一瞬、頭の中が真っ白になった。
ここにいるはずのない幼馴染が、今、目の前にいるのだ。
彼に会いに行くために、故郷のグレンダンを出てきた。
目的地であるツェルニへと向かうため、現在はこの都市で放浪バスが来るまで足止めされている。
そんな時、このような事件に巻き込まれたのだ。盗難事件の容疑者の1人として宿舎に拘禁され、錬金鋼すらも没収されてしまう。
それに対する行き場のなかった怒りさえも忘れ、今が汚染獣の襲撃を受けている非常時だと言う事も忘れて、リーリンは彼を見る。
幼馴染のレイフォン。同じ孤児院で育った兄弟。
レイフォンはボロボロのツェルニの制服を着て、そんな彼の近くにはこれまたボロボロのサヴァリスが倒れていた。
クラリーベルも倒れており、そんな彼女を押さえつけるようにレイフォンは彼女の髪を踏みつけている。
まったく状況が理解できない中、リーリンはもう一度幼馴染の名前を呼んだ。
「レイフォン……」
どうしてここに彼がいるのだろう?
疑問がまったく尽きない。だけど、会いたかった人が目の前にいる。
そのことにリーリンは戸惑ったが、今は会えたことによる嬉しさが込み上げてきた。
「レイフォン」
もう一度彼の名を呼び、1歩、レイフォンの元へと足を進める。
話したいことがあった。伝えたいことがあった。
この状況は理解できないが、今はレイフォンと言葉を交えたい、話をしたい。
そう思って、リーリンはレイフォンへと近づく。だが……
「……え?」
レイフォンは逃げ出した。
踏みつけていたクラリーベルの髪から足をどけ、脱兎の如く駆け出す。
武芸者としての身体能力をフルに使い、軽く跳躍しただけで建物の屋根まで跳び上がる。
そのまま全力で走っていき、すぐにリーリンの視界から消えてしまった。
「……………」
取り残されたリーリン。彼女は暫し、呆気に取られながらも状況を理解する。
レイフォンは逃げた、逃げ出したのだ。リーリンの顔を見るなり、全力で。
なんで?どうして?
そんな疑問が、リーリンの頭の中に浮かぶ。
だが、その答えを得るよりも先に、リーリンは幼馴染の名を大声で呼んだ。
「レイフォンっ!!」
レイフォンは走った。
理由は自分でもわからない。ただ、本能でそうしているのだ。
あそこにいては何故かまずい気がした。ただ、それだけの理由。
実際には逃げ出した方がまずいことになるのだが、今のレイフォンはそんなことを冷静に考えることはできない。
ただ感情に任せて、本能に従って、レイフォンは全力で走る。
「なんで?どうして!?」
どうしてここにリーリンがいる?
その疑問は、最初にこの都市に来た時にも思った。
理由を先ほどサヴァリスに聞こうとしたのだが、なんでこのタイミングでリーリンがあそこに現れる?
今は汚染獣の襲撃と言う非常時で、一般人はシェルターへの避難を命じられているはずだ。
当然、リーリンだって避難をしていたはず。だと言うのに何故、あの場へ現れた?
わけがわからないままに走り続けて、どうしてレイフォンは走っているのかもわからない。
そのまま走り続けて、あっと言う間に外縁部にまで辿り着いてしまった。
レイフォンはやっと足を止めると、くるりと後ろを振り返る。
もう結構離れてしまったために、ここからではリーリン達の姿は見えない。
だが、レイフォンは武芸者だ。その中でも最強クラスの実力を持つ、元天剣授受者。しかも今は廃貴族が憑り付いていることにより、剄が大幅に増幅している。
少し活剄の密度を上げれば、視力を強化してーリン達の様子を窺うことができるし、聴力を強化すれば話を聞くこともできる。
レイフォンはこの場所から、リーリン達の様子を見ることにした。
「……なんで?どうしてレイフォンがここに?その前になんで逃げたの!?」
レイフォンに逃げられたリーリンは呆然とし、唖然とし、呆気に取られて驚愕する。
状況がまったく理解できず、わけがわからない。
レイフォンの姿は既に見えなくなり、残っているのは地に倒れた傷だらけのサヴァリスと、無傷だが同じように倒れていたクラリーベルのみだ。
「レイフォン様、どうしたんでしょうか?」
クラリーベルは起き上がり、背中に付いた砂埃や、踏みつけられたことによって髪に付着した土などを手で払う。
彼女もどうしてレイフォンがここにいるのか気になっていたが、レイフォンとサヴァリスの戦闘を見てそんなことはどうでもよくなっていた。
だが、その興奮も冷め、幼馴染であるリーリンの姿を見て脱兎の如く逃げ出したレイフォンの姿を見れば、彼女が疑問に思うのも当然のことだ。
ここまでの道中で暇つぶしに聞いた話だが、レイフォンとリーリンの仲が悪いと言うことはないはずである。むしろ良い。
グレンダンであのような騒動を起こしたレイフォンを許し、むしろ味方していたのはリーリンなのである。なのにどうして、レイフォンは逃げ出した?
「レイフォン……」
レイフォンの行動の意味が理解できないと、リーリンは嘆いていたが……
「あっ!サヴァリス様大丈夫ですか!?それにクララも、さっきレイフォンに髪を踏まれていたみたいだけど……」
今はこの状況を思い出す。
傷だらけで倒れているサヴァリス。
クラリーベルも目立った怪我こそないが、先ほどまで地に倒れ、レイフォンに押さえつけられるように髪を踏まれていたのだ。
どうしてこのようになったのか?
なんでレイフォンはクララにあんなことをしていたのか?
そんなことを考えながら、リーリンは新たな心配事に囚われる。
「なに、なんともありませんよ……ちょっとレイフォンに敗北しただけです。いやぁ、負けというのも案外清々しいものですね。こんな気持ちは陛下に敗北した時以来だ……くっくっ」
サヴァリスは地に倒れたまま、子供のように無邪気な笑顔で言う。
邪気がまったくない、純粋な笑顔だ。負けたと言うのに、こんなにもボロボロだと言うのに、純粋に、嬉しそうに笑っていた。
「私も大したことはありません。それに、元はと言えば私がレイフォン様に不意打ちしたのが原因ですから」
クラリーベルもどこかにこやかな笑みを浮かべており、女の命とも言える髪を踏みつけられたことなどまるで気にしていなかった。
その感性が、リーリンには理解できなかった。
そんな風に彼女が呆気に取られていると、笑っていたサヴァリスが笑みを止め。不思議そうにリーリンへと視線を向けてくる。
「そう言えばリーリンさん、どうしてここにいるんですか?今は非常時で、一般人はシェルターに避難しているはずですが」
その非常時に何をしているのかと思ったが、リーリンはサヴァリスに言われてはっと思い出す。
彼女がここにきた理由を。
本当は今すぐにでもレイフォンを追いかけたい衝動に駆られたが、今はそんなことをしている場合ではないし、一般人のリーリンが追いかけたところで到底追いつけない。
だから渋々と諦め、リーリンはサヴァリスに現状を説明した。
「大変なんですサヴァリスさん!都市が足を止めているんです」
「知っていますよ。いずれこうなるだろうなとは思ってました」
サヴァリスはむくりと起き上がり、あっさりと言ってのけた。
この態度にリーリンは目を丸くしたが、今更彼の性格についてどうこう言っている場合ではない。
それにサヴァリスも武芸者なのだ。クラリーベルのように外に出て、直接状況を確認したのだろう。
「電子精霊がいないそうなんです。だから、すぐになんとかしないと……」
「……それは、どなたに聞いた話ですか?」
「クララです」
流石に電子精霊のことは知らなかったサヴァリスが、それをどこで聞いたのかとリーリンに尋ねる。
その返答を聞き、サヴァリスは今度はクラリーベルへと視線を向けた。
視線を向けられたクラリーベルは、空を舞う小鳥の群れを指差して言った。
「まず、間違いないでしょうね。そしていなくなった電子精霊は、たぶんあそこにいます」
「どうしてそう思うんです?」
「あの光です。もっとも、サヴァリス様に見えるかどうかはわかりませんが……」
クラリーベルの言葉通り、サヴァリスは奇妙な顔をした。
目を細めたりして小鳥の群れを見つめているが、クラリーベルの言う光を発見できていないようだ。
そう言えばとリーリンは思い出す。避難誘導をしていた都市警察の少女も、あの光が見えていなかったとような反応をしていたことを。
「そんなものはどこにもありませんが?」
「でしょうね。ですがサヴァリス様が見えていないことから、間違いなく電子精霊はあの中にいるのですよ」
「なるほど……先ほど出てきたイグナシスの下っ端がやはり関係しているんですね?」
「あら、そのことはご存知だったんですか。流石はルッケンスの家系といったところでしょうか?」
クラリーベルとサヴァリスは、リーリンには理解できない言葉を交わしている。
会話に置いてけぼりになるリーリン。その会話に介入することすらできず、呆然とする彼女だったが……
「これは……」
「やれやれ、またですか」
この状況で、ゆっくりする時間が与えられるわけがなかった。
どこから現れたのかはわからないが、うじゃうじゃと集まる狼面の集団、狼面衆。
クラリーベルとサヴァリスは会話を打ち切り、現状を理解できていないリーリンを庇うように立った。
「クラリーベル様、リーリンさんとそちらの件に関しては任せてもいいですか?僕はこいつらを殲滅させますので」
「わかりました。確かに錬金鋼なしで相手をするには数が多すぎますね。ですがサヴァリス様は大丈夫ですか?お怪我がずいぶん酷いようですが」
「なに、こんなもの……」
体中に走る切り傷。左手と肋骨の骨折。もしかしたら破裂したかもしれない内臓。
ハッキリ言って絶対安静であり、間違いなく重傷だ。
だと言うのにサヴァリスは口から血を漏らしながらも、気丈に振舞って狼面衆の前に立った。
「掠り傷ですよ!」
宣言すると同時にその姿が掻き消え、一瞬で距離を詰めて狼面衆を蹴り飛ばす。
その速度はあまりにも速く、リーリンにはサヴァリスが何をしているかなんて視認することは不可能だった。
「これは……一体どういうことですか?」
サヴァリスと狼面衆の戦闘に呆然としていたリーリンに、唖然としたような男性の声がかけられる。
その声に、いや、正しくは声の主である男性の気配を感じた瞬間に警戒するクラリーベルだったが、その姿を見てクラリーベルは警戒を緩めた。
「あなたは……」
都市警察に所属している、第一隊隊長のロイだ。
彼は驚きと苦渋で複雑に表情を歪ませ、目の前で行われている戦闘を見入っていた。
「どうしてあなたがこちらに?」
「列から離れていくあなた方が見えましたから、後を追ったんですよ」
警戒を緩めたとは言え、油断はしないでクラリーベルがロイに問いかける。
その返答は一応納得のできるものだったが、クラリーベルの表情はどこか固かった。
「一体、何が起こっているんです?」
「実は……」
ロイの問いに対し、リーリンが早口で、掻い摘んで事情を話す。
いきなり襲ってきた狼面の集団のこと、そしておそらく、あの中に電子精霊がいるのではないかと言う憶測。
それに対してロイは少しだけ考え込み、サヴァリスと狼面衆の戦闘へと視線を向けた。
一般人のリーリンからすればわからないが、クラリーベルから見ればわかる。
レイフォンとの戦闘による傷が響くのか、どことなくサヴァリスの動きが鈍い。
それでも狼面衆を圧倒するには十分で、狼面衆はまるで相手にならず次々と還されていった。
その姿に表情を引き攣らせるロイ。サヴァリスの瞳は狂気で歪んでおり、激しく動いていることから口元、傷口から血が溢れて飛び散る。
血を滴らせながらの乱舞。この光景は、例えロイでなくとも呆気に取られてしまうだろう。
「ど、どちらにせよ……あの人だけにこの都市の運命を任せるわけにはいかない」
ロイは狂気の乱舞から視線を逸らすと、どこかへ向けて歩き出した。
「どこに?」
それに対してリーリンが尋ねる。
「あの中に電子精霊がいると言うのなら、あの群れを閉じ込めている仕掛けを壊さなくては」
「あ、なるほど……」
説明されて納得。ここにいてもリーリンは何もできないので、戦いの音を背にロイの後を追った。
それにはクラリーベルも同行し、ロイには気づかれないようにぼそりとリーリンに向けて囁く。
「リーリン、あまり私から離れないでください」
「え……それって?」
リーリンの疑問にも答えず、クラリーベルはロイの後を追う。
戦闘に巻き込まれないよう、大回りをしてその場所へと向かった。区画を潜り抜ける者を監視する通行所はシャッターが降りて無人となっていたが、ロイが非常用の扉を開けて通してくれた。
「もう、宿泊区画側からはシェルターに入れませんからね。あなた方はは後で別の入り口に案内します」
「あ、ありがとう」
「あなた方のおかげで原因がわかったんですから、当然です」
ロイの事務的な態度は変わらない。
通行所を通り抜けて、堀沿いに進んで目的の場所へと向かう。
「はっ、はぁ……遠い………」
武芸者のロイやクラリーベルには何と言うことのない距離だが、一般人の、しかもスポーツが得意とは言えないリーリンからすれば結構な距離だ。
非常時のため急ぐので、ロイはリーリンに合わせてゆっくりとは歩いてくれない。一応、置いていかないように早足程度だったが、それでもリーリンは走りっぱなしで脇腹が痛くなった。
「大丈夫ですか?」
「……なんとか」
息を荒げてすらいないロイを、リーリンは恨めしげに見上げた。
クラリーベルは自分が背負うかと申し出てくれたが、それを断ってリーリン達は目的の場所へと辿り着いた。
そこはどこまでも続きそうな高い堀と、沿うように伸びる道。風除けの樹林が植えられており、地面には落ち葉が落ちていた。
頭上では小鳥達の群舞が続いている。小鳥達の放つ鳴き声は甲高く、空を引き裂こうとするようだった。
息を整えながら、リーリンは周囲を見回す。
「あなたの言う仕掛けが機械的なものだとすれば、あの鳥達に近いこのあたりに設置されているはずですね」
「そうですね。そうであって欲しいものです」
クラリーベルの言葉にロイが頷き、二手に分かれて探すこととなった。
樹林の中に入りこみ、リーリンとクラリーベルは枯葉を蹴散らしながらそれらしいものを捜す。だが、そう簡単には見つからない。
少し離れた場所で、同じように枯葉を蹴散らしているロイへとリーリンは一瞬だけ視線を向けた。
彼もまた、見つけた様子はない。
(もしかして……)
そんな時、ふっと一瞬だけあることを考えた。
だが、その考えを否定する。ロイは都市警察の人間だ。そんなことがあるはずがない。
(とにかく、探さないと)
今、最も優先すべきことは電子精霊を助け出すことだ。
そんな考えを思考の片隅へと追いやり、リーリンは仕掛けを探し出すことに集中した。
「ありました!」
それから少しして、ロイが叫ぶ。
リーリンが視線を向けると、ロイは堀に沿うようにしてある側溝の蓋を開け、中を覗き込んでいる。
リーリンとクラリーベルが駆け寄り、中を見ると、そこにはリーリンが抱えられるぐらいの大きさの、小型の発電機のようなものが置かれていた
パイプのように太いコードが、側溝に沿って伸びている。
「おそらく、これがあの現象を起こしている機械のひとつでしょう」
「壊したら、全部消えるかな」
「なら、ここは私が……」
「まぁ、待ってください」
機械をクラリーベルが破壊しようとしたが、それをロイが制し、側溝に伸びたコードをつかんだ。
「別に、壊さなくても」
そのまま力任せに、一気にコードを引き千切る。
火花と電気が飛び散り、煙が上がる。小規模な爆発の後、小さな唸りを上げていた機械は動作音を止め、動かなくなった。
「エネルギーの供給を止めてしまえばいいんですよ」
パイプのように太いコードを引き千切るなんて発想、リーリンに思いつくはずもない。
事務的な態度を崩し、どこか子供染みた得意げな顔をするロイを無視して、リーリンは空を見上げた。
小鳥達は大きな羽音を上げ、飛び散るように散開した。
電光が消え去り、小鳥達の行く手を遮っていたものがなくなったのだ。
四方へと散らばった小鳥達だが、離れた場所で再び合流して群れを作った。
その内の何羽かが、疲れ果てたようにリーリン達の周りに降りてくる。
「あ……」
その中に、リーリンの部屋に舞い込んできた1羽がいた。
その小鳥にだけ、頭の部分に冠のような金色の羽毛があるのですぐにわかった。
小鳥は真っ直ぐにリーリンの肩に止まり、羽を休めた。
「マイアス……」
呆然と、ロイが小鳥を見てそう呼んだ。
「え?」
「それが、電子精霊マイアスです」
「この子が……」
肩に止まった、この小さな鳥が電子精霊。
小鳥の群れを電光が覆っていたのだから、もしかしたらとは思ったが、ハッキリ言って意外だった。
リーリンが電子精霊を見るのは、これが初めてである。
「そう、なんだ……」
「そうです。ですから、早くマイアスを機関部に戻さなければ」
そう言って、ロイがマイアスへと手を伸ばす。
次の瞬間……
「っ!」
目を覆う閃光が走り、ロイが伸ばした手を引っ込めた。彼の指先が黒く変色し、裂けた部分から赤黒いものが見え隠れする。
突然、自分の肩で起こったその異変にリーリンは立ち尽くした。
肩の上に乗っていたマイアスが力を失い、落ちていく。リーリンは慌てて両の手でマイアスを受け止めた。
今のは雷性因子。電子精霊がロイを拒否した?
「あなた……」
思考の片隅へと追いやった考えが浮かんでくる。
クラリーベルが今度は確信を持ったように警戒をし、リーリンとロイの間に割って入った。
「くっ、まいりましたね」
痛みに顔を引き攣らせたロイは、忌々しそうにマイアスを見つめていた。
「電子精霊を渡してもらいましょうか」
「嫌よ」
ロイの言葉を一刀両断にし、リーリンは後ろに下がった。
それを護るように、クラリーベルは厳しい視線をロイに向けて言う。
「電子精霊は私達が機関部に戻します。ですからお構いなく」
「……都市外の人間を機関部に案内できるわけないじゃないですか。さあ、早く」
一応筋は通った言葉だ。関係者以外、都市の心臓部である機関部にそう易々と入れられるわけがない。
それでも、ロイに任せるわけにはいかなかった。
「芝居はもういいんじゃないんですか、ロイさん。いいえ、狼面衆」
「っ……」
クラリーベルの言葉にロイが歯噛みをし、焦ったような顔から表情が消えた。
狼面衆と言う、リーリンには理解できない言葉。
それでもロイには通じているらしく、何も感じさせない無表情で問いかけてくる。
「……知ってたんですか」
「血筋的なものです。こういったことについて敏感なんですよ。そしてあなたには、最初から連中と同じ気配を感じていました。一体何をする気なのか傍観していたのですが、なるほど、電子精霊の強奪ですか」
その会話にリーリンはついていけない。だが、ロイが怪しいとは思っていた。
その理由は、小鳥達を囲んでいたあの電光が原因だ。
あれはリーリンとクラリーベルにしか見えておらず、サヴァリスや都市警察の少女には見えていなかったのだ。
それは他の人、宿泊客達も同じだろう。あんなに激しく光っていたのだ。汚染獣に見つかった衝撃のために気づかなかったなんてありえない。
何人かは気づき、動揺の声が上がってもいいはずだ。
つまり、あの電光が見えたのはリーリンとクラリーベルのみ。そして、仕掛けをした当事者達だけ。
「確か、あなた方はグレンダン出身でしたね。なるほど……そう言うことですか。ですが、ひとつ解せない」
ロイは錬金鋼を復元し、構えを取る。
クラリーベルは警戒しながら、ちらりとリーリンへ視線を向けた。
錬金鋼がないとは言え、ロイ自身を打倒することは可能だろう。
だが、今は一般人のリーリンがいる。彼女を護りながら戦うとなると話は違ってくる。
武芸者同士の戦闘、剄のぶつかり合い。その余波で彼女が怪我をするかもしれない。
ならばと、クラリーベルは自分がとるべき行動を決めた。
「リーリンさん、剄脈を持たない、武芸者でも念威繰者でもないあなたが、どうしてこの運命の輪の中にいる?錬金術師達が作り出した、この、閉じた世界の中にいる?ただの人の分際で」
「えっ!?」
リーリンにとって理解できない、まったくわけのわからない言葉。
だけどそれに答える余裕なんてなく、リーリンはその手のマイアスを抱えたまま、クラリーベルに抱えられてしまった。
一瞬で肩と足へと手を伸ばし、所謂お姫様抱っこでクラリーベルはリーリンを抱え上げて跳ぶ。
「きゃあああああっ!?」
リーリンはわけがわからずに悲鳴を上げた。
サイドポニーに結ばれたクラリーベルの髪がたなびく。彼女は活剄で強化した肉体で建物の屋根へと跳び上がり、そのまま飛び石のように駆けていく。
逃走だ。このままロイと戦うわけにはいかない。だから、一時リーリンをどこか安全な場所へと運び、その上でロイを迎え撃つ。
そう決意したクラリーベルだが、
「待て!」
当然ロイは指を咥えて見ているわけがなく、悠長に待ってくれるわけがなく、クラリーベルと同じように屋根を跳びながら追いかけてきた。
「待てと言われて、誰が待ちますか!」
クラリーベルはそう言って、速度を上げた。だが、リーリンを抱えている故に全力は出せない。
武芸者が全力で動いたときに生じる速度と衝撃に、一般人であるリーリンは耐えられないだろう。体と神経がついていかないはずだ。
だからクラリーベルは全力で走れない。そんな彼女との距離を、ロイは少しずつ詰めてくる。
「くっ……」
歯噛みをするクラリーベル。
マイアスの街中で、逃走劇は始まったばかりだった。
「……………………………え?」
長い間の後、カリアンは首を捻った。
一瞬、何を言われたのか理解できない。いや、一瞬ではなく現在進行形でわけがわからない。
「言ったとおりの意味だ。こういったことは直接本人に告げるのが筋だが、あんなことがあったから伝える機会を失ってしまった。それで兄であり、この都市で唯一の肉親である生徒会長に言ったと言うことだ」
「……冗談、だね?」
「俺は医者だ。こういったことで嘘や冗談は言わない」
カリアンと同じ最上級生の6年生である医者は、事実を認めたくないカリアンの言葉を冷酷に否定する。
フェリが倒れたことにより剄脈以外にも体に不備がないか、健康診断のようなものをして、今回のことが判明したのだ。
「嘘だ……」
「本当だ」
「いやいやいや……ありえない、ありえないよ君!」
「落ち着け」
「ないって、絶対にない。僕がないと言ったらないんだ」
「現実を見つめろ」
盛大に取り乱すカリアンに対し、医者はあくまで冷静だった。
現実を受け止めたくないカリアンに向け、医者は彼にとって絶望的な事実をもう一度告げる。
「ありえない!!」
それに対するカリアンの絶叫。
彼の叫びは、病院中に虚しく響き渡るのだった。
「え……………?」
フェリは病室でこの事実を告げられ、間の抜けた声を上げる。
「こんな時はおめでとう……と言うべきなのか?」
医者の言葉が非現実的に聞こえ、視界の隅では兄であるカリアンが壁に寄りかかってぶつぶつとつぶやいている。
現実を認めたくない、憂鬱そうな悲壮感。そんな雰囲気が滲み出しているが、そのことはフェリには関係なかった。気にする余裕がないのだ。
彼女の左手首には包帯が巻かれており、その下には痛々しい切り傷が隠れている。
生きる気力すら失い、自殺未遂なんて騒ぎを起こしてしまった。その気持ちも今はだいぶ落ち着いてはいるが、今のフェリに覇気はない。
呆然とし、唖然とし、朦朧とした意識で医者の話を非現実的に受け止める。
「だから、自殺なんて馬鹿な真似はやめるんだな。もう、お前さん1人の命じゃないんだから」
自分1人の命ではない。そう言われても実感なんて湧かなかった。
なんとなく、自分の腹部を軽く撫でてみる。そこに芽吹いた新しき命。
それが信じられない。現実味をまるで感じない。
「妊娠一ヶ月。わかるか?お前さんは母親になるわけだ」
妊娠、その言葉の意味を思わず自問してしまう。
自分が母親になる?その意味も自問する。
それは正直……とても嬉しいことだ。子を生すと言う行為。そんなことをした相手はフェリには1人しかいない。言うまでもなくレイフォンのことだ。
母親になると言うことに不安や、自分に子育てがちゃんとできるのかと言う心配がある。それでも大好きな人、愛しい人、恋しい人、その人との間に授かった子供。嬉しくないわけがない。
そのことを素直に喜びたかった。その人と共に笑い合いたかった。だけど今は、その笑い合うべき相手がいない。
一瞬だけ表情が変化したフェリだが、その表情がすぐに暗いものへと変わる。
その表情の変化に、医者がため息を付く。
「なんともまぁ、浮かない顔だな。ショックなのはわかるが、だからって立ち止まっちゃ意味がないだろ?人の親になるわけだ。だから変わらないといけない」
気力のない、覇気のないフェリに向け、医者は言葉を投げかける。
本来ならこのことを言うべき立場である、兄のカリアンは未だに壁に寄りかかってぶつぶつとつぶやいている。
「俺に気の聞いたことは言えんが、とりあえず生きろ。死んでなんになる?考えてもみるんだな。あいつがお前さんに望んでいることを」
医者の言葉が淡々と響く。
自殺をしようとしたフェリ。医者としては見殺しにすることなんてできないし、彼からすれば何を馬鹿のことをと思っている。
活かすのが医者の仕事であり、彼の使命なのだから。
そして何より、フェリの死などレイフォンが望んでいるわけがない。
医者はレイフォンのことをそこまで知ってはいないが、フェリが依存し、子を生すまでに愛し合った人物なのだ。
彼女のことを愛おしい存在と思っているに違いない。でなければ、そんなことなどしないだろう。
「フォンフォン……」
もう一度腹部をなでる。未だに実感は湧かなかった。
だけど、これだけは断言できる。レイフォンは、フェリの死など願ってはいない。
それだけは、断言できた。
「なんにせよ、安静にしているんだな。もちろん念威の使用は認めない。また自殺しようなんて馬鹿な真似をするんじゃないぞ」
そう言って、医者は病室を出て行く。
カリアンは多少立ち直ったのか、戸惑いながらもフェリへと視線を向けていた。
だが、その顔に余裕はなく、明らかな動揺の色が張り付いている。
「フェリ……」
震えるような声で彼女の名を呼び、カリアンはベッドの側に置かれていた椅子に腰掛けてフェリを見つめた。
「兄さん……」
フェリ自身も戸惑いは隠せない。
それでも、その瞳には先ほどのような無気力なものは感じられず、少しだけ気力が回復したようにも見える。
フェリに本当に少しだけだが、覇気が戻っていた。
「びっくりしました……私、母親になるんですね」
「………らしいね」
フェリの微笑み。それはとても弱々しく、儚いものだったが、確かにフェリは笑っていた。
その笑みを見て、カリアンは僅かに安堵した表情を浮かべるも、すぐに不安がぶり返してくる。
「フェリ……君はレイフォン君のことが好きなのかい?」
「ええ、大好きです。愛しています」
カリアンの問いかけに、フェリは即答で返してきた。
そんなこと、聞くまでもなくわかっていたことだ。
だからこそ、そのレイフォンがいなくなり、フェリには支えとなる存在が消えてしまった。
故にフェリは壊れてしまい、止めを自分が刺してしまったと後悔していた。
だと言うのに今のフェリは持ち直し、僅かながらも力のこもった視線でカリアンを見つめてくる。
「だから嬉しいんです。そんなフォンフォンとの子供ができたことが。未だに実感は湧きませんが、私は今、とても幸せです」
その言葉は、自殺をしようとした者の言葉とは思えない。
強さが宿っており、母親になると伝えられて決意が生まれたようだ。
それ自体は良いことで、喜ばしいことだと思うカリアンだったが、妹が子を生すための行為をしていたことに言いようのない寂しさを覚えるカリアン。
フェリを汚したレイフォンに内心で静かな怒りを感じつつ、行方不明となり、フェリに心配をかけている現状に更なる怒りが込み上げてくる。
だが、そのことを責めるのは筋違いだとも理解している。フェリを汚したこと云々に関してはともかく、ツェルニのレベルは低い。
武芸者の質は低く、頼れる戦力はレイフォンだけ。彼がいなければ、汚染獣の幼生体すら満足に追い払えないのが現状なのだ。
だからこそその戦力に頼り、酷使してしまった。そのツケがレイフォンの失踪と言う形で支払われる。
もしもレイフォンの他に頼れる武芸者がいたら?
もしも彼を1人で行かせていなかったら?
そんな今更なことを考えてしまう。後悔してしまう。
それでもフェリは、そんなことを感じさせないように無理やり笑っていた。
「もう……大丈夫ですから。落ち着きました。フォンフォンがいないからって、何時までもこうしているわけにはいきませんね。すいません、兄さん。迷惑をかけてしまって」
「いや……」
フェリは笑っている。だけどその笑顔は、今にも泣き出してしまいそうなほどに脆い。
幸せ、嬉しいと言う気持ちは本物だろう。だが、それと同じくらい、あるいはそれ以上にフェリは悲しんでいる。
それを隠しつつも、フェリは儚げに笑い続けていた。
「本当に、大丈夫ですから」
フェリのそんな笑顔は、見ているだけで辛かった……
あとがき
今回、後半のツェルニサイドは急展開かな、なんて思いました。
ですが既にレイフォンとフェリはやっちゃってますからね。前々から子供は作ろうなんて考えてました。
出産予定日はカリアンが卒業する日くらいですw
さて、次回はどうなるのでしょうか?
リーリンがツェルニに来たら修羅場必至ですねw
もっとも、フォンフォンは言うまでもなくフェリに一直線なんですが。