外の世界から幻想入りする神のほとんどは力のほぼ全てを失っている。幻と実体の境界が「勢力の弱まった幻想を引き寄せる」という機能を持っている以上それは必然だ。神奈子達の様に能動的に結界を超え、それなりの力を保ってやって来る例は珍しい。
かつて日本全土に渡り一大勢力を誇った諏訪子でさえ幻想入りする事になったのだから、それなりに名の知れた神でも幻想入りからは逃れられず……
今日、弱り切った八咫烏が神奈子に発見・保護された。
日本神話にも登場する太陽の化身の幻想入りに外の世界の信仰はかくも低くなったのかと悲しくなる。太陽の化身なのだから太陽の構造が科学的に解明されるにつれて神秘性を失い弱まった、とかそういう事だろうか。
その辺りの細かい事情ははっきりしないが、事実八咫烏はこうして艶を失った羽を弱々しく動かし、枯れ枝の様に力の無い三本足をだらりと本堂の床に投げ出している。ゆっくりと僅かに上下する羽毛に覆われた胸には幾つもの傷跡が見えた。
私は八咫爺さんの治療の為に守矢神社に来ていた。
地震の後河童の手により再建された神社は、見た目は普通だが無駄なギミックがそこかしこにつけられたカラクリ神社になっていた。玄関がオートロックになっていたのにはビビったがそれはひとまず置いておく。今は目の前で浅い呼吸をしている烏の話。
八咫烏とは昔馴染みらしい神奈子に何とか回復させられないかと頼み込まれたが、いくら私でも性質の違う神力は補給できない。他三種の力とは異なる神力補給は紫の助けを借りても無理だろう。
それに八咫烏は今から信仰の回復に奔走した所でどうにもならないほど弱っている。保って後一日、良くて二日。
私が首を横に振り、事実上の死亡宣告をされた八咫烏は静かに頷き、しわがれた老人の声で言った。
「八坂の。ぬしには最後まで迷惑をかけたが……老いぼれジジイの頼み、もう一度だけ聞いちゃあくれんか」
「……言ってみな」
「うむ。ぬしは怒るかも知れんがな、儂は神として人間を導くのはもう疲れた。奴等儂の神徳も科学にすり替えよるようになりおった。祟ろうと夢枕に立とうと事故やら明晰夢やらで片付けおる。もう沢山だ。最後は眷属の――烏の一部となって散りたく思う。それもどうせなら化け烏が良い」
「それは、」
つまり妖怪を助けて死にたいと言っているのだ。信仰は人間のためにと信じるが故にためらう神奈子に八咫烏が言葉を重ねる。
「後生だ八坂の。儂は最早神霊となるだけの力も残しておらん。永き生の果てにただ消滅するのは淋しいのだ。聞き届けておくれ」
「…………」
神奈子は眉に皺を寄せ迷っていた。神奈子の中の神はこうあるべきという像と知己の願いが食い違っている。
意見を求める様に目線を向けて来た神奈子に諏訪子は軽い調子でいいんじゃないかな、と答えた。諏訪子は神奈子よりも気楽に生きているから質問した時点で否定しない事は分かっていただろう。神奈子はそうだと思ったという顔をし、八咫烏の深く赤い瞳をしっかり見て頷いた。
八咫烏はほうと息を吐き、控えていた諏訪子と私に声をかける。
「洩矢、恩に着る。博麗、治療の試み感謝する。……八坂は良い奴だ。二柱共良くしてやってくれ」
「まー悪くはしないかな」
「言われなくても」
私達の言葉を聞き、人間に疲れ切った古い神は安堵するように静かに目を閉じた。
さて、三柱で社務所の居間に集まり、八咫爺が御所望の化け烏を見繕う。
「化け烏って言うと……烏天狗が最初に思い浮かぶよね」
「却下」
「無い」
私の第一案はコンマ数個で二柱に却下された。
まあ私も言ってみただけだから。文が神の力を手に入れるとかねぇよ。口が軽く性格も軽い烏天狗に力を付けさせたらろくでもない事に活用するに決まってる。
「じゃあ烏天狗は除いて。妖怪の山に烏妖怪って他にいる?」
「私は聞いた事無いわねえ」
「白雪が知らないなら居ないんじゃない?天狗に聞けばはっきり分かると思うけど」
「尋ねたら最後余計な首と嘴突っ込んで来る事間違いなし」
「だよね」
三柱揃ってため息を吐く。痩せても枯れても八咫烏。彼の力は強力だ。下手な者には渡せない。
相手の力を取り込む方法の一つとして生き肝を喰らう、というものがある。八咫烏がやろうと(やってもらおうと)しているのはそれだ。
不死人の生き肝を主原料として作られた蓬莱の薬には魂を変質させる効果がある。 また西洋には殺した竜の生き血を浴び肝を喰らう事で不死身の肉体を得た男の伝説がある。他にも生き肝を取り込み力を得た、という逸話は多い。
粉々になった蓬莱人が心臓から再生する事や、吸血鬼の弱点の一つが心臓である事などから分かる様に心臓は肉体的だけでなく魔法的にも重要な要素だ。魂が最も強く影響している器官である。心臓を喰らい力を得るのは当然の理なのだ。
しかし何故力に飢えた人間や妖怪が片端から心臓を引き摺り出して喰らいつかないかと言うと簡単な話。無理矢理やると呪われるから。
不本意に奪われ喰われた心の臓の持ち主は普通相手を怨む。そうなると喰った奴は怨霊を体に取り込む様なもんだから良くて弱体化悪くて発狂。従って肝を喰らうには双方同意が常識だ。
そして今回八咫爺は種族的にそこそこ近い妖怪烏の血肉になろうとしている。種族が近ければ力の吸収効率も良かろう。迂闊に天狗には渡せない。妖怪の山の勢力図が書き変わり争いの種になる可能性もある。
「丁度良い野良烏の一匹や二匹いるでしょう?」
「ああ、まあ……うーん。心当たりが無い事も無いけど……」
「はっきりしないね。なんか問題あんの?」
「雄の弾幕決闘が嫌いな烏ばっかりでさ。そういう連中に力を付けさせるのはちょっと」
「あー……」
肝を喰えば能力が変質する可能性もある。弾幕ルール抜きで八咫烏の――核の力を振り回されるのはいただけない。
三柱で記憶を探るがこれだという烏が出て来ない。
「はぁ……なかなか適任が居ないわねぇ」
「もう天狗で妥協する? 弾幕決闘を守る最低限のモラルがある奴なら、力を付けたって幻想郷壊滅! なんて事にはならないでしょ」
「ふむ。下手な野良妖怪に力を渡すよりも、社会的な力の管理が望める天狗の方がまだ良いという訳ね?」
「そーそー」
……なんか話の流れが危険域に入ってきた。何?射命丸文フュージョンフラグ?やめてよこわい。
私は仕方無く頭の隅に追いやっていた候補を引き揚げる事にした。今までの経験からしてこれをやると異変になる可能性が高いが、背に腹は変えられない。天狗よりマシだ。多分。
「あのさ、地底に比較的扱い易そうな雌の烏の心当たりがあるんだけど――」
爺さんはそれなりの知性を保った烏であれば文句はつけないとの事だったので、結局お相手は霊烏路空に決定した。
地底は地上の妖怪の出入りが禁止されているから妖怪でもある私は行けない。しかし神の出入りが禁止されている訳では無いから神奈子か諏訪子が八咫爺さんを連れて行けば良い。
が、早苗たっての頼みにより彼女に任せる事にした。どうも何か巫女っぽい事をやりたかったらしい。よくわからん。
私達は早苗の実力ならまあ地底に行っても大丈夫だと判断し、守矢神社の境内で準備万端の早苗に最後の確認をしていた。カナスワは地底に行った経験が無いので主に私からのアドバイスになる。あ、ちなみに霊夢は放置中。別に言う必要も無いし。
「旧都には鬼がいるから絶対に避けて通る事」
「はい」
「今回は護送任務だから、背中の八咫爺に負担をかけないためにも自分から攻撃はしないこと。自衛は良し」
「大丈夫です」
「地底の連中は気の良い奴等が多いけどね、油断はしない事。あんた美人だね!って褒めちぎった直後に顔の皮剥ごうとしてくる奴とかゴロゴロいるから」
「……大丈夫、だと思います」
「地図あるから迷わないよね?地霊殿に着いたらさとりに菓子折りと一緒に私の紹介状渡して。灼熱地獄跡に案内してもらえるはずだから」
「分かってます」
「空に札かけて爺さんの肝を喰らわせたら燐って名前の化け猫に通信符渡してね。緊急時に私に連絡を寄越す為の手段だから絶対に忘れない事」
「肝に銘じます」
「ハンカチ持った?」
「持ちました」
「良し、行ってらっしゃい」
「はい! 行ってきます!」
八咫爺を背負った早苗は元気良く地底へ続く縦穴を目指して飛んで行った。
空には『かりょくをおさえる』と書いた耐熱加工札を首から下げさせる。いくら鳥頭でも自分の首にかかった札の存在を忘れはしないだろう。文字を読む度に自重するはず。念の為に私がその札に出力制限効果をつけたし、何らかの事故で空が調子付いて暴走したとしても燐が即座に通信符で私に知らせてくれる。わざわざ怨霊を地上に送って警告信号を出す必要は無い。二重の暴走防止策だった。
そして空が八咫烏の核融合の力を継承したとしてもしばらくは試運転の予定。様子を見て、空が力を使いこなしているようなら地下核融合発電所建造に着手する腹積もりである。
勿論、空が妖力を増すだけで能力を変質させない可能性もある(現在は死肉を火力に変える程度の能力、らしい)。その場合は特に地底への干渉は行なわない。
そういう手筈になっていた。
……で、来た見た終わった。
まったり茶をしばいてる間に早苗は何事も無く帰って来た。しかもさとりからお土産のまんじゅうを貰って来たらしい。何仲良くなってんのお前? 良い事じゃねえか褒めてつかわす。
早苗の分のお茶を淹れながら聞いた所によると全て上手く行ったらしい。八咫烏の生き肝をかっ喰らった空は能力を変質させ「核融合を操る程度の能力」になったと言う。その他も滞り無く。
神奈子によくやったと撫でられ照れている早苗を見て私は不意に不安になった。うーむ、何事も起こらなければいいんだけどなぁ……
私は死亡フラグはバッキバキに折れると言うかそもそも立ちすらしないんだけど、異変フラグはなかなか折れないんだよね。異変は起こるべくして起こっていると言うべきか。
空、異変起こすなよ? 絶対起こすなよ? あれだけ予防線張ったんだから。
……あ、地獄まんじゅう旨い。