騒がしい街中をあてもなく歩き回る、なんていうことは私にとってはそれほど珍しいことじゃない。同年代の友達とも縁を切り、諸々の事情もあって家にも居辛かった一昔前の私は殆ど毎日のように疎らな人ごみの中に紛れて騒々しい街の中を闊歩していたからだ。お金もなく、目的もないのにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。ただ自分の傍に人がいるということだけを感じたいが為に、私はそうして意味もなく体力と気力だけをすり減らす毎日を送っていたのだ。本当はただ虚しいだけだっていうのは初めから知っていた。けれど、私はそんな虚しいだけの行為を止めることが出来なかった。自身の胸の内に蔓延る孤独をほんの少しでもいいから薄れさせたかったが故に。己は独りでしかないという現実への畏怖から逃避したかったが為に。私は無駄なことだと知りつつも、この街の有り様に自身の感情を埋没させることで心の中で肥大する寂しさを紛らわせるしかなかったんだ。でも、今は違う。未だに私も変われないところはあるし、途方もない苦労を背負っている最中だけど、私は着実に昔の私からは遠ざかりつつあるのだと思うのだ。一歩一歩は小さいのかもしれないけれど、少なくとも今の私は独りじゃない。巣となり、支えとなってくれる人たちが傍にいてくれる。それだけで、私の心は大分軽くなってくれる気がするのだ。少なくとも、彼女と共に歩むこの街をほんの少しだけ好きになってあげる程度には……。「わ~……。なのは、なのは! 今度はこのお店に入ってみようよ」「ふふっ、いいよ。付き合ってあげる」物珍しい玩具を前にした子犬のようにウィンドウに飾られた洋服や小物に興味を示しては無垢な笑顔を振りまいてはしゃぐフェイトちゃんと、そんな彼女に付いてあれやこれやとフォローしたり助言をしたりしている私。もう彼是そんなやり取りが二、三時間と続いた頃のこと。私たちはフェイトちゃんの身元を探すという本来の目的も完全に忘れて、二人仲良くウィンドウショッピングに洒落込んでいた。ジャンルとしてはストラップやぬいぐるみといった物から、CD、書籍といった物まで幅広く見て回った。ある店では可愛い洋服を見つけては試着を繰り返し、またある店では流行の歌を試し聞き、またある店ではお勧めの漫画をフェイトちゃんにレクチャーして笑い合う。本当に、心の底から楽しいと久しぶりに思える有意義な時間だったように私は思う。まぁ、とは言え服やら小物やらに関しては私自身門外漢と言わざるを得ないし、そのほとんど縁のないものばかりだったわけなんだけど、実際はそんなことはあんまり気にはならなかった。ただ彼女─────フェイトちゃんが私に向かって笑いかけてくれるというたったそれだけの要素があるだけで、そんな私の些細な憂鬱は何処か彼方へと簡単に吹き飛んでしまうのだから。「はやく、はやく!」「わっ、ちょっと待ってよフェイトちゃ~ん」私の視線の先で手招きをしながらゲームショップの中へと入っていくフェイトちゃんに私は見逃さないようしっかりと後をついていく。一応先生から言いつけられている以上見失ったら大変というものだ。何せフェイトちゃんは記憶を一回フォーマットしちゃった挙句、先生に拾われてからはひたすらに家の中でゲームをしてるか、先生に勉強を教えてもらうかの二択を繰り返している重度の世間知らずだ。下手をすれば「飴あげるからおじさんについてきてくれない?」とかベタなこと言われても平気で付いていきかねない危うさもある。そこら辺のことを踏まえるに、やはり多少なりと土地勘のある私が目付け役になるというのは妥当なことだというものだろう。無論、そんなことは単なる建前に過ぎず、本当のことを言うと完全に私も一緒になって楽しんでいるだけなんだけど……まぁ、言いつけは守ってるんだし結果オーライという奴だ。「もぅ、勝手に先いかないって約束したのに……」微笑ましさ半分、呆れ半分といった具合にそんな台詞をフェイトちゃんへと吐き出しながら私も彼女に続いて店の自動ドアを潜り抜ける。久しぶりの外出ではしゃいでいるのは分かるけど、もう少し落ち着いてくれたらとちょっとだけ思ってしまうのはここだけの秘密だ。店の棚に溢れんばかりのゲームソフトが陳列されているさまは確かに壮観なのだろうし、自分がまだプレイしたことのないゲームが新鮮なのはわかるけど、大抵こういう時にはしゃぎすぎると碌なことがない。もっとも、それは私のジンクスであって彼女にもそれが当てはまるかどうかは微妙なところなんだけど……何事も程々にしておくっていうのがやっぱり一番なのだ。ゲームのプレイ時間然り、やり込み然り、そして購入の際の勢い然り。こういう時の鉄則はやはりしっかりと教えておくべきだろう。私は心の内側でそんな風な決心を固めながら、両手で携帯ゲーム機のソフトの箱を手にとっては裏の説明文と睨めっこしているフェイトちゃんのほうへと足を延ばすのだった。「フェ~イトちゃ~ん。置いてかないでって言ってよね? 自分勝手な行動したらメッ、だよ」「あっ、あはは。ごめんね。ついはしゃいじゃって……」「まっ、気持ちは分かるけどね。何見てるの?」「えっと……とりあえずはドゥーエに貸してもらってた物の続きがあるかなって思って……。これとこれなんだけど……」そう言って徐に日本のゲームを手渡してくるフェイトちゃんと、素直にそれを受け取ってどんなもんかと評定を始める私。渡されたゲームのタイトルはそれぞれ『ドラゴンクエストⅤ』と『激闘! カスタムロボ』の2作品。なるほど、どちらも素直に悪くないと思えてしまうような無難なソフトだった。方ややり込みRPG、方やファイトアクションとジャンルはバラバラだがどちらも長くシリーズが続いている長寿タイトルだし、フェイトちゃんのゲームの腕前は以前彼女といっしょにゲームをした経験から私もよく知っている。この際どちらを勧めたのだとしても、まず外れはないと言っても過言ではないだろう。けれど、逆に言えば外れがない二作品だからこそ優劣をつけにくいのもまた事実だった。何せフェイトちゃんの差し出した二つのゲームはそれこそ初心者から玄人まで幅広い層がプレイしても楽しめるタイプのものだ。ドラクエの方は楽しみ方次第では何度プレイしたって飽きないという人もいるし、カスタムロボの方は通信で対戦やパーツの交換が出来るというドラクエにはない利点がある。こういう時購入者が私なのだとしたら迷わず二つまとめて買うか、それとも揃ってあきらめるかの二択なんだけど……さすがにフェイトちゃんのお財布事情の関係上そのどちらかを押し付けるのは酷というものだろう。ゲームをやりたい欲求と、無駄遣いをしないための心の抑制。その二つを考慮した上で次第点に落ち着かせるには、はたしてどちらのゲームを選択するのがベストなのだろうか。私は手の内の二つのゲームソフトを交互に見渡しながら、入念に情報を抜粋して頭の中で整理を重ねながら、その疑問に答えを導くべく、真剣な面持ちのまま審議を繰り返すのだった。「う~ん……RPG慣れするんだったらドラクエのがいいとは思うんだけど、フェイトちゃんの場合指先が器用だからアクションのが向いてそうなんだよねぇ……。これが自分のなら二つとも投げてPSの『武蔵伝』と『チョコボのダンジョン2』買うんだけど……」「あ、あの……なのは?」「あー、でも待ってよ。別にこの二択が絶対って訳でもないんだから別のゲームでもいいのか……。いやでもメガテンとかサガフロはフェイトちゃんにはまだ─────」どういう訳か軽くフェイトちゃんにひかれたような様な気もしたが、それから向こう15分くらいの間、私は夢中で己の考えに没頭し続けた。何せ、勉強も私生活も何もかも放り出した私が唯一誇れるのがゲームに対する愛着なのだ。加えて、彼女の提示した二作の名作から一作だけを選ばなければいけないというこの状況。幾ら友達にゲームを進めるだけとはいえ、おいそれと軽々しく答えを選択できないというのも無理もない話というものだろう。まぁ、尤も事の当人であるフェイトちゃんは完全に蚊帳の外なんだけどね。「でもだからって無難にモンスターハンターっていうのも微妙だし……いっそドリキャスとかネオポケとかの路線を開発するのもありかも……。それなら抱き合わせでシーマンとサクラ大戦も……」「なのは~、お願いだから戻ってきて……」「えっ、あっ!? ごめんごめん、つい夢中になっちゃって」「もう……いきなり考え込んじゃうからびっくりしちゃったよ。本当になのはってゲーム好きなんだね」呆れたようにそう呟くフェイトちゃんに私は苦笑いを浮かべながら「まぁね」とだけ返事を返し、熱中しすぎてしまった己のことを少しだけ悔いた。元々積極的にゲームを始めた時はフェイトちゃんみたいな友達もいなかったし、そもそも熱中していた理由だって現実から少しでも逃避しようとしていたが故の事だ。新しいゲームを買う時だって勿論一人だったし、お金にそれほど余裕があったわけでもなかったから当然昔から色々と考え込んでしまっていたんだけど……どうやら今回はそんな癖が裏目に出てしまったということらしい。私の場合、少しでもゲームを楽しむためには妥協しないっていうスタンスを貫いていたんだけど、それもフェイトちゃんからしてみれば与り知らぬことだ。これが純粋な理由でゲームに興味を持った者と不純な理由でのめり込んだ者の意識の違いというものなのだろう。そう考えると、私は何だか少しだけ寂しいものを己の内で感じた。「殆ど唯一の生き甲斐みたいなものだったからね。最初は単なる暇つぶしだったんだけど……先生に色々教えて貰ってからは自分でも色々と試すようになってね。今ではまぁ、こんな感じって訳なんだ」「先生……ドゥーエのこと?」「あぁ、うん。そうだよ。あの人に出会ったからは趣味も増えたし、多分私も色々な方面で影響を受けちゃってるんだろうね。先生、あんな風に見えて意外と多趣味だから」「へー……。じゃあ、私もなのはと一緒なのかも。私も色んなことドゥーエに教えて貰ってるし、いっぱい楽しい思いさせてもらってるから。やっぱり……ドゥーエってすごい人なんだな~」何処か嬉しげに、そしてまた誇らしげにそう語るフェイトちゃん。なるほど確かに記憶喪失の所為で己の身元も分からず、家族が何処にいるのかも分からないような状況下にある彼女からしてみれば先生はもはや母親代わりのようなものだ。実際フェイトちゃんも大分懐いてるみたいだし、話をしていても双方からこれといって不満や愚痴が零れてこないことから見ても関係は良好なのだろう。ならば、そんな母親代わりのことを褒められてフェイトちゃんが照れるというのも別段不思議ではないというものだ。尤も、そんな仲の良い二人に若干の嫉妬を覚えないでもないんだけど……まぁ、それとこれとはまた別の話だ。私とフェイトちゃんでは立場も違うし、彼女の場合は事情も事情だ。それに私自身友達であるフェイトちゃんのことをあんまり悪い風には思いたくないし─────今はまだ一歩下がったところから微笑ましく見守ってあげるというのが友達として最善の行動なのだろう。まぁ、欲を言えば立場を変わってほしいっていうのが本当のところなんだけどね。私自身そこら辺のことが素直に言えない分、純粋無垢に甘えられるフェイトちゃんが羨ましいと思ってしまうのもまた確かな事実なのだから。私は心の内側でそんな風に考えを纏め、己の内に沸いた僅かな羨ましさを確かに感じながらも、こんな感情を何時までも抱えていては具合が悪いと思い立ち、急いで話題をそらそうと躍起になるのだった。「あっ、そうそうフェイトちゃん。さっきから考えてたんだけど買うんだったらこっちのゲームがお勧めだよ。何事もまず基本が大事だし、今後の根気を養うためにもRPGが一番だよ。というわけで私としてはドラクエ押しかな。カスタムロボも捨てがたかったけどね」「えっ、そうなの? それじゃあ……思い切って買ってきちゃおうかな。ちょうど調度お金の持ち合わせもあるし、少しくらい贅沢してもいいよね」「まぁ、先生ならそういう無駄遣いしても多分怒らないだろうし、いいと思うよ。偶には自分の好きなようにやってみるっていうのも」「うっ、うん。そう……だよね。じゃあ、なのは。ほんの少しだけここで待ってて。すぐにコレ買ってきちゃうから」そういって嬉しそうに私の手渡したゲームの空箱を抱えながらフェイトちゃんはレジの方へと駆けて行く。なるほど、その様は正に無垢な童のそれに間違いはない。嬉しいから笑い、悲しいから泣き、激昂に駆られるから怒り、物珍しいものを目にしたから感動して感銘を受ける。それは、それこそ古今東西何処の人間であろうが変わらない道理というものだろう。故に目の前の少女の様子は別段これといって特筆すべき点など何処にもありはしない。そう、ただ一つ彼女という存在そのものがこの街にとっての異邦人であることを除きさえすればの話だが……。店員へと商品を渡し、あれやこれやとやり取りを重ねているフェイトちゃんの方を見やりながら私は考える。そもそも、フェイトちゃんとは何者であるのか、と。無論それは私如きが窺い知れることではないし、当の本人すらも文字通り忘れてしまっているのだから明確な確かめようなど何処にもありはしない。だが、彼女と共に過ごす時間の中で私はある程度彼女が無意識の内に示し出す断片的な情報を得ていたりもするのだ。それを先生とメールでやり取りし合い、さながらプロファイラーのように互いの情報を照らし合わせて過去のフェイトちゃんの人物像を卓上に浮かび上がらせていく。地味な作業なのかもしれないが、先生といろいろと相談し合った結果、それが私たちにとってもフェイトちゃんにとっても急ぎ過ぎない最良のやり方だった。故にこの時も私は絶えず彼女の動向から何か手がかりはないかと観察しているのだが─────正直言って彼女の場合、そうした情報を得れば得るほど元の情景が見えなくなってしまうのだ。「本当、いったい何者なんだろうね。フェイトちゃんって……」ふとそんな益体もない台詞が私の口元から漏れ、宙に落ちる。元より地道なこと故、嘆いていても仕方がないのは分かるのだが、彼是何週間と時間が過ぎて行くにも拘らず、こうも彼女の身元が知れぬとなると流石にぼやきもしたくなるというものだ。何せ憶えている事と言えば唯一己のファーストネームが「フェイト」ということだけで、家族構成、年齢、住所、国籍に至るまでの一切が不明。加えて身体には過度に虐待されたと思しき無数の生々しい傷が刻み付けられており、中には成長しても消えないような物まであるのだという。普通に考えれば、とてもじゃないが真っ当な人生を歩んできたとは言い難い人間であることはまず間違いない。だが、反面彼女の私生活での言動や挙動、知識などを鑑みると決して文明的な生活から遠ざけられて生活していたわけではないこともまた事実だった。これは先生と私で色々な角度から検証を重ねた結果導き出されたことなのだが、どうにも彼女はこの国における一般的な常識を有していた形跡がちらほらと見えてくるのだ。無論彼女は見た目から明らかに日本人ではないと分かる容姿をしているし、一応日本生まれなだけで両親が共に外国人という線もあるのだが、それでも流暢に日本語を話す姿から見ても確実にこの国で数年以上は日常生活を送っていた形跡があるのが分かる。ただ先生の話では一般的な文章の読解や小学生レベルの基礎的な漢字にすら躓いているような節もあることから凡そまともな学校教育は受けていなかったのであろうことも明らかになっている。この事から、彼女は何かしらの家庭の事情で学校に通っておらず、加えて初対面の人間とのコミュニケーションに多少なりと難があったことから、ごく閉鎖的な生活を送っていたのだろうと推察することができた。ただ、こうして買い物をすることや金銭面でのやり取りに戸惑わないことを考慮するに必ずしも軟禁されていた訳ではないことも確かなのだが……そこらへんの事情が私たちの思考を一層難しいものへと変えてしまっていたのだ。あれだけ日本語を流暢に操れるというのに、読み書きがまともに出来ないという語学力の矛盾。一見自分の世界に閉じこもりがちで世間知らずなようで、その実金銭面や生活面での一般常識はしっかりと心得ているという生活面の矛盾。そして、何よりもそうした知識を持ちながらもこの国で生きてきた子供にしてはあまりにも俗世に染まっていた素振りが見えないという人格の矛盾。勿論それらの原因が記憶喪失による弊害である可能性は捨てきれないし、私にしろ先生にしろその道の専門家ではないからあまり強く断定できた話でもないんだけど、そういった不鮮明な事情が一層彼女の背景を不明瞭な物へと変えてしまっているのもまた事実なのだ。それに先生曰く彼女の両親や親族などから警察へ捜索届が出された形跡がないという事も何処かきな臭いものがあるし、第一私はまだ記憶を有していたのであろう頃の彼女が自殺を試みようとしていた事実を知っている。あまり急ぎ過ぎてもいけないんだろうけど、やっぱりそこら辺の事実関係は今後しっかりと把握していかなくてはいけないだろう。私は買った商品を小脇に抱えながら嬉しそうにこちらに駆け寄ってくるフェイトちゃんの方を一瞥し、顔に即席の笑みを張り付けながら、心の内側でそんな風なことを思考するのだった。「お待たせ、なのは」「うん、お帰り。じゃあ、そろそろ時間も時間だしご飯でも食べに行こうか。美味しいお店紹介するよ」「本当!? それじゃあ……お願いしちゃっていいかな?」「ふふっ、任せて」溢れんばかりの期待を胸に、明るい笑顔を振りまくフェイトちゃんに私もつられて似合わないような笑みを浮かべながらそれに答えていく。なんにせよ、今というこの安息の時間を自らぶち壊しにすることもないだろう。最終的にこの場で私が導き出した結論は結局そんな問題を先延ばしにするようなものでしかなかった。でも、今はこれでいいのだと私は思う。彼女が何者であり、例えその背景に何を抱えていたのだとしても、私と彼女が此処でこうして微笑み合っているという事実には何の陰りもないのだから。故に、私は再び彼女の手を取ってもう一度町の中へと駆けだしていく。何にも縛られず、そしてまた何にも戸惑うことなく。ただ歳相応の少女として、この時間を最大限楽しむために……私はもう一度、あの頃に戻った時のように笑ってこの時を楽しむのだった。そう、まだ何もかもが正常だったあの頃のように。その後、ゲームショップを出て私があらかじめ目星をつけていたレストランへと向かった私たちはそこで何時もよりも少しだけ豪華な昼食をとり、また一緒になって街の中を気の向くままにぶらぶらと散策していた。食後の散歩とでもいえば適当なのだろうか。まぁ、何だっていいけれど結局のところ何処かへ行くあてもなく街中をうろうろするという点に関しては何時もとそう対して違いのないことだった。尤も今の私にはフェイトちゃんという連れがいるし、一人で仕方なく時間を潰さなきゃない何時もと比べれば全然退屈しないし、私自身も存分に楽しめているのだけれど。「なのはに紹介してもらってお店のパスタ、すっごく美味しかったね」「うん、気に入って貰えたみたいで本当によかったよ。まずいなんて言われたらどうしようって思っちゃった」「あははっ、なのはは心配性だね。でも美味しかったのは本当だよ。あんなに美味しい料理、すっごく久しぶりに食べた気がするもん」「またまたフェイトちゃんってば……先生の手料理毎日食べてるんでしょ? 流石にそれは先生に失礼ってもんだよ」そんな他愛のないことで笑い合いながら、私たち二人仲良く人通りの少ない公園の中を歩んでいく。食後という事で私もフェイトちゃんものんびりしたいっていう意見が合致した結果の選択だった。本当は一緒に映画でも見に行こうかとも考えたんだけど、よくよく考えたら私の見る映画の趣味とフェイトちゃんの趣味が合うかどうかも分からないし、お金の持ち合わせもお昼の食事代で大分使ってしまったから結局諦めることになってしまったのだ。まぁ、よくよく考えれば女同士で恋愛映画なんて見に行ってもつまらないだろうし、アメリカ原産のガンアクションムービーを見るにしたってフェイトちゃんが怖がるだけかもしれなかったから、ある意味結果オーライだったのかもしれないけれど。私は心の内側でそんな風に安堵の念を抱きながら、改めてフェイトちゃんとの会話を続けていくのだった。「それにしても今日は本当に楽しい一日だったよ。付き合ってくれてありがとね、なのは」「ううん、いいんだよ。私もどうせ暇だったし、フェイトちゃんと一緒に遊べてすっごく楽しかったもん。よかったらまた今度の日曜日にでも一緒に遊ぼうよ、こんな風にさ」「うん。詳しいことはドゥーエに聞いてみないとわからないけど、私も出来ればそうしたいかな……。ずっと一人でお家にいるのは、ちょっと寂しいしね」「あー……確かに先生も色々と忙しそうだもんね。先生がお仕事の時ってフェイトちゃんがお留守番してるんだっけ?」私が何気なく投げかけた質問にフェイトちゃんは何処か少しだけ寂しそうな表情を顔に滲ませながら、こくりと一度首を縦に振った。まぁ、確かに少し可哀想だとは思うけど、こればっかりは流石に仕方のないことなのだろう。何せ先生はあんな感じのグータラ教師とは言えど一応は学校の先生なわけだし、休日中も書類を整理したり、学校の方へ出向いたりと何かと忙しいと聞く。幾らフェイトちゃんが寂しいからといって、先生も仕事を放り出すわけにもいかないのだ。多分、そこら辺の事情は何となくフェイトちゃんも無意識の内に感じているのだろう。彼女の寂しげな表情には何処かもう諦めたような……それでいて、仕方ないと自分を納得させているような感情が僅かにチラついていた。「……そっか。大変なんだね、フェイトちゃんも」「まぁ、ね。でも仕方ないよ。私、ドゥーエにそこまで迷惑かけられないもん。ただでさえ普段色々と迷惑かけちゃってるのに……今更我儘は言えないよ……」苦い笑みを浮かべながら、フェイトちゃんはそう語る。きっと彼女も先生と共に過ごす日々の生活の中で何処か負い目にも似た感情を抱きつつあるという事なのだろう。その笑みの裏には何処か先生に対する罪悪感が滲んでいるように私には見えてならなかった。無論、私だって彼女の言いたいことは何となく分かる。恐らくフェイトちゃんは、元の記憶云々を問わず、根っこの部分からして謙虚な人間なのだろう。そういった手合いの人種からしてみれば、自分には何もできないからとか、世話して貰ってばかりだからとか、そういった理由で先生に頼りっきりの自分を忌避するというのも無理からぬことなのだ。そして、今の彼女はそんな自責の感情と歳相応の寂しさとが心の内でぶつかって、結局自分の心を押し殺したままになってしまっているのだろう。そういったところが、私には何だか一昔前の自分を見ているようで、何となく親近感にも似た既知感を覚えてしまっていたのだった。「私と、一緒だ……」「えっ?」「あっ、ううん、その……。何て言うか、昔の私と一緒だなって思ってね」「昔のなのはと、私が……?」何処か意外そうな表情でそう疑問を浮かべるフェイトちゃんに私は何処か形容しがたい気恥しさを覚えながらも「うん」と首を短く縦に振りながら、彼女へと応答を返した。別段、ここで話を切り上げて別の話題に乗り換えてもよかったのだとは思う。だってそっちの方がこの場においては賢明なのだろうし、何よりも私自身人に語って聞かせられるような過去は一片たりとも持ち合わせてはいないのだから。でも、何となく私は思ったのだ。今の彼女と似たような過去を持つ者として、そしてその果てに取り返しのつかないところまで転げ落ちるしかなかった者として、彼女には私と同じ轍を踏んで欲しくはないと。私と同じ思いを抱えたまま、寂しい気持ちを押し殺したままにして欲しくはないと。そして何よりも、他ならぬ先生とフェイトちゃんとの間に蟠りを生んで欲しくないと。そう心の底から願う故に、私は内心自嘲気味に思いながらも、自身の記憶の内に葬った嘗ての己の姿を思い起こし、自身が経験した『失敗談』を彼女へと語って聞かせるのだった。「何て言うのかな……。私もね、昔そんな風に思ってた時期があったんだよ。迷惑が掛かるから我儘言っちゃいけないとか、私は皆に心配されないようにしなくちゃいけないとか、そういうの。今考えたら頑張って背伸びしてたんだとは思うんだ。お父さんがちょっとした怪我で入院してたのもあって、私以外の家族は皆バタついてたからね。せめて私だけはいい子でいよう、って気持ちも強かったんだよ。だから、私は頑張って無理してた」ぽつり、ぽつりと私は少しずつ言葉を吐き出しながら自身の苦い思い出を脳裏に浮かべていく。その昔─────とは言ってもせいぜい私がまだ小学校に上がる前のことではるのだが、私は彼女に語った通りの毎日を送らなければならなかった時期があった。何時も何時も独りぼっちで誰にも構ってもらえず、ただ遠巻きに慌ただしく右往左往する家族の姿を見つめているしかなかったあの頃の日々。それは酷く寂しいもので、それでいて悲しいものだった。無論、致し方のない事情だったのだという事は当時の私も理解していたし、今更それを理由にどうこうしようというつもりは毛頭ない。けれど、今でもふと偶に考えてしまう時があるのだ。あの時私がもっと我儘を言っていたらどうなっていたんだろうって。確かにあの頃の私は家族の皆に心配をかけまいと表面上は何時も笑顔でいたし、なるべく独りでいなくちゃいけない理由も考えないようにしていた。でも、結局どれだけ自分で自分を納得させてみても所詮は幼子。身の丈に似合わない無理を重ねていれば、自ずと蓄積された不満な鬱憤が心の内に積もって処理できなくなってしまうのも無理はないというものだろう。実際、今こうして考えてみるとお父さんの怪我の治療が一段落して退院してくるまでに私の心はあの頃から荒んでいたように私は思う。きっと自分でも気づかぬ内に、もっと私を見て欲しい、構ってほしいという欲求が心を圧迫していたのだろう。だからこそあの時の私の思考は、そんな家族に構ってもらいたいが為に更なる無理を重ねることでその欲を満たそうなんて考えへと傾いてしまったのだ。このままいい子にしていればきっと彼らは私のことを見てくれるのだ、と信じてやまなかったが故に……。「自分で自分の気持ちを押し殺してさ……。本当はもっと甘えていたい、我儘でいたいって思ってるのを無理やり抑え込んでたんだよ。そうすればもっとみんな私に優しくしてくれるって思ってたからね。でも、実際は逆だった。私がいい子でいようって思えば思うほど、皆は揃って私の表面的なところしか見ないようになっちゃってさ……。気が付いたら、ちょっとしたことで皆バラバラになっちゃってたんだ。思えば……自分で自分の首を絞めちゃってたのかもね、私は」そう言って、私は自嘲気味にため息をつきながら自分が辿ってきた過去をそっと振り返っていく。結局のところ、今の私と家族の不仲が生まれた土台は結局のところ彼女に語り聞かせた通りなのだ。私が我儘も言わず、反抗することもせず、ただ順応にいい子を演じ続けたことで確かに一時的にではあるけど、家族みんなを纏めることは出来た。けれど、それは裏を返せば自分を偽ることでしか家族の中に溶け込むことすら叶わないという悪循環と、自分を何時どんな時だって『いい子』でいなければならないという強迫観念を生み出すことでもあったのだ。故に、私は長らく家族に本音を言ってしまいたいという衝動と、それを抑圧する自己観念との板挟みに苦しむこととなり、最終的には今のようなところまで転げ落ちてしまった。ただ本音を言うことができなかったが為に。ただ本当の気持ちを家族へと伝えられなかったが為に。私は纏まった皆の絆をもう一度バラバラに引き裂く引き金を引いてしまったのだ。他でもない、自らの手で……。「辛いことは山ほどあったし、泣きたい時は何時も一人だった……。今はまぁ、少しだけ事情が変わったんだけどね。それでも家族と仲が悪いのは変わんないんだ」「……………」「だからね、フェイトちゃん。私はフェイトちゃんに無理をして欲しくない。今のフェイトちゃんがやろうとしてる事は昔の私が通った道にそっくりだから、何となく分かっちゃうんだよ。そんな風に自分の気持ちを押し殺したまま進んでたら、きっと何時か心が押し潰されちゃう。私がそうだったみたいに。そんな風にしかならなかったみたいに……」「……なのは」そこまで言い終えたところで、彼女の口から洩れる私の名前。きっと私の話から、何か思い当たる節でも見出したのだろう。私の名を呼ぶ彼女の声は、何処か迷いに震えているように私には聞こえた。でも、それでいいのだと思う。私の話なんかで少しでも彼女が悩んでくれるというのなら─────少しでも視野を広げてくれるというのなら、私はそれ以上の事なんて望みはしない。だって、最終的に決断を下し、前へと足を踏み出して行くのは他ならぬフェイトちゃん自身なのだから。私は心の内でそんな風なことを考えつつ、もう一度フェイトちゃんの方へと笑みを作って、笑いかけながらこの話へと終止符を打つのだった。「まぁ、そういう訳で暗い話はもうおしまい。ごめんね、くだらない無駄話に付き合わせちゃって」「ううん、そんな事ないよ。まだ私の知らなかったなのはのこといっぱい聞けたし、そういう風に悩んでたのは私ひとりじゃなかったんだって気づくことができたから。ありがと、なのは」「にゃはは、どういたしまして。この話、今初めて他人に話してよかったって思えたよ。とは言っても、普段はほとんど誰にもしないんだけどね。でも、フェイトちゃんには特別。だから誰にも言っちゃ駄目だよ? 勿論、先生にもね」「うん、約束する。だから、なのはもあんまり思いつめないでね?」先ほど私が家族と折り合いが悪いという話が耳に残っていたのか、フェイトちゃんは何処か私のことを気遣うようにそう言葉を告げた。けれど、私はそんな彼女の言葉に応とも否とも言えず、ただ「にゃはは……」と誤魔化し笑いを浮かべてお茶を濁すばかりだった。確かにフェイトちゃんに心配されて嬉しくはあるし、きちんとお話を聞いてくれてたんだという安心を感じもする。でも、改めてこうして彼女の口からそう返されてしまうと、どうにも言葉が詰まってしまうのだ。別に私は過去に縋って今を生きているわけじゃない。けれど、だからと言って何もかも吹っ切れているのかと言えばそういう訳でもない。詰まる所、結局は中途半端─────自分でも納得できていないようなところで宙ぶらりんになっているだけに過ぎないのだ。故に、私は彼女の問いに対して明確に何か言葉を返すことは叶わない。だって幾ら偉そうなことを言ってみたところで、結局私の本質は悩むことを放棄して問題から背を向けたただの負け犬でしかないのだから。「……それはフェイトちゃんこそ、だよ。本当は先生に思いっきり甘えたいんでしょ?」「うっ、うん……。でも─────」「にゃはは、だったらそんなに心配しなくても大丈夫だよ。先生は懐の広い人だもん。多少の我儘くらい、きっと聞いてくれるし受け止めてくれる。それに、先生昔言ってたから。子供が大人の顔色伺うもんじゃないってね。むしろそうやって恐縮してた方が、先生にとっては居心地悪いと思うよ、私は」「そう……かな……? 本当に、いいのかな?」何処か半信半疑といった具合に迷い始めるフェイトちゃん。恐らく、彼女も本当のところを言えば自分の欲望に素直でありたいと思っていたのだろう。迷うという事はとどのつまりそういう事だ。ならば、私はそんな彼女の我慢という垣根を取っ払う役目を担うだけ。嘗ての私が踏み外した道を歩ませないために。こういう時に自分の意思を誤魔化して笑うなんてことを彼女にさせないために。私はただ、そっと彼女の背を押してその姿を見守るのみだ。きっとそれこそが嘗て悩むことから逃げた人間が、今を悩める人間にしてあげられる唯一の事なのだろうから。私はそんな風に悩める彼女を内心少しだけ羨ましく思いながらも、今の自分には詮無いことだと考えを改め、彼女の悩みへと肯定の言葉を投げるのだった。それが『あんなこと』になる引き金になるとも知らずに。「いいんだよ。だって─────」あぁ、思えばこの時思い返しておけばよかったんだと思う。表現に仕方なんて幾らでもあったのだろうし、そもそも私自身が彼女の境遇そのものを失念していたのだ。あまりにも彼女と過ごす時間が楽しくて、そして自然だったから……言うなれば迂闊という一言に尽きるだろう。彼女の身体に刻み付けられた傷。記憶喪失の訳。そして、元の彼女が踏切に飛び込もうとしていた時の虚ろな瞳。それらの要因を頭の内から排除して、ただの友達としてしか彼女を見ていなかったが故に、私はここで過ちを犯すことになったのだ。記憶を失ってもなお、彼女の深層心理に深く刻み込まれた忌避すべき言葉を口にするという過ちを……。「私たちは子供だもん。『お母さん』に甘える権利くらいあるはずなんだからさ」この時、私は別段その言葉にどんな意味が込められてるかなんて深く考えてはいなかった。ただしいて言うのであれば、彼女と先生の関係が仲睦まじい物であったことへの羨ましさとほんの少しの寂しさ、そして同い年くらいなのにも拘らずそれができない自分への自己嫌悪が片隅に内包されていたくらいだろう。それくらい、私はごく当たり前に、ごくありふれたことを言ったはずだった。そう、彼女の反応が返ってくるその時までは──────────「お……かあ、さん?」「そうそう。実際羨ましいくらいだよ。フェイトちゃんと先生って傍から見てると本当に親子みたいでさ。もう、本当に変わってほしいくらい─────」そこまで言おうとしたところで、私はとっさに口をつぐんだ。一緒に歩いていたはずのフェイトちゃんが急にその場で歩を止めたからだ。そして、それに合わせて俄かに漂う不穏な空気。心中穏やかではない人間の発する一種のオーラとでもいえば適当だろうか。怒ったり泣いたりしている人間の傍らに寄るとふいに感じる居心地の悪いアレだ。そんな感情があたりを包み、不意に背筋に寒いものを感じさせてくる。現在の状況を簡潔にの言い表すなら、もはやその一言に尽きるだろう。そのくらい、その時の彼女の変化は劇的なものだったのだ。「ぅ……ぁ……」不穏な空気と共に彼女の口元から漏れ出す言葉にならない嗚咽。それは必死に何かを言おうとしているのにも拘らず、言葉が喉元に詰まって上手く吐き出せないといったような酷く苦しげなものだった。それに伴って、急激に変化をきたしていく彼女の様子。口から洩れる呼吸は荒く、先ほどまでの笑みは消え、潤んだ瞳は次第に虚ろな物へと変り果てていく。そう、まるで何か得体のしれないものに怯え、恐怖に慄いているかのように……。瞬間、私は彼女が『発作』を起こしかけていたことを今更になって悟ったのだった。「フェイト……ちゃん? フェイトちゃん!」「ぁっ……ぅ、ぁ……」両手で抱えるように頭を押さえ、悶え苦るしみながらその場に倒れ込むフェイトちゃん。その様は酷く痛々しいもので、ただ駆け寄って呼びかけることしかできなかった私の心を酷く打ちのめした。無力、というのは本当にこういう時のようなことを言うのだろう。私は賢明に何度も何度も彼女の名を叫びながら心の内でそう思わざるを得なかった。少しでも彼女を理解しようって、少しでも彼女の肩の荷を背負ってあげようって考えた矢先にこれなのだ。自分を虐げる人間には何時も弄ばれるだけ弄ばれて、いざ誰かの為となったら何もできない。私は、そんな自分が堪らなく悔しくてならなかった。「大丈夫!? しっかりして! すぐ先生に連絡をつけるから」「……し……て……」「えっ?」携帯電話を取出し、急いで先生の携帯番号を呼び出しながらも私はフェイトちゃんの口元から洩れる言葉に耳を傾ける。先の言葉にならないうめき声とは違い、先ほどの彼女の声は明確に何かの言葉の形を作っていたからだ。彼女は何かを必死になって伝えようとしている。その相手が私かどうかは分からないけれど、少なくとも彼女がどうしてこうなってしまったのかを解明する糸口くらいにはなるかもしれない。そう思ったが故に、私は一刻も早く先生を呼ばなくてはという気持ちを胸の内で精いっぱい抑え込み、彼女が蚊の鳴くような声で延々と呟く言葉に耳を傾けたのだった。恐らく出会ってから初めて聞くであろう、記憶を失う以前の彼女の言葉を……。「ゆる……し、て……。か……あ、さん。ゆる……して……」それはあまりにも痛々しく、それでいて聞くに堪えない台詞だった。けれど、恐らくその時私は初めて知ったのだと思う。本当の彼女というものを。記憶を失う前の彼女が一体どんな境遇の中で育ち、自殺を図ろうとしたのかを。私はこの時、初めて垣間見てしまったのだ。記憶を失ってから一番最初の、彼女の『発作』というものを通して……。こうして私たちのささやかながら幸せな二人の時間は終わりを告げた。