それは名も無き誰かの物語。もしかしたら誰かと関わりを持って次のステップへと進む事があったかもしれない、異界の少年の物語。少年は闘っていた、少年と同じ名前もない化け物と。普段の少年なら苦にもしないとまではいかないが、それでもキチンと倒しきれる程の……ゲームで例えるなら序盤で登場する雑魚敵のようなそんな相手。だけど少年は満身創痍、今にも意識を失いかけそうになっている程弱っていた。「―――――る者を、封印の輪に!」真紅の丸い宝石を手にした少年は何かを叫ぶ。その途端、空中に紋章のような物が浮かび上がり少年を守る。そして次の瞬間、少年に向かって何か巨大な物が突進してきた。ミシッ、というラップ音を発する紋章、呻く少年。もはや力なんて欠片も残されていない少年にとってその攻撃はあまりにも強烈過ぎた。しかし、少年はなけなしの気力でそれに耐えるとそれでも尚挫けずに化け物と相対する。「ジュエルシード! 封印!!」カッ、と強烈な光が紋章から発せられ化け物を包み込む。少年はそれで仕留めたと思っていた。何時も何時も寸での事ではあったものの、今までだってちゃんとこれで事なきを得ていた。だから今回も大丈夫、そんな確信にも似た期待が少年の脳裏を過ぎる。しかし、反面化け物はその光に一瞬怯んだだけで攻撃の手を緩めようとはしない。余計に篭る化け物の力、その度に亀裂が走る紋章。少年を守る不思議な力が化け物に完全に押し潰されるのはそう遠い時間ではなかった。数秒競り合った末に少年の紋章は化け物の力によって砕かれ、防御を失った少年は凄まじい力の篭った化け物のタックルを真正面から受ける結果になった。「がぁッ……!?」まるでダンプカーにでも引かれたかのように吹き飛ぶ少年。肋骨は砕け、内臓は押し潰され、唯でさえ満身創痍の身体はもはや瀕死にまで追いやられてしまっていた。溜まらず吐血する少年、その量はどんな一般人が見ても命の危険に瀕していると判断できる物だった。少年の意識が薄れる、しかし化け物は止まってはくれない。だから少年はとっさに最後の賭けに出た。この声に気付く誰かが自分を助けに来てくれると言う希望的な賭けに。『誰か……この声を聞いて……』少年は願う。誰かが、素質のあるものが自らの問い掛けに答えると信じて。『力を……貸して……』化け物が飛び上がる。知能数の低そうな生命体ではあるが自分に敵対する物を始末しようというような原始的な知識はあるようで止めを誘うとしているのだろう。そうでなくても放っておけば自ずと死ぬような少年。これ以上刺激されればまず間違いなく助からない。『魔法の……力を……』そこで少年は意識を手放した。そして少年は刹那の瞬間に夢を見た。自分の声に何処かの少女が反応し、翌日になって友達を連れて自分を助けに来るというどうしようもない夢を。それはもしかしたら在り得ていたかも知れない物語。事実少年は数多の可能性の中でその少女に助けられ、そしてその少女は少年によって物語を繋ぐことが出来ていた。だが、所詮は夢……夢は星のように輝くが、星は決して掴めはしない。もしもこの瞬間その少年にまだ幸運と言うものが在ったのならば、それはせめてその現実を知らずにいられたということだけだったに違いない。次の瞬間、今までに感じた事の無いほどの衝撃が少年を襲った。「……ッ!? 私、寝てたの……」暗い、暗い部屋の中で私はポツリとそんな事を漏らした。手にはテレビゲームのコントローラー、足元には食べかけの牛丼。そして背中には腰を守るように置かれているもう何週間も洗っていない薄汚れたクッションが在った。ふと、時計を見てみるともう深夜の二時過ぎ。どうやら私はテレビゲームをしながらそのまま眠ってしまっていたらしい。その証拠として今の私は私服にも着替えず制服を着たままの格好で、真っ暗になった部屋には会話場面で止まっているテレビゲームの画面がぼんやりと光を放っていた。色々在って疲れていたとは言えどもこんな時間まで寝過ごしてしまうのは、少し腑に落ちない物だと私は思った。「しかも……なに、さっきの夢……グロッ」先ほどの夢の内容を思い返した私は殆ど反射的に口元を押さえ込んだ。胃液の酸っぱい味、慣れているとは言えどもやはり気持ちの悪い物は気持ちが悪かった。そもそもなんで私は何処とも知れない男の子が化け物と闘ってグチャグチャになる夢なんか見てしまったのだろうか。もしかして寝る前にやっていた『サイレント・ヒル2』がいけなかったのかもしれないとは思うけど、其処まで別に思い入れがあったソフトでもない。これが流行のゲーム脳って奴なのだろうか、そう思うと何だか少し悲しい気持ちがこみ上げてきた。「身体も寝汗でびっしょり……あぁ、気持ち悪い……」どうやら先ほどの夢は無意識的でも相当キツイ物であったらしく、下着のシャツはぺったりと私の身体に張り付いていた。もしかしたら寝ている最中魘されていたのかもしれない。一応私も『バイオハザード』や『グランドセフト・オート』なんかをプレイする手前グロテスクな物に対する耐性は有る方だけど、それ以前に小学三年生の女の子であると言う事なのだろう。あそこまでリアルに殺害現場を見せ付けられれば例え夢でも気が滅入る。人間なんて物はそんな物だと私は改めて思った。「お風呂……入ろうかなぁ。うん、時間も丁度いいし、どうせもう皆寝てるよね」しかし、朝まで寝過ごさなかった事は不幸中の幸いだと私は思った。私がお風呂に入る時間は実際の所かなり遅い。何時もだったら深夜の一時かその辺りの時間に湯船を張り替えて入る所だから、今日はその中でもかなり遅い部類に入る方だ。ウチのお風呂は無駄にだだっ広いから湯船を張るだけでも30分くらい時間が掛かるし、下手をしたら今日なんて朝風呂になる可能性もある。でも、やっぱり女の子として最低限のラインは死守したい。身なりが幾ら汚れていようともせめてこの身だけは清潔でありたい、私の数少ない意地とプライドが面倒だという気持ちを今まで打ち負かし続けているわけだ。だからどんな日でも最低お風呂には入ろう、打算的な話だがそれくらいの安らぎを求めた所で罰は当たらないだろう。「あ~もう、変な体勢で寝てたから肩凝っちゃったよ……」徐にコントローラーを放り出し、肩を回して解しながら立ち上がった私はそこら辺に転がっていた予備の制服一式と下着を持って部屋を出た。その際に一応部屋の明かりは点けておいた。お化けとか妖怪とかそんな物を信じる性質じゃないけど、あんな夢を見せられた後じゃ怖くもなるものだ。早く大人になりたい、一人で自立してとっととこんな処出ていってやるって思っているのに結局根本的な部分では子供のまま。そんなものよりももっと怖い物を知っているくせに、私は少しだけ昔と変わり切れていない自分を恥じた。「……気持ち悪い」純粋キャラ気取って守ってオーラを出している自分を想像したら何だか無性に気持ち悪くなってきた。昔のままの私なら「お化けこわいよ~」なんてまともに言えていたのかもしれないが、流石に今になってそんな台詞を言えるような図太い神経を私は持ち合わせてはいない。というか、素の私がどっちなのかさえ今になっては曖昧だ。元の良い子ちゃんぶっていた私は本当の私なのか、それともこんな社会の底辺にいるような駄目人間がそうなのかも自分ですら検討が付かないのだ。だけど、疲れる頻度で言ったら今の私のほうが昔よりも断然疲れない。楽な方へ、楽な方へ……そういう悪循環が人を駄目にしていくのは知っているけど、少なくとも人間関係で疲れると人生に疲れる。今の私は間違いなく正しい、だとすれば本当の私はやっぱりこっちの自分と言う事なのだろう。「はぁ~馬鹿なこと考えてないでとっととお風呂入ろっと。きっと疲れてるんだ、私」毎日毎日嫌な事がありすぎて精神的にキテいるものがあるのだろう、私はなんとなくそう思った。此処連日は二年生の頃をぶり返すような出来事が続いているし、教師からの良くない評判もそこそこ耳に入ってくる頻度が多くなった。授業で机をくっ付けて班活動をすれば机を離されるし、席替えをすれば隣になった娘が声を上げて泣き叫ぶし、そして結局教師からは私が虐められているのだと思われて言われも無い説教を喰らう始末。これで参らない精神の方がどうかしているという物なのだろう。「そういえば……最近笑わないな、私……」階段を降りて下の階に向かう途中、ふと私はそんな事を思い返していた。昔はしょっちゅう何か在れば「にゃははは」なんていう馬鹿みたいな笑いを漏らしていた私だが、今となって出てくる言葉と言えば「ウザい」、「黙れ」、「お金」の三つくらいだ。これに後「邪魔」と「あんたには関係ないじゃん」を加えれば家での生活における会話は全部事足りてしまう。短調になった会話、刺々しくなった言葉、荒れ果てた生活。何が原因でこんな風に―――――其処まで考えて私は瞬時に考えるのをやめた。「……馬っ鹿みたい、私」薄暗い廊下を手探りで歩き、風呂場に向かっていた私は昔の事を思い出しそうになる自分を自虐のたっぷり篭った言葉でばっさりと切り捨てた。昔の事を少しでも思い出すと直ぐに私は自分の何処がいけなかったのだろうという迷いに溺れて、「此処でこうしておけば……」とか「あんな風に想いを伝えていれたら……」とかそんな感じの“もしかしたらありえていたかもしれない未来”に縋ってしまう。そんな自分が嫌だから今の自分になったというのに、もうどうせ引き返せないから堕ちる処まで堕ちてやろうと思ってこんな風に穢れたのに。私はまだ心の何処かでは優しい居場所、未来、そして温もりを欲している。そんな勝手な自分が私はどうしても許せなかった。「やっぱり……疲れてる。うん、疲れてるよ私。全部全部疲れの所為だ」だからとっととお風呂に入って忘れよう、こんな時だけは自分の思考の切り替えの早さに感謝した。一度考え始めたら区切りが付くまで迷う私だけど、結局大半の問題には明確な答えなんて存在しない事を知ってからは直ぐに別の事を考えて深く考えすぎないようにする。こんな生活を生きていく中で少しでも人生を生きやすくする様に必死になって考え付いた私なりの処世術だった。今回だってそう、結局はその延長線上。くだらない事を考えそうになった、だからお風呂に入る事だけを考えて辛い事よりも安らぎを優先させる。結局何の解決にもなっていないことは重々承知しているけど、小学三年生の軟な子供が必死になって考えた結果にしては上々だと信じたかった。「さぁてと……あれ? お風呂抜かれてるや、ラッキー」風呂場に入って湯船を確認した私はお湯が張られていないという事に気が付いた。何時もなら何か色々なものが浮いて汚らしくて温いお湯が其処には無く、ただ水滴の付いた空の湯船が其処にはあるだけ。だけど私としてはお湯を抜いている時間を短縮出来るから、此れは少しだけ嬉しい配慮だった。いや……少し裏を返せば此処にお湯が張られていないという事にどんな“意味”が込められているかは知っている。でも私の何処か根本的な部分がその現実を誤りでありたいと思っている。だから私は自分に言い聞かせるように此れは幸運な事なんだとわざと呟くのだ。変に勘潜って自分で自分を傷付けるのが嫌だから。「え~っと、設定は38℃にして……っとこれでよし」『お湯焚きをします』という電子音が自動湯沸かし器から流れた事を確認した私は、お風呂に栓をして一旦お風呂場を出てから外についている換気扇を作動させた。後はこれで自動的に機械が適温の湯を張ってくれる、深夜なんていう誰もが寝静まった時間にお風呂に入る人間としてはこれほど便利な物も中々無かった。お風呂を入れた私はそのまま部屋には戻らずフラフラとリビングの方へと向かう。湯船に湯が溜まるまでには少し時間が掛かる、それにちょっと小腹も空いた。適当に何か摘みながら面白くも無いテレビでも見ていよう、なんて事のない何時もの行動。私は覚束ない足取りのまま電気も付けずにテレビの電源だけを入れて音量を下げると、その明かりだけを頼りにその奥のキッチンの方へと歩いていった。「……これはお金の範疇外だけど、この位別にいいよね」キッチンの中に入った私がまず初めに取った行動は冷蔵庫の中を開けて中身を適当に物色する事だった。ウチの冷蔵庫は市販で売っている物ではなく、お母さんが経営している喫茶店で使っているものと同じ業務用のものだ。明らかに家庭的な家には似つかわしくない銀色のゴツゴツしたデザインの物だが、業務用ということもあってか色々な物が沢山入るし、無駄に沢山のオプションが設定されている。そんな冷蔵庫を開けた私はその中から今の時間帯でもそれなりに食べられるような物を探し出す。世間一般からは家庭的な夫婦で通っている手前食材には事足りず、冷蔵庫の中は様々なもので溢れかえっていた。「え~と食パンと……後チーズに……やっぱりマヨネーズかな」取り出したものは食パン一切れにスライスチーズ一枚。後は薄切りのハムにケチャップにマヨネーズ、たったそれだけだった。後はそれを電子レンジに突っ込んで一分半くらい加熱。そうすれば手ごろに作れるトーストもどきの完成だ。あえてトースターを使わないのは音が煩いから、もしも家族の誰かに見つかりでもすれば非常に面倒な事になる。もっとも電子レンジにしたって電子音は鳴るわけだし、音的にはどっこいどっこいなのかもしれないけど……私は何となく微弱な光の中で回る物体を眺めているのが好きだった。趣味の悪いと言うか、変な趣向なのかも知れないけどそうしていると少しだけ心が安らぐ気がしたのだ。「とは言っても気持ちの悪い事に変わりは無いんだけどさ」そんな事に安らぎを感じるなんてどんだけ寂しいんだよ、自分で自分を蔑んでみる。嫌な女だなぁ、っていうのは自分でも分っているのだ。根暗で、人間不信で、暗くて、取っ付き難くて……そして皆の悪者。学校で起こる問題には必ずあがる『高町なのは』と言う名前、そしてそれに伴って段々と距離を置いていく人達。いっそ死んでしまえば悪者にならなくて済むのかな、誰か私のために泣いてくれるかなって考えてしまう。しかし私は自らの死を望まない。だって馬鹿みたいだから……どうせ誰も泣いてなんてくれない事を知っているから。皆私が邪魔なんだ、自らを嘲笑う様にそう呟いた私は電子レンジを止めて、中のトーストもどきを取り出すと皿に篭った熱も気に掛けないままリビングの方へと戻っていった。「え~とちゃんねるは……あった、あった! 此処最近はこんな夜中でもアニメとかやってるんだよね」少しだけ気分を浮かせながらチーズが蕩けるパンを咥えながらチャンネルを回し、この時間にもアニメを放映しているテレビ局に切り替えると、その前にペタンと座り込んだ。夜中のフローリングの床はどの時期でも冷たく、靴下を履いていても足は冷える。でも、そんな事も気にしないまま私はテレビの画面を食い入るように眺めてボーッ、としていた。テレビ画面に映っているのはこんな時間にも放映している大人向けのアニメ、俗に言う深夜アニメと言う奴だ。昼間にはあんまり放映していないような露出の高い派手な制服を着た高校生のキャラクターが勾玉を求めて闘う三国志を基準としたアニメが其処にはあった。『孫策! 私はお前を―――――』「な~んか、このキャラクターって今一いい人なのか悪い人なのか分んないよねぇ」超ミニスカートの眼帯をしたキャラクターの台詞に人知れず突っ込みを入れた私はそのまま軽食を取りつつその後の流れを見守った。あれやこれやと闘うたびに服が破けたり、露骨にお風呂場のシーンがあったりと普通こういうのは大人の男の人が見るものなんだろうけど夜型の私としては結構御贔屓にしているアニメだった。というのも、実際の所私もこんな風に何か“力”があれば……なんて事を考えてしまっていた時期が合ったからだ。秘密の道具を出せるロボットがいたら~とか、怪しげなお店の中に入ったら魔女を見てしまってその人を元の姿に戻す為に自分が魔法を~とか大体そんな奴だ。子供の頃なら誰もが当たり前に思い描き、憧れていた空想。それを実際に自分が使えたら~なんて思ってしまうのは何も私だけでは無い筈だ。だけど私は誰よりも早くある一つの答えにたどり着いてしまった。というのもなんて事は無い、サンタクロースにしろ妖精にしろ、魔法にしろ……そんな都合のいいものは世の中には存在しないって事に。「はぁ~、まったくお笑いだよね。酷いと大人になっても自分は人とは違うんだって思っちゃう人もいるんだもん。そんな事ありえるはず無いのにさ……」私はふと自分がまだ幼稚園に通っていた、遠い遠い昔の事を思い出してみる。大体何処の幼稚園や保育園でも文字が書けるような歳になれば自ずと“将来の夢”っていうものを書かせるような事をするだろう。そんな時私はなんて書いただろうか、お花屋さんかお菓子屋さんか……それともお母さんと一緒にお店をするか。まあ何だっていいけれど、どうせ実現出来っこない夢を掻いた事だろう。中には仮面ライダーになるとかウルトラマンになるとか書いていた人もいるのかもしれないが、夢がまだ非現実的な分だけ純粋だって証拠だ。しかし私はこの生活になってから世の中で一番何が大切なのかを学んだ。それは”お金“だ。食べる物にしろお洋服にしろテレビゲームにしろ日用品しろ文房具にしろ……元は皆々、お金なのだ。初めは苦労した……一日1,000円って言う額は多いように見えて意外と少ない。物の値段の上がるこの世の中で三食ともお弁当を食べてしまえば、はいお終い。レストランなんかだと一食取っただけで全部パーだ。だから私は誰よりもお金の有り難味を知っている。お金で買えないものは無い、なんて馬鹿なことを言うつもりはないけれど世の中の殆どの事は解決してしまうと言う認識くらいはある。こんな私から脂ぎった顔の政治家のおじさんまで老若男女誰からも愛されるお金はやっぱり偉大だと私は思った。「さぁ~てと、そろそろお風呂沸いたかな……んっ?」その後しばらくしてアニメも終わり、そろそろお風呂に入ろうかと思っていた私はテレビ画面がこんな深夜にも関わらずニュース速報に代わったことに足を止めた。色々物騒な事が続いている世の中と言えど、こんなにも露骨に緊急ですっていうような報道をメディアがするのはやっぱり珍しいからだ。一応私のような不良娘でもニュースくらいは見る。社会科の時間には最近自分の印象に残ったニュースとやらを発表しなくてはならないし、そうでなくても民放で流れるニュースには耳を傾ける必要がある。変な事件でも起きて警察の見回りが強化されるなんて事があった日には、夕食を買いに行く時間も大分早くしなくてはならなくなる。そしてそれとは別に単純に第三者から見た物事の興味として……何が起こったのかというのを知りたかった。『今晩未明、○○県海鳴市の児童公園で身元不明の少年の変死体がパトロール中の警官に発見され―――――』「なッ……!?」『少年の遺体は無残にも引き裂かれており、警察では轢逃げか他殺の可能性が高いと見て捜査を行っています。では次の……』私は驚いたように息を呑んだ。夢に見たものと同じ、そう直ぐさっき見た光景とまったく同じ事がテレビで放映されていたのだ。児童公園がどうだとかどんな殺され方をしたとかそんな事はどうだっていいけど、今しがた夢で少年が殺される所を見た少女が深夜に起きたテレビで身元不明の少年が殺されていたというニュースを見る。こんな偶然、果たして本当にありえるのだろうか。正夢にしてはあまりにも不吉すぎるし、予知夢にしては何とも気味が悪い。幾らお化けとか妖怪とかを信じていない私でもこれはちょっとしたホラー映画のワンシーンにでも迷い込んだかのような錯覚を受けた。「ぐッ、偶然……だよね……」気味が悪いし、背筋がゾクゾクする。言葉で幾ら否定しても拭えない親近感とデジャヴが寒気すら感じさせてくる。だけど……所詮は其処までだった。すぐさま私は今まで自分が考えていた事を否定し、テレビの電源を落として現実的な思考に自分を引き戻す。本の少し前までそんな都合のいいことは起きはしないと思っていたくせになんていう様なのか、と。そりゃあ確かに偶然にしては出来過ぎているし、怖いといえばまあ怖い。だけど所詮は寝て起きる合間に見る夢なんて不確かな物だ。それに聞いた話では正夢というのは単なるデジャヴと人が感じるだけであるというし、そもそも夢というのは人間の記憶の整理の延長線上にある行為だともいう。メルヘンとかホラーなんてありえない、こんな小学三年生の女の子でも少しだけ理知的に考えれば直ぐに分る。私はすぐさま馬鹿なことを考えたと自らを否定し、風呂場の方へと歩いていった。嫌な事は何もかも身体の汚れと一緒に洗い流してしまおうと思い直して。その日の朝も何時もと変わらない嫌がらせかと思ってしまうくらいの晴天だった。何時ものように仕度を済ませ、何時ものように鬱陶しい家族を遠ざけ、これまた何時ものようにお母さんからお金を貰った私は少しだけ早く家を出た。この日少しでも私という存在が“何時も”している行為から外れている事があるとすれば、髪がまだ少し水気を帯びている事と普段以上に寝不足気味だという事の二つくらいだろう。しかしそんな変化もなんて事は無い。前者は単にお風呂に入っていたら其処でもまた一時間程度寝てしまったから碌にドライヤーも掛けられなかったというだけの話で、後者に居たっても中途半端な睡眠をとったから必要以上に身体がだるくて重いだけだ。何とも不健康で、何とも子供らしくない。皆が私を嫌う理由が少しだけ理解できるような気がした。「ふぁ~、眠ッ……。身体ガッタガタだよ、まったくさぁ」ポケットに手を突っ込み、憎たらしくさえ思えてしまうようなお日様が照らす街道をフラフラと歩いていた私はふとそんな風にオジサン臭いことを呟いた。しかし、微塵も間違っていない所が悲しい……まだ9歳の乙女にはして私の身体は色々な意味でガタついていた。栄養バランスなんて知った事じゃないと言わんばかりの食生活を続けている所為で頬は痩せこけ、目元には薄っすらとだけど誰でも視認できるレベルのくっきりとした隈。歩けば足つきは覚束ないし、肩は良く凝るし、少し走っただけでも直ぐ息切れしてしまう。おまけに何時も何時も気だるいし、何事に対しても覇気もやる気も沸いてこない。なるほどこれでは確かにオジサン臭いと評されても文句は言えないわけだと私は自分の事ながら何だか少し呆れたような気分になった。「コンビニでユンケル買おうかなぁ……このまんまじゃあ午前中の授業乗り切れないよぉ。あぁ、でもそれだけで230円も余計な出費が……」自分の身体とお金を天秤にかけなければ満足に自己管理も出来ない自分が悲しかった。栄養ドリンクを飲めば少しはこんな体調もマシになる、それは分っている。だけどそれだけで私の昼食と同じ値段になるというのは少々いただけないものがあった。ああいった類物は総じて量が少ないくせに無意味に高い。中には安いのもあったりするけど、安物では利かない身体の私としては小額だからという理由で妥協できる物でもなかった。食事をチューブゼリーにしてしまえばそれで何とか予算を都合できない事もないが、どうせならしっかりとした物を食べたいという欲もある。しかも今日は授業で当てられる日、ずっと寝ているわけにも行かないのが悲しい現実だ。「あぁ~もう、また保健室で寝てようかなぁ。でも今日は先生非番だって言ってたから都合悪いしなぁ……」ブツブツと独り言を言いながら歩いている私の姿はさぞかしみすぼらしい物だろう。だけど、これが世の子供の現状だ……大人は問題、問題って騒ぎ立てるが今の世の中私のような人間もそう珍しい物ではないらしい。育児放棄された子供、借金に塗れた家庭に生まれて保険金目当てに殺される子供、再婚した新しい親や兄妹から虐められる子供……その他エトセトラエトセトラ。そんな珍しくも無い子供の一人、それが今の私だった。でも私はだからと言って誰かを責めようなんて事は思っていない、責める相手が多すぎる上に責めた側にもそれなりの事情があるって事を私は知っているから。曰く世間体、曰く付き合い、曰く交友関係。まあ何だって構わないけど、最大公約数の強いこの国では目立ったものからハブられていくっていうのが心理なのだ。ツレと駄弁って馬鹿やって、恋愛とかしちゃったりして部活とかで汗水足らして友情ごっこ……そういうテンプレートな“当たり前”が正義なんだ、この世の中。まったく、ままならないものだと私は思った。「まったくさ、馬鹿みたいだよね。出る杭は打たれる。才能のある人は蹴落とされる。出た芽は摘む。仲間外れにされる。正直者が馬鹿を見る。上辺面だけのイジメかっこ悪い。個人を大切にしましょう~なんて言うけどさ、そうすると今度はこっちが被害者になるんだってば。どうせ皆……何処の誰かから自分が漏れ出す事が怖いんだよ、実際」そう、昔も私は怖かった……そう言い掛けた処で私は足を止めた。少しだけ、珍しい物を見掛けたからだ。何台も何台もパトカーが連なって止まっている光景、中にはドラマなんかでよく見かける鑑識さんの車まである。よくよく私がその様子を観察していると、パトカーの前には海鳴第二児童公園という文字があった。昨夜の事件、どうやらこの場所で起こったらしい。今日は大分早く家も出たし、少しくらい寄り道しても遅刻にはならないだろう。たぶんそんな余裕も後押ししていたのではないだろうか、私はまるで吸い込まれるようにその公園の中へと足を踏み入れていった。「うわぁ……本当にドラマみたいだぁ……」とりあえず正面切って入っていくのは拙い、そう考えた私は入り口直ぐ近くの茂みのなかから公園の中をウロウロしている警察官さん達の姿を眺めていた。今はテレビで『踊る大捜査線』というドラマが放映されていて、実の所私もちょっとした隠れファンだったりする。だから実際に目の当たりにする事件の現場というのは不謹慎かもしれないが、ちょっとだけ新鮮な感じだった。チョークで書かれた被害者の形、Aやらαやら色々な文字が刻まれた黒い目印、指紋や遺留品を扱う鑑識さん……そして現場に残された大量の血痕。遠目で見ている分には残酷だともグロテスクだとも感じず、単純に私はワクワクしていた。自分が現在過ごしている退屈な生活が日常だとするなら、目の前に映るそれ等はドラマや映画なんかに出てくる非日常。なんというかその感覚が凄く幼心を擽って、柄にも無く自分は年頃の子供であるんだってことを再認識させられる。「いいなぁ。何だか金田一の事件簿とか名探偵コナンみたい。犯人はお前だッ! じっちゃんの名にかけて! なんてね……ふふッ」小声で有名な作品の台詞を言って笑う私。何時もなら一人で何馬鹿な事やってるんだろうって言うような気分になるところだけど、今日に限ってはそれ程悪い物のようには思えなかった。でもそれもやっぱり人が死んだっていう自覚がまだ私には足りないという証拠の裏返しでもある、そんな気もしてこないでもなかった。最近の子は男の子でも女の子でも小さい頃から相手に向かって平気で「死ね!」って言えるけど、現実本当に死んだらなんというかこう……面倒くさいだろう。私のせいだって感じて自己嫌悪しても遅いし、昨日其処にあったものが今日から永遠に無くなってしまうという喪失感を感じてしまう事だってある。そういうのを背負っていくのって、やっぱり面倒だろうと私は思っている。そりゃあ誰にも迷惑掛けない所で勝手に死んでくれるのなら私だってどうでもいいが、やっぱり少なからず人には良心って奴が誰にでもあるもので、其処が重たくなる。とは言え私の場合だとはっきり言って……誰か死ぬと全校集会なり葬式なりで時間が潰されて鬱陶しいだけなのだけれど。「そういえば死んじゃった子ってウチの学校の子かなぁ? 嫌だなぁ、全校集会。校長先生とか思っても無いくせに話長いんだもんなぁ……んっ? なんだろう、これ?」そう言えばと思い直した私は少しだけ憂鬱な気分を感じ―――――そしてそこである物を発見した。ふと下を向いた瞬間、草の間に引っかかっている光る物だ。なんだろう、と単純な興味でそれを拾い上げた私は其処が殺人現場でそれが被害者の遺留品なのかも知れないということすら忘れてそれに見入っていた。月長石か緑柱石のような緑掛かった水色のひし形の塊。凡そ私の手に平に収まるくらいの綺麗に輝く結晶体だった。「宝石……かなぁ? でもなんでこんな所に?」いい加減私は其処が殺人現場である事を失念してい過ぎた。普通のボリュームで声を発してしまった私は近くを通りかかった警察官に見つかってしまい、結構な大声で怒鳴られてしまった。「こんな所に入ってくるんじゃない!」それは本気で怒っている人の声だった。素直に謝罪の言葉を残してその場から逃亡する私、しかし誰も追ってはこない。子供の些細な悪戯だと思ったのだろう、それ以上私に何か話しかけようとしてくる人は誰もいなかった。ふと此処で私は自分がその結晶を持ったままでいる事に気が付いた。走りながら掌を広げてみると、そこには綺麗な形にカットされた名前も知らない鮮やかな蒼い色の宝石。持ってきちゃって悪かったかな、とも最初は思ったけどまたあそこに戻るのは少々気が引ける。結局私はその宝石をポケットの中にしまったまま、コンビニの方まで駆けることにした。「別に……このくらい、いいよね」そもそもこの宝石が殺されちゃった子の持ち物だったのかどうかすら怪しいのだ。偶々別の人が落としてしまっていたのを警察の人が見つけてないだけかもしれない。だから私は悪くない、なんとも醜い自己防衛だった。だけどやっぱり人間一度妥協するとそのまま引きずってしまう物で、私は結局そこで思考を区切って学校に向かう事にした。……が、その数秒後に私は息切れを起して止まってしまった。無茶な運動は極力避けよう、この日改めて私はそう決心を固めるのだった。都市部にある五階建ての高級アパートの一室。そこである女性が誰かに電話を掛けていた。携帯電話とも無線機とも付かない受話器を耳に当てた女性はくすんだ金髪を手で弄りながら電話の相手からの問いに淡々と受け答えをする。「えぇ、その通りです。少々負傷してしまいましたが目標は撃破しました。しかしサンプルの方が―――――」電話の相手は女性の渋るような答えに少しだけ残念そうな声を浮かべる。しかし其処に怒気は無い。むしろ、自分の予想が外れた事を喜んでいるようにすら聞こえる子供のような雰囲気が其処には含まれていた。「……いえ、サンプルとは異なりますが別の物なら。そうですか……それでは此方にいらっしゃるまでの間私が保存しておきます」それは楽しみだ、電話の相手は女性にそう言葉を返す。しかし女性としては別段どうって事の無い事だった。ただ女性は自分が望んで決めた事の延長線上で仕事をしているに過ぎない。この生活が少しでも長く続くのならば、その一心で女性は電話の相手の仕事を引き受けていたのだ。「勿論、分っています。決められた仕事はちゃんとこなしますよ。……えっ、最近のこっちでの生活ですか? そう、ですねぇ―――――」突然の問いに女性は少し悩んだ素振りをしながら手の先にある物体をクルクルと弄ぶ。其処には紐に括られたビー玉のような真紅の宝石、しかしネックレスにしてはあまりにも短く、ブレスレットにしては長すぎる。それは昨晩女性があの現場で起きた出来事に決着をつけ、手にした戦利品だった。とは言えそれは求められていた物とはまったくもって別の物、本来彼女が手にしていなければならないものではない。しかし、女性の心情としてはそんな事すらもどうでもいいと感じていた。何故なら―――――「少しだけ、目を掛けて行く末を見守ってあげたい子が出来た……そんな所ですかね」その後女性は、通話している人間と二、三言葉を交わしてそのまま窓際まで歩を進める。そして彼女はカーテンを開け放ち、こう思った。あぁ、私は中途半端のままだ、と。「目的を果たさなきゃいけないのに今のまま教師であり続けたい私がいる、か。本当……煮え切らないわね」今日は非番で仕事も無い。どうせ多かれ少なかれ昨日の事で負った傷の所為でまともに仕事なんか出来ないだろうし、あの子にも変に心配されるのが嫌だったから有給休暇を取ったのだ。女性は思う、あの子は少し道を踏み間違えてしまっているけど本当は心優しい子だと。こんな傷だらけの顔を見られれば不器用ながらにも気にしてしまうだろうと。そして、それは彼女自身が一番望まない“馴れ合い”なのだと。だから特別目を掛けて見守ってやろうと思えるのだ、一教師として。とんだ偽善なのかもしれないが……一時的とはいえこんな職業についたのも、一度でいいから彼女のような人間を救いたい、そう女性は決めていたのだ。「今日、大丈夫かしらね……」また仲間はずれにされて居場所失くしてないといいのだけれど、女性は人知れず誰からも愛されないと思い込んでいる少女を想う。しかし、それが間違いだという事を彼女は知っている。彼女は愛されないのではない、愛してほしくないと自ら壁を作っているに過ぎないのだと。それに彼女が何時か気付く時が来るだろうか……女性は微笑みながら、宝石と受話器をソファーに放り出してコーヒーを入れるためにお湯を沸かした。