神社を出て異変で興奮している妖精を落としつつ空を飛び、紅魔館に着いた。門の前には珍しくルーミアが立っている。
美鈴は紅魔館の門番と言えど当然食べたり寝たりする必要があり、二十四時間門の前に居る訳では無い。しかし食事睡眠小休憩その他諸々を入れても十八時間は門の前に控えている。幻想郷に労働基準法は無いのだ。
代わりに給料は高いらしいが使う時間は無いだろう。
「はろールーミア」
「……おー、白雪が来た」
地面に降りて挨拶するとルーミアは懐からごそごそ小冊子を出して捲り始めた。表紙には「妖精でも分かる紅魔館門番マニュアル!」と書かれている。横から覗き込むと挿絵も無く細かいルールが細かい字で頁一杯に羅列されていた。これは妖精には分からないんじゃね?
「えーと……主の招待の無い客の場合……招待あったかな……覚えて無いわ……パターン非侵入者……侵入者かどうかなんてどう判断すればいいんだろ……」
眉根を寄せてぶつぶつ言い始めたルーミアの目の前で手を振ってみるが反応が無い。横をそっと通って門を潜った。数歩進んで振り返るとまだ小冊子と睨めっこをしている。私に気付いていない。駄目だこりゃ。
まあどうせ紅魔館に門なんてあって無い様なもんだからいいんだけどね。魔理沙もいつもほとんど素通りしてるらしいしさ。
門から正面玄関に続く前庭には花壇があるのだが、多分に漏れずここも百花繚乱だった。私も女だから花に囲まれて悪い気はしない。
スイセンもチューリップも朝顔もパンジーも競い合う様に空に向かって花開き、それぞれの芳香を微風に漂わせて色とりどりな……おお?青薔薇まで普通に咲いてやがる。流石幻想郷。
もっとよく見ようと花壇に近付くと背の高い花の間を動き回る美鈴の帽子が見えた。門を離れて何をやっているかと思えば花の世話か。そういや忘れがちだけど美鈴って紅魔館の花壇の管理人も兼任してたよね。
「美鈴、この青薔薇ってどこで手にいれたの?」
「その声は白雪さん? 青薔薇……ってそれも咲きましたか! あわわわ」
美鈴が剪定鋏片手にいそいそと花をかき分けて出て来た。ちょっと帽子を上げて私に挨拶をし、青薔薇の根元にしゃがみ込んで花とツボミをいくつか切った。切った枝付きの花はすぐに水を張ったブリキのバケツに活け、次の枝に取り掛かる。澱みない手際だった。
「忙しそうだね」
「何故か花壇の花が一斉に咲きまして……また異変ですかね? 咲夜さんがお嬢様の命で調査に出かけたんですけど」
「うん? ……ああ、美鈴はこの異変体験するの初めてか。幻想郷では六十年周期で花が一斉に咲くんだよ。今年が丁度その年」
「はあ、なるほど……」
分かった様な分からない様な顔をする美鈴。
「フランもやっぱり出かけてる?」
「いえ、お嬢様と一緒に寝ていますよ」
良かった、夜型生活に戻ったらしい。神社に居候させている間に昼型生活などという吸血鬼らしからぬ変な癖をつけてしまったので心配していたが杞憂なようだ。一安心して話を戻す。
「で、この青薔薇はどしたん?」
「ああこれですか? パチュリー様の実験用に栽培していた物です。入手経路はよく分かりません。開花まであと三十年はかかるはずだったんですが咲いちゃいました」
ふむ。
この異変では霊が憑いた花を問答無用で咲かせる。大多数の者にとっては花が咲いて妖精が大騒ぎするだけの異変だが、花屋や魔法使い、薬師にとってはラッキータイムである。
この異変中は優曇華(not鈴仙)とか扶桑とかザックームとかバロメッツなど、貴重な植物・木の花が満開になる(西行妖は除く)。永琳やマレフィはこの異変時に採取した花の露や蜜や花弁などでほとんど六十年分の薬の材料を賄うほどだ。
前回は何故か私が二人の採取代行に駆り出されたが、今年は永琳も大っぴらに動ける様になったしマレフィもアリスをバイトに雇うみたいな事言ってたから呼び出しは無さそうだった。
「はいどうぞ」
「ん?」
魔理沙は雇わないのかな、とぼんやり考えていると美鈴がニコニコ笑って私の髪に手を添えていた。頭に手をやると何かモシャッとした感触。
「青薔薇?」
「似合ってますよ」
青薔薇を髪にさしてくれたらしい。
私は独創的な格好の奴が多い幻想郷の住民の中でも比較的シンプルな装いをしている。ゴテゴテした装飾品を付けるのが好きではないからなのだが、折角の貴重品プレゼント、少し嬉しい。
「ありがと」
「いえいえ。妹様がお世話になりましたからこれぐらいは」
礼を言うと美鈴は人好きのする笑みを浮かべた。つくづく人間臭い妖怪だ。
私はちょっとニヤニヤしながら手近なパラソルを勝手に組み立ててラノベを広げた。美鈴はチラッと視線を寄越したが特に何も言わない。
門からようやく我に帰ってわたわたやって来たルーミアに紅茶を頼み、私はしばし午後の優雅な一時を満喫した。
マレフィから珍しく念話魔法が入ったのはラノベを読み終わってすぐだった。
なんでもバイトに雇ったアリスが殊更に凶暴凶悪な魔法花に逆に狩られたらしい。幸い命に別状は無いものの人形は七割破壊され、本人もすぐには動けない怪我を負ったとの事。
なるほど確かに花相手に弾幕勝負なんて出来ないからそういう事も有り得るだろう。アリスも人を相手にした弾幕決闘ばかりで対怪物戦の勘が鈍っていたのかも知れない。
とにかく重要なのはアリスがバイトを継続出来ないという事と、アリスの代わりに私が召集されたという事だ。
呼び出しから十数分後、大図書館にラノベを寄贈した私は魔法の森の上空に差し掛かっていた。普段うっすらと黒い障気に覆われている深い森の空気も今は黄色く染まっている。
全て花粉の色だ。あの中に花粉症の人が突っ込んだら悶え死ぬんじゃないかと思う程濃く渦巻いている。
加えていつもは静かな森の中からはキシャーとかグギョエーとか好戦的な甲高い鳴き声が聞こえてきていた。信じられるか? アレ、化け物キノコと魔法花が闘ってる音なんだぜ?
この時期の森に足を踏み入れると漏れなく二足歩行のラフレシアとマンドラゴラが編隊を組んで熊とか狼に寄生した冬虫夏草(冬獣夏草?)と噛み付きあっているシーンを目撃できる。もうやだこの森。
これは最近マレフィに聞いた話なのだが、この時期はいつも魔法の森を支配しているキノコ達に魔法花が反乱を起こすらしい。
恐ろしい事に魔法の森では化け物キノコがヒエラルキーの頂点に君臨している。擬態と傘に隠した牙を巧みに使い分け動物を捕食する知性は他の追随を許さない。菌糸類の分際で非常に生意気だ。
流石にマレフィも私も植物と会話できる程器用では無いのではっきりとは分からないが、魔法花達は一斉に仲間が咲き揃うこの時に集結団結してキノコ達に下剋上を狙っている、らしい。少なくとも状況的にはそう見える。
真偽はどうあれ現在の魔法の森が破裂した伏魔殿になっている事に間違いは無く、主に視覚的意味で近寄りたくなかった。
ぬらぬらした粘液でテカる触手を操るフジの花とかね。上半身美女なのに下半身ウツボカズラの植……物?とかね。黒板を爪で引っ掻いたような奇声を上げるアルラウネとかね。
ねーよ。てめぇら自重しろ。
しかしまあここでマレフィの頼みを断ったら次にあった時に致死性の高い猛毒を口に突っ込まれるのは間違い無く、私は仕方無く頭に文字通り花が咲いた緑肌の幼女――アルラウネの大群を蹴散らしてマレフィの小屋へ向かった。
友達付き合いも楽じゃない。
※文中の優曇華は月の植物ではなく三千年に一度咲く方