私達は高速飛行で人里に着いた。後ろを見れば霧散した妖精達の妖力が霞のように薄く広がり川を作っている。これが人間だったら大量虐殺だ。
人里付近では昔から特に活発に妖怪(妖精)退治が行われているため、いくら物覚えの悪い妖精でも若干自重するようになる。奴等も人間の百分の一ほどは学習能力があるのだ。私達は妖精の攻勢が弱くなったので速度を落とした。
欠けた月に照らされた人里の家屋はさしたる異常も無く静まり返っている。もう夜も遅く、油を節約する倹約家の人間達の家の灯は消えていた。唯一光が漏れているのは二十四時間営業の陰陽師事務所だけだ。
陰陽師事務所の灯は消える事が無い。いつぞやの花妖怪事件で陰陽師が九割重症を負った時も普通に開いていた。というか事件終了の一時間後には全員無傷になって元気に働いていた。
師匠の仕業である。
慧音の能力は「歴史を食べる」即ち隠す能力であり、一時的に怪我が無かった事にできても起きてしまった歴史は消せない。それに対し師匠の能力は怪我が起きたという「歴史を書き換え」て完全に無かった事にできる。半獣と妖怪、娘と父の能力差だった。師匠マジパネェ。その能力も私には通用しないけど。
「人里は相変わらず平和だねぇ」
「は? ……相変わらずって……あれ、ここって人里がある場所じゃないの?」
「はぁ?」
ぽつりと呟くと霊夢が妙な事を言った。空中停止して下を見下ろす。
見慣れた木造家屋の群。それを囲む木の柵。広場では河童製作の石像が月明りを反射していた。うむ、人里だ。
「あるじゃん」
「どこに?」
「目の前に」
「え?」
「え?」
お互い首を捻る。どうも会話が噛み合っていない。私に見えて霊夢に見えて無い? なんで?
霊夢が嘘を言う理由は無いし見えていないのは事実だろう。そうなると常識的に考えて幻術かまやかしだろうけど一体誰が何の為に?
私の巫女やっていてある程度の幻術耐性がある霊夢を欺き、人里全体を見えなくする事が出来る誰か…………あー、そういや永夜異変でそんな出来事あったな。忘れてた。確か下手人は、
「お前達か。こんな真夜中に里を襲おうとする……ん?」
「や、慧音」
「また変なのが出た」
「上白沢慧音だよ。ほら、寺子屋の」
「ああ半獣ね」
私達を発見して下の方から文字通り飛んで来た慧音を見て霊夢が無礼な事を呟いたので紹介しておく。欠けた満月のせいで人間形態のままの慧音は私と霊夢を交互に見て眉を顰める。いつもより三割増し堅っ苦しい雰囲気だった。異変でピリピリしているらしい。
「この異変を起こしているのはまさかお前達なのか?」
「んにゃ、私達は例によって解決する側」
「あんたの方が起こしてんじゃない?里を消すなんて。退治するわよ」
異変の時の霊夢は二言目には退治退治で困る。
「私は異変など起こしていない。この不吉な夜から人間達を守っているだけだ」
慧音は憮然として答えた。慧音は人間大好きだもんね。過保護なぐらい。人間を守るためなら多少の無茶はするだろうさ。
「理由なんてなんだって良いわ。里を元に戻しなさい、心配無いから」
「それは出来ない。月が戻るまでは隠しておく」
「分からない半獣ね」
おお? なんか険悪な雰囲気になってきた。普段は大人の対応をする慧音も今夜は気が短くなっているようだ。
別にここで霊夢が慧音を弾幕決闘で負かして里を元に戻させても良いが、異変で浮かれた賢くない小妖怪や妖精がもう若くないのに飲み屋を梯子したおっさんの如くふらふらやってる可能性もあるっちゃある。隠してあるなら隠したままの方が良い。
つーか異変の度に慧音は里を隠してんのかね? ……やりそうだ。
「霊夢、慧音は里の歴史を食べただけだから吐き出せばすぐ元通りになる。害は無いんだからここは放置してさっさと竹林に行こう」
「はあ。歴史を食べた?変わった食癖ね……胃もたれしないの?」
「言葉通りに食べる訳無いだろう」
慧音は呆れて言った。私の言葉で霊夢の臨戦体制が解除され、それを見た慧音も少し躊躇したが手に持ったスペカをしまう。うむ、聞き分け良い子は好きだ。
能力の使用範囲、というものは個人差が激しい。紫や徊子の能力は言葉そのままに「境界」「開けられるもの」を自由自在にできるが、レミリアは運命の方向性を大雑把に見たり変えたりするぐらいしか出来ないしフランは一々髑髏を握り潰さなければ対象を破壊出来ず、ルーミアは概念的な「心の闇」は操れない。
慧音も然り。食べられても消化は出来ず、食べられる許容量を越す前に吐き出さなければならない。
でも食べるのも吐き出すのも一瞬だから咄嗟に何かを隠すのには向いている。師匠は慧音より応用が効く分「歴史を消し」「上書きし」「書き換えた部分の前後とある程度整合性を持たせる」という手順が必要で戦闘中はとても使えない。ハクタクの能力も一長一短だ。
「さて、行こうか」
「……まあいいけど」
私が促すと霊夢は若干不服そうに頷いた。よし、戦闘回避。なんか知らないけどリグルともミスティアとも遭遇しなかったし、今回の異変で闘うのは永遠亭主従だけになりそうだ。
私は再び竹林に向かって飛びだした霊夢を追おうとして、ふと思い出し振り返った。
「ああそうだ、今度里に分社を建てたいんだけど」
「うん? ああ分かった。腕の良い大工を手配しておこう。しかし白雪は分社を造る気が無いのだと思っていたが……」
慧音は小さく首を傾げたが頷いた。不思議そうな顔をする慧音に肩を竦めてみせる。
「私の力に耐えるだけの依り代が無かったからね」
神は自分のための神社であれば分社としてその場に瞬間移動できる。便利なのでちょくちょく訪ねる人里に分社を置こうと思った事は何度かあったが、丁度良い依り代が見つからなかった。
神社や分社は建物や神棚が無くても神が宿る器さえあれば充分その機能を果たす。しかし逆に言えば神が宿る器が無ければ機能を果たさない。
幻想郷有数の神格を持つ私の器を許容できるだけの物が見つからなかったのである。まあそれほど熱心に依り代探しをしなかったから見つからなかったんだろうけどさ。
しかし先日、香霖堂で昔私が鍛えた刀を見つけた。霖之介が言うには一度剣士に売ったのにまた戻って来たらしい。
千年ほど前に全力を込めて鍛え上げた刀は余程数奇な運命を辿ってきたらしく、店の隅に積まれた鉄屑に混ざっている草薙の剣すら凌駕する力を纏っていた。気のせいか手にとると刀が喜んでいる気配を感じ、すぐに気に入った。元々私のものなのだから嫌う道理は無い。
そして銘が無く、「所持する事で争いを避け、安全な旅をする為の威嚇手段」という虚仮脅しみたいな用途しか分からなかった霖之介からそこらの模造刀よりも安く買い上げた。霖之介に刀を見る目は無いようだった。実際試し切りしてみれば異常性に気付いただろうに。
申し訳無いと思いつつも色々安く買わせて貰うのはいつもの事だから気にしない。
とにかくその刀を器にする予定である。あれだけの力を持ち、かつフランのレーヴァテインと打ち合わせてもびくともしない刀なら武器としても器として一級品だろう。
私は慧音と分社について軽い打ち合わせをし、案内役を置いて先に行ってしまった霊夢を追った。霊夢の勘の鋭さなら竹林までは案内役要らなさそうだけど、竹林で迷うだろうからね。