私は駆ける。燦々と輝く太陽の光が照りつける街の中をただ只管に駆け抜ける。移り変わる景色は千変万化。見知った住宅地は少し走っただけで狭い路地へと風景を変え、またその風景すらも数分と経たぬ内に人気の無い寂れた港へと姿を変える。もう彼是どの位走った事だろうか。数分か。数十分か。それとも既に一時間くらいは経ってしまっただろうか。肌を滴る汗が滲み、身体に張り付いた制服の感触を少々不快に思いながら私は考える。ジュエルシードの反応を感知し、急ぎ足で学校を飛び出してから今に至るまでずっと私はその反応の根源たる物が存在しているであろう場所を必死になって探し回っていた。脳に直接不快感を訴えかけてくるような感覚に身を委ね、その反応が強くなる方角に足を向け、体力が底をついたらほんの少しだけ立ち止まってまた走り出す。先ほどから何度このやり取りを繰り返した事だろう。御蔭で額には玉のような汗が浮かぶほど水分は不足してしまい、喉はからからに渇いて呼吸をする度にヒュー、ヒューと気の抜けた音を発してしまっている。足は急に身体を動かした所為なのかどうにも反応がぎこちなく、度々足を前に出す毎に不穏な疼きを訴え掛けてき始めている始末。おまけにこれ等に日頃の溜め込んだ疲労が嵩んでいる事と寝起きで気だるい感覚が抜け切らない事を加えればものの見事に最悪の現状が出来上がってしまうという訳だ。私はようやく間近に見えてきた人気の無い砂浜と微妙に濁った海が重なり合う風景を視界の内に捉えながら、改めて自分の体力の無さを心の中で嘆くのだった。「ぜぇ……ぜぇ……。ようやく、近くまで来られたよ……。うぅ、走り過ぎで気持ち悪ぃ……」疲労と筋肉痛で杉の棒のように硬くなった足を引き摺りつつ、跳ね回る心臓を必死で沈めようと大きく肩を上下して呼吸していた私は、思わずそんな弱音を吐き出される荒い息と共に洩らしてしまう。こんな状況に自ら身を投じようなどと考えていた時点で私自身なるべく弱音は吐かない様にと心に決めていたのだが、思い及ばずそんな私の信念は早くもさっそく……って言うか、戦闘を始めるまでも無くそんな心意気は無惨に砕け散ってしまったという訳だ。だけど正直な本音を語るのであれば、それは仕方の無い事なのかもしれないと私は半ばこの現状に諦めの念を抱いていた。確かに私はアルハザードにおいてこの街全体をトレースした空間を縦横無尽に駆け巡りながら戦闘を行うという訓練も積んできたし、一応それなりに実力が付いてきたという自負も自惚れという訳ではないが無いではない。だが、所詮それは私の夢であったからこそ─────正確に言えばアルハザードという“ご都合主義が形作った“夢の世界”であったからこそ出来た事だ。ゲームで例えるならHPは攻撃されても減らず、何度魔法を使おうとMPは減らず、そればかりか最強装備を身につけている状態で更には時間制限は存在するものの、防御力は基本的にカウンターストップしている状態があの場においての私の姿だ。動き回っても体力は尽きる事がなく、汗を掻く事も血を流す事もなく、ただただ目先の敵を蹂躙出来るその様はまさに映画やアニメのヒーローそのものであると言っても過言ではないだろう。だが、それと比較して”現実の私“はどうだろうか。訓練の時と比べてほんの少し走っただけでも体力は底を尽き、どれだけ動かしても疲れる事の無かった身体は今や汗だくで足を動かすだけでも億劫な気持ちがついて回ってくる始末。おまけに現状私は己の頼みの綱であり、生命線でもあるバルディッシュとジュエルシードは自宅に置いたままで、更に言えばあれだけ訓練で使いこなしていた小型拳銃すら身につけていないという有様だ。HPは極小、防御は紙、おまけに素早さや物理攻撃力は両手の指で数えて足りるほどしかなく、挙句の果てにはこっちの持ち札は基礎すらまともに出来ているかどうなのかも怪しい魔法がほんの少し程度と来ている。逃げ出せるのなら逃げ出したい。でも、逃げたら逃げたで余計な被害を増やし、社会的な自分の地位を最底辺の更に下位まで陥れる事にもなりかねない訳だから尻尾を巻く訳にもいかない。万事休す、それはまさに今のような現状を指す事なのだろう。もう正直な所、これが戦闘の前じゃなかったら声をあげて泣き出したい位だと私は思った。「─────あぁ、もう。くそッ……! また懲りもせずに私って奴はぁ、どうしてこう……って今更愚痴ってても仕方ないか」汗で塗れた額を掌で押さえつけ、ネガティブな感情に対する自己嫌悪が再発しないよう気を配りながら私は周囲の様子を改めて見回す。ジュエルシードの反応は程近い。それは先ほどから強くなってきている私の身体全体を弄るような悪寒を帯びた波動を感じ取る事で容易に理解することが出来る。生き物が抱え込んだ渇望が爆発する時に生じる波動は強大かつ醜悪だ。なまじ同じように己が渇望を具現化させる素質を有している私だから感じ取れるのか、はたまた単に私の勘が鋭いのかは定かではないが、ジュエルシードの特性と生物の渇望が共鳴しあった時に発する波動は元来生物が持ち合わせている歪んだ欲望が辺り一帯を覆い尽さんばかりの怖気と狂気を孕んでいる。言わばゴミ捨て場に捨てられた生ゴミの腐臭のようなもの。嗅いでいる本人があまり意識せずとも自然に鼻腔の内を擽り、何処までも不愉快な気持ちを促進させるというなんとも傍迷惑な状態と今の状況は正直そう大差がある訳ではないのだ。しかし、だからこそ私は解せなかった。一歩、また一歩とゆっくりとした足取りで浜辺の方へと近付いていく度にそんな懐疑的な感情が脳裏を過ぎり、同時に不安にも似た不鮮明な一筋の想いが冷たい衝動となってうなじをなぞっていく。確かにその足を進める毎に悪寒が強くなり、此処に間違いなくジュエルシードの暴走体がいるのだという事は私も直感の領域で窺い知る事が出来る。だが、ならば当然その感覚に追従して其処にあって然るべき筈の感覚が此処には一切存在していないのだ。思わず吐き気を催してしまいそうになる死の臭いが─────あの破れた腹部から飛び出した腸と流血によって濁った汚泥とが交じり合った死臭がこの場には微塵も漂ってこないのだ。本来ならば永遠を誓い合った恋人同士のように決して離れる事の無い数奇で因果な物同士であるというのに。その片方が掛けているという事実に私はただただ眉を顰めて、どうにも納得の折り合いが付けられないこの現状に不自然だという念を抱き続けるのだった。「……妙、だね。もうジュエルシードが発動してから随分経ってるはずなのに“あの臭い”が全然しない。ジュエルシードが暴走しているっていうのならアレが人を襲わない筈が無いのに……」カツッ、カツッと砂浜に下りる為のコンクリートの階段を靴の裏で踏み鳴らしながら私は不意にそんな疑問の念を思わず口にする。そう、この場における決定的な違和感──────今まで私が経験してきた“戦場”とは違う“まったく異なる雰囲気”を漂わせるこの空間が私の気持ちに戸惑いを生んでいるのだ。確かにこの砂浜を支配する何とも表現し難い悪意に満ちた感覚はまさしくジュエルシードの暴走体が放つ波動の“ソレ”だ。生まれて初めて対峙した野犬型の暴走体、魔法を使って本格的な戦闘を挑んだ合成獣型の暴走体、そしてアルハザードでの訓練において標的として活用していた暴走体ダミー。それら全ての根源は異なる物の、私に感じさせる重圧は全て共通していると言って良い。獲物を喰らい、標的を引き千切り、ズタズタのボロ雑巾になっても尚、腕に携えた鋭い爪牙を振るい続ける衝動─────止め処ない嗜虐に酔い痴れた果てに生まれる酷く原始的な殺意だけはどの暴走体に関しても一貫していたのだ。そして当然、それはこの場においてもまた然り。煙草の吸殻や空き缶だらけの汚れ腐った砂浜を見回しても、塩分が濃すぎる故か酷く濁って見える水平線を見回しても標的を視認する事は叶わないが……その独特の殺意だけは溢れんばかりにこの場に満ち足りている。故に此処は戦場であり、命を賭して闘争に身を窶す天秤の皿の上に他ならない。それだけは幾らこの頭が呆けていようと二度、三度と似たような存在に殺されかけた経験と、この精神に染み付かせた嗜虐と暴虐の感覚に基づいて容易に感じ取る事が私にも出来た。だが現実がそうあるからこそ、この場に欠落した部分が存在する事が余計に気に掛かって仕方が無い。それは紛れも無い事実であり、同時に決して拭い去る事の出来ない決定的な違和感でもあった。血が饐え、溢れ出た臓物が腐り、流れ出した流血が地面を染めて汚泥を作り出すあの悪臭がこの場において微塵も存在していないのだというこの現状が私にとってはどうにも許容し難い物に他ならなかったのだ。では、一体何を根拠に私はそんな大層な事を確信染みた物言いでのたまう事が出来るというのか。もしも、この場に私以外の第三者が居たとして、私にそんな疑問を投げ掛けて来たのなら私は迷わずこう答えるだろう。ジュエルシードが暴走した際に生み出される暴走体は生まれ持っての本能に付き従って活動を行うのだ、というそんなあまりにも単純過ぎる解答を。これはあくまでアリシアから聞いた事であり、実際に私が何かの理論に基づいて導いた事ではないのだが、本来ジュエルシードの力は私のような特異な例を除いて考えた場合、その大半は元来より生物が持ち合わせている三大欲求に同調してしまう場合が殆どなのだという。つまり単純に考えれば食欲、睡眠欲、そして性欲の三つの何れかに強く作用するという事だ。だが、それはあくまで人間という特定の生物にのみ言えたことであって全ての動植物に当て嵌められた事ではないし、そもそもその人間の三大欲求にしたって超えられない順位という物が明確に存在する以上は強い物から反応するというのが自然の道理だ。睡眠欲は度を越えなければ多少削った所で健康状態が不安定になる程度のことだし、動物の中には睡眠という概念すら持たない生き物だって数多く存在する。性欲にしても元来どんな生物でも歳を取れば自然と衰える物だし、その固体が生きながらえるという事に限定すれば別に特別急を要するものでもない。だが、食欲だけは違う。蝶が花の蜜を吸い、植物が土の養分や水を欲し、動物が草や肉を喰らって個々の生命を繋ぐ糧を得るように食欲における生物の衝動というのは残りの二つの欲求の比ではないのだ。何故なら、例えどのように脆弱な羽虫だろうと屈強な猛獣であろうと餓えてしまえば死んでしまうのだから。生存競争に勝ち抜き、食物の連鎖に抗い、肉を、骨を、そして生き血すら啜り抜いたその果てに己が存在しなければ何れ自らもそれまで自分が貪ってきたモノ達と同じ末路を辿る羽目になってしまうのだから。故に此処でいう暴走体が何の衝動によって突き動かされているのか、という事はもはや語るべくも無い。彼らは何処までも素直であり、また己が生物的欲求に実直だ。充たされぬ飢え、啜っても飲み込んでも渇き続ける喉、永劫の空虚である事を運命付けられた空腹。喰らっても、啜っても、しゃぶって吸い尽くしてもまだ足りぬと牙を剥き、その嗜虐心の赴くままに己が得物と断じた全てを襲い続ける。それが彼らの根源であり、定められた業だ。私のように『誰からも触れられたくないが故に干渉を拒み続ける』などと言った小洒落たうたい文句の一つや二つが容易に思いつくのならまだしも、『こうありたいなぁ……』というような漠然とした思考しか出来ない生物はどうあっても己の内に秘められた生物的な欲求に流されるしかないのだ。とは言え、私のように一生物がそれ等の欲求をも超えてジュエルシードを制御するという事例も無いではないらしいのだが……そういう存在は稀である所かある種の異端であるともアリシアは言及していたからそうそう簡単に起こり得る事でも無いという事なのだろう。まぁ、何れにしてもそれだけの条件が出揃っているにも拘らず、此処まで場に波紋が立たず、荒事の兆候すら見られないというのはどう考えても奇妙な事だった。「運よく人通りが少なかった所為? ううん、それなら絶対人や生き物が蠢いている場所に向かう筈だし、第一この場に留まる理由も無いよね。じゃあどうして……? って、それよりも暴走体は一体何処に……?」砂浜に足を踏み入れて数歩ほど歩いた所で私は徐に足を止め、右から左へと満遍なく辺りを一瞥しながら己が心の内に絶えず湧き続ける自問に同じような自答を繰り返し続ける。この場における圧倒的な狂気が欠落しているという何とも奇妙な異常性。姿が見えぬのに絶えず五感が疼き続け、首筋を毛虫が這うような感覚が絶えず神経を刺激し続けるという現実。そして、ならばこの場において標的は何処に潜んでいるのかという疑問とそれを早く見つけて対応しなければと急って止まない焦り。それらの考えが頭の中に一挙に押し寄せ、混じり合い、更なる疑問とストレスを生み出し続ける現状は、“もしかしたら殺されてしまうかもしれない相手”と戦う前の人間の心境からしてみればあまり……って言うか物凄くよく無い物だった。考えれば考えるほど答えを出さなければと焦りが増徴し、何時襲い掛かられるかも分からないという状況が必要以上に神経を尖らせてくる。まともに頭が働き、尚且つ上手い具合に思考が出来てこそこんな無力な自分にも何か出来るのでは無いかという事が大前提であるのにだ。普段……これがアルハザードでの訓練ならいざ知らず、残機一介限りのノーミスプレイを始めるタイミングも計れず行わなければならない身としてはこれ以上に最悪な原状など無いと言っても過言ではなかった。だが、それでも尚私は思考する事を止めず、靴の踵で二、三度砂浜を踏みしめて地面の具合を確かめ始める。例え己の考えだけでは答えなど導ける筈も無いのだと自覚していたのだとしても、考えを止めた時点で事の顛末がどうなるのか、なんていうのは身に染みて分かっているからだ。これは別に戦闘だけに限ってのみに言えたことじゃない。私を含めてそう─────人間って言うのは大体皆が皆、意外なほどに危機に淡白なものなのだ。ちょっと辛い事があれば直ぐに落ち込むし、直ぐに諦める。もういい、駄目だ、限界だ……これ等三つは何処の世界のどんな人間でも好いて止まない言い訳だ。上位三つは間違いなくその辺りの言葉であろう事は確信しているし、それについての確証を己は得ているのだという自負もある。何せ、人間なんていうのはちょっと観察するだけで大体の特性を掴む事が出来てしまう非常に身近で単純な生き物だ。それこそまだ年齢が二桁にも満たない女の子にすらそう思われてしまうのだから、それは相当の物だという事だろう。幼い視点で見ればテストや運動技能、もう少し達観した視点で捉えるなら会社内での業績争いやオリンピック級の代表選手が行う選抜テストなんかがそれに該当するだろうか。まぁ、この際何だって構いはしないが根本は皆同じだ。自分には勝てない、自分には超えられないと分かっていて雄々しく自分の限界に挑んでいった人間が何人いたことだろうか。最後の最後まで抗い、例え排斥される運命であると自覚しながらも尚、足掻き続ける人間が果たして何人いたことだろうか。皆無である、という訳ではないだろうが恐らく統計を取ってみればその数は驚くほど少ない事だろう。何せたいていの人間は何処かで己の限界を知って、自分でも知らず知らずの内に折り合いを付けている物なのだから。無論、今の私のように生きるだ死ぬだなどという極限の局面でなかったのだとしても。自分に出来る事と出来ない事。理想と現実のギャップを弁え、理解する事。己の生命が危ぶまれる局面において避けようの無い危機が迫った時、神様という名のご都合主義の恩恵が都合よく舞い降りる奇跡。予てより眠っていた未知なる才能が開花されるのではないかという希望。そんな夢みたいな事は決してありえない。よしんば在り得たのだとしても、自分にそのような奇異な可能性が当て嵌められる筈も無いと思い込み、自嘲と共に諦観する。それが普通、それが常人の思考。己の器を自覚し、そして永劫自分は奇跡などとは無縁の生き物なのだと実感する事で人は社会という混沌の中で自己という意思を形成する事が叶っているのだ。故に此処は普通なら私もその論理に従ってそれ等のありふれた“当たり前”に追従する事こそが至上と呼べるのだろう。一介の少女らしく慄き脅え、己の無力さに絶望し、あぁ、所詮自分という存在はこれほどまでに脆弱でちっぽけな物なのだと自覚しながら死んでいく。凡そ、人と人とが織り成す営みの枠組みから外れた人間の幕引きとしては中々の物であるという事が出来ることだろう。だが、例えそうであっても私は諦める事は断じてしない。定められた己の運命を前にしても決してそれは認めないし、無駄だと分かりきっていようと必ず最後まで意地を通す……当の昔にそう決めたのだ、私は。諦めが悪いと言えばそうなのかもしれないし、往生際が悪いと言われたらまさしくそうなのかもしれない。だが、こんな私でも─────外道の烙印を押された私でも、意地を通して守りたい物があるのだ。それは場所なのかもしれないし、刻なのかもしれないし、人なのかもしれない。明確に「これだ!」と言い切るのはこっ恥ずかしいから断言する事はしないけど、この現状において尚、それが思い起こされるのはその現実こそが今の私が感じている使命感の糧に為り得ているからだ。ならば、私がするべき事はこの場において唯一つ。それ以上の事情もそれ以下の理由も必要なく、ただその事実さえあれば私は闘えるのだ。私はそんな胸に秘めた熱い感情を一瞬だけ頭の片隅に思い浮かべながら、改めて標的が何処から攻めてきても良い様に脳内で擬似的なシミュレーションを何度も何度も繰り返すのだった。「さぁて……姿が見えないとなると此処はセオリー通り、何処かに隠れてるってパターンなんだろうけど……何処かな? 砂の軟らかさを鑑みるに地面の下か、それとも海の中か。或いは─────」其処まで言い掛かったところで、私は不意に口を噤んで辺りの様子の変化に気を配る。頭の中で思考するだけでは足りないのだという想いが瞬時に私の脳裏を掠めたからだ。考えるのではなく感じる。目先に見える物だけでことを判断するのではなく、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感全てを用いて現状を把握する事こそが現状を打開する最善の方法なのだ。故に私は息を止め、周りで起こっている変化の全てを己が身体で理解する事に勤める。微細な空気の振動を耳で捉え、僅かに香る潮風の匂いの中に含まれた異質を選別し、緊張と焦りで酸っぱくなった唇を下でなぞり、全身の毛穴が寒気で開いて汗が噴出す感覚を肌で感じ取る。そして残った視界は微妙に薄暗くなった辺りの風景を先ほどまで自分が見ていた景色と総合してその異常性のみを脳へと抽出し、更にまたその異常さの中から決定的な以上を突き止めるべくそれ等の箇所をピックアップさせて新たな判別の材料へと変換させていく。この間の所要時間は約数秒、そしてそれ等の原因を解明するのに更に数秒。計十数秒が経過した後に私はこの場において、自分が感じた以上が何なのかという事に一応の顛末を付ける。結論は明確にして唯一つ。敵がこの場に確かに存在していたのだという今更当たり前過ぎる確信のみ。だが、先ほど私が感じた物との決定的な違いはそう─────今この刹那において私が時の存在を明確に捉えたという事だ。今までなんでこんな単純な事に気がつくことが出来なかったのだろう。私は目先の事しか頭になかった少し前の自分にそんな自嘲を洩らしながら徐に薄暗くなった風景から目を逸らし、ほんの少しだけ顔を上げて空を見上げる。其処には“何か大きな物”によって遮られた太陽と、どういう訳か何時も以上に蒼々と見える空。恐らく景色が曇った原因は“コレ”の所為であり、それが一体何なのかという結論に私の考えが追いつくまでそれほど多くの時間は要さなかった。「─────空の上かッ!?」刹那、猛禽類の狂鳥が吼え、甲高い叫びが辺り一帯に重く圧し掛かる。巨大な質量と巨大な体躯、それが太陽を背に私へと直線に飛来してくる。其処にあったのは明確な殺意と嗜虐の衝動。自身の視界に捉えた得物を啄ばみ、引き裂き、本能が赴くままに蹂躙して喰らおうとする歪で邪な感覚が一直線に私へと向かってくるのだ。しかも、その速度はあまりにも速い。それこそ音速を超えるジェット機が墜落してこちらに向かってくるような─────どうあっても避け様の無い速度をもってそれは私の元へと押し寄せてくる。当たれば即死、だが避けようと思い立った所で動こうとした瞬間にはこの身は確実に引き裂かれて朽ち果てるだろう事もまた然り。避けられず、逃げられず、後退することも前進する事も私には赦されない。絶対に直撃する、その現実が分かっているのなら私が取るべき行動は一つしかなかった。「ッ……!? ラウンドシールド、展開!」私の口がそう言葉を紡ぐや否や、一瞬の内にその脅威が向かってくる方向へと翳した右手の掌から光が迸り、それは殆ど間髪入れず、奇異複雑な桜色の円陣となって私とその脅威との間に壁を作り出す。ラウンドシールド。私が此処連日の訓練の内に習得した魔法の中でも軍を抜いて得意とする防御魔法だ。元々は向かってくる対象と自己との間に魔力で練り上げた壁を作り、その間に生じる攻撃を食い止める事を主な用途として使われる魔法なのだが、これがまたどうにも私との相性が格別に良い。私自身がジュエルシードに願って得た能力と本質は一緒だからなのか、それとも単にその手の魔法が性に合っていたのかは定かではないが、使用する時の感覚がジュエルシードの力と酷似していたというのが幸いしていたのだろう。私は何よりも先にこの魔法の感覚を掴み、そして何よりも速くその本質を捉える事が出来た。故に、私の作り出したラウンドシールドは磐石であり、また展開も迅速だ。例え、その術式の構築を補助するバルディッシュの存在が今の私から欠落していたのだとしても、この程度の反応について行けぬ訳ではないし、そもそも暴走体が体当たり程度の衝撃で破られる物でもない。そして、そんな私の思惑は現実へとシフトし、桜色の盾と暴走する嗜虐がぶつかり合うという結果となって私の前に現れる。火花のように桜色の光が当たりに飛び散り、ギリギリという何かが軋む音が私の鼓膜を歪に刺激する。だが、それだけだ。例えどれほど目の前の脅威が力もうと、この均衡は崩れる事は無いし、微塵も揺らぐ事は無い。非力な私の力で押し返せるという訳ではないけれど、それでもその桜色の盾の強度は卓越した“ソレ”であり、今の私が脅威から圧倒されずにその場に留まれるだけの力は確実に有していると言っても過言ではなかった。「うっ……くぅッ─────フォトンっ、ランサー……セットッ!」片手の盾で確実に相手を押さえ込むことに成功していると踏んだ私は此処で新たに別の呪文を残った片手に構築し始める。イメージするのは桜色の球体。そしてそれ等の球体が鏃へと変わり、一斉に目の前の”何か“へと襲い掛かる光景だ。だが、それは所詮イメージ。現実にそれ等の光景が丸侭完璧に複写されて実現されるという訳では決して無いし、私自身が思い描いているような効果が本当に現れるかどうかも定かではない。何せ今の私にはそれ等のイメージを計算式として演算し、現実に表してくれるデバイスが無いのだ。何ヶ月も訓練を積み、デバイス無しでの魔法の行使に慣れている人間ならまだしも私のような素人が自分の思惑通りに魔法を構築させられるはずが無い。それは十分理解していた事だし、そもそも私自身今使用している魔法にそれほど大きな期待を掛けているという訳ではなかった。でも、例え思惑通りに行かないのだとしても放つ事さえ出来れば、とりあえず位にはなってくれるはず。軌道が滅茶苦茶でも威力が弱くても良い。そう何発も顕現してくれとも確実に傷を付けてくれとも望まない。だけど、ほんの少し……このラウンドシールド越しに遮られた隙間をほんの少し広げてくれさえすれば良い。この私の視界にその脅威の姿を一瞬でも移してくれさえすれば、それで良いのだ。故に私はこの一撃に自信が持てる全ての思考を注ぎ込み、そしてそのイメージを虚から実へと変換させる。空いた掌を中心に自身の内に流れる魔力という不確かな力を集中して練り上げ、フォトンスフィアと呼ばれるソフトボール程の大きさの球体を顕現させる。出現したフォトンスフィアの数は三つ。しかも、そのどれもがまるで焼きの甘い硝子のように今にも砕けてしまいそうな印象を孕んでいる非常に脆い品物だ。だけど、今の私に出来るのはコレだけ……故にコレが私の精一杯。ならば、今私がやるべき事は一つを除いて他には無い。私は球体を纏わせた掌をラウンドシールド越しに暴れ回る“何か”へと翳し、そしてタイミングを計ってラウンドシールドの効力を徐々に弱らせていきながら刹那の内にそれ等を一斉に目標を打ち抜く鏃に変えて、間髪入れずに撃ち放つのだった。「モード・マルチショット! ファイアッ!!」瞬間、防御範囲が狭まった事によって生まれた隙間から私の腕が突き出され、それと同時に三つの閃光となった鏃が一挙に目の前の生命体へと襲い掛かる。盾で遮られた私と目の前の生物との距離は実に数十センチ。しかし、腕を突き出して撃ち放った事で実質は零距離発射とそう変わりは無い。その軌道が直射であるが故に命中を懸念していたフォトンランサーだが、上手い具合に敵の懐に手を入れられた所為かどうやら外れる心配も無いということらしい。一瞬の安堵が私の頭の内で水流の如く溢れかえり、また次の刹那には全ての潤いが枯れ果てたかの様に即座に現実へと引き戻される。気を抜いている場合ではない。この一撃が決まった事が確定した所で私の立場が圧倒的に不利だという現実が覆せるという訳ではないのだ。これで……この程度の事で悦に浸るなど言語道断もいい所。安堵するべき時は今ではなく、今の戦いに終止符を打った時だけなのだ。私は改めて一瞬でも戦いの最中に呆けた考えを浮かべてしまった自分を心の内側で恥じながら、穿たれた魔法の鏃がどのような結果を生み出したのかという事を視界の内に納めるのだった。「当たりが浅い!? やっぱり威力不足か……!」私がそう呟いた瞬間、あたりの空気を根こそぎ震わせるようなくぐもった咆哮が上がり、身が竦んでしまうような苦悶の声が何度も何度も鼓膜の内側で反響する。半透明の桜色の壁の向こう側では同じ色の三本の鏃が胸部辺りに突き刺さり、暴れ回る狂獣が血とも臓物ともつかない赤黒い体液を撒き散らしながら必死に得物に食って掛かろうと蠢いている。だが、多少範囲を狭めた所で私の展開するラウンドシールドが崩れる筈もなく、やたらに振り回される三本の鋭い爪は度々虚空を切りながら空回りするばかりだ。だが、それでも目の前の生物の動きは衰弱しているようには見えない。それ処か下手に手傷を負わされた所為で唯でさえ凶暴な思考に拍車が掛かり、より野生的な殺意が増したようにすら思えてしまう。必殺の一撃であるとはいかなくても、先ほどの放ったフォトンランサーはかなりの手応えを得た上で撃った物だ。これが訓練通りの威力を保持した上で撃てた物なら致命傷とは行かずとも確実に標的の身体の一部を欠損させる事には成功していただろうし、それだけの威力を込められるという自負もある。だが、現実は何処までも私に優しくは無い。例えどれだけ『万全である私』という存在を夢想しようと今の私は決して其処には届かない。何故ならアレは世界の何もかもが私に都合よく作用した事が前提での結果であり、小さく細かな要因が容易に当事者の足を引く現実では─────それもデバイスもジュエルシードも持たず、己の身一つで闘っているという現状ではあの威力を引き出すことは不可能なのだ。そして、だからこそ今の状況があり、結果がある。確かにフォトンランサーはラウンドシールドと並んで私が戦闘の主軸においている魔法ではあるが、それでも魔力の収縮や基本的な構築はバルディッシュに任せている部分が否めない部分も多々存在する。己一人で完全に制御する事が可能であるラウンドシールドとはその制御も構築も何もかも勝手が異なるのだ。元々私という人間は人並み以上に臆病で、攻撃するよりも先に自分の安全を確実に確保しなければ攻撃に専念する事も殆どしない。詰まる所、私は無意識の内に自身が使用する魔法の中にも優先順位を作ってしまい、直接相手を傷つける射撃魔法や砲撃魔法よりもジュエルシードの力や防御魔法といった自分の身を守る為の魔法に戦いの重きを置き過ぎてしまっているのだ。訓練の時は例え防御魔法が破られても干渉を遮断する力さえあれば確実に己の身を砲火の下に晒さないという下地を作り出すことが叶っていたけれど、今は何か攻撃を防ぐには防御魔法のみを行使して向かってくる攻撃全てを防ぎきらねばならないのだ。故に此処でもまた悪い癖が働いてしまい、その結果自分でも気が付かぬ内に注意が散漫となってしまい、今のような結果を生み出してしまうのだ。威力不足で碌にダメージも与えられず、そればかりか余計に標的を凶暴化させてしまうという……こんな現状を。「……ッ!? 何にしても今は引き剥がすしかないか─────バリア……バーストォッ!!」何はともあれ今は現状を悔やんでいても仕方が無い。どうにも要領の悪い自分に私は半ば呆れながらも即座にそう思い直し、展開させているラウンドシールドの表面に更なる魔力を注ぎ込んでいく。構築する術式はラウンドシールドの発破と爆散。収縮した魔力をシールドの表面に張り巡らせ、防御術式が崩壊したと同時に魔力を開放して中規模の爆発を引き起こすという荒業中の荒業だ。何せこれは本来もっと小規模の─────プロテクションと呼ばれるラウンドシールドよりも下位に位置する防御術式に絡束効果を付与して相手の動きを止めた上で使用するのがセオリーとされており、尚且つそうであっても使用者もその爆発に巻き込まれかねないというリスクを孕んでいる痛み分けの術式なのだ。本来ならバリアジャケットを付けている事が大前提。そうでなくともその爆発で自傷しないように工夫を凝らしてのみ使用可能であることは言うまでも無い。つまりこの場で私がこの術式を使用することは一種の自殺行為であり、剃刀を手首に当ててリストカットの真似事をするのとあまり変わらない自傷衝動である訳だ。当然私だっていたいのは嫌だし、それなりの策はあるけれど……とりあえず今は何らかの方法で目の前の生物との距離を取らなければ満足に戦闘をこなす事も出来ない。ならば此処は多少のリスクを負ってでも自分がやって然るべきだ、と思ったことに全力を尽くすのが至上の策という物だろう。私は頭の中でそう考えるや否や、先ほどまでフォトンスフィアを展開していた片手を自らの胸を掴むような形で翳し、両足のつま先で後方へと飛び下がりながら、殆ど同時に二つの術式をその場へと顕現させるのだった。「ラウンドシールドッ! 二重展開!!」金切り声にも似た声をあげながら私は敵へと翳したラウンドシールドを発破させ、そして自分の方へと翳している掌では新たに二重に形成されたラウンドシールドを展開して、爆破の衝撃から身を護る。刹那、轟音が私と謎の生物との間で巻き起こり、収縮された魔力はまるでダイナマイトでも爆発させたかのような衝撃をその場で引き起こす。そして沸きあがる悲鳴と当たり一帯を染め上げる赤、紅、朱。爆発の衝撃によって生じた破壊力は凄まじく、防御術式を二重に展開していた私でも容易に数メートルは後方に吹き飛ばされてしまうくらいだ。あまりの衝撃で気が緩んだのか衝撃の範囲から逃れた瞬間私が構築していた防御術式は光となって掻き消え、直接的に巻き込まれた訳ではないにせよ、吹き飛ばされた身体は勢い余って何度も何度も地面へと四肢をぶつけながら転がってしまう。痛い、いたい、イタイ─────肘の皮が擦り剥け、打ち付けた太股が切れて出血し、背中や胸に生まれ出た新たに青痣が生まれるたびに尋常ではない苦痛が一挙に私の思考を支配する。しかし、その程度の痛みで挫けているようでは到底暴走体の相手など出来はしない。爆発の中心から十数メートル転がって止まった処で私は何とか全身に疼き回る痛みに歯を食いしばって耐えながら、ふらふらとその場に立ち上がってもう一方の被害者の方を垣間見る。矢継ぎ早とは言え、あれだけの強度を誇ったラウンドシールドを二重展開させて尚この有様だ。何の防御も無しにあれだけの衝撃をその身に受ければ必殺と言えど、ただでは済まない筈。私は頭を何度か打ち付けた事で朦朧とする意識の中、何とか敵の様子を確認する為に爆発の余波で這い上がった砂埃の先にある存在をまじまじと凝視するのだった。「痛っッ……。ったく、また傷だらけか。本当勘弁してよ……もうっ! やっぱりバルディッシュ無しであんな魔法使うんじゃなかったよ」手の指先からつま先の先端に至るまで全身をくまなく疼き回る痛みに思わず私はそんな風な自業自得も良い所の愚痴を宙へと吐き捨てながら、少しずつ鮮明になっていく視界に神経を集中し続ける。確かにあの爆発は凄まじい威力を孕んだ物であったが、前に闘った合成獣型の暴走体は異常な速度の新陳代謝を持って殆ど自己再生に等しい能力を持っていた。今まで野犬の方はどうであるのか定かではないが、今回も十中八九同じかそれに近い能力を有していると考えるのが得策という物だろう。何せジュエルシードって言うのは言い換えれば付加される能力が何であるのかは人によりけり、物によりけりの『開けてびっくり! 愉快な玩具の缶詰』だ。何が出るのかは物次第だし、幾ら暴走体の多くが本能に付き従って凶暴化していると言えど、其処に付加される能力が有るのか無いのかまでは分からない。つまり、例えどんな状況であろうと自分の命が惜しければ油断や慢心だけは決してしてはいけないという事だ。次第に晴れていく砂埃を見つめながら、私はいざという時の事も考えて自分の周りに四個のフォトンスフィアを新たに生み出しておく。用心に越した事は無いし、自分の技で此処まで酷い手傷を負っておいて更に傷を言うのも馬鹿らしい限りだ。なんだかこんな風に言うと少年漫画の小物チックな悪役の台詞のようで気が引けるが、策という物は二重三重に張り巡らせて始めて事を成すものだ。馬鹿正直に特攻し、捨て身の一撃で押し倒そうなどという考えを持つのは義侠物の映画の主人公と頭の悪い犬だけで十分だ。私はそんな愚かなことはしたくないし、現に一回その真似事をして腕を粉砕骨折するという重傷も負ってしまった経験もある。一度学習した上で二度も三度も同じ事は繰り返したくない、っていうか繰り返さない。ならばその為にはどうすればいいのかと言えば、やはり最初の議題に事は戻っていく訳だ。私は砂埃の晴れた向こう側─────“嗅ぎ慣れた臭い”が充満した場所のその先で怒り心頭といった具合に滾ってる暴走体の姿を視界の内で明確に捉えながら、その存在が何であるのかという事を徐に口に出して呟くのだった。「なるほど……。貴方の正体は“鳥”って言う訳ね」さぞ面白くも無いといった具合に私はその事実を苦々しく吐き捨てながら、傷口が疼く所為で混濁したように鈍る思考を必死で働かせてその全貌を改めて自分の中で纏め上げていく。そう、其処にいたのは一羽の……いや、此処までくるとそんな可愛らしい表現で当て嵌めていいのかどうかも危ぶまれる程に大きな一体の怪獣だった。まるで太鼓の恐竜のように大きな体躯。戦車の装甲だろうと飛行機の外装だろうと一薙ぎで容易に破砕してしまえるのであろう鋭く尖った足の爪。そして何よりも映画の怪獣さながらといった具合に長く伸びている首に、頭部に聳える刺々しい角のような突起。それ等を要素を組み合わせて尚且つ手傷を負って凶暴化した物がこれまた長い尾と双翼を広げて此方の方を睨みつけている。前に先生の家で一緒に見た『ゴジラ』や『ガメラ』といった映画の世界に巻き込まれたのではないかと思わず錯覚してしまうような光景が其処にはあった。「冗談じゃないよ、ったく……! 相性最悪処か、こっちはジリ貧確定じゃん。本当、運悪いよね……私ってばさぁッ!!」そんな悲痛な咆哮と共に私は痛む腕を振り上げ、宙を舞うフォトンスフィアを鏃へと変えてこれまた間髪入れずに撃ち払う。だが、幾らあの爆発の所為でダメージを負っているとは言え相手は手負いの怪獣。下手に刺激すればどうなるか……その答えは百を語って聞かせるよりも明らかだった。目の前の暴走体─────まぁ、あえて名称付けるなら鳥の化け物って事で“鳥獣”ってことするけれど、その鳥獣が取った行動は迅速の一言に尽きた。2tトラックよりも遥かに重いであろう身体は意外なまでに俊敏な身のこなしを誇り、その身体を支える丸太のような足が砂浜を蹴ったかと思うと、刹那の内にはその場所から海の方へと身を躍らせ、悠々と私の攻撃を回避してみせたのだ。故に私が放った計四つの桜色の鏃は奮闘虚しく何も無い宙を切り、その先にあったテトラポッドの一部に突き刺さって亀裂を入れ、光の粒となって掻き消える。あれだけの爆発を間近で受けておきながら、よくもまあこれ程までにちょこまかと動けた物だ。私は呆れ半分、関心半分といった具合の感想を胸の内に抱きながら改めて鳥獣型の暴走体の状態を流し眼で観察していく。あくまでも何時でも戦闘態勢に映る事が出来、尚且つ直でも術式を展開して攻撃にも防御にも対応出来る状態がデフォルトだからまじまじと見つめて思考すると言う事は叶わないけれど、大雑把に見たからと言って何も捉える事が出来ないのかと言えばそうじゃない。ダメージの具合。魔法による攻撃の有効性の有無。自己再生能力が有しているのかいないのか。ざっと鳥獣の状態を見ただけでもこれだけの事は容易に理解する事が出来、尚且つその本質を捉える事はそう難しい話じゃ無かった。ただ問題なのは原因が究明で来ているかどうか、という事ではない。そう、真にこの場に置いて問題なのは─────「─────推測が全部“どんぴしゃ”っていうことだよね。実際さぁ……っ!」そう、実際この場において何が最悪であるのかと言えば運の悪い事に私が例に挙げた事がらの全てが私にとって不都合な方向に傾いているという現状だ。私は改めて現状を想い変えながら巨大な双翼をはためかせ、海上の水面よりも数メートルほど上の処で静かに得物を狙う目でこちらを捉えている鳥獣の方を一瞥してその状態を再度頭の中へと叩きこむ。まず先ほどからくり出している攻撃がどれだけ鳥獣に利いているか、という事だがはっきり言ってこれに関しては望み薄だと言う他ない。何せ中規模とは言え、手榴弾やダイナマイトが爆発したのと殆ど同じ位の威力の爆発をその身に受けた上に、その前にはデバイス抜きと言えど、コンクリートの塊に亀裂を入れる程の鏃を零距離で穿たれたにも拘らずざっと見渡してもその身体には殆ど傷が残っていないのだと言う事が見て取れる。いや、ダメージを受けたかどうなのかと言えば確かに受けた事には受けたのだろう。先ほどまで鳥獣が佇んでいた場所は確かに流血や肉片で赤黒く染まっているし、その周辺には爆発の衝撃で引き千切れたのであろう脚部や臓物の残骸が細かな肉片となってそこかしこに転がっている。これは偏にあの爆発前では流石の鳥獣も手酷い損傷を負う事は避けられず、結果としてそれ相応のダメージを被ってしまったのだという表れなのだろう。では何故、目の前にいる暴走体はそんな損傷を負ったのにも拘わらず、そんな素振りを見せる事も無く健在であるというのか。その答えは簡単だ。あぁ、認めたくは無い。実に忌々しいし、それを現実として受け止めたくは無いが目の前で起きている事は夢でも幻でも無い現実であり、頭を打ち付けた事で思考回路がイカれていなければ私の精神も至って正常だ。目の前で起こった事を事実として受け止められるだけの思考能力は持ち合わせているつもりだと自負しているし、幾らこの状況が現実離れしているからと言って今の状況を夢現と断じて現実逃避をする程自分が取り乱していない事も重々承知している。だが、現状を丸侭全部受け止められる器量があるのかと言えば、当然その答えは否だ。こんな─────こんな“受けたダメージを瞬時に即効性の自己再生で補う”などという出鱈目な現実を簡単に認められようはずも無い。おまけに魔法による攻撃のダメージは殆ど見受けられないというのだから尚始末に困るという物だ。私は自分自身が導き出した結論に思わず頭を抱えそうな衝動を胸の内に覚えながら、僅かに働く思考に任せて今の状況を何とか打開しようと彼是と策を模索し始めるのだった。「射撃魔法も駄目。バリアバーストも使えば使うほどこっちがジリ貧になるだけ……おまけに相手は自己再生能力持ち、か。いやいや参ったなぁ、これ。正直……此処で死んじゃうかもなぁ、私。まぁ、って言っても─────」其処まで言い掛けた処で私は傷だらけの右腕を振り上げて、その掌にまた新たな術式をなるべく急いで構築させる。術式の名前はフォトンバレット。魔法の訓練の初歩の初歩、下手をすれば戦闘の要にしているフォトンランサーすら下回るほど基本的でシンプルな単発の射撃魔法だ。アルハザードという空間においてアリシアの指導の下、積み重ねてきた訓練の内の最初期に教えられたこの魔法は正直あまり私にとって馴染みがある術式という訳ではない。寧ろその逆、ただ狙って真直ぐ撃つという事のみに目的を限定されたこの魔法はフォトンランサーやバリアバーストと違って応用性が薄い為、どうにも戦闘という極限の状態において忘れがちになってしまうものなのだ。故、私は擬似的なターゲットを相手にしての訓練でもあまりこの術式を使用してはいなかった。まぁ、少し落ち着いて記憶を遡ってみれば罠の破壊や死角からの強襲なんかの時に何度か用いたのだという事を思い出すことが出来るのかもしれないが、それでもその頻度は決して高い物であるという訳ではない。やはりラウンドシールドやフォトンランサーに比べて見劣りしてしまう、その程度の認識が関の山のあまりパッ、としない魔法だと言ってしまっても過言ではなかった。だが、この場において─────そう、このような“速度の速い相手”と対峙している場合においてはそのような節目がちな魔法も必殺の魔弾へと姿を変える。シンプルであるが故に構築が早く、尚且つ込めた魔力の量だけ威力の上限を左右できるフォトンバレットは予め威力や魔力量を換算し、一定の出力を保たなければ行けない他の射撃魔法と違って『ただ真直ぐに撃って当てる』という事に関してはそれなりに自由度のある魔法だ。つまり、他の魔法で届かないのだとしても、このフォトンバレットならば魔力の込め方次第で今の私が持てる最大の攻撃へとその姿を変えることが出来るかもしれないという事だ。でも、デバイスを持たない私にとって限界を超えた魔力を注ぎ込んだ術式の制御というのはある種の鬼門のようなもの。下手をすれば誤ってその力を暴発させてしまう可能性だって決して低くは無いし、よしんば発射できたとしても狙った場所に当たってくれるかどうかは運任せだ。確実性は薄いし、当たった所で有効なダメージを与えられるのかどうかも定かではない。おまけにこの術式をこんな風に使用するのは今日が始めてだ。これを分の悪い賭けと呼ばずなんと呼べばいいのか、私は皆目見当も付かなかった。しかし、それでも尚私は手の内で展開する術式へと己が持てる魔力を注ぎ込み、掌の内にバレーボール程の大きさを誇る桜色の球体を構築し続ける。無茶だって言うことは百も承知だし、自分でも今私自身馬鹿なことをやっているっていうのは分かってはいる。だが、そう認識していても尚こんな風な行動に出てしまうのは─────偏にこれしかこの状況を打開出来るような一手を私が思いつくことが出来ないからだ。本来足りない頭を必死になって動かして状況を打開するのが本分の私がこんな事を言うのは癪以外の何物でもないのだが、もはや今までの攻撃がまともにダメージを与えられていない事を鑑みるに小手先が如何のこうの言っているようでは勝てないのは明白だ。力でごり押しは趣味じゃないけれど、力押しでも現状を打開できるのなら、この場で冷たい身体を晒すような状況になるよりは幾分だってマシというもの。だったら、私は私の選んだ事に素直になれば良いだけの事だし、みっともなくとも意地汚くとも“生きる”事のみを考えて行動を起すだけだ。私は目の前で奇声を上げ、再びその強靭な脚と爪で私の身体を引き裂かんと迫る鳥獣に掌の内に作り出した球体を向け、高らかな宣言と共にそれを鳥獣へと撃ち放つのだった。「初めから死ぬ気なんてさらさら無いんだけどさァッ!」声を荒げ、自分に定められた運命に抗うのだと吼えながら私は眼前まで迫った鳥獣の腹部を狙って殴るような軌道を描きながらその掌を滑り込ませていく。前足を突き出して踏ん張りを利かせ、タイミングを合わせる為に限界まで目を見開き、自分のうちに沸きあがった恐怖に様に犬歯をむき出しにして腕を振り上げるその様は傍目から見たら悪鬼のそれにも思えてしまうほどに醜く歪んでいた事だろう。何せあれだけ散々忌避の念を抱いておきながら、結局私は自身のうちに蔓延った自傷の衝動に突き動かされるばかりなのだ。矛盾、何処までも己が請い願う理想と現実が異なりすぎて─────それは自分の中の“何か”決壊させてしまう極限の矛盾となって私の表面に現れる。それは言動であり、表情であり、思考。凡そ、普段の私からは考えられないような嗜虐と暴力に塗れ、穢れた感情がそれ等の全てを『高町なのは』から乖離させ、そして抜け落ちたピースを裏返しにしてはめ込むようにその形を拭い去れない矛盾を孕んだ物として作り変えていくのだ。もうどちらが本当の私なのか、自分でも判断がつかない程に。怠惰と暴虐、どちらが私の本質なのかも分からなくなる程に……。今の『私』は『高町なのは』と溶け合って交わり─────戦人としての『己』と形成させていくのだ。今の私が此処にこうあるように。高町なのはという存在が、今の私としてこの場に存在するように。私はただただ、己の内に生まれた衝動に酔いしれ、身体中に走る痛みにも気がつかぬまま何処までも己の感情を加速させていくのだ。「─────くくっ、捕らえたよ。落ちろっ、堕ちろ! オヂロッ!!」そして加速した感情は何処までも私の身体を好き勝手に動かし回り、痛みも疼きも忘れて只管に自分が相手を虐げるのだという事実をその身を持って体現させる。例え鳥獣が延ばした爪が大きく肩口を抉り、普通なら悲鳴所では済まない傷を受けたのだとしても。その所為で溢れ出た血液が顔や制服を真紅に染め上げ、生暖かい感触が肌を濡らしたのだとしても。尋常ではない苦痛と身体からごっそりと血液が失われた事で、頭の中で絶え間なく生命の危険を告げる警笛が鳴り響いていたのだとしても。私は止まらないし、笑みも崩さない。それ処か、そんな痛みも忘れてしまうほどに溢れ返ったアドレナリンとエンドルフィンが脳を浸し、この身体に降り掛かる痛みも、疼きも、怖気も何もかもを一瞬にして消し去ってしまうほどだ。そう、今の私には恐怖という物が無い。限界を超えた馬鹿は何よりも増して怖い物知らずであるとはよく言ったものだが、今の私はそれに輪を掛けて酷い馬鹿なのだといってもいい。何せあれだけ死を恐れながら……自分がこの世から排斥される事に脅えながら……自分の身が傷付くという事を何よりも忌わしく思っておきながら、そんな事は如何でもいいのだと二の次にしてしまえるほどに今の私の脳味噌は滾り、沸騰してしまっているというのだから。もはや、この場においてまともな思考などというものは無用の長物でしかない。ただ己が渇望に突き動かされ、例えどれだけ傷付こうとも相手に噛み付く事を諦めない狂犬同士の共食いに理性など必要は無いのだから。だからこそ、私は殆ど致命傷染みた傷を負いながらも尚前へ前へと突き進み、自身の掌に宿った魔の弾丸を溢れんばかりの殺意を込めて撃ち放つのだ。刹那、私の掌から魔弾が解き放たれ、凄まじい衝撃が私の腕に奔る。ミシリッ、と骨が軋む様な音が腕の彼方此方から響き渡り、一歩間違えればそのままへし折れてしまうのではないかと思ってしまうほど私の腕は関節とは逆の方向に反り返ったのだ。だが、魔弾が放たれた事によって生まれた事実はそれだけではない。当然、反動だけでそれだけのダメージを受けてしまう魔弾を至近距離から受けてしまった鳥獣もただで済む筈が無いのだ。直後、グチャッ、という生々しい音共に鳥類特有の甲高い悲鳴が辺りに木霊し、それと同時に思わず噎せ返ってしまうような生臭い臭いが私の鼻腔を擽る。そう、それこそがあの魔弾が鳥獣に直撃し、皮を裂いて骨を砕き、肉を抉って内臓をグチャグチャに爆ぜさせた結果だった。結果が如何であったのかという事を簡潔に言ってしまうのであれば私が持てる精一杯の魔力を込めた桜色の魔弾は見事に暴走体の胸部に命中し、其処に向こう側が見えてしまうような大きな風穴を空けることに成功した。だが、それは殆ど一瞬の出来だった。恐らくその攻撃を受けた当人である暴走体もまさか自分がこんな攻撃を受けるなどとは今になっても思っていないに違いないだろうし、そもそも思考が痛みに追いついているかどうかも微妙な所だ。でも、私は違う……あぁ、断じて違う。例え目先でその事実を追うことが叶わないのだとしても、腕に迸る疼きが、鉄臭い感覚に擽られる感覚が、自分の内に秘めていた殆どの魔力を使ってしまったのだという感覚がそれを事実として私に示しだしてくるが故に、私はその攻撃が確かな有効打であったのだということに気が付く事が叶っている。故にこの身は今が絶好の好機なのであるという事を認識する事が出来、そのために必要な行動を取る事が出来るのだ。痛みを忘れ、恐怖を忘れ、死を忘れ……何もかも忘れ果てた上で私は想う。次の手を、と。この目の前の獣の息を止め、自身が勝利を勝ち取る為の攻撃を放つのだ、と。それは殆ど考えというよりは衝動に近い物だったのかもしれない。この身を火照らせ、焼き、滾らせて止まない嗜虐の快楽。それは、もはや人間が理性の内に考えられる物の埒外に位置する物であり、それに突き動かされて動き回る今の私は一種の暴れ狂う嵐だ。悲哀憎悔、喜悦快楽の泥濘、混沌……何もかもが無茶苦茶で、凡そ人の言葉ではその様を表す事など到底出来はしない。その身を衝動と同化させて突き進み、ただ本能が叫ぶままに喰らい、抉り、引き裂くだけの殺戮機械。服を着て、言葉を話す災厄……人間に似て否なる物こそが今の私の正体だ。故に私は微塵も躊躇なく─────あぁ、それこそこの歓喜にも似た思いに従って敵を殲滅する事が出来る。目標は目の前、自己再生能力を有しているとは言えど、その身は死に体だ。このまま一気に畳み掛ければ、確実に縊り殺す事が出来る。私は己が胸に溢れ、この身を歓喜させる暴虐に酔いしれ、肩口から零れ出す流血も意に介さぬまま、ただただ口元を歪に吊り上げて目の前の存在を嗤いながら止めを刺すべく新たな術式を構築し、それを容赦なく撃ち放つのだった。「あっ、はァ─────それじゃ、バイバ~イ。どタマかっ飛べぇェェッ!!」左手の親指と人差し指を立て、それ以外の指を内側に折りたたんだ『穿つ体勢』を創りながら私は殆ど瞬時に突き出した人差し指の先に自身の内に流れる魔力を集中させていく。そして、ほんの一瞬─────刹那にすら満たない速度で私はその魔力で新たな術式を組み上げ、そして間髪入れずにそれを御腹に大きな風穴を開けて静止している鳥獣の鼻面へとつき付け、問答無用にそれを撃ち込んだ。その間約一秒半、デバイス無しで形成する術式としては中々に素早いと自負出来る速度だ。そして、当然その速度に目の前の鳥獣は避けることはおろか、反応する事も叶わない。故、私の指先に生み出された桜色の閃光─────フォトンバレット系統の発展技である圧縮した魔力を爆発させて放射する能力を持ったフォトンバーストの光は一切の容赦なく、鳥獣の身体を蹂躙する。頑丈そうな頭部が爆ぜ、脳漿と流血が砂浜へと雨のように降り注ぐ。衝撃で片翼は引きちぎれ、首はおかしな方向へとひん曲がり、嘴や角には幾つもの罅が奔り、その間からは微かに血が漏れ出している。頭を潰した、幾ら暴走体とは言え此処まで攻撃を加えられれば無事では済まない筈。その事実にそれまで滾りきっていた私の思考が急激に冷え、そして一筋の安堵が私の脳裏を過ぎる。終わった。何もかも終わった。目の前には敗者の残骸が転がり、その前には生者として私が立っている。それこそが幕引き、それこそが結果。此処に私が生きて立ち、目の前で標的が死に絶えているという事は私がこの戦いに勝利したのだという事と同義なのだ。本当は多少手傷を負わせて追い返せればそれ以上の事は私も期待してはいなかった。だが、その時の思想がどうであれ、結果はコレだ。最終的に殲滅しなきゃいけないのならデバイスやジュエルシードを使おうが使うまいが目的さえ果たせればそれが全てなのだ。私は思いがけない結果オーライに一筋の淡い感情を抱きつつも、今更になってぶり返してきた肩口の痛みに顔を歪ませながらゆっくりと物言わぬ死体となった鳥獣の亡骸へと近付いていくのだった。「痛っ……まさか此処まで手酷くやられちゃうとはね。血ぃ─────止めなきゃヤバいかも。まぁ、何にせよ今はジュエルシードの封印が先か……難儀だよねぇ、まったくさぁ……」それまでの熱情が消え、痛みと疼きがぶり返した事によってクールダウンした思考の中で私はそんな事を考えつつ、頭のなくなった鳥獣の腹元を覗き込み、其処に魔力反応が無いかどうかを肌に伝わる感触で確かめる。ただ脳内麻薬で活性化されていた時は良かったものの血液が身体から抜け落ち過ぎた所為か、どうにも意識は朦朧として上手く働かないし、おまけに肉までごっそり持っていかれた肩口は痛みを通り越して痺れすら引き起こしてしまっている始末だ。もしかしたらあの攻撃を喰らった時か全力を込めたフォトンバレットを撃った時の何れかに骨に罅でも入ったのかもしれない。そんな思考が私の脳裏を霞め、それを認識したと同時に身体中を疼き回る痛みがその感覚に信憑性を孕ませる。これが戦闘中に負った傷でなければ机に突っ伏してピーピー泣き叫びたいほどだといっても過言ではなかった。「しっかし、どうしたもんかな……これ。制服は血塗れ。砂浜も血塗れ。おまけに私自身も血塗れだもん。これじゃあ流石に─────ッ!?」しかし、そんな平和的な思考は長くは続きはしなかった。ジュエルシードが何処にあるのかと鳥獣の亡骸を触っている最中、私はその亡骸が“再び動き始めている”という事に気がついたからだ。とっさに後ろ足で地面を蹴って、その場から後退する私。すると、信じられない事に今まで私が立っていた場所に鳥獣の太く硬い足が振り下ろされ、まるでストレッジハンマーでも叩き付けたかのように、深く地面を抉り取ったのだ。あまりの出来事に思考が止まり、ようやく治まり掛けていた鼓動が再び早鐘のような警笛を鳴らす。まずい、この場で呆けていたら間違いなく殺されてしまう。そんな最悪のビジョンが脳裏を霞め、先ほどまではなんと事のなかった怖気が急に私の肝を冷やし始める。全身の毛穴から冷や汗が吹き出て血塗れの服に更なる水気を含ませ、朦朧とする意識はいつも以上に私の内に秘めた野生的な感覚を浮き彫りにさせる。そう、ただ一度でも目の前の生物を倒したなどという幻想を抱いていた自分を恥じ、現状を後悔する感情と共に……。「嘘っ……でしょう? まさかっ、こんな……ッ!?」あまりの現実の非情さに私は思わず素っ頓狂な悲鳴をあげながら、目の前で起きている鳥獣の変化を目に焼き付ける。折れた首が元のように再生し、半分砕け散った筈の頭部が復元し、腹に大きく穿たれた風穴では臓物と臓物、肉と肉、骨と骨が交わりあってどす黒い泡を作り、それらが結び付いてもとの形へと還っていく。ありえない、そんな一念が私の胸に何か黒いものを落とす。自然界では到底成しえない筈の回復力。そしてそれ等を実行する異常な速度の新陳代謝と細胞の再生。凡そ、漫画やゲームの中の不死に近い能力を持った化け物が私の目の前に入る。その事実がどうにも信じられなくて……怖くて……気持ち悪くて、私は今更ながら此処に来て拭い去れない恐怖を植えつけられてしまったのだ。ぎらぎらと光る瞳で此方を捕らえ、「さっきはよくもやってくれたな」などという様な念を表情に出したかのような歪んだ感情に突き動かされた目の前の怪物に。そう、其処から始まるのだ。私の─────高町なのはの深い、深い絶望は。瞬間、自分の感情の中で何かが弾けるのを私は感じた。・補足えーと、多分いないとは思いますが一応誤解されない為に今回なのはさんが使用した魔法に付いての説明をします。・バリアバースト備考:原作でなのはさんが使用。A'sでもStrikerSでも使用していたが、後者は相手の身を吹き飛ばす様に強化されている。本作では爆発の威力が増加している。・フォトンバレット備考:原作の無印でプレシア・テスタロッサが使用。アルフに胸倉掴まれた時に吹き飛ばした魔法と同じ奴です。本作では魔力を込めた分だけ威力増加。・フォトンバースト備考:原作の無印でプレシア・テスタロッサが使用。原作でアルフに追い打ちを掛けたのがこれ。効果は圧縮した魔力で一定範囲を爆破させる魔法です。余談ですが本作でアルフさんを『ミンチより酷ェ……』状態にしたのもこれです。以上、どうでもいい補足でした。