厄介事って言うのは本人が望んでいようがいまいが知らない間に背負い込んでしまっているもので、それは何時だって碌な事にならないものだ。自分が正しいと思ってした事、他人が正しいと太鼓判を押してくれた事、世間が正しいと認めている事……何でもいいけれど本当にそれが心の底から信用足りえる物なのかという事を考えてみるとこれは一概にそうとも言えない。例えその時はそういう解釈がなされていたのだとしても後になってどう転ぶか、なんというようなことは誰にも分らない訳だし、底に厄介事が見え隠れしているのであれば十中八九その厄介事を背負い込んでしまう物なのだ。これは殆ど理屈ではなく、色々な人間の人生を語る上でどうしても外せないジンクスのような物である……少なくとも私こと高町なのははそう考えていた。人の数だけ歴史が在るとはよく言ったものだが、そういう人間が残した書籍を手にとって読んでみると意外なまでにこれ等には似通った物が存在する。その人間が歩んできた道、体験した苦労、挫折しそうになった悲劇、様々な人間との出会いと別れ……そしてその結果抱えてしまった“厄介な品物”をどう扱って生きたのか。これ等の物は作家や画家と言った創作性に溢れる人間から、革命家や政治家といった公の場に顔を出す人間に至るまで大体の人間が同じような道筋を辿っていると言ってもよかった。勿論その人間が体験した出来事やそのとき感じた感情なんかの例を挙げればそれこそピンから切まで幾らだって変化は存在しているのだろうけど、結局大きな目で見てしまえば一人の人間が生きた歴史の中での苦労と成功のサイクルには何かしら厄介な物が付き纏う、この事実だけは誰にしたって同じような物だった。唯違いがあるとすればその厄介を自ら抱えたか、知らずに抱えたかと言う変化だけ……それを除けば凡そ生きている人間と言うのは苦悩や葛藤の先に得た成功や勝利と言った出来事の中には何かしらの面倒ごとを抱えている、つまりはそういうことなのだ。それに関して言えばまた私自身も同じ事で、嘗て自分が正しいと思ったやった事には”迫害“や”蔑み“といった厄介ごとが付き纏っていたし、私自身もその時は自分自身がよもやこんな事態に陥るとは想定もしていなかった。だけどその時の私はそんな現実が見えない程にその現場の状況に勝利し、自分の意思を貫くと言う結果を得ていた。詰まりこれは私自身も分らない内に厄介ごとを背負い込んでいたという証拠な訳で、現実今生きている高町なのはが傍から見れば不遇な立場にいるのは結局その時に背負い込んだ厄介のツケなのだと言えるのかもしれない訳なのだ。あぁ、なんて損な性分なんだろうか……私は今更になってそんな誰でも何時かは気が付きそうな事に落胆し、今日もまた何度目になるか分らない溜息を宙に吐き捨てるのだった。(はぁ、何でなのかなぁ。運命の神様っていうのはそんなにも私が嫌いな訳なの? これはもう一種の呪いが掛かっているとしか思えないよ、まったく……)『あ、あはは……残念だったね。でも大丈夫だよ、明日は……明日はきっと良い事あるよ!』(明日、ねぇ。私ってさぁ、実際の所占いとか手相とかそういうものって信用しない性質なんだよねぇ。どうせ信じて期待したところでその日その日がどうにかなる訳でもないし、所詮ああいったモノはこんな事があるかもしれませんよっていう憶測な訳じゃない? 信用性が無いって言うかさぁ、何とも胡散臭い気がするんだよねぇ。なんたって……今日の私の運勢はテレビが言うのは最高の一日になるって話なんだけど、こうして目当てのお弁当が売り切れているのを見るとやるせなくなってきちゃう訳だよ。どうにも)『まぁ、確かにああいうのは気休めなんだろうけど……本当になのはお姉ちゃんって運が無いね。まさかなのはお姉ちゃんについて回る分の運まで”遮断“しちゃってたりして……あぁ!? 嘘だよ、嘘! 冗談だからそんな本気で落ち込まないでってば!』割と洒落にならない冗談を平気で口走ったアリシアの言葉に私は人目も気にせずその場で膝と手をついて落ち込みそうになった。まさか人気ライトノベル『とある魔術の禁書目録』の主人公である上条当麻の如く「不幸だ~!」と私自身が口走る時が来るとは思ってもみなかった。まあ確かにあの主人公は作中でも自分の能力の所為で幸運やら恩恵やらを全部打ち消してたりしていたらしいから何時も不幸なんだろうと言われていたが、それを言ったら現実にこうして『完全なる干渉の遮断』という能力を得ている私自身も彼と同じように幸運やら恩恵をジュエルシードの力で“遮断”してしまっているとしてもおかしくない訳だ。私に運が無いのはもしかしてジュエルシードの所為なのか、私はちょっと本気でそう思い始めたのだが……其処で直に思考を打ち切った。何せ私が不幸なのは今に始まった事ではないし、その大半を自分が招いているのだから先天的に不幸な星の元に生まれているという訳でも無い。結局の所こうして現在進行形で不幸に見舞われているのも私の行動が一足遅かったという事に他ならない、私はここ数年で増してきた苦労の数を思い出して現実逃避をしながら今日で何度目になるか分からないため息をもう一度宙へと吐き捨てた。何故私がこうも徒労を感じなければならないのか、それについてはアリシアと別れアルハザードから現実の世界へと戻ってきた後の事に原因があったと言えた。当然私も人間である以上空腹という物は避けられない訳で、アリシアと引き続き訓練を行うにしろご飯を食べてからの方が良いかと思いこうして何時ものように夜の街へとくり出してデパートで値段の安くなったお弁当を買いに来ようと思った……其処までは良かった。しかし、どういう訳か今日に至っても私のお目当ての幕の内弁当は棚には存在せず、更に言うならば他のお弁当にしても然程割引がされていないからどれを買っても予算がオーバーしてしまうという事態に私は陥ってしまっている訳なのだ。流石にこうなって来ると普段なら笑い飛ばしているだろうアリシアの冗談も真実な様に聞こえてくるのも無理が無いというもので、私自身としても落胆の色はどうしても隠せはしなかった。もしかして本当に何か悪い物にでも取り憑かれるのだろうか、私は少しだけ本気になってそんな事を思い始めていた。尤も、少し考えれば確かに限りなく幽霊に近い何かには取り憑かれていない訳でも無いのだと気が付く私がいるのもまた事実ではあるのだが。まあ何れにせよ、どうやら私は今日も目当ての弁当にはありつけそうもない……私は今の現状にそう決断を下してがっくりと肩を落とすのだった。(もしかして変なジンクスでもあるのかな、私? こう目当てにしていたお弁当が買えなくなるとかそんな奴……。別に致命的な訳じゃないけど、地味にこれってくるものがあるよね。ねぇ、アリシア?)『なっ、なんで其処で私に振るの!? 知らないよ! 本当に私の所為じゃないからね!』(ふ~ん、そうだねぇ……幸運まで遮断しちゃってるねぇ。これってまあ信じる要素はあっても信じられない要素の方は皆無だよね、実際。普通は逆だと思うんだけど……この場合疑うよりも信じる方が信憑性もあるからねぇ……)『うぅっ……本当に私じゃないもん』少々意地悪し過ぎただろうか、そう私が思った時には既にアリシアは「しょぼ~ん」という様な間抜けな効果音が良く似合う位に程良く落ち込んでいた。まあ私としても悪い事をしちゃったかな、という気持ちが無いではないのだがアルハザードで危うく宛も無いマラソンをさせられかけた事を考えると丁度良く釣り合いが取れているとも私は思った。ある程度精神年齢的な面でお姉さんである私を舐めていたというのが今回のアリシアの最大の失態だ、自業自得と言えばまさに其処までという事だ。尤もこのまま落ち込んでいられたところで何か得をする訳でも無ければ、現状私が置かれている立場がどうこうなる訳でも無い。徐にこのへんで許してあげようかなと思った私は一度ふっ、と小さく息を宙へと吐き捨ててアリシアへと「冗談だよ」と逆に返してあげるのだった。其処でようやくアリシアは私に弄ばれていた事に気が付いたのか「騙したな~!」と憤慨していたのだが、私は別段気には止めなかった。純粋過ぎるこの子にはこれ位の事をやんわりと教えてあげるのが丁度良い、そう思ったからだ。何せアリシア・テスタロッサという子は生きた年数こそ私の何倍も多いものの、その精神年齢は本当に5,6歳辺りで止まっていると言って良い。そもそもあのアルハザードの中で生きるだとか死ぬだとかの概念自体が存在するのかどうかということ自体が怪しい物だが、まあそれでもベースとなっている年齢があまりにも幼過ぎるというのもまた事実だ。これから長い付き合いになって行くのが目に見えている状況の中で、この子の純粋さに助けられる部分も多いだろうと私は思う……しかし、反面その純粋さ故に足を引っ張る部分も否めない。だからこそ私はある程度アリシアにこの世界の汚い部分の方を敢えて見せて、それなりの価値観を持ってもらおうと考えたのだ。あまりこういう幼い子に人間の黒い部分を見せるのは倫理上宜しくないのかもしれないが、それでもこの世界の……それもこの上辺面だけ整われた中身真っ黒の国で生きて行く上ではそうした“モノ”の耐性を付けなければ精神が持たない筈だ。やれ思想、やれ政治、やれ経済、やれ社会道徳、やれ民意性……大凡この日本という国は上辺だけは整えられているが内をじっくり観察すると臓腑の様に生臭い部分が多々存在する。そしてそんな現状を作っているのはやはり人であり、そんな人間同士が集まって造られた社会なのだ。そんな中にこんな純粋な心情を持ったアリシアをなんの耐性もつかせないまま送りだせば、後々どうなってしまうのかという事くらいは容易に想像が付く。そもそもそんな社会に見捨てられた私という人間が現に存在しているのだ、アリシアが私の二の舞を踏む可能性は殆ど確実と言ってもいい。アリシアをそんな私の様にしない為にも今後は色々と気を使って接するべきだ、私は内心でそんな事を考えながらお弁当が陳列されている棚の前から離れる為に踵を返すのだった。(さぁて、いい加減馬鹿やってないで真面目に今日の糧を探そうかな。お弁当が駄目になるとなると……やっぱり安上がりなのは御惣菜パックか、総菜パンの何れか。だけど炭水化物の事を考えると、やっぱりパンになるのかな? どう思う、アリシア?)『どうって言われても……そりゃあまあ、なのはお姉ちゃんが食べたい物を食べればいいんじゃない? 正直私は何十年って物を食べるって事をしていないから良く分かんないよ。でもあえて言うなら栄養価の高い物にすればいいんじゃない? なのはお姉ちゃんの場合、ちょっとビタミンとかそっちの方面の栄養素が不足してそうだから』(へぇ~、そんな事も分かるんだ。自分じゃ全然気付かなかったけど、こういう時に相談できる相手がいるって何か得した気分だよ)『えへへ、これでもジュエルシードを通してなのはお姉ちゃんとパスを繋げている身だからね。色々と迷惑かけちゃってるんだからこの位はお安い御用だよ』そう言って微笑みかけて来ているのであろうアリシアに対し、私は「またそういう事を言って……」と半ば呆れ気味に彼女を嗜めた。まあ元々アリシアが責任やら罪の意識やらといった言葉に深慮なのは私も良く分かっているものの、彼女がこうしたマイナスな考えを言い出したら切りが無いのもまた事実だ。物事を深く考えて自分自身を振り返って反省するっていうのは確かにすばらしい事なのかもしれないが、それの度合いが行き過ぎていると逆にネガティブな思考に陥ったり、独りでにナーバスになっていたりする事も多い。そしてアリシアはこういう傾向が人一倍強い、変に責任を感じて自己嫌悪に浸ってしまうタイプの人間な訳だ。これから彼女と付き合っていく中で取りあえず私に出来る処から矯正を促していこう、私はまるでアリシアの母親か姉にでもなったかのようにそんな事を考えながら歩を進めるのだった。尤も、人間不信気味で名実ともに社会の屑である私が何を言った処で説得力なんてありもしないというのも重々承知しているのだが。ともあれ、アリシアという厄介事を私自ら抱えてしまった以上は私もそれなりの業を背負う必要がある……詰まりはそういう結論に達するのだろうと私は思った。ただ私の場合はアリシアという拾いモノをしたおかげでこうして私は普段なら一人で決める様な事にすらも意見を求める事が出来るし、一人寂しくなった時も良い隣人がすぐ傍にいてくれる環境を得る事が出来たという風に考えられる。結局のところ私達の関係は必ずしもどちらがどちらを背負っている訳ではない、そんな風にも定義づけられると言って良い。どちらもお互いにお互いの事を背負いあって足りない処を埋め合っている、それが私とアリシアの関係なのだろうと私は最終的にそう結論付けたのだった。(とはいっても栄養素ねぇ。はっきり言って今まで全然気にしてなかったから良く分かんないや。野菜ジュースとかそういうのでいいのかな?)『野菜ジュースってあの色々と果物なり野菜なりを混ぜてミキサーに掛けた奴? 確かに栄養はありそうだけど……あんまり美味しそうとは思わないかな』(まあそれは私も同意しておくよ。でも何時までも嫌がってちゃ始らないし……試しに一本買ってみるか。比較的マイルドそうな奴なら初心者でも大丈夫でしょ、多分)『うっ、なのはお姉ちゃんチャレンジャーだね。私だったらパスだな、絶対。でもなのはお姉ちゃんが決めたんならいいんじゃないかな? ファイト、だよ!』相も変わらずの口癖を口にしたアリシアに「まあボチボチやってみるよ」と軽く相槌を打つ私。だが内心では野菜ジュースとかそういうものに余分なお金をかけたくないという気持ちがどうしても残ってしまうのだった。元々私の不健康は今に始まった事ではないし、此処何ヶ月も店屋物で済ませている現在の食生活を考えれば必然的に栄養バランスが傾くと言うのも自然な事だ。しかし現在の食生活を変えようにも私にはそれだけの貯蓄も無ければ、収入も無い訳で……正直な事を言ってしまえばあまり気にしていないというのが私の本音だった。どうせ私のような人間は長生きできないだろうし、周りの人間が口を揃えて言っているような公害や生活習慣病についても殆ど意識していない。故に今更になってこの身体に一つや二つ異常が見つかった所で私は何ら驚きはしないし、やはりそれも自業自得だと受け止められるだけの覚悟もあった。だけど……それでも私がこんな風にアリシアの意見を素直に聞き入れて悪い所を改めようと感じてしまうのは、偏に彼女に余計な心配をさせない為という気持ちが私の心の中に芽生え始めているからなのだろう。アリシア・テスタロッサという人間は私の関わる人間の中では特別親密な関係にあると言ってもいい。まだ出会って間もないと言ってしまえばそれまでだが、私が敬愛する先生を除けば消去法で一番私が時を同じくしている人間は彼女という事になるのだ。そしてそんな彼女はまだ幼い、確かに時々大人っぽい発言をしたり、私じゃ考えつきもしない様な事を導き出す事も出来るが……それでもまだまだ子供である事には変わりはないのだ。護ってあげなくてはならない、そして必要以上に心配させてはならない……私の胸に湧き上がっている感情は殆ど年長者としての義務感から来るソレに等しいと言えた。元々私自身が彼女くらいの年頃の時に色々と寂しい想いを抱えていたという事もそれに拍車を掛けているのだろう。加えて彼女の一人ぼっちという境遇が嘗ての私と何処か重なってしまい、私自身が既視感を感じてしまっているというのも大きな原因だと言えた。誰からも相手にされず、長い間一人ぼっちだったという現実がどれほど辛い物なのかを分かっているからこそ……私は彼女に共感できたのだろう。だからこそ傍にいて欲しいと思った、傍にいてあげたいと思った……私の勝手な感情に過ぎない事は私自身も重々承知しているのだが、私は心からそう思っていた。共感してもらえるからこそ、共感する事が出来る……そんな隣人の存在を私は改めて思い直しながらゆっくりとスーパーの中を歩いていくのであった。(それにしても……よくもまあメーカー側もこれだけの商品を出してくるもんだよね。こういった野菜ジュースなり、レトルトカレーなんかにしても似たような物なのに)『まあ、それだけ需要に応える必要があるって事なんじゃないかな? 例え同じ料理でも匙加減一つで微妙に味が変わっちゃう訳だし、それによっても人の好みに合う合わないってあるだろうから。なのはお姉ちゃんも拘りとか贔屓にしてるものとかってあるでしょ? だけどそれはあくまでなのはお姉ちゃんを主観としての見方であって、それが全ての人に当て嵌まるかっていうとそうじゃない。人は一人一人違う感性を持っている訳だし、そういう人達の好みをある程度妥協して、カテゴリーをもう少し広くした結果がこういう風な商品の多様化に繋がってるんだと思うよ。実際、そうっぽいしね』(ふ~ん、何となくは分るけど……そんなもんなのかなぁ? 確かにこの国は“周りの人見て右倣え”っていうような感じだから合ってるには合ってるんだろうけどね。でもなんか、釈然としないような気がするんだよなぁ。こういう料理とか清涼飲料水には色々と個性を出すのに、その反面周りの人を見れば皆同じで揃ってるって言うのが美徳みたいな感じの人がいっぱい出し……なんかそういうのを見てると矛盾しているように見えるよね。あっ、ごめん。何か変な話しちゃったかな?)『ううん、良いよ別に。ちょっと難しい話だけど分らないではなかったから。ごちゃごちゃと似たような物があるのなら統一しちゃえば楽なのにっていうのはある種合理的な考えの最頂点だからね。でも、それで本当に良いのかって言われたら……私は嫌だな。確かに同じような物ではあったとしても、まったく同じって言う訳じゃないでしょ? だとしたらそんな“同じような物”の中には個性って言う物はちゃんと存在するんだよ、きっと。だから全部が全部同じように統一されちゃうって言うのはあんまりいい事じゃないように私は思うな。正直、私もこんな事を考えるの初めてだからあんまり偉そうな事は言えないんだけどね』様々な清涼飲料や炭酸飲料が陳列する棚の前に立ち、一本100円前後の野菜ジュースを幾つか手に取りながら見比べていた私は不意に浮かんだ考えについてアリシアと議論を続けていた。しかし、意外にもアリシアにはアリシアなりの考えがあったようで私も強い意志をもって言葉を返してきた彼女に「やっぱり難しい事は考える物じゃないね」と相槌を打ってこの話し合いに終止符を打ったのだった。同じような物とまったく同じ物の違い、正直彼女の考えに私は驚かされてばかりだった。確かに同じような物同士を見比べた場合其処にはあまり大きな物ではないが”違い”と言う物が生まれる、しかし反対にまったく同じ物同士を見比べた場合は特に何の感慨も抱く事は無い。何故ならまったく同じ物同士なら味や質感などと言って直接的なものだけでなく、成分や構成物質の量に至るまで何もかもが同じであるからだ。そんな物に違いが生まれる訳は無いし、そもそもそういった物は違いを生まないように生産されているのだから違いが無くて当然と言っても過言ではないのだ。つまりこれはそもそも比べる比べないの問題ではなく、その微細な違いに焦点を向けると言う事が重要なのだということに繋がると言う事なのだろう。その考えは確かに正しいと思うし、似ていても“同じ”で無い以上はそこに個性が生まれるというのも納得できる話だ。だけど私はやっぱり、素直にその考えに「そうなのかもしれないね」と肯定する事はできなかった。これはやはり私自身が体験してきたこの国においての”個性”に対する反応が大きく関係しているのだと言う事が出来た。凡そ私が生まれ育って日本という国は周りの人間に自己を同調する事で集団としてのアイデンティティを形成し、出来上がった物だ。出る杭は打たれ、目立って咲いた花は摘まれ、同調できない色は塗り潰される……詰まりこの国の多くの人間は例えその才覚の種を有していたとしても周りの人間の次第によって足を引かれてしまう。何故ならこの国にすむ誰もが皆その中央にある横並びの平均を至上だと考えるからだ。名を世に売れば様々なトラブルに巻き込まれ、逆に横並びの人間からの非難を浴びてしまう事も多々あるし……逆に引きすぎれば引きすぎたで“劣等”という烙印を押され最底辺のレベルまで蹴落とされる。そういうお国柄だからこそ誰もが平坦とか平均とか言う当たり障りの無い無害なラインに身を置き、飛ぶ事が出来ないならせめてとばかりに共に上を見上げ、そして愚痴を共有する。そして悪いのは誰か、問題は何か、そんな事を延々ともっともらしく語り合う訳だ。当然そんな状況だからその手の責任転嫁、つるし上げなんていうのは当たり前であり……誰しも自分に飛ぶ為の“翼”がないのが悪いと言う。私からしてみればもう適当に全部悪いというべきか、あるいはそういう物なのだと達観するしかないように思えるのだが……いずれにせよ、事の元凶が何なのか分った所で其処に意味など何も無いのだろう。この身に受けた傷と仕打ち、そして周りの人間の下卑た笑いとそれに同調する人間の姿勢を見れば嫌でも思い知らされる……故に私は個性と言うものが在るというのはあまり良い様には思っていなかった。でも、こうしてアリシアと話していると何だか私の方が間違った感性をもっているような気がして……正直私自身もこの話についてはどちらが良いのかというのを自分の中で決める事が出来ないでいた。個性を持って生まれてしまい、結果集団からはみ出した物が悪いのか。それともそんな個性のある者を羨み嫉んで、異端だとレッテルをはって蔑む人間が悪いのか。そしてもしくは、そんな両者共に間違っているのであって……また正しいと言うべきなのか。私は手に持った籠の中に、適当に口当たりが良さそうだと思った缶の野菜ジュースを放り込みながら自分の中で渦巻いている感情に何とも言えないもやもやとした勘定を抱えるのであった。(……まあ何にしても、こうした矛盾も含めて一つの形って事か。ありがとうアリシア、良い参考になったよ)『そう? なのはお姉ちゃんがそれで納得するなら私はそれでいいけど……ってうわ!? この野菜ジュース果物よりも野菜の方が多くない? 何だか不味そう……』(良薬口に苦しっていうからね。あんまり美味しくない方が身体に利いたりする物なんだよ。まぁ、尤も……正直これが一番アリシアの言ってた栄養素を含んでるからって事で決めた訳なんだけど。やっぱり一本は他の奴にしておこうかなぁ?)『それをお勧めするよ。下手な物をいっぺんに買って、後で後悔しても遅いからね。こういうのはよく吟味して、なるべく外れの無さそうなのを買った方がいいんだよ。なのはお姉ちゃんの場合だと、お金の無駄使いもそんなに出来ないだろうからね』もっともだと言えるアリシアの正論に私は「じゃあ、そうしてみるよ」と考えを改め籠の中の一本を棚に戻し、比較的メジャーな野菜ジュースの缶を別の棚から一本取って籠の中へと放り込み、その場を後にするのだった。そしてその後も私は惣菜パンを見たり、手軽に摘めそうな惣菜パックを探したりして買い物を続行した。勿論その間にも私はアリシアと様々な言葉を交わし、何処がどう良さそうだとか、何がどういう風に美味しそうだとかそんな他愛の無い話に華を咲かせていた。しかしその際、私はあまり重苦しい話を蒸返さないように一字一句気をつけながらアリシアと言葉を交わしていた。これは彼女に気を使ったのが半分、そして私自身がこの話をもう蒸返したくないと言う気持ちが半分……いや、もしかしたら後者の方がその割合の大半を占めていると言っても過言ではなかった。個性を持つ、それが果たして正しいのか否なのか……そんな途方も無い水掛け論に半ばうんざりしていたと言っていいのかもしれない。私は考える事に疲れていた、だから彼女と言葉を交わす際もなるべくこの手の話題を避けることにしていたのだった。臆病と言われれば確かにそうなのかもしれない、だけど精神的な疲れって言うのは肉体的な疲れに比べて我慢するのも癒すのも容易な事ではない。当然そんな状況下の中で人一倍精神面に脆い私が耐えることなど出来る筈もなく、私はこの日もまた結論を出すべき所で逃げてしまったのだ。あぁ、本当に根性無いな私って……私は内心でそんな風に自分自身を自嘲しながら夕食の買い物を着々と進めていくのだった。その後、私は野菜ジュースに加えて値引きシールの貼られた鳥の唐揚げの惣菜パックと焼き蕎麦パンを一つずつ購入し、帰路に付く為に再び夜の街へと繰り出していた。暗い路地を抜け、人ごみ溢れる商店街の街道を歩き、そしてまた人気の無い道路を歩いて歩いて歩き続ける。そんな何時もだったらどうとも思わないような事を私はこの日も変わらず繰り返していたのだった。夜の街は相変わらず騒がしい、私は道行く人や通り過ぎる町並みを見ながら改めてそう思った。何がこの人たちを此処まで引き立たせているのだろう、私は何時も何時もそう思って止まず……そしてこの日も同じような疑問を抱えながら家へと続く道を歩いていた。本当にいつもと変わらない事、そしてそんないつもと変わらない事を延々と繰り返している私。本当に何の変化も無い、普段均そう思っていたのであろうが……この日はちょっとばかり事情が違っていた。その大部分の原因はアリシアにあった、と言うか彼女以外が原因となりえる要素を持たないのだから大方彼女の所為だといっても過言ではない。私はそんな彼女の様子に半ばうんざりといった感じを隠せないまま、先生のマンションの近くにある通りの道を只管がっくりと肩を落としながら歩いていくのであった。『ん~っ、なんか楽しかったね! 色々な物がいっぱいあって、ピカピカ光っててさ。久しぶりに見たよこんな街並み。また来ようね、なのはお姉ちゃん!』「あ~うん、そんなにはしゃがなくても多分私とつるんでれば毎日来れると思うよ。というかほぼ間違い無くね。それにしても……今日は一段とテンション高いね、アリシア。そんなに珍しかった、あんなのが?」『うん! 私って殆どお母さんにくっ付いてばっかりだったから夜の街って出た事が無かったんだ。本当はちょっぴり、夜に出歩くのが怖かったっていうのもあるんだけどね。だけど夜だっていうのに昼間みたいに明るかったからびっくりしちゃったよ。これなら安心して夜も街に出歩けるね!』「まあ普通は出歩かない方がいいんだろうけどね……。でもまあ、アリシアが喜んでくれてるようなら良かったよ。正直私は内心複雑だけどさ……」そんな私の返答に愛らしく「なんで?」と聞き返してくるアリシア、そしてそんな彼女に「アリシアにはまだ分らなくてもいい事だよ」とだけ返答する私。如何にも歯切れの悪い、そしてお互いの認識の相違に何時も以上に苦労と疲れを感じてしまう私がそこにはいたのだった。確かにまあアリシアの言っている事も分らなくは無い、彼女は永らくの間アルハザードという閉鎖的な空間に独りぼっちでいた訳なのだし、そうでなくても精神的にはまだ五歳前後の子供であるのだから目新しい物に興味を持つのは自然な事だ。しかし、結果としてそんな彼女の好奇心から来る高揚が同時に私のテンションを引き下げている事は否めなかった。元々私という人間はそれ程高揚することも無ければ激情する事もなく、ただただ平坦に物事を見据えて自分なりの分析を行いながら日々を生きている人間だ……なんて言えば少しはカッコいいのかもしれないが、要するに感情の上がり下がりが極端に他の人間よりも少ないという事だ。というよりは寧ろマイナス、何でもかんでもネガティブに物事を捉えてしまう癖が在ると言ってもいいのかもしれない。そんな私だからこそ、アリシアの無垢で純粋な感情から来るテンションの高さは妙に鼻についた。子供だから仕方が無いと割り切ってはいるのだが、それでも心の何処かで「何でこんなにテンション高いの?」という気持ちを抱いてしまっている。自分でも何とかしたいとは思っているのだが、重度の人間不信者である私は他人が突然自分の近くで笑い出しただけで自分が笑われているのではと勘潜ってしまうほど他人に対して臆病になってしまっている。こんな気持ちや感情の上がり下がりを人に合わせるって言うのはやっぱり私には困難な事なのかもしれない、私は不意にそんな事を思い浮かべながらアリシアとの会話を続け、手に持つビニール袋を揺らしながらゆっくりと夜の道を歩いていくのだった。『ん~っ、なのはお姉ちゃんの言う事は一々何かを揶揄してるっぽくて難しいや。そういえばなのはお姉ちゃんって何時もそんな感じなの?』「何時もって?」『何時もは何時もだよ、誰かと話す時。なのはお姉ちゃんが大体どんな風な人なのかっていうのは色々見てきて分ってるけど、それでもあの“先生”って言う人みたいな人なら普通にお話しするわけでしょ? それなのにそんな難しい事ばっかり言ってて疲れない? 少なくとも私なら一時間も持ちそうに無いけど』「……あぁ、そういう事ね。まあ前者にしろ後者にしろ答えはイエス、かな。大体私が本気で人と接しようとするなら面倒くさいけど一々言葉を選んで何かを連想させる事を相手に伝えようとするし、それが疲れるかって言えばまあ疲れるよ。だけどまあ、私の場合は日常生活自体が疲れてばっかりだからさ……それ程苦労を苦労とも感じないんだよ。それにこういう話し方をしているからこそ得られる物っていうのも色々とあるしね。とはいえ、かったるい事には変わりは無いんだけどさ」アリシアの素朴な疑問に対し、私はそう言って質問の返答を返し終えた。自分でも自分の言って事をそれ程よく理解していた訳ではないが、当たり障りが無いように言葉を選んだ結果にしては上等だと私は思った。彼女へと言った事に嘘偽りは一切言っていない、しかし誤魔化す所は上手く誤魔化している……現にアリシアも「やっぱり何か難しいや……」と早速上がったテンションを程よく引き下げてくれていた。此処で私は少しだけ自分のいったことについて振り返ってみる事にした、尤もその行為自体に何か意味があった訳ではないが。少しだけ引っ掛かりを覚えた、まあ理由付けをするのならその程度が関の山といった程度のくだらない感傷から来る思い返しだったと言ってもいいだろう。何故自分自身がこんな偏屈な物言いをするようになったのか、そして何故かったるいと分っているのに懲りずに続けているのか……少しだけ私も興味が合ったのだ。しかし、その答えは少しだけ考えれば直ぐに浮かんだ。何せその原因を作ったのもこの話の核である人物ならば、私にこういう話し方を教えたのもその人物であり、やはり私が一番会話を共にするのがその人物……“先生”であるからなのだ。私は自分がこんな風な境遇に落とされてから永らくの間、誰ともまともに口を聞かない状態……所謂完全な人間不信に陥っていた。両親、家族、元友人……今まで親しかった人間が皆が私の事を影では嘲笑っているのではと言う感情がどうしても先行してしまい、誰にも相談できず私は永らくの間独りぼっちでいる事を受け入れざるを得なかったのだ。当然その間に私は散々泣いて枕を濡らした物だし、影では分って欲しいと一つ一つの言葉の中にそれなりの感情を込めて言葉を掛けてくる人間に対応したりした物だ。だけど結局何も変わらなかった、それどころか家族や両親はそんな私の態度を”変わってしまった“とだけ言って理解しようともしてくれなかった。そんな状態に自分がいる事を理解した時、私は大層絶望した物だ……そしてそれ以上の落胆と理不尽を抱え込んでしまっていた。そして私は最終的にこう思った、どうせ私なんてこの程度の存在でしかないんだって。それから私は永らく心を閉ざした、殴られても蹴られてもそれを「どうして?」と疑問視する事も「止めて!」と拒否する事も無く、「どうせ……」と自分自身の境遇に妥協してその全てをただただ淡々と受け入れるばかりだった。エスカレートする仕打ち、徐々に擁護してくれなくなる大人、そして信じていた者たちからの裏切り……そのどれもこれもが辛すぎて私はただただ涙を流して耐え続ける事しか出来なかった。でも、そんな日々にも限界はあった……元々それ程強くも無い私の心はそんな仕打ちに長く耐え続けられるようには出来ていなかったのだ。繰り返される罵倒と暴力、執拗なほどに追い詰めてくるクラスメイト、そしてそんな彼らの様子を見ているにも拘らず無視し続ける教師達……そんな地獄のような場所で私の精神がそれ程長く持たなかったというのは最早言うまでも無いことだった。その時の私の心情としては”疲れていた”というのが正しいのだろう、いや”疲れ果てていた”といった方が適切なのかもしれない。辛くてなく日もあった、受けた傷や痣で眠れず倒れそうになった日もあった、何故私がこんな理不尽を受け続けなければいけないのかと憤りを感じた日もあった……だけど最終的にそんな感情が残したのはこの身に刻んだ肉体的な疲労と精神的な消耗だけだった。故に私はどうしようもなく疲れていた、それこそ生きているのが辛いのならいっそ死んでしまえばいいのではないかと思ってしまうくらいに。大体そんな頃だ、彼女に―――――先生に出会ったのは、私はそんな風に思い返しながら少しだけ歩く速度を落として夜空を見上げてみる事にした。「……そういえば、こんな風な夜の事だっけか。あれは」『えっ? どうしたの?』「あ~……んにゃ、なんでもないよ。ちょっとだけ昔のことを思い出してセンチメンタル感じちゃった、それだけの事だよ」『ふ~ん、何だか深そうな御話しだねぇ。なのはお姉ちゃんって本当に私と4歳しか離れてないのかって思うくらい色々と抱え込んでるし……ちょっとだけ興味あるかも、なのはお姉ちゃんの昔の話って』野次馬根性というかなんというか、さぞや淡い期待を胸に抱いてますよと言わんばかりのアリシアの態度に私は「どうせ聞いたってつまんないだろうから止めとくよ」と言って釘を刺し、再び前を向いて歩を進める事を再開した。そんな私の言葉にアリシアは「え~っ!」と非難全開といった様子で抗議の声をあげていたが、こればっかりはと私もそこで言葉を区切り彼女に対して何の返答も返しはしなかった。幾ら親しい隣人がいても触れて欲しくない過去の一つや二つ私も持ち合わせている、そういうものには易々と触れて欲しくは無い……つまりはそういう事だ。確かに私とアリシアの縁は深い、そしてこれからも深くなり続けるだろう事は恐らく間違いないに違いないと私も思っている。だが、それでも私という人間が……高町なのはという人間が持ち合わせている過去は総じて私だけのものだ、誰の物でもない。そしてその持ち合わせを私が彼女に晒すかどうかは結局の所私の匙加減次第なのだ、持ったら持っただけ全部相手に曝け出さなきゃいけないなんていうことも無いだろう。それに先生と私の過去については私だけの記憶として胸に留めておきたい、少なくとも私か先生がそれを周囲に公言するのを良しとしない限りは……そういう感情が私の中で働いたのもそれに拍車を掛けていたと言えた。あれは……もう何ヶ月も前になる、詳しい記憶は私もあまり鮮明ではなかったし、恐らく先生自身もそれ程深くあの出来事を覚えていたわけじゃないだろうから詳しい日数だとか何時ごろだったとかそんな事は覚えてすらいない。分っている事とすればその日は今日の様に星空が綺麗な日であり、出会った場所が学校の裏庭という偏屈な場所で、お互いがお互いの事情を抱え夜遅くまで学校に残っていたという事くらいな物だろう。出合ったきっかけは本当に些細な物だった、その日私は教科書やノートをクラスメイトに隠されて必死になって探して夜遅くまで学校に残っていた……そしてそれがようやく見つかったと思ったらそれは既に焼却炉の中で灰になっていた。当時の私としてはその出来事は相当ショックな物であり、探し回っていた疲労も合ってか私はしばしの間その場所から動く事が出来なかった。そして私はこの日も性懲りも無く泣いた、その場に蹲り、自分ばっかりが何故こんな目に合わなきゃいけないのかと強い憤りを感じながら……ただただ嗚咽を押し殺しながら一人で静かに泣いていた。普段ならこのまま泣き続けるだけで終わっていただろう、だけどその日は少しだけ事情が違っていた……そんな私を照らす光を人影が遮ったのだ。もしかしたら見回りの警備員さんかな、なんて私は危機感を抱いた物だ……だけどもう通報されようが何をしようが私にはもうそれに抗うだけの体力も覇気も残されてはいなかったからだ。散々色々な所を探し回った御蔭で制服は汚れ、指先は擦り傷や切り傷でジンジン痛み、精神と肉体の両方を疲労しきった身体は……もう殆ど私のいう事を聞いてはくれなかった。私の苦労って何だったんだろう、私はそんな風な事を考えながらその人影の方を見上げた……もうどうなったって構いはしないと開き直っていたのだ。だけど其処にいたのは見回りのごつい警備員さんでもなければ、口煩いだけの頭を禿散らかした教頭先生でもなく……煙草を口に咥えた若い女の人だった。その人は大人の女性らしいタートルネックのシャツにタイトスカート、そしてそんな服装の上から白衣を着込むというちょっとだけ珍妙な格好をしていたのを私は今でも覚えている。そしてその女の人は私の様子に戸惑う訳でもなければ、他の先生のように軽蔑した眼差しを送るでもなく……唯一言私にこういってきたのだ。「星が綺麗ね」って、言葉にすればなんて事の無い本当にどうでもいいような台詞を。だけどその時私が見上げた空は確かに綺麗な星空が広がっていて、あの時掛けられた言葉のままに空を見上げた私は単純に「綺麗……」というような感想を漏らしたりした物だ。そして私とその女の人はしばらくの間黙って星空を見上げ続けていた、何を考えるでもなく、星座がどうだとか丸まるの星の名前は何だとかそんな小難しい理屈を全部かなぐり捨てて……ただただ輝く星を見上げ続けていた。そんな中でその女の人は私に声を掛けてきた、その言葉は当時の私にはよく分らなくて、一体女の人が何を言いたかったのかよく理解する事が出来なかった。だけど女の人はそんな私に「知りたかったら、何時でも待ってる」とだけ言い残し、煙草を吹かせながらまた私の元を去っていったのだ。私はそんな女の人の後姿を見届けながら、結局彼女は何が言いたかったのだろうと必死に考えた物だ……しかし答えは見つからなかった。どれだけ考えても、どれだけ悩んでも、どれだけ自問自答を繰り返してもやっぱりその答えは自分の内からは出てくる事は無い。だからこそ、知りたくなった……私の知らないその答えを知っているその先生に教えを請いたくなったのだ。そう思い当たった時にはもう私は自分の身に起きた理不尽すらも忘れていた、何というか……安っぽい感傷だったんだなって自分でも思う。その後、私はその先生が小等部の養護教諭であることを知った……そして私達は再会し、今の現状に至る。それが私と先生の出会いであり、出来れば誰にも教えたくは無い自分自身の大切な思い出の一つなのだ。こればっかりはアリシアにもそう簡単に教えられない、私はあの時先生が始めて私に投げ掛けてきた小難しい言葉を口ずさみながら歩を早めるのだった。「……天の星になることが叶わないのなら地の星となって輝けばいい、か」『えっ、なに? どうしたの?』「なんにも、ただちょっとアリシアに私からヒントを一つと思ってね。私の過去なんか知らない方が身のためだし、どうせ碌な物じゃない。だから私は話さないし、話そうとも思わない。だけどさ、それだけじゃあつまらないでしょ? 人は想像して、悩んでこそ聡明足りえるのだろうからね。だから話はしないけど、私の過去に繋がるキーワードを一つアリシアへとあげようって訳。詳しい事はまた考えるといいよ、とはいってもアルハザードの力を使ってずるしちゃ駄目だよ。この手の物に明確な答えは必要ない、そういうものなんだからさ……」『ふ~ん、そういうものなんだ……。想像する、か。今まで考えた事も無かったよ。だけど地の星ってどういうこと? お星様はお空にあるからお星様なんでしょ?』本当に子供のような反応で私に聞き返してくるアリシアに私は「それが考えるって事だよ」とだけ言い、自嘲気味な笑みを浮かべながら嘗て先生から掛けられた言葉を思い出していた。初めて先生とあの保健室で相対し、先生が語った事は今でも鮮明に覚えている。この世の中は何時如何なる時も行動の選択によって転換する、座り込み今の状況に甘んじているだけでは如何にもならない。穢れなさい、貴女が真に答えを欲しているのであれば……真っ白なまま綺麗であり続ける事などありえないのだから。そうすれば天に輝く星にはなれなくても、この清い世界の中に黒の一点を残す地星になれるはず。そしてもしもその穢れが酷く、輝く星のようになることが叶わなくなったのなら……その穢れを輝きとしてその身に纏えばいい。人が汚れると言うのは決して恥ずべき事ではないのだから、それが先生の言った言葉の全てだった。私は今になってもこの言葉の真の意味合いがよく理解出来ていない、とはいっても先生曰くこの言葉はとあるゲームで敵の悪役が女幹部に言っていた言葉であるとのことなので恐らくは先生自身もあまり深く考えずにこの言葉を私に掛けてきたのだろうから、もしかしたらこの言葉にはそれ程深い意味合いなど最初から込められていないのかも知れない。しかし、それでも尚私がその言葉をずっと胸に抱き続けているのは……心の何処かでその言葉に私自身がデジャブを感じてしまっているからなのだろう。私自身、もう二度と表の人間のように綺麗に笑い、そして華やかな人生を遅れるとは思ってはいない。もう戻れない所まで落ちてきてしまった、それを私自身が一番よく理解しているからこその自覚だった。だけどもしも先生の言葉が何かの意味を成すのであれば、私は黒く穢れた地の星として何か事を成せるのではないのだろうか……そんな風に考えてしまう訳だ。その成せることというのが何なのかはまだ分らないけれど、汚れ、穢れ、黒く染まったからこそ伝えられる何かがある筈なのだ。少なくとも私はそう考えている、そう考えているからこそ……私は今の今になってもその言葉の真の意味を捜し続けている。とはいえ、今の今まで生きてきてもその答えが見つかる気配すらない。やはり私には才能が無いのだろうか、私はそんな風な事を頭の中で考えながらふと立ち止まり、自分が今居る場所の周りを少しだけ見回してみる事にしたのだった。「ここは、確か……」『んっ? どうかしたの、なのはお姉ちゃん』「踏み切り、か。何だか嫌な事を思い出しちゃったよ、今度は別の意味でね」『え~何々、また隠し事? 何だかなのはお姉ちゃんって隠し事が多くない?』ちょっと仲間外れにされて不満げだと言わんばかりのアリシアの言葉に私は「ごめんね……」と素直に謝りながらその風景を自分の記憶にある一場面と結び付けていた。其処はほんの数日前、私があの金髪の女の子が飛び込み自殺をしそうになっていたのを止めた踏切へと続く一本道だった。あの時とは違い今は雨も降ってはいないし、電車が来ることを告げる甲高い警告音もなっていないが……私はその光景が妙に印象に残ったいたのだ。いや、寧ろ印象に残っていたのはこの風景と言うよりは此処で自殺をしようとしていた金髪の女のこの方というべきだろうか。雨に濡れた身体を引きずって、ボロボロになったい黒い衣服を身に纏い、明らかに人為的だと思われる酷い怪我を晒しながら一直線に踏み切りへと飛び込もうとしたあの女の子。名前も知らない、何処に住んでいるのかも知らない、そもそも何の縁すらない外国人の女の子……その筈なのに私には如何にもあの子の顔が記憶に焼き付いて頭から離れなかった。第一私自身なんであの女の子を助けようと思ったのかと言う事すらも分っていない、自分自身でも見捨てるこそしても他人を率先して助けるなんていう正義の味方染みた感情を持ち合わせていない事が分っているから普通に考えれば私は彼女を見捨てていただろうということもなんとなく分っている事だった。なのに私は助けてしまった、そしてそればかりか私はそのこの事を今になっても忘れられないでいる。本当に私には関係の無いどうでもいい事な筈なのに、私はそんな風に思いながらゆっくりと踏み切りの傍まで近寄っていき、その子の表情や格好を頭に思い浮かべながらそのあたりの地形を少しだけ詳しく観察し始めたのだった。『ねぇ、なのはお姉ちゃん。こんな所にいても何にもならないよ~。道草食ってないで速く帰ろうよ~』「ごめん、少しだけ待ってくれるかな? ちょっと……気になることがあってさ」『ぶ~! 私の事は気にしてくれないの~?』「あはは、ごめんごめん。後、もうちょっとだけ……あっ」完全に不貞腐れてますよっていうような感じのアリシアに対し、再度謝罪を述べた私は徐に観察を続け……そして視界の中にキラッと輝く物を見つけたのだった。なんだろう、と私が興味半分で踏み切りの前から離れ、その光った物の方へと歩を進めていくと……其処には四方数十メートルと言った具合に周りから切り出された空き地があった。恐らくは住宅か何かを建てようとしたのだけれど大人の事情って奴で計画が中止され、土地だけが残されてしまったのが原因で出来てしまった物なのだろう。しかも何年も手入れをしていないからなのか、草木は茫々で投げ捨てられたゴミや缶もそのままといった具合に放置されていた。現代日本における一世代前の負の遺産、私はテレビのコメンテーターが言っていたそんな台詞を思い出しながらゆっくりとその中へと足を踏み入れていった。キラッと光った物はやはりその奥に存在していた、もしかしたら単なる空き瓶か何かの破片が発光しているのかもしれないとも私は思ったのだが……ジュエルシードを拾った時の事も考えると無視できないと言うのが正直な本音だった。まあアリシアは「あんまり奥にいくとばっちいかもしれないよ~」などと幼い子供に注意する母親のような事を言っていたが、元々薄汚れているのは承知の上だと分っている私はやっぱり臆することなく奥へ奥へと歩を進めていった。草木を掻き分け、足でゴミを払い、時々転びそうになりながらも足を動かし続ける。すると、私は大体その空き地の中央部に位置する辺りでその草木の中にぽっかりと穴が開いたような風に草木が切り取られている場所を発見し、徐に其処で足を止めた。そして私が見たものは、二つの物体……一つはまるで石碑のように組み合わさっている石のオブジェ、そしてもう一つはそんなオブジェに捧げられるように置かれている罅の入った金色の三角形の金属片だった。一体これは何なのだろう、そう思った私はそのオブジェに近付いていきそれをよくよく観察してみる。其処には外国語か何かの複雑な文字が刻まれていた、私からすれば寧ろ模様か何かだったと言っても過言ではないようなそんな複雑な物だ。ますます訳が分らない、私はそんな風に思いながらアリシアへと「これが何か分る?」と言う風に訪ねてみる事にした。答えが分らないのなら聞けばいい、唐突に私はどんな辞書よりも便利な隣人の存在に気が付いたのだ。こういうときに役立って貰わないと、私はそんな風に楽観した様子で物事を捉えていたのだが……当のアリシアは先ほどの様子がまるで嘘だったと言わんばかりに暗い空気を漂わせながら口篭ってしまったいた。そして彼女の雰囲気が変わった途端、私自身もまた彼女の様子を察してそのオブジェに対する視線を改めた。何だかこれは簡単に私が聞いてしまってはいけないものなのではないか、そんな雰囲気なのではないかと悟ったからだ。しかし、アリシアは口を開いた……まるで何処か何か許しを請うような雰囲気を漂わせながら。『アルフの……墓……』「えっ?」『これはね、なのはお姉ちゃん。お墓なんだよ、小さいけれど。何処にも埋葬する場所が無くて、仕方が無いから此処に埋めるしかなかった……私にはそんな過去が見えたよ。ごめん、これに関してはあんまり私も喋りたくないな。あんまり、こういう事を話すのは良くない事だろうから……』「……そっか。でも、まさか人……じゃないよね?」もしも人だったら死体遺棄という大事になる、私は不謹慎だと思いながらも念のためアリシアのその是非を確認して貰う事にした。するとアリシアは重苦しいような気配を漂わせながら「犬だよ、多分ね」と投げ遣りな言葉を最後にそのまま押し黙ってしまった。それを聞いた私はそれなら少しは安心できるとばかりに安堵の溜息を漏らした、だけどその反面内心では命の重さに種族も何も無いという私らしくも無い感傷に浸っていた。元々私自身それ程命の重さがどうだとか、命は皆平等だとかそんな風な事をいうような人間ではない。寧ろ何処で誰がどんな風に死んでしまおうが私には関係が無い、そんな風に平気で割り切ってしまえる程の非常な人間なのだ。だけどいざこういう風に実物を目にしてみると何だか心が重苦しくなって、ちょっとだけ私は嫌な気分に浸ってしまっていた。やはり私という人間は如何にも中途半端だ、そんな風な気持ちを胸に抱きながら。しかし、此処で私はそのお墓に備えるように置いてあったもう一つの金色の金属片の方も気に掛かった。これがお墓なのは分ったとして、この金属片は一体何なのだろうか……そんな風に思ったのだ。私はそっとその場にしゃがみ込み、そのお墓の上に置いてあった金属片を摘み上げるとそれを手にとって色々と観察をし始めた。もしかしたらこの死んだ犬のご主人様が手向け代わりに置いていった首輪の装飾具か何かとも思ったのだが、如何にも私にはその手の物には見受けられなかったのだ。すると、其処でアリシアが「お姉ちゃん、それは!」と声を張り上げてきた。そんなアリシアの様子に驚いた私は「な、なに!?」と若干テンパり気味な挙動でそれに答えてしまう……何というか余裕が無いなって心の中で思ってしまった。だけどアリシアはそんな私の反応を他所に、私の手の上にあるこの金属片に興味津々といった具合だった。一体何がどうしたと言うのか、私がアリシアへとそう問いかけると彼女はゆっくりと……しかも今度はちょっと真面目そうな声色で私にその金属が何なのかという事を説明しだしたのだった。『それはデバイスだよ!』「はっ、デバイス? 何それ?」『簡単に言うとなのはお姉ちゃんでも簡単に魔法が使える機械の事だよ。ほら、前に話したでしょ? なのはお姉ちゃんのような素人さんが直ぐに魔法を使うにはそれなりの専用器具が必要になるって。それがこのデバイスなんだよ』「えっ、これが!? でも一体なんで……それに何だか壊れてるみたいだし……」口ではそんな事を言いながらも内心では「あちゃ~、まさか本当にエンカウントするとは」と何処までもゲーム脳一直線な事を考えてしまう私。しかしアリシアの言う事が冗談でないのだとしたらこれは本当に彼女の言う魔法を使う為の装置なのだろうし、質感や重さから見ても何となく普通の物ではないと言う事は素人の私でも何となく想像が付いた。金属のようなのにやけに軽く、それでいて何処かこの世界の物ではないような光沢を持ったそれは確かに魔法の世界の物だと言ったら信じ込めてしまうほど見事な造りをしていたと言えた。ただ、此処で私は二つの点に着目してこの”デバイス”とか言う物について考える事にした。一つは何故地球のこんな場所にアリシアの世界の物が存在したかと言う事。そしてもう一つはこのデバイスとかいうもの事態に大きな亀裂が入っており、もしかして使えないのではないかという事だ。此処にある偶然を必然と捉えるよりも何事もまずは疑って掛かれ、きっと先生の教えの賜物だったのだろう。私はアリシアに対し、そんな二つの疑問を投げ掛け、そして返答を待った。アリシアは最初どちらの問いに関しても言い出し辛いといった感じだったのだが、やがて観念したようにゆっくりとまた言葉を紡ぎ始めた。結果一つ目の問いに関しては恐らく重度の損傷を受けたため廃棄したのだろう、二つ目の問いに関してはメインAIが完全に死んでるから元のようには戻らないけど修復して使えるようにするだけなら何の問題も無いという答えが彼女からは返ってきた。更にアリシアはそれに加えて「出来たらこのデバイスは持ち帰った方がいい」と言う彼女らしくも無い妙なお墨付きまで出る始末だ。普段の彼女なら「盗み駄目! 絶対駄目!」と憤慨する筈なのだが、どうにも彼女の様子はどこか落ち込んでいると言うか……そしてそれでいて強い使命感を持っているように私には見受けられたのだ。まるでそうしなければいけないとでも言わんばかりに、私は彼女に言われるがままにその壊れたデバイスをポケットの中へと放り込みその場にスッと立ち上がった。『よかったね、なのはお姉ちゃん。これでなのはお姉ちゃんにも魔法が使えるようになるよ』「うん……それはいいんだけど、本当にいいのかな? これってもしかして……」『大丈夫、その子もきっと使って貰った方が本望だろうしさ。ほら、さっさと帰ろう。そのデバイスの修理もアルハザードの方でやっちゃいたいし、そろそろ冷えてきたからね。……なのはお姉ちゃんが気負う事なんて、何も無いんだよ』「そう、かなぁ……。まあ、アリシアがそう言うなら……」私はなし崩し的にアリシアに言われるがまま、一度そのお墓に向かって手を合わせながら「ごめんなさい」とだけ言い残し、その場を後にすることにした。何はともあれこれでまた一つ目的のために前進はした、今日は色々と成果が得られた日だと喜びたい気分だった。だけど私はそれと同時になんでこうも事が上手く運ぶんだとちょっとだけ頭を捻りたくなった。魔法を使いたいと思ったその日に魔法を使う為のアイテムが手に入る、確かに言うだけならば幸運な事だろうが果たしてこんな偶然がありえるのだろうか。そして何よりもアリシアの態度、あのお墓を見た途端に雰囲気を変えた彼女の様子は……どう考えてもおかしいの一言に尽きた。何処か妙に余所余所しく、それでいて解消され始めていた筈のマイナスな雰囲気がぶり返してきたようで……挙句私に心配させないように無理してテンションを上げているようにも見える。一体何が彼女をこうさせるのだろうか、私の疑問は尽きる事はなかった。だが自宅に帰る途中、アリシアが不意に漏らした一言を聞き逃さなかった。「ごめんね……」という何処か悲しげで、それでいて取り返しのつかない事にでも直面したかのような悲痛な声を。事は上手く進んでいる筈なのに何処かで遣り切れない事が起ってしまっている、その現実に私は少しだけ歯痒さを憶えてしまった。どうしてこんな小さな子ばかりが何でもかんでも背負い込まねばならないのだろう、私はそんな事を思いながらゆっくりと自宅への道のりを歩いていくのだった。まったく、私にしろアリシアにしろ……何が悲しくてこんな風な不器用な生き方しか出来ないのだろうと心の中で思いながら。