花の異変から数ヶ月、命輝く夏が来た。
里の子供は冷たく澄んだ小河に入ってフナやタニシを捕り、大人達は麦藁帽子を被って畑仕事に精を出す。赤く熟れたトマトや瑞々しいキュウリがお供えとして現れる様になり神社の食卓に彩りを添えた。山の蝉もまた例年通りの賑やかさだ。
今年は適度に雨も振り、渇水の心配も無く田圃の稲は順調に育っている。秋の収穫が楽しみだった。
そして俺の時代が来たと言わんばかりにぐんぐん生長する草木とは反対に霊夢は萎れている。夏バテにやられたらしい。
居間の風通しが良い畳の上を独占して寝転がり、指一本動かしたく無いと主張する霊夢は昼のワイドショーを観賞する主婦を彷彿とさせる力の抜けっぷりだった。昨日はチルノを捕まえてきて枕代わりにしていたが今日は座布団枕である。
「白雪ー」
「ん?」
「私にも冷風」
「断る」
魔法を使い自分にだけ冷風を当てて快適に読書に勤しんでいた私は霊夢の頼みを断った。普段私を雑に扱う罰だ。
霊夢は花異変の神社修理も手伝わなかった。まあ瓦が割れただけで大した損傷じゃなかったし私一人で充分手は足りたからいいんだけどさ、普通「私がやります」か、せめて「手伝いましょうか?」ぐらい言うだろ。それが巫女ってもんじゃないか?
「心狭いわねぇ。少しぐらい良いじゃない」
「霊夢が冷房病にならないように気を使ってるのさ」
「あんたは良いの?」
「私が罹る可能性がある病気は一つしかない」
「へえ、どんな病気?」
「えーと、封印された右腕が暴走の兆候を見せるのが初期症状。病が進行すると近くの患者と共鳴を起こす様になって加速度的に悪化する。邪気眼に目覚めてカノッサ機関に追われる様になると末期だね。んで、最後はくぎゅううううううう! って断末魔を上げて死に至る」
「なにそれこわい」
霊夢は全く怖く無さそうな声で言った。最近は霊夢にネタ耐性がついてきたから困る。
それから毒にも薬にもならない会話を読書をしながらぽつりぽつりと続け、二、三冊積み本を消化したあたりで霊夢の腹がキュウと鳴った。動かなくても腹は減るらしい。
視線を向けると期待を込めて見返して来る。
「冷麦が食べたいわ」
「自分でつくりなよ」
私は本来食事をとる必要性は無く、三食全て単なる嗜好と割り切っている。別に数ヶ月断食しても口が寂しいだけで餓死の心配は無い。
従って神社の食事は基本的に霊夢が自分の好みに合わせて作るのである。私の分はついでだ。
霊夢はごろごろ転がって私の積み本を一冊手に取った。題名を読んで顔をしかめまた腹を鳴らす。
「はらぺこあおむしってあんた……」
「名作じゃん。たまに読みたくなるんだよね」
「あ、そ。私は絶対に作らないわよ。このままだと三日ぐらいで餓死するわね。巫女を飢え死にさせた神様なんて噂が立ってもいいの?」
自分を人質にとりやがった。
私はテコでも動かないと挑発的に怠ける霊夢に戦慄した。全力でだらけるその姿勢に畏敬すら感じる。
「作ればいいんでしょ作れば」
「流石白雪! 今だけ惚れるわ」
何か納得出来なかったがとりあえず本を置いて立ち上がった。台所へ行く途中で霊夢の腹を踏もうとしたが転がって避けられる。霊夢が日増しにに図々しくなってる気がした。
台所に入り、踏み台を出して流しの前に置く。水を張った鍋を竈に設置して火にかけていると不意に横にぬっと大きな影が立った。
また紫が遊びに来たかと横を見ると……霊夢だった。
気怠げに柄杓で水瓶の水を飲む霊夢をぽかんと見上げる。
驚いた、いつの間にこんな背を伸ばしていたんだろう? こうして隣に並んでみると伸び具合が良く分かる。踏み台込みの私の目線が霊夢の顎の高さだった。
考えてみればもう霊夢も十五歳、外の世界なら高校に入る年齢だ。顔つきも幾分大人びてきている気がした。
「……何?」
私が見上げている事に気付いた霊夢が首を傾げる。
「いや……背、伸びたなと思って」
並の妖怪では手も足も出ない異変時限定暴走特急霊夢だが、身体は人間だ。私とは違い成長し、老いる。
「白雪、ちょっと踏み台降りてみて」
少ししんみりした気分に浸っていると霊夢が言った。
なんだなんだと思いながら降りてみると霊夢が私の頭に手を置いた。ふむ、と得心した顔で一つ頷き、そのまま撫で始める。
撫でる。撫でる。無心で撫でる。
「あの……霊夢さん?」
「今気付いたわ。白雪の頭、もの凄く撫でやすい位置にある」
なん……だと?
永琳とか宿儺が私の頭を撫でてくるのはそれが原因か!?
「何うなだれてんのよ。あんたの能力なら身長伸ばすぐらいできるでしょ」
「神通力とか魔法で身長伸ばしたり体格変えたりは出来るけど成長とは違う。効果が切れれば元に戻るから、PADつけたりシークレットブーツはいたりするのと変わらない」
「難儀ねぇ。ま、それはどうでもいいから冷麦よろしく」
霊夢は最後にひと撫でして去って行った。畜生ッ! 私の身長と冷麦どっちが大事……なのかなんて分かりきってますよねごめんなさい。涙ちょちょ切れそうだ。
微かに塩辛くなった冷麦を食べ終わり、しつこく冷風をねだる霊夢に冷魔法を付与した団扇を与えて私は魔法の森へ向かった。
手には餡パン男の絵本他数冊。メディスンへの贈り物である。
メディスンはマーガトロイド邸に住み着いていた。人形の自立について研究しているアリスと人形の開放を目指すメディスンは気が合ったらしい。
長い間鈴蘭畑に打ち捨てられていたメディスンはアリスに手入れをしてもらえるので満更でも無く、アリスはアリスで自立行動を実現した人形を間近で観察出来るので満足そうだった。上手く噛み合っている。
しかしインテリ派のアリスにとって精神面が未熟な新米妖怪は会話相手として不足な様で、教養を高める本……まずは絵本が欲しいと考え知り合いに声をかけた。
マレフィは本を持っていない。魔理沙が持っている本は魔導書のみ。大図書館に絵本はわんさとあったが、書籍は外の世界の物の方が質が高いという理由で私がフラン用に買っていた絵本を譲る事になったのである。
私はマーガトロイド邸の付近で地上に降りた。花粉が消えいつも通り瘴気が漂う魔法の森は静かなものだ。蝉の声もしない。ただし異変前よりも木の根元やら灌木の隙間やらに小さなキノコが増えている。魔法花は敗北した様だった。
文字通り散って行った花々の冥福を祈りつつ、抗争中どこかに隠れていたらしい狼が木陰から顔を出すのを見つけてほっとした。菌糸類に負けるなよ動物達。
心の中で声援を送ったが、背を向けて去って行く狼の背中に寄生したキノコの傘を見つけて合掌した。これは動物の巻き返しは無理かもわからんね。
少し歩いてマーガトロイド邸に着く。家を包囲していたゆっくり達は撤去されたのか居なくなっていた。
魔理沙とは和解した様だ。理由はどうあれアレが無くなったのは嬉しい。
ベルを鳴らし、人形にドアを開けて貰って中に入る。アリスは下着姿のメディスンにメジャーを当てて採寸していた。テーブルには裁縫道具が広げられている。
「本もってきたよ」
「いらっしゃい。そこに置いて」
テーブルの空いた所に絵本を置いた。シャンハイが椅子を引いてクッションを置いてくれたので遠慮無く座ると、別の人形がティーセットを持って来て給仕してくれる。
メディスンは採寸が終わると服を着ててこてこ近付いて来た。絵本を一冊とる。そしてアリスの膝に腰掛けて読み始めた。
アリスは手際良く服を縫っていく。私は人形が持って来たチョコクッキーを囓りながらブレイクタイム。うめぇ。アリスはメイドとしてもやっていけると思う。しばらくアリスが布を切る音とメディスンがページを捲る音だけが部屋を支配した。
やがてメディスンが本を読み終わり、ほふうと息を吐く。
「自分の頭食べさせるなんて頭どうかしてるよね」
「どうかしてるからこそできる荒技なんだよ」
「ふぅん……」
メディスンは読み終わった絵本を放り投げて次の絵本を読み始めた。投げられた絵本は人形がキャッチして本棚に入れる。汎用性高いな……
私は人形の指圧マッサージで癒されながらふと思って聞いた。
「そういや表のゆっくりはどうしたの? 処分? 販売?」
売るならストレス解消用としてコアなファンがつきそうだ。
「野生化してどこかに行ったわ」
「野生……化?」
ちょっと待て。
「人の形をした物には力が宿り易いの」
「それは知ってるけどゆっくりは人の形してなくね? 生首じゃね?」
「一頭身の人間と考え……」
「……るのは無理がある」
「確かに。まあ理由はとにかく妖怪化したのよ」
そうですか。作られて間も無いのにこんな短期間で妖怪化とは……よほど森の愉快な仲間達から畏れというかなんというかこう説明し難いアレな何かを一身に集めたんだろう。
「仲間が増えるよ! やったねメディスン!」
「やめて! あんなの人形と認めないわ。サンドバッグよサンドバッグ」
メディスンはもの凄く嫌そうな顔をした。その気持ちはよく分かる。
……霊夢と言いメディスンとアリスの関係と言い幻想郷の住民は確実に変化してきている。勿論今までも緩やかな変化は起きていたが、紅魔郷以降の異変の連続で加速している様に思えた。
スペルカードルールが広まり人と妖の交流が盛んになったからか人間のみならず妖怪達にも至る所で変化が見られる。
橙は藍の下で結界管理について着実に知識を蓄えているし、人里の陰陽師では爆殺女とかノッポロボットとか変な新人が入って世代交代の波が起きている。永遠亭組が人里に顔を出す様になったのも変化の一部。
うつろう時代の流れに一抹の寂しさを感じたが、変化するのが人間の欠点であり美点である。
願わくばこの変化が良い方向に向かん事を。
釘二病:感染力が非常に強く、青年期に罹り易い。致死率は低いが高確率で後遺症を残す