を得なくてはいけない」
「……そのために、この都市がどうなってもいいって言うの?」
「そうですね、必要悪と言う奴ですか」
突拍子もなく、リーリンには理解のできないことだ。
だが、ひとつだけわかった。狼面衆と言うのは、そんな目的のためにこの都市を犠牲にしようとしている。
「あなたは、この都市の住人でしょう?」
「そうですね。それが?」
「……この都市がなくなるかもしれないと言うのに、何も感じないの?武芸者でしょう?」
「……くっ、くくくくくくく……………」
リーリンの言葉の何が引っかかったのか、ロイはいきなり全身を震わせて笑った。
都市を護るために戦う。それは武芸者にとって当然のことであり、当たり前のことだ。
だと言うのにロイは、リーリンの言葉を笑い飛ばす。
「知ったことか」
そして吐き出された言葉。
武芸者としての有り方を否定する言葉。
「あなたは学園都市と言うものをどう考えているのかな?他の都市と同じに考えているのではないかな?そんないいものじゃない。ここは終の棲家ではない。ここに来る誰もが通り過ぎてしまう場所だ。僅か数年間を生きるためだけの場所だ。学習と研究にのみ時間を費やすにはここほど優れた場所もないが、だが、そんなものは他にもある。ここに、護るための価値はない」
「よくもそんなことを……ここには、一般の学生だってたくさんいるのに」
「武芸者の掟かい?そんなもの!」
笑いが、嫌悪へと変わった。
嫌悪に満ちた表情でロイは吐き出す。
「そんなものに何の意味がある?恐怖を!苦痛を!練武の地獄を!全て僕達に任せてのうのうと生きているだけの無力な下種達め!あんな奴らが生きていようと死んでいようと知ったことか!」
ロイの顔は憎悪で更に醜く歪み、興奮していた。
もはや独り言のように、行き場のない怒りを吐き出すように、ロイは大声で叫んだ。
「人の苦労も知らず、結果だけを覗き見て、奴らは!あいつらは!」
誰に向かっての憎悪なのか、誰に向けての怒りなのか、怒り狂い、憎悪に歪みきった表情で喚き散らすロイの顔がもはや人間には見えず、リーリンは思わず後ずさった。
だけど、今の言葉……何かが引っかかる。それを見つけなければいけない。
傷ついたクラリーベルが戦闘を続行するには厳しい状況。だが、見つけることができればそれが打開策になるはずだ。
(武芸者を理解するためには……)
もっとも身近にいた武芸者、レイフォンのことを思い出す。
レイフォンはどうだっただろうか?
ロイは一旦落ち着いたのか、沈黙し、じりじりとリーリンとの距離を詰めてくる。
怪我を負い、蹲っているとはいえ、クラリーベルを警戒しているからだ。
クラリーベルもこの重傷の体で、隙を衝いてロイを打倒するために様子を窺っている。
だが、正直動くのも辛そうだ。血を流しすぎ、肌の色が青白く変色していた。
クラリーベルには頼れない。彼女のことを考えるなら、自分が何とかするしかない。クラリーベルは自分を護るためにあんなに傷ついてしまったのだから。
リーリンはそう決意する。その手の中には護るべき存在、マイアスがいる。電子精霊の死は都市の死そのもの。
それを常に護っているのが、護っていてくれているのが武芸者だ。
(あ……)
その瞬間、リーリンは理解した。
武芸者は何から都市を護っていてくれているのか?
都市同士の戦争がある。それからも都市を、この都市に住む人達を護ってくれる。
だが、一番大事なもの、一番重要なもの……先ほど、ロイ自身も言っていたことだ。
「……なるほど」
ロイが距離を詰め、それから逃れるようにリーリンも後退していた。
だが、その足を止め、リーリンは笑ってみせた。無理やりだったから顔のあちらこちらが引き攣っているが、それでも余裕を見せるために笑った。
「それがあなたの、理由なのね」
「そう言ったでしょう」
「違うわ」
まずは落ち着く。落ち着く、冷静になり、少しずつ自分のテンションを上げていく。
追い詰められているものから、追い詰めているものにならなければならない。この精神状態から、攻守を変えなければならない。
「マイアスを捨てた理由じゃない。あなたが、そんな風に落ちぶれた理由よ」
「貴様っ!」
「リーリン!?」
ロイの張り上げた声には音以上の威力があった。
剄が混じっており、もはや威嚇術となっている。リーリンは強風に打たれたように転がる。
その姿を見て、クラリーベルはすぐさまロイに襲い掛かろうとした。言うことを利かない体に鞭打ち、ロイを仕留めようとした。
だが、すぐさま起き上がったリーリンが手でクラリーベルの動きを制し、笑っていた。
嘲るような笑みだ。その笑みに、クラリーベルは思わず動きを止めてしまった。
「痛いところを突かれて、本性が出たの?弱いものいじめしかできない惨めなあなたの本性が?」
「なっ、く……」
「あなたが言った言葉よ。恐怖、苦痛、練武の地獄……練武の地獄って、訓練の激しさのことでしょう?それは簡単ね。なら、後二つは何なのかしら?恐怖と苦痛。何に対してあなたはそう感じたの?人にわかってもらいたいのなら、あなたはもっとわかりやすく表現したはずじゃないかしら?」
「わかってもいないのに、適当なことを言うね、君は」
「適当?そう思う?」
リーリンは意味ありげに問いかける。
ロイの答えは沈黙。もう、激昂して何かを仕掛けてくると言うことはなかった。
今、ロイはプライドの維持と自分の弱点を突かれるかもしれないと言う恐怖の狭間で揺れているはずだ。
そこを突く事で、ロイが一体どんな反応をするのか?
突いたことで再び激昂し、怒りに身を任せて襲いかかってくるかもしれない。または弱点を突かれ、壊れたように叫んで蹲るかもしれない。だが、どうなるかはわからない。
危険な賭けだとは思う。火に油を注いでしまう可能性だってあるのだ。
(だけど、私の武器はそれしかない)
それに、ある程度の確信だってある。
「苦痛は、もしかしたら練武の地獄にかかっているかもしれないわね。養父さんの道場の稽古は激しくって、最後にはみんな立っていられないくらいになるもの。なら、恐怖って何かしら?武芸者が恐怖と感じるようなもの。同じ武芸者との試合?それも怖いかもしれない。戦争?殺し合いは怖いわよね。でも、都市警察で隊長になれるくらいだし、頼られていそうだったから優秀なのよね?それなら、同じ武芸者同士の戦いにはそんなに怖さを感じていなかったんじゃないかしら?そうなると、残るのは……」
考える仕草で視線をロイへと向ける。
ロイの表情はあからさまに引き攣っており、全身が震えていた。
当たりだと確信し、リーリンは言葉の続きを発した。
「あなた、汚染獣から逃げたわね」
断定的に、責めるようにもう一度言う。
「汚染獣を目の前にして逃げたのよ」
「ひっ……あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
突然、ロイはその場に頭を抱えて蹲った。
取り乱し、一心不乱に頭を掻き毟っている。
「くそっ!くそっ!くそぅぅぅぅぅ!!あいつらめ、あいつらめ!掌を返したように馬鹿にしやがって!あれが……あれがどれだけ恐ろしいかも知らないくせに!見たこともないくせに!」
正解だったようだ。しかもリーリンの予想を超えて、このことはロイのトラウマとなって深く根付いていた。
汚染獣から逃げ出した。おそらくは、汚染獣を迎え撃つ場面でだろう。初めて見る汚染獣に恐怖して、ロイは逃げ出したのだろう。
武芸者として生まれた時から都市を護るために義務付けられ、その見返りとして豊かな生活を保障されながら、ロイは逃げ出した。
(レイフォンは、豊かな生活なんてしてなかったけど)
グレンダンは武芸の本場と言われるだけあり、武芸者の数が多い。
そのため、武芸者として生まれただけでは最低限の保証金しか支給されない。その代わり、実力を示せば保証金の額は驚くほどに跳ね上がっていく。
その保証金を院に回していたため、レイフォンの生活はリーリン達とは変わらなかった。貧しい中で、一緒に育ってきた。
それでも、レイフォンは逃げなかった。
あの強さに誤魔化されてきたけど、本当はレイフォンだって怖かったに違いない。怖い思いをしながら、それでも足りなくて闇試合に手を出しながらもリーリン達を養うために頑張ってくれたのだ。
(それに比べたら、この人は……)
なんて、弱いのだろう。
弱いことが罪だとは思わない。武芸者だって人だ。感情がある。恐怖し、弱さを見せる事だってあるだろう。
だが、その弱さに負けてしまったら、武芸者も普通の人も何も変わらないのだ。
「許さない……」
ロイの声が、地面を這うように吐き出された。
「許さないぞ、女。ただの一般人で、この僕を愚弄するとは……」
次の瞬間、ロイは蹲った姿勢から一気に飛び掛った。
標的はもちろんリーリン。錬金鋼は、武器は必要ない。
武芸者の筋力、そして剄で強化されたその一撃は、容易に一般人を撲殺できるほどに強力だ。
だが、
「させると思います?」
「ぐっ……」
その前にはクラリーベルが立ちはだかる。傷だらけで、既に満身創痍と言っても良いが、彼女に無計画に突っ込むのは愚か者のやることだ。
ロイは歯軋りし、不本意ながら距離を取った。
「黙って聞いてましたが、落ちぶれたものですね。ハッキリ言って惨めです」
「黙れ!」
クラリーベルの言葉にロイは怒りを振り撒き、錬金鋼を構えた。
もはや冷静ではいられない。弱いところを突かれ、怒りと憎悪にてロイは狂っている。
「黙れ!黙れ黙れ黙れ!!」
何も言っていないのに、ロイは声を張り上げた。
今の彼には幻覚や幻聴、トラウマとなった出来事がフラッシュバックされているのだろう。
怒りに暴走し、ロイはクラリーベルに向けて肉迫してきた。
振り上げられる剣。それが彼女目掛けて振り下ろされるが、ロイの腕をつかんでクラリーベルはロイの攻撃を防ぐ。
剣を振り下ろすには当然腕を振らなければならない。その腕を押さえられれば、剣は途中で止まる。
ロイの腕をつかみながら、正面からクラリーベルは言う。
「修行と称されて、元の都市から追い出されたんですか?汚染獣から逃げ出した武芸者。なるほど、それでは帰ることはできませんね」
「黙れぇぇ!!」
挑発に乗り、ロイが腕に入れる力を上げた。
それを押さえつけるクラリーベルだが、ここに来て彼女に異変が襲う。
「っ……!?」
「クララ!!」
いや、それはもはや異変ではない。当たり前のことだった。
激しい出血をしている状態で、相手を押さえつけるために力めば血が溢れるのは当然だ。
どくどくと血は流れ出し、クラリーベルの体力と体温を奪っていく。その表情は苦痛で歪み、立っているのすらやっとと言う状況だ。
「は、はっは……そうか!そうだよな!?そんな怪我だ。もう限界なんだろう?むしろ、その怪我でよくやったと言うべきですか?」
ロイが勝機に満ちた顔を浮かべる。
確かにクラリーベルは強い。自分では勝てないだろう。
だが、流石に限界だった。血を流しすぎ、体に力が入っていない。
どんなに強者でも、現在の彼女はまさに手負い。手負いの獣と言う言葉があるが、クラリーベルにはもはや抵抗するための力すら残っていない。
それを理解し、ロイは腕に力を入れながら、蹴りを放つ。
「ぐっ……」
足払いのような蹴りだ。それに成す術なくクラリーベルは転倒し、流れる血で地面を赤く染めていく。
荒い息を吐き、もはや立ち上がることもできないようで、ロイはそんな弱りきったクラリーベルを見て笑った。
大声を上げ、爆笑するような笑みだった。
「あはは!あーっはっはっは!!あれだけ偉そうに言っておいて、その様ですか?惨めなのはあなたの方ですよ」
「うっ……」
ロイはクラリーベルの頭を踏みつける。
抵抗すらできないクラリーベルは、苦痛の声を上げるだけだった。
「いい様です。どんなに惨めなんでしょう?ですが、すぐにそれから解放してあげますよ」
またもロイは剣を振り上げる。
「何するの!?」
「慌てないでください。あなたは僕を愚弄した。だから、ちゃんと同じ目に遭わせてあげますよ。いや、この程度では済まさない。まぁ、どちらにせよ、今は黙って見ていてください」
後はただ、一直線に振り下ろすだけ。クラリーベルの首を目掛けて。
「死んでください」
ロイが剣を振り下ろす。
「ダメぇ!!」
リーリンが声を張り上げる。
「……………」
力の入らないクラリーベルが、抵抗することすらできずに目をつぶる。
絶体絶命、まさにそんな言葉がぴったりだろう。
だが、結局は剣が最後まで振り下ろされることはなかった。
「はぁっ!」
「ごふっ!?」
顔面に蹴りがのめり込み、ロイは地面を何度も転がって吹き飛ぶ。
蹴りを入れた人物は着地し、そんなロイの様子を見ていた。
「ロイ君……これ、どういうことかな?」
リーリンと同じくらいの年頃で、金髪の髪をポニーテールにした少女がそう言葉を発する。
避難の誘導をしていた少女、都市警察の一員であり、ロイの部下であるシェルだ。
彼女の瞳には怒りが宿っており、淡々と、冷え切った声を地に倒れているロイへと向ける。
「避難の誘導が終わったから呼びに来たんだけど、どういうことなの?」
かつん、かつんとシェルが歩み寄り、ロイに問いかけた。
今来たので、事情はいまいちわからないが、現状を見れば理解できる。
暴行を行うロイの姿。それに傷つき、倒れた少女。
この都市の電子精霊である、マイアスを抱えた少女。
この少女達が電子精霊を機関部から盗み出したと思えなくもないが、そんな風には到底思えなかった。
あの状況では彼女達ではなく、間違いなくロイの方が悪者だ。
「うる……さい……」
「ロイ君?」
ロイは起き上がり、敵意と殺意により濁った瞳をしている。
その姿に、今まで見たこともない幼馴染の姿に、シェルは戸惑った。
何より、あの仮面は何なのだろうか?
ロイがしている、あの狼面の仮面は?
「お前に何がわかる!?お前に僕の何が!」
シェルの疑問には答えず、ロイは叫んだ。
一心不乱に、何かを吐き出すように。忌々しそうに、シェルを睨んでいた。
「汚染獣と戦い、英雄だと賞賛されたお前に僕の何がわかる!?」
「ロイ君……」
それは嫉妬。ロイは汚染獣を前に逃げ出した。
だけどシェルは、彼女は汚染獣と戦い、両足を食い千切られながらも生き残った。
現在は義足による生活をしているが、戦闘用に改良された錬金鋼製の足を持つ彼女はかなりの実力を持つ武芸者だ。
都市の防衛に必要とされ、本来なら都市が手放したがらないほどの武芸者。
だと言うのにシェルは、ロイを追って学園都市、マイアスを訪れた。
「大体、なんでお前はこの都市に来た!?僕を嘲笑いに来たのか!?惨めな僕を笑いに!?」
「そんなわけ……ないじゃない。私は、私はただ……」
怒りと、冷え切った感情をロイへと向けていたシェルだが、幼馴染の豹変にやはり戸惑いは隠せない。
吐き出すように叫ぶロイになんと言えばいいのかわからず、それでも何とか説得しようと言葉をつむぐ。
「それに、やり直せないわけじゃないよ。確かに、ロイ君は汚染獣を前にして逃げ出した。だけど、だけどね、私達は武芸者なんだよ。戦いでの失敗は、戦いで取り戻そう。ロイ君ならできるよ。だって、ロイ君は凄いんだから」
ずっと傍にいた。ずっと彼を見てきた。
だからこそシェルにはわかる。ロイは優秀で、実力のある武芸者だ。ただ一度、失敗しただけ。
その失敗を取り戻し、彼に根付いた恐怖を克服できれば、元の彼に戻ってくれる。
そう思い、願って声をかける。まだ戻れる。まだやり直せる。そう伝えようとシェルは語りかけた。
「だまれ……黙れぇぇ!!」
だが、その言葉は既にロイには届かない。
「あれは化け物だ!あれに勝てるわけがない!勝つには死を覚悟するしかないんだ!!シェル、あの先頭で何人死んだ?10人だ、10人も人が死んだ。そうしないと勝てない化け物なんだよ!僕は死にたくない。そもそも、なんで、武芸者として生まれただけで汚染獣と戦わなければならないんだ!?あいつらは、僕ら(武芸者)に護られないと生きていけない一般人は、あの恐怖をわかっていないくせに!なのに!なのに……」
「……………」
シェルの言葉はロイには届かない。
一心不乱に首を振り、叫び、喚き、ロイは怒鳴る。
もはや彼は止まらない。自分では既に止まれない。ならば、誰かが止めなければならない。
「そこをどけ、シェル!マイアスを手に入れ、イグナシスの夢想を共有する。そうすれば、もう汚染獣に怯える必要はないんだ!!」
ロイはシェルを前にし、マイアスを手に入れると宣言した。
それはつまり、今回の事件に関わりがあると言うことだ。都市から電子精霊を強奪しようとした犯人の1人が、ロイであると言うことだ。
それは、この現状を見て予想はついていた。リーリンがマイアスを庇うように後ろへと下がる。
クラリーベルは未だに地に倒れているので、到底戦闘は不可能だろう。
それどころではなく、怪我が酷い。今すぐにでも医者に見せないと危険な状態だ。
その他にも、この都市には汚染獣の襲撃と言う危機が迫っている。
だから、今はロイに時間をとられている場合ではない。
「ロイ君……」
「どけぇぇぇぇぇ!!」
錬金鋼を手に、ロイがシェルに襲い掛かってくる。
シェルは剣帯に納められた刀の錬金鋼は抜かずに、足となっている錬金鋼を使用する。
ロイの突進に合わせ、ステップを踏み、彼の顔を目掛けて、手加減抜きで蹴りを放った。
「大好きだったよ……」
その言葉は空しく響くのだった。
「大丈夫ですか?」
「私より、クララが……」
精神的に不安定で、愚直な突進しかできなかったロイを一撃で降し、シェルは己の職務を全うするために我に返る。
リーリンを気遣い、すぐさま重傷のクラリーベルへと視線を向け、通信機のようなものを取り出した。
「こちらファイムです。医療班、大至急こちらへ来ていただけますか?」
汚染獣対策として、戦闘で怪我を負った負傷者を治療するために構成された医療班。
それを呼び、クラリーベルの治療に当たらせるのだ。
「それで、一体どういうことなんですか?」
「実は……」
リーリンも事情を理解できていないが、とりあえず自分が説明する。
怪我を負っているクラリーベルに話させるわけにはいかないので、とりあえず起こったことを一通り、リーリンが理解できる範囲で話した。
流石に幼馴染のレイフォンが何故かこの都市にいて、身内と言うか、一緒にこの都市に来た天剣授受者であるサヴァリスが何故か戦っており、戦闘の余波で都市の破壊活動を行っていたということはぼかしたが、経緯は大方説明し終えた。
「そんなことが……それで、ロイ君はその狼面衆と言う一団の仲間だったんですね?」
「はい……」
「そうですか……」
肩を落とすシェル。
彼女が戦闘中につぶやいていた言葉、『大好きだった』
この発言から理解できるが、シェルはロイのことが好きだったらしい。
だと言うのにそんな人物が悪事に手を染め、こんなことをしていたと知ればショックだろう。
そのことを不憫に思うリーリンだったが、シェルは気丈に振る舞い、宣言した。
「何はともあれ、ここでじっとしているわけには行きませんね。一刻も早くマイアスを機関部に戻さなければ」
その通りだった。正直な話、今は現状を説明している時間すら惜しかった。
マイアスは衰弱しているのだ。一刻も早く機関部へと運び、エネルギーとなるセルニウムを補給させなければならない。
だが、それには問題もある。機関部に向かうということは、重傷のクラリーベルを置き去りにするということだ。
「あ、私でしたら大丈夫ですから、機関部へ向かってください」
だと言うのに、その本人であるクラリーベルはあっさりと、そんなことを言ってのけた。
「でも、クララ……」
「そうですよ。あなたを1人にする訳には……」
「本当に大丈夫ですから。それに現状、あなたといるのがリーリンも一番安全でしょうし」
機関部に一刻も早く、マイアスを戻さなければならない。
ならばシェル1人でマイアスを持ち、機関部に行くと言う手もあるが、それだとこの場に残されたリーリンとクラリーベルは危険だ。
本来、用件が終わったらロイが別のシェルターに案内すると言っていたが、ロイは敵で、しかも今は気絶中。そんなことできるはずがない。
それに、マイアスはリーリンに気を許しているようだし、ならばリーリンとシェルが共に機関部に行くと言う案が生まれる。
マイアスを機関部に送った後、そのままシェルターへと送ってもらえばいいからだ。
ただ、そうなると問題がひとつ残る。クラリーベルが取り残されると言うことだ。重傷で、動くことすら間々ならないクラリーベルが。
「すぐに医療班が来るそうですし、心配はいりません。それに万が一そこに転がっているロイさんが目覚めても、手足を縛られていては何もできないでしょう。それに、早くマイアスを機関部に戻さなくては」
「でも……」
すぐに医療班は来る、それは間違いない。
それにロイは気絶しており、武芸者専用の丈夫な拘束具で縛られている。
急を要する事態なので、確かにそれが一番の手だろう。
納得はできる。だが、心情的に納得はできない。
それでもじっとしているわけには行かず、結論が迫られた。
「わかりました……それでは、私はリーリンさんと共に機関部に向かいます」
「え!?」
「それでいいんですよ」
最も優先されるのは、マイアスを機関部へ運ぶこと。
それを決意したシェル。クラリーベルを置いていくことに動揺するリーリン。それをよしとするクラリーベル。
三人三様の意見。
「行きますよ、リーリンさん」
「………」
シェルがリーリンの手を引く。だが、リーリンの足取りは重く、視線をクラリーベルから逸らせない。
そんな彼女に向けて、クラリーベルは笑みを向ける。
「………行きましょう」
それだけでクラリーベルがなんと言おうとしたのか察した。
短くとも、ここまで濃度の濃い関係を築いてきたのだ。クラリーベルが何を言おうとしたのかは理解できる。
そして何より、ここで行かなければクラリーベルがあそこまで傷ついて自分とマイアスを護ってくれたのに、それが無駄になってしまう。
リーリンは後ろ髪を引かれる思いで、シェルと共に機関部へと向かった。
「さて……」
死ぬかもしれない。血と共に抜けていく何かを感じながらクラリーベルは思った。
出血が止まらないのだ。体力はもう限界。体温も下がり、寒気すら覚える。
襲ってくる強烈な眠気。それが永眠への扉なのかと思いつつ、クラリーベルは考える。
医療班がすぐに来るということだが、それはもう間に合わないだろう。せめてこの出血を止めなければ話にならない。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れた。
こんなところで果てようとしている自分が情けなく、泣きたくなってくる。
レイフォンに会いたかった。会って、戦いたかった。そして、自分の実力を認めて欲しかった。
そんな事を思ってグレンダンを出てきたと言うのに、こんなところで終わりと言うのは聊か酷過ぎる。
リーリンを護るためとは言え、格下相手の攻撃を受けて出血多量だなんて、悔やんでも悔やみきれない。
「はぁ……」
もう一度深いため息を付く。
痛覚が麻痺し、痛みすら感じない。意識が朦朧とし、最期の時が近づいているのではないかと錯覚する。
もはや打つ手はなく、諦めるしかないのかと思っていたところで……
「動かないでくださいね。僕自身、やるのは初めてなんで」
「え……?」
声が聞こえた。
そして麻痺していた痛覚だが、その声と同時に鋭い痛みが走った。
体に感じる違和感。そして焼けるような熱さ。激しい出血により気だるさを感じるが、抜けていく何かの感覚は止まった。
それだけではなく、出血が完全に止まった。
いったい何が起きたのか?
状況が理解できないクラリーベル。そんな、起きるのも辛そうな彼女の顔を覗き込むように、止血をした人物が見下ろしていた。
「大丈夫ですか?それから、リーリンを護ってくれてありがとうございました」
「あ……」
レイフォンだ。クラリーベルの視線の先には、レイフォン・アルセイフの姿があった。
その手に持っているのは、剣身が鋼糸と化した錬金鋼。
それが傷口を縫い、剄の熱で閉じた傷口を焼いたのだろう。これ以上血が流れると言う事はなかった。
「レイフォン……様」
「……それ、やめてくれませんか?僕はもう、天剣授受者じゃありませんし」
クラリーベルの言葉にレイフォンは頬を掻きながら、視線を気絶して縛られているロイへと向ける。
その視線は冷え切っており、憤怒を含んだ表情でロイを見下ろしていた。
「さて、『これ』をどうしましょうか?」
もはや物扱い。『これ』と言い、問いかける視線を向ける。
「そうだね。こんなものに無駄な時間を使うのもどうかと思いますが、暇潰しにはなるかもしれません」
問いかけた人物はサヴァリス。
狼面集を降してきた彼は、玩具を見るような視線でロイを見ていた。
「すみません、クラリーベル様。本来なら僕がリーリンさんを護らなければならなかったんですが……彼があまりにも愚かで拍子抜けしてしまって」
それは今まで見学しており、手を出せたのに出さなかったと言うことだろうか?
そんなふざけた発言をするサヴァリスだが、クラリーベルは特に憤怒を感じず、または感じる暇もなく、失った体力を補充しようと強烈な睡魔に襲われる。
永眠の扉ではなく、疲労による眠気。
「まぁ、彼の始末は僕らに任せてください。教導する義務はありませんが、存分に玩具に……いえ、更正させてあげますから」
そんなサヴァリスの言葉を最後に、クラリーベルは意識を失った。
あとがき
今回はいろいろと、ごちゃごちゃになっているなと後悔するこのごろ……更新です。
難産でした。凄く大変でした(汗
クララとロイの戦闘をどうするかとなやみましたよ。この場面だけで4日もかかりました。
結局、普通にやればクララの圧勝。だけどリーリンが居たから重傷と、こんな感じに。
クラリーベルファンに怒られないか心配です(滝汗
ロイを救済するとか言って、ロイが下種で更に酷い事になりそうな件について。
次回を待ってください。予定では、次回でマイアス編が終わる予定です。そうすればツェルニ編で1,2話して6巻編は終わりますので。
もうしばしの間、6巻編をお付き合いください。