それは私ことトーレが初めてあの少女と会遇するほんの少し前の事だ。私はドクターの命により、彼の求めている祈祷型ロストロギア“ジュエルシード”の回収の為に第97管理外世界である地球の日本という国にある姉の家を訪ねていた。本当ならばこの任務は何年も前から現地で動いているドゥーエの仕事だったのだが、思いの他すんなりと事が運びそうも無い為私が派遣されてきたという事だ。元々姉であるドゥーエは地域に密着し、長々と時間をかけて仕事をこなすタイプの人間だ。現に彼女は元の任務である管理局への潜入を何年も前に断念し、この地球で表向きは一般人として生活をしている。何故彼女がこの地球と言う世界に何年も留まっているのか、その真相を私は知らない。しかし、そうする必要があったからこの世界に何年も留まっている……精々私はあの顔の皮の厚い姉の心内を信じるほか無い立場にある。だからあまり深くは詮索しない、しかし仕事を命じられた以上はきびきびと働いて欲しいものだった。元々ドゥーエが戦闘に適しているとは思っていなかったし、今回の任務だって偶々傍に居たから彼女にお鉢が回ってきたと言うだけに過ぎない。しかし我々にとってドクターの言う事は絶対であり、彼が良しとするまではその任務の遂行に尽力を尽くさねばならない。故にこうして戦闘に特化した私が態々バックアップに出向いてきたと言う事なのだが……少々それとは違った事で私は頭を悩ませていた。「ほら、トーレ! ぼけーっとしてないでそっちの荷物をこっちに持ってきなさい。まったく、貴方の引越しでしょうが!」「あ、あぁ……す、すまない……」その姉に怒鳴られて少々戸惑い気味に返答する私。現在私は……というか姉のドゥーエも含めてそうなのだが、潜入の為に揃えた荷物一式をとある場所に二人で運んでいる真っ最中だった。何故こんな事になってしまっているのか、その答えは簡単だ。ずばり私が“後先を何も考えていなかった結果”こうして引越し屋の真似事をしなくてはならなくなったのだ。ドクターにこの仕事を命じられた際、私はてっきりこの任務を受け持つ間は現地のドゥーエの所に住むものだとばかり思っていたのだが、その期待は此方についてから僅か数時間で打ち壊される事になった。ドゥーエにしても私がてっきり此方での拠点を構えているのだと思っていたらしく、この事を話したときは物凄く嫌そうな顔で拒否の念を露にしてきた。何でも「貴女のような顔の怖い人間を家に留まらせると怯えるかも知れない子が度々家に来るから駄目」だそうだ。この世界でドゥーエは小学校の養護教諭をしている為、恐らくはその関係での事なのだろうがそれにしたってあんまりな言い方だった。と、言うわけで現在私は自分がこの世界で世話になる場所へと荷物を移送している真っ最中なのだが……此れが中々に面倒で終わりが見えない。自分としてはとっとと任務を終わらせて妹達の下へと帰りたいのだが、この調子では此方での生活を整えるだけでも一苦労しそうだと私は思った。「ドゥーエ、折角遠い国から訪ねて来た妹さんなんでしょう? そんなに怒らないの。血圧上がっちゃうわよ、その歳で」「はぁ~、御免ね幸恵。ウチの妹が世間知らずなばっかりに迷惑掛けて……」「いいのよ。貴女とは長い付き合いだし、偶にはこんな風に助け合うのも一興じゃない。それに折角大学時代の友人が頼ってきてくれたんだもの。無碍には出来ないでしょ?」「本当に御免。この埋め合わせは必ず何処かでするから……」荷物を運ぶ先である家から出てきた人物に姉が平謝りしているのを私はダンボールを抱えながら何気無しに眺めていた。石田幸恵、ドゥーエがこの世界で通っていた大学の同期生で、現在は海鳴大学病院という処で神経内科医師を勤めているというドゥーエの友人だ。今回私が拠点を構える……もといホームステイの家となる家の家主でもあった。勿論私やドゥーエの事情などは一切知らない一般人である。何も知らない民間人を巻き込むのは心苦しいが、ドゥーエ曰くこんな事態は想定していなかったから緊急の対処だと言う事らしかった。何でも石田女史とドゥーエは大学時代から親しい友人であったらしく、本人の言う事が正しいのなら親友と呼べるような間柄であったらしい。それが任務に必要な演技の上で出来た友好関係なのかどうなのかは知らないが、すくなくとも見ず知らずの私のような者を快く家に招き入れてくる辺りには深い間柄だったのであろう事は何となく想像が付く。あの姉が誰かと親しくしている、それは正直私としても意外だった。「ほら、貴女は止まってないで自分の荷物を運ぶ! 貴女の引越しでしょうに」「だからそんなに責めないのってば。私は別に気にしないから、ね?」「そうは言ってもね……幾らなんでもこれ以上迷惑掛けられないわよ。そもそも其処のあんぽんたんが居候する気満々で来たのが悪いんだし、少し位扱き使ってもいいのよ? 見た目どおり力は強いから一通りの力仕事は任せてもいい筈だから」ここぞとばかりに言いたい放題言ってくる愚姉。恐らくはこの前責められたお返しなのだろうが、幾らなんでも言い方というものがあるだろと私は内心でぼやいていた。石田女史は苦笑いを浮かべていたが、そもそも私だってドクターに命じられるままにこの世界に来たのであって、まさか住む所が手配されていない等とは思わなかったのだ。正直面を食らったのは此方の方だ、そうぼやきたい所だったが……あの姉の性格上それを言うと百倍になって返ってくる恐れがあるためあえて言葉にはしなかった。この世界に来て多少丸くはなったようだが、それでもあのクアットロを育てた人間だ。恐らく口では何を言ったって彼女には勝てない、そう自覚しているからこそ私は何も言わずにドゥーエが定めた設定通り“日本語は上手いが口下手な留学生”の振りをして荷物を運ぶのに没頭するのだった。「あ、トーレさん。服は居間じゃなくて自分の部屋の方にお願いね。それの整理が終わったら次の荷物があるから」「……了解した、石田女史。参考書などをお願いしてもらっても良いか?」「はいは~い。じゃ、ドゥーエ。お願いね」「はぁ~何で私が……。絶対にドクターに文句言ってやる……」何やら不穏な言葉をドゥーエが言っていた気がするが、あえて聞き逃す事にした。あのドクターに正面切って文句を言えるのは現状ドゥーエしかいない。ウーノやチンクは勿論の事だが私やクアットロにしても少々愚痴を漏らしたりする事はあっても、あの方に面と向かって意見を言った事はない。だが姉妹で唯一ドゥーエだけはあの方に自分の意見を言って、そして遣り通させることが出来た。元々他の姉妹と違って外の人間と触れ合う機会が極端に多いためなのか、彼女は他の姉妹に比べてもかなり感情が軟らかい人間だ。時にはドクターに対し反発し、自分のやっている事を無理やり認めさせるような行動力もある。数年前に管理局への潜入任務を切ったのもその所為だ、詳しい理由は聞かないがその後彼女を見つけるまでに姉妹全員が動いてようやく何年か前にこの世界で発見できた程なのだ。その為ドクターもドゥーエに関しては他の姉妹たちとは違う感情を抱いているらしい。あくまでもウーノから聞いた事だから正確な事は言えないが彼女曰く「何が彼女をそうさせたのか」と言う事に対してドクターは興味を抱かれているようだったという。故に彼女の取る行為に関しては私は口を挟まなかった……まあこんな事になった当て付けをしてやろうと言う密かな思いも無いでは無いのだが。そんな風に考えながら私は石田女史の家の二階にある私に宛がわれた一室に衣服の入ったダンボールを置くと、一旦額に付いた汗を拭って一息つくことにした。「しかし……ドゥーエにしても此処まで演技を徹底させる必要があったのか? 服や下着は分るが日用品や嗜好品まで揃える事は無いだろうに」あまりの荷物の量に私は思わずそう漏らさずにはいられなかった。この作業はドゥーエがこの世界での仕事を終えてくる前からやっているのだが、それでも一向に終わる気配が見えない。というのも、あまりにも荷物の量が膨大すぎるのとこの世界の引越し業者を雇う暇が無かったと言うのが全ての原因なのだが……その荷物が問題だった。ざっとダンボールだらけの部屋を回し見てみると其処には殆ど新品のTVやコンポ、机やこの世界のパーソナルコンピューターに偽装した通信端末等の大型の荷物が所狭しと並んでいた。勿論全てこの世界の物なのだが、当然私には縁の無い物ばかりだ。そもそも私にはこの世界の娯楽などは分らんし、そんな物にうつつを抜かしている場合でもないのだが……その場に溶け込むにはこのくらいの用意が必要だと言われて一式揃えられたのだ。確かに私はこの世界に来る時、小型の通信端末とこの世界でも目立たないであろう偽装した私服、それと2、3日は食うに困らないだけの通貨しか持ち合わせていなかった。まあ元々私自身もドゥーエの家に転がり込むつもりで居たからそれだけの荷物に留まらせたのだが、長期の滞在任務にしては荷物が少ないのは自覚していた。しかしだからと言ってこんな任務に関係の無い物まで揃えるのはいかがした物か、金銭の問題についてはドゥーエのポケットマネーらしいが……あまりにも無駄な物に囲まれるというのがどうにも私には慣れなかったのだった。「使おうにも使い方が分らんものの多いし……こんな事ならクアットロでも連れてくるんだったな。いや、駄目だ。アレがいると余計に問題が増える気がする……」頭の中で高笑いを浮かべる四番目の姉妹の顔が一瞬脳裏を過ぎった気がした為、私は慌てて首を振ってその考えを忘却の彼方へと追いやる。確かにドゥーエの次に世間に触れているのはそのドゥーエに教育を施されたクアットロに違いないのだが、アレはアレで性格に多大な問題があるため何をしでかすか分った物ではない。ともかく自分が楽しめれば周りの人間などどうでもいいと考えるような妹だ、もしもこの場に居たらと思うと頭が痛くなる。しかしだからといってウーノがドクターの傍を離れるとは思えないし、チンクにしたって戦力は確かに惜しいがこんな潜入の任に就いたところで今の私のように首をかしげる人間が増えるだけだ。その他の姉妹に関しては未だ製造中、そろそろ六番目の妹は起動するだけなら大丈夫とは言っていたが厄介な人間が増えるだけな事には変わりが無い。あまり時間を掛けたくはないが、精々地道に一つ一つこの世界の道理を学んでいくしかない……そう思うと何だか無性に溜息をつきたい気分だった。「しかも仮初とは言え私が学生とは……。まったく、どうしたものか……」悩めば悩むほど問題が出てくると思いながら少しばかりの休憩を終えた私は再び木製の階段を下って元のように外の方へと戻っていく。どうにもこの国の人間は家に上がるとき靴を脱ぐ習慣があるらしいのだが、此れがまた面倒な事この上ない。それに周りに合わせて服装を変えねばいけないとか、定期的に毎日身体の洗浄をしなければならないとか生活習慣の面にしても激しく面倒な物が多い。そして極めつけは私の現在設定されている立場……近場の大学に通う留学生と言う現状だ。確かに私はこの世界の某国で戸籍を金で買い、そこからの経由でこの国に入ったのだが、どうにも無職と言う立場が気に食わず私はドゥーエに相談して日本に留学する為に某国から私を訪ねて来たことにすればいいという事でこんな風になった訳だ。当然実際に大学に行って学業を学ぶわけではないし、実質的には無職である事には変わりはなく、石田女史に伝えてある偽の講義の時間割に該当する時間にジュエルシードを捜索する予定で居るのだが石田女史と生活を共にする以上は不干渉という訳にもいかなくなる。臨機応変に演技をする、その為に態々この国の学業の参考書なども一揃い買った所なのだが……私はドゥーエのようにこの世界に留まりつつ仕事をするような事には恐らくならないだろうからまったくと言っていいほど無駄な買い物だったと思っている。基本的にドゥーエがドクターのアジトに居ないのは普段はこの世界に居るからなのだが、私までそうなる必要は無いだろうと私は思った。「はぁ~。やれやれ、と言う奴だ……。どうやらこの任務、私が思っていたよりも難航しそうだな」右手で頭を掻きながら靴を履き、まだまだ荷物が多く積み上げられている庭先へと足を運ぶ。まだまだ荷物は大量に運び込まねばならず、更にそれの整理までしなければならないのかと思うと頭が痛くなってくるのだが……あのドゥーエを刺激すると何が返ってくるか分らないのもまた事実なので素直に諦める事にした。しかし、庭先に足を運んでみると其処には何やら携帯端末で会話をしながら顔を顰めているドゥーエとそれに合わせて不穏な空気を醸し出している石田女史の姿があった。それに違和感を感じた私は一体何があったのか、と思ってすばらくその様子を観察していたのだがどうも雰囲気的にあまり良い事が起こった訳ではないらしい。また面倒ごとか、そう思った矢先にドゥーエは携帯端末で話している相手に謝るように了解の意を示し、携帯端末の電源を落として此方の方を向き直って口を開いた。「あぁ……最悪。幸恵、トーレ……後の引越しは二人で片付けて」「ど、どうかしたのか?」「どうしたもこうしたも無いわよ。何でも海鳴デパートでウチの学校の万引きで捕まったから謝りに行ってくれってさ……。他の先生が謝りに行けばいい物を何で私なのよ……っとに、あの教頭ってば私に嫌がらせでもしたいのかしら?」「保険の先生だから暇だって思ったんじゃないの? 先生も大変ねぇ、沢山揉め事抱えちゃってて。まっ、お仕事だと思って諦めなさい」船でも沈没したかのように消沈気味に落ち込むドゥーエと苦笑いでそれを励ます石田女史。どうにも会話の内容からドゥーエの勤めている学校の生徒が窃盗を犯したようで、ドゥーエにその尻拭いをしてこいとの御達しらしい。この国の人間はそんなに小さな子でも窃盗を犯さねばならないほど治安が悪いようには思えなかったのだが、ミッドチルダでも殆ど愉快犯的な思いで軽犯罪を犯す人間が多発している事を考えると恐らくはその類の人間が捕まったのだろうと私は思った。しかし、何にしても教師と言うのも難儀な職業だと私はそれと同時に思った。別にドゥーエの職種を非難する訳ではないのだが、任務に就くならもっと効率の良い職業も幾らだってあっただろう。どうにもこの二番目の姉が考えている事はよく分らない、そんな風に思いながら私は肩を落として車の方に向かっていくドゥーエを見送った。「じゃあ後はよろしく……。一応夜までには戻るようにするけど期待しないでね」「あ、あぁ……頑張れよ、ドゥーエ」「行ってらっしゃい。残念、今晩は三人ですき焼きでもしよかと思ってたのに」「……本当に最低最悪の一日だわ。まるで二日酔いの晩の悪夢よ、ったく。あぁ、そうだった。トーレ! 貴女ちょっと買い物に行ってきてくれない? 貴女の荷物がばらけるからビニール紐か何か必要なのよ。生憎と幸恵は切らしてるみたいでね、行けるわよね?」当然だ、と答えるとドゥーエは本当に無理やり振り絞ったような笑みを浮かべて車に乗り込んでいった。どうやら悪い事に更に悪い事が重なって少しばかり気が滅入っているようだった。以前ドゥーエのどうでもいい定期報告でこの国のすき焼きという食べ物は非常に美味だと聞いた覚えが在るのだが、きっとそれを食べ逃した事も彼女を憂鬱にさせる原因の一つになっている事は想像に難くなかった。私はドゥーエのように公衆の歯車となるような職業についた事はないが、これはこれで色々と大変なのだろうと少しだけ認識を改める事にした。実の所私はドゥーエのように普段アジトに居ない人間は気楽で良いものだと考えていたのだが、恐らく今の彼女の立場に自分が居たら少し心が折れていたかもしれない。ともあれ今はただ去り行く姉にエールを送る他無い。私は頑張れドゥーエと心の中で呟きながら彼女に言われた事を実行する為に石田女史に向かって口を開いた。「……それでは私も少しだけ失礼する。ビニール紐とは何処で買えばいいのかな?」「あぁ、近場にホームセンターがあってそこで安く売っているから出来れば纏め買いしてきてくれないかしら? 丁度ウチのも切れちゃってて……勿論立て替えるから」「承知した。後、出来れば足になる物を貸してはいただけないだろうか? 一応単車なら一通りライセンスを持っているので。無理ならいいのだが……」「それならウチの自慢の子を貸してあげる。車庫に停まっている筈だから乗ってあげて。ちょっと扱いが難しいけど馬力はあるから。はい、これキーね。行ってらっしゃい、トーレさん」なし崩し的にキーを受け取って石田女史に背を向けた私は裏庭に在るという車庫の方へと足を伸ばす。一応訓練の一環として単車から航空機まで様々な技術を習得している私だが、実の所この世界のライセンスを持っているかということに関しては少々黒い事情が絡んでくる。一応ライセンス……この国で言う”免許”と言う物は私も持っている。勿論精巧な偽者だとか、以前ドゥーエがどういう訳か土産に寄越した学ランを来た猫の物でもなく正真正銘の本物だ。しかし当然私のような人間が一朝一夕でこの国の免許を取れるはずが無く、現状私が持っているのは某国で金を払って発行して貰った物を役所に申請して得た物なのだ。つまり確かにライセンス自体はこの国で発行された本物だが、実の所を遡れば元となったライセンスの所得試験を私は受けずに所有している事になる。あまり他の次元世界で問題を起すのは好ましくないのだが、要するに形だけ取り繕ってあればそれでいい。現に私はバイクには乗れる……そんな風に言い訳を考えながら車庫の前に立った私は、乗用車が一台分入りそうな小さな車庫のシャッターを手動で上げて、その中へと入っていく。すると其処には珍しい形の黒い大型のバイクが一台その中央に聳え立つように駐車されていた。「……スズキのハヤブサか」この世界に来る前に一通り調べておいた単車のデータと目の前にある黒い車両とのデータを脳内で照らし合わせてみる。正式名称はススキ・GSX1300Rハヤブサ。最高出力は175ps /9800pm、最大トルクは14.1kg-m/7000pm。最高速度は凡そ312km/h……嘗ては最速と呼ばれた程のモンスタースペックを備えるマシンだった。何故私がこの世界の単車の情報を持っているのか、それは偏にこの世界での足を確保する際に何がいいのかというのを予め情報収集していた事が大きい。ジュエルシードを探すとはいっても流石にこの付近にあるというだけで実際に何処に落ちているのかはまだ私にも分っていない。そんな中を徒歩で歩いて探すと言うのは殆ど無謀とも言える行いだ。それを少しでも解消する為にと慣れない端末を操作して彼是とデータを収集していたのだが、一際目を引いたマシンと言うのが実の所このハヤブサだったのだ。馬力があるし、尚且つ多少無茶をしても壊れないだろう頑丈さには目を引かれる物がある。此れはもしかしたら試し乗りのチャンスなのかもしれない、私は少しだけ気分を浮かせながらハヤブサにキーを差し込んでエンジンを掛けると、その重い車体を押しながら道路の方へと向かっていった。それから一時間と少しばかりの時間が経ち、私はなるべく急がなければという思いに急かされながら人気の無い街道をハヤブサで駆けていた。実際の所このハヤブサというマシンのスペックは凄まじい物があった。どうやらこのマシンにはスピードリミッターが搭載されていないらしく、本気で駆けようものなら楽楽と300kmオーバーのスピードが出せてしまうらしかった。その為少しだけと思ってスピードを上げてみると此れがまた恐ろしく加速力が高く、僅か数秒で200kmまで到達してしまったほどだ。幸いにも人気が無かったのと、この国の民警が巡回していなかったので法的な処理を受けることは無かったのだが……マシンに魅せられていたという事に関しては否定できなかった。しかし、その魅せられていたのが災いした所為なのか私は根本的な事を忘れていた。まあ戦闘機人である私が忘れると言う行為に至ると言う事はまずありえないのだが、どうにもマシンの性能を扱いきるのに夢中になり過ぎていて根本的な仕事を疎かにしてしまっていたのだ。そのため私は急いでホームセンターという場所で頼まれていたビニール製の紐の束を三つほど購入し、恐らくは呆れるか困り果てているかの何れかに陥っているであろう石田女史の家へとバイクを走らせていた。「私としたことが……どうにも気持ちが緩むと心構えも疎かになっていかんな」黒いボディに合った黒いフルフェイスのヘルメットの中で私はそう呟き、気持ちを改めた。確かに何時もとは違う任務とあまりにも平和すぎる環境に気持ちが緩んでいたと言うのもないではないのだが、世話になる家主に迷惑を掛けるほど舞い上がるというのは不覚もいいところだ。折角善意で泊めてもらっているのだからこんな所で印象を悪くしたくはないし、あんな姉でも友人に顔くらいは立てておきたい筈だろう。ともかく急がなければ、そう思っている所為なのか現在の私のスピードは軽く100kmをオーバーしている。本当は違法だと言うのは理解しているのだが、回りが見ていないのだから少々無茶をしても罰は当たるまい……そんな考えだった。「何はともあれ帰ったら石田女史に詫びねばな……。恐らく―――――」時間が掛かりすぎていると嘆いておられるだろうからな、私はそう呟くつもりだった。しかし、私は思わず視界に映った物を垣間見た途端息を呑んで言葉を胸のうちにしまいこんだのだった。そしてスピードを緩めてじっくりとその光景の観察を始める。私の目の前に映った物……それは白い服を着た少女が街道を走っていく光景だった。普段なら気にも留めないような光景だったのだが、私はその少女の姿に違和感を感じた。何故かその少女は全身が不自然に汚れていて、更に傷まで負っているようにも見えた。加えて彼女の掌……何か光っているような気がしたのだが、微弱ながらに魔力反応を感じる。何か臭う、私はそう睨み一旦バイクを止めてその少女の方へと視線を移し続ける。「魔力反応……いや、しかしこの世界は魔法とは無縁の世界だったはず。もしや……」私はその少女が後ろを振り向きながらも走っていく様を見ながら、もしかしたらの可能性を脳内から引き出して呟く。以前からジュエルシードを狙って動いている人間が居る、もしや彼女がその人物なのではないかと言う可能性だ。この世界は確かに栄えてはいるがその歴史の中に私の知る”魔法“や”魔力”と言った要素が絡む事は皆無、故にこの世界で魔力反応を見せる人間こそがその犯人なのではないか。此れに関しては何とも言えないし、可能性も捨てきれない……しかし私は安直にそう考えはしなかった。確かにこの世界は魔法と言う物に関しては無縁な世界かもしれないが、それでも魔力を持つ人間が生まれる可能性はゼロではないし、自覚が無いにしても常に微弱な魔力を駄々漏れにして生きている人間だって居ない事はない。もしかしたら彼女はその類の人間で、石田女史と同じ何も知らない民間人なのではないか……此方の方がずっと可能性は高いと言えた。そもそもジュエルシードというのはかなり大きな魔力反応を持つロストロギアの筈、だが彼女が漏らした魔力は本当に人が自覚出来るか否かと言う微弱な物だった。それでは何故私はこんなにも彼女の存在が”引っかかっている“のか、その答えは本当に直ぐ傍にあった。「ッ……別の魔力反応、しかも大きい。AA……いや、AAA級だと。まさかッ!?」殆ど確信にも似た衝撃が脳を揺さぶった瞬間私は大きな物音がした事に気が付いた。そして再び少女が駆けて行った方向へと視線を向けると、そこには先ほどまではいなかった漆黒の獣がその少女が駆けて行って方向へと走っていくのが目に付いた。そしてこの多大な魔力反応はその生物から漏れだしている事に私は気がついた。間違い無い、アレはジュエルシードを取りこんだ結果生まれた暴走体だった。そしてその状況を照らし合わせるならばあの少女はあの暴走体に追われているという事になる。一般市民にジュエルシードの存在が知れるという事が在っては拙い、そしてそれ以上にそれによって死傷者が出る等言語道断だ。ドクターから命じられている訳ではないが、下手に管理外世界で騒ぎを起こせばその世界の常識を覆すことにも成りかねないし、加えて死傷者を出したとなればこの国の民警が騒ぎ立て今後の行動が上手くいかなくなる。そして何よりも……何の罪も無い一般人が殺されていい道理など何処にも存在しない。人なら散々殺してきた、目的の為だと、任務の為だと、姉妹の為だと言い聞かせながら数多の人間を私は切り刻んできた。あぁ、解っている……これはエゴだ。あの少女が殺されている隙に暴走体を襲撃し、それからジュエルシードを回収してもドクターの心は痛む事は無いだろうし、事実上私の任務はそれで成功した事になる。だが、それでも……罪無き人間が死んでいいなどと言う事にはならない。「……くそッ、大した偽善者だな。私も」アクセルを傾け、思いっきりバイクを加速させて私は奴等が駆けて行った方へと駆けて行く。偽善、確かに今私が取っている行動は偽善なのだろう。こんな風に正義感を丸出しにして入るが、どの道私はどう抗おうと人殺しの大罪人だ。どれだけ言い訳を重ねても私が数多の人間をこの手で切り刻んできた事には変わりは無い。見捨てようと思えば見捨てる事も出来た、もしかしたら私と言う人間の性質を考えればそうする方が正しかったと言えるかもしれない。しかし、それでも尚私が駆けるのは死の覚悟もない一般の……それも幼子を目の前で殺されるというのが我慢ならないからだ。傍から見ればおかしい光景なのかもしれない、人殺しが人を救うなど滑稽以外の何物でもないだろう。だが、どうしても許容出来ない一線という物もある……これは殆ど私のエゴやプライドから生まれた自らへの甘えなのかもしれない。非情に徹する事の出来ない自分への……何処まで行っても生温い情に流されてしまう私自身への甘えだ。だが、それでも――――――「それが、人が死んでいいという理屈にはならんッ!!」エンジンがまるで咆哮の様な唸り声をあげる。排気口から漏れだした爆音がそれに続くようにその唸り声に重なる。そしてホイルが回転数を増し、スピードメーターは100kmを振り切りドンドンと加速力を増していく。私のISを……ライドインパルスを使えばもしかしたら今の速度より速く少女やあの暴走体に追い付く事が出来るかもしれないが、そんな余裕は無い。バイクを降りる時間すらも惜しい、更に言えば結界魔法を構築している時間すらも惜しい。周りの人間が気がつく前に最速であの少女を保護し、そして暴走体を撃破する。任務は頭に浮かんだ、後は実行するのみだ。そして私にはその力が在る、戦士としての……戦闘機人としての力が。本来この力は他者に災厄を齎す事のみに使われる物だと、私はずっとそう考えていた。何処まで行っても私の力は人を傷つける事しかしない、ましてこの力が人を救うなどと私は考えた事も無かった。しかし、実行せねばあの少女は死ぬ……それだけは何としても避けねばならない。それは突発的に目覚めた正義感だった、自分でも性に合わない事くらいは解っている。だがもうやるやらないの段階は過ぎた、今はもう“やるしかない”のだ。「インパルスブレード……ゆくぞッ!!」既に二つの目標は私の眼前にその姿を露わにしていた。跳躍し、少女の前で威嚇するように唸る原住生物を取りこんだ暴走体とその暴走体を前にして尻もちをついて怯える少女。下手をすれば何時飛びかかられてもおかしくは無い状況だ。しかし、私はそれを見越して自らの固有武装を……インパルスブレードを左腕のみに限定してこの世界へと顕現させる。それは紫に輝く無骨な刃……この世界で言う肉切り包丁のような歪な短刀だ。数多の人間の血肉を啜ってきたエネルギーの刃、それが私の固有武装インパルスブレードだった。これで私は幾多の戦場を駆け、様々な人間を切ってきた。其処には女も男もいた……年老いた老兵も年端もいかない少年兵もいた。そして私はそれを構わず切り捨ててきた、首を、四肢を、腸を、半身を、得物を……何もかも切り裂き奪ってきた。本来こんな風に“誰かを護る”為に振われる様なそんな刃では無いのだ。所詮何処まで行ってもこの力は殺人の力……どれだけ言い訳した処でその事実は変わる事は無い。しかし、それでも私は……目の前の少女を救わなくてはいけない気がしてならない。故に私は少女に向かって叫び、攻撃の態勢を整えた。「伏せていろ!!」それに気がついてか無意識の内かは判断しかねるが、ともかく身を屈めて体勢を低くする少女。そしてその瞬間、少女に向かって飛びかかる暴走体。私は一気にスピードを上げ、その中間に躍り出るとその暴走体目がけて一気に左腕に構えたインパルスブレードを横薙ぎに振った。捉えた、そう思った頃には私の刃は暴走体の脇腹を裂いていた。状況が状況だった故か少々負わせた傷は浅かったものの、暴走体は奇声をあげて私と少女から飛び引き距離を取った。原住生物を取りこんでいる為か中々に利巧な奴だ、私はそんな風な評価を下しながら少女に向かって安否を確認する。無事か、と問いかけると少女は渾身の力を振り絞ったかのように力無く一度だけ首を縦に振り、そしてそのまま意識を失った。余程怖かったのだろう……そう思っていた矢先、私は少女を見ていて在る事に気がついた。それはついこの間ドゥーエのマンションを訪ねようと思った際にエレベーターの前でぶつかった少女と同一人物で在ったという事だ。奇妙な縁もあったものだ、私はそう思いながらも少女を庇うように前に躍り出て暴走体と対峙する。「ふん……まあいい。さぁ、来い原住生物! 始末をつけてくれる!!」左手のインパルスブレードを構え、片手だけで車体のバランスを取りながら暴走体の動向を図る。目の前の獰猛な獣は此処までされてまだ少女を諦められないらしく、どうやら私諸共喰い殺してしまうと考えているらしかった。その証拠に化け物は喉を鳴らしながら唾液を垂らして地面を二、三度試す様に脚で地面を擦っている。もはやこの場を一旦退くという手段は向こうには無いらしい、それは無論こちらも同じ事なのだが。インパルスブレードを構え直し、再び奴が踏み切るのを私は待つ。正直バイクから降りてしまった方が全てのインパルスブレードを使える上にISも使用できるので寧ろ降りてしまいたいのだが、バイクを降りている瞬間に相手が襲ってきたら元も子もないし……そもそもこのバイクは借り物だ、傷つける訳にもいかない。忌々しいと内心で考えながらも、フルフェイスヘルメットの中色々と別の処での焦りと戦闘に集中しなければという気持ちの板挟みで頭を痛める私。次にこういう事が在る時は絶対に自分のマシンでやろう、私は激しくそう思った。「直掛かって来ない辺りはそれなりに頭が回る様だな……だがッ!」私はアクセルを入れこみ、バイクを加速させると一直線に化け物へと向かって行く。当然片手にはインパルスブレード、腕の部分のリーチは少々短いのがネックだがこの際どうなったって構いはしない。何処でもいいからこの刃を突き立て、そしてバイクのスピードに乗せて切り裂く。行動すべきモーションは既に頭の中で定まった、後はそれを実行に移すのみ。だから私はあえて先手必勝という戦法を取り、こちらから奴に仕掛けて出る事にした。奴の動向を探りつつ、確実に少女の安全を確保するという案も無かった訳では無かったがその少女の様子も気に掛かる故に此処は一気に片付けてしまうのが得策だと考えたのだ。そして現に暴走体は―――――こちらに向かって跳躍はしているもののタイミングを計り損ねたのか少々スピードが遅い。こちらは3秒で100kmのスピードへと加速できる大型マシンに乗っている、当然それ程距離の空いていなかった私と暴走体では加速力で私に軍配あがる。そして私は目論見通り、暴走体の口元にインパルスブレードを突き立てた。「はぁぁぁああああああ!!!」そしてそのまま一気に私はマシンを加速し、インパルスブレードを突き立てたままそれを一気に振り抜く。ブチブチと肉と骨を切り裂く音が感触と共に私の感覚を刺激する。しかし、私の刃に切れぬ者は無い……単純なエネルギーが刃と化しているインパルスブレードはその理論上魔力物質を含まない物なら殆ど例外なく切り裂くように出来ている。あくまでもドクターの言われたカタログスペックの上での話だが、少なくとも生物の肉を断ち切るのに手間取る事は無い。私の腕を臓物と血肉が迸り穢していく、口元からバッサリと腹の辺りまで切り裂かれた暴走体は原住生物の生命力上その力を失ったのか、切り裂かれる度に徐々に魔力反応を薄れさせていく。視界が紅と黒で染まる、それは暴走体から飛び出した血肉が見せた臓腑色の瞬間だった。しかし私はそれを急いで振り払い、自分の身体に掛からない様に走り抜ける。少なくとも結界も張っていない状態で血みどろ等という状況は避けたい、そう思ったからだ。「お別れだ……朽ちるがいい!」どさッ、という鈍い音を立てて地面に落下する暴走体。やがてそれはドンドンと魔力反応を失っていき、やがて二つの物質へと姿を変えた。一つはジュエルシード、もう一つは小さな原住生物の無残な亡骸だった。恐らくジュエルシードを取りこんだ原住生物があの暴走体へと姿を変えていたのだろうが、ジュエルシードの詳しい情報を知らない私としては不幸な出来事だったといわざるを得なかった。全てはもう終わった事なのだが、ジュエルシードは誰かの願いを叶える祈祷型のロストロギアだと聞く。その殆どは制御がし切れず暴走してしまうらしいのだが、恐らくはその原住生物もジュエルシードを制御できずに暴走してしまったのだろうと私は思った。他に被害など出していなければいいのだが……そんな風に考えながら私はジュエルシードを回収すると、少女の安否を確かめる為にゆっくりとバイクを走らせて少女の元へと駆けよっていく。少女の傍にバイクを止め、傍らにしゃがんで反応を促すとその少女は気絶しながらもはっきりとした反応を示してくれた。「おい、しっかりしろ! おい!」「んっ……ぁ……」少女は呻くように声をあげるだけで一向に意識を取り戻す様子は無かった。しかし、身体中に傷こそ負っているがどうやら命に別条は無かったらしい。これを吉と考えるべきか凶と考えるべきか……そう私がそんな風な感想を漏らしていると、私は少女から漏れていた魔力反応の事を思い出していた。それに何か違和感を感じた私は少女からの魔力反応を頼りに、その魔力反応を示している方へと意識を向けてみる。それは少女本人から漏れていた物では無く、少女の掌から漏れていた物だという事に私は気がついた。一体どういう事だ、そんな風に考えながら魔力反応を示している少女の掌を確認した私は……そこで驚くべき物を発見した。「これは……ジュエルシード!?」そう、少女が気絶しながら握っていた物はあの暴走体とはまた違う別のジュエルシードだった。反応こそ微細だが、恐らく精巧な偽物という可能性は限りなく低い。ではやはりこの少女がこの少女がジュエルシードを集めている人間なのか、そんな疑問がもう一度脳裏を過った……のだが、私は直ぐにその考えを捨て去った。ならばこんな風に何の対処もせずに魔法も使わず逃げ回る訳が無い、恐らくは巻き込まれたのであろうと私はもう少し妥当な考えを例に挙げてそれを否定したのだ。まあともあれこの少女のジュエルシードも回収せねばと思い私はゆっくりとその手を伸ばし―――――弾かれた。「ッ!? なんだ……これは……」まるで電撃でも喰らったかのように私の腕に衝撃が走る。少女の持つジュエルシードに触れようとした瞬間に私の腕が弾き飛ばされたのだ。そしてその衝撃には殆ど測定不可能な程の魔力反応が込められていた、もう一度触れようとしても私の腕はまた同じ衝撃にやられて一向にジュエルシードを掴む事が出来ない。しかし、もう一つのジュエルシードは確かにこの手の内に在る……もしやと思い私はその場でしゃがみ込みながらその少女に対しての思考を重ねる事にした。「まさか……ジュエルシードが使用者を選んだとでもいうのか?」そんな馬鹿らしい考えが頭の中を過る。言い換えるならこれはこの目の前の少女の願いをジュエルシードが聞きいれ、そしてそれが他者に渡らぬように自己防衛をしているという事になる。限りなく可能性は低い、しかし無いとは言えない事ではあった。ジュエルシードは元々誰かの願いを聞き入れる為に造られたロストロギア、それが“正しく”対象者の願いを叶えていたとしても何ら不思議なことではない。ジュエルシードに触れたものが皆取りこまれて暴走する訳ではない事を考えると、その可能性は十分に在った。ドクターに報告した方が妥当という処なのだろうが、ともあれこの状態では回収する事が出来ない。ひとまず私は少女から事情を聞く事も考慮の内に入れてジュエルシードを握った手を少女のポケットへと滑り込ませ、そのまま彼女をを背負ってバイクに乗せると、購入したビニール紐で私と少女の身体を結びつけて固定し、病院へとバイクを走らせる。「何はともあれ……厄介な事になりそうだな……」厄介事は御免だ、そう考えているのに次々と面倒事が転がり込んでくる。そしてそれをどうにも避けられない自分がいる。情けない話だが、もしかしたら私は苦労を人一倍背負い込んでしまう性質なのではないかと私は思った。ちょうどこの……背中で気絶している少女のように。どうにもこの任務、先は長い様だ。そんな風に考えながら私はため息を一度吐き出し、その場を後にするのだった。