早朝、耳に届くかすかな音でレイフォンは目を覚ました。
睡眠は十分に取り、足りている。さわやかと言うほどでもないがベットから降り、カーテンを開いて窓を開け、朝日と新鮮な空気によって残った眠気を飛ばす。
最近暖かくはなってきているが、朝はまだ肌寒いと思いながら、レイフォンは顔を洗いに行く。
洗って、音の方向を目指した。場所は大勢の食事を作れるキッチン。
そこには、1人の少女の背があった。
「メイシェン、早いね」
「わっ……レイとん?」
その背の主、鍋を抱えたメイシェンが、レイフォンの声に驚いて振り返った。
「あ、ごめんね。朝ご飯、まだだから……」
「ん、いいよ。手伝う」
「え?でも……」
「いいからいいから、なんとなく目が覚めたし」
そういうと、レイフォンはテーブルに並んだ野菜を洗っていく。
その予想外の、朝食で使う分にはかなり多い量の野菜に少し驚いた。
「結構な量だね」
「あ、うん……ついでに夕食の仕込みもしちゃおうと思って」
そう言って、メイシェンはふたつ目の鍋を準備している。
仕込みをすると言う事は、スープ系かシチューを作ろうとしているのだろうか?
ああ言うものは煮込めば煮込むほどおいしくなる。
「ふうん。あ、野菜は僕がやっちゃうから、他のしてていいよ」
言って、レイフォンは野菜の皮むきを始める。
「……でも、他のは冷めてもいけないし」
「あ、そうだね」
食材を買うのに付き合ったので、何を作るかは大体予測がつく。
だからその言葉に納得し、先に野菜の皮むきを済ませてしまおうと2人で並んで皮むきを行った。
「レイとん……うまいね」
「そう?」
レイフォンが自炊をし、料理をできるのは知っているが、野菜の皮を剥くその速さに驚く。
極限まで皮を薄く、無駄なく剥いているのだ。最も、それはレイフォンの育った環境なら当然の事かもしれない。
「小さいころから料理の手伝いはしてきているからね。下拵えの早さには自信があるよ」
「そうなんだ」
孤児院と言う環境故、大勢の料理を作る。
その上、皮を限界まで薄く剥く事により少しでも多くの量を確保し、無駄をなくす意味もあった。
経営自体が重苦しかった孤児院故に、高がその程度と馬鹿にできないからこそ研かれたスキルだ。
その上手元の芋の形を指で覚え、その形に合わせて刃が当たるように芋を動かしているため、目を向けずとも、会話を交わしながらでも手を止めずに皮むきを続けている。
「でも、メニューを考えるのが苦手でね。最近は気をつけているけど、栄養とかバランスとか考えないで作っちゃうから、良く怒られていたね」
「……そうなんだ?」
「うん、リーリンにね」
「え?」
レイフォンの言葉に相槌を打つメイシェンだったが、不意に出たリーリンと言う名に、思わず手元を狂わせてしまいそうだった。
「あ、リーリンって言うのは僕の幼馴染でね……」
リーリンについてレイフォンは説明し、彼女との料理に関する、なるべく他人が笑えそうな思い出を話した。
その話を、メイシェンはニコニコと笑顔で聞いていた。
ただ、レイフォンは気づかない。ニコニコと笑っているメイシェンの笑顔が、その表情のまま、話が終わるまで一切変化しないと言う事実に。
「おはようございます」
「あ、おはようございます、フェリ。昨日はゆっくり眠れましたか?」
「ええ」
ちょうどリーリンについての話が終わったころ、フェリがキッチンに入って来た。
フェリの挨拶に頬を緩めて返答するレイフォンだったが、メイシェンはびくっと肩を震わせて強張っていた。
そんな彼女の反応にレイフォンは気づかず、フェリは気づいたが特に追求もせず、レイフォンとメイシェンの前に置いてある野菜へと視線を向ける。
もう半分は皮を剥き終わったようだが、まだ半分残っていた。
「……手伝いましょうか?」
「え?いいですよ別に。フェリはゆっくり休んでいてください」
フェリの申し出を断るレイフォンだったが、フェリは半ば強引に、それを無視するような形でキッチンナイフを手に取り、皮むきを始める。
「あの……フェリ?本当にいいですから」
が、その作業がどうにも危なっかしい。
確かにここ最近、フェリは料理をするようになって努力もあってか上達はしている。
だけどキッチンナイフの扱いがどこか覚束なく、プルプルと手が震えている。
前回のバンアレン・デイのお菓子作りの場合は、材料を混ぜて型を取るだけでよかったのだが、フェリの場合はキッチンナイフの扱いが、しかも野菜の皮むきと言う作業が苦手なのだ。
「っ……!?」
「ああ、だから言ったのに……」
レイフォンの心配どおり、フェリは危なっかしい手つきで自分の人差し指を切ってしまった。
半ば呆れつつ、レイフォンは皮むきを中断してフェリが切った左手の人差し指を取る。
「あっ……」
その人差し指を口に含み、流れる血を吸う。
唾液と言うのは除菌効果もあるし、唾を傷口に塗る事によってある程度血を止める事もできる。
「まったく……後でちゃんと消毒してくださいね?それから、皮むきは僕達がしますからフェリはゆっくりしててください」
レイフォンはそんなことを応急処置と言う名目で行い、多少苦笑いしながら、咎めるようにフェリに言う。
ただ、その向ける視線がとても優しく、フェリを心配しているのだと言う気持ちは十分に伝わっていた。
「……はい」
フェリはそれに頷き、渋々とキッチンを出て行く。
レイフォンは苦笑して皮むきを再開した。
「ん……どうかした?メイシェン」
「……え、あ……ううん、別に……」
「そう?」
その行いを、一部始終見せ付けられたメイシェン。
彼女は呆けており、レイフォンの呼びかけに我に返ったが、その表情はどこか沈んでいた。
その真意が、訳がわからず、またわかろうとすらせずにレイフォンは作業を続ける。
そんなレイフォンを見ているだけで、メイシェンの胸はキリキリと締め付けられるのだった。
「ああ……生きてるって素晴らしい」
「また朝日拝んで、朝飯が食えるとは思わなかったな……」
「大袈裟だな、シャーニッド、オリバー。昨日の訓練はそんなにきつかったか?」
朝食の席で生の実感を噛み締めるシャーニッドとオリバーに、ニーナは首を傾げて問う。
だが、2人が今ここで生きて、ご飯を食べている事に喜びを感じているのはそんなくだらない理由ではない。
「昨日……地獄を見たんですよ、物理的に……」
「まさか、また起きられるとは思わなかったぜ……」
「?」
訳がわからないと更にニーナは首を傾げる。
だが、シャーニッドとオリバーの言葉は的を射ていた。
永眠するかと思ったのだ。意識が闇に沈み、そのまま永遠に眠り続けるのかと思ったのだ。
それが今、ちゃんと目覚めて朝食を取っている。
そんな当たり前のことが、どうしようもなく嬉しかった。
「これに懲りたら次からは気をつけてくださいね?次は本当に永眠してもらいますから」
「「ういっす(はい)……」」
地獄を見た元凶にニッコリと冷たい笑みを向けられ、シャーニッドとオリバーは肩を震わせる。
生を噛み締めながらも生きた心地がせず、喜びながらも怯えながら、絶対にレイフォンには逆らわないと心の中で誓うのだった。
朝食が終わり、訓練となった。
2泊3日の内、初日である昨日は準備などで時間を取られ、簡単なものしかできなかった。
明日も最終日で、片付けなどでたいしたことはできないだろう。
故に2日目、今日1日が合宿の本番と言える。
入念なストレッチで体をほぐした後、ニーナが集合をかける。
「今日は試合形式で行う」
ニーナの手には2本のフラッグが握られていた。
対抗試合とは多少ルールが違ってくるが、要は旗の奪い合い。
これを取られた方が負けと言う事だろう。
「って、ちょい待った」
だが、待ったをかけるようにシャーニッドが手を上げた。
「なんだ?」
「試合ったって、うちの人数じゃ満足にできないだろう?オリバー入れたって6人だぜ。3対3じゃ最定数の4人すら満たしてねぇ」
「え、俺も参加するんですか!?」
試合をするには第十七小隊ではあまりにも人数が少なすぎる。
オリバーに手伝ってもらったとしても3対3であり、小隊を結成するのに最定数の4人にすら達しない。
それでは連携訓練はロクなのができないし、何よりオリバー自身あまり乗り気ではない。
それに、同数ではレイフォンと言う存在がネックになる。レイフォンの実力はもはや反則。
3対3と言う状況では、レイフォンがいる方が圧倒的に有利だ。
「それなら、簡単だ。レイフォン」
「はい?」
ならば、均衡を取ればいい。
「お前1人と、残りだ」
しかし、それは数の問題ではない。実力での均衡だ。
レイフォン1人対、残りの十七小隊メンバー4人。オリバーは参加を拒否したが、これである程度の形にはなる。
「ちょっと待ってください」
だが、それは片方だけの話。傍から見れば、レイフォンに圧倒的に不利だ。
ナルキが思わず声を上げる。
「そんなので本当にいいんですか?」
レイフォンの強さは第十小隊の試合や、今まで手伝ってもらった都市警の仕事などで十分理解しているつもりだ。
だが、それでも流石に4対1で、総力戦ならともかく試合形式で負けるとは思わない。
「まぁ、やってみればわかるさ」
その考えを読み取ったニーナが意味ありげに言い、レイフォンにフラッグの片方を投げて渡す。
最初に疑問を抱いたシャーニッドもそれ以上は何も言わず、準備を始めた。
ナルキだけは不満そうなまま、同様に準備を始める。
最初はレイフォンが防御側に回る事になった。
ナルキ達はニーナが指定した位置にフラッグを差し、その場で開始を待っている。
レイフォンが自分に与えられた陣地に移動する前に、ニーナが呼び止めて、何かを耳打ちしていた。
レイフォンは微かに怪訝そうな顔をしていたが、すぐに頷いた。
そして現在、作戦会議と言う名目でナルキ達は集まっている。
「さて、どう攻める?」
ナルキに投げかけられた質問。
それはつまり、ニーナはナルキの言った通りに攻めるつもりなのだ。
「1人ですよ?2人で足止めして、その間にもう1人が取りに行けばいいじゃないですか」
だが、ナルキは投げやりに答える。
それでも単純な案だが、相手が1人だと言うならばこれ以上効果的な案もなかなかないだろう。
ナルキの言うとおり相手は1人なのだ。こちらは念威繰者であるフェリを除いて3人。2人ほど足止めに送れば、残りの1人で悠々とフラッグを落とせる。そのはずだ。
「では、そうするか。基本は私がフラッグに向う。ナルキは囮、シャーニッドは足止めだ。フェリは私のサポート」
ニーナの言葉にそれぞれが配置につく。
そこから少し離れた場所にオリバーが待機し、その手には銃の錬金鋼が握られていた。
「そんじゃ、始めますよ?」
確認を取り、それを真上へと発砲する。
弾丸は空砲。乾いた銃声が響き、開始の合図が告げられる。
その合図と共に、ニーナ達は行動を開始した。
「十歩左に、大きく湾曲する形で向ってください」
念威端子越しのフェリの指示に従い、ナルキは大きく湾曲を描いて走った。その隣をニーナが走る。ナルキの右側で、よりレイフォンに近い位置だ。
フェイントのつもりなのだろう。
「私に攻撃してきたらそのままフラッグに向え、お前にならそのまま私が向う。シャーニッドになら2人でそのまま行くぞ」
「はい」
ニーナが距離を開け、それに合わせるようにナルキは速度を上げた。
レイフォンはフラッグから数歩離れた場所に悠然と立っている。未だ、錬金鋼すら復元していなかった。
遮る物はないまっ平らな地だ。レイフォンがこちらから丸見えの様に、レイフォン自身もこちらの動きが丸見えだろう。
だけど、あちらは1人でこちらはフェリも入れて4人。対処のしようはないはずだ。
そう確信し、ナルキ達がフラッグまでの距離を半分まで走破したところで、レイフォンが動いた。だが、その動きが見えなかった。レイフォンの姿が消えたのだ。
無論、そんなことは物理的にありえないのだろうが、レイフォンの姿は確かに消えている。レイフォンが元いた場所には、土煙が渦を巻いていた。
まさか視認すら難しい速度で動き、視界から消え失せたというのか?
そんな馬鹿なと思いつつ、
「来ます。0400」
「後ろ?」
フェリの声に反応して振り返った。
0400とは数字による暗号。つまりは後ろと言う事だ。
ナルキは走るのを中断し、足に剄を込めて地面を削りながら振り返ろうとする。
「足に剄が足りないよ」
振り返りきる前に、その声はすぐ側でした。
振り返りきると、目の前にレイフォンがいた。来ると言われた次の瞬間に、ナルキの背後にいる。
(なんて速度!)
その速度に驚きながら、ナルキは未だに走っていた勢いを殺せずに地面を削りながら、滑りながらレイフォンに向けて打棒を振る。だが、打棒は空しく空を切るだけに終わった。
またレイフォンの姿がナルキの視界から消えたのだ。
どこだと、視線をさ迷わせる。
だが、次の瞬間には腹部に何らかの感触が走る。その感触と共にナルキの視界はあっと言う間に回転し、背中から地面に叩きつけられた。
なにが起こったのか理解できない。レイフォンが腹部に当てた肩を起点に投げ飛ばしたのだが、ナルキには理解できず呆然としている。
その間、ナルキが呆然としている隙にレイフォンがニーナを追う。
これもすぐに追いつかれ、ニーナも投げ飛ばされて宙を舞った。
次に、ナルキは射撃音を耳にする。その瞬間に、宙で小さな爆発が起こった。
射撃音と言うのはシャーニッドの狙撃だろう。ならば何故、それで小さな爆発が起こる?
ナルキは理解できない。フラッグを目掛けて放たれた弾丸が、レイフォンによって衝剄で打ち落とされた事など。
そしてシャーニッドもレイフォンに投げられ、宙を舞った。
フェリは無抵抗。レイフォンもフェリへと視線は向けず、悠々とフラッグを目指して行く。
もう、戦える者は誰もいないのだ。
「負けた……?」
信じられないものを見る目で、ナルキはレイフォンの背中を見つめていた。
「さて、次はどう攻める?」
2回目、今度もレイフォンが防衛側に回った。
ニーナが楽しそうに声をかける中、ナルキは未だに信じられない気持ちでいた。
(あれが……レイとん?)
ナルキ達と授業を受けたり、話をしている時はどこかフラフラして頼りない感じなのだが、今さっきの、自分達を退けたレイフォンはどうだ?
いや、武芸者としてのレイフォンがとても強いのは知っていた。その姿を見てきた。
強いのはわかっていることだ。普段はあんな感じだが、レイフォンはとても強いのだ。
だけど、そのレイフォンを実際に相手するのと見るのではまるで感じ方が違う。
武芸科の授業で何度か相手をしてもらったが、それとはまったく違う。あの時はナルキに合わせた動きをしてくれたのだ。
だがこれは、今の試合形式の訓練は、圧倒的に負けた。
負けた上で、それでも解るのだ。手を抜かれたと。
何しろレイフォンは剣帯から錬金鋼すら抜いていなかった。素手だったのだ。素手でナルキ達を倒し、勝ってみせた。
それだけではない。その素手で殴るわけではなく、あくまで投げにこだわっていた。
そんなことができるほどに、ナルキを含めた4人とレイフォンの間には実力差があったという事になる。
ニーナ達が新たに作戦を練っている間、ナルキはそんなことを考え、また怒りが湧いてきた。
別にレイフォンの圧倒的実力に嫉妬などをしているのではない。ただの意地で、実力を隠し、本人にはそんなつもりはないのだろうが、傲慢とすら取れるレイフォンのあの態度をどうにかへし折ってやりたいと思った。
「では、それで行くぞ」
ニーナが作戦を説明し終え、ナルキがそれに頷く。
そんな彼女を見て、ニーナはにっと笑みを浮かべた。
「これまた……随分手酷くやられましたね」
「……笑いたきゃ笑え」
「はははははははっ」
「ぶっ殺すぞロリバー」
「ロリバーってなんですか?俺はオリバーですよ。そもそも笑えって言ったのはシャーニッド先輩でしょ?」
メイシェンが作ってくれた昼食を食べ終えた後も、この試合形式の訓練は続けられた。
だが、攻守を変えて何度も繰り返されたのだが、結局一度もレイフォンに勝つ事はできなかった。
見事にボロ負けし、プライドをズタズタに引き裂かれる。
そして、シャーニッドとオリバーのやり取りはさておき、空が赤く染まったために試合形式の訓練は終了し、後は自由訓練となった。
ここで、今まで錬金鋼を使用していなかったレイフォンは錬金鋼を復元する。復元し、1人で打ち込みを始めた。
ニーナも同じく打ち込みを始め、フェリは念威端子を開放し、どこか遠くに飛ばしていた。
「うし、投げろオリバー」
「行きますよ!!」
シャーニッドは硬く固めた土球を何個も用意し、それをオリバーに投擲させる。
何個か連続で、高く上空へと投擲し、落ちてくる土球を素早く銃で撃ち抜く。それを何回も繰り返していた。
ナルキは疲労で暫く動けなかった。
地面に仰向けに寝転がり、荒い息を吐いている。そんな彼女にメイシェンがスポーツドリンクを持って来てくれた。
そのメイシェンは夕飯の準備があるからすぐ戻ってしまったが、ナルキはようやく起き上がり、スポーツドリンクを飲みながらレイフォンを見た。
次第に深まっていく夕闇の中で、レイフォンは青石錬金鋼の剣を振り回している。
もちろんそれはただ振り回しているわけではなく、型をやっているのだろう。
活剄が満ちた体を動かし、剣が勢いよく振られる。この動作ではあまりの剣速に風が唸りでも上げそうなものだが、思ったより静かで音は小さい。
まるで最小限で最大の効果を、研ぎ澄まされ、空間を切り、真空でも作っているかのような見事な太刀筋だ。
まるで完成されたなにか。『なにか』まではよくわからないが、それは学生武芸者が気軽に踏み込める領域ではない。
レイフォンの近くではニーナも打ち込みをし、やはり小隊員と言う事もあって型がきれいだが、それが霞んでしまう。子供のお遊戯レベルにまでレベルを落としてしまう。
それほどまでに圧倒的、それほどまでに美しく、そしてそれほどまでにどこか、哀しかった。
夕闇に青い斬撃が走るたびに、胸を打つものを感じてしまう。アレは一体なんだ?
美しく、胸を突き、哀しい動き。だけど物凄く力強くもあり、その剣技にはなんらかの固い決意、信念のようなものまで感じられた。
矛盾するが、あの動きのひとつひとつに今までのレイフォンがあるようにも思える。
普段は気弱で、どこか頼りないと感じるレイフォンだが、そんな彼に一体どんな過去があったのかと思ってしまう。
(ああ、そうか……)
ナルキは納得した。メイシェンが惹かれたのは、たぶんこれなんだなと。
無論、主な原因はあの入学式の出来事であり、その一件で何かを感じていたのだとしても、それを理解しているかどうかも怪しいが。
ナルキの上司、フォーメッドも言っていた。
『あれは、歳に見合わない人生を歩いている。あいつを見て、その深さが知れるようになるといいな』
その言葉が、ナルキを第十七小隊に残らせた原因でもある。
フォーメッドが読み取った深さとはなんなのだろうか?
今、目の前にあるアレのことだろうか?
たぶんそうなんだろう、ぐらいにしか答えはわからない。直接本人に聞かねば、確信は得られないだろう。
フォーメッドも何かを感じ取っただけで、レイフォンの過去を知っているわけではない。
レイフォンに対する興味を抱きながら、ナルキは起き上がって錬金鋼を構える。
こんなところでのんびりしていては、何時まで経ってもお荷物のままだ。それは武芸者としてのナルキのプライドが許さない。
気合の声を上げ、ナルキも打ち込みの練習を始めた。
「たまんねぇな、こりゃ」
「たまんないですね……」
夕闇が去り、本当の闇に空が染まる。
そこでニーナが訓練の終わりを告げ、クタクタな体でシャーニッド達はキッチンへと入る。
そこには胃を誘惑する匂いが満ちていた。メイシェンが朝から仕込んでいたシチューだ。
朝のさっぱりした野菜のスープとは違い、時間をかけて肉と野菜に味を染み込ませた濃厚で、食欲を刺激する香りに思わずシャーニッドの腹が鳴き、オリバーが同意する。
「……た、たくさん作りましたから」
「お、そりゃありがたいね。たくさん頂くとしよう」
シャーニッドがいち早く席に座り、ニーナとフェリもそれに倣う。
レイフォンとナルキは配膳を手伝った。
「あ、すまん。私達も……」
「手伝いましょうか?」
「いいですよ。こういうのは後輩に任せてください」
立ち上がろうとする2人を、レイフォンはやんわりと止める。
その間にも、次々と料理が食卓に並んだ。
メイシェンが作ったシチューの他に、サラダと鳥肉の香草蒸し、それにパンが人数分置かれ、レイフォンも席についた。
「んめぇな」
「ホントですね」
そして食事が始まり、その味にオリバーとシャーニッドが舌を巻く。
メイシェンの料理は匂いによる期待を裏切らない味をしており、朝から運動しっぱなしだった第十七小隊のメンバーは、最初のシャーニッドとオリバーの会話以外は美味さと空腹の相乗効果でほぼ無言で食べ続けた。
その無言の空気に最初は不安そうなメイシェンだったが、おいしそうに料理を頬張る姿を見てほっとしたように眺めていた。
そんな夕食も終わり、一息付く。この時間は基本的に自由行動であり、昨夜同様ニーナとシャーニッドは指揮官ゲームを始めていた。
オリバーは再び湯を張るために、浴場にいるはずだ。
「フェリ、デザートはいかがですか?」
「貰います」
そんな中、レイフォンとフェリはと言うと、読書するフェリにレイフォンはデザートを準備していた。
フルーツをカットし、磨り潰してシャーベット状にしたものだ。
それをフェリが受け取り、スプーンを手に取る。
「お、なに食ってんのフェリちゃん?うまそう。レイフォン、俺には?」
風呂の湯を張ってか、オリバーが戻ってくる。
そしてフェリが食べているシャーベットを見て、自分も物欲しそうに視線をレイフォンに向けた。
「冷蔵庫に余りが入ってますからご自由に」
「って、なんだか扱いぞんざいじゃないか?なんにせよサンキュー」
不満を漏らしつつ、オリバーはデザートを取りにキッチンへと向かう。
レイフォンは後片付けや、明日の準備を今夜の内に済ませてしまおうと部屋を出たところで、
「レイとん、ちょっといいか?」
声をかけられ、そこにはナルキがいた。そのそばにはメイシェンもいて、広間の外に出るように言ってきたのだ。
いつかはこんなことが来るとは思っていた。いや、ついに来たと言うべきか。
天剣授受者のことをどう言う経緯で知ったのかは知らないが、これからも隠し通せるとは思ってもいなかった。
いつかこんな時が来るとわかっていて、だからこそ自分でも驚くほどに冷静でいられる。
レイフォンは頷き、黙ってナルキの後を付いて行った。
「……………」
レイフォンがナルキと共に宿舎を出る気配を感じ、ニーナは盤上から視線を上げる。
彼女もまた、こんな時が来るのではないかと理解していた。
ナルキが第十七小隊に所属する以上、このことを隠し通すのは難しいだろう。
いずればれるというのなら、誰の口からでもなく、レイフォン本人が話すべきだと考えていた。考えてはいたが、最後に決断するのは自分自身だ。
これはニーナの考えであり、結局はレイフォンの問題なのだから。ニーナに出来るのは、このように心配することぐらいだ。
「ま、なんとかなるんじゃねぇの?」
そんなニーナをなだめるように、シャーニッドが掌でダイスを弄びながら言う。
「ナルキは都市警に入りたがるくらいに道徳心が強い。そこが、やはり心配だな」
「堅物のお前さんがどうにかなったんだから、大丈夫だろ」
「私はそこまで堅物じゃない」
「わかってないのは自分だけってか?」
そう言って笑っていると、フェリは本を閉じて部屋を出て行く。
おそらく、いや、間違いなくレイフォン達の後を追うのだろう。
「ニーナは行かないわけ?」
「行かん」
シャーニッドの問いに短く答え、ニーナは盤上を睨みつけた。
「ま、今更どう動いたって、勝ち目なんかないんだろうけどな」
それはこのゲームか、はたまた別のなにかか。
シャーニッドは苦笑してダイスを転がした。
ナルキ達に呼ばれ、レイフォンは素直に後を付いて行く。
合宿所の外に出て、月夜と星以外照らすもののない夜道を歩く。
不安そうなメイシェンを引っ張るように、ナルキが手をつないで歩いている。
その間も無言。外に出てから一言も会話が交わされず、外縁部近くまで来てしまった。
風除けの樹林が農地を仕切るように走り、まるで黒い壁のようだ。
そこで、メイシェンが足を止めて、続いてナルキも立ち止まる。
レイフォンもそれに合わせる様に歩くのをやめ、前方にいる2人へと視線を向ける。
振り返ってメイシェンとナルキはレイフォンに視線を向けた。が、暗闇故に表情まではわからない。
シルエットは、人影は見えるので何をしているかは十分にわかるのだが、そこにどんな表情が隠れてて、何を考えているのかなんて見当もつかなかった。
「この場にミィもいれば、それなりに形も整うんだけどな……仕方ない」
口火を切ったのはナルキだ。
ここにミィフィがいないのを少し残念そうにしながら、真っ直ぐとした視線でレイフォンを射抜く。
「レイとん、私達はお前のことをもっと知りたいと思ってな」
「うん……」
ナルキの言葉は武芸者らしく、端的だった。
それにレイフォンが頷き、またも沈黙が流れた。
何をしゃべればいいのか?
なんと言えばいいのか?
なんと言うべきなのか?
その暫しの、1分とも1時間とも錯覚できる短くも長い沈黙を打ち破るようにナルキが言う。
「……ただの好奇心じゃない事は承知して欲しい。私達とレイとんは、この半年間うまくやれたと思う。都市の外に出たって言う心配だけじゃない。私達は3人でいすぎたところもある。だから、その中にレイとんとフェリ先輩が入った事に本当は驚いている。もっとも、フェリ先輩はレイとんが連れて来たがな」
一旦言葉を区切り、ここからが本番だと言わんばかりにナルキの声が真剣味をおびる。
「だけど、このまま私達とレイとんって言う関係のままにしたくない。レイとんも含めて私達って言いたい。だから聞きたいことがあるんだ」
メイシェンが身じろぎをするように震えた。小さな、息を呑むような音も聞こえる。
この言葉の続きは予想できる。前に練武館でミィフィが言った言葉だ。
「……天剣授受者って何だ?」
問いや説明は、全部ナルキから発せられた。
リーリンからの手紙が誤配でメイシェンの元へ届き、その中身を読んでしまったこと。
前にフェリが、メイシェンが落としただろうその手紙を拾ってくれた。その時のことだろうと理解し、ナルキの説明の間も無言で震えているだけだったメイシェンに視線を向ける。
そのメイシェンがやっと発した言葉は、
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉。
今にも泣いてしまいそうなのをこらえ、心から謝っている事が伝わってくる。
だからレイフォンも特に攻める気にはなれず、『いいよ』と笑って済ませた。
だがこれからの話は、流石に笑って済ませるわけには行かない。
「天剣授受者……だったね」
その言葉を口にし、レイフォンは深いため息をつく。
やはりそう簡単に決められるものではなく、こうなる事は予想できてもいざとなれば戸惑ってしまう。
どうするべきか?
話すべきなのか?
話さないべきなのか?
「フォンフォン、ここにいましたか」
そんな風に思考するレイフォンに、ナルキでもメイシェンでもない少女の声がかけられた。
「フェリ!?」
その声の主はフェリだ。そもそも、レイフォンのことをフォンフォンと呼ぶのは彼女しかいない。
彼女は自然体である無表情で、心なしか怒っているようにも見えるしぐさで、何事もないようにレイフォンの元へと歩いてくる。
そんなフェリの登場にナルキが気まずそうに、メイシェンはびくりと肩を震わせた。
「こんなところでどうしたんですか?明日も訓練があるんですから早く戻りましょう」
「え、フェリ?ちょ……」
フェリはそんなことお構いなしに、淡々と言いながらレイフォンの手を取る。
それに戸惑うレイフォンだが、それも無視した。
「待ってください、フェリ先輩」
そんな彼女を、ナルキが呼び止める。
「今、レイとんとは大事な話をしていて……」
「大事な話とは、興味本位で他人の過去を暴くと言う事ですか?」
フェリは返答こそ返すものの、その言葉と視線はとても厳しく、責めるような目でナルキ達を見ていた。
「違います。そう言うのじゃ……」
「違いません。知りたいと言うのは興味と好奇心。いかなる理由があろうと、その事実や本質は変わりません。ですが、いささかそれらが高過ぎはしませんか?フォンフォンがその事を語りたくなかったのは、前回の取材の時に理解できたでしょう?」
否定するナルキだが、フェリはそれを認めない。
どんな理由があろうとナルキ達がレイフォンの過去、天剣授受者に興味を持ったことは事実であり、それを知りたいと思った。それはまごうことなき興味と好奇心。
ナルキ達がどんな想いで天剣授受者のことを知りたがったのかは知らないが、結局のところそれは変わらない。
「それは……わかっています。レイとんがこの事について語りたくないだろうってことは。だけど、私達はレイとんともっと親しくなりたいんです。ここまで半年はうまくやれました。ですが、これで終わりたくはない。もっとレイとんと話をして、もっとレイとんと仲良くなりたい。そう思うことが間違っていますか?」
それでも納得してもらおうと、ナルキは心から訴えるように言う。
だが、その言葉もフェリには届かない。
彼女の視線は、ナルキではなくメイシェンに向いていた。
「あなたの意見はどうなんですか?」
問いかける相手もナルキではなく、メイシェンにだ。
先ほどから無言で、レイフォンに対する謝罪しか言葉を発しなかったメイシェンに向けてフェリは問う。
「先ほどから何も言ってませんよね?天剣授受者のことや、手紙の事にしたって先ほどからしゃべっているのはナルキだけです。あなたはただ謝っただけ。一番フォンフォンのことを知りたいと思っているのはあなたじゃないんですか?」
更にメイシェンが肩を震わせた。
フェリは知っている。彼女が、メイシェンがレイフォンに好意を寄せている事を。
それは彼女の振る舞いを見れば明らかだが、あの取材後、直接本人からその気持ちを聞いている。
だからこそフェリは、ここで退いたり、追撃の言葉を緩めるつもりはない。
「自分はだんまりで、言いたいことはお友達が全部言ってくれるんですか?美しい友情ですね」
「そんなことは……」
「あなたには言ってませんよ」
皮肉気に言うフェリに、ナルキが否定するが、それを遮る。
「誰かに依存しなければ、頼らなければ会話ひとつ満足にできない。そう言うのは見ていてイライラします」
「ちょっ……フェリ」
流石に言いすぎだと思い、今度はレイフォンがフェリを止めようとする。
だけどフェリは止まらない。
「そんな弱いあなたに、1人じゃ何も出来ないあなたに、私は一切負ける気がしません」
自分だって、レイフォンのことが好きなのだから。
それを、自分1人では会話すらまともにできない彼女に負けるつもりはさらさらない。
聞きたいことがあるのに、好きな相手のことを知りたいというのに、『お友達』に頼って自分はだんまりな彼女なんかに。
「わ、私は……」
メイシェンは肩を震わせながら下を向き、声すらも震わせながらつぶやく。
フェリの言うとおりだ、自分は弱い。
ナルキやミィフィがいなければ、レイフォンとまともに会話が出来ないほどに。
こんな事なんて、天剣授受者とはなんなのかなんて到底聞き出せなかっただろう。
「私は……私は……」
それでもメイシェンは退きたくない、負けたくない。
何故なら自分は、レイフォンのことが好きだから。
「私は、レイとんのことが好きなんです!だから、レイとんのことが知りたいんです!!」
「え、ええっ!?」
「メイ……」
メイシェンは叫んでいた。
その叫びは、自分でも驚くほどだ。
レイフォンは突然の告白に驚愕し、ナルキもあの人見知りをするメイシェンが、気弱な幼馴染がこうもはっきりと自分の気持ちを言う姿に驚いていた。
こんな事、今までに一度だってなかったのだ。
「私はレイとんが好きだから……好きでいたいから、レイとんのことがもっと知りたい……それって、間違っていますか……?」
「間違ってはいませんね。正しいとも思いませんけど」
震えるような声で自分の気持ちをあらわにするメイシェンに、フェリは多少驚きながらも、ほぼ無表情で告げる。
好きな人に興味を持ち、その人のことを知りたいと思うのは別に間違いではない。誰だってそう思うことだ。
だが、隠したがっている過去を無理やりにでも聞きだすのが正しいとは思えない。
納得はしたが同意はせず、フェリは続けるように口を開いた。
「だけど、あなたがフォンフォンのことを知りたがっても、好きでも、それは関係ありませんし、無意味な事です」
「え……?」
フェリの言葉に、メイシェンは疑問を浮かべる。
それを無視するようにフェリはメイシェンから視線をそらし、後ろを振り返る。
そんなフェリの視線の先にいるのは、レイフォン。
「え、フェリ?」
レイフォンも首を傾げるが、そんなことは関係ない。
フェリはレイフォンに近づき、背伸びをした。
密着するほど近く、両手を伸ばしてレイフォンの頬を固定する。
レイフォンが顔を赤くして何か言っていたので、その口を塞いでやった。
自分の唇で、レイフォンの口を塞ぐ。
「っ……」
その光景を見て、メイシェンは胸が締め付けられるような激痛が走った。
今までとは比べ物にならず、とても痛い。息苦しく、呼吸がまともにできない。
ナルキも唖然として、フェリとレイフォンを見ていた。
交わされる唇と唇。それが何を意味しているかなんて、考えるまでもない。
薄々は感づいていた。そもそもフェリをメイシェン達のグループに連れて来たのはレイフォンだったし、そんなフェリと親密そうな光景をナルキとメイシェンは何度か見ている。
だから、そういう可能性があることもわかっていた。だからこそ早く行動をしなければと言う焦りもあり、自分の気持ちを伝えた。
だが、それでも、メイシェンの告白は、あまりにも遅すぎた。
「ふぇ、フェリ!? いきなりなにを……」
交わった唇が離され、レイフォンが真っ赤な顔でフェリを問い質す。
だけどフェリは、その視線を今度はメイシェンへと向け、無表情で。だけど、どこか勝ち誇った表情で言った。
「言ったじゃないですか、あなたには負ける気が一切しないって。何故なら、私もフォンフォンが好きで、フォンフォンは私が好きだからです。だから、あなたがフォンフォンのことを知りたがっても、好きでもそれには意味がありません」
その事実を告げられ、メイシェンは今にも泣いてしまいそうな顔をしている。
彼女の表情に浮かんでいるのは、どうしようもない敗北感のみ。
「メイシェン……」
とりあえずは落ち着いたのか、顔はまだ赤いが、レイフォンが気遣うようにメイシェンに声をかける。
その声音と表情には、申し訳なさが宿っていた。
「その、メイシェンが、こんな僕の事を好きだと言ってくれるのはとても嬉しいよ。だけど、フェリの言うとおり、僕はフェリのことが好きなんだ。だから……君の気持ちに答えることができない。ごめん」
発せられた言葉は謝罪。
告白を断るだなんて行為は初めてだと場違いで贅沢な事を思いつつ、レイフォンは自分でも思ったよりあっさりと、この事について区切りをつけていた。
告白と言うのは思ったより重たいもので、告白する方にも勇気がもちろんいるのだが、告白される方も相手が真剣だったら、その分悩み、苦悩し、受けるにしたって、断るにしたって勇気がいる。そのどちらもが、気軽に出来ることではないのだ。
だけどレイフォンの場合、告白を断った事による申し訳なさは確かに少しはあるが、それは当然のことであり、当たり前のことだと思っていた。
いくらメイシェンが自分に好意を抱いてくれているとはいえ、自分がフェリを好きだと言う気持ちは変わらないし、変わるわけがない。
だからレイフォンは申し訳なく思っても、後悔などは一切していない。
「……………」
メイシェンは蒼白な顔をし、何を言えばいいのか、なんと答えればいいのかなんてわからない。
ただただ、絶望したような表情と視線で、虚空を眺めているだけだった。
「メイ……」
親友の、勇気を精一杯に振り絞った告白。
だけどそれは玉砕に終わり、ナルキはいたたまれない気持ちでメイシェンを見ていた。
メイシェンのレイフォンへの想いは、メイシェンにとって初恋だった。
故郷では人見知りが激しく、異性と話をする事すらまともにできなかった彼女だ。
その彼女がツェルニに来て、レイフォンに興味を持って、惹かれて、好意を持って……そんな初めてづくしの恋を、ナルキやミィフィは応援したいと思っていた。
だけど、レイフォンにはフェリがいて、フェリにはレイフォンがいた。
そんな彼らの間に入り込めるはずがなく、また、行動があまりにも遅過ぎた。その事実が、メイシェンの初恋の終わりを告げる。
今にも泣いてしまいそうなメイシェン。これでは天剣授受者がなんなのかなんて聞く事はできないし、また、その意味すらも見失ってしまった。
いまさらどんなにレイフォンのことを知りたがろうが、探ろうが、レイフォンがメイシェンに傾くと言う事はない。
いくらメイシェンがレイフォンのことを好きでも、レイフォンがそれに答える事はない。
「メイ……」
ナルキはなんと言えばいいのかわからない。なんと慰めればいいのかわからない。
例え、ここにミィフィがいたとしても、彼女だってなんと言えばいいのかわからないだろう。
今のメイシェンを癒せるものはない。今は、長い時間が必要なのだろう。
「え?」
そんなナルキの思考が、いきなり吹き飛んだ。
地面が揺れ、視界がぶれる。なにやら嫌な予感がし、汚染獣の幼生体と戦闘した時の恐怖に匹敵した悪寒がナルキに走る。
思えばあの時も、始まりは『揺れ』だった。
「ナッキ!」
レイフォンが叫んだ。どうやら彼も、今の揺れで嫌な予感を感じ取ったのだろう。
フェリの手を取り、ナルキに叫びながらメイシェンの腕を取ろうとする。
その瞬間、足場が崩れた。
地面がいきなり崩れ、足元に大きな穴が開く。
崩れ、崩壊した足場。その結果により、4人は重力に囚われてしまった。
(落ちる)
自然の法則に従い、落下する以外に選択肢はない。
「レイとん!」
ナルキが反応し、剣帯から錬金鋼を取り出す。ハーレイによって調整された、鎖の取り縄型の錬金鋼だ。
その先を上に投げ、何か硬い物に巻きつく音が聞こえた。おそらくは木だろう。
なんにせよこれで、ナルキの落下は止まる。後はレイフォン達だ。
ナルキが手を伸ばし、レイフォンの手をつかもうとするが……そのレイフォンの手にはフェリとメイシェンがいる。
両手が塞がれ、ナルキの腕をつかむなんて事はできない。
「ちっ……」
ナルキが舌打ちを打ちながら、レイフォンの体へと腕を伸ばすが……届かない。
その間にも、レイフォンたちは重力によって落ちていく。
「ナッキ!」
レイフォンが叫んだ。
右手でしっかりとフェリを抱き寄せ、落ちながらも左手で押すように投げる。
この際、多少の怪我は仕方がないと割り切り、できるだけ優しくナルキに向け、左腕にいたメイシェンを押すように突き飛ばした。
「レイとん!!」
突き飛ばされ、落下から一瞬だけ開放されたメイシェンの腕を、間一髪でナルキがつかむ。
これにより、メイシェンは助かった。だが、レイフォンとフェリがまだだ。
重力に従って、2人は落ちていく。もう既に、ナルキの取り縄が届かない範囲に。
絶望的な状況の中、自分にはどうすればいいのかなんてわかるわけがない。できるのは、ただ落ちていくレイフォン達を見ていることだけだ。
何もできない無力感にさらされながら、ナルキは歯を食い縛った。
「フェリ、大丈夫ですからね。しっかりつかまっていてください」
「はい……」
レイフォンは落ちながら、右手でしっかりとフェリを抱きしめながら耳元でつぶやく。
その言葉に頷き、フェリはしっかりとレイフォンに抱きついた。
レイフォンは空いてる左手を剣帯に伸ばし、錬金鋼を引っ張り出す。そしてそのまま復元。
剣身に星の光と月光を反射させ、瞬間的に視界を確保する。
鋼糸が使えれば楽だったが、普段は封印されているために使えない。だからこの剣一本で、状況を打破しなければならないのだ。
フェリを庇いながら、不自由な姿勢で土砂を掃っていく。上からは土砂の塊が落ちてきていたのだ。
例え柔らかい土砂でも、大質量となれば人を殺せる。それを防ぐため、振るった剣先から放つ衝剄で土砂を破壊する。
だが、それだけではなかった。大量の土砂に混じって、金属同士が擦れ合う嫌な音が響いてくる。
耕地を支え、都市を、このレギオスを守る無機プレートを支える鉄骨だ。
これが土砂に混じって落ちてくると言う事は、無機プレートや有機プレートまでもが崩れていると言う事になる。
だが、今はそんなことを悠長に考えている暇などない。いくら武芸者とは言え、直撃すれば簡単に死ねる大量の凶器がそこにはあるのだ。
冷や汗を掻きつつ、剣を振りながら土砂や鉄骨を弾く。
(僕はともかく……)
レイフォン1人ならどうとでもなる状況だが、今は片手にフェリを抱えている。
動きは大きく制限され、剣を振るうだけではなく、レイフォンが本気で動いた時に生じる速度と衝撃にフェリは耐えられないだろう。
武芸者とは言え、身体能力が一般人とあまり変わらないフェリでは体と神経がそれに耐えられない。だからこそ全力では動けない。
「フォンフォン……」
「大丈夫、ですから!」
フェリの心配そうな声に返答を返しながらも、レイフォンは迫り来る土砂と鉄骨に向けて剣を振り続けた。だが、余裕はない。
フェリを左手に抱えなおして、利き手である右手に剣を持ち返ると言うわずかな時間すら惜しい。次々と襲ってくる土砂や鉄骨に対し、レイフォンは衝剄で弾き、あるいは薙ぎ払いながら落ちていく。
弾かれた土砂の粒が肌を打ち、金属を叩いた鈍い反響音が響き、その衝撃により火花が散る。
(また壊すかも)
こんな状況だ。動きを制限され、斬線は無様で、纏わせた衝剄によって薙ぎ払い、砕いているのが現状だ。
今の状態が剣にいいわけがない。
(もってよ)
祈りながら、レイフォンは落ちてくる土砂を払い続ける。
「フォンフォン、下です!」
すると、突然フェリが声を張り上げた。
見てみればフェリの髪が淡く輝き、周囲には念威端子が浮かんでいる。復元鍵語も唱えずに重晶錬金鋼を復元したのだろう。
暗闇に支配された空間に光が宿り、感覚が広がったような気がした。
念威によるサポートを受け、レイフォンはフェリの言葉の意味を理解する。
下には既に先客の土砂や鉄骨が山を作り、最悪の足場となっていた。このまま落下していれば、その最悪な足場によってバランスを大きく崩していた事だろう。
だが、わかれば問題はない。レイフォンはフェリのサポートにより剣で土砂を払いつつ、足場に気をつけて落下物が降りしきる範囲から脱出しようとする。
あと少し、あと少しでその範囲から脱出できたところで……
「なっ……」
「フォンフォン!」
剣が折れた。
既に限界だったのか、鉄骨を弾いた衝撃で青石錬金鋼の剣身が折れる。
今までこの剣によって落下物を防いできたのだ。その剣が使えなくなれば、レイフォンに土砂に立ち向かう手はない。
ならばと思考を切り替え、すぐさまレイフォンは剣を投げ捨て、両手でしっかりとフェリを抱えて走る。
落下物が降ってくる半径から、逃れる事さえ出来ればどうとでもなる。額からこめかみに瓦礫が激突し、激痛が走ったがそれにすら構わず走る。
「がっ……」
今度は鉄骨が背中に激突した。だが、耐えられない痛みではない。
一瞬息が詰まり、その大質量の衝撃に意識を失いかけたが、こんなところで立ち止まるわけには行かない。立ち止まれば、落下してくる土砂に押しつぶされて死ぬ。
自分だけならともかく、この腕の中にはフェリがいるのだ。だから気を失うなんてことは死んでもできない。フェリを失うくらいなら、自分が死んだほうがマシだ。
だからこそ自分の体すら省みず、レイフォンは全力で走る。跳躍し、土砂が落ちてくる半径から抜けた。
着地し、もう、頭上に迫る気配はない。
今も落ちてくる土砂の物音はするが、それも少なくなってきている。
今は、それよりも都市が足を動かす轟音の方が大きく聞こえた。
レイフォンは念押しにもう少しだけ先に進み、足を止めた。
「フェリ……大丈夫ですか?」
「ふぉ、んふぉん……」
レイフォンの問いかけに、フェリの声が震えている。
その声音に心配になり、レイフォンはもう一度フェリに確認を取る。
「どうしたんですか?どこか怪我でもしたんですか?」
「ふぉんふぉん……フォンフォン」
フェリは今にも泣いてしまいそうな声で、レイフォンの名を呼ぶ。
それに焦ったレイフォンは、フェリを下ろして怪我がないかを確認する。
視界はフェリの念威によるサポートで問題はなく、昼間の様に良く見えた。
フェリの服は土埃や赤い汚れで汚れてはいるが、怪我はないはずだ。そのことに安心しながら、レイフォンは安堵の息を吐く。
「それにしても、こんなところがあるなんて知りませんでしたね」
自分でも驚くほど冷静で、レイフォンはうろたえるフェリを落ち着かせるように言う。
地下には空間があった。都市の地下は機関部と下部出入り口があるだけだと思っていたのだが、それだけで地下の全てが埋まるわけがない。
都市の足が動く音が聞こえるので、その足を動かす機械がここにはあるのかと思いつつレイフォンは辺りを見渡す。
「しゃべらないでください、フォンフォン!」
いつも無表情で、落ち着きがあって、クールと言う言葉が似合うフェリが取り乱している。
その事をどこか可笑しく感じながらも、レイフォンは再びフェリへと視線を向けた。
視線を向けて、気づく。フェリの服に付いた汚れが、赤い汚れの正体が、血によるものだと。
「フェリ、やっぱりどこか怪我を……」
「すぐに隊長達が来ますから!だからあなたは動かないでください。しゃべらないでください」
フェリを気遣うレイフォンだが、それが更にフェリを取り乱させる。
一体どうしたのかとレイフォンが思っていると、
「あれ?」
視界が反転した。
「フォンフォン!」
フェリの声がどこか遠くに感じる。
遠くなって行く意識の中、レイフォンは見た。自分の服に付着した、粘着質のある赤い液体に。
これがフェリの服に付着した汚れの正体なのだろう。このような暗闇でも、念威繰者のフェリならば良く見える。それは、見たくないものにしても言えることだ。
レイフォンの体から流れる血。
その血がレイフォンの体力を奪い、体温をも奪う。
フェリの悲痛な叫びを耳にしながら、そのままレイフォンの意識は闇へと沈んだ。
あとがき
えー、久しぶりに自作品を更新し、弟についでに、指を折る前に完成させていたSSを更新してくれと頼まれたかいです。
ですが弟の指はまだ完治しておりませんので、感想の返信などや書き込みはできません。
それらは治ったらまとめてするとのことなので、それまでお待ちください。ご迷惑、ご不便をおかけして申し訳ありませんでした。