ポロリは無いよ!
空を地霊殿に担ぎ込み、なんとか動ける程度に回復させた私はそのまま単身旧都へ向かった。霊夢と早苗は地霊殿でしばらく休憩してから帰るらしい。
道中通信符で紫に確認をとったが、私が地底へ入った事は恐らく問題にはならないだろうとの事だった。
地底側が怨霊を地上に出してしまっていた事もそうだが、既に地底は地底で独自のコミュニティを築いている。地上への道を開放した所でわざわざ住み慣れた住居を捨てて地上を侵略したがるような奴は……いなくなったし、後日正式に国交正常化? が発表されるそうだ。
紫との通信を終えると、提燈や人魂で明るく照らされた旧都の町並みが見えてくる。
「うーむ、何百年経ってもあんまり変わらな――――おぶ!?」
「白雪ー!」
私は神速で飛んで来た宿儺の体当たりをもろに喰らって吹っ飛んだ。さっきまで飲んでいた茶を吐きそうになる。そのままホールド、豊満な胸に顔を押し付け正面から熱烈に抱擁された。
「ちょ、宿儺、骨が、骨がミシミシってあ゛あ゛あ゛あ゛!」
「ああ白雪、白雪白雪白雪白雪! 悪戯に姉を寂しがらせる小憎い奴よ! もう今夜は――いや三日、一年は返さん!」
「一年!?」
「さあさあさあ! 酒と宴会が待っておる!」
興奮状態で私を連行しようとする宿儺。よっぽど会いたかったんだなぁと申し訳無くなった。もう少し早く会いに行けば良かったかね。
私はお詫びにちょっと抱き返し、筋力と腕力を上げて脱出した。宿儺は哀しそうな顔をする。
「なぜ逃げる? 私の胸では不満か?」
「骨が悲鳴上げてんの!……それに恥ずかしい」
お互い何歳だと思ってんだ。
しばらく私の胸に飛び込んでおいで、だが断る、のやり取りを繰り返していたが、肩車に落ち着いて二人で旧都へ向かった。これはこれで恥ずかしいがなにせ代案が横抱きだ。仕方無い。ちなみに普通に手を繋ぐとか隣を歩くという選択肢は無いらしい。
高身長の宿儺に肩車され、周りより頭二つ高い目線で旧都の大通りを歩いていく。
祭り囃子に似た笛の音と人々のざわめきに包まれ、旧都は地上よりも余程明るく楽しげな雰囲気を醸し出している。宿儺が買い与えようとする仮面や綿菓子を断りつつ、時々見掛ける知り合いに手を振りながら私達は馴染みの居酒屋に入った。入る際に暖簾に頭をぶつけたが気にしない。
そして一歩店に踏み込んだが最後、後はもう飲むか飲まれるかだった。
拘束一年は流石に長過ぎるので三日で妥協してもらった。宿儺は渋ったが。
萃香や勇儀も交えた大騒ぎを超え、例によって目が覚めると裸で宿儺と抱き合っていた。毎度毎度鬼と酒宴をする度にこれだとそろそろ諦めの境地に入ってくる。何故か私の衣は萃香が着ていたので引き剥がし、代わりに宿儺手縫いの着物を着させておく。サイズは同じだ。
神力をほんの少し消費して酒臭くなった衣の匂いを消し、あられもない格好で転がって寝ている宿儺を揺すって起こす。
私は362日分の短縮と引き換えに宿儺と一緒に温泉に入る事になっていた。昔入浴の誘いを断った事をしつこく覚えていたらしい。いつの話だよそれ……
しかしまあなんだ、宿儺とは長い付き合いだし、裸の付き合いも悪くは無い。非の打ち所の無いプロポーションを生で見て敗北感に打ちひしがれるのも今更だ。
あーあ、宿儺と私を足して二で割れたらいいのになぁ。見事な平均体格の美少女が出来上がる事だろう。
私は宿儺に着物を着せ、窮屈そうに胸をしまうのをイライラしながら見ていた。
「さて、白雪」
宿儺は着替え終え、周りで熟睡している鬼達を起こさない様に小声で言った。私は宿儺のわくわくした顔を見て断りきれず頷いてしまう。
背中をよじ登って肩車体勢へ移行、私達は頭に毒々しいキノコを生やした店主に見送られ店を出た。
店から出る時また暖簾に頭をぶつけた。
肩車で空を飛ぶというのも間抜けな絵図なので、宿儺は地底をその駿足で駆け抜けた。土煙を巻き上げ音を置き去りにし、橋の上でもくもくお握りを頬張っていたパルスィを危うく轢きそうになったりしながら先へ先へ。前から吹き付ける風が髪を後ろにさらっていく。
地上へ続く縦穴を垂直に駈け登った私達は朝日が眩しい地上へ出た。
「はて、地上はこれほど光に溢れていたかの?」
「夏はもっとギラギラしてるよ」
「それはいかん。私の目はもう地底の灯に慣れてしまった」
私達は乱れた髪を整えて今度はのんびり歩き出した。
間欠泉が噴き出して一週間と経っていないにも関わらず、既に高い竹の敷居で隔てられた男湯と女湯が整備され、立派な二階屋の温泉宿が建っているのが見えた。仕事が早い。
周りの湯治客の視線が痛かったので宿儺に懇願して肩から降ろしてもらい、手を繋いで歩いていく。間欠泉の熱で積もった雪は溶けており、むき出しの土の地面はほのかに温かい。所々に残った泥水の水溜まりからはうっすら湯気が上がっていた。
自然に踏みならされてできた道を老若男女人妖問わず木桶に手ぬぐいを持って行き来している。温泉は大盛況な様だった。
丁度足元に文々。新聞が落ちていたので土を払って拾う。新聞から脚色と思われる部分を抜いて読むと内容が五分の一になったがそれはともかく。
守矢は温泉を沸かせたのは私達だと声明を発表したが、特に使用料を取るでも無く、下手に慣れない温泉経営に手を出すよりは民間に任せた方が良いだろうと考えたらしい。実際温泉整備も温泉宿経営も妖怪と人間が協力して行っている。
守矢は「温泉を沸かせた気の良い神様」という評価を得て一定の信仰増大を達成。間欠泉付近の温泉は全てひっくるめて親しみを込め「洩の湯」と呼ばれる様になった。
とのこと。
神奈子も諏訪子も上手くやった様で一安心。
なんか幻想入りしてまだ数年なのに守矢の信仰拡大ペースが早過ぎてその内博麗のシェアを乗っ取られそうな気もしたが、それはそれで良いだろう。神力を失っても個人的には特に困らないし、結界維持は神力抜きでもなんとかなる。人間にとっても職務に熱心な神様が上に立ってくれた方が良いだろうさ。
しかし幻想郷の土台が出来る前から三千年近くかけて根付いた博麗信仰を本当に越えられるかは疑問だ。神奈子がミシャグジ信仰を覆せなかった様に博麗信仰も幻想郷がある限り崩れないと私は半ば確信している。
「どうした眉を顰めて」
「いや、なんでも」
ま、なるようになるさ。
私は新聞を丸めて投げ、女湯の暖簾を潜った。
板張りの脱衣所で無造作に着物を脱ぎ去った宿儺は他の客の目を一身に集めていた。ボンッキュッボンとは宿儺の為にある言葉だ。淫魔の様な妖しいエロさでは無く究極的な媚びないエロス。艶やかな藍色の髪を払うその仕草一つ一つが絵になる。
肌の手入れも髪の手入れも滅多にやらないクセにここに居る誰よりも輝いて見える。
それに比べて……
私は自分の身体を見下ろした。上から下まで一直線にストンと落ちている。曲線にもなっていないこの虚しさ。
髪は……まあ負けて無いと思う。
肌は荒れて無いしきめこまやかだけど、これは単に幼児なだけだ。つつくとふにふにしてるし。
総合評価C+。宿儺のAAAオーバーには遠く及ばない。ベリーシット!
揉んだぐらいで大きくなりゃあ世話無いよなぁ、と思いながらも揉む面積すらない平地を未練がましく触っていると宿儺にひょいと小脇に抱えられた。
「自分で歩けるんだけど」
「分かっておる」
分かってるなら降ろせよって言っても無駄なんだろうなぁ……
こんな威厳もへったくれも無い姿を知り合いに見られたらやばいなと思って見回すと牛乳瓶を片手に持ったてゐとばっちり目が合った。よりにもよってお前か詐欺兎詐欺。
にまぁあ、と何かを含んだ笑顔を向けられたので迷わず記憶力を下げる。忘れろ。
他に知った顔は無かったのでこれで噂は広まらないだろう。どいつもこいつも私をスルーして宿儺のないすばでぃを羨ましそうに見ている。
黒っぽい岩を組んだ大雑把な作りの掛け流し温泉で、洗い場は凸凹しているが一応平らな石で覆われていた。雑な所がかえって雰囲気を出しているようないないような。
「白雪、背中を流してやろう」
「自分でできますー。ほらできた」
「むう……」
私はさっと身体を流して湯船に足を入れた。おおう丁度良い湯加減。
宿儺はがっかりした様子だったがいそいそと身体を流して私の隣に滑り込んだ。頭の上に手ぬぐいを乗せ、ご機嫌で鼻歌を歌い出す。さっきから宿儺のテンションが高ぇ。
私も宿儺に合わせて鬼の宴会でよく唄われる唄を口ずさみながら空を見上げた。
当たり前の様に人妖問わず空を飛ぶ幻想郷だから、一見何も無い様に見える頭上にはマジックミラーの様な結界が張られている。中からは良く晴れた冬空が見えるが、外からは真っ暗で何も見えない。竹の敷居も穴が空けられない様に幾重にも妖術や魔法がかけられている。覗き対策はばっちりだ。
しかしその割に男湯と女湯が竹の敷居で隣り合わせに分けられている辺りに男衆の執念を感じた。いや覗くのは無理なんだけどさ、音と声は聞こえるんだよ。女湯は結構キャッキャウフフ騒がしいけど男湯は気味が悪いほど静かだ。
試しに竹の敷居を手の甲で叩いてみると向こう側からばちゃばちゃと慌てた様に離れていく水音が聞こえた。つまりはそういう事なのだろう。
白く濁った湯を手ですくって水面に波紋を作っていると入口の戸がカラリと開いた。羽をしまった文がのほほんとした表情で入ってくる。いつもの野次馬オーラが感じられない。今日はオフらしい。
「文ー」
「おや、白雪さんも温、泉……に」
声をかけると文はこちらを見て固まった。正確には宿儺を凝視して目を見開いている。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な……なぜこんな所に……消えろ私の体……気取られたら終わり……」
文は顔を青褪めさせてぶつぶつ言いながらゆっくり後ずさってピシャリと戸を閉めた。宿儺は私の髪を弄るのに夢中で一連のやり取りに気付いていない。
「……鬼ってさぁ、天狗にそんなに怖がられてんの?」
「何を突然。天狗は盟友、怖がられる覚えは無いわ……ふむ、三つ編みはあまり似合わんの」
宿儺は上の空で答えた。
鬼の事だからどうせ自覚しない所で畏れられてるんだろうなぁ。天狗は上下社会を築いているし、文の上司(広報活動総括)の上司(大天狗)の上司(天魔)の上司(鬼)の上司(四天王)の上司だから地位で言えば天と地の差がある。宿儺の一声で社会的にも物理的にも首が飛ぶのだ、そりゃあ会いたくは無いわ。
文は逃げ帰ったのだろうか、悪い事したかなと探知魔法で様子を探ると真後ろから強い妖力反応が反ってきた。
「うえ、痛っ!」
驚いて振り返ると髪が引っ張られてハゲかけたのでゆっくり後ろを向く。そこには頭の上に閉じた目玉を乗せた少女が宿儺と一緒になって髪を弄っていた。
……こいし?
「あら、気付かれちゃった」
まじまじと見つめるとこいしは私の髪を結んであやとりをしながら困った風も無く言った。
「いや、今の今まで気付かなかった」
「そう? ほらホウキ」
こいしは少し嬉しそうに笑ってあやとりのホウキを見せてきた。
「えーと……凄いね?」
「お姉ちゃんに習ったの。八段はしごも作れるわ」
マイペースに手を動かすこいしに呆気にとられる。何してんだ。それに何考えてんだこの娘は。いや何も考えてないのか。
「白雪、誰と話しておる?」
「あ、見えない? 正面にいるよ」
「正面……む、誰だこやつは」
「お姉さん胸おっきいねー。揉ませて」
「断る」
「ケチ」
宿儺はこいしとキャッキャウフフし始めた。湯が跳ねて他の客が迷惑そうにしているので私が代わりに頭を下げておく。
そこに居ると意識すれば認識できるが、意識しなければ視界に入っていても「気付かない」。要するにあやめの能力みたいなものだろう。周囲に自分を認識されない状態になっているのだ。こうして一度気付けば普通に見えるし、探知魔法にも引っ掛かった。完全に感知不可と言う訳でもない。
こいしの目玉から出ているコードは一体どこに繋がっているのかと宿儺に水鉄砲を乱射しているこいしを目で追っていると、胸の前で見覚えのある札が揺れているのに気が付いた。湯煙で見えにくいが目を凝らすと「かりょくをおさえる」と書いてあるのが読み取れる。
……おい。
「二人共ストップ。こいし、その札どうしたの?」
「え? これ? さあ?」
こいしは言われて始めて気付た様に不思議そうに札を引っ張った。無意識につけていたらしい。無意識で空から盗って無意識で装着したのか?それとも落したものを無意識に拾って装着したのか。どちらにしても迷惑な話だ。
意図的にやったのならフルボッコだが無意識でやった事を責めるのもどうなんだろう? 寝言で言った事を責めるようなものだ。
結論、無意識なら仕方無い。便利な言葉だ無意識。
まー既に解決している異変だ。後腐れ無く争いを収めるためのスペルカードルールなのだし、今更責任がどうのこうのと掘り返すのは駄目だろう。最後の最後で肉弾戦になったけどスペカも一応使ったし。
私は肩をすくめ、いつの間にか弾幕戦に突入していた二人の頭に拳骨を落とした。湯船で騒がない。これ鉄則。