文花帖はスルー
花の異変が起きたのは第120期、日と春と土の年。外の世界の暦で2005年の春だった。
秋が来て冬が過ぎ霊夢が一つ歳をとり(元旦を誕生日として扱っている)、また春が来て……特に何事も起こらないまま冬になってしまった。
花映塚の次は風神録。その年は大晦日まで毎日そわそわ妖怪の山を見ていたのだが、日付が変わっても変化は見られなかった。天狗に聞いても異常無しと答えが返る。
私は不安になった。
守矢一家が越して来るのは初秋だったはず。もう冬になり年も越してしまった。
紅霧異変からこっち年一のペースで異変が連続していただけに尚更不安が募る。毎年毎年息吐く間も無く異変が起こる方が異常なのだが、突然何も起きない空白の年ができるとそれはそれで変な感じがした。
まさか神奈子は外の世界に固執し幻想入りを選択しなかったのだろうか?
有り得る。有り得るが諏訪子を打倒してまで信仰集めをし、神の仕事に熱心だった神奈子が信仰不足による消滅を選ぶとは考え難い。何とかして信仰の回復を狙うはずだ。
……まあ何かの事情で幻想入りが遅れているだけかも知れない。外の世界は科学万能時代、年を追う毎に不可思議の存在は住み辛くなる。多少の誤差はあってもその内やって来るだろう。万一外の世界での消滅を選んだとしても私はその選択を尊重する。干渉はしない。
そう考えて気長に待つ事にした。神奈子が来なければ地霊殿も星蓮船も起こらないから異変の騒ぎに気を遣う必要は無い。気楽なものだ。
百年単位でのんびり待つつもりだったのだが、第122期の秋の始めに守矢一家はやって来た。花の異変から二年後である。
突如妖怪の山に現れた神社と湖に山に住む妖達は上へ下への大騒ぎらしかった。夕方、文からの急報で事態を知った私は妖怪の山へ向かう。何やらしめ縄を背負った神が私の名を出し居住権を主張しているらしい。
記憶を探ると確かに昔「いつでも来ていいよ。幻想郷は全てを受け入れる」と言った覚えがあった。それは嘘じゃないけど天狗の縄張りのど真ん中はちょっとねぇ……神社だけならまだしも湖もとなると敷地をごっそり使う訳で……
困ったもんだと頭を掻き、私は懐かしい気配がする方へ一直線に飛んだ。
山の麓で哨戒天狗が寄って来たが顔パスで通してもらい(話が通っているのではなくどうせ止められないから)、中腹まで一気に上る。夕日を映して茜色にきらめく澄んだ湖と古びた神社が見えた。神社の周囲の地面に神奈子がザクザクオンバシラを突き刺し、天狗が数人それに付き纏って文句を言っている。私は自分の縄張りにマーキングする犬を思い出した。
「かーなこー、久し振りー」
「ん? おお、白雪! 懐かしいわねえ! 随分と力を付けたそうじゃない」
声をかけると神奈子は手を止めて嬉しそうに振り返った。
私が地面に降りて歩み寄ると天狗はわたわた散って行く。しかし姿は見えなくなっても好奇の視線は痛いほど感じた。
「まあね。日頃の行いが良かったから」
「違いない」
神奈子の二歩手前で足を止めると、奴は伸ばしかけた手を残念そうに引っ込めた。
やっぱり撫でようとしやがったな。私の方が数倍年上なんだから子供扱いは止めて欲しい。警戒して距離を保ったまま早速本題に移る。
「積もる話は後にして、まずは移住の件だけど」
神奈子は私の言葉に大きく頷いてどこからともなく取り出したオンバシラを地面に突き刺した。振動で地面が揺れる。
「白雪、それよ。妖怪が――特に天狗が文句をつけてくるのよ。どこか別の所へ行けとかなんとか言って。というか白雪、この山異常に妖怪が多いわね? 妖怪退治も神の責務の一つよ。あなたは昔から神の義務をサボってばかりで――」
「待った! 回想は待った! もう改心して真面目にやってるから。えーとね、この山は方々で追われた妖怪が集まったり有力な種族の妖怪が群れで住み着いたりし
てるんだよね。幻想郷の人間は人里に固まって住んでてさ、人間は人間、妖怪は妖怪で住む場所を分けてんの。ここは天狗の居住区にすっぽり入ってるから神奈子は不法侵入したと捉えられてるのさ」
「私だって本当は人里付近に出たかったわよ。でも距離も結界もあったし細かい狙いをつけて転移なんか出来ない」
「うん。神奈子が好き好んで人里離れた山の中に移動する訳無いからそんな事だろうと思ったよ。まーなったものは仕方無いしとりあえずオンバシラ刺すの止めない?」
「……妖怪を退治して場所を空けさせるのは不味いの?」
「共存共栄が望ましい」
否定するとふて腐れた顔をした。そりゃあんた、後から来て我が物顔は不味いって。蕎麦でも持ってご近所に挨拶回りがほんとだよ。昔からそうだったけど神奈子は少し侵略姓があるよね。
「ならどうしろってのよ」
「天狗のボスに挨拶しに行って上手く折り合いを付ける事だね」
神奈子は渋面を作って唸り出した。神としての自覚が強い神奈子は妖怪に頭を下げるのが気に食わないのだろう。神は本来人間を妖怪から守るものであり、妖怪は敵だ。
しかし時代は変わり幻想郷では神と友誼を結ぶ妖怪も珍しく無い。外の世界では違うのだろうか? そもそも昔ながらの妖怪が残っているのかはなはだ疑問である。
神奈子は腕を胸の前で組んで悩んでいた。腕に押し上げられ、デカい胸が強調されている。思わず舌打ちしてしまった。
「山の妖怪と縄張り争いしたいってなら止めないけど、私は交渉で平和的に解決した方が良いと思う。とりあえず妖力無限大で私に退治されとくって手もあるよ?」
その重そうな脂肪の塊削ってあげようか?
「明日に天狗の頭領に会いに行くわ」
両手に妖力を集中させると若干顔色を悪くした神奈子はあっさり態度を変えた。分かってくれて何より。
神奈子はオンバシラを一定間隔で地面に立てる事で神域を安定させていたらしい。妖怪の力が染み付いた土地で神社を機能させる為に必要な措置なのだと言った。
「で、ついでに山から妖怪を追い払って霊山にしようと企んでた訳か」
「もうやらないわよ」
守矢神社の本殿へ私と並んで歩きながら神奈子は苦笑した。山の妖怪は天魔だけでも神奈子と互角ぐらいだから、天狗一族が寄ってたかって守矢神社を襲えば二柱と二分の一柱だけでは多分処理しきれない。敵対しないのが賢明だ。
第一守矢一家は幻想入り初日でまだ段幕ごっこ経験ゼロ。今挑まれたらチルノにも負けるだろう。言わんや天狗をや、である。
風祝は人里へ偵察に行ったらしく今はいなかった。後で紹介してくれるそうだ。
地面は持ってこれなかったのか砂利も敷かれていないむき出しの土を踏み締め少し歩くと本殿の前に着いた。私の本社の数倍でかくて立派な拵えだった。嫌味にならない程度の金の装飾が見事だ。ここで諏訪子が休眠している。
私は神奈子の目配せに頷き、神力を本殿の中に送った。今こそ眠れる蛙を起こす時!
「甦れ諏訪子!」
「寝てるだけよ」
分かってるって。
私の神力に反応して本殿の神力が動き出した。しばらくゆらゆらと動き、ぴたりと止まる。次の瞬間強烈な勢いで扉が開き弾丸の様に諏訪子が飛び出した。
「白雪ーっ!」
私はみぞおちに体当たりした諏訪子をしっかり受け止め抱き締めた。思う存分ハグしてからどちらからともなく離れる。
「懐かしい気配がして起きてみれば。あれから全然遊びに来てくれなかったじゃん」
「待ってればその内幻想郷に来るかなと思って」
「……それもそうだね」
諏訪子はあまり気にしていなかったらしく納得した。気が長いねえ、私もだけど。
振り返ると神奈子が不満気にしていた。
「何?」
「私には近付かなかった癖に諏訪子とはスキンシップをとるのね。友人だと思っていたのは私だけ……」
「いや抱き合うのはいいんだけどさあ、頭撫でられるのはちょっと。仮にも幻想郷最年長なんだから」
れでぃ~として扱えとは言わない。せめて見た目通りに扱うのは止めて欲しい。
あと二十センチは伸びて欲しかったとため息を吐いていると、諏訪子がニヤニヤしながらつつっと神奈子に寄って何か囁いた。
神奈子はそれを聞くや無言でオンバシラを諏訪子にフルスイングした。かっ飛ばされた諏訪子をキャッチするとわざとらしく泣き付いてくる。
「白雪ー、神奈子が苛めるー! 耳の穴にオンバシラぶち込んで奥歯ガタガタ言わせるぞって」
「神奈子何も言って無くない?」
諏訪子は頭を強打されたはずだがケロりとしていた。
この二柱、喧嘩癖は治っていないらしい。しかし神奈子に怒った様子は無いしじゃれあいの様なものなのだろう。
私は肩をすくめ、諏訪子と肩を組み神奈子と手を繋いで社務所へ向かった。今日は酒盛りだ。
遠き山に日は落ちて、帰って来た早苗に私達の古い友人だと紹介され、酒盛りに突入した。
私は博麗神社の床下から喚んだ千年モノの酒を振る舞ったが日本酒に牛乳と納豆を突っ込んだ様な味がして三人共吐いた。マジごめん。なんでこんな味になったか分からないけど熟成にも限度があった。
少し液体を胃に入れてノックアウトされた神奈子は早苗の膝枕で介抱されている。早苗は未成年だからと飲まなかったのである。真面目さんだ。
幻想郷の人間は十五、六で飲み始めるから気にしなくていいのに。ちなみに早苗は十七歳。霊夢と同い年だった。
信仰を得て神になった元人間なのになんで髪と目が緑なんだろうと思ってジロジロ見ていると酒が入って頬を赤くした諏訪子が不思議そうに聞いてきた。
「白雪は現人神に会った事無いの?」
「んにゃあるよ。幻想郷にも何人かいる。でも皆見た目中高年だからこんなに若い娘を見るのは始めてだね」
早苗は鼻高々で胸を張った。別に褒めてない。しかし……ふむ。胸の大きさも身長も年齢も職業も霊夢と同じ。
「2Pカラー……」
「はい?」
首を傾げた早苗になんでも無いと手を振る。私は誤魔化しに外の世界から持ち込まれたビールを飲んだ。んん……駄目だな、舌が酒とワインに慣れてて旨くない。
私達は真夜中まで姦しく昔話に花を咲かせた。